気まずい空気が充満してふたりは、かける言葉が見つからない。しかし右京は不気味な笑みを浮かべつつ、
「ですが、これで僕は霊感と呼ばれるものを持ち合わせておらず、その結果、幽霊が見えないということがわかりました」
美宵のほうを向いて語った。
彼女は「そうですか、よかったですね……」と歯切れ悪く返事した。片や右京の左隣りにいる銀髪少女は「やっぱり騒霊ライブだな~。よかったぁ!」と、興奮が色褪せず、そのテンションのまま、麻のクッション片手に会場を後にした。
三人も彼女に続くように出口へ歩く。男女が盛り上がっている中、右京はどこか羨ましそうに、美宵は何か考えごとをしているように、人混みを見つめる。劇場から離れるにつれ、人気が少なくなる。スマホをチラッと覘いてから右京が美宵にこう訊ねた。
「ところで美宵さん。……少しお時間を頂きたいのですが。大丈夫でしょうか」
「え……。あぁ、構いませんよ」
「そうですか。神戸君――先に戻っていてください」
「え、えぇ!? なんでです?」
「情報提供者が待っているかもしれないので。お願いします」
「は、はぁ……。わかりました。そういうことなら」
元上司の意図が読めない。尊は訝しみながらも仕方なく右京から離れ、近くの路地に入る。
「ったく、俺を除け者するなんて……。一体、美宵さんと何の話をするつもりなのか――」と、ぼやいた直後「――あれ……
右手で頭を押さえてもわからない。気になるが戻るのもあれだ。しぶしぶ、尊は特命部屋へと帰っていった。
☆
「――で、お話ってなんですか?」
美宵さんがいつになく低いトーンで質問した。右京は一呼吸おいてから「あなたにお聞きしたいことがありましてね――」と、人差し指を立て、美宵に近寄る。
「あなた
そのワードに反応して美宵の表情から完全に笑顔が消えた。
「……どうして、です?」
「あなたは僕と酒場谷風で会ったと言いましたが、僕はその時のことをよく覚えていません。昨日、料理の時もあなたがあの場にいたという記憶も今日になってみたら曖昧になっていました。ちなみに神戸君も同様です。しかし、あなたに会うと、その時の記憶が少しだけ蘇りました。驚きましたよ――直前まですっかり忘れているのですから。こんな現象、引き起こせるのは
「驚いたのは私も同じですよ。あまりに思い出されるのが早かったので……。まるで予め知っていたようでしたね」
「ええ。おっしゃる通り」
「よければ、その理由を聞かせて頂けません?」
「わかりました」
彼女の要望に応えるべく右京は自身の推理を披露する。
「商店通りで、出会った際、あなたは僕を知っているように話しかけて名乗った。途中、魔理沙さんがやってきた時もあなたについて覚えていない様子だった。特命部屋でも神戸君が記憶を思い出すのに時間がかかった。
ここまでくればあなたが何かしらの能力を働かせていると推理するのは容易でした。隙を見てあなたの情報を忘れないうちに記録しておいたのです。おかげで僕はあなたのことを知れた。ということです」
「なるほど、なるほど。抜け目ないな~。杉下さんは……」
パチパチと拍手する美宵。たった二回の接触で相手が只者ではないと考察し、対策を立てて実行。スマホを駆使してさりげなく録音と撮影を行い、美宵の化けの皮を剥ぐことに成功した。さすがである、と言いたいが本番はここからだ。
彼女が里人ではないと突き止めたが彼女の〝能力〟〝正体〟〝目的〟は依然にして不明である。また、右京を攻撃してこないとも限らない。ピリピリとした空気がふたりの周囲を取り囲む。
「どうして、あのような真似をなさるのですか?」
「さあ、どうしてでしょうね。せっかくです。当ててみてください」
「ふむ。そうきましたか」
困っている素振りを見せつつ、右京は数刻の間、無言になる。美宵はクスクスと笑っていた。彼もまたニッコリしながら口を開く。
「現段階では情報が少なすぎますので全て憶測になりますが。あなたは〝他人の記憶に何らかの形で干渉する能力〟を有している。それを駆使して活動――特定の
「メリット、ですか。例えば?」
「金銭などの利益や快楽――もしくは〝怖れ〟ですかね。あなたが《妖怪》なら人間に干渉するのも生命維持活動の一環。その能力を使う理由も納得がいきます」
「ふふ。面白い方ですね。だけど
「ご心配なく。その言い方であなたが
「もう、遅いかもしれませんよ」
「おやおや……。困りましたねえ」
美宵は不気味な笑みを浮かべながら妖気のようなものを発し始める。只事ではなかった。霊感皆無の右京も身の毛がよだつ何かを感じた。
しかし、右京は余裕そうに笑っている。美宵は彼の態度に納得がいかなかった。
「……どうして笑っていられるんですか?」
「いやいや。可愛らしいなと思いまして」
「一応、看板娘ですから……。もしかして馬鹿にしてます?」
「そんなことはありませんよ。妖気? のようなものを感じましたから」
「幽霊が見えないのにですか」
「ええ。不思議と殺意や気配には職業柄、敏感なのです。ですが、幽霊だけはどーしても見えない。彼らを見るために幽霊絡みの事件に何度首を突っ込んだことか……」と、右京はため息を吐いてみせる。
「おかしな人……。この状況でそんな態度、普通取れませんよ」
美宵が不敵に笑う。この状況をハッタリで切り抜けられると思うな。そう言わんばかりだった。しかし右京のスマイルフェイスは崩れない。
「それはですね。あなたが僕に
「え……」
彼女の童顔に動揺が走る。すかさず右京が推理を展開した。
「僕は博麗霊夢さん、霧雨魔理沙さん、稗田阿求さん、上白沢慧音さんと少なからず関わりがあり、短い間ながら交流する機会が多く、最低でも顔見知り以上の関係にはあります。そんな僕が里で何かしらの被害を受けたとあれば彼女たちが黙ってないでしょう。自分たちの管理下ですからね。自らの威信を賭けて解決に動くでしょう」
「だから余裕がある……と」
「それだけではありません。あなたのことはすでに霊夢さんに伝えてあります」
「な!?」
「昨日、魔理沙さんに持たせた、おすそ分けの中にメモを忍ばせておきましたから。すでに目を通していると思います。今もどこかに隠れてあなたが僕に手を出すのを待っているかもしれませんよ」
直後、美宵があははっと声を発する。
「ハッタリですね! あの攻撃的な巫女がおとしなく隠れている訳がない。すぐに出てきて戦闘になりますよ」
「どうでしょうか。彼女は意外と呑気ですからね。ギリギリまで待っている可能性もありますよ」
「そもそも、メモの存在に気がつかなかったのでは?」
したり顔の美宵。巫女の行動パターンは織り込み済みのようだ。得意のハッタリもここまでか、と思われたが右京の本命はそれではない。
「……しかし
右京が、眼鏡をクイっと動かす。
「あの方……? またハッタリを――」
戸惑いながらも反論する美宵だが、今度は右京が視線を動かす。
「ほらほら、先ほどからこちらを見ている存在に気がつきませんか。ほら、あそこです。あの通路の隅っこにいる〝狸〟さん」
「た、狸っ!?」
狸と聞いて慌てながら右京の指すであろう方向に視線を移す。そこには確かに、こちらを見ている可愛らしい狸の姿があった。彼女が目を離した瞬間、右京は懐から〝愛用のボールペン〟を取り出して、
「隙あり」
「きゃあっ」
美宵の額に軽く押し当てた。まるで剣道の師範が小さい子供を諭すように。すると彼女がビックリして仰け反った。右京はここぞとばかりに畳みかける。
「いいですか。幻想郷にきたばかりの僕に正体を看破されるようでは、ここの住民は騙しきれませんよ。いずれ退治されるでしょう。こんなことはやめて、元いた場所へ帰りなさい。どうしても戦うというのなら受けて立ちますが、僕だってタダではやられません。
霊夢さんから〝対妖怪用のお札〟を何枚か貰っていますからねえ。この距離なら相打ちくらいには持っていけるでしょう。どうします?――はやく答えなさい」
真顔で強い圧力をかける右京。左手をポケットに突っ込み、何かを掴む素振りを見せつつ、洒落たボールペンを相手の正面に突き出してジリジリと追い詰める。
タジタジになった彼女が両手を挙げながら「わかりました。わかりましたから」と、堪らない様子で降参。そのまま退散していった。右京は取り出したペンを懐にしまい込んでから、
「ふふっ。一本、取れましたね。狸さん、どうもありがとう」
野良狸に礼を言った。狸は事態を把握できず、首を傾げるだけだった。
ちなみに魔理沙のメモを渡したという件は咄嗟に思いついた
持ち前の演技力――いや、ハッタリで相手を撤退させた。これでしばらくは安心だろう。けれども、右京は――。
「僕としたことが。彼女に〝今朝の夢〟について訊ねるのを忘れていました」
暗闇の中で誰かと対峙する自分。その正体が誰だったのか思い出せない。きっと美宵の仕業だと仮定し、彼女に答えさせるつもりだったが、その前に逃げられてしまった。なにか釈然としない。
「また会う機会があれば訊ねてみましょうか。おや……。誰に訊ねるんでしたっけ?」
美宵が消えてすぐに彼女との記憶が消え、誰と会っていたのかさえ、思い出せなくなった右京は口元を押さえつつも、無意識にスマホを見る。スマホはバッテリー切れを起こしていた。
幽霊考察のために、プリズムリバー楽団のライブを録音していたせいで電力を大幅に消耗したのが原因だった。予備バッテリーの温存を尊に促され、充電を控えさせられたのが効いた。
考えても仕方ない。右京は「充電したらライブを聴き直しましょう」と、やや急ぎ足で特命部屋へと戻る。
☆
夕暮れに紛れながら屋根の影に身をひそめる鯨の少女は、大きなため息を吐きながら、うながれていた。
「まさか人間相手に撤退するとはなぁ~。情けない……」
今の幻想郷でもっともホットな人間《杉下右京》。どんなものかとちょっかいを出しにいった美宵だったが、すぐに恥をかかされる結果となった。
「このままじゃ、あの人だけじゃなく他の連中にもバレる……。もう少し策を練らないといけないかなぁ」
そう呟き、彼女は茜色の中に溶けていった。それから時が過ぎ、再び《奥野田美宵》という名前が里で聞かれるようになるのだが、それはまた〝別の話〟である。