レミリアの案内の下、紅魔館の中を手荷物を抱えて移動する右京は壁にかけられた絵画やアンティークを眺めながら幻想郷らしからぬ洋館の雰囲気を堪能する。
吸血鬼の顔を見たメイドたちは緊張した面持ちで通路の端にピシっと並び、同じく召使の赤い怪物、ホフゴブリンも慌てて頭を下げる。
紅魔館には羽根つき妖精以外にもこういった西洋妖怪もいる。身長はやや小さめで人間の子供ほどしかないが、腕力は人間の大人並みである。力仕事の際は彼らが駆り出されるらしい。
「おや、この方はホフゴブリンさんでいらっしゃいますねえ! こんにちは」
右京は興味深そうに右手を軽くあげて挨拶する。
「あ、どうもです」
ホフゴブリンは緊張した面持ちで返事をした。
尊は驚いて挨拶どころではなかった。やはり、事前知識を身につけても右京ほどの適応力はないようだ。他のメンバーは紅魔館にホフゴブリンがいると知っているのでなんてことはない。
数分後、紅魔館の地下へと下りる一行はレリーフが刻まれたお洒落な扉の前に辿り着く。咲夜がその扉を開けると大量の本が収納されている本棚が天井付近までところせましと並んだ大図書館がその姿を現す。
規模は鈴奈庵と比較して広さも本の貯蔵量も軽く数十倍は超えている。日本にある国立図書館並みと言ってもよい。その光景に右京と尊は度肝を抜かれるが、二人よりも鈴の少女のリアクションのほうが大きかった。
「うわー!! こんなに本がある!!」
鈴奈庵も人間の里において稗田家に次いで本が存在する場所なのだが、これは余りに規格外。阿求も「これほどの本を所持しているとは……」と驚愕した。
本は貴重品であるが故、その所持数は財力そのものである。知識ある者がみれば紅魔館が高い財力を誇っていると考えるだろう。
レミリアに手招きされるまま、図書館内に足を踏み入れた右京は周囲をキョロキョロと見渡してから緋色の主に言う。
「素晴らしい図書館ですね!」
「ええ、紅魔館が誇る自慢の図書館だからね。パチェ、いるかしら?」
「……いるわよ、レミィ」
自らを呼ぶ声に反応して本棚の陰から紫色の服を着た少女が姿を見せた。地面スレスレまで伸びた紫の長髪と同じ色の目をした比較的小柄な人物で、表情に乏しいのか、客人の前だと言うのに愛想笑い一つしない。
彼女はレミリアの隣まで近づくと、そこで立ち止まって右京の顔をジッと見つめた。
和製ホームズもまた少女を興味深そうに観察する。
緋色の主は微かに苦笑いを浮かべつつも少女を紹介した。
「この娘はこの大図書館の管理人、パチュリー・ノーレッジ。私の親友よ」
「初めまして、パチュリーさん。表の日本からきた杉下です」
「どうも」
大図書館の主パチュリーは軽くお辞儀する。声のトーンは低い訳ではなく、怒っている訳でも嫌そうにしている訳でもない。社交的ではないが、普通に話ができる相手だと右京は感じ取った。
尊も相手を気難しい人物だと思うも、右京の横顔をチラ見して「流石に、ここまでの変人ではないよな」と一人納得する。
レミリアがふふっと笑みを零す。
「パチェ、こちらの杉下さんからロンドンやイギリス各地の写真を見せて貰ったから、お礼にこの図書館を見せてあげたいのだけど……いいかしら?」
「……わかったわ。こちらへどうぞ」
パチュリーは右京たちを図書館の奥へと連れて行く。途中、本棚の整理をしているメイドたちに指示を出す黒い翼を持った赤髪のメイドに遭遇する。他の者とは異なるメイド服を着用しているので特別なメイドであるのは明らかだ。
黒翼のメイドは客人たちの姿を見ると丁寧にお辞儀しながらパチュリーに駆け寄るが、本人から「こっちは大丈夫」と言われ、作業へ戻る。
本棚が並んでいるため、少々狭さを感じるが、少し歩くと開けたスペースに出る。そこはパチュリーの書斎だった。
彼女の書斎には大量の魔法陣や魔法理論などが書かれた紙や分厚い書籍が積まれており、机の左脇の床にもぎっしりと本が積まれている。
「少し散らかってますけど、気になさらず」と語るパチュリー。そこに右京が「魔法の研究をなさっているのですか?」と訊ねる。
パチュリーが「私は魔法使いですから」と答え、オカルト好きな右京を大いに盛り上がらせた。彼女は喜ぶ右京を視界に入れつつ、図書館の説明を始める。
「この図書館は私が集めたコレクションを貯蔵してある書庫です」
「ここにある本の全てがあなたの所有物なのですか!?」
「九割以上、私の物です」
日本にある国立図書館並みの大量の書籍がパチュリーの私物であると告げられた特命の二人は大いに驚くのだが、それ以上に後ろの小鈴のリアクションが凄かった。
「九割!? ここにある本の大半が? う、羨ましいっ!」
「わかる。私だってこんなたくさんの本に囲まれて過ごしてみたいぜ……」便乗する魔理沙。
「お前にだけはやらん」
パチュリーは魔理沙を警戒しているのか、本人へ冷たい言葉を浴びせる。その対応に困惑する小鈴。すると、パチュリーは「里の人でも読める本なら何冊かあるけど、後で読んでみる?」と声をかけた。
小鈴は「いいんですか!?」と興奮し始めた。パチュリーがコクンと頷く。
鈴の少女は大喜びで「やったー!」と叫ぶ。阿求はまるで子供のような小鈴の態度に頭を抱えるも「よかったわね」と相槌を打った。
魔理沙が不機嫌そうに鼻を鳴らしたのは言うまでもない。
レミリアがそっと息を吐いた。
「この娘、昔から本が好きでね。いつも珍しい本を集めては貯め込んでいくのよ」
「それが私の趣味であり、仕事みたいなものだから。仕方ない」
「はいはい、そうよね」
「お二人は本当に仲がよいのですね」と右京。
「ま、長いつき合いだからね」
「ふふ」
そう言いながら二人は顔を合せた。そこには確かな友情が存在していた。
パチュリーが話を戻す。
「ここの本は魔法関連の書物が半分以上を占めていますが、歴史書や数学関連の物から古典文学や日本のコミックまで貯蔵しております。とはいえ、日本語の本は極端に少なく、ここを訪れる人間はほとんどいないので普段は一般公開しておりません」
「なるほど……神戸君、僕たちはツイてるようですねえ~。何せこのような素晴らしい大図書館を見学できるのですから」
「まったくですね」
右京と尊は辺りを感心しながら観察する。一般的な日本の図書館とは異なるこの大図書館は彼らにとって絶景だろう。右京はこの大図書館には足場になりそうな移動式の台が見当たらないことに気づく。
メイドたちは全員、飛行能力を有しているので高い所まで移動が可能だからだろう。時折、鼻にくるカビ臭さも通気性の悪い紅魔館ならではだ。
右京はその辺りの考察も行いながら、自慢の観察眼を光らせている。
「気に入って貰えたようで何より」レミリアが自慢げに笑う。
それからパチュリーは右京と尊、小鈴と阿求に大図書館や自身についての説明を続けた。霊夢、魔理沙、マミにはこれと言って声をかけない。いつもの二人組と〝正体を偽る部外者〟は客人ではないと彼女は考えているからだ。
話の中でパチュリーは自身を属性魔法の使い手であり、長年研究を続けている魔女だと語った。彼女曰く、魔法は歴とした科学であると述べ、興味を示す右京にその根拠を聞かせた。
パチュリーの魔法への深い造詣に感銘を受けた右京が現代科学について簡単に話してから「僕の住む日本ではあなたの使うような魔法を使える人はいません。何故でしょう?」と質問する。パチュリーは「私たちは先を行き過ぎただけですから」と少々、誇らしげに語る。
ほうほう、と感心する右京に魔理沙が「魔法なら私にも使えるんだが?」と自身を指差すが、すかさず「アンタのはただ爆発させるだけでしょ? それだけじゃ花火職人となんら変わらん」とパチュリーに突っ込まれて、霊夢やマミから笑いを誘った。
カチンときた魔理沙がパチュリーに食ってかかろうとするが、唐突に右京が「僕にも魔法は使えるのでしょうかねえ」と零したことで視線が一気に右京へと集中する。
一泊置いてからパチュリーが答える。
「可能です。魔法の基礎を学び、ちゃんとした魔法陣を書いて必要な魔力を注げば」
「それは、それは! ちなみに……僕には魔力と呼ばれるものはあるのでしょうか?」
「今のあなたからは感じません」
「残念ですねえ……僕が表で生まれたからですか?」
「いえ、基本的に人里の人間として生まれても魔法を自在に操るだけの魔力は手に入らないかと」
「なるほど……」
「魔法を使うには魔力が必要です。魔力とは自然エネルギーであり、私たち、魔法使いは《マナ》とも呼びます。体内にマナを持つ人間はその数が少ない上に魔力量も多いとは言えない。なので、人間が本格的な魔法を行使する場合、外部からエネルギーを集める必要があります。自然エネルギーが集まる場所、通称《エネルギースポット》で魔力の補充、もしくは精霊やその他のエネルギー体の協力が必要不可欠です」
「では、それらの条件を満たせば――」
「魔力を確保できます。後は魔法の知識を身につければ、魔法が使えます。また、精霊やエネルギー体には自身で魔法を行使する者もいますから、そういった存在を使役する魔法使いは《精霊使い》や《召喚士》とも呼ばれます」
「そうですか! いや、勉強になりますねえ~」
「どう致しまして」
属性魔法使いパチュリー・ノーレッジの見解を聞いた右京は更なる感動を覚えたのだが、後方でじっと腕を組んでいた巫女が少々、目つきを鋭くしながら近寄ってくる。
「杉下さん、まさかとは思うけど――
幻想郷では
魔法使いは生まれながら魔法が使える者と人間から魔法使いになる者の二種類が存在。完全な魔法使いになると老化が止まるらしい。
そういった性質のため、霊夢からみれば魔法を使う者は妖怪、仮に人間であっても
一瞬だけ瞳を閉じた右京は自分の考えを包み隠さずに話す。
「正直に申し上げると興味がない訳ではありません。ここにくる前から幽霊や魔法という超常的なものの存在を信じてきましたから。努力次第で僕にも魔法が使えると知って嬉しくないはずがない」
その言葉に霊夢が不快感を顕わにする。険しい表情をする巫女に付き添いの尊は只ならぬ何かを感じ取るが、右京はまるで動じることがなく。
「しかしながら、幻想郷において
「どうしてですか? 憧れているのに?」
霊夢は右京への追求を止めない。博麗の巫女として里に危険な要素を持ちこむ者は例え、外から来た人間でも見逃さない。無論、妖怪にならない限り退治しないが、強制追放はありうる。
彼女の勢いに場が凍りついたように見えたが、阿求やマミ、レミリアやパチュリーは表情を変えることなく、右京の仕草や発言に注目している。
和製ホームズは巫女と向き合いながら自身の真意を述べた。
「それは僕が人間として生まれた事を
右京はニッコリ笑った。
「ぐぐ……」
霊夢は予想外の言葉に返す言葉を思いつかない。それもそのはず、霊夢は人間であることに誇りを感じていると、ここまではっきりと断言した者を知らないからだ。
彼女はそのまま相手を睨むが、その表情は笑顔のままだ。
右京の返答に阿求たち四人も思わず、表情を崩す。
他のメンバーも緊張から解放され、深いため息を吐いた。
傍観していた魔理沙が肩を竦め「そういうことにしておけ」と彼女を引き下がらせる。
悔しさからか霊夢は右京に忠告する。
「く、くれぐれも里の中で魔法の研究はしないで下さいね。するならお帰りになってからで!」
「わかっていますよ」
彼は静かに頷いて、スマイルを浮かべた。