世間では「妹が居るのが羨ましい」と主張する人間が一定数居る。
だが言わせて貰えば、妹が可愛いのは幻想だ。
そりゃあまあ、可愛くないとは言わない。昔は可愛かったなと思う事もある。もうちょい互いが成長すれば「元気?」「まー元気」位の、普通の会話は出来るようになるだろう。
しかしこっちは高校生、向こうは中学生。
中学生の女子は、それはもう扱いにくい。ものすっごく扱いにくい。思春期であり、年上の男性に複雑な距離感を抱き、こっちが悪いことをしてなくても何故か機嫌が悪い。何か言えば「ウザい」だし、逆に何もしないと「邪魔」と言われる。
どうすれば良いんだよ! と言いたいのは僕だけではない筈だ。
軽く話題に出したことがあるが、御行氏の妹:圭ちゃんも似たようなものらしい。
世間で「妹が可愛い」と言われるのは、そうした身内にしか見せない姿を、まーったく外では見せないからだ。女が外面を取り繕うのが上手なのは、別に何歳でも変わらないらしい。
とはいえ――。
「お義兄さーん、こんにち殺法! お待たせしました!」
「こんにち殺法返し! まあこっちの予定が早まったからね。急かして御免」
「あ、今日はかぐやちゃんと……噂に聞く白銀生徒会長さんもご一緒なんですね! ちょっと嬉しいです!」
千花の妹:萌葉ちゃんは可愛いと思う。
この娘が自分の義妹になるのは、とても良いことだと思う。
「萌葉ちゃん、荷物持とうか」
「えー、それくらい自分で持ちますよー。相変わらず私にダダ甘なんですから」
「そりゃあ未来の妹だしね」
「その愛情、キーちゃんに別けてあげて下さいってば。でも嬉しいですよー」
いや
僕は内心でわーいと小躍りしながら、彼女に傘を差しだしたのである。
◆
「すいません! 今日、用事があるんで……萌葉の方、お願い出来ませんかー?」
とお願いされたのは、本日朝の事。
先日の石上会計の尽力もあって、フランス交流会の後始末は無事に終了した。その際に僕が多大なダメージを受けたことを、無事と言って良いかはさておき、無事に終わったのは確かだ。
僕の家と千花の家は隣。中等部までは歩いて五分。出向いて一緒に帰るのは何も支障がない。
我が妹は憂さんを連れ、部活動で必要な道具を買いに行くとの事。僕の家も車は出せない。
『今日は歩きになってしまうけど、それで良いなら』と僕は頷いて、その日の昼間、萌葉ちゃんに連絡を入れた。
『お義兄さんから電話来るとはちょっと驚きましたー!』
「そうかもね。……じゃあ、また、放課後に連絡を入れるので……。はい、僕が中等部まで行きます。雨降っているんで、無理しないで」
『待ってまーす!』
家族ぐるみの付き合いなので、僕の携帯の中には、千花のみならず、豊実さん萌葉ちゃんの番号も入っている。何故か大地さんと万穂さんの番号まで入っている。
『困った時には連絡しなさい』と言われているが、幸いにして政治家の先生にお世話になる程、困ったことには遭遇していない。まだ。
千花の方はと言えば、僕の父・母・妹・憂さんの番号を知っているらしい。両親は兎も角、憂さんと妹と相手に何を話しているか気になるが……藪蛇は勘弁なので今まで尋ねたことは無い。
さておき無事に片付けも済んだので、今日はオフになったのだ。
「連日の疲れもあるからな。しっかり休んで、明日からまた色々と宜しく頼む」
と、こういう感じで本日は解散になった。
此処でちょっとかぐや嬢が御行氏への牽制を投げた。
『送迎の車がパンクしたらしくて今日の迎えはない。歩いて帰る』と発言したのだ。
いやいや、それはちょっと無理があると思うが……と耐えていたら、石上が突っ込んだ。僕の言いたい事を代弁する。話したら恨まれることをあっさり口に出す。
「え、副会長の家ならタイヤ交換とか一瞬で終わるんじゃないです?」
ストレートまっしぐらが直撃した。
そりゃそうだよな。何時ぞや、御行氏がかぐや嬢を自転車の後ろに乗せて通学してきたことがあった。あれと同じような出来事は早々起きまい。仮に起きても即座に交換くらいは出来るだろう。タイヤがありません、なんて状況は金で何とでもなる。
だがそれを口に出すなよ……!?
「何時もの送迎車が無くても代車くらい用意するのは簡単ですし、今から連絡すれば良いんじゃないです?」
地雷原でタップダンスを踊った後に、正論でボディーブローを叩き込む石上。なまじ的中しているだけに、かぐや嬢も恨めしい顔で睨んでいるが、反論できないままである。
生徒会に入ってきて以後、彼の言葉のキレは鋭くなる一方だ。ひょっとしたら僕と千花への苛立ちが彼の舌鋒を鋭くさせたのかもしれない。だがそうだとしても、石上、お前は少しブレーキをかけるタイミングを考えるべきだ。死ぬぞ(主にかぐや嬢からの殺気で)!
「タクシーって手段もあるじゃないですか。財布に十万円とか入ってますし。まさか副会長の事です、そこまで思いつかないとか無いでしょう。ひょっとして歩いて帰りたかったとか?」
「は、はは、石上会計? 余計な詮索は命を縮めますよ……? 貴方の言葉は
全く笑っていない笑顔を前に、石上はようやく気付き「ヤッベ」という顔をして、そそくさと生徒会室を後にする。小声で「遺書を残しておかないと……」と呟いていた。
地雷原を感知できる癖に、それがどの程度危険なのかが分からない辺りが石上らしい。……頑張れ。骨は拾ってやる。
だが彼の言った発言は、一理どころか二理も三理もあった。
ぐぬぬと歯噛みするかぐや嬢だが、これでは彼女の計画は水の泡であろう。何を考えていたかは僕には分からない。ただタイヤのパンクは彼女が細工したんだろうなとは察していた。
ギリギリセーフなのは『歩いて帰りたかった』であり『誰かと一緒とは言ってない』事か。
これならまだ取り返しが付く。
「では、かぐや嬢の希望通り、徒歩で帰ればどうでしょう。雨の中、傘を差して
「! わ、私は傘を忘れてしまいまして……!」
……ああ、これか。把握した。
かぐや嬢、その発言の意味は理解するけど、タイミングが違いますよ。それは玄関でさり気なく言うべき話です。計画が狂って混乱したのは分かりますけどね。
ただ流石に、この状況から何とか出来るほど、僕も万能ではない。今から『実は傘が無かったんです』というのもアレだ。御行氏も傘は持っている筈だし。
であれば精一杯、ベターな選択肢を提示しょう。
「千花の置き傘借りましょう。折り畳み傘は持っていますが、あれは肩が濡れかねません。大きさ的にも丁度良いと思います。僕からメール入れておきます――あ、返事来た。『どうぞどうぞ』だそうです」
用意周到な、かぐや嬢だ。
折り畳み傘くらい持っていそうだが、それで相合傘は無理がある。
鞄に入るくらい小さい上に、かぐや嬢が似合う華やかなタイプの傘。
であれば、どう足掻いても二人が入るのは不可能だ。
僕も千花と相合傘をした経験はあるが、片方の肩が濡れているのを見るのは互いに悲しいぞ。
石上のフォローをしながら何とか理屈を捏ね上げて『全員での集団下校では?』と妥協点を探ったのであった。
結局、そうなった。
◆
水無月も中旬を超えると衣替えの季節になる。
秀知院学園の制服は、男子は学ラン。夏服になると上着を脱ぎ、下に着こむ白シャツが半袖になる。女子の場合は手首までの裾が二の腕まで短くなる。
萌葉ちゃんの、二の腕と腕内が見えて「あー真っ白だなー若いなー」と僕は感想を抱いていた。千花とは違った意味で萌葉ちゃんも美少女だ。元気さでは似たり寄ったりだが、幼い故の純粋さと、若干サイコっぽい性癖を拗らせている以外がグッド。
義理とは言え兄になる立場故、年上の男性へ甘えられるのが嬉しいのだろうか。
彼女はしょっちゅう僕の身体に触って来る。べたべたと気軽に。未発達なボディが触れてくるのは……複雑だ。嫌だと言えば彼女に悪いが、そういう事は止めなさいと再三忠告をしている。
年頃の娘がはしたない。
千花からしてもらうの? あ、それはドンドン来て欲しい。
「やっぱり半袖になると快適ですねー」
「千花も言ってたよ。ジメジメしてるからねぇ」
「どうです? 似合ってます?」
「似合う似合う。表情と相まってとても美人さんだ」
前に僕と萌葉ちゃん、後ろにかぐや嬢と御行氏。四人で並んで、道路側には僕と御行氏だ。
勿論歩道に余裕は持たせてある。すれ違う自転車だって危なくないぞ。
ばらばらと傘に当たる雨音を聞きながら、濡れた空気を吸い込む。
ジトっとして不快な天気。まだ本格的な暑さが押し寄せていないから何とかなっているが……。今年の夏も暑そうだ。
この分だと、御行氏とか大変だろう。純金飾諸が付いている学ランだ。御行氏が上着を脱ぐことは先ずない。あれ結構重いらしいし、ちょっと苦労が偲ばれる。
「そういえば藤原さんは、四宮と知り合いだったか」
「かぐやちゃん時々ウチに来てくれるんですよー。お泊り会とかしてます……。って、ごめんなさい。高等部の生徒会長さんにこんな口の利き方……。ええと……」
「白銀御行だ。気楽にさん付けで構わないぞ」
「ありがとうございまーすっ。……中等部生徒会、副会長の藤原萌葉です! 何時も姉がお世話になっております! ……えっとじゃあ、白銀さんで!」
あっという間に距離を詰めて仲良くなれるのは藤原家の才能だな。
「お二人の話は中等部でも有名ですよ! 特に白銀会長さんは……格好良いって有名です!」
「直接、顔を会わせるのは初めてでしたっけ」
「圭ちゃんから軽く話を聞いていましたけど、そうです」
「ああ、俺も圭から聞いている。何時も仲良くしてくれてありがとうな」
と思いながら、その話題に乗る。
相合傘の代わりに色々と気を使ってみよう。
「……最近は少ないけど、昨年度までは良くあったね。僕の家、隣だからさ? 何か今日は賑やかだなとか思う時が結構あるんだよ。大地さんがお知り合いを連れてくることもあるけど、千花が誰かを招くと、やっぱり明るさとかで違いが出るね。……あ、そういや」
携帯を取り出して、写真をソート。
確かこの辺に……あった。
「かぐや嬢、ちょっとお尋ねしますけど――写真、渡して良いです? 会長に。そのお泊り会の時の奴、僕持ってるんですけど」
ガタッ! と御行氏が心の中で立ち上がった音が聞こえた。
「そ、そんなものがあるのか……!?」
「ありますよ。まー、かぐや嬢からの許可が下りればですけど」
誤解の無いように言っておくが、僕がその時顔を出したのは偶然だ。
何時も通り――というか何時も特に用事がなくとも顔を出すが――藤原家にお邪魔すると、ラフな格好の、かぐや嬢に遭遇したのである。
タイミング悪く千花との連絡が不十分であった。
別に誰に公言するでも自慢するでもないので『これは失礼』と席を外したのである。
ほぼ直後、僕は千花と遭遇した。
その頃はまだ生徒会も、今ほど柔軟で互いを理解し合っていたとは言い難かった。それを見かねて千花の方から誘ったとの事。女子同士のトーク、お泊り会に僕がお邪魔しては不味かろう……と、その日はさっさと家に帰ろうかなと思った。
の、だが!
『丁度良かったんで写真係して下さいー!』
と頼まれたのである。
千花の頼みは断れない僕だ。かぐや嬢の視線に、若干のいたたまれなさを感じながらも写真係を拝命。それから30分程付き合わされた。食事、部屋での交流会、与えられた私室でのツーショット。僕は黒子となってシャッターを切っていった。
その写真は千花、かぐや嬢、僕が保有している。
僕が欲しいのは千花の写真であって、かぐや嬢の写真ではない。露骨にトリミングして消すようなことはしていないが、PC側の方にも保存し、そっちは千花の顔を拡大してある。
「ああ他意はありません。千花と萌葉ちゃんと豊実姉とかぐや嬢の仲の良い写真を紹介しようかなと思っただけです。藤原家の皆さんからの許可は頂いてますが、かぐや嬢から一言貰わないと礼儀に反するので――代わりと言っちゃなんですけど会長の写真上げますよ」
ガタガタっと今度はかぐや嬢の心が思い切り立ち上がった音が聞こえた。
こっちは昨年の奴だ。昨年、まだ生徒会に参加する前から御行氏とは友人――まあ友人で良いと思う――だった。当時まだ色々と練習する必要があった運動音痴の御行氏に付き合って、幾つか練習をこなした。最初が体操。その次はなんだっけ。跳び箱と……バスケとフォークダンスだっけ?
基礎体力はある為、競争やら陸上競技は得意な御行氏だが、致命的に運動センスがない。
僕の運動神経も、決して良いとは言えないが、それでも人並だ。
空いた時間を使い、御行氏に教えられる範囲で教えていった。彼は、成長性と努力性は凄いので、僕を追い抜いてあっと言う間にトップクラスに上がってしまった。そういう部分があるから、僕は彼を尊敬している。
この練習の際、客観的な情報を彼に示すために写真データを保存した。それが今も残っている。
「交換で良いです?」
相合傘には及ばないかもしれないが、貴重なデータであることは違いない。
「そ、そそそうですね。藤原さんと私の交友関係を自慢する意味でも? その写真を見せてあげるというのは悪い提案ではありませんね?」
「ああ、そ、そうだな。俺だけが情報を貰うのは良くない。四宮の姿を見せられては、お俺も少々情けない姿をみ、見せざるを得ないか」
動揺しまくってんじゃねーか。
これでフォローになったのかなーとか思いながら、僕は写真を両者に送ったのであった。
◆
「こーしてお義兄さんと歩くのも久しぶりです。で、お姉ちゃんとは何処まで進んだんですか? Aですか? Bですか? それとももっと深い関係ですかー?」
「……どこで覚えてくるの、そういう言葉」
「今時ネットに幾らでも転がってますよ?」
まあ、そうだな。
昨今、インターネット情報はどんなに頑張ってもフィルタリングには限界がある。
それに小学生後半&中学生では、女子だけの保健の授業があると聞く。男子には一生分からない悩みが存在する。……初等部の頃、知らずに千花に話を振ったら、珍しく数日間口をきいてくれなくなった。情けない僕のエピソードの一つである。
背後の、かぐや嬢と御行氏は、互いに貰った写真を見ながら表情を硬くして歩いている。
あれは元に戻るまで暫くかかるな。
「……まあキスまでだよ。まだ」
「何時進展するんですかー? いっそ押し倒してしまえば流れで及べると思いますよ」
「男の子には覚悟が必要なんだって! 後女の子が『コトに及べる』とか言わない!」
「昔みたいに泊まりに来てくれて良いんですよー? お義兄さん、お姉ちゃんとGWとか一緒のお布団だったんですよね? それで進展しないってヘタレですよね?」
萌葉ちゃんは僕をお義兄さんと呼ぶ。将来的な意味では間違ってないので修正はしていない。
いや、あの時は無理だよ。高熱が出てふらふら、藤原家に泊まった時も病み上がりだったんだから。押し倒す元気なんか欠片もない。布団が温かかったのは認めるけど。
「あんまりのんびりしてるとー?」
「してると?」
「……私の方から
「その冗談は洒落にならないから止めなさいね。僕は千花一筋だから、何を言われようが揺らぎません。大体その話、うんと昔にしたでしょう」
「ですよねっ! やっぱり無理ですかー!」
「ですよ。無理だよー」
ばっさりと萌葉ちゃんの言葉を切り捨てた。
このやり取り、結構回数が多いので、互いに笑ってやっている。
萌葉ちゃんは可愛い娘だ。それは認める。
けれども義妹でしかない。
いや本当、妹としては超可愛い!
僕が何か話をする都度「着火するぞ」とか言ってくる我が家の妹に比較したら雲泥の差だ。マジ最高の妹!
まあ、過去に、だ。告白らしきものを彼女から受けたことがあるのは認めよう。
だがそれも三年以上も昔の話で、その際から今に至るまで『僕は千花が好きだから、萌葉ちゃんは一生妹です』と言い続けている。
だからこの話はこれ以上先に進まないし、この先も義兄と義妹だ。この話は千花も知っている。良くある漫画やR18的小説みたいに、姉妹で取り合うとかそういう事は起こりえない。
「一人の男がどんなに頑張っても、支えられるのは惚れた女性一人と、彼女との間に生まれた子供くらいだよ。普通はそれで限界だ。そして僕は普通の男だ。誰かとは違う」
「重いですよ!なんか闇が見えますよ!?」
「そりゃあ頭の上にその実例があるからな。僕は二の轍を踏まない様にはしたい!」
「その岩傘さんとそっくりだって、お父様もずっと言ってるんですけどね。……それに真面目に、嫌いじゃーないんです、お義兄さんのこと。誘拐事件の時とかの姿を思い出すと」
……そんなこともあったな。
『雨の日は誘拐されやすいんですよ』と千花は話していたが、実体験だったりする。
と言っても誘拐された訳じゃない。未遂だ。
偶然、僕と千花と萌葉ちゃんが一緒に行動している時に事件が起きた。僕と千花のどっちを標的にしたのかは未だに謎だが、雨の日に、何者かに誘拐されそうになった。
まあお金持ちの子供だし、家業が家業だ。
乱暴に扱おうとした男に、とにかく全力で抵抗し、その腕に思い切り噛みついてやったら、憂さんが間に合って、彼女の手により一瞬で男は鎮圧。そのまま警察に連行され、その後はどうなったかは知らない。
なんというか不気味な男だった。黒人っぽかったが何分幼い頃だし。噛みついた瞬間に、ぐにっとした感触があって人間の皮膚だったか今思えばちょっと懐疑的になる。……まあ深く考えるのは止めておこう。
その際の、僕の奮戦――奮戦なんかしちゃいない。必死だっただけだ――を見て、萌葉ちゃんは、以来僕を「お義兄さん」と呼ぶようになった。
それまでは「岩傘さん」=「お姉ちゃんを奪っていく怪しい奴」という扱いだったのだ。
「他の人を見つけなさい。他の人を。秀知院なら色んな逸材がいるよ」
「そうですねー。……白銀会長さんとか、結構、格好良いと思います」
「えっ」
「前々から圭ちゃんから聞いていたんですけど……! 今日、さっき、直接目で見ると……!」
「え“っ」
僕との話が終わった後、萌葉ちゃんの顔は御行氏にロックオンされていた。
……それは不味いぞ。彼にはかぐや嬢が居る。今の発言は、かぐや嬢には届いていなかったらしい。だが――ひょっとして僕は不味い遭遇を作ってしまったのかもしれない。
内心で冷や汗を掻いた。
藤原家は、もう直ぐ其処だ。
◆
さて、雨の日の通学路である以上、どうしたってズボンの裾や靴が濡れるのはしょうがない。
しかし、その分量も時と場合による。
道路側を歩いていて良かったなあ、と思ったのは、通りがかった車が盛大に水を跳ね飛ばしていった後である。運悪く傍にあった水溜まりを轢いた自動車は、激しい飛沫を僕と御行氏に浴びせて去って行った。
「……。萌葉ちゃん、無事?」
「四宮も濡れていないか?」
水も滴る良い男という言葉があるが、これ元々は「蜜も滴る」と言う意味で、つまり果実を割った時に水気が溢れ出す様な、爽やかな男であるという意味らしい。
会長のずぶ濡れ経験、二回目である。一回目は渋谷でのあれだ。彼に適切な形容だと思う。
「会長が庇ってくれたので……。ずぶ濡れですよ。もう、動かないで下さい」
ごく自然の振る舞いでハンカチを取り出して、御行氏の顔を拭う、かぐや嬢。
そして行動の後に、自分が行った行為を理解し、固まった。
「私は大丈夫です。――あの、あっちのお二人は……」
「平気平気。何時もの事だから、僕でフォローしておくよ。それよりほら、家に到着だ」
此処が藤原家の前で良かった。萌葉ちゃんに傘を渡して、またねと挨拶をする。
僕も濡れていたが、此処から歩いてすぐだ。そこで御行氏の服を乾かそう。そうしていれば憂さんも戻ってくるだろうし。そしたら二人を車で送って行けば良い。
「なんというか、……お義兄さんと、御行氏って、似てません?」
「え? いや似てないよ。彼の方が努力家だ。僕はあんなに努力出来ない。あそこまで格好良く何かを出来ない。まあ一途なのは……自慢するけど」
「そこですよそこ! お義兄さん、お姉ちゃんの為ならすっごい努力しますし。一生懸命ですし。真面目で、気を使えて、……意外とダメそうなところとか、多分、よく似てます」
「そうかなぁ……」
「そうです! お姉ちゃん、だからお義兄さんの事、好きなんです! あーあ、私とお姉ちゃん達の生まれた順番が逆だったらなー」
「もしもの話をしても、仕方がない。それに」
それに、な。
「そうしたら萌葉ちゃんを妹として可愛がれない! 萌葉ちゃんも兄が出来ないぞ!」
「はっ……なるほど!? ……豊実姉が彼氏を連れてこない限り実現しません……! ぐぬぬ、それは盲点でした……!」
「後あれだ。多分、年齢が逆になっても、僕は千花ルート一直線だと思う」
「それも凄い発言ですね!? お義兄さん、ロリコン……?」
「違う。僕はロリコンじゃない。その場合、好きになった娘が偶然小さいってだけだ」
「それ世間では通用しませんよー!」
萌葉ちゃんは傘を受け取って、一歩下がる。
ほんの一瞬だけ、傘で彼女の顔が隠れたが、次に見えた時は笑顔だった。
「今日はありがとうございましたっ! また何時でも来て下さいね? 歓迎します!」
「こちらこそ。それじゃあね!」
家に入っていく萌葉ちゃんと見送って、さてと息を吐いた。
萌葉ちゃんが御行氏に何を思ってどう行動するかは、彼女の自由だ。
敵は強大だぞとだけ、機会があったら教えておこう。
とりあえず、そこで固まっている、我らが生徒会の二人を回収しなければな。
そこ、かぐや嬢、固まらない。御行氏も固まってるんじゃない。
御行氏、庇った瞬間、折り畳み傘が壊れてアスファルトの上に転がっているぞ。
かぐや嬢、千花の傘とハンカチを持って往来の真ん中でくっついてるんじゃない。
それじゃ相合傘をして、濡れた相方を拭いてあげているみたいじゃないか。
……あ、それで良いんだっけ? と僕は思ったが、あんまり放置もしておけない。
二人に声をかけて、自宅に引っ張り込んだ。
◆
後日談というか、今回のオチ。
御行氏達二人を家に回収した後、僕は彼にタオルを渡して、しっかり制服も乾かした。
なんか毎回、彼の制服を乾燥機に掛けている気がする。
かぐや嬢のハンカチは、御行氏から直接返却すると良いよと伝えておいた。
まあ生徒会での一イベントになってくれるだろう。
御行氏の衣服で一番値段が高い服は、学ランだ。
今時中古でうんと安くても格好良い服は手に入る。それこそ工夫すれば1着数百円で買える。散財を嫌う倹約家なのは良く知っている。お洒落をする必要は無い。でもある程度、センスを磨いておくのも大事じゃないかなと伝えておいた。
何故かって? 学ランが乾くまでに、僕の適当なジーパンとシャツを渡したのだが、これがまた良く似合ったのだ。やっぱ素材が良いからだろう。
かぐや嬢は、実際、新鮮な私服姿に『おかわわわわ!』という顔だった。
相合傘分は、これくらいで相殺できたと思っておこう。
「でもう萌葉ちゃんが色々と追及してくるんですよー。お義兄さんとの関係を進展させてーみたいに。何言ったんです?」
「仮に千花と萌葉ちゃんの年齢が逆でも僕は千花一直線だって話かな」
「だからですか! 最近、なんか色々勧めてくるんですよ! ネットで『年上の男の人に甘える方法』とか調べてますし! ……いーちゃん的に甘えてこられるのって如何です?」
「大歓迎。萌葉ちゃんに甘えられるのは悪くない。でも」
「私の方が良い、と」
翌日、教室の中で僕と千花は話をしていた。
僕は頷いた。どれほど可愛かろうが、僕は千花しか目に入らない。
因みに周囲の目は、既に『またやってるよ』の姿勢だった。
男子からの目は嫉妬に塗れているが、これも何時もの事なので無視。
「……えーっと、じゃあどんな感じで甘えてみましょう?」
「それはそっちが考える事だ。惚気合戦の勝敗は、まだ僕が優勢だろ」
「この前の生徒会の奴で互角に持ち込んだじゃないですか! 負けず嫌いなんですから! …………あ、そうですね。じゃあこういうのは如何でしょう?」
彼女は僕の手を取って、あーあーあーと声を調整した後で言った。
どことなく顔を幼くして、萌葉ちゃんっぽい雰囲気、もとい昔の千花みたいな雰囲気を作る。
「お兄ちゃん……、千花のこと、好きですか……?」
…………。
僕は無言で、脳内スコアに『引き分け』と刻んだのだった。
本日の勝敗:藤原萌葉の勝ち
理由:色々あってもお義兄さんとはうんと仲が良い