夕方の人里。ひとり暮らし用の部屋で男性は何も書かれていないビジネスマン御用達高級ノートブックに色々なことを書き込んでいた。まるで取りつかれた芸術家のように真剣な表情で。
「よいものができそうだ。彼女には感謝しなくてはね」
時折、複数のスマホを覗きながらカテゴリごとに整理されたフォルダの中身を漁って、別に取り出した数枚の白紙に文章を書き写したり、スケッチを残したり、身振り手振りで何かを考えながら、丁寧かつ迅速にアウトプットし続けるのだった。
☆
ところ変わって冥界白玉楼。台所に立つ右京と尊、それに妖夢たち三人。大量の食材に右京は目を輝かせながら「今日も色々、作りましょうね~」と張り切る。
他のメンバーは作る前から疲労気味だ。今回の幽々子の注文は
「さ、作業に取りかかりましょう」
右京と尊が猪肉の薄切りを何段かに重ね、細切りにしてからひき肉を作り、霊夢たちが玉ねぎをみじん切り。ニンジンなどの具材を一口用に切って、お麩を細かく砕き、解いた卵と肉、玉ねぎを粘り気が出るまで混ぜ合わせる。つなぎには牛乳、アクセントに香辛料が欲しいところだが、なかったので抜いて作った。
魔理沙が「こんなに混ぜるのか!?」と驚くが、右京は「しっかりやらないとダメです」と言って作業を続けさせる。練り上げたものを掌で楕円状に形を形成――中央にくぼみを作り、フライパンで両面に焦げ目をつけてから落し蓋をしてじっくり蒸し焼きにする。
トマトをこしてトマトソースを作り、塩や醤油で味つけ。上からお好みでチーズをかければ完成である。その時間でキャベツ、玉ねぎ、にんじんを紫が持ち込んだとされるコンソメで煮込んだポトフも完成。余った野菜などでサラダを拵え、幽々子の元へと運んだ。
お箸片手に居間で待っている幽々子が「待ってました!」と歓迎する。 右京がお皿に盛られた品を彼女の目の前にコトっとおいた。楕円形で赤いソースがかけられた表の家庭料理――。
「〝ハンバーグ〟です。表の家庭で作られる定番料理です」
「美味しそうね! この立ち上る匂い。たまらないわ!」
幽々子は妖夢が渡したフォークに持ち替えてハンバーグを頂く。
「これも美味しいわ♪ 油がじわって出てくるけど、クドイ感じがしない。肉の味が凝縮されているところが何と言えない味わいを生み出すのねー。洋食っていいわね~。紅魔館のは冷めていて美味しくないのよ」
「ビュッフェだからではありませんかね」
「びゅっふぇ?」
意味が分からず、キョトンする幽々子。右京は補足を入れる。
「テーブルに並べられた料理を各自で取り分ける〝立食形式〟のことです」
「あ~、そーかもねぇ。ささ、杉下さんたちもどうぞ」
いつも通りマイペースな幽々子に思わず笑いがこみ上げるが、流して気を取り直す。
「では、頂きましょうか」
「よ、待ってたぜ!」魔理沙が勢いよく席に着く。
「お酒よ、お酒♪」と酒を催促する霊夢。
「えーと、日本酒、日本酒っと――」いつものようにお酒を探す妖夢。
「相変わらず、カオスだな」
尊は呆れたように呟き、右京が肩を竦めながら諦めるように首を横に振った。未成年が飲酒をするなど以ての外。しかし、法律がない以上、どうしようもない。未開の地の部族に現代文明のルールを押し付けるようなもの。ある意味でエゴだ。
「郷に入れば郷に従えってヤツね。おふたりもどうぞ」
幽々子に促される形で腰を下ろし、未成年ふたりの飲酒を見ないフリをしながら食事を楽しんだ。夜が更け、時刻が二十二時を回ると霊夢が「明日は朝から仕事があるんだったー」とほろ酔いぎみで叫び、魔理沙も用事があるらしく、少女たちは後片づけをせずに帰って行った。
右京が「相変わらずなふたりですねえ……」と、呟いて出来上がっている妖夢に絡まれている尊を楽しげに観察していた。冥界から幻想郷に戻る道中、月明かりに照らされた世界を飛翔する霊夢と魔理沙。
ふと魔理沙が思い出したように「お前、おっさんになんか言うことあったんじゃないか?」と、霊夢に訊ねた。霊夢は首を傾げながら「そんなことあったっけ? あぁ、表の人がなんたらかんたらだったわね~。言い忘れた~」と語り、そのまま自宅へと戻った。
☆
朝七時。人里は今日も冷え込んでおり、凍えた風が身に染みるが、人々はいつも通り活動していた。寒さに身を震わせながら、その人物は大通りから入った裏路地で合う約束をした男を待っていた。
「遅いなぁ」
想像以上に冷え込む。早くして来てほしい。そう思っていた矢先、後方からザッザっ足音が響く。
「遅れてしまいましたね」
男性が赤くなった眼を擦りながら、その人物の前に現れた。
「眠れなかったんですか?」
「ええ、人里の景色を思い浮かべて眠れませんでした」
「あはは……」
その人物が渇いた笑いを見せたが、男性はすぐに「実は今日の朝、表へ帰ることになりました」と申し訳なさげに告げた。
「え……」
「後、数日はいるつもりでしたが、大事な用事を思い出しましてね――これがお別れの挨拶となってしまいます」
申し訳なさそうに語る男性にその人物もショックを隠し切れず――もっと話したかった。その想いが顔に滲み出ていた。
「そ、そうですか――ざ、残念です……」
その人物は咄嗟に俯いてしまう。男性もまた寂しそうにしながら、
「私も――もっとお話ししたかったですよ」
肩をギュッと抱いた。ハグというのは、その人物にとって初めて経験だった。幻想郷では珍しい行為ではあるが、子供の頃、一度は母親にしてもらう機会があるだろう。しかし、その人物にはその経験がなかった。それ故、心に響くものがあった。
「あなたに会えてよかった……」
「私も同じ気持ちです」
たった一日だけの関係かもしれないが、その人物にとってこの男性は親兄弟と同じかそれ以上の存在になっていた。一分間のハグをした後、さりげなくお土産を渡し、男性は惜しむようにその人物と別れる。
それから二時間後、男性は慧音に博麗神社へと連れられ、寝ぼけ気味の霊夢によって無事、表の世界に帰って行ったそうだ。
☆
同時刻、右京は幽々子の朝食を作っていた。本日の料理はヤマメの塩焼き、お味噌汁、漬物、ご飯と純和風だった。妖夢が、幽々子が洋食ばかり食べているのが気になったというのが理由だ。亡霊は太らないのだが、一応、白玉楼の主なので、面子を心配したのだろう。
本人も「確かにそうよねぇ」と考え直し、健康的な和食にしたのだ。箸を器用に使いこなし、塩焼きを食べる彼女の姿は名家のお嬢さまそのものだった。これで突拍子のないことを言い出さなければどれほどよいものか。妖夢は残念がった。
食事を終えるとさっそく修行である。右京は縁側で座禅し、幽々子が幽霊を嗾ける。妖夢は食器の後片づけを終えたら庭の手入れに取りかかり、暇な尊が彼女をアシストする。十年前、ミス・グリーンのお屋敷でガーデニングの手伝いをしていた時期を思い出し「ミス・グリーン。元気にしているかな」と当時を懐かしんだ。
午前中は、特に何もなく昼食はニジマスとジャガイモを使ったイギリスの国民食、フィッシュ&チップスで済ませ、十三時に修行を再開。数時間の座禅に明け暮れる。
目を瞑り、精神を集中する右京。当初、全く見えなかった幽霊が今では輪郭だけなら薄っすらと視認できるようになった。後少しである。
――すぅ……すぅ……。
右京はひたすらに呼吸を整えるだけに力を入れていた。少し前まで幽霊を見るという意識に捕われていた自分を捨てるためだ。常人の何倍も脳を動かす右京が脳をあまり動かさず、静けさを保とうと努力している。目指すは無我の境地――。雑念なき世界。
そう、ここ冥界の静寂を自らの心の中に作り出そうとしている。
そんな様子を見ながら幽々子は「なんか、悟りを得ようとしているわ、この人……」と若干、引いた。幽霊を見る修行がいつの間により高尚な修行へと変化していた。ある意味、右京らしい。幽々子は止めようとはせず様子見するようだ。
禅を組む右京とそれを正座で見守る幽々子。その周囲を幽霊が行ったりきたりしている。全て彼女の差し金だ。
渦巻く霊気の中、静寂を過ごすふたり。時刻は夕暮れにさしかかった。その時だ。右京がそっと目を空けて、幽々子のほうを見る。
「想像よりもずっとお綺麗ですね」
という感想を述べると、幽々子がクスっと、
「ついに見えるようになりましたか。余計な考えを捨てられたようね」
笑った。右京の目には幽々子や自身の側を浮遊する物体の姿がはっきりと映っていたのだ。修行二日目にして霊感を並レベルまで高めたのである。彼は、大きく息を吐き出した。
「少々、戸惑いましたが、何とか幽霊をこの目に焼きつけることができました」
「おめでとうございます。今夜はお赤飯かしら?」
「いえいえ、西行寺さんの食べたいもので結構ですよ。稽古をつけてくれたお礼です」
「あらそう。……じゃあ、遠慮なく」
そして、幽々子が無茶な料理を注文するのだ。〝表のお寿司が食べたいわ〟と。