右京らが冥界でお昼を食べている時刻。
人里の裏路地。誰もいない空きスペースで壁に持たれながらボーっとする人物がいた。空を見上げ、自由に飛び交う鳥たちを羨ましそうに眺めては俯き、表通りから聞こえる里人たちの笑い声が耳に入れば、顔を顰める。
そこに別の人影がふらっと現れた。表からやってきた男だった。
急に現れた外来人に身体をビクつかせるのだが、男が両手をあげて「何かしようという訳ではありません。少し気になりましてね。お隣いいですか?」と、優しく語りかけたことで、その人物は警戒を解き「どうぞ」と許可を出した。
ふたりは壁にもたれかかって、静かに果てしなく青い大空を仰ぐ。
「よい青空ですね」
「いつも、こんな感じですよ」
「そうですか」
特に悪気があるという訳ではないが、その人物の態度はどこか素っ気なかった。
「何か嫌なことでも?」
「いえ、別に……」
ばつが悪いのか、パッと視線を逸らし、話題を変える。
「ところで。昨日、鈴奈庵で楽しそうに娘さんと、お話ししていましたよね?」
「どうして、それを?」
「鈴奈庵で読書していましたから」
「そうでしたか」
「……面白そうな話でしたね」
「ん? あぁ……あの
「全世界で人気らしいじゃないですか。触りの部分しか聞いてないけど、衝撃的な内容でした」
「気になりますか?」
「ま、まぁ……」
「せっかくですし、お話ししましょうか?」
「あ、はい」
そこから、男は一時間ほど〝とある漫画〟の話を聞かせ続けた。
第一巻から知っている話数まで、独自の解釈を織り交ぜながら説明。身振り手振りで解説するたび、その人物を楽しませた。
男の話を聞き終わると、その人物は漫画を賞賛した。その後も、漫画の話題を中心に軽い雑談やちょっとした身の上話をして、出会って二時間後に別れる。
別れ際、男性から「明日もここで会いませんか?」と誘われ、待ち合わせ時間を決め、早朝に合う約束をした。
その人物は男性のことを〝他人の気持ちをよくわかってくれる人〟だと思ったそうだ。
男はその足で寺子屋の門を叩き「用事を思い出したので、明日の朝、ここを発ちたいのですが、可能でしょうか?」と、慧音に告げた。
彼女が「博麗の巫女の都合次第です。ちょうどさっき、姿を見かけたところなのでかけ合ってみます」と誠意ある態度で応える。
感謝した男は、すぐ空き部屋に戻った。
☆
彼らの話が終わった頃、妖夢、霊夢、魔理沙の三人が里で買い物をしていた。妖夢が麻で霊魂を隠しながら、箇条書きされたメモを見ながら、あれこれと指示を出す。
小間使いにように動き回るふたり。両者とも嫌々、動いており、特に魔理沙が不満たらたらだった。
「何を作るつもりなんだよ、あのおっさんは……」
「あんまり、馴染のないものばっかりね。西洋料理かしら?」
「不味かったら〝マスタースパーク〟ブチかます」
「その点は、心配ないんじゃない? 料理の腕は確かだし」
「だよなぁ~」と魔理沙が残念そうに言った。
それを見た妖夢が「ほらほら、手を動かしてよ、私一人じゃ買い切れないんだから」と発破をかけて作業をさせる。その後ろから阿求がやってきた。
軽く挨拶してからすぐに妖夢を呼んで、商店から少し離れた人気のない場所に連れていき、周囲をキョロキョロと確認。幽々子の思惑について問いただしし始めた。
「どういうおつもりですか? 特命係のふたりを冥界に呼び出すなんて」
「私にもわかりません……。幽々子さまのご判断ですから」
「あの方々をよく思わない妖怪が出始めてきたのは知っているでしょ。杉下さんは、事件解決の功労者なのですから。もし仮に妖怪に襲われて亡くなられでもしたら、稗田の面子に関わります!」
「す、すみません……」
タジタジになりながら、謝罪する妖夢。レミリアの時は、阿求が同伴していたので、問題なかったが、今回は彼女への断りなしに行われた。
それが、気に入らなかったようだ。
「お願いですから、こちらの苦労も考えてください!」
「ご、ご、ごめんさないっ」
普段とは異なり、威圧的な阿求に言われるがまま、妖夢はペコペコと頭を下げる。
それを見かねたのか、路地裏の物陰から話を聞いていたマミが顔を出した。
「それくらいにしておけ。そやつが招待した訳ではないじゃからな」
「これ以上、里人に不安を与えたくないのです。タダでさえ厄介ごとが増えたのですから」
阿求は不機嫌そうに語った。ふふっ、と笑ってからマミが眼鏡をクイっと動かす。
「そっちのほうも子分たちに観察させておったが今日も朝から集まって密談しておったよ。内容までは聞き取れんかったようじゃがの」
「こちらでもメンバーをリストアップしています。ご心配には及びません」
「ほうほう、頼もしいのぅ~。しかし世の中、何があるかわからん。もしもの時は
彼女が何かを企んでいるような目つきを見せる。対する阿求は冷たく返す。
「大丈夫です。こちらで解決しますので」
「ふむ……
「
「つれないのぅ~里のまとめ役としては正しい判断じゃが」
柔らかい口調で言いながらもマミは目の奥をギラリっと光らせ、阿求も険しい表情をしてみせる。紅魔館では、和気藹々としていても状況が変われば、態度もそれに合わせて変化する。それが幻想郷の住民なのだ。
「あ、あの……」
話の流れがわからない妖夢がふたりの顔を行ったりきたりしながら、震えたように声を出した。さらに今度は妖夢の後方から――。
「なんだ面白そうな話してんな」
「里に妖怪でも出たのかしら」
異変でも起きたか。仕事モードのキリッとした表情と共に魔理沙、霊夢が両手に大量の食材を抱え込んで歩いてやってきた。何ともアンバランスな雰囲気に阿求とマミがガクッと肩を落とした。
「どうして、そんなに買い込んでいるのよ」
「そりゃあ、美味しいご飯を食べるためだ」と言い切る魔理沙。
「量が多すぎる気がするがのぉ」
「たくさん作るのよ」と言い切る霊夢。
「「はぁ……」」
信じて送り出したらこのザマか。マミは舌を出して呆れながら、原因を言い当てる。
「どうせ亡霊に上手く乗せられたんじゃろ?」
「亡霊だけじゃない、おっさんにもだ」
「そうよ」
「「はい?」」
相変わらず、よくわからない返答をする人間ふたり組。彼女らに訊くのは無駄だと悟り、マミが妖夢から直接、事情を訊きだす。数分後、白玉楼での一件を知って、さらに呆れ返ったようで、
「この幻想郷で幽霊が見えんとはのぅ……」
「料理の腕が立つからつき人に教えて欲しい、ですか……」
言葉を詰まらせた。他のメンバーが補足を入れる。
「それと引き換えに霊感を高める稽古をつけてるのよ。私に相談してくれればうちの晩御飯が豪華になったのにー」
悔しがる霊夢。
「おまけにあの優男のにーさんは剣道が強いらしいぜ」
おまけ情報を流す魔理沙。
「お夕飯。何を作るんだろ」
ひとり食材を見ながら今晩の料理を気にかける妖夢。もはや、ただの雑談だ。
さらに慧音が現れ、阿求へ挨拶したのち、霊夢の正面に立った。
「霊夢。明日の朝、時間を取れるか?」
「どうして? 何かあったのかしら?」
「昨日、里にやってきた表の方がな、用事があるから表に帰りたいそうなんだ」
「また表からやってきたのね……。もしかして、杉下さんの知り合いとか?」
「それとなく訊いてみたが、イマイチ話がかみ合わなくてな。聞けずじまいさ」
「ふーん。どんなヤツなんだ?」と魔理沙が口をはさむ。
「品のよい服装に身を包んだ紳士だな。名前は〝ジェームズ・アッパー〟と言っていたが、日本生まれらしい。物腰の柔らかいお方だったよ」
「ますます、おっさんっぽいな……」
「幻想郷に興味を持っていたのは同じだが、人里を見て回っているだけで特に怪しい動きをしている訳じゃない。鈴奈庵で表の漫画の話をしていたくらいだろうな。今日もその辺りをプラプラしていたと語っていた」
「表の漫画ねえ~。鉄の塊みたいなやつが無双するのか」
「そこまではわからん。少なくとも杉下さんのようなお方ではなさそうだ」
「だろうな……」
あんなのが次々に入ってきたら、堪ったもんじゃない。誰もがそう思った。予め、話を聞かせされていた阿求は、少し考えてから「早々に帰ると言っているのだから、返してあげたほうがいいわ。霊夢、お願いね」と巫女に依頼する。
「わかったわ。明日の朝ね」
「一応、杉下さんにも伝えておいて」
「いいの? 疑惑の人物なのに」
「それくらい問題ないでしょ」
「はいはい」
霊夢が頷いたのち、阿求が妖夢のほうを向いて「話が逸れてしまいましたが、杉下さんたちのことはお任せします。用が済んだら無事、里まで連れてきてください――お夕飯の準備に戻って頂いて結構です」と告げ、彼女たち三人は真っ直ぐ、冥界へと戻った。
「何もなきゃいいけど……」
不満げに吐露する阿求を横目にマミが「儂らは〝秘密結社〟を警戒するとしようぞ」と語り、彼女もまた「そうですね」と同意。それぞれの居場所に帰っていった。
☆
冥界では右京が稽古に励んでおり、周囲を漂う幽霊たちを見るべく、座禅を組んでいる。フワフワと動く、人魂を再びこの目で見たい。その想いだけで二時間近くも座禅するのだから、大したものである。
その様子を物陰から尊が観察しながら、午前中に聞いた霊夢たちの会話を思い返す。
「(あの話が本当だとすると幻想郷には長居できないよな……)」
杉下右京が妖怪から敵視されるだけではなく、〝排除論〟まで出ているという話を聞いて彼は「閉鎖的な空間だと思ってはいたが、日本の田舎以上によそ者を毛嫌いするんだな」と不安になり、どうしたらよいのだろうか、と悩んでいた。
当の右京には、食事が終わったらすぐに修行に入ってしまい、伝える機会がなかった。
できたとしても幽々子の目があるので話せずじまい。チャンスがあるとしたら就寝時間だけ。仮に伝えられたとしても「手紙の持ち主を発見するまでは帰らない」と、ごねられるのは目に見えている。なんて説得すべきなのか。尊は答えを出せずにいた。
「はぁ……」
深いため息だった。そこに背後からそっと、
「何を悩んでいるのかしら?」
「!?」
幽々子が声をかけてきた。ニコニコと笑う姿は美しいの一言だが、今の尊にはお世辞を言う余裕はなかった。
「あぁ、いや、その……よくあそこまで修行に熱中できるなぁ~と、感心していたところです」
「長いため息を吐きながら感心するとは器用なのね」
「は、はは……」
両手を挙げて降参のポーズを取って見せたが、幽々子には通じない。
「〝杉下右京排除論〟でしょ? 悩みの種は」
「――ッ」
「図星だったようね。少女たちの話を盗み聴きするなんて。悪い殿方ねぇ~」
「ア、ハハハッ。何のことだかさっぱり」
はぐらかそうとするがもう遅い。顔に出してしまった以上、この亡霊から言い逃れはできない。
しかし、亡霊の女王は相手の不安を取り除くように。
「心配せずとも、ここにいる限りは安全です。変なのがきても追い返してあげます。だから、今はそっとしておいてね。せっかくの修行が無意味になってしまうから」
片目を軽く閉じて可愛く微笑む幽々子に尊は反射的に「わかりました……」と返事してしまう。それを見届けた彼女は屋敷の外へと出ていく。
幽々子の後ろ姿を眺めながら尊は「学生時代。あんな美人がいたら玉砕覚悟でアタックしただろうな」と、独り言のように呟いて、右京の修行が終わるのを静かに待つことにした。