相棒~杉下右京の幻想怪奇録~   作:初代シロネコアイルー

173 / 181
第172話 東方からの使者 その2

 こうして、マミの口から幻想賢者たちが阿求と慧音以外の里人の記憶を改ざんし、〝事件そのものをなかったことにした〟という驚愕の事実が語られた。

 

 事件に加担した水瀬、土田と壊滅した火口家は存在もろとも抹消。テロに加担した秘密結社のメンバーは紅魔館に捕まっていた三人も含めて消息不明。ついでに七瀬春儚や藤崎敦という人物が里にいた痕跡を人々の記憶ごと消し去った。しかし、歴史書等の資料の改ざんは難しかったようで、書物関係は慧音、その他の修正は阿求のふたりが仕方なく担当した。その結果、慧音は軽いうつ病を患い、数ヶ月の間、寺子屋に顔を出せず、阿求も里が安定するまで寝込むことが多々あったそうだ。

 

 話を聞いた右京は、深くため息を吐いてから「あの方らしいですね」と零し、相方も「えげつねぇ……」と小さく呟いた。改めてふたりは、とんでもない妖怪を相手にやり合ったのだと実感する。しかし、里人が記憶を失う原因は、特命係にもある。右京が宗次郎を追い詰めなければ、ここまでの事態に発展することはなかったのだから。

 負い目を感じたからか、右京がポツリと。

 

「なにか、彼らのためにできることは……」

 

「そっとしておくことじゃな。それが、儂らができる唯一の罪滅ぼしじゃよ」

 

「いや、マミさんは悪くないと思いますよ。というか、ね」

 

 大体の責任は自分たちにある。尊はそう言いたげに右京の顔色を窺い、見られた相手が首肯するも、マミの意見は少し異なっていた。

 

「お主らが急いでいたのは間違いない。じゃが、奥村の術中にハマった儂と新聞天狗は当然として、外部勢力を頼らなかった阿求、田端を取り逃がしたレミリア、お主らへの連絡を怠った霊夢と魔理沙。その他、小さなミスが重なった結果、あれほどの大事件に発展した。我々、全員の責任じゃよ」

 

 霊夢が右京にジェームズ・アッパーのことを報せる、レミリアが田端を捕らえる、阿求が右京の要望通りに狩野宗次郎の屋敷を家宅捜索する。このうち、どれかひとつでも成功していれば、ここまでの惨劇は起こらなかったはずだ。

 けれど、元を辿れば、妖怪たちの気の緩みが招いた悲劇でもある。特命係だけを責める訳にはいかない。マミはそう考えている。しかし、参謀杉下右京は首を横に振って否定する。

 

「だとしても、指揮したのは僕ですから」

 

 すべての責任は自分にあって、他のメンバーにはない。警察官の矜持を見せる和製ホームズに狸の親分は、メガネをカチャっと上下させて言った。

 

「では、どうする? 里人たちに謝って回るか? 連中は記憶を無くしておる。ちょっとやそっとじゃ、元には戻らん。仮に戻ったとしても待っているのは血と悲鳴の地獄。それと『なぜ、こんな重要な記憶を無くしたのか』という底しれぬ恐怖。里は再び、混乱に陥る。やっと安定してきたんじゃ。いたずらに蒸し返すのはやめてくれ」

 

 やり方は強引だったが、短い間に里が安定したのも事実。ここで記憶を戻されても、阿求や慧音に負担がかかるだけ。為政者への不信感からさらなる妖怪アンチが生まれ、過激派集団の再結成に繋がりかねない。幻想郷の住民からすれば、記憶の復活だけは絶対に避けたいところなのだ。

 この言い分には、正義の信念を掲げる杉下右京も納得せざるを得ない。

 

「わかりました。しかし、僕に協力してくれた方々へ謝罪のひとつやふたつ、して回らなければならないでしょう」

 

「誰も責めぬとは思うがのぅ」

 

 幻想郷内では里人の安全より、里に干渉しづらくなったことを嘆く声が大きく、結社と荒れくれを中心としたアンチ妖怪集団を一掃できたこともあって、無差別殺傷事件はそこまで問題視されていない。

 仮に意見したところで対策は妖怪賢者が考えることであり、他の妖怪たちは蚊帳の外。半年も経つころにはいつも通り、働いて宴会を開く生活に戻っていた。

 

「いいえ、このままでは筋が通りません。それにーー黒幕の男についても報告したかったところですので」

 

「なぬっ、黒幕!? 見つかったのか!!」

 

 動揺して声を荒げるマミの眼前に右京が、新聞社のwebページからコピーした南井の画像をかざす。

 

「この男はイギリス国籍を持つ日系人。名を南井十。狩野宗次郎を唆した張本人かつテロの首謀者で、ほぼ間違いないと思われます」

 

「ほぼ? 証拠はないのか?」

 

「ええ。問いただせなかったものですから」

 

「なぜじゃ。逃げられたのか?」

 

「一ヶ月ほど前。彼は、僕の前に現れ、東京で四件の殺人事件を引き起こしました。最終的に僕が逮捕するに至ったのですが、彼は重度のアルツハイマー症を患っており、記憶のほとんどが抜け落ちている状態でした。取り調べる刑事たちが匙を投げるほど重症で、彼の記憶に残っていたのはある友人との思い出だけだったのです。そして、警察病院に入院してからほどなくして失踪。病院付近の滝から本人の足跡と血痕が発見され、事件は行方不明という形で幕を閉じました」

 

 憎き男だが、脳をやられ、廃人と成り果てて、滝壺に転落して消息を絶つ。なんと哀れな最期か。黙って話を聞いていたマミの中で、怒りよりも哀れみのほうが大きくなった。

 

「なんとまぁ……。しかし、友人の記憶だけ残っていたというのは不思議じゃのう。どんな友人だったんじゃろうな」

 

 何気ない疑問だったが、隣の尊が気まずそうな顔をした。かたや、右京はポーカーフェイスを一層、引き締めた。そして、普段より重くなった口を開いた。

 

「その友人の名前は()()()()――かつて南井がロンドンで刑事をやっていたとき、共同捜査を行った()()でした」

 

 感情が一切、混じっていない声音に乗せられた辛い現実。さすがの大妖怪も目を大きく見開いてから現実を受け止め、喉の奥を低く鳴らす。

 

「……そうじゃったのか。余計なことを聞いたな」

 

「問題ありません。関係を問われれば……話すつもりでした」

 

 必死に追っていた犯人が知り合いーーそれも職務上、付き合いのあった人物だったとは。相棒を逮捕した右京の心情は察してあまりある。マミが謝るのも自然な流れだが、元から右京は隠すつもりなどなく、機会があれば話すつもりでいた。事件の協力者には、南井との悲しき因縁もオープンにする。これも彼なりの矜持なのかもしれない。

 

「それを含めて、あやつらに話すつもりじゃったんだな?」

 

「はい」

 

「そうか。じゃが、ひとつ問題があるのぉ」

 

「なんでしょうか?」

 

「どうやって幻想入りするつもりかな? 現代の科学ではそう簡単に入れんぞ」

 

 この前はたまたま運が良かっただけで、次も長野の神社から入れるとは限らない。実際、再度神社を訪れたときも周辺を捜索してみたが、無縁塚に出ることはなく、ひたすら雑木林をぐるぐる回っていただけだった。しかし、突破口ならある。

 

「そうですねえ。非常に困っていたところです。がーー」

 

 右京は人差し指をピンと立てながら、マミの顔を指した。

 

「あなたに連れて行ってもらえれば、すべて解決します」

 

 直後、マミは「そうきたか」とおどけてみせるも、首を縦に振らなかった。

 

「儂は結界を通り抜けられる術を持っておるが、この方法じゃ、ひとりしか移動できん。じゃから、諦めてくれ」

 

 ここで「はい、そうですか」と引き下がる和製ホームズではない。

 

「参考までに。移動法だけでも教えてほしいのですが」

 

「教えてところで真似できんよ。人間には」

 

「そこをなんとか」頭を下げて頼み込むが、マミは腕を組んだまま「それはできんのぉー。お主らに手を貸したところを見られたら、アヤツが黙っておらんじゃろうし」と拒み続けている。そこへ加勢に加わった尊が「お腹、空いてませんか。中華、奢りますよ?」とささやく。料理と聞いて心が揺れたのか、唸り声と共に、天井を見上げた彼女が一言。

 

「……オススメは?」

 

「お肉と魚介、どちらがお好みで?」

 

「肉も好きじゃが、今日は海の幸の気分じゃ。幻想郷では味わえない料理が欲しいのぉ〜。たとえばーー」

 

 メニューを開いてパラパラと捲り、ページ後半にある三日月型の茶色い物体の前でピタリと動きを止める。

 

「フ、フカヒレッ!? しかも一品、八千五百円って……」

 

 中華料理を代表する高級食材フカヒレを煮つけにした姿煮。誰もが一度は食べてみたいと思うだろう。この妖怪も例外ではなかったようだ。口元を動かしてニヤリと笑った彼女に尊の顔が引きつった。今度はそこへ右京がフォローに入る。

 

「構いませんよ。僕と彼で持ちます」

 

「ほっ、本気か!?」冗談のつもりだったマミがのけぞり、続けて右京が「ですが。値段相応の情報はーー喋っていただけるんですよねえ〜?」と要求を釣り上げた。

 

「ほほーう。そうきたか」

 

 狸の大妖怪は、交渉ごとを得意としており、相手が表の知人であっても簡単には応じないものだ。やる気を出した彼女は「もし仮に、お主らに話すとしても、その内容は『今回、儂が結界を越えた方法について』のみ。詳細等は企業秘密じゃぞ?」と右人差し指を振ってみせる。今にもチッ、チッ、チッという擬音が聞こえてきそうな態度を取ったマミに右京が「さすがは狸の頭領。一筋縄ではいきませんねえ」と心の中で不敵な笑みを浮かべた。

 

 それから、マミが料理を指して美味しそうと言えば、右京が追加の条件を提示し、彼女が迷う素振りを見せてから、次の料理名をあげるというお笑いじみたやり取りを数分に渡って繰り返した。

 後半から右京がうんちくを披露し、マミが相槌を打つバラエティー番組に変更するも、彼女はあの手この手の言い分で粘った。だが、結局、演技しながらトークをし続けたことで余計に腹が減ってしまい、最終的にウニのあんかけチャーハン(二千六百円)で手を打つことにした。交換条件は当然、右京が知りたがっていた情報――すまわち、マミが結界を越えた方法、それと解説である。詳細な説明をしてもらう約束までは取りつけられなかったが、フカヒレの姿煮(八千五百円)に比べれば、ずいぶん安くなった。

 思ったよりも安くすんだなと一息吐いた尊だったが、反対に税込二千円ほどのランチメニューを選ばせたかった右京は、少しだけ高くついた、とマミの手腕を讃える。

 

 お昼休みが終わりに差しかかり、人が少なくなったことで厨房に余裕ができたのか、マミの頼んだ料理が十分前後で個室に届けられる。

 正面に置かれた白い皿の上に、ひっくり返したお椀のように盛られたパラパラのチャーハン。そこに大量のウニが入った至高の白いあんかけがこれでもかと、黄色い山の頂上から流しかけられており、狭い個室を磯の良い匂いが満たす。

 立ちのぼる湯気をかいだマミは目を閉じながら「磯の香りなんて久しぶりじゃのう。堪らんわい」と呟いて、しっかり両手を合わせた。

 

「ありがたく、いただかせてもらうぞ」

 

 そう言ってからレンゲでウニあんかけと一緒にチャーハンを掬って口元に近づける。あんを纏った焼き飯が普段の何倍もの高級感を醸し出すとは。心を踊らせつつ、彼女はそれを口に入れる。

 

「んんっ!?」

 

 パラパラのチャーハンを磯風味のあんかけが包み、舌の上を食感の柔らかいウニが転がる。噛めば噛むほど、薬漬けされていないウニの旨味が広がり、大海原を航海するような高揚感が一気に押し寄せ、瞬く間に彼女の目を輝かせた。

 

「米の一粒一粒にしっかり味のついたチャーハンもさることながら、ウニもミョウバン臭さがまったくない。しかも、食材同士が良く合っておる。こりゃあ、うまいのぉー! 絶品じゃ!」

 

 そりゃあ、高級チャーハンですから。尊は心の中で呟いた。

 食レポをこなしつつ食事を平らげたマミは、お冷で口の中に残ったウニの香りを胃袋に流し込んで「ふう」と息を吐く。

 

「美味しかったぞ。ここ最近で一番じゃ。さて」特命係の面々が自分のほうを見ていることを確かめた彼女は「ご要望通り、結界を抜ける方法を教えてしんぜよう」と語り、懐から一枚の奇妙な葉っぱを取り出し、手に持った状態でふたりに見せた。

 

「青い葉っぱ、ですか」

 

 目の前にかざされたそれは綺麗な青色をしていて、まるでモルフォ蝶が持つ翅のように鮮やかだった。形状はどこにでも落ちていそうな普通の葉で、現代科学を活用すれば、形と色だけであれば、容易に再現できそうなものだが、どこか他者を引き寄せる不思議な魅力を持っている。

 

「触らせてもらっても?」

 

 右京が尋ねると、マミは「それは約束に含まれておらぬぞ」と要求を断って、説明に移る。

 

「この葉っぱは、色々と手が加えられた道具でのぅ。見えざる力が漂う場所ーー神社、仏閣、山、川、神域、その他パワースポットなどが該当するの。そこで、この葉を満月の光にかざすと、月光に含まれる力と周囲に漂う霊気を吸収して、一時的に向こう側とつながる空間を作り出し、一瞬で結界を越えることができる。

 儂クラスともなれば、ある程度、着地場所を選べるかもしれぬが、基本的にはランダムじゃ。運が良ければ博麗神社辺りにでも出られるかもしれんが、期待はできん。そうじゃのぅ……竹林辺りに出ると思ったほうがよいな。時刻も夜じゃから、妖怪たちの活動時間と重なる。人間にとっては、かなり危険じゃが、ここのところ妹紅どのや蓬莱山どのがパトロールしているおかげか、雑魚妖怪たちは、むやみやたらに人間を襲わなくなっている。まぁ、寒いから動きが鈍くなっているというのもあるがな。

 しかし、幻想入りするなら今の時期がチャンス。滞在期間にもよるが、長くいるつもりであれば、衣服はもちろん、缶詰などの非常食、可能なら一円札も揃えておくことをオススメする。もしも、入れるのであれば、じゃがのぉ」

 

 ドヤ顔で語ってのけた大妖怪に尊が「奢ってもらった癖にマウント取りやがって」とスマイルフェイスの裏側でメラメラと炎を燃やす。右京もまたポーカーフェイスの内側で思考を巡らせていた。

 

「となれば、登山用の装備を検討したほうがいいかもしれませんねえ。もしも、入れるのであれば」

 

「そうじゃのぉー。厚着したほうがいいかもしれん。あぁ、それと。そこそこ大きい神社から幻想入りすることをオススメするぞ。小さい神社からでも大丈夫じゃが、大きいほうが、力が集まりやすい。……もしも、入れるのであれば」

 

 互いに顔を見合わせて笑い合う刑事と妖怪。なにを張り合っているのか。尊は、元上司に冷ややかな視線を浴びせ、ふと自身の腕時計を見やった。時刻は十四時に回ろうとしており、暇な特命係と違って、これ以上の長居は上司への言い訳が面倒になる。立ち上がった彼は、ふたりに訊ねた。

 

「ぼくはそろそろ、戻らなければならないので。さきに会計を済ませようと思いますが、おふたりはどうします?」

 

「僕は、まだ余裕がありますが。……もう少し、お話ししましょうか?」

 

「いや。こっちもそろそろ、失礼しようと思っていたところじゃ。色々な話しができた。楽しかったぞ」

 

 席を立った彼女が握手を求めて手を伸ばす。珍しい行動に目を大きくさせるも、拒む理由はない。右京は差し出された彼女の手を握った。

 

「こちらこそ」

 

「うむ」

 

 まるでなにかを語り合うかのように、別れの挨拶を交わし、手を離したマミは相手の腕が下がったのを確認してから「またいつか」と言い残し、個室の外に出た。店の外まで一緒に行動するものだと思っていた尊が、慌てて後ろ姿を追うもすでに彼女の存在はなかった。

 

「あれ。消えた……?」

 

 戸惑いの色を隠せない元部下。しかし、杉下右京は、

 

「(さすが、人情派と呼ばれるだけのことはありますねえ)」

 

 スーツの内ポケットに、()()()()()()()()を滑らせて、誰にも悟られないように笑った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。