「おいおい、やらせていいのかよ……」
大空へと飛び立つ彼女らの姿を眺めながら魔理沙がこぼした。かつて依姫との戦闘で完膚なきまでの敗北を味わった魔女にとって、いかに不老不死とはいえ、知人の勝つビジョンが浮かばない。霊夢も同様だったが、妹紅の性格を考慮すれば、こうなってしまうのは仕方のないことだと半ば諦めている。
少女ふたりの表情からマミは不安さを覚え、
「……あの御仁、そこまで強いのか?」
そう尋ねた。
「強いわよ。月世界で五本の指に入るくらいには」
地上の民に変わって輝夜が即答する。月は未知の技術で溢れた技術大国として地上の勢力にも知られ、その強さが時として横暴な振る舞いを引き起こす。とある事変で侵攻された事実を鑑みるに、相当な軍事力を有しているのは明らかだ。そんな世界で最上級の実力を持つ姫御子の戦闘力は計り知れない。狸の総大将は渋い面持ちとともにむぅ、と唸った。
会話が途切れたところに廊下で様子を見ていた右京たち三人が歩み寄る。
「藤原さんはスペルカードバトルをなさるつもりですか?」
「たぶんね。ただ、殴り合いアリと言ってたから、かなり荒々しい戦いになるんじゃないかしらね」
顎に手をやって自らの予想を語る輝夜。右京は空を見上げて、独り言のように呟く。
「可能ならば、近くから観察させていただきたいと思ったのですが……」
「やめておけ、おじさん。巻き添え食らったら火傷じゃすまんぞ」
「そうじゃぞ、杉下どの。無謀なのはひとりで十分じゃ」
「右に同じく」
魔理沙、マミ、霊夢に釘を打たれるも右京は顔を向けることなく「残念ですねえ」とマイペースに振る舞ってみせた。客人の変人っぷりに永琳がふふっと笑ってから、豊姫に近寄る。
「久しぶりね。元気だった?」
「あ、先生! ご無沙汰しております」
先ほどまでの尊大な態度はどこへやら。永琳を見るや月の参謀はペコリと頭を下げ、喜びを上まで露わにした。
「あらあら。相変わらずね」
「はい! 先生のほうもお変わりなく。真に嬉しく思います」
教え子の満面の笑みに師匠の表情も緩み、笑顔で彼女を歓迎する。戦いそのものを心配する輝夜たちとの落差が激しく、傍から見ていた尊が「えぇ……」と声を漏らす。弟子と被保護者である娘の友人が殺し合うというのに、この余裕は一体どういうことか。右京の相棒は永琳という人物を測りかねていた。
客人の呻き声を耳に入れていた永琳が後ろを振り向く。
「あのふたりなら大丈夫。片方は死なないし、片方は滅法強いから」
「え、あぁ……。そうですか……」
当たり前のように言ってのける永琳。もはや、つっこみを入れる気力さえ失せ、尊は乾いた笑いをもって返すのが精一杯だ。
ふと、視線が彼と合った豊姫が師匠に尋ねる。
「先生、あの方々は?」
「こちらは神戸さんであちらは杉下さん。表の世界から幻想郷にいらしたの。私たちの知人よ」
話題が出たのを機会と捉えた尊が月の姫君のところまで歩を進めた。
「初めまして。神戸です」
「お初にお目にかかります。綿月豊姫と申します」
軽く会釈を返す豊姫。敬愛する者から紹介されたとあって先ほどとは異なり、丁寧な対応を取った。所作の奥に隠れる気品。尊は「本物のお嬢さまだな、この娘」と内心で感嘆する。
続いて名前を呼ばれた右京が尊の隣に並び、豊姫に挨拶した。
「どうも、杉下です」
「初めまして。綿月です」
顔に微笑みを湛える紳士。豊姫は尊と同様にお辞儀して、友好的な態度を示した。この調子なら質問も受け付けてくれるに違いない。和製ホームズはさっそく彼女に尋ねてみた。
「妹君、これから藤原さんと一戦交えるようですね。ご心配ではありませんか?」
「うーん……。まったくないと言ったら嘘になりますけど、妹は腕が立ちますので」
「そうでしたか。やはり妹君は刀を主体に戦いになるのでしょうか?」
「えぇ。妹は剣の達人で、剣技だけなら月で一、二を争う腕を有しております」
謙遜することなく言ってのける姉。妹の実力を高く評価しての発言だった。
「それはそれは。すごいですねえ。ふむふむ――」
決して身内贔屓ではない、れっきとした事実であった。
これはさぞかし苦戦するだろう。右京は、青く輝くこの大空に妹紅の健闘を祈った。
☆
永遠亭上空。
風の吹きすさむ中、妹紅は一定の距離を置いて依姫と相対していた。
「スペルカードバトルはやったことあるか?」
「一度だけ」
「どうだった?」
「相手の技を受け、その返しに反撃したらいつの間にか終わっていた」
「面白かったか?」
「退屈だったな」
「そうか、わかったよ」
依姫との会話したのち、妹紅は両手と両足に妖力を込め、紅蓮の炎をまとわせた。メラメラと燃える炎によって、周囲の空気が熱気を帯びて揺らめいている。相当な高熱を発していると見てよい。
「接近戦主体でいく」
不敵な笑みを浮かべ、正面を見据えて構える妹紅。まもなく戦いの幕が開けると悟った依姫も左腰に拵えた刀の鍔にそっと親指をかける。
「どこからでもこい」
絵に描いたような強者の振る舞い。挑戦者は口元をニヤつかせた。
「じゃ、遠慮なく」
その直後。四肢より発火する火炎をひと回り以上も膨張させ、同時に背中から噴射するように二対の火柱が出現――彼女の体を激しく押し出す。
「ハァッ!」
噴射の勢いで加速した銀髪の少女は、またたく間に相手の間合いへと侵入する。
射程に入った――。妹紅は右腕を大きく振りかぶり、その勢いを相手へ叩きつけるように拳を振り下ろす。
相手は未だ動かない。やったか、そう思った刹那――。
「遅い」
依姫は神速の如き速度で抜刀――迫りくる右腕をその一刀で切り落とした。
「――ッ」
すれ違う両者。交叉から少し間を置いて、妹紅は自身が右腕を落としたのだと理解する。先制攻撃の失敗に舌打ちしながらもすでに右腕は再生し、元通りに復元されていた。
「やるな――」
相手が抜刀したことさえわからなかった妹紅は、戦慄とともに武者震いを起こし、その熱が冷めないうちに身をひるがえして再び依姫に向かって突進した。
背中から吹き出る火柱が三本に増加する。翼に見立てた姿はまるで天使そのもので、一種の神々しさすら放つ。しかし、その程度では月の姫御子は眉ひとつ動かさないだろう。
右脚を大きく後方に動かしてから、強烈な蹴りを依姫のこめかみ目がけて放り込む。相手はまだ振り向いておらず、こちらの攻撃すら見ていない。本来なら急所を捉え、勝負が決まるほどの一撃、のはずが――。
「なっ!?」
蹴りが当たる寸でのところ。振り向くと同時に依姫は、刀を縦に振り下ろして妹紅の右脚を膝下から一気に両断する。
右脚は空を切る。だが、彼女の攻撃はまだ終わってはいない。蹴りの反動を利用――腰に力を入れて、残った左脚で回し蹴りを繰り出す。向こうも刀を振り切ったばかりで急な攻撃への対処は難しいはずだ。
これで一矢報いてやる。意気込みとともに、炎をまとった蹴りで顔面を狙う。
攻撃が当たる寸前。依姫は最小限の動きでそれを躱し、脚が伸び切ったところを刀を斬り上げて、左脚をも切断する。
「ぐぅっ!」
いかに不老不死とはいえ、彼女も人間。ひと並みの痛覚を持ち合わせている。鋭い刃に骨を断たれれば、神経が嫌でも反応する。それがたとえわずかな時間だとしても、この超至近距離であれば依姫が見逃すはずもなく。
「……」
姫御子は瞬時に妹紅の懐へと潜り込み、脳天をかち割ろうと刀を振り上げる。が、今回は攻撃の軌道が見えていた。
「なめんなっ!」
火力を強めた右手で降ろされる一刀を受け止め、掌でがっちりと刀身を握る。
「掴んでしまえば、こっちのものだ!」
左ストレートを見舞うべく肩を回す妹紅。予備動作から次の行動を予測した依姫はとっさに刀を右方向にずらす。すると体の軸がブレて、妹紅の攻撃が阻まれてしまう。
「んだとっ!?」
左拳を出せない妹紅は、強引に右腕を動かして、依姫を狙えるポジションを奪おうと画策した。その矢先だった――彼女の左脇腹に硬い何かがめり込む。
「ッ――!?」
目を落とせば、そこに依姫の左拳が突き刺さっていた。とても綺麗なレバーブローであった。
「がはぁっ……」
レバーブローはその性質上、腹筋に阻まれやすく、綺麗に当てるのは難しいとされるが、相手の意識をすり抜けて肝臓に直撃したレバーブローはその道のプロさえも悶絶させるほどの威力がある。日本が誇る若き天才ボクサーがよい例だろう。依姫の一撃はそれに勝るとも劣らない破壊力を有しており、不死身の少女から呼吸を一気に断つ。
脇腹から発せられる激痛で呼吸が出来ない妹紅。それでも刀だけは離さずいた。
我慢比べなら自信がある。忍耐力を武器にチャンスを掴んでやる。と意気込んだのもつかの間。今度はそれ以上の衝撃が体を襲った。
「がぁっ!?」
依姫は同じ箇所に同じ角度で鋭い膝蹴りを叩き込んだ。呼吸どころか臓器が潰れそうな、強烈なまでの圧迫感に思わず声が飛び出る。けれど妹紅は手を離さず、握りしめたまま耐えた。しかしながら、膝蹴りの勢いにより体が浮いてしまったことで距離が生まれ、続く三擊目の縦蹴りを許してしまい、靴底でみぞおちを抉られる。
「うぐぉっ――」
ついに右手を刀身から手放した彼女は、後方へと吹き飛ばされた。刀が自由になった依姫が再度、宙を駆って得物に追撃をかける。
妹紅が反射的に右腕を突き出すも即座に斬り払われ、苦し紛れで出した他の四肢も、右脚、左腕、左脚の順に切断――最後は横薙ぎにて首を落とされる。頭と四肢を失った胴体は浮力を失い、地上へと落下していく。
その光景を依姫は見下ろしていた。本来ならここで終わりだが、姫御子は刀を握ったまま、警戒を解かない。それもそのはず、彼女は不老不死の力を知っているのだから。
十五メートルほど落下した胴体から白煙が発生し、その中から再生を遂げた妹紅が飛び出す。
「くそっ、冗談じゃないぞ!」
少女の体を戦慄が駆け抜けた。筆舌に尽くしがたい強さもさることながら、相手は汗ひとつ流さず、仏頂面を保っている。
見上げた先にいる依姫は光の加減もあって、妹紅の位置からだと、神々しい光を放っているように映った。
「……ちっ!」
彼女は距離を取りながら、掌から発せられる炎を走る斬撃のように依姫へと放つ。
迫りくる三本線の斬撃を姫御子は避けるわけでもなく待ち構え、高速の燕返しで捻じ伏せた。
妹紅は悔しさに顔を歪ませながらも、炎と光弾を交互に織り交ぜながら反撃の機会をひた狙う。
☆
「うわ、エグいな。アイツじゃなきゃ、とっくにルール違反だぜ……」
「……そうね」
戦いが行われている場所より五百メートルほど離れた空の上から、魔理沙と霊夢がふたりの決闘を観察していた。その隣にはマミと文も並んでいる。
「なんと……」
「ヤバすぎませんか、あの方……」
驚愕する両者。文の言葉に霊夢が「あれくらい普通にやってのけるわよ、アイツは」と目を閉じてこぼす。
「よく私ら、死ななかったなぁ……」
「……穢れを嫌う連中の事情に救われたのよ」
魔女の口から出た言葉に相槌を打つ巫女。月の民は浄土のような清らかな世界に住んでおり、一切の穢れがない。殺生は業を作り出し、その地を穢す行為。月の姫たちが嫌うのもわけない。でなければ、霊夢たちは月の浜辺で彼女と遭遇した際に始末されていただろう。そうした事情により、謝罪で許された経緯がある。
あの出来事は巫女にとって完全なる敗北だった。思い出すのも躊躇われる事件であるが、ふたりの決闘を観てしまうと、どうしても当時の光景が想起され、結果安堵してしまう。命まで取られなくてよかったな、と。
☆
「くっ――」
「……」
近距離主体の攻撃から飛び道具主体の戦法に移行した妹紅は、あれから弾幕と火炎を駆使した攻撃を続けている。しかし、それらの弾幕は瞬時に斬り伏せられる。妹紅も弾幕の密度を上げ、大きな火球の死角になるように小さな弾幕を放つなど、対策を講じるのだが、なんの意味もなさない。
火力でも手数でも、姫御子を倒す手立てにはなりえない。そんなことはわかっていた。
(なんとか隙さえ作れれば――)
高火力のスペルカードで仕留めてやる。勝利への算段を整えていた妹紅だが、その隙すら生み出せず悪戦苦闘しているのが現状だった。活路が開ければと舌打つも、依姫相手では希望的観測にすぎない。
ひたすら弾幕を撃つ妹紅とそれを黙々と叩き落とす依姫。もはや勝負にすらなっていない。
銀髪の少女は奥歯を鳴らして、自身の体たらくに怒りを覚えた。同時に防がれて飛散した弾幕と炎の隙間から依姫の顔がチラリと垣間見える。彼女はさぞ退屈そうに視線を斜め下に逸しながら鼻を鳴らしていたのだ。
このとき妹紅は、相手をがっかりさせていると知り、情けなさから右拳を強く握りしめた。
(そうだよな。つまらないよな――)
妹紅は自分の消極的な戦法を恥じた。姫御子は弾幕バトルを嫌っているのだ。あまりの強さに礼を欠いていたと反省した彼女は、無意味な逡巡を止めて右ポケットから白い札を取り出す。
(やってやる!)
勝つにしても負けるにしても、正面から行く。本来の自分を取り戻した妹紅はスペルカードを天に掲げ、高らかに宣言する。
「今からデカイのいくぞ。受けられるものなら受けてみな!」
自信に満ちた少女の声音。依姫は目元をピクリと動かして、相手を見やった。その先には額に一筋の汗を垂らしながらも不敵な物言いをする不死者の姿がある。実力差を実感しながらも諦めておらず、真っ向勝負する姿勢を漂わせていた。
「……ふん」
ならば放ってみろ。多少の期待を胸に、依姫はその場で刀を構えたまま様子を見守ることを選択する。
こちらをじっと見据える姫御子の視線を一身に受けながら、妹紅はスペルカードの名前を叫ぶ。
「――バゼストバイフェニックス!」
直後、全身から白い光が放たれ、妹紅の体が爆散するように弾け飛ぶ。その奇行を前に自爆か、と首をかしげる依姫だったが、飛散した破片が無数の光球として形作られていき――爆発の中心地より、一羽の光輝く巨鳥が出現した。
岩石をも粉砕できる鋭利な嘴、体躯を支える強靭な脚、鮮やかに舞う両翼、しなやかに宙に漂う尾羽根。
正体を見破った姫御子はぽつりと呟いた。
「……不死鳥か」
かつて人間と妖怪のコンビを迎撃するために放った古のスペルカード「バゼストバイフェニックス」。体を破壊し、魂だけとなった状態で相手に取り憑く耐久系のスペル。数年の時を経て解放された技は、不死鳥の幻影を見せるほどに磨き抜かれていた。
妹紅はこのスペルをもってして、依姫への反撃を試みる。
「いくぞ!」
不死鳥の姿を象った妹紅は、無数の弾幕を無差別に巻き散らかしながら依姫へと特攻していく。
眩しさと荒々しさを武器に迫りくる不死鳥。依姫はその姿を前にして、あろうことか目を閉じた。
相手の行動に正気を疑う妹紅。しかし、その行為は決して、諦めなどではなく、
「――本物の炎を拝ませてやろう」
彼女が本気になった証拠だった。
「愛宕さま。お力、お借りいたします」
宣言ののち、上段に構えられた依姫の刀から燃えたぎるマグマの如き業火が迸る。間合いを詰める妹紅は「そんな炎で私の攻撃を止められると思うなよ」と自信を覗かせる。だが、それもつかの間。
突如として刀の炎が膨張――高さ二十メートルをゆうに超える火柱を変化した。渦を巻くそれは無慈悲に被災者を焼き尽くす火災旋風のような暴力性を秘めている。姫御子は巨大な業火を不死鳥へと叩きつけた。
爆炎が不死鳥を押しつぶし、一撃で本体を消し飛ばす。その余波は周囲の弾幕にまで及び、近くにばら撒かれた光球までをも一掃。耐久スペルであるにも関わらず、バゼストバイフェニックスは相手に激突する前に打ち破られてしまった。ところが――。
――まだまだこっからだ!
不死鳥は灰の中から蘇る。
再生した妹紅が業火の中から飛び出し、依姫の正面上空に現れる。そう、最初からこのスペルは囮であった。
「くらえ、不死『凱風快晴飛翔脚』!」
続くスペルカードに選んだのは「凱風快晴飛翔脚」。右脚に炎を集中させて凝縮、渾身の飛び蹴りを見舞う近接戦用の大技だ。
「うおらぁ!!」
掛け声とともに急降下し、烈火を宿す右脚で急襲を仕掛ける。
「火力が足りん」
吐いて捨てた依姫が、業火をまとわせた刀でそれを受け止めた。拮抗する両者の攻撃。互いのエネルギーがバチバチと音を立てては霧散する。このまま紅い火花を散らし続けるのか、と思われたとき、依姫がさらに力を込め、妹紅を押し返し始めた。
「ッ――」
力の均衡が崩れ、徐々に後方へと押しやられる妹紅。このままではまた吹き飛ばされてしまうだろう。
徐々に右脚の炎の勢いが衰えていく。さらに追い打ちと言わんばかりに力を込める姫御子。このままではスペルが打ち破られるのも時間の問題。吹き飛ばされれば、苛烈な追撃が待っている。次こそは依姫も勝負にケリを付けるはずだ。ここで競り負けたら妹紅に勝ち目はない。そんな絶望的な状況であるにも関わらず、妹紅は口元をニヤリとさせて。
「かかったな!」
なんと自分の右脚を極限まで熱し、融解させた。脚が溶けたことで依姫はバランスを崩し、前方へ移動。その間に妹紅は相手の背後へと移動し、互いの位置を入れ替えた。
「小癪な」
不死者ならでは回避法に眉をひそめた依姫は、体勢を素早く立て直して振り向いた。そこには、刀の間合いより内側に肉薄する妹紅がいた。それだけなら理解できたのだが。
「?」
不可解であった。彼女は拳を振り上げるでもなく、蹴り込むわけでもなく、胸の前辺りで両手を合わせていたのだ。初めて得られた直接攻撃のチャンスを無駄な行動に費やす。さすがの依姫も妹紅の意図を測りかねて、数瞬ばかり思考が固まる。
「これが私の切り札さ」
対する妹紅は微かに笑いながら、両手を円を描くように丸めてその中心に体中の全エネルギーを叩き込んだ。突如として青白い球体が浮かび上がる。それを見た依姫がこの戦いの中で初めて表情を崩した。
「もう遅い」
発現した球体は加速度的に膨れ上がり、やがて眩しい光がふたりを包む。
「こんな世は――」
紡がれる詠唱。依姫はそれが超高威力のスペルカードであると直感する。もっとも、そのときにはすでに射程圏内であったが。
「燃え尽きてしまえ!」
妹紅が吼える。唸る球体が、呼応したかのように妹紅たちを包んで大爆発を起こした。
自らを巻き添えにして超威力の爆発を引き起こすラストワード「こんな世は燃え尽きてしまえ!」。その威力は壮絶であり、大気が震える規模の衝撃が竹林を揺らし、余波で永遠亭の障子やガラスがガタガタと振動させてしまうほど。ただの人間が喰らったら跡形も残らずにこの世から消滅する、藤原妹紅の絶対的切り札。
爆発から数秒が経過し、爆発の中心地点から煙とともに妹紅が復活を果たす。
「ア、アイツはっ……」
彼女の正面には、さっきまで存在していたはずの依姫の姿がなかった。
「やった、のか……?」
大爆発に巻き込まれて、どこかへ吹き飛んだのだろうか。妹紅は白煙で覆われた中、ひとり佇んでいた。今更だが、死んでいなければいいな、と考えていた。だが、すぐに思い知った、それが不要な気遣いだったと。
「んッ――!?」
自身の下に広がる煙に何やら陰が映っているのに気が付いた。陰影は次第に濃さを増し、大きくなっている。
「しまっ――」
ハッとして上を見上げると、高速で落下してくる物体があった。そう、鉄拳を振り下ろさんとする月世界の鬼神が。
瞬間、竹林の空に、ばごぉん、と激しい打撃音が鳴り響き、妹紅は数十メートル下の地面に頭から叩きつけられた。
しばしの静寂の後、舞い上がった砂埃が風でひゅう、とか散らされる。そろそろ不屈の不死者が立ち上がる時間のはずだが、目立った動きはない。それもそのはず。
「あ、がぁ……」
強烈な拳骨で頭頂部を殴打された妹紅は、泡を吹いて気絶しており、地面に倒れ伏していたのだから。
「やりすぎだ、馬鹿者」
爆発で髪が乱れた依姫は、無謀な挑戦者に文句を言い放ってから刀を鞘に収めるのであった。