瞼を開けると、目の前は真っ白だった。
仰向けから上半身を起こしても目の前は真っ白で、上下感覚も距離感も全くもってわからない。妙に暖かい無風の空間の中、自分の姿は一糸も纏わぬ産まれたまんまの姿。
で、俺は一体何をしてたんだっけ?
昨日は確か結城リトの誕生日で……俺はプレゼントとして西連寺から貰ったジョウロで、ララのプレゼントであるセリーヌに水をあげて……いたところまでは思い返すが、そこから先がわからない。プッツリとそこで記憶が途切れていた。
夢にしては妙に思考や意識がハッキリとわかる。まさか、この『ToLOVEる』の世界で過ごした時間は全て夢で、自分は今から元の世界へと戻るのだろうか。一瞬そんな事を考えてしまったものの、一向に何かが変わる気配は感じられない。むしろ、妙に暖かくて……優しい感じがする。
だとしたら、ここは一体なんなのか。そもそも、なんで俺はこんな所にいるのだろうか。
「私が呼んだから……」
唐突に声のした方へ振り返ると、そこにはひとりの少女がたたずんでいた。見た目は美柑と同年代ぐらいだろうか。顔には幼さが目立ち、肌は雪の様に白い。姿は俺と同じく、一糸も纏っていない、産まれたままの姿だった。
若草色の髪の毛に澄んだ緑色の瞳。桃色の花弁を付けた大輪の花を根に下ろした頭部。
あぁ、俺は知ってる。この子も『ToLOVEる』のキャラクターだ。その姿は漫画でも見た事はない、完全に初めて見る姿だったが、俺はわかった。
「セリーヌ……」
そう呟くと、彼女は少しだけ顔を傾けて、微笑んだ。
「ふふっ、セリーヌ。それがわたしの名前なのね、えーと……『結城リト』……で、いいのかな?」
「……あぁ。もうよくわかんねぇけど……俺は『結城リト』だ。たぶんな……」
なんかわからなかったが、ぶっきらぼうに言い捨てるしかなかった。全裸の姿のまま、俺は偉そうにあぐらをかく。視線はセリーヌに向けたまま。
「一体全体何なんだ、これは? どうなったんだ……」
「わからない、でも……安心して。あなたは『結城リト』 それは変わっていないわ」
そんな事どうでもよかった。俺が聞きたかったのは、どうして今お前と邂逅したのか。ララ達、あいつらがいた世界はどうなっているのか。
「落ち着いて。ひとつひとつ、説明してあげるから……」
まるで俺の頭を覗いているかの様な口ぶりに、思わず言葉が詰まった。それでも彼女は優しく笑いかける。
「昨日、あなたとわたしが初めて出会った。あなたはあのわたしの姿を恐れる事なくわたしに触れた。その時……微かな違和感を感じたの」
「違和感……?」
「そう……まるで幽霊の様に不鮮明で、此処に居る様で此処にいない様な、不思議な感覚。私があなたに興味を持つのに時間はかからなかったわ。あなたの事を知りたくなった。あなたと対話したかった。だから、隙を見計らってわたしはあなたを呼び寄せたの」
俺は、悟った。
「……つまり、図らずとも俺の中を覗いてしまったんですね」
「うん……最初はとても信じられなったけれど、それでも驚きの連続ばかりで、楽しくて、幸せで……悲しかった……
……見てしまった……あなたの根元を」
彼女の告げる言葉は、会話文になっていなくて、俺は聞きたくなかった、筈なのに俺はそれでも彼女の言葉を一語一句聞き逃さない様にして、衝動的に彼女に近寄りたくて、俺は立ち上がった。背の小さな彼女と、真っ直ぐに対峙した。
その瞬間、微笑む彼女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「ゴメンね……キモチがまとまらないの。でも、これだけは言わせて……」
「あなたは、あの時全てを失った訳じゃない。今、あなたの手の中に残っているものは、生きとし生きる限り人を愛す人間、誰しもが持つべきもの…………だから、自分自身に絶望しないで……前に進んで…………この世界には今のあなたを『結城リト』じゃなくて、『あなた』自身の事を好いてくれる人がいるわ。だから……応えてあげて……」
慰めの言葉なら要らなかった。同情の言葉も要らなかった。誰にも理解されないと思っていたから。誰も俺の存在など知る由もないと思っていたから。全ては都合の良い世界だと疑っていた。もう全て戻らないと思っていた筈だった。
だが……それは目の前に現れた。
自然と涙が零れた。
「いい? わたしはあなたの全てを受け入れる……」
俺はされるがままに、彼女の小さな腕の中へと包まれた。
年頃もいかない全裸の少女に抱き締められるという何とも情けない、絵図ら的に通報されかねない様な光景だったのかもしれなかったが、俺はそのか細い彼女の肢体をへし折らんばかりの強さで抱きしめた。震える両手を誤魔化すかのように、その素肌へ手をすがらせた。
「俺は………………此処に居て………………いいんだよな?」
「はい……」
「この世界は…………夢でも、幻想でもないんだよな?」
「はい……」
「あいつらは…………確かに生きているんだよな?」
「はい……」
「良かった……」
彼女は、ただただ頷いてくれた。
後になって考えれば、彼女にもこの世界の事などわかっていなくて、ただ俺に合わせてくれたのじゃないかと思ったのだが、それでも嬉しかった。
自分を知っている理解者が、此処に居た。
やがて心が穏やかに静まり、俺は静かに彼女から離れる。その身体には力任せに抱きしめた俺の痕が赤く残っていた。
「俺は…………散々迷走した。ただひたすら他人の愛や幸福を搔き集めれば、後悔も楽になるかと思ったが、実際は違った。空虚な穴が広がるだけだった……」
俺は自分の手の平に視線を落とし、それを握り締める。
「今は違う。愛と幸せは拾うもんじゃない……自分で作るんだ…………今度は間違えない様に…………あいつと一緒に……」
「やっぱり……あの人が好きなのね……」
「あぁ……」
彼女は笑いかける。屈託のないその笑顔に、自然と俺も口元が緩んだ。
ようやく、俺はこの世界に来た意味がわかったかもしれない。だからこそ……果たすべき事を果たさなければならない。
勇気を出せば、今度は届く……
彼女は大きく背伸びをした。
「さ〜てと……知りたい事は知れたし、言いたい事も伝えられた。そろそろお別れの時間ね……」
「なぁ……お前とはまた会えるんだよな? あの……子供の姿じゃなくて……」
「ふふ、どーかしらねー。でも、心配しなくていいよ。すぐ、会えるんだから……」
「……そうだな、必ず……こんな所じゃなくて、現実の世界で……」
セリーヌは俺に抱きついてきた。俺はそれを黙って受け止めた。
「頑張って。私はあなたを知っている、繋がっているから……」
「あぁ……」
微笑む彼女と瞳を合わせていると、目の前が真っ白に染まっていった。
ただ、彼女が最後まで見せていたあの笑顔は、俺の頭の中から消えることはなかった。
・・・♡・・・♡・・・
声が、聞こえる。俺の名前を呼ぶ声が、聞こえる。
「リトー? りーとー」
「んぁ?」
目を開けると、眼前にララの顔面が広がった。太陽の後光が差して、一瞬誰だかわからなかった。
「なんでこんなトコで寝てるの?」
彼女の言葉を頭から受け止めながら、俺は立ち上がる。周りは結城家の見慣れた庭。顔を見上げると、そこには体長数メートルはあろうかという馬鹿デカい大輪の花を開いた植物が、花粉を出す中心部にある唇から鼻ちょうちんを膨らませて爆睡していた。
どうやら、俺は寝ているセリーヌに寄りかかって寝ていた様だ。
「ん〜……ちょっと日差しが良かったから、ボーっとしてたら寝てた……」
「え〜? リト、おじいちゃんみたいー」
混じり気のない笑顔でララは笑う。俺が一体何を見たのかは、言えるわけがなかった。
「ララ……」
「ん、なぁに?」
俺の声に、近かった距離を更に詰めて目を合わせるララ。桃色の髪がそよ風でなびき、エメラルドグリーンの瞳が朝日に照らされる。
動揺しているのが、わかる。俺が彼女に何を思っているのか、わかる。
手を伸ばせば、すぐ届く存在。なのにその手が止まろうとするのは、ひとり残された母さんを思い出してしまうから。もう会えるのかどうかも定まらないまま、前に進む事が怖かった。
けれども、俺はもう独りじゃない。『俺』を見てくれている存在がいる。目の前にも……
「いや、なんでもn、…………今日は、出かけるぞっ」
「ホントに!? やったー!!」
満開の笑顔で飛びつく彼女を両腕で受け止め、勢いのまま庭の中央で回転する。近所迷惑も構わない。ただこうしている事が、楽しかった。
頬ずりまでしてくるララを許して俺は今一度、寝ているセリーヌを見上げる。彼女と真に邂逅するのはもっとずっと先の事だが、今は気長に待とう。
不安はあるけど…………俺は前に進む。
俺は……こいつを愛してる。