相棒~杉下右京の幻想怪奇録~   作:初代シロネコアイルー

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第68話 亡霊の女王 その1

 すぐに、ふたりは支度を整え始める。紅魔館の時もそうだが、元より荷物が少なく、最低限の着替えがあればどこへでも赴ける。

 右京は職務中以上にフットワークが軽い。振り回されてばかりの尊が嘆いてもどこ吹く風。かと言って妖怪ばかりの環境でひとり待機するのも不安である。

 大人しくついていくしかない。尊は不満を込めに込めた半眼で元上司に抗議しながらも、黙々と準備を続ける。十五分で、身支度が整った。後は戸締りをするだけだ。

 ふたりが外に出て、鍵をかけたと同時に、眼鏡の女性が手を振って右京の元を訪れる。

 

「杉下どの。どこへ行くんじゃ?」

 

 マミである。右京は「これはこれは、マミさん」と軽く挨拶してから「冥界の白玉楼へ行ってきます」と教えた。

 

「なぬ? 白玉楼じゃと。死者の国ではないか!?」

 

 あそこがどんな場所か知らんのか。マミは驚きを通り越して、呆れた表情してみせる。

 

「ええ。幽霊たちの楽園です。楽しみで仕方ありません」

 

「吸血鬼の館の次は幽霊屋敷かい。物好きにもほどがあるぞ」

 

「ですが、僕はどうしても幽霊が見たいのです。そのためなら、多少の無茶は止むを終えません」

 

「それは無茶というより無謀って言うんじゃい!」

 

 まるで年長者のように彼に言って聞かせようとする。それで止まればよいのだが、相手は理論武装で固める杉下右京だ。一筋縄ではいかない。

 

「しかし白玉楼の主人から直接、お呼ばれしているので、断るのは失礼というものです。なので少々、里を留守にします。何か手紙の情報があったら冥界の白玉楼までご一報を。さあさあ、妖夢さん。出発しましょうか」

 

 いつもの調子でその場を収め、妖夢に出発を促す。その反論しづらい言い訳に舌を出すマミを視界に入れつつ、

 

「あ、はい」

 

 知らんぷりを決めた妖夢が、客人をつれて歩き出した。冥界を目指す人間たちの後ろ姿を眺めながらマミは静かに呟く。

 

「ふむ。亡霊の親玉も動くか……。一応、アヤツらにも報せておくかの」

 

 洒落た眼鏡の奥に潜ませた双眸が怪しく光り、踵を返した彼女は、そのまま里の路地へと消えていく。

 そして、その光景を物陰からこっそりと伺っていたある人物が「クソッ、杉下ァァ……楽しそうにしやがって」と、憎々しげに睨みつけていた。

 

 

 時を同じく香霖堂店主、森近霖之助が里へと続く道を歩いていた。必要な物資を購入するためだろうか。それ自体、特に珍しくはない。ただひとつ、隣にお洒落な紳士用コートを羽織った男がいることを除いて。

 

「すみませんね。ご迷惑をおかけして」男が礼を言った。

 

「いえいえ。大変、有意義なお話を聞かせてもらえましたから」

 

「あんな話でよければいつでも致しますよ」

 

「それは、ありがたい限りだ」

 

「慧音先生という方への面会が終わったら一緒にお食事でもしませんか? 昨夜、宿泊させて頂いたお礼です。奢りますよ。ちょうど()()()なら数枚ほどありますし」

 

「あはは、いいですね。しかし、よく一円札なんて持ってましたね。表では、使われていないでしょうに」

 

「偶然ですよ、偶然」

 

 そんな会話を交わしながら、ふたりは人里の中に入っていた。

 

 

 特命のふたりを里の外へと連れ出した妖夢は、すぐ側の雑木林の中に彼らを案内する。

 

「少々、歩きますが後ろを振り返らず、私についてきてください」

 

 草木を掻き分けて進むこと数十分。徐々に辺りの空気が心地よいものへと変化し、気がつくとまるで塩梅のよい温泉に浸かっているかのように身体がリラックスしだす。

 いつの間にか、林を抜けて薄い靄のかかった神秘的な空間へと出た。一面が靄だけで構成されているように真っ白な世界。まるで死後の世界である。右京が目を光らせる。

 

「空気が澄んでいますねえ~」

 

「幻想郷って元々、空気が綺麗だけど、この辺りは特別って感じがします。妖夢さん――今、ぼくたちはどこを歩いているんですか?」

 

 すると妖夢は「ここはもう、冥界ですよ」と答え、尊を驚愕させた。

 

「は? ここが冥界? あの世なの!?」

 

「みたいですね。気分がよいのも頷けます。まさか、こんな近くに浄土と繋がる道があるとは」

 

 右京は他人事のように観察を継続している。

 

「いやいや、呑気にもほどがあるでしょ――」

 

「幽霊はどこですかねえ~?」

 

「聞いてねぇし……」

 

 小さく毒づくも、右京に効き目はない。ふと、妖夢が右京たちのほうをちらり振り向いて「このことは内緒にしてくださいね。私も今日、知ったばかりなので」と頼んできた。「もちろんです」と、彼らは約束した。

 この辺りに差しかかると、より霧が濃くなって、ひんやりとした冷気が頬を打つ。いよいよ冥界訪問の実感が湧いてきた。それに伴い、右京のテンションが上がっていく。

 幽霊が見えない右京のために、妖夢が無数の幽霊が集まっているポイントを指差して「あの辺りにたむろしていますよ」と、伝える。直後、彼は音を殺して、さり気なく近づき、手さぐりで幽霊にタッチを試みる。

 

「こ、怖がってますから、ダメですって――」

 

 妖夢が制止するが、その表情はどこか恐る恐るしていて、自身の背後から幽霊が近づこうものなら「ひゃうぅ!」と叫んでは、涙目になって抜刀しようとする。

 

「大丈夫かよ、この幽霊少女」

 

 尊が不安を覚えるが、それ以上に――。

 

「おっと、今、何かに触れました。ひんやりしていましたねえ~。大きさは、そこそこあったような気がします――はっ、弾力も個々によって差があるようです。これは……大発見ですよ! イギリスの心霊学会で論文を発表できるレベルじゃありませんか! うふふっ、次はどこですか〜」

 

 ストーカーのような目つきをした右京が、幽霊を追い回し、周囲に霊魂たちが一斉に逃亡する。必死に隠れようとする見えざる者たちは、ちょうど近くにいた妖夢の後ろに隠れようとして、小さな背中目がけて押し寄せる。

 冷気で身体の毛が逆立ち、すくみ上がってしまった妖夢は「うわああああああああん!! こっちくるなぁぁぁ!!」と、泣き叫ぶように刀を引き抜いてから見境なく振り回す。明らかに幽霊を怖がっていた。

 

「ちょ、ちょっ……。えぇーー!?」

 

 幽霊なのに幽霊が怖いって何!? 尊は本気でそう思ったが、妖夢が幽霊を苦手しているのは、本当のようで、すでに我を失っていた。片手で持っていた刀を両手に持ち替えて見境なくブンブン丸する。その際、鞘がカランカランと地面に転がった。

 尊は右京に助けを求めようとしたが、少し離れたところでストーキングの真っ最中。正面では、妖夢の刀に幽霊たちがビックリして逃げ惑っている。

 その様子を気の毒に思った尊は、深くため息をついてから彼女の落とした鞘を拾い上げた。

 

「お借りしますよ」

 

 拝借した鞘を握って錯乱する妖夢の正面に立ちはだかると正眼の構えを取る。深呼吸して彼は、妖夢の動きを見定めた上で「失礼」と謝罪。柄の部分を狙い、鍔に引っかけるようにして、素早く刀を叩き落とす。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった妖夢だったが「落ち着いて。もう大丈夫だから!」と両肩を揺すられて正気に戻り、尊に武器を落とされたのだと気がついた。

 それでも、なお幽霊を探している元上司。ついに元相棒の堪忍袋の緒が切れた。

 

「杉下さん、いい加減にしてください! いい大人がはしゃぎ過ぎです。みっともない!!」

 

 怒鳴られてようやく正気を取り戻した右京は「申し訳ない」と謝り、トボトボとふたりの近くに戻った。一段落した妖夢が尊を見やって。

 

「あの……。今、私の刀を落としたのって……」

 

「ん? あぁ、ぼくですよ。剣道は()()()()得意なので」

 

 彼は笑顔でそう言ってのけた。実際ところ、妖夢が激しく動き回っていたので、難易度は高かった。しかしながら、そういうことをおくびにも出さないのが()()()()()()()の特徴である。

 説明された彼女は納得せず「そんなわけない。かなりの腕前だ」と、評価した。事実、尊は剣道を特技としており、その腕前はかつての先輩、大河内(おおこうち)監察官さえも軽くあしらうほどだ。

 本気を出せば警察庁内でも〝トップ10〟には入れるだろう。杉下右京と互角に渡り合える数少ない競技。いや、もしかすると一番、勝利できる確率が高いかもしれない。

 相当な実力者だ。当時、このコンビが犯人側との戦闘においてほとんど、負けなしだったのは言うまでもない。総合力歴代最強の相棒。それが彼なのだ。

 

 そこから右京は妖夢に従って慎ましく、後をついていくようになった。よそ見しようものなら相棒から「駄目ですからね」と即注意され、半分ふて腐れている。

 そうこうしているうちに、大きなお屋敷が見えてきた。建物に近づくにつれ、より空気が透き通っていき、居心地がよくなる。どこか中華的な要素を取り入れた巨大な日本屋敷。どうやら、あれが白玉楼のようだ。

 

「とても綺麗なお屋敷ですねえ」

 

「京都の名家が所有してそうな屋敷だな。かなり大きい。ーーてか、幽霊がそこらじゅうにいるよ……」

 

 三人の前には〝人魂〟の集団が群れ成し、行列を作っていた。まるで閻魔さまに捌かれるために並んでいるかのようだ。ここは地獄の裁判所か? 尊が近寄るのを躊躇っていると妖夢が補足を入れる。

 

「白玉楼は冥界一の広いお屋敷で、その一部が一般公開されているんですよ。おかげで幽霊たちが見学しにくるのです。だから、表はいつも幽霊で溢れます。おふたりは幽々子さまのお客さまなので、並ばなくても大丈夫ですから」

 

「でしょうね」と尊は返した。

 

 呼ばれた上に並ばされたら、ただの嫌がらせである。妖夢が幽霊行列の脇を通ってふたりを誘導する。ヒンヤリとした冷気が身体を震わせるので「夏だったらよかったなぁ」と尊が愚痴った。

 広い庭園を抜けた一行は玄関へと到着する。絵に描いたような豪邸に来客たちの視線が釘づけとなった。その視界の外で、青を基調とした着物に身を包む少女が音もなく現れる。

 品のあるいくつかの霊魂を従え、セミロングのウェーブがかった絹のような桃髪が風に揺れ、後方で、お屋敷見学している幽霊たちがざわめきだす。

 一体、何ごとかと尊が顔を向けると、彼女は微笑みながらしーっ、と自身の唇に人差し指を添えた。

 彼は大層、驚いた。それは恐怖の感情ではなく、

 

「(なんだ、この美少女は。今まで見たことないレベルだぞ!?)」

 

 可憐な容姿に度肝を抜かれたのだ。さらに彼女は、妖夢にも気づかないフリをさせたのち、右京の周りをクルクルと歩き始めた。

 

「おや? 冷気が回っているような……」

 

 右京は状況がわからず、首を傾げている。少女はクスクスと笑いながら彼の視界を遮るように手をパタパタと振ってみたり、肩を軽くトントンと叩いて、からかったりと他愛もないイタズラを繰り返す。

 他ふたりが、呆れながらその行為を眺めるも、ちょっかいを出されている本人は「先ほどから触られている感覚がしますがーー幽霊でしょうか……?」と、顎に手を当てて考え込むだけ。

 口元に手を当ててぷぷっと吹き出した少女は「あははっ、本当に鈍感なのね!」と嬉しそうにした。中々に、お茶目な娘なのかもしれない。

 

「うーん。ここまでくるとちょっとやそっとじゃ効き目がないわね。最後の手段を使うしかない。妖夢、そしてお客人ーーこの方の後ろに回って頂戴」

 

 彼女の指示に尊だけでなく、妖夢までもが首を傾げているが、特に断る理由もないのでふたりは右京の後ろにつく。その行動に右京が疑問を抱いた。

 

「おやおや、どうかしましたか――」

 

「準備はよさそうね。いくわよ。ふたりとも、ちゃんと身体を()()()()するのよ」

 

 少女は忠告した途端、右京の顔に右掌を近づける。すると、右京から身体の力が抜けていき、徐々に、彼の視界に半透明な()()の姿が映りだす。

 

「おお、幽霊が、こんなに沢山ッ!?」

 

 右京は周囲に見える幽霊に触りにいこうとするが、どうにも身体が動かない。何かに抑えられているような感覚だった。そこへ少女の声が響く。

 

「はいはい。落ち着いてくださいね。幽霊は逃げませんから」

 

「おや、あなたは……」

 

 さっきまで誰もいなかった自身の正面に、見たことがないほど可憐な美少女が無数の霊魂を携えて立っているのが、うっすらと確認できた。

 右京は咄嗟に「天女さまでしょうか?」と問いかける。少女が、ぶぶっと腹を抱えて「天女って何よ。羽衣を着ているわけでもないのに。おかしいったらありゃしない!」と愉快げに笑う。

 

「では、どちらさまでしょうか?」

 

 彼が問いかけに彼女は名乗った。

 

「私は、ここ白玉楼の主――西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)と申します」

 

「おやおや。そうでしたか」

 

 そう、彼女こそが冥界の大屋敷の主であり〝亡霊の女王〟を務める《西行寺幽々子》、その人である。視界がはっきりしないのか、いまだに幽々子の顔がうっすらと透けて見えているが、輪郭だけでもその美しさは理解できる。

 右京は失礼と思ったのか、自身とつれてきた部下の紹介を行おうと後ろを振り返るのだが、そこでは意外な光景が繰り広げられていた。

 

「杉下さん、しっかりしてください!!」

 

「だ、大丈夫ですか!? ゆ、幽々子さま――これは一体!?」

 

 なんと、右京が白目を剥いて倒れており、それを尊と妖夢が介抱していたのだ。さすがの右京も異変に気がつき、状況を確認しようとするが、その場から動くことができず、あろうとことか、視界がグルングルンと動き出す。同時に幽々子がニッコリと微笑んで――。

 

()――抜いちゃいました♪」

 

「「えええええええええええええええええええええええええええ!!!!????」」

 

 幽々子は〝右京の霊魂〟を指先でクルクルと回しながら、万遍の笑みを浮かべていた。


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