フランを阿求から引き離すことに成功した右京は彼女と共に迷路のような廊下を歩く。
紅魔館は咲夜の能力により、見た目以上の面積を誇っている。
感覚的に言えば外観の三倍程度。錯覚にでも陥ったのかと思わせられるが、それが十六夜咲夜の能力の一端なのだ。
一階に降り、特に当てもなく館内をぶらつく彼女は唐突に散歩コースの説明を始める。
「いつもは図書館の地下室にいるの。目が覚めるのは日が暮れてからでその後はツパイを引き連れて今みたいに適当な感じでぶらつくのよ。メイドやゴブリン、館にやってきた妖怪や人間はすぐに逃げて行くわ。私を何だと思っているのかしらねぇ」
「全くですねえ。こんなにも親切だと言うのに」
相槌を打つ右京。
「そんなこと言ってくれるのはホームズくらいよ」
目を細めて愚痴を零すフランに、いつもの態度で接する右京。
傍から見れば親戚の子供とおじさんである。
尊が恐れ戦き、発狂寸前まで陥ったのを考えれば、右京が普段通りでいられるのは異常以外の何物でもない。潜り抜けた修羅場の数が違うのだ。
彼女に比べるとかなり劣るとはいえ、フランのようなタイプの狂人とも何度か対決している。その経験がプラスに働いているのだろう。
もちろん、彼自身が幻想郷について研究したのも大きく影響しているが、いくら頭の中で対策法を考えても恐怖に飲まれてしまえばどうにもならない。
杉下右京というある種の狂人だからこその芸当だ。
フランに付き従うツパイも初めこそ右京を警戒していたが、今は慣れたのか時折、右京の近くに寄っては興味ありげにクルクルと足元を回ってみせ、目が合えば、お座りしながらジッと彼の様子を伺い、飽きるとフランのところへ戻っていく。
その仕草には、微笑ましささえ覚える。
右京もフランのプレッシャーにひり付く頬を軽く撫でながら、興味深そうに観察している。
大方の説明を終えたフランは一階のエントランスまで右京を誘導し、中央でピタリと足を止め、彼のほうをくるりと振り向いた。
「こんなとこでいい?」
「はい。大変、参考になりました」
右京は感謝を表した。
「そう。よかったわ――」
少女らしく無邪気に微笑んだフランはこう続けた。
「――だったら、次は私のお願いを聞いて頂戴」
「ええ、僕にできることでしたら」
右京は自分に可能な範囲でならと承諾した。
次の瞬間、フランはその笑顔をニヒルなものへと変化させながら「じゃあ――」と続け、右京はそれを承諾した。
☆
――か……さん――かん……さん。
突如、頭の中に鳴り響く女の声。
「う……っ」
尊は徐々に意識を取り戻し、眩しさで霞む瞼を擦りながら目覚める。
目の前には自身の身体を揺らす阿求の姿があった。
「あ、稗田さん……」
「お気付きになりましたか! よかった」
「ハハ、ご心配をおかけしました」
尊は謝罪し、右手で頭を押さえながら意識を失う直前の記憶を思い出す。
「確か、レミリアさんの妹さんと会話して気を失ったんだっけ……?」
少女相手に何をやっているんだ? 視線を床に落して、恥ずかしがる尊を阿求がフォローする。
「仕方ありませんよ。相手は幻想郷の住民は元より、妖怪でさえ恐れる相手なのですから」
「そうなんですか?」
「普通にしていても湧き出るあの狂気ですよ? 無理に決まっています。だから幽閉されているのです」
「なるほど……」
思い返すだけでもゾッとするあのドス黒いオーラ。彼女のその気はなくても周りの精神に負荷をかけるその性質である。尊は阿求の言葉をそのまま受け入れた。
未だに震える身体を起こし、彼は上着についたほこりを軽く手で払った。
「ところで杉下さんはどこですか?」
小言の多い元上司はどうしているのか。
何気なく訊ねる尊だったが、阿求は暗い表情で「杉下さんはフランさんに頼んで一緒に館を見て回っています」と説明した。
「へ?」
耳を疑う尊。あんな化け物とも仲良くできるのかよ、と二の句が継げずにいた。
そんな尊に阿求が持論を伝える。
「恐らく杉下さんは私を彼女から遠ざけるためにあえてそのような真似をしたのだと思います。おかげで自由に動けていますから」
「まぁ、あの人ならありえない話ではないですが……」
杉下右京は自分の身を挺してまで他者を護る人間である。
模範的な組織人とは言い難いが、警察官としての確固たる矜持を持っている。その行動は何ら珍しくない。
しかし、相棒を務めた尊からすれば少なからず
そこに状況を正しく理解している阿求が間髪入れず「そういう訳で、杉下さんが時間を稼いでいる間に彼女に対抗できる人物を呼ぶ必要があります。霊夢や魔理沙――レミリアさんやパチュリーさんに十六夜さん、そしてマミさん――この内の誰か一人でもいればこの状況を打破できるかもしれません。私は彼女たちを探しに行きます。同行して頂けるとありがたいのですが」と相談する。
真剣な表情を向ける阿求に事態が切迫していると悟り、元部下は二つ返事で了承し、彼女と共に紅い廊下を進もうする。
その時だった。
前方からカツカツと足音が聞こえてきたのだ。音からして、少女の足音のようだ。
二人は一瞬、フランがやって来たのかと身構えたが、そこにいたのは青いメイド服の少女――十六夜咲夜だった。
「稗田さん、神戸さん――どうかなされましたか!?」
「「十六夜さん!!」」
咲夜の顔を見た阿求と尊は急いで彼女の元に駆け寄る。
「十六夜さん。今までどこに!?」と阿求が言った。
「ちょっと、お外のほうに……」
「え?」
「実は、お嬢さまたちをお呼びに行く途中、館で飼っているペットがウロウロしているのを見かけて連れ戻そうとしたら見失ってしまって。その際、妹様から『ツパイが外に逃げたから連れてきて』と言われ、急きょ探しに出払っていたのです。館を空けてしまい、ご迷惑をおかけしました――あの、私が不在の間、何かありましたか?」
申し訳なさそうにお辞儀をしてから咲夜は、二人に何かあったのかと尋ねる。
阿求が代表して彼女が離れてからのことを伝えると、咲夜は血相を変えながら館の主を呼びに、客人らを連れて待合室にへと急いだ。
大広間から少し離れた待合室。レミリアたちは椅子に座りながらゲーム終了を待っていた。
レミリアの後ろには広間周辺にはいなかった妖精メイドたちが咲夜の変わりと言わんばかりに待機しており、パチュリーの後方にも黒翼のメイドが備えている。
魔理沙と霊夢はどこから持ってきたのか、杯に注がれた日本酒を片手に騒いでいた。
「ったくよー、おっさんと阿求に言いようにしてやられたぜー!」
「全くだわ! 初日に退場させられるとか、最悪よー!」
酒が入っているせいか、些か気が大きくなっており、キーキー愚痴を言い合う二人。
その隣で最初に退場させられたマミも便乗する。
「妖怪側の勝ちが確定しているのはよいが、化かし合いのゲームで化かし屋が居の一番に脱落するとはのう……。あーショックじゃわい!」
そう言って、左手に握っている酒瓶から杯に酒を流し込み、それを寄越せと霊夢たちが、おかわりを催促。浴びるように飲み干す。
パチュリーは本を眺めながら「私の見立て通りだった」と名推理を披露したにも関わらず、どこか不満げな態度を取り、レミリアが「そうねぇ~。だけど、向こう側の話術も中々のものよ? 他者を惹きつける魅力があった。楽しかったわ」と満足げに感想を語る。
その雰囲気に着いていけない小鈴は会話には入らず、気まずそうに「阿求早く来てよ~」と心の中で相方が待合室に来るのを心待ちにしていた。
そこに咲夜が慌ただしくドアを開けて駆け込んだ。
一体、何ごとか――視線が集中する中、咲夜はレミリアに向かって叫ぶように告げる。
「大変です――妹さまが杉下さんをお連れして館内を歩き回っているとのことです!」
「あ!? なんだって!?」
予想外の時代にレミリアの声が裏返った。
魔理沙と霊夢は口含んだ酒を勢いよく吐き出しながら、
「あん? それはマズいだろ!?」
「杉下さんが危ないわ!!」
彼の危機を察知し、酔いが醒めたように正気を取り戻すと、咲夜に「杉下さんたちのいる場所は!?」と責めるように詰め寄る。
メイドは同じくらいの声量で「わからないわ!」と答えた。
彼女の後ろにいた阿求と尊にも訊ねるが、両名とも右京の大広間を出てからの足取りまではわからない。
らちが明かないと踏んだ霊夢は、袖に仕込んだ対妖怪用お札の枚数を確認。
怒気を強めながらレミリアのほうを振り向いて「何かあったらアンタらのせいだからね! 覚悟しておきなさいよ!」と言い放ってから飛び出すように部屋を出て行き、それを魔理沙が追いかける。
いつものパターンだ。
「やれやれ、騒がしいったらありゃしない」
妹が勝手な行動を取っているというのにレミリアは呑気だった。
マミも酒瓶を懐に仕舞い込んで立ち上がる。
「儂も杉下どのを探しに屋敷を回ろうと思う。よいか?」
眼鏡に奥が怪しく光る。
その仕草に紅魔館の主は目を細めた。
「……それは構わないけど
睨みを効かせながらマミを牽制する。癇に障ったのか、彼女はふんと鼻を鳴らした。
「そんなことせんわい! ただ借りのある相手を死なせるのが嫌なだけじゃよ」
「そう――悪かったわね」
贔屓にしていた酒場の店員の無念を晴らした右京に感謝あるマミにとって、事件解決の立役者に危害が及ぶ――それも自分が付き添いにも関わらずとあっては面子が立たない。
彼女の真意を理解したレミリアは謝罪してマミを行かせた。
真顔で走り去っていくマミを見送ることしかできない元相棒、神戸尊。
自分はどうするべきなのかだろうか。困惑する彼にレミリアが席を離れて近寄った。
「うちの妹が杉下さんに迷惑をかけているようね。でも私の許可もなく、来客に危害を加えるような娘じゃない。信じて頂戴」
いつも通りの幼い顔だが、今回の顔つきはカリスマという品格に満ちている。
その真っ直ぐな真紅の眼で見つめられてしまえば、人間如きは首を横には触れなくなる。
人間はフランの狂気とは異なるオーラを全身に浴び、例えようのない説得力を感じ、ほとんど反射的に「はい……」と返事をしてしまう。
その現象に稗田の御子は「これがレミリア・スカーレットのカリスマ? ……いや、もしかして――」と息を飲む。静まり返る待合室。
そこには確かにレミリアを中心とした世界が築かれつつあった――が。
――おい、どこにいやがるフランドール!!
――出てこいレプリカーーーーーーーー!! (それは姉のほうだったかしら?
――落ち着け、おぬしら!!
屋敷の奥から酔っ払い二組の罵声とそれを諌める年長者の大声が鳴り響く。
このままでは館が危ない。
レミリアは自慢の参謀に他のメンバーを任せ、咲夜と共に霊夢たちを追って、自慢の翼を駆使して紅い廊下を駆け抜ける。