日曜日。僕は千花の親父さんに誘われ、釣りへと来ていた。
ここは五島列島。長崎県の西に位置する日本屈指の釣りスポットである。
国家公務員をしている藤原さんは、その職業に見合い、恐ろしく忙しい。彼自身も政治家として中々の辣腕をふるっているようだ。
とはいえ公務員の例に倣って日曜日は休みである。
その休みの日の大半も、彼の弟(現職の大臣さんね)に付き合い、他政治家との社交とか、料亭での話し合いとか、最近の国政に関する勉強会とかで潰れているが、出来るだけ日付を調整して、家族との時間を作るべく奮闘をしている。そんな休日に、僕は誘われていた。
「いい天気ですねぇ」
「そうだね。……お、一匹、釣れた。イナダだね」
「こっちも来ました。……ハコフグですね。サイズも小さい。食べれません」
幸い釣り針も深くない。丁寧に針を抜いて、まだ息があるうちにリリースしてやった。
五島列島は、日本屈指の海釣りの名所。釣り上げた魚を処理してくれる店も沢山ある。今晩の献立用と、お土産用に色々と釣っておかねば。
気合を入れた僕と藤原さんは、再び椅子に座って釣り針を垂らす。
春とはいえ海上、直射日光が降り注ぐ。暖かい春。麦わら帽子に、ジャケットという身支度を見れば、政治家ではなくその辺のおっさんにしか見えない。
しかし、藤原家は間違いなく金持ちエリートなのである。
だってここ、藤原家保有の自家用フェリーの上だし。運転してるのは藤原家の使用人さん。流石にフグ調理師免許取得者はいないが、台所には魚専門の料理人も同乗している。
「急に誘って悪かったね。長崎で仕事があったんだが、スケジュールが開いてしまってね。東京に戻るのも大変だから、こちらで適当に観光にと思ったんだが、男一人だと退屈でね」
「いえいえ、千花さんも来て良かったと言っていました。移動は飛行機だったので楽でしたし」
「そうか、それは良かった。岩傘君のご家族も元気かね?」
「父も、……母も妹も、全員元気です。その節は何かとご心配をおかけしましたが、家の方は平和にやってますよ。……おっと、釣れた。タコですね。これは捌いて貰いましょう」
冷静に考えれば、許嫁の父親と二人だけ、というシチュエーションなのだが、緊張は無い。
岩傘家と藤原家。親と子供を両方合わせると、人数は四人+五人で九人。しかしその中の三分の二は女性。つまり僕と、僕の父と、藤原の親父さんの三人しか男が居ないのだ。必然、距離は近くなる。お陰で昔から、可愛がって貰っていた。
女性陣(千花と、萌葉ちゃんと、僕の妹だな)は仲良く買い物に出かけている。
「千花はどうだね、学院では。奔放すぎやしないかと心配なんだ。豊実の例もあるからねぇ」
「人気者です。後輩受けも良いので、人脈が凄いことになってます。あんまり詳細を言うと、僕が千花さんから怒られてしまうので、ご容赦下さい……。でも心配することは無いと思います。先生からも良い評価を頂いて居るようですし、四宮さんみたいな親友も出来ましたから」
藤原さんが千花に過保護でありつつも、少々締め付け……というか躾が厳しいのは、豊実さんという前例があるからだ。豊実さん、千花のお姉さんで、ものすっごいダイナマイトボディのお姉さんである。子供の頃から見知っているが、僕は頭が上がらない。
とはいえ藤原さんの躾は、奔放すぎないように、という程度の物。何から何まで禁止されているわけではなく、健全な男女の交際において必要な知識くらいはOKを貰っている。
「そうか。君が居てくれるのは助かるよ。……逆に、君の悩みなんかはないかね? 出来る限り力になりたいと思っている。岩傘には、本当にお世話になった。感謝してもしきれない」
「……実を言えば、少し、なくはないです」
「ここには男二人きりだ。胸襟を開いて話してくれるかい?」
藤原さんの目は、娘婿を見る瞳であった。
◆
さて、ちょっとばかり昔の話をしよう。
ある男二人もしくは三人の物語だ。
便宜上、この二人をI氏とF氏と、F氏の弟と呼ぶことにする。
I氏とF氏は親友だった。学生時代、秀知院学園で出会って、金や権力、コネとしての有望さ諸々の下心、打算などとは関係なく友情を築いたという。
そんな中の良い二人にF氏の弟が加わり、三人で様々な武勇伝を作り上げたそうだ。
さてI氏は、大学を卒業後、若くして、さる大企業の重役に就任した。といってもI氏の実家が経営している企業に、身内人事で入った形である。
一方のF氏はと言えば、大学を卒業後、官庁に入った。F氏の実家は代々の政治家だったから、F氏も当然のように政治家になった。
社会人になっても、I氏とF氏の交流は続いていた。
長期休暇が同時に取れれば一緒に遊びに出かけ、互いの惚れた女性の話をし、後押しし合い、応援し合い、結婚式に涙し合う友情であった。
さて――それから暫くの時間が経過する。
互いに家庭を持ち、子供にも恵まれた。
I氏は重役から取締役に出世し、F氏も官庁での地位を高めていった。
F氏の弟も無事に政治家になり、順調に出世していった。
そんな中、さる騒動が起きた。
時の内閣と国会の主導の元、幾つかの新しい省庁が発足したのだ。つまりポストが生えたのである。多くの政治家達はこれに飛びついた。上手くいけば官庁のトップになれる。野望を胸に、口に出すのも憚られる暗躍、諜報、賄賂、汚職、天下り、その他山々大規模な政治闘争が繰り広げられたそうだ。
ところがF氏ら兄弟は、飛びつかなかった。
元々が能天気だった(I氏の台詞である)ことも幸いし、政治闘争からは距離を置いて、真面目に執務に取り組んでいった。政治家は割と腹黒いこともするのだが、F氏は割とクリーンに近かった(いや、無論灰色ではあったようだけどね?)。
で、此処に、爆弾が落ちた。
政治家達の、その暗躍が、リークされてしまったのだ。
どこから情報が漏れたのかは定かではない。犯人も今もって不明。一流新聞社からゴシップ紙まで、政治家の誰誰がどこどこで賄賂を贈ったとか、どの人物が密約を交わしたとか、その辺が詳らかに明るみに出てしまった。
こうなっては新省庁への就任どころではない。政治家は自己保身に必死になる。
余りの多さに、時の内閣総辞職や、国会の解散まで行われた。
それが今から10年ほど前の話である。
10年も経てば歴史の教科書に掲載されるし、当時の混乱も収まる。『ああそんな事もあったなあ』と国民の大部分には、過去の話になっている。当時は国内外を問わず、報道の嵐だったそうだが、そこは枝葉なので割愛。僕が小学生にもなってない頃の話なのだ。詳しく知りたきゃ図書館に行け、である。
さて男達の話に戻ろう。
F氏ら兄弟は、そんな政治闘争とは離れたところで執務をしていた事もあり、国民から高く評価されていた。
I氏はここで動いた。兄弟の背中を押したのだ。所謂、選挙管理委員会、参謀役として彼らを応援したのだ。ポストを取りに行くべきだ、と。
当時の情勢的に、早急な国の立て直しが急務だったのもある。
はいそこ、思ったよな?
それ本当に「友情」だったの? と。
I氏がF氏の為に何か暗躍してない? 新聞社へのリークとか手伝ってない? と。
何もしてなかったのである。
少なくともF氏らとI氏にとって、情報リークは寝耳に水だった。
そして国の一大事と、彼らは善意のみで動いたのである。
最初は僕も大分、懐疑的だった。政治家のF氏と、親友のI氏。両者の力が合わさった背後には、どんだけ多くの『内緒話』が行われたかわかったもんじゃない、と。
ところが、この友情という点に関してだけは、真実本当だった。
I氏は同級の親友に対し、何かしらの利益どころか口約束も交わさずに全力で力を貸した。彼はF氏が政治家として上に立つべき人材だと信じていて、彼が善良で、私腹を肥やすタイプではなく、全力で国家の為に働く性格だと知っていた。
その親友F氏も、I氏の説得で動いた。心からI氏の助力を喜び、忖度や、秘密の便宜を図ることなく、喜んで後押しを受け取ったのである。
それから暫くの後、F氏は、無事に国家の要職に就くことが出来た。
そして更に言えば、F氏の弟は、F氏とI氏のバックアップを受け、大臣に就任する。
さて何とか政治が落ち着いた頃になり、F氏は、多大な恩義を受けたI氏に対して『何かお礼をしたい』と考えたのだ。
そして彼は結論を出した。
『私の娘を、君の所に入れてくれないか、と』。
……まあ長くなったが、要するに、それがI氏こと僕の親父と、F氏こと、彼女:藤原千花の親父さんの話である。
元々、家レベルでの交流があったので、彼女の事は、幼い時分から知っていた。最初に出会ったのは……記憶が定かでもないくらいに小さい頃。それが一緒の幼稚園に通い、一緒の小学校に通い、まだ異性として認識するかしないか位の頃に『許嫁』になった。
それには、感謝をしている。
藤原千花は、良い女性だ。可愛く、淑やかで、時には狡猾だが、それも素敵だ。スタイルも顔も良いし、技芸に秀で、社交性にも富んでいる。ちょっと天然もあるが、それも保護欲を掻き立てるし、あらゆる年代に受けが良い人柄を持っている。
しかし、それはそれで――悩みは、ある。
◆
「……時々、心配になります」
「ふむ」
「僕は千花さんと許嫁になりましたが、それは偶然、巡り合わせによるものです。だから思います。僕で良いのか。ひょっとしたら僕より良い出会いがあって、僕は単純に先手を打っただけなのではないか。彼女が僕を慕っているのは、……結果論でしかないのではないか」
「君は千花が嫌いかね?」
「まさか。好きですよ。……ただ」
「昔からの幼馴染が許嫁になって、愛情が本物か分からないと不安で、彼女の意思を限定させていないかと心配だ、と」
「……そうです」
「また子供らしくない面倒臭い悩みをしているねぇ」
「……よく言われます」
僕は許嫁であることを心から有難いと思っている。まあ千花も、笑って肯定している。しかし不安はある。その笑顔が本当に心から、僕を『愛』しているからこその物なのか? と。
若いなぁ、と藤原さんは言った。その顔は楽しそうだ。
聞いてみれば、なんでも僕の父も、まだ若かりし頃、同じ相談を藤原さんにしたらしい。……まあ確かに母周りに関しては(色々あるので今は濁しておくが)そりゃなあ、荒れるよなあ、というのが感想だった。
親子だね、という藤原さんの言葉に、頷く。
「気にすることは無いと思うがね。本当に千花が君を好いていないなら……あるいは、心が変わって君より好きな人が出来たのなら、それが君には分かる筈だ」
「……そういうものですか」
「そういうものだ。それに『許嫁』と言うのは、強制ではない。千花と君が互いに納得して解消するなら、それはその時だ。岩傘とも、それは約束してある。だから君は、君なりに一生懸命、千花と過ごしなさい。のんびりしていると、学生生活はあっという間に卒業まで行ってしまうよ」
「そんなものでしょうか」
「そういうものだ。私としては、君の事を信頼し、信用している。千花を任せて良いと思っている。だが気負う必要は無いよ。傷物にしたら責任を取ってくれれば良い」
「それは、勿論心得ておきます」
最後の一瞬だけ、父親の真剣な目になったが、それ以外は非常にのんびりとした顔だ。
再び釣り竿に向かい、水平線を眺めながら時間を過ごす。
僕がウツボを引っ張り上げるのと、携帯電話が震えたのは、同じタイミングだった。
◆
とりあえず釣り上げたウツボは、藤原家の護衛さんにお任せして、僕は陸地に戻った。
メールで『早く来てー合流しましょー』と一言だけ書かれている。
何かトラブルでもあったのかな、とタクシーを拾って指定された場所に向かうと。
荷物の山があった。
「いーちゃんいーちゃん、沢山買っちゃいましたー! ――手伝って下さい?」
「持ちきれないほど買うなよ。要件はそれだけか?」
「んー。もう一個ありますね。どうでしょう! 何か気付かないですか?」
くるりん、とその場で回った千花を見る。
ははあ、なるほど。衣装が新しくなっている。桃色から黄色に。どっちも彼女に似合っている。
スカートがふわっと広がって、白い肌が見えて、くるくるくるんと回って僕の方に来たので、腕を広げてキャッチした。すぽんと彼女が腕の中に納まる。ううむ、香水も変えてあるな?
「……一番に見せてくれたのか? 似合ってる」
「ほうほう」
「千花らしい香りがする。ドキドキする」
「ふむふむ」
「暖かくって柔らかくて魅了された。このままずっと抱きしめてたい」
「そうですかー、そうですかー」
にへへとふやけた笑顔になって、じゃあと彼女は続けた。
周囲から「いちゃつくカップルめ!」みたいな視線を感じた。通行人だけではない。萌葉ちゃんや僕の妹も混ざっている。だが気にしない。気にするのは後で良い。今は感じてたいのだ。
「えへへ、そういう事です。まだまだありますから、今度、個別でファッションショーしてあげます。だからほら、持って帰りましょう!」
「了解。そういう事なら、頑張るか」
幸い母のお陰で身体は鍛えてある。彼女の買い物に付き合うのもこれが初めてではない。
荷物持ちをして、千花の可愛い艶姿を堪能できるなら、お安い物だ。
「安心して下さいね」
「ん?」
静かに耳元で、囁かれる。
「私がこういう姿を見せるの、家族以外には、いーちゃんだけですよ?」
「……!」
危うく荷物を取りこぼし掛けた。
僕の内心を知ってか知らずか、彼女の一言は、若干不安だったもやもやを吹っ飛ばす。
彼女とうまくやっていけるか、という心配は杞憂なのかもしれない。
……僕はとっくに彼女に、釣り上げられている。
あ、ウツボは捌いた上でのお土産になりました。
御行氏、生魚を捌くのはダメっぽいからね。脂分が多いので湯引きするといい感じになると調理方法も教えておきました。
実家で堪能して貰えたらしい。よかったよかった。