「で、今からお寿司を作る訳ですか……」
「そういうことになりますねぇ~」
修行が終わった右京に台所へ呼び出され、今日は何を作るのか? また洋食かと思っていた尊はまさかの〝お寿司〟という斜め上のオーダーに困惑する。酢飯を用意して刺身を乗っければいい。そう思われるかもしれないが、
「お寿司って――ここ
と、妖夢が語った。彼女の言う通り、幻想郷に海はない。つまり海の幸が取れない。川魚で代用することになるが、寄生虫がついているので生では危険すぎる。いくら亡霊相手とはいえ、そんなものを出すのは気が引けるだろう。
妖夢が頭を捻りながら「うーん、前に紫さまの頼みで恵方巻きを作ったことならありますが」と呟くと、右京が「ということは捲き簾(まきす)はありますね?」と問う。
彼女が頷くと続けて右京は「海苔はありますか?」と質問を重ねた。「紫さまが置いて行ったものがあります」。妖夢が戸棚を漁り、板海苔が入った缶を空けてみせた。
本物の海苔――しかも、表で売られている品物だったのだ。さすがはスキマ妖怪。何でもありだった。右京は苦笑うしかなかったが「これで幽々子の要望に応えられる」と語る。
「けど、海のお魚がありません……」
「まさか、川魚を生で握ろうなんて思っていませんよね?」と尊が言った。
「そんな訳ありませんよ。僕たちはこれから
「「表のお寿司?」」
妖夢だけじゃなく、尊もイマイチピンときていないようだった。
「さ、酢飯を用意しましょう」
パンっと手を叩いて右京は相棒たちを動かしていく。尊が猪肉やニジマスなどを焼いて塩や甘辛いソースで味付け、妖夢がダシ巻き卵を、右京が酢飯を炊く。
その後、板海苔を用意――右京がソースを絡めた猪肉を適当な大きさに切って、炊き上がった上に敷き詰めてダシを混ぜた醤油を加え、捲き簾で器用に巻いて輪切りにする。
ひとつは海苔を外側に巻いて、もうひとつはご飯を敷いた海苔を裏返し、魚とスティック状にしたきゅうりを一本加え、先ほどと同様に巻き、ゴマをかけて輪切りにする。
妖夢が「なんですか、その料理?」と首を傾げるが、尊は「もしかしてアレかな?」と口元を押さえながら右京の器用さというかアレンジ力を評価した。
次にヤマメやニジマスを茹でて、身を解し、冷やした薄焼き卵を細切り、錦糸卵にしてからシイタケと一緒に具材を寿司桶に盛った酢飯に投入。軽く混ぜ込む。他にも冷蔵庫にある使えそうな素材をシャリに乗せれば完成だ。出来上がった品に右京が「中々、上手く行きました」。尊が「そこらの回転寿司にありそうなメニューだな……」。妖夢が「こんなお寿司、見たことない……」とコメント。
幽々子の待つ居間にお寿司を運ぶ。
「待ってましたー」
両手を口元で合わせて喜ぶ彼女。右京が座卓中央に寿司桶をおく。
「まず一品目――ヤマメとニジマスのちらし寿司です」
熱が通った川魚と錦糸卵、シイタケが入ったシンプルなちらし寿司である。表ではサーモン、マグロ、エビなどがふんだんに使われるが、幻想郷では手に入らない。紫に依頼すれば何とかなるが、そのためだけに呼び出そうなどとは思わない。
幻想郷で手に入る食材と以前、紫が持ち込んだものだけでお寿司を作る。それが右京の任務である。幽々子は感心したように言った。
「へー、ちらし寿司を作ったのね! いいじゃな~い」
「それだけではありませんよ~。表で食べられているお寿司を用意しました――神戸君、説明を頼みます」
合図と共に尊が小さい皿を彼女の前におく。
「はい、こちら猪肉の塩カルビ風でございます」
「あら? シャリにお肉が乗っているわ……」
右京が作った表のお寿司とは、チェーン店で出されているカジュアル層向けのネタだった。海の幸が使えないが、幽々子の注文は表のお寿司――つまり、こういった寿司も含まれるとも解釈できる。左右から覗き込むように寿司を観察する幽々子。
「変わっているけど、美味しそうねー」
「若い世代に人気があります。塩ダレがかかった肉と酢飯の相性は抜群。一度食べたら病みつきになること間違いなしです」
「ありがとう――でも販売員みたいね、アナタ」
幽々子にツッコまれ「アハハ、自分でも何やってるのか、わかりません」と発言。上司の援護に必死な彼の姿を見て「神戸さん、頑張ってください」と境遇が似ている妖夢が心の中で応援した。
右京は笑顔で卵寿司とハンバーグ寿司を食卓に出した。
「ちょっとこれ――小さいハンバーグが乗ってるわよ?」
「これも人気のメニューです」と尊が一言。
「本当!? にわかには信じがたいわねー」
「家族向けの回転寿司のメニューですから。幻想郷には海がないので、ご勘弁を」
右京が断りを入れ、それに対して幽々子がこう返した。
「あらあら、謝らなくていいのよ。元々は私の思いつきなんだから」
当然だ。幽々子以外の人間は皆、そう思った。妖夢が、海苔の巻かれた肉入りの巻物を座卓におき、いよいよ最後の品が登場するのだが、それもまた変わった料理だった。
「最後はニジマスときゅうりの〝ブリティッシュコロンビアロール〟です」
「「ブリティッシュコロンビアロール?」」
幽々子と妖夢がキョトンとしながら首を傾げた。
「何かの技名? スペルカードとか?」
「紅魔館の連中が使ってきそうな感じですね……」
興味ありげに巻物を観察する幽々子に右京が説明する。
「ブリティッシュコロンビアロールは外国カナダのバンクーバーでお店を開いた日本人寿司職人の方が穴子を代わりにサケを用いたことが起源と言われています。他にもアメリカでカルフォルニアロールやフィラデルフィアロールなどの巻き寿司が考案され、日本でも人気のあるメニューになっているのですよ」
「ふーん、まさに、表のお寿司って訳ね」
「ええ。ご依頼通りです」とニンマリする右京。
「さすがですわ――じゃあ、皆一緒に頂きましょうか」
右京ら三人も席に着き、
「頂きます」
と言ってからお寿司に手をつける。ニジマスのちらし寿司、卵、塩カルビ、ハンバーグ、巻物など海の幸が見当たらないが、幻想郷でお寿司が食べられること自体、貴重である。それも表のお寿司とあればなおのこと。
ちらし寿司を頬張りつつ、ブリティッシュコロンビアロールを食した幽々子は「おにぎりみたいで美味しい」と語り、尊が「確かに具材だけ見ればおにぎりかも」と零し、右京が「もっと味付けを考えるべきでしたかねえ~」と悔しげに呟き、笑いを誘った。
マヨネーズやアボカド辺りがあれば、本場の味に近づいたかもしれない。その後もいつも通り、日本酒片手に食事を堪能。妖夢がいい感じに酔っ払い、お開きとなった。ちなみに尊は愚痴を聞かされまくったらしく、彼女のことを〝プリティ陣川〟と呼んでいた。妖夢の相手を部下に任せ、右京は食器を洗っていた。
途中から尊も加わり、四十分ほどで食器の整理を終わらせ、疲れ気味の尊が先に部屋に戻る。
台所には右京ひとり。と思われたが――。
「西行寺さん――いるのでしょう?」
「あら、バレちゃったわね」
物陰から幽々子がそっと現れた。尊には気配を感じられなかったが、彼女の近くにいる時間が長かったこともあり、右京にとってはその気配を察知するのは容易かった。
「大分、霊感が上がったんじゃなくて」
「かもしれませんね」
両手を拭いた右京が彼女の顔をふと見やる、ニコニコと笑っているのだが、どこか真面目さが見受けられた。
「どうかなされましたか」
「少し……。お話ししません?」
彼女の申し出を断る理由はない。右京がコクンと頷くと幽々子は自慢の庭園まで彼をつれ出した。いつもは幽霊たちで溢れている庭園だが、その時に限って見物客の姿はなかった。幽々子は右京を庭園の一角へ案内。とある桜の木を紹介する。
「これは〝西行桜〟よ。ご存じかもしれないけど」
「幻想郷縁起で記事を拝見しました。かつて妖怪化した桜でしたね。誰かの手によって封印されたとか」
「そうよ。そして、その封印を解こうとしたのが」
「他ならぬ〝あなた〟」
「正解」
かつて歌聖がこの桜の下で亡くなったのがきっかけで同じように自殺する人間が後を絶たず、妖怪化してしまい〝西行妖〟とまで揶揄された。それに心を痛めた者が封印を施し、西行桜は二度と咲かない桜となって、冥界へ移された。
施された封印を解くべく、異変を起こしたのが幽々子である。霊夢たちの活躍により復活は阻止され、レミリア同様、良好な関係を築いている。西行桜は冥界に足を運んだ見物客が必ず見て行く観光スポットとなり、多くの幽霊たちがこの木の前で行列を作っている。幽々子は桜の木にそっと手をおいてから呟く。
「ほとけには 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」
綺麗な声で歌が奏でられた。そこに右京が続けるように、
「願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ」
歌を詠んだ。幽々子が振り向いた。
「あなたが考えたの?」
「歌ったのは《西行》という歌人です」
「西行?」
彼女は首を傾げた。彼が補足する。
「西行――本名、
西行は実在した歌人である。裕福な家の出でありながら出家――優れた歌の数々を世に送り出した。松尾芭蕉などの偉人にも影響を与えたとされ、その功績が揺らぐことはない。
彼は花や月に関する歌を詠むことが多く、余計な技巧に走らないその歌風はそこまでも素朴かつ儚いものだった。ふたりが歌ったように。
幽々子は無関心を装いながら西行についての情報を催促する。
「ふーん……。他には?」
「そうですねえ……」
桜を眺めながら、考えている素振りを見せつつ、右京がそっと、
「とある逸話なら」
と零した。まるで狙ったように。
「逸話?」
「ええ」
「……聞いてもいい?」
彼女の要望に右京が応える。
「西行が出家の際、四歳になる愛娘を縁側から泣く泣く蹴落とした――というものです。この出来事を歌ったのもが『惜しむとて 惜しまれぬべき 此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ』になります」
「……」
珍しく幽々子が無言になった。彼女の表情は何とも言えないもので、いつもの余裕あるお嬢さまの顔は消えていた。右京は続ける。
「後、この四歳の娘は
意味深な顔つきで幽々子を見やってから「言うべきではありませんでしたかね……」と言葉を濁す右京。幽々子に父親のことがわかったら話すように言われていたので桜、西行寺、先ほどの歌から答えと思わしき人物を導き出しただけに過ぎなかったが、思った以上に効いたようだ。
紳士の同情を悟った彼女は、扇子で口元を覆いながら、ふふっと笑って続きを語り聞かせた。
「目の前の女がその〝西行の娘〟かもしれない――でしょ?」
「……さあ、僕にはわかりません」
右京は他にも西行を題材にした能楽《西行桜》が存在することを思い出し、彼女との共通点が多いなと考察しながらも、幽々子の表情を見て、すっとぼけることを選んだ。すると、幽々子は内心、イラっとしたらしく、
「何よ……。気を使っちゃって。……今更ね?」
と不機嫌そうに言った。右京が弁明する。
「そっとしておいたほうがよいこともありますので」
「遅いわよ」
「申し訳ない、それが僕の――」
「「悪い癖」」
「おや……」
「言うと思ったので被せました」
彼女はべー、と舌を出しながら、右京へ反撃。彼は両手を挙げながら困ったような演技をしてみせた。白々しい、と言いながらも幽々子は楽しそうにしていた。少し、間をおいてから彼女がクルリと背を向けながら言った。
「私には記憶がないから、あなたの予想が当たっているのかわからないけど、それはそれで
「そうですか」
幽々子が続けざまに言い放つ。
「――これで〝西行の娘〟を見つけたという手土産もできたことだし、心残りなく、表にお帰りになれるわね。
その言葉で、右京は彼女の言わんとしていることを理解して、無言になった。