相棒~杉下右京の幻想怪奇録~   作:初代シロネコアイルー

71 / 181
第70話 亡霊の女王 その3

 十五時過ぎ。数時間もすれば日が暮れる。鈴奈庵では、本居小鈴が返却された本を綺麗に乾拭きしている。今日は客足が少ない日だ。小鈴は、ひとり熱心に専門書を漁る客を見やってから、窓の外へ目を移す。そこにコートの男がやってきた。

 

 ――ガラガラガラ。

 

「いらっしゃいませ。あれ……。〝表の方〟ですか?」

 

「そんなところです。上白沢さんに、ここなら本が読めるから退屈しないだろうと教えられました」

 

「はい。当店は貸本屋ですが、立ち読み可能です。本の内容によっては料金が発生しますが、初めての方ですので。今回は無料とさせて頂きます」

 

「それはありがたい。しかし、こちらもタダで読ませもらうのは心苦しい。そうだ。代わりに表のお話でもさせてください」

 

「いいんですか?」

 

「こんな可愛らしいお嬢さんに親切にしてもらうのです。それくらいしなければ割に合わないというものですよ」

 

「そ、そうですか……。だったら、お言葉に甘えちゃおうかなー」

 

「どんな話がいいですか?」

 

「うーん、そうですね。表で流行っている本かな。小説でも漫画でも、なんでもいいです。なるべく面白いもので!」

 

「小説だと村上春香とかですかね~。漫画だと……アレですか。少しだけグロテスクな内容が含まれますが、主人公が巨大な敵と戦う物語でーー」

 

「あっ。それ聞きたいです!」

 

「わかりました」

 

 ふたりはその漫画の話題や雑談などを含め、一時間ほど立ち話した。そこへ用事を済ませた霖之助が現れた。男は軽く会釈してから、霖之助と共に酒場へ向かう。

 

 

 その頃、白玉楼の台所に割烹着姿の右京が立っていた。

 

「まず、何を教えしましょう。リクエストはありますか?」

 

「そうねぇ……こっちでは中々、食べられない料理がいいかしらね。和食でも洋食でも創作料理でも何でも――あ、妖夢にも作れる品ね」

 

「私、和食以外は苦手です……」

 

 主人の無茶振りに料理する前から疲労する妖夢。反対に右京は綺麗に整理された日本料亭のような立派な台所に目を輝かせている。

 

「わかりました。材料は?」

 

「結構、揃っているわよ。西洋のものは少ないけど、バターとかならあるわ。堅いチーズとか。他にも色々あると思います。好きに使って頂戴。じゃ、私は見学する幽霊たちに挨拶してくるので、これで失礼するわ」

 

 幽々子は、軽く手を振ってからこの場を後にした。

 

「自由な当主さまですね」と尊が妖夢に耳打ちすると、彼女は「いつものことです……」と肩を落とした。

 

「冷蔵庫、拝見しても?」

 

「どうぞ」

 

 妖夢の許可を得た右京は大きな箪笥のような形の冷蔵庫に手をかけて、中身を確認する。

 

「立派な冷蔵庫ですねえ~。氷式でしょうか」

 

「そうです。たまに幽霊を入れたりしますが……」

 

「おや?(え?)」

 

 白玉楼には特注の氷式冷凍箱が置いてあり、そこに食材が保管されている。氷を入れて食材を保冷するのだが、代わりの氷がなくなった際は幽霊を入れて代用しているらしい。霊魂はヒンヤリとして冷たいので、その特徴を生かしているのとこと。実に彼女らしい。

 右京はその話を感心しながら聞いていた。冷蔵庫の食材を漁っていると尊が、白い紙に包まれた食材を指差す。

 

「これ、何でしょうかね?」

 

「えーと、確か豚肉の塩漬け……。()()()()()()()だったっけ……?」

 

()()()()()()では、ありませんか?」

 

「あー、そうそう。それです!」

 

 パンチェッタは幻想郷では中々お目にかかれない代物。妖夢が名前を覚えられないのも無理はなかった。

 

「このパンチェッタ。どこで手に入れたのですか?」

 

「幽々子さまのご友人が持ってきたものです」

 

「ほうほう、どのような人物が持ってきたのでしょうねえ~。気になります」

 

「《八雲紫》さまです」

 

 そのワードに右京の目元がピクッと動いた。

 

()()()さんですか……」

 

「はい。幽々子さまと紫さまは古くからの〝親友〟ですから」

 

 妖夢は笑顔で応えた。右京は視線を天井へと泳がせながら「ほうほう」と唸った。その光景を腕組みした誰かが観察しているとも知らずに。

 食材を確認し、ニンニクや卵を発見した右京が香辛料などはないかと訊ねる。数分後、妖夢が「こんなのがあります」と木箱やなどの入れものを持ってくる。

 

 中身を確認すると小麦粉やブラックペッパー、オリーブオイルなどが入っていた。固いチーズは見たところ、パルミジャーノ・レッジャーノだと思われる。

 これは、いい材料が揃っている。右京はニッコリと笑顔を作りながら「アレを作りますか」と微笑む。妖夢が首を傾げるも、尊のほうは「あぁ、アレを作るんだ。白ワインが合いそうだな」とほくそ笑んだ。

 早速、右京は調理に取りかかる。卵と小麦粉を混ぜて伸ばし、できあがったものを一旦寝かせ、削ったチーズと卵とブラックペッパーを混ぜ合わせ原液を作り、幻想郷で作れたと思われるフライパンに少量のオリーブオイルを引いて、パンチェッタを投入。脂で揚げるように火を通す。

 違う鍋では、先ほどの小麦と卵を混ぜたものを茹でるのだが、右京は一リットルに対して1%前後の塩を投入して、妖夢を大層、驚かせた。

 

「本場では、もっと入れるところもありますよ」

 

 と語り、茹で加減を確認しつつ、茹でたものをフライパンに移す。

 軽く混ぜて味を確認。パンチェッタが濃い目だったので塩を振らず、そののち、火を止めてから原液をかけてソースを絡ませ、塩気の強い茹で汁で伸ばしつつ、炎をごく弱火にしながらチーズを溶かして、皿へと盛りつける。最後に追いチーズと多めのブラックペッパーをかけたら完成である。

 

「美味しそうですね!」完成した品を見た妖夢が浮足立った。

 

「さあ、幽々子さんに味見してもらいましょう」

 

 右京がそれを幽々子のいる居間へと持っていった。

 

「お待たせしました。今晩のメニューはーー」

 

 幽々子の目の前に置かれたのは、輝く黄金のソースを纏う麺料理だった。幅広の麺に絡み、チーズの匂いを漂わせる、その逸品の名前は――。

 

「〝カルボナーラ〟です」

 

 ローマ三大パスタに数えられるカルボナーラであった。パスタをうどんを作るように自作。タリアテッレに近いものを用意し、茹で上げてソースを絡めたのだ。

 生卵のソースに熱を通すのも大事だ。この時、強火だとボサボサになる。日本だと生クリームを使う傾向にあるが、イタリアだとほぼ使われない。

 入れるのも入れないのも個人の好みだが、右京は本場風のカルボナーラを作った。

 なお、本場ならパンチェッタをグアンチャーレ、パルミジャーノ・レッジャーノをペコリーノ・ロマーノで食べるのが一般的だが、これでも味は十分だろう。むしろ、幻想郷で食べられる西洋料理としてはレベルが高い。

 右京もそこは理解しており「表で作られるものに比べると味は落ちるかもしれませんが」と断りを入れた上で食べるように促した。

 

「十分、美味しそうよ。匂いだけでわかるわ」

 

「幽々子さま――以前、紅魔館で頂いたフォークです」と妖夢が銀のフォークを手渡す。次は「こちらは日本酒です」と、尊が白ワインの代わりに甘口の日本酒を注いだ。

 

「うふふっ。ありがとう。頂きます」

 

 客人二名に持てなされ、上機嫌の幽々子。これではどちらが客人かわからない。

 しかし、代わりに幽霊を見えるようにするという約束があるので、これはギブアンドテイクだろう。幽々子はフォークでパスタを上品に巻き取ってから口に運ぶ。そして「んーーーーー」と唸ってから。

 

「美味しいわ!! チーズの濃厚さと塩加減が相性抜群ね!」

 

「それはよかった! さあ、妖夢さんもどうぞ、取り分けてありますから」右京が妖夢の分を渡す。「それでは私も」と、彼女もパスタを頬張った。

 

「これ。美味しいですねー! あんなにお塩が入っているのに」

 

「塩はパスタに下味をつけるためのものです。最初こそビックリしますが、慣れるとあれくらい入れないとダメになってしまう」

 

「おソースを濃い目にするとか後から塩をかけるでもよい気がしますが。どうなんでしょう」

 

「それもよいと思います。妖夢さんの気に入るように作ってください。レシピは紙に書いてお渡しします」

 

「ありがとうございます!」

 

「おふたりもどうぞ。ご飯は皆で食べたほうが美味しいわ」

 

 どこまでのマイペースな亡霊の女王。天衣無縫のふたつ名は伊達じゃない。

 

「それでは、お言葉に甘えて」

 

 右京たちも正座で座卓につき、皆でパスタを頬張る。やはり、本場のパスタとは少々異なるが、きし麺のようにもっちりしていて、これはこれで美味しい。塩加減も抜群で、卵にもしっかりと火が通っており、食あたりの心配もない。

 パンチェッタから出る、独特で甘い油と強い塩見にチーズのコクがマッチして、絶妙な味わいが生み出され、舌が幸せ一色となる。本場よりもチーズをやや控えめにしたことで和食中心の女性にも食べやすく作られており、初見でも抵抗なく食べられる。

 生クリーム入りであれば食べやすさが増すが、ここは好みだ。パルミジャーノ・レッジャーノを使ったことでペコリーノ・ロマーノよりも癖が少ないのが理由だろう。日本酒が甘口でフルーティーなものまた乙である。これは尊のセレクトだ。本来はクリーム系に合う本場の白ワインが欲しいところだが、あいにく白玉楼には置いてない。

 お洒落なふたりが作ったこのひと品。幽々子はこれを大層、気に入ったようで、

 

「せっかくだし、聞きたいことがあったら聞いて頂戴ね」

 

 とても上機嫌だった。

 目の前で食器が浮いては料理が異空間にでも吸い込まれるように見えるさまを愉快げに観察しながら右京が「わかりました」と頷いて、質問に移った。

 

「西行寺さんは、どうして亡霊になられたのですか?」

 

「うーん、どうしてかしら……。よく覚えてないのよ。昔のことだから。ただ、この力を閻魔さまに買われてこの地位に就いたというのは覚えているけどねぇ~」

 

「死を操る程度の能力ですか?」

 

「そうそう。死という概念を操るらしいわ。魂は抜き放題、幽霊は操り放題、好き勝手使ったら閻魔さまから怒られてしまう。それくらいの代物――」

 

 天上に右手をかざしながらクルリクルリと裏返しては元に戻す。まるで桜でも待っているかのような儚げな雰囲気だ。「絵になるな~」と尊が魅入るが、右京には見えておらず、声のトーンだけで相手の表情を読み取りとって、話を続ける。

 

「それで冥界に居を構えて、幽霊たちの管理をなさっている」

 

「そうです。おかげで外に行く機会が少ないの。だから、この屋敷にはこの娘とふたりっきり。真面目なのはいいけど、おっちょこちょいで幽霊が苦手なのが玉に傷ってね」

 

「そ、そんな~」

 

「嘘、嘘。冗談よ♪」

 

「うぅ……。酷いですぅ~」

 

 酔いが回り始めた妖夢のリアクションは見た目通り、子供そのもの。これが一たび戦いになれば刀を握って縦横無尽に戦場を駆けまわるのだから驚きだ。

 

「他にはない?」

 

 彼女に言われ、右京が気になっていたことを訊ねる。

 

「生前はどちらで過ごしていたのですか?」

 

 亡霊というのは幻想郷において未練を残した人間の幽霊である。幽々子は特別にこの地位を与えられ、成仏することのない魂となっている。つまり人間として生きた時期が存在するのだ。その話題になった途端、幽々子はほんの少し表情を曇らせた。

 

「おぼえてないの」

 

 ポツリと零し、酒を一口含む。

 

「まっ。寂しくとか悲しいとかそういうのはないんですけどねっ」

 

 ふふんっと、鼻を鳴らす彼女に右京は、

 

「そうでしたか」

 

 視線を落とした。おかしくなったのか幽々子がからかう。

 

「男の人って女のそういう話に弱いわよね。こっちは別に気にしてないのに」

 

「かもしれませんねえ」と、何とも言えない顔で彼も酒を一口。どこか思うところがあったのか、彼女は唐突に自分の父親の話を出した。

 

「以前、友人から聞いたのですけど、私の父――生前は歌聖と呼ばれていたそうです」

 

「歌聖、ですか」

 

「それ以外は教えて貰えませんでしたけど、あまり興味がなかったので深くは訊きませんでした」

 

「歌聖……」

 

 頭の中でその頭脳を回転させ、思い当たるワードを探し始める。その癖が、自身の霊感を下げたのだと指摘されても、生まれ持った性はそうそう変わるものでもない。

 

「根っからの探偵さんなのね」

 

「申し訳ない、これが僕の悪い癖」

 

「悪いかどうかは知りませんけど、霊感を下げる要因になっているのは確かです。修行中は控えてくださいね。でもーー」

 

 視線を手元の御猪口に移しながら彼女は静かに。

 

「何か、心当たりがあったら教えてください」

 

 告げた。右京も静かに「ええ」と返し、酔っぱらった妖夢に絡まれている尊を眺めながら手元の酒をぐっと飲み干した。

 そして、特命係は夜遅くまで雑談して楽しんだのち、来客用の部屋で床に就いた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。