相棒~杉下右京の幻想怪奇録~   作:初代シロネコアイルー

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第42話 緋色の晩餐会 その2

 前菜を食べ終わった右京たちの皿が下げられる。少しすると羽根つきメイドがスープとパンを持ってくる。カボチャの匂いが漂うスープとバゲットだった。

 カボチャのスープは優しい味つけ、バゲットはごく普通の代物だ。

 右京がスープをすくう。

 

「優しい味ですね。心が温まります」

 

 バゲットも見た目こそありふれているが、右京や尊はここ数日、パンを食べてなかったのでとても惹きつけられた。一緒に出されたバターを塗って頂く。そのバターの味もまた素朴であった。きっと紅魔館――いや、十六夜咲夜の手作りなのであろう。

 

 尊は数日振りのパンに顔をほころばせた。腹減っているのか食い意地が張っているのかわからないが、霊夢と魔理沙は特命の二人よりも数枚多く頬張っていた。その様子に咲夜が「文句ばかり言う癖に手だけは正直なのよね、この娘たち……」と呆れる。

 それを他所にレミリアが右京へ感想を求める。

 

「味はどう?」

 

「カボチャのスープもですが、こちらのバゲット、そして、バターも美味しいです。レミリアさんは幻想郷にいながらもこのような素晴らしいお食事を堪能なされているのですね」

 

「あらあら、ほめ過ぎよ。まぁ、幻想郷でまともな西洋の食事を出せるのは〝ここだけ〟だろうけど!」

 

 レミリアは高笑いながらそれぞれの反応を見るべくテーブルを見回した。

 右京と尊は相変わらずで小鈴は目を輝かせているが、阿求は少しだけ羨ましそうに、霊夢と魔理沙にマミは完全に白けていた。

 満足したレミリアは残ったスープを飲み干す。

 全員がスープを飲み終わったことを確認したメイドが食器を下げ始める。

 続いてメイドはメインディッシュを運んできた。白い皿に盛りつけられたとろみのある赤茶色のスープ、今にもとろけそうな肉、食欲をそそるほんのりと〝辛み〟の効いた匂い――

 阿求がレミリアに問う。

 

「このお料理は《ビーフシチュー》ですか?」

 

「まぁ、近いんだけど、ちょっと違うね」

 

「では、なんと?」

 

「折角だし、当ててみて」

 

 レミリアに促された阿求は首を捻りながら頭の中に蓄積されている情報を掻き漁る。彼女は天才だが、日本の外に出たことはなく、イギリスの知識も外来本から手に入れた。故に持っている知識も外来本に依存しており、ヨーロッパ諸国に特別詳しいという訳ではないのだ。

 里の相棒が考える中、小鈴は見たことがない食べ物を興味深そうに眺めながら、目の前の料理を味の濃さそうなスープだと認識する。魔理沙はイギリスカレー、霊夢は西洋版お雑煮、マミはハッシュドビーフと発言するもどれも正解ではなかった。

 そして、レミリアが主役に焦点を合わせる。

 

「杉下さん、わかるかしら?」

 

「もちろん」と一言。

 

「ちなみにぼくにもわかりました」

 

 尊も西洋には詳しいので、料理の正体がわかった。だが、今回は右京が主役なので、彼に回答を委ねた。一泊置いて右京が答える。

 

「この料理はハンガリー料理の定番〝グヤーシュ〟です」

 

「正解!」

 

「「「「「グヤーシュ?」」」」」

 

 聞きなれない名前に困惑する五名。右京は皆にうんちくを披露する。

 

「グヤーシュは十八世紀頃にハンガリーで生まれたスープ料理です。地域によってはシチュー料理と言われることもあります。かつて東ヨーロッパを統治していたハンガリー王国の影響で統治国に浸透し、王国が解体された今でも各地域によって様々なアレンジが施されている伝統ある料理です。牛肉や玉ねぎ、ジャガイモなどが使われるのは他のスープやシチューと似ていますが、特徴的なのは――さあ、神戸君、なんでしょうか?」

 

「ん? ぼくですか?」

 

 右京は回答を譲ってくれた尊にお礼? として解説の続きを言うように促した。

 某教養番組で解説を務める元ジャーナリストさながらの振り方に笑いながらも、元部下が説明を代わった。

 

「〝パプリカ〟を使っているところです」

 

「「パプリカ?」」霊夢と小鈴は首を傾げる。

 

「パプリカは唐辛子の仲間でピーマンのような形をしています。ハンガリーでその品種が育てられ、現在、色々な国で栽培されており、食卓を彩ります。もちろん、表の日本でも流通していますが、日本だと主に甘味のあるパプリカが主流です。唐辛子の仲間なので当然、辛みを含んだパプリカも存在し、東ヨーロッパでは辛いパプリカも栽培され、親しまれています。パプリカは具材としてもですが、香辛料にも加工されます。それは――」

 

 今度は尊がジェスチャーで右京を指名して続きを答えさせようとする。

 右京は「おやおや」と言いながら。

 

「〝パプリカパウダー〟と呼ばれる物です。このパプリカパウダーは材料のパプリカによって辛みがあったり、なかったりします。スープに混ぜると独特の味わいになるので、グヤーシュには欠かせません。以前、僕はその匂いを嗅いだことがあったのでこのメインディッシュの正体がわかったのです。辛さを含む匂いからして、このグヤーシュには辛みのあるパプリカパウダーが使用なされているのではありませんかねえ」

 

 そう語りながら右京が咲夜に顔を向けると、彼女はクスっと笑いながら頷いた。

 突然、振られたとは思えないほどの説明に皆、感心しながらエリート二人組のうんちくを賞賛した。パチュリーも二人の解説を気に入ったのか、無表情だがパチパチと手を鳴らした。

 レミリアも両手を合わせながら喜ぶ素振りを見せる。

 

「ふふ、二人とも元相棒ってだけあって息ぴったりね。説明ありがとう。でも、冷めるといけないから頂きましょうか」

 

「おっと、そうですねえ。頂きましょう――」

 

 一同がスプーンでグラーシュを口運ぶ。

 酸味と辛みの効いたスープに柔らかい牛肉。まさに西洋の味である。味つけも主の好みなのか、濃いめではあるが、それが濃厚さを生み出している。

 若干、スパイシーなので小鈴は少し辛そうであったが、美味しそうに頬張っている。阿求も未知の味を堪能し「今度、自分で作ってみたいわね」と創作意欲を沸かせる。

 魔理沙と霊夢は幻想郷らしからぬ料理に初めは困惑したが、食べている内に気に入ったらしく、文句を言わず黙々と食べていた。ちなみにマミも和食とは異なる味わいに戸惑いを見せたが、食べている内に慣れたようで笑顔を作っていた。

 右京がレミリアにグヤーシュを出した理由を訊く。

 

「レミリアさんはグヤーシュがお好きなのですか?」

 

「結構好きよ。特に辛さがあるのがいいわ。よい刺激になるからね。と言っても最近食べるようになったのだけれど」

 

 吸血鬼は意外と辛党らしい。

 

「そういえば、ブラン城のあるトランシルヴァニア地方でもグヤーシュが好まれているそうです。もしかしたら、ヴラド三世もグヤーシュの原型となったスープを飲んでいたのかも知れませんねえ」

 

 ハンガリーはウラル山脈から移動してきたマジャール人が祖となっている。

 彼らは辛い物を好む。その中にグラーシュの原型となったスープが存在しており、九世紀頃にはハンガリーで食されていたそうだ。右京はそのことを言っている。

 緋色の主は和製ホームズの博識ぶりに少しだけ引いた。

 

「杉下さんってほんと物知りよね……。うちのパチェとよい勝負だわ」

 

「感謝してね」とパチュリーが添える。

 

「はいはい」

 

 こうして、右京たちは雑談を交えながら、メインディッシュを食べ終えた。

 最後にデザートとして野イチゴのショートケーキが出てくる。

 外見が少し歪んでいるので、手作りのケーキであると思われる。幻想郷で食べるケーキは貴重なので皆、大いに喜んだ。

 特に女性陣はデザート片手に会話を弾ませる。

 その中にあって、特命の二人は蚊帳の外であったが、魔理沙がこんなことを言い出した。

 

「おじさん、あの紅茶はないのか?」

 

「あの紅茶というと霖之助君にお出しした物でしょうか?」

 

「そうそう! あの紅茶が飲みたくなったんだが」

 

「ええ、僕のカバンの中に入ってますが……」

 

 どうやら、魔理沙は紅魔館の紅茶が口に合わないらしく、右京に紅茶の催促をし始めたのだ。右京がレミリアの顔をチラッと伺うと、眉を顰めていたが、魔理沙は元々、失礼な人間なので、諦めている節もあった。

 レミリアが言葉を発する。

 

「杉下さんは紅茶を持ってきているの?」

 

「はい、紅茶好きですから。これが無いと夜も眠れないほどです」

 

「あらあら、それはまた……。でも、紅茶がないと落ち着かないのは私も同じね。よかったら、あなたの紅茶を頂けないかしら?」

 

「わかりました。ただ、お出しするのは香霖堂で出した品ではなく――」

 

 右京は椅子の横に立てかけてあったカバンから紅茶が入っていると思われる缶を取り出す。その容器は霖之助に飲ませた茶葉とは異なっていた。

 右京ほどの紅茶好きともなれば持ち歩く茶葉も一つとは限らない。その時の体調や空間の雰囲気に合わせて紅茶をセレクトするのだ。

 

「こちらの紅富貴(べにふうき)を味わって頂こうと思います」

 

 変わった名前の茶葉に目が点になる一同。その中で唯一、尊だけが唸った。

 

「杉下さん、まさか、その紅富貴って――」

 

「君の想像している通りだと思いますよ」

 

「ほんと、相変わらずですね、杉下さんは」

 

「どういうこと?」

 

 置いてけぼりを食らうレミリアたちに右京が紅富貴について説明する。

 

「紅富貴は日本で作られた茶葉で、アッサム品種に近いと言われます。ダージリンフレーバーのような香りと透き通った色が特徴です。そして今、僕が手に持っているこの紅富貴は本場イギリスの名誉ある品評会で認められ、星三つを頂いた代物なのです」

 

「星三つ……そこはよくわからないけど、イギリスで認められた茶葉ってことよね?」とレミリア。

 その時、咲夜が「〝ミシュラン〟みたいなものかしら?」と小声で呟いた。

 右京は笑みを浮かべながら続ける。

 

「そんなところです。日本産の紅茶のレベルは年々、上昇していますが、栄誉ある賞に輝く実力を兼ね揃えたというのは感慨深いものがあります。そこで是非、皆さんにもその感動を味わって頂きたいと思います」

 

 右京は咲夜にティーポットと人数分のティーカップを用意するように頼んだ。

 彼女はすぐに必要な物を運ばせる。右京はいつも通りの入れ方――では、なく〝正式な紅茶の入れ方〟でカップに紅茶を注いでいく。その見慣れぬ光景に尊は思わず、拍子抜けした。

 

「(今日は〝曲芸〟みたいな入れ方じゃないんだな)」

 

 尊の言う曲芸とは、カップよりも遥かに高い位置から紅茶を入れる右京の妙技を指す。

 前々から中国で給士係が細長い水差しを使って行うパフォーマンスみたいだなと感じていた尊はその入れ方を曲芸と評していたのであった。

 さすがにお呼ばれしている立場でそんな真似はしない。一部を除いて。

 尊の表情を見た右京は彼の考えを悟ったのか一瞬、眉をピクっと動かすのだが、紅茶を入れるに集中しているのでそれどころではなかった。

 入れられた紅茶は咲夜によって運ばれて行く。そこから漂う香りは紅魔館のそれとは比べものにならないほど優雅であり、まさにクラフト紅茶と呼ばれるに相応しい傑作であった。

 

 その匂いにレミリアが思わず唸った。表情の乏しいパチュリーすらも深い香りと色合いに釘づけになっている。

 小鈴はもちろんだが、普段、そこまで喜ばない阿求も紅茶に感動したのか、珍しく「これは!」と感情を声に出した。

 

「何であの時、これを出さなかったんだろうな」魔理沙と霊夢は右京にジト目を向ける。

 

 あの時の紅茶は右京が霖之助の様子を見て、疲れにより効くブレンドのほうを出しただけに過ぎない。霖之助の体調を考慮した選択だったのが、少女二人が知るはずもない。右京にも〝勿体ない〟と思う気持ちもあったのかも知れないが、それは本人のみぞ知る。

 自身と咲夜の分を含め、人数分の紅茶を入れ終わった右京は席に着いてから、この紅茶をストレートで楽しむように促す。

 香りを楽しんだ後、一口目をつける。

 直後、周りから歓喜の声が上がった。

 

「気品のある匂いと色合い、そして、この複雑ながらも透き通るような味わい……。こりゃあ、うちの紅茶じゃ敵わないわね」レミリアはあっさりと負けを認めた。

 

「日本の紅茶ってこんなにレベルが高いのね」とパチュリー。

 

「どうやったらこんな紅茶を作れるのかしら?」

 

 紅魔館の紅茶を作っているのであろう咲夜は紅富貴と睨めっこしていた。

 小鈴は相変わらずの反応であったが、隣の阿求が面白い状態になっている。

 

「気品もそうだけど、味の深みが全く違うわ……。特にこの清流のように清らかで蜂蜜を感じさせる濃厚な香り――バランスが絶妙で、紅茶のよさを引き出しているわね。不思議とくどくないし、時折、舌を刺激する渋みがあって飽きることがない。飲めば飲むほど、新しい発見がある。幻想郷では再現不可能……。けれど、この味を一度、体験したらまた飲みたくなるわね――なんとかして作れないかしら。もし、私がこれと同等の紅茶を作る場合、必要なのはええっと――」

 

「阿求、ちょっとうるさい」

 

 早口で呪文のように感想をブツブツ呟き続ける阿求に対し、いつもはツッコまれる側の小鈴がツッコミを入れた。我に返った阿求が恥ずかしげに口を閉じた。

 稗田阿求という人物もまた、好奇心の塊なのだ。それは杉下右京にも匹敵する。

 政治的な立ち振る舞いに慣れているとあってか普段は表に出さないが、ふとしたきっかけで本来の自分がひょっこりと現れてしまう。この紅茶はそれほどの衝撃を彼女に与えてしまったらしい。

 

 マミも「こりゃあ、たまげたわい」と言い残し、静かに味を堪能していた。

 一方、霊夢と魔理沙は二人で会話していた。

 

「美味しいわね……」

 

「ああ、もう紅魔館の紅茶は飲めんな……」

 

「そうね……」

 

 リラックスしながら物凄く失礼な発言する二人。

 その言葉を耳に入れたレミリアが「無理して飲まなくてもいいからな?」とキレていたのは言うまでもない。

 そんな賑やかな時間を過ごす右京であったが、心の奥底ではその頭脳をフル回転させながら幻想郷の住人への考察を怠らない。

 紅魔の夜はまだまだ続く。


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