右京は彼女の苗字に覚えがあった。
「射命丸……確か、里で出回っている新聞の――」
「おお!
「そうでしたか。鈴奈庵で何部か拝見しました」
鈴奈庵で資料を漁った際、ついでに小鈴が読んでいた新聞にも目を通していた。その新聞の名前が《文々。新聞》であり、発行者は射命丸文である。
特徴的な新聞の名前と発行者の苗字に妙なインパクトがあったので忘れようにも忘れられない。また、幻想郷のスペルカード使いが放つ個性的な技――通称《弾幕》が写真つきで載っているのでのそれを知るには持ってこいだった。
天狗の少女は外来人が新聞の読者だと知ると声を大きくして喜び、新聞の感想を訊ねる。
「私の新聞はどうでしたか?」
右京が答える。
「とても独創的で素晴らしい内容でした。事実を客観的に捉えた上で余計な脚色をつけ足さないように努力されている記事は記者としての信念を感じさせられます。それと、スペルカードを好む方々が使う弾幕の写真がよく撮れていて、色々な妄想が掻き立てられましたねえ」
「そ、そうですかぁ~! いやぁ、よかった、よかった!」
褒められて気をよくしたのか軽くガッツポーズを作る。「なんか胡散臭いな」と思いながら尊がスマホを弄った。
楽しそうにする彼女を余所に右京はそれとなく話題を変える。
「ところで射命丸さん――僕にどのような用件でしょうか?」
「あややや、一人で舞い上がってしまいました……。実はですね、今回の事件についてお聞きしに参りました」
「事件についてですか?」
「はい! 里で起きた殺人事件。それを解決したのが表から来た杉下さんであることは里人なら皆、知っています。かく言う私も
壁に背を預けながら話を聞いていた尊が息を飲む。
「(
何故なら、人間はごく一部を除いて里の中で生活しているからだ。彼女の口ぶりはまるで里の外に住んでいる者のそれだ。加えて、時折見え隠れする人間らしからぬプレッシャー。事前に右京から幻想郷や里の話を聞かされた元部下も文の正体を妖怪だと結論づけた。
幻想入りの直後、アクシデントに見舞われて醜態を晒した尊だったが、冷静さを取り戻すといつものキレのよさを見せる。
警察庁戻って七年。右京とは違った形で場数を踏んできたのだろう。戸惑いを顔に出さず、黙って二人の会話に耳を傾けた。
右京は表情一つ変えずに返答する。
「今回の事件で僕は知り合いたちと協力して犯人を追い詰めました。結果は掲示板の通りです」
「……そこの部分を詳しく教えて貰いたいのですが?」
文は少し困ったような表情で相手の目を見た。
刑事は淡々と言う。
「これ以上の内容は僕の口からは言いかねます」
「どうしてでしょうか? 何か不都合なことでも?」
文はダメと言われて引き下がる記者ではない。当然、食い下がる。
「初対面の方かつ関係者でもないあなたに事件の捜査情報をお教えする義務がないからです。例え、それが記者であったとしても同じです。どうしても言うなら、この里の顔である稗田阿求さんに許可を貰って来て下さい」
刑事は文の要求を一切、受けつけなかった。
それどころか、阿求に許可を求めるように促すなど、記者の嫌がることをさらりとやって退ける。隠ぺい体質の里で事実上、権力を握っている阿求が文に許可を出すはずがない。
「ほんの少しだけでも」
右京が首を横に振った。
「ほんのちょぴっとだけでも……」
「ここで阿求さんたちの許可なく事件の内容をお話しすれば信用を裏切ってしまいます。ただでさえ、よそ者の僕が事件を捜査させて貰えたのですから、筋は通さねばなりません」
「……」
この時、記者はこれ以上事件について訊ねても簡単には口を割らないだろうと理解した。
もっとも過ぎる見解に文が一瞬、黙るも、すぐに思考を切り替える。
「……なるほど、さすがは表の刑事さん。お口が堅いですね……ここは素直に質問を変えましょう。あなたがこの幻想郷に足を運んだ理由をお聞かせ下さい」
「
「ええ
不気味に微笑み合う二人。
尊は「随分、あっさり引き下がったな」と思ったが、どこか違和感を覚える。
普通に考えれば、表の世界の人間が入って来た理由など
情報に精通する記者ならそのくらい知っていて当然。この場において彼女がこの質問を選んだ理由は一つしかない。
右京は内心思う。
「(こちらのことはある程度、調べてきた。その意思表示でしょうか)」
右京がここに幻想入りした理由は手紙の主を探すためである。それを知っているのは霖之助、魔理沙、霊夢、慧音、小鈴、阿求、舞花、淳也と豆腐屋の店主、裕美だけ。
もちろん、その場にいた他の人間たちが立ち聞きしていた可能性もあるが。
だとするならストレートに手紙の話を訊いてくるはず。このような回りくどい訊き方をする必要はない。つまり
右京は射命丸文という人物がかなりの負けず嫌いだと悟った。
しかしながら手紙の件を隠す必要はないので素直に話した。
「この手紙の主を探していたら偶然、幻想郷に迷い込んでしまいました」
そう言って手紙をテーブルに広げてみせた。
文は興味深そうに手紙を眺める。
「ふむふむ、これを読む限り、幻想郷に迷い込んだ表の人間の文章って感じがしますね」
「どこかで、このような字を書く方を見たことはありませんか?」
「ありませんね」
文は表の字を難なく読んでから知らないと言った。右京は「そうですか」と一言、発するだけ。
そんな中、記者が我に秘策あり、とでも言いたげに。
「で・す・が、私の新聞に載せれば、手紙の主を知っている方が現れるかも!? 自慢じゃありませんが、それなりに愛読者も多いですしね。人間、妖怪問わず!」
「……手紙のことを記事に載せて貰えるのですか?」
彼女の提案は願ってもない話だった。同時に右京は彼女が手紙の話題へ話を持って行ったのはこれが理由であるとも理解した。
手紙の主の情報の手がかりがまるで掴めず、行き詰っていたところにメディアからのお誘い。おまけに《文々。新聞》は里の外にいる妖怪にも届く。手紙の件を知ってもらうには非常に有効であり、証言が集まる確率がグッと上がる。
情報媒体は強い。表の人間、それも情報の有用性を知っている者ならば尚更無視できない。
きっとこの記者はこの外来人が手紙の主を探していると聞き込みで突き止めていたのだろう。そして、相手が情報の重要性を認識していると確認した上で自分が主導権を握るため、有利な方へと誘導したのだ。
文は笑いながら胸を張りながら芝居がかった演技を披露する。
「もちろんです! これも世のため、人のため。この射命丸文、一肌脱ごうではありませんか!」
「頼もしいですねえ」
愉快そうにする二人。「絶対、見返りを要求してくるな」と元部下が白ける。
それは刑事も承知している。この流れの中、右京はごく自然に先手を打つ。
「で、
その言葉に文はわずかに顔を引きつらせる。
尊が「妖怪相手にもお構いないなーこの人」と呆れたのだが、彼が先に対価の話を出したことで相手が交渉し難い状況を作った。
これが杉下右京の対妖怪戦術である。幻想郷の妖怪または一部の強者は自分よりも下だと思う者を対等とは認めず、劣っていると思われた時点で高圧的になる傾向がある。舐められたら終わりなのだ。
そこで本来、初対面の相手には行わない言い方でけん制する。
これが正しい幻想郷での信頼の作り方だ。右京は自身の経験と幻想郷縁起などの書物から住人たちの傾向を見抜いていた。
文は少しばかり崩れた笑顔をすぐ元に戻す。
「いやですねぇ~。私が表から来た人に手紙の写真や記事を載せる対価を取ろうなんて言うわけないじゃないですかーあはは!」
同時に心の中で「この男……中々……」と呟く。
事件の情報は聞けず、見返りも要求し難い状況になったにも関わらず、記者はどこか楽しんでいた。ここ最近、相手にしていた人間や妖怪たちは駆け引きらしい駆け引きをしなかった。
人間側も妖怪側も隠す必要がない事実は話すがそれ以外は適当にしらばっくれるだけ。その程度のやり取りしかなく、記者としての面白みに欠けていたのだ。
そこに起こった殺人事件――しかも表の刑事が捜査を行って解決したとあっては文も黙っていられない。
事件初日から里を訪れたかったが、大天狗から押しつけられた仕事の処理に追われ、出遅れてしまった。何としてでも情報を聞き出して記事にしたいがそれを表に出しては舐められる。
平静を装いながら取材対象とやり取りをしているのだが、相手もガードが堅い。それが文の眠っていた記者魂を呼び起こした。
射命丸文は可愛らしい笑顔の内側にその本性をざわつかせて相手から目を離さず「必ず有益な情報を引き出してやる」と心に誓った。