信介が淳也の部屋に敦殺害の凶器と思われるナイフを投げ入れたと自白して淳也の潔白が証明された。
泣きじゃくる信介を慧音が無理やり起こして連行しようとする。
右京は項垂れている彼に聞き忘れていた質問をする。
「信介君、君は敦君と揉めたことはありますか?」
「ありません……。ただ、スランプで気が立っている時に笑顔で声をかけられたので『放っておいてくれ!』と怒鳴ってしまったことはあります」
「それはどちらで?」
「自宅正面です」
「わかりました。どうもありがとう」
右京がそう言うと慧音が信介を引っ張って行こうとする。
その際、右京は何を思いだしたように彼を引き止めた。
「あ、最後に一つだけ。君――〝左利き〟ですよね?」
信介は「はい」と頷いてから連行され、右京が微かな笑みを浮かべた。
後ろから眺めていた魔理沙が刑事に問う。
「おじさん、なんでアイツにあんなことを聞いたんだ?」
「あんなこと、とは?」
「利き腕の話だよ」
怪しむ魔理沙に右京は答える。
「犯人は右利きだからですよ」
「右利きだと!?」
「ほぼ間違いなく」
「どうしてそう言えるんですか?」
首を傾げる霊夢に右京は身体を動かしながら犯人の犯行時の動きを再現する。
そのシーンは犯人が逃げる敦君の背中を掴み、ナイフを振り降ろしたところだ。
「敦君の首裏の襟が伸びきっていて、かつ右肩に振り降ろされるように一撃を受けている。これは犯人が右利きという証拠です」
「それって左利きでもできるんじゃないのか?」
「可能ですが、それでは不自然です。相手を殺そうとするのに不慣れな手でナイフを握ったら隙が生まれて奪われてしまいますよ。さらに今回の殺人は咄嗟の犯行でした。そんな状況で利き腕を変えて敦君に襲いかかるでしょうか?」
「あー、確かに……」
霊夢は右京に意見に納得した。
魔女も同様に納得した後、刑事の推理を聞いて訝しむ。
「おじさん、アンタ……犯人の目星が付いているんじゃないのか……?」
魔理沙は思う。あの場にいた人間なら信介が犯人だと断定する。だが、この男は信介が巻き込まれたと判断した。常に自分たちの先を行くこの紳士が犯人を予想できてないはずがないと。
巫女も同じ疑問を覚えていた。淳也の時も信介の時もまるで全てをわかっているかのように振る舞っていたのだから。この紳士はすでに何かを知っていると。
二人は真顔で右京を凝視する。
右京はしばし考える。科学捜査ができない里で時間を延ばして証拠を隠滅されたらこちらが不利。ならば、この機にしかけようと――
「……今から会いに行きます。お二人とも、付いて来て下さい」
「なんだと!?」
「え!?」
二人は右京の決断に戸惑いを隠せない。
そんな二人に彼は自らに付いてくるように促し、敦が住んでいた家の奥へと入って行き、女性の家の戸を叩いた。
二人は動揺を隠せず、その顔を向き合わせる。
少しすると、家の主が扉を半分開けながら顔を出した。
「あら、昨日の方?」
「昨日はどうも」
右京が挨拶したのは七瀬春儚。敦宅の真後ろに住む元女優。
春儚は突然の訪問に少しだけ戸惑いを見せたがすぐに笑顔になった。
「ちょっと、お話がありまして――お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
春儚は三人を家の中に招き入れ、お茶を用意しようとしたが、右京がそれを断った。
全員がテーブルに座ったところで本題へと移る。
「たった今、小田原信介君が上白沢さんに連れて行かれました」
「そうだったんですか!? 何か叫び声がするとは思っていましたけど――彼、何かしちゃったの?」
「敦君を殺害したと思われる凶器をよそさまの家に投げ込んだのですよ」
「ええ!? ということはあの子が犯人なの!? なんかだか、寒気がしてきたわ……」
春儚は両肩を抱きながら身震いした。その姿に少女二人が同情する。
しかし右京だけは違って。
「はい――これで全てがあなたの思惑通りになった訳です」
「はい?」
春儚は若干、声のトーンを低くしながら目を細くする。
直後、魔理沙が会話に割り込んできた。
「待てよ、おじさん。このねーさんが犯人だって言いたいのか!?」
「そうです」
右京はそう言い切った。
さすがにそれはどうかと思った霊夢も片目を瞑りながら意見した。
「この人が店員さんの殺したって言うのは無理があるんじゃないですか?」
「どうしてでしょう?」
「だって、女性ですよ? いくら酔っている男性相手だからといって、揉み合いになったら負けると思います」
「そうだぜ。こんな細身のねーさんに若い男は殺せないだろうよ!?」
魔理沙と霊夢は春儚を庇うような立場を取った。
疑われる春儚は目に涙を浮かべた。
「私が犯人だなんて、酷いわ! 敦君とはよく話をする仲だったのに!」
声を荒げ、右京を非難する春儚。魔理沙と霊夢も右京をジッとに睨みつける。
右京は息を吐いてから静かに言った。
「……霊夢さん。春儚さんの肌を触れて見て下さい。それではっきりします」
「は?」
霊夢が素っ頓狂な声を出す傍ら、春儚は明らかに動揺した。
右京は続ける。
「僕の予想が正しければ恐らく、高い霊能力を持つ霊夢さんが彼女に触れれば何かが起こると思います。ですから……触って頂けませんか?」
「何かってなんです――」
霊夢が言葉の発しながら春儚のほうを向くと彼女は後ずさりしていた。
不敵な笑みと共に右京が追撃する。
「おや、春儚さん。何か霊夢さんに触れられるとマズイことでもありますか?」
「いや……そんなことは……」
引きつった顔で家の隅まで下がろうとする春儚。さすがに魔理沙と霊夢もその行動を怪しんだ。
刑事の追撃は止まらない。
「ほんの少しでいいですから、霊夢さんにお手を預けて貰えませんかねえ。このままだと僕にずっと疑われたままですよ? ここはご自身の無実を証明するためと思って是非」
「……」
春儚は額から大量の冷や汗を流す。もはや、先程までの余裕ぶった顔などどこにもない。
すると、霊夢が右京の横から手を伸ばした。
「失礼します」
らちが明かないと思った霊夢が半ば強引に女性の右手を握った。
同時に電気が弾けるような破裂音が部屋の中に響く。
春儚は痛がる素振りを見せ、その背後から微量ではあるが黒い霧が漏れ出す。
巫女が叫ぶ。
「これは妖気!?」
焦った春儚は霊夢から右手を引き離し、庇う素振りを見せる。
右京がほほ笑んだ。
「これではっきりしましたね。あなたが〝敦君を殺した犯人〟です」
その言葉に戦慄が走った。
魔理沙が右京に詰め寄る。
「これはどういうことだよ!?」
事態が呑み込めない魔理沙に右京が告げた。
「彼女は〝妖怪に関する何らかの研究〟を行っていたんですよ」
「なんだって!?」
その言葉に春儚は目を背ける。霊夢はあどけない顔を修羅の如く変化させ、お祓い棒を春儚に向けて脅す。巫女の目に情けはない。
「あなたは人間? それとも妖怪? 返答次第で扱いが変わってくるけど?」
まるで人殺しの目である。これではどちらが悪かわからない。春儚は恐怖に竦む。
その時、右京は暴走寸前の巫女を制止した。
「霊夢さん――もう少し待って下さい。まだ敦君殺しの自供が取れていません」
「それよりも相手が妖怪であるかどうかのほうが問題です!」
「僕にとっては彼女が敦君を殺した犯人であるかどうかのほうが重要です。それに今回、犯人を見つけたのは僕です。なので、ここは僕の言い分を通させて貰いますよ」
「ぐぎぎぎぎぎ……」
右京は鬼巫女霊夢に一切、恐怖を見せず、ごく自然に押しのけて春儚の前に立った。
霊夢は苦虫を噛み潰したような顔をしながら右京を睨むが、魔理沙になだめられる。
目を合わせようとしない春儚に右京は語りかけた。
「あなたが敦君を殺した犯人ですね?」
「……証拠はあるんですか?」
「この家を探せば色々出てくるのではないでしょうかね。例えば、血の付いた衣服とか」
「そんな物はありませんよ」
「なるほど、すでに隠滅しましたか」
「隠滅だと!?」
疑問を呈する魔理沙。右京が答える。
「あなたは敦君を殺害後、草むらを走る中、月明かりで自身の身体に血が付着していると気が付き、衣服や刃物に付いた血痕を拭き取って血を垂らさないように自宅まで戻った。その際、信介君が徹夜で熟睡していることを確認し、刃物を開いている窓からそっと投げ込んだのでしょう。そうすれば、敦君を怒鳴ったことがある信介君の犯行に見せかけられると踏んで。
そして、朝になると血の付いた衣服の隠滅にかかった。血痕の量から見て、揉み合いになったとはいえ、直接トドメを刺していないので、そこまで返り血を浴びてないと思われます。証拠の隠滅は難しくありません。例えば、血の付いた部分だけを切り取って燃やすとか。残った部分は雑巾にでもしたと言えばよいでしょうしねえ」
「だが、そんなグチャグチャな衣服が発見されたら怪しまれると思うぞ?」
魔理沙の言う通り、家屋を調べられた際、刃物で意図的に切り取られた衣服が見つかれば怪しまれるのは間違いない。が、右京は言い切る。
「だとしても信介君よりは怪しまれないでしょうね。彼らは
春儚は右京の推理を黙って聞いていた。瞬き一つせず。
魔理沙はその様子から彼女が右京の推理通りに実行したのだと悟り、たじろいだ。
「マジかよ……。それにしても、どうしてこのねーさんは実験なんかをしたんだ? 里でそんなのやってバレたら追放だぜ? もし、妖怪化していたら……」
魔理沙は険しい顔をする霊夢を見る。それが何を言わんとしているのかはこの場にいる人間なら誰も理解できるだろう。
「何故、彼女がそのような危険な行為に走ったのか――今から、説明しましょう」
「あん? おじさん、そこまでわかってんのか!?」
「ええ、今日の午前中に彼女の周辺を調べ上げましたから」
「あん!?」
驚く魔理沙を余所に右京は午前中、自身が何をしていたのか語り出す。
「今日、僕たちは個別で聞き込みを行いました。昨日と違って尾行者のいないと確認できたので、僕は春儚さんが所属していた劇団と長屋に住む有名な〝易者〟の元を訪ねたのです」
易者。右京が口にした途端、周囲が静まり返った。
思わず顔を背ける春儚。何かを思い出したように口を開ける魔理沙。さらに勢いを増して目付きを鋭くする霊夢。
右京は一息吐いてから順々に説明する。
「あなたの所属した劇団はかつて表からやって来た方が創り上げた小さな劇団でした。僕はそこで働いている俳優さんや女優さんたちに色々お話を伺ったのですよ」
人間の里には定期的に表から人間が流れ着く。帰りたがる人間もいるが、里で暮らす人間もいる。そういった者たちが表の技術を里へと持ち込む。
劇団もその一つだった。歌舞伎などとは異なる西洋的な劇も扱う公演は里でもそこそこ好評だった。
中でも七瀬春儚は若いながらもその演技力の高さから知る人ぞ知る人になっていた。
右京は彼女が所属していた劇団を訪れる。劇団員たちは朝から訓練に励み、次の劇の練習をしていた。
――活気のある劇団ですねえ。
そう感心しているとその珍しい服装に団員たちが興味を示した。彼らは表の世界に興味があるのか、右京に様々な質問した。
聞けば、ここの団員たちは皆、表に憧れを抱いているらしい。刑事は彼らの質問に答えられる範囲で答えた。それによって場が盛り上がる。
話が途切れてきたのを機に右京は春儚の話題を切り出した。
――そういえば、最近まで七瀬春儚さんがこの劇団にいらっしゃいましたよね?
――そうです。ですが、急に辞めてしまって。私たちも何でも引き止めたのですが。春儚さんの意思が固くて……。
――どうして急に辞められたのですか?
――それが理由を聞いても教えて貰えなかったんですよ!
――あんなに演劇が好きな人もいないのに……。
――ヒロインも悪女も分け隔てなくこなすんですよ! それに男役も。
――男役もですか。それは、それは。
――メイクもばっちりで声色も男っぽく作って……もう、私たちがすごいと思うくらいで!
――そうそう、里でばったり会っても男装していたらわからないくらいに!
――なるほど、そうでしたか。
団員たちは右京の質問にも快く答えてくれた。
春儚は団員の間でも演技力が高いと評判だった。ヒロインもそうだが、特に男性役が上手で、女のファンも少なくなかったらしい。団員たちは辞めた春儚の帰りを今でも待っている様子で「いつか戻ってきて欲しい」が語っていた。
右京は話の終わり際、春儚について〝とあること〟を訊く。
――どなたか春儚さんのご趣味をご存じではありませんか?
――趣味ですか?
――ええ、彼女にお会いしたら何かプレゼントしたいと思ったものですから、興味のある品をお渡ししたいのです。
――うーん、読書ですかねえ。後〝占い〟にもハマっていた気がします。
――占い? どういったものでしょう?
――占術ですね。結構、楽しそうに話してくれましたし。かなり詳しかったと思いますよ。
――なるほど……占術ですか。この里でそれを学べる場所はどこでしょう?
――それでしたら、ここから少し離れた長屋に住む易者の大先生を訪ねるとよいですよ。当たると有名です。まぁ、ちょっと、問題が発生した場所ですが……。
――おやおや、それはどう言った意味でしょうか?
――なんでも、破門されて自殺した易者がいたそうなんですよ。でも、大先生自体は気さくな方なので問題ないとは思われますが……。
――破門されて自殺した易者ですか。穏やかではないですねえ――わかりました。その場所に行ってみます。お話ありがとうございました。
右京が劇団で聞いた話を終えると春儚は「あの子たちったら……」と嘆いた。
魔女はどこか憐れむような目を向け、巫女は少しだけ鋭くなった眼光を緩めた。
刑事が続ける。
「次に僕は劇団の方から聞いた長屋を訪れて易者の大先生をお会いしました」
長屋の大先生は右京を客だと思ったが、話を聞きに来ただけと知って不機嫌になった。そこに自身が破門した易者の話題が出したので、へそを曲げて会話が成り立たなかった。
そこで右京は長屋を出て鈴奈庵で占術を調べようとした。その際、一人の易者が刑事を追いかけてきた。訊けば、この易者は自殺した易者の同期だったらしい。
易者は右京が捜査を行っていると知っており、今回の件に同期の死が関わっているのかと心配になって長屋を出て来たそうだ。
二人は人気のない道に入ってから会話を再開させる。
――わざわざ、ありがとうございます。
――いえ、そんなことは。
易者は自殺した同僚について語った。
その者は
それには大先生も大層喜び、ゆくゆくは名を注がせようと考えていた。だが、その卓越した占術のせいで勝次は次第に幻想郷の外、つまり、現代の世界の光景を断片的に覗けるようになった。
同期の易者もそれを本人から聞かされた時は賞賛を送ったそうだ。しかし、勝次は満足しなかったそうだ。彼は誰よりも才能が豊だったのだ。いつしか、自身の才能を活かすために手段を選ばなくなった。
そして、勝次は魔術的な技術を自身の占術に組み込んだ。里において魔術に手を出すのは禁じられている。右京が「何故?」と訊ねると同期の易者は「妖怪に近付く行為だからだと思う」と答えた。
この易者が言うには妖怪に近付く行為は里の人間にとって〝やってはならない行為〟だと囁かれており、そのルールを破る者はいない。
にも関わらず勝次は暗黙のルールを破った。そのため、破門されたそうだ。期待していた弟子に裏切られた大先生はその話題になると途端に不機嫌になるのはそのせいなのだと易者は語った。
その後、勝次は自殺した。
この易者はそんな彼が化けて出たのかと思ったらしく、右京と話をしに来た訳だ。
右京は〝やってはならない行為〟と聞かされ、今回の犯人の動機がここにあるような気がしてならなかった。そこで今度は春儚について訊ねた。
――貴重なお話し、ありがとうございます。
――いえいえ。
――そう言えば、この長屋に七瀬春儚が来ませんでしたか?
――七瀬……たしか、劇団の女優でしたね。いや、ここでは見たことありませんね。
――勝次さんと一緒にいるところなどを見た事は?
――ありませんね。アイツ、あんな顔だから女にモテませんでしたよ。ただ……。
――ただ?
――知らない男と歩いていたところは何度か見たことあります。
――知らない男ですか……?
――ええ。顔は帽子を深くかぶっていたのでわからなかったんですが、華奢な男でしたね。声もどこか中性的だったような……。
――そうですか、わかりました。では僕はこれで。
右京はそう言って、易者と別れ、鈴奈庵に向かい皆と合流。ご飯を食べてから拠点に戻り、淳也と会い、彼の潔白を証明し、春儚を追い詰めている。
彼の話を聞いた春儚は目の前の和製シャーロック・ホームズの実力に呆れながらも賞賛を送った。
「杉下さん……。一目、見た時から只者ではないと思っていたけど、まさかここまでとはね……」
「ということは勝次さんとお会いしていた華奢な男性は――」
「私のことよ」
右京の話を遮って春儚自ら、男の正体を明かした。
魔理沙たちは面食らったような表情をする。なんとなくその関係を察したからだ。
女優は刑事に向かって静かに言った。
「……ここから先は私が話していいかしら?」
「お話し願えるなら」
「わかりました」
観念したのか、春儚は自殺した易者、新井勝次との関係について自供し始める。