外に出た右京は大通りにある八百屋へと向かう。
大通りには開店している店がチラホラあるが、飲食店はない。開いている店々を横目で確認しながら、八百屋ののれんを視界に捉えると、そこには先客がいた。
その人物は右京もよく知る女性だった。
「おや、舞花さん」
「あ、杉下さん……」
八百屋で買い物をしていたのは谷風舞花。敦を雇っていた酒場の店主であり、彼とよい仲になっていた女性だ。
その表情は明らかに曇っており、身体に力が入らないのか、購入した野菜が入った手提げを重いそうに抱えていた。
刑事は軽くお辞儀をしてから、彼女に話しかける。
「大丈夫ですか?」
「えっと……自分でもよくわからないかな……はは」
舞花の顔は目が充血によるものか、赤くなっていて、目の下に大きな隈ができている。
敦に死なれた事がよほど堪えたのだろう。彼女は右京を見るのが辛くなったのか、その場で俯いてしまった。
彼は舞花を不憫に思った。
「もし、よろしければ荷物をお持ちしましょうか?」
「え? でも、迷惑じゃ……」
「構いませんよ」
そう言って戸惑う舞花を余所に荷物を持ち始める。舞花はか細い声で「ありがとうございます」と言いながら、会計をすませた。右京は舞花の荷物を持ちながら共に彼女の自宅を目指す。
自宅に着いた舞花は右京から荷物を預かって整理した後、手伝って貰ったお礼に右京を居間に上がらせ、緑茶を出した。
座卓に着いた二人はしばらく無言だったが、舞花から切り出す。
「あの……春儚さんが犯人って本当なんですか?」
舞花は敦殺害の犯人を知っていた。
「掲示板を見たのですね?」
「さっき、ちらっと見ました。正直、信じられなくて……。あの人、昔から店に来てくれてたし――敦君のことも可愛がってくれたの」
春儚は店の常連だった。舞花とは親しい仲で、敦のことも知っていた。
彼女もまた、二人をお似合いのカップルだと認識しており、いつか結婚するのだろうなと思っていた。その時はご祝儀をいくら包んで上げようかと考えていたが、女優がその日を迎えることは永遠に訪れなかった。自分で機会を奪ってしまったのだから……。
死ぬ直前、舞花に謝罪したのは一人の女の子の幸せを奪った罪悪感からだったのかも知れない。
舞花は涙を浮かべる。
「教えて……杉下さん。どうして、春儚さんは敦君を殺したの?」
舞花は悲しそうな顔で表の刑事を見つめた。
右京は彼女の顔を見据えながら
「僕が……
と語った。もちろん嘘である。
右京が舞花に嘘を吐いた理由は彼女の身の安全のためである。
現在の人里が隠ぺい体質であることは明白。事実、春儚の件も慧音には真実を伝えたが、掲示板の内容はあの通りだ。そんな状況で舞花に真相を教えるのは危険極まりない。排除されるとまではいかないだろうが、最悪、敦という人間が里にいた事実が消されかねない。
当然、舞花たち住人の記憶も改ざんされるだろう。それだけは何としても避けねばならなかった。
もし仮に今の彼女に「事件の情報は教えられない」と表の刑事らしい言いわけをしたら、よからぬことを疑って関係者に聞いて回るかも知れない。
そこで嘘を吐くことにした。
これは杉下右京の信念に反する行為である。だが、舞花を守るためならば仕方がないと割り切った。いや、割り切るしかなかったと言うのが正しい。
「そう……」
ガッカリと項垂れる舞花を視界に入れ、右京は自身の非力さを痛感する。
今まで自身の正義を貫いて来た和製シャーロック・ホームズも幻想郷においてはそうはいかない。
人知を超えし者たちの世界では人間の常識など通じない。人外たちの能力は多岐に渡り、能力もピンキリだが、上の能力は神にすら匹敵する。
こんな世界で人間が平和に生きて行けるだけ、奇跡といえる。自由を代償にした平和だが、里にいる限り妖怪に殺されることはない。このシステムを作り上げた八雲紫のセンスもまた人外級である。
責任を感じて顔を暗くする右京の顔を舞花が見る。
「ありがとう、杉下さん……。敦君のためにこんなに頑張ってくれて……」
舞花は敦のため必死になって捜査した右京に感謝の念を表した。
「当然のことをしたまでです」
微笑む右京だったが、心の中ではどうしようもなく落ち込んでいた。信念を曲げる行為は彼にとってそれほど堪えるのだ。その後、二人は敦を思い出しながら語り合った。
舞花はところどころで涙を流すも、彼との思い出を口に出す度に笑顔を作っており、右京は改めてその絆の深さを実感させられた。
二時間後、大方の話を終えた右京は舞花宅を後にする。
帰り際、舞花は右京に「敦君の葬儀が終わったらお店を再開するから」と営業再開の意思を伝えた。「その時は是非立ち寄らせて頂きます」と告げて彼女と別れる。
時刻は十時を回っており、大通りにある大半の店が営業を開始していた。
右京は「神戸君に怒られてしまいそうですね」と呟きながら、店を物色。立ち寄った店で出来たてのあんまんを五つ購入し、近くにあった雑貨屋でヤカン、急須、湯呑、お茶葉を入手して帰りを急ぐ。
現在、幻想郷は表でいう三月に入ったばかりでまだ肌寒い。彼が来た頃は比較的暖かかったが、今日は少し冷える。せめてお湯を沸かして飲める用意くらいはしなければならない。
「今後のことを考えると食器、調理器具、暖房など最低限生活に必要な物を揃えなければ……。後で上白沢さんに相談してみますか」
布団や毛布は前の住民が使っていた物がそのまま残っているので何とかなるが、他の物資が不足しているので寝泊りしかできないのが現状である。おまけに暖房もないので、これ以上、冷えてきたら風邪を引いてしまう。
尊と遅い朝食を食べ終わったら、慧音のところに行って相談するしかない。
警視庁特命係幻想郷支部――もはや自宅と言うべき場所に戻ってきた右京は戸を開けた。
そこには座布団に胡座をかいて、見知らぬ少女と話をする尊の姿があった。
「あ、杉下さん。お帰りなさい」
「ええ」
少女に気を取られて軽い返事しかできなかった。
少女は右京に背中を向けていたが、背格好から十代中ごろから後半と推測できる。
もみじ色のジャケットを羽織っており、ズボンも同色のデニムで作られている。すぐ横にはショルダーバッグとキャスケット帽が置かれていた。
出で立ちから見て一昔前のジャーナリストに近い格好だ。右京が帰ってきたのだと気付いた少女は振り向き、笑顔でお辞儀した。
その首にはレトロ風なカメラがぶら下がっていた。
「お邪魔しております」
人当りのよさそうなスマイルを振り巻く、彼女の顔はあどけない少女そのものだ。しかし表情にはどこか
応戦体勢の元上司を察しながらも尊は「杉下さんにお話が聞きたいそうです」と伝え、何気ない仕草で自身が座っていた場所を右京に譲った。尊も彼女の雰囲気に何かを感じ取っていたらしく、右京にアイコンタクトで
右京が尊に買ってきたヤカンなどを見せて「神戸君、お湯を沸かして僕と彼女のお茶を用意して欲しいのですが……できますか?」と問う。元部下は腰を擦りながら「まだ厳しそうです」と返答。
目の前の少女に断りを入れて、お茶を入れに行こうとするが本人が「お気遣いなく」と手を振った。刑事は「申し訳ない」と軽く謝ってから席に着き、相手をじっくり観察した。
少女は非常に堂々としており、余裕の笑みを浮かべている。右京はこの少女をその雰囲気から〝人外〟と判断した。わずかな間、独特の緊張感が室内を漂うが、先に少女が自己紹介をしてきた。
「初めまして、杉下右京さん。私は新聞記者をやっている
この瞬間から杉下右京と射命丸文の駆け引きが始まった。