暫しの間、二人は互いの姿を観察しあう。
オールバッグに品のある眼鏡、サスペンダーが掛かったワイシャツにズボンとお揃いの上着と皮製のカバンを手に持つ紳士。
かたや、白髪に眼鏡、さらに青を基調とした独特の着物風な衣装と、日常生活では中々、お目に掛かれない奇抜なファッションをした青年。
「(コスプレイヤーの方でしょうかねえ?)」
「(表の世界の人間……だよな? でも、霊夢もそれっぽい服装で里を歩いていたことがあったしなぁ。うーむ……一応、鎌でもかけてみるか)」
右京は店主をコスプレイヤー、店主は相手を表の世界の人間と判断する。
その間にもこの刑事は注意深く店内を観察していた。
周囲を見ると最近では見かけることが少なくなった骨董品やレトログッズばかりが立ち並んでいる。
古い掛け軸や壺、古風な置物、古書、錆びた球体、日本刀、旧式の写真機、頑丈さが売りな携帯ゲーム機、旧式のデスクトップ、謎の白い物体Xなど様々だ。
立ち止まりながらもキョロキョロと目だけは動かす右京。
店主はその様子に冷めた視線を送り続け、やっと気が付いた彼が軽く頭を下げた。
「これは、これは申し訳ない。素敵な物ばかりが目に映るものですからねえ。つい魅入ってしまいました」
「おぉ、そうでしたか!」
素敵な物というフレーズに反応して、店主のテンションが一気に上がった。明らかに嬉しそうである。
「ここは……骨董屋さんでしょうか?」
「そんなところです。名前は“
「香霖堂ですか。お洒落な店名ですね」
「そう言って貰えると光栄です」
気を良くした店主が自身の店について饒舌に語り出す。
「当店では他の店が扱わないような商品ばかりを扱っております。ご希望の品などがありましたら店主、
「ほう、森近霖之助さん……ですか」
現代の青年の名前にしては珍しいなと右京は思う。
店内の雰囲気も現代のそれとは明らかに異なり、まるで切り離された時間を歩んでいるかのような印象を受けた。
店主、森近霖之助は続ける。
「はい、そうです。“どんな世界の人間”でも気に入る商品の一つや二つはあると思いますよ!」
「“どんな世界の人間”も、ですか」
「えぇ!」
自信満々に答える霖之助。そこには一種の意図があるように見受けられた。
右京は自身のカバンにしまう手紙の内容を思い返す。
――伝説の秘境“幻想郷”は実在した! 後はこの手紙が“表の世界”に居る誰かに届けば。
幻想郷と表の世界という二つの言葉に注目する。
(幻想郷とは幻想の郷――存在しない幽霊や妖怪が居るとされる伝説の秘境……。そこから見た現代社会が表の世界だとすると――)
右京はふふっと笑みを零しながら霖之助に問う。
「それでは店主。ここに“表の世界”の人間が読める本は置いてありますか? できれば“幻想郷”について詳しく書かれている本が良いのですが」
「んん!?」
霖之助は動揺を隠せずに引きつった顔を見せた。商売人として相手の力量を探るためのちょっとした鎌かけのつもりだった。
自分の知る限りこの地域で香霖堂を知らない者は少数派である。古道具屋を名乗る香霖堂を骨董屋と言うのも少し怪しい。
ならば、外界の人間の可能性が高いと踏んだ霖之助はあの手この手でさり気無く右京の正体を見極めようとした。そこに予想以上の返事が返ってきたのだ。
呼吸を整えた霖之助が口を開こうとするのだが、右京がそれを遮るようにポケットから財布を取り出し、お金を出して見せた。百円玉と千円札である。
「ところで、このお店で表の日本のお金は使用可能でしょうか?」
「そ、それは、もしや……」
「僕が日頃使っているお金です」
「うぉ……」
霖之助は右京が見せた比較的状態の良い硬貨と皺の少ない紙幣に息を飲んだ。その様子はまるで子供の反応であった。
右京は確信する。
「どうやら、ここは本当に幻想郷のようですねえ」
「えぇ、そうですが……」
楽しそうにする右京と貨幣に釘づけの霖之助。
この瞬間、このやり取りの主導権は右京が握った。
商売人としては許されざる失態と言ってもよい。
嬉しさと悔しさが同居した何とも言えない顔になった霖之助。
反対に右京はにんまりとした顔で霖之助の表情を観察している。
「そう、ですね……幻想郷でそちらのお金は使えません。ですが――折角お越し頂いた訳ですし、当店の品物と交換というのはどうでしょう?」
「ほう、交換ですか」
「はい! もちろん無理にとは言いませんが」
どうやら霖之助は表の日本の貨幣が欲しいようだ。でなければ幻想郷で価値のない日本円など要るはずがない。
もちろん、上手く交渉する腹積もりだ。少しでも安い品物で貨幣を手に入れようと目論んでいる。
右京が頷いた。
「なるほど、物々交換のようなものですね。わかりました。では、幻想郷について書かれた本を何冊か持って来て頂けますか? 中身を見た上で決めようと思いますので」
「かしこまりました」
霖之助は店の奥に入って行き、幻想郷について記述のある本を持ってきた。
右京はそれらの本に目を通す。
時折、首を捻りながら、本と睨めっこする右京を見て「さすがに表の世界の人間には読み辛そうだな」と霖之助は考えていた。
――数分後、本を読み終えた彼は霖之助に言った。
「僕の世界では中々、お目に掛かれない本ですねえ。理解するのにそれなりの時間を要しますが、興味深くて、もっと読みたいと思ってしまう」
「そりゃあ、もう! 当店自慢の商品ですから」
「もしかしてこの本……お高いのではありませんか?」
「いえいえ、良心的な価格でご提供させて頂いております」
「それは、それは!」
二人の間に独特の空気が流れる。
客と店主のプライドを賭けた戦いだ。
交渉を有利に進めるべく霖之助は右京に訊ねる。
「お客さん、先ほどのお金を見せて貰えませんか?」
「構いませんよ」
そう言って百円玉、五百円玉、千円、そして、一万円を出して見せた。
霖之助は恐る恐る、貨幣に触れる。それは霖之助の“とある特技”の発動を意味した。
(ふむ、これは歴とした貨幣だな。名前もそして――用途も判った)
通称“道具の名前と用途が判る程度の能力”。
信じられない話だが、この世界の住民は皆、特殊能力に近い物を持っている。霖之助はその能力を使い、貨幣を密に鑑定した。これで右京との交渉を有利にできる。
後は値段をどう設定するか――いや、どの貨幣と交換するかである。
霖之助的には千円札や一万円札が欲しい。おまけにこれらの本は幻想郷において大して価値のない本である。
安値で売り払っても痛くも痒くもない。可能な限り、それらの古書を積んで紙幣を手に入れてやろうと目論んだ。
霖之助は心の奥底で不気味に嗤う。
そんなヤラシイ店主を見透かすかのように右京も要求する。
「店主――申し訳ないのですが、僕にも幻想郷で使用されているお金を見せて貰えませんか? 珍しい物を使われているのではと気になってしまいましてね」
「えぇ、どうぞ」
霖之助は幻想郷の貨幣を右京の前に並べた。
それは明治時代の物であった。
「これも珍しいですねえ~」
「そうですか」
「私も使ったことがありません。いやー、幻想郷は素晴らしい場所ですね!」
「いえいえ、外界から隔絶されているだけですよ」
霖之助は照れているフリをしつつ、交渉の段取りを描いていた。
ニヤリとする霖之助。右京がさり気無く訊ねる。
「これらの古書は幻想郷の価格だとおいくらなのでしょうか?」
霖之助はしれっと答える。
「物にもよりますが、これらの商品だと――」
一瞬迷ったが、紙幣と交換出来ればと考え、薄緑色の紙幣を指差した。
「この紙幣と同じくらいですかね」
「ほうほう」
示したのは一円札であった。実際はそれより遥かに安い。
というよりも右京の示した本は拾った物なので実質“ゼロ円”である。それを貨幣と交換しようと言うのだ。
同じ紙幣ということで都合よく拾い物の書籍を千円札や一万円札に交換できればなと思ったのだろう。
その直後、右京が笑みを零す。
「一冊で大体“三千八百円”ですか。結構なお値段ですね」
「なッ――!?」
またもや予想外。
霖之助は能力によって右京の持つ貨幣の価値を何となくだが、知ってしまっていた。
もちろん、正確な日本の物価まではわからない。使われている背景を見ただけであるがそれが、かえって仇となった。
声を荒げる霖之助に右京は口元を緩ませる。
「その表情だと表の日本の物価をご存じのようですね」
「いや、そんな事は――」
「明治時代の貨幣で物の取引が行われており、かつ書籍の文字も変体仮名が多く見受けられます。つまり、幻想郷は明治時代の文化を色濃く残している地域ということになりますねえ。
現代日本の物価と明治時代の物価を比較すると現代日本の物価は三千八百倍と言われているので、一円は三千八百円くらいです。
おまけに明治時代の一円は貴重であり、現在の日本で言う二万円程度の価値があったとか、なかったとか――」
霖之助は心底思った。
“勝負を挑む相手を間違えた”と。
その後も右京のペースで交渉が進み、本は売れたものの当初設定した価格よりも遥かに安い値段で買われた上に雑談込みで幻想郷の話を根掘り葉掘り聞かれてしぶしぶ質問に答えさせられ、おまけに夜中まで掛かったという理由で自宅に泊めるハメになったツイてない森近霖之助なのであった。