人間の里には《鈴奈庵》と呼ばれる貸本屋がある。そこの店番を任されているのは小さいながらもしっかり者で好奇心旺盛の少女だった。
右京は道行く人にその場所と小さな店番の話を聞いて、心を躍らせながら鈴奈庵に到着。扉を開けた。店内には本棚が並んでおり、まるで昔の面影を残した図書館であった。「ほうほう。これは、これは」と唸りながら進んで行く。そこに一人の少女が現れた。
「何かお探しですか?」
鈴の髪留めをつけ、赤と薄紅色の市松模様の服にクリーム色のエプロンを纏った少女。そう彼女は、
「もしかして、あなたが
「はい。私が本居小鈴です」
本居小鈴本人である。少女は目の前の紳士を興味深そうに観察する。
右京は嬉しそうに。
「やはりそうでしたか」
小鈴もまた物腰が柔らかくて里人らしくない服装の人物に心当たりがあった。
「あ、もしや、あなたは霊夢さんたちと行動しているって言う……」
「ええ、僕は杉下右京。表からやって来ました」
「やっぱり、そうでしたか! いや~、皆が噂しているので、お会いしたいなぁ~と思ってたんですよ!」
「おやおや、それはまた」
小鈴はこの外来人に強い興味を持っていた。まるで自分が大好きな本に出てくる登場人物のような振る舞いに、出会うのを楽しみにしていた。
実際、目をキラキラさせながら右京を見上げている。
右京は照れる素振りを見せた。
「そこまで見つめられると恥ずかしいですねえ〜」
「あ、ごめんなさい……」
「どうか、お気になさらず。僕もあなたにお会いしたかったので」
「本当ですかー!? よかったー」
溢れんばかりの笑顔で喜びを表現する小鈴にさすがの右京も苦笑いを禁じ得ない。
そんな姿を見て小鈴は何かを思い出して萎れた。
「すみません。今、敦さんの事件の捜査中でしたよね……」
「こちらこそ。あなたを舞い上がらせてしまって、申し訳ない」
小鈴は右京が敦の事件を捜査しているという情報をどこからか掴んでいた。そのため、自分が不謹慎な態度を取ったと感じたのだ。
この少女は悪気こそないのだが、自分の好きなことになると周りが見えなくなる性質を持っており、霊夢からはトラブルメイカーと厄介がられ、要注意人物として扱われている。
右京は小鈴を小動物みたいな女の子だと思った。 シュンとしている彼女に静かに告げる。
「小鈴さん、僕は敦君の事件解決のために動いています。どうか、お力を貸しては貰えませんか?」
俯いていた小鈴は顔を上げた。
「私なんかで役に立ちますか?」
「とても心強いですよ」
右京の言葉に反応した小鈴は再び、背筋をピンと伸ばし、
「是非、協力させて下さい!」
懇願してきた。右京は「お願いします」と微笑む。
看板娘の協力を取り付けた刑事は《幻想郷縁起》を始めとする歴史書や妖怪の逸話など、様々な本を漁った。読みにくい箇所は小鈴が代わりに解読して右京に伝える。
和製ホームズの驚異的ともいえる読書スピードに小鈴は感動しながら指定された本を次々と運んでいく。ついさっき、知り合ったとは思えないほどの連携である。
数時間後、右京は里における主要な歴史をある程度把握する。
「ふう……」
ため息を吐くと隣の小鈴がグロッキー状態であることに気づく。
「小鈴さん、大丈夫ですか?」
「はい、なんとかー」
机に力なく身体を預ける小鈴だが、それでも片手に持った本を離そうとしない。右京はついつい笑ってしまう。
「小鈴さんは本当に本がお好きなのですねえ」
「はい、大好きですよ! 杉下さんも好きですか?」
「ええ、とても」
「やっぱり、本はいいですよねー! 人の人生が詰まっているというかなんと言うか!」
「彼らは人生を費やして本を書き上げます。僕たちはその貴重な内容を読ませて貰い、さらには知識まで授かっているのです。本当にありがたい話です」
「ですよね! 私もそうやって日々、知識を頂ける事に感謝しないと!」
「そうですねえ~」
この中々にユニークな少女はどうやら、彼と近い価値観を持っている。
右京は椅子に座りながら足をパタパタ動かす小鈴にとあることを訊ねる。
「そういえば、僕は七瀬春儚さんからこの店の存在を聞いたのですが、彼女は落語好きでとても面白い女性でした」
「ああ、春儚さんですね! 少し前から良く店に来てくれるんですよー。その度、色々な本を借りてくれるので私的には本当に助かってます!」
「彼女も相当な読書家のようですからねえ」
「そうなんですよー! 占いから恋愛、植物……それに探偵物や怪談とか色々です」
「僕と同じで色々な本を読みたくなる性分なのでしょうね」
「最近も沢山、本を借りて行ってくれましたし、いやー本当に助かりますよ」
「貸本屋さんは人が借りに来ないと成り立ちませんからね」
「その通りです! でも、返すのが遅い人にはあまり貸したくはありません。特に魔理沙さんとか!」
「おやおや」
魔理沙も鈴奈庵から本を借りているようだ。しかし、小鈴の態度から本を盗むなどの窃盗行為をしているわけではないらしい。
この小さな少女と何か親密な関係にでもあるのだろうかと右京は勘繰り、試しにこう言った。
「もし、彼女が借りっぱなしだったら僕に言って下さい。力になりますから」と。
小鈴は「ありがとうございます! けど、何だかんだで期日近くには返してくれますから。延滞金は渋りますけど」と語り、右京は安心する。
和やかなムードに包まれる鈴奈庵。ここで右京は今までとは毛色の違う質問をする。
「小鈴さん、個人的にお訊ねしたいことがあるのですが――よろしいでしょうか?」
「いいですよー。答えられる範囲でなら何でもお答えします」
「それでは――」
右京は一呼吸置いてから質問を始めた。
「この人里において〝最もやってはならないこと〟は何でしょうか?」
「〝最もやってはならないこと〟……?」
小鈴は質問の意味がわからず、首を傾げた。
右京はより具体的な言葉を選ぶ。
「里で禁じられている掟みたいなものです。言うならば〝禁忌〟などの類でしょうか」
「うわー、それはまた重い内容ですね……」
小鈴は口元に袖の裾を当てながら驚いた表情で相手の目を見る。
あどけない容姿のせいかどこか可愛らしい。
「うーん、わからないですね。この里って意外と平和ですし」
「ええ、歴史を調べてもこれといった凶悪事件も見当たりませんしねえ」
「凶悪事件と言うと?」
「人による殺人事件などです」
「あー、確かにそうかも」
「今回が人の里、特に博麗大結界後、初の里人による殺人事件になるのでしょうね」
「歴史書を見る限りそうなのかも知れませんね」
人里の歴史には人間の発展や妖怪との付き合いなどは書かれているが、殺人事件などの事項は一切乗っていない。この里は平和そのものだった。
右京は思考を巡らせようとする。
その時、店の扉が開いた。
そこにはセミロングの紫髪に黄色い振袖の着物を着た少女が立っていた。
「小鈴、居る?」
「
辺りは真っ暗だった。にも拘わらず、阿求と呼ばれた少女は明かりを片手に鈴奈庵を訪れた。
彼女を視界に捉えた右京は軽く頭を下げた。
少女もまた、右京に挨拶をする。
「初めまして杉下右京さん。私は
「どうも初めまして」
阿求と名乗る人物は小鈴と同年齢の少女であるが、どこか小鈴とは違う、まるで年上のような印象を受け、その雰囲気はどこか神秘性を帯びていた。阿求が刑事に訊ねる。
「少し――お時間を頂いてもよろしいですか?」
「はい」
右京がそう言うと阿求は彼と向かい合うように座り、二人の駆け引きが始まった。
二人は互いに向かい合い、その瞳を観察していた。
右京は阿求の瞳を「とても少女とは思えないほどの静けさを持つ瞳」と。阿求は右京の瞳を「数々の修羅場を潜って来た落ち着きのある瞳」と心の中で評した。
鈴の少女は「こんな阿求見たことない……」と気圧される。
実際、普段の彼女は口うるさいところもあるが、もっと少女らしい人物だ。
最初に阿求が口を開く。
「杉下さんは私をご存じでしょうか?」
「霖之助君から伺っております。何でも、千年続く名家《稗田家》のご当主であると」
稗田家は人間の里でもっとも幻想郷の資料を持っていると言われる名家である。そこに生まれる子は超人的な記憶能力を持っている。
その子は〝御阿礼の子〟と呼ばれる。阿求はその九代目である。
「ええ、仰る通り私は稗田家の当主――というよりは転生を繰り返した九代目
稗田阿礼とは日本最古の歴史書、古事記の編纂に関わった人物である。歴史上、その資料の少なさから阿礼個人のことはよくわかっていない。
そんな偉大なる人物が右京の目の前にいるのだ。いつもの彼なら大はしゃぎだろう。しかし、右京は淡々と返した。
「まさか、歴史上の人物にお会いできるとは……光栄です」
「少しばかり古事記の編纂を任されただけです。大したことはありません」
謙遜する阿求に右京は首を振った。
「そんなことはありません。あなたのようなお方のご活躍で僕たちは遥か昔の歴史を知ることができるのですから」
「そう言って貰えると頑張った甲斐がありますね。ですが、もう少し気楽に接して下さい。今の私は一応《阿求》ですから」
「なるほど――ではお言葉に甘えて」
小鈴は二人のやり取りに息を飲む。普段は明るい彼女も親友たる阿求の変わりようと右京の先ほどとは打って変わった振る舞いに只ならぬものを感じ取った。
「僕にどのような御用でしょうか?」
「稗田の家の者としてお礼を言いに参りました」
「敦君の件ですか?」
「はい」
阿求はお礼を言いに来たと語り、話を続けた。
「杉下さんが敦さん殺害の犯人捜しに尽力していると慧音さんからお聞きしました。こちらとしても表の刑事さんに協力して頂けるというのは非常に心強く思います」
「いえいえ、僕は警察官ですから。それが仕事です」
「このような事態は初めてですから――杉下さんがいなければ、もしかすると野犬に殺されたものとして処理されていたかも知れません」
「そんなことはないと思いますよ。里には優秀な方が沢山おられる。僕じゃなくてもきっと、見つけていたかと」
「だとよいのですが」
阿求は軽く微笑んだ。
右京も同じ表情を作る。
「杉下さんはとても熱心に捜査をなさると慧音さんが言っておりました。私自身、遠くからその仕事ぶりを拝見させて頂きましたが、実に興味深く、色々と参考になりました」と阿求。
「とんでもない。今思えば、僕の聞き込み方には至らない点が多かったような気がします。明日からは配慮した捜査を行いたいと思います」と笑顔で答える右京。
「里の人々は表の方に慣れていないので、考慮して頂けると助かります」
「あまり出過ぎたことをしないように努力します」
「それはよかった――今後ともよろしくお願いします」
「はい」
パッとした笑顔を作り、阿求が立ち上がる。
二人の会話は何の変哲もないごく普通の会話だった。一時はどうなるかと思ったが、何事もなく終わってよかったと小鈴が安堵した。
その際、阿求は小鈴を見た。
「小鈴、あんまり表の方に迷惑をかけないようにね」
小鈴は阿求の顔が普段通りに戻っていたので「わかってる」と返事をした。
右京は思う。
「(タイミング的に考えて……これは〝警告〟――でしょうね)」
阿求もまた、
「(これでわかってくれるとよいのだけど……)」
と願う。
互いに互いの実力を理解した者同士の短い会話であったが、その真意を汲み取るのは右京に取っては容易だった。
用事を終えた阿求は鈴奈庵を出て行った。
小鈴はため息を吐く。
「いつもはあんなんじゃないんだけどな~」
右京も少女から見えないように軽くため息を吐いた。
「(踏む込むなと言われても踏み込んでしまうのが僕の悪い癖。今更、治りそうにもありません――)」
小鈴が阿求を思うなか、右京は自らの背負いし業とも取れる性分に心底呆れながらも、明日の方針を練る。