岩傘調は送り出したい
「まさかお前と私でこんな悩みを共有する羽目になるとは思わなかった。……取り合えず、続きは後でな。部活に顔出してから生徒会行く。白銀達に言っておいてくれ」
「全く同意する……、それじゃあ後でな」
龍珠桃と、なんでこんなに縁が多いんだ……、と内心で言ってもしょうがない。
簡単に挨拶だけして別れて、生徒会室に向かう。僕以外の全員は既に居るだろう。
今日の仕事は何だったかな。そろそろ学園裏サイトの確認とかしないとな?
とか思いながら扉を開けると、真っ暗だった。
どこか、錆びたような匂いが、鼻に付く。
「うん?」
カーテンは閉め切られ、電灯は切られている。まだ太陽が出ている時間だ。遮られきれなかった光で、微かに陰影が見えている。机、椅子、棚、そして部屋の中央に佇む少女の姿。
僕が暗がりでも見間違えることは無い。
背筋に、ひやりとした感覚が走った。背中に氷柱を突っ込まれたような、微かな悪寒。不安に胸が騒ぐのを自覚しながら、一歩部屋に入る。
「千花、なんでこんなに暗いんだ?」
ぐにっと何かを踏みつけた。同時に何か、ぱしゃり、と足元に感じる水音。
同時に、ぽう、と灯が灯る。机の上に置かれた、皿の上に置かれた、蝋燭の上に焔が。
それがぼんやりと室内を照らす。そして――。
銀色の刃が見えた。それは、深々と胸に突き刺さっていた。
生徒会長の椅子に座り、仰向けに
一瞬、脳が景色を拒絶する。
「な……っ!?」
「……ねえ、いーちゃん? ……どうして、ですか……?」
悲痛と憎悪だけが形になったような掠れ声で、千花はぐるりと首を動かし此方を見る。
その眼の中に光は無く、微かに目尻から涙が流れている。
「どうして……、……――なんか……したん……ですか……?」
咄嗟、一歩下がると、再び足が何を踏みつける。
恐る恐るとそれを見れば、石上だった。腕と足がおかしな方向に曲がり、その背中に幾つもの刃が突き刺さっている。微かな水の音は、流れ出た血。感じた香りは、鉄。
彼の顔は、普段以上に顔色が悪い。当たり前だ、冷たくなっているのだから。
「ねえ、どうしてですか……?」
ゆっくりと千花が、此方を向く。
その手には今尚も鮮血が滴る、銀色のナイフが握られている。
ワンピース姿には返り血がこれでもかと言わんばかりに付いている。
普段は笑っている頬に付いた、真っ赤な血を、同じく真っ赤に染まった掌で拭う。それはただ意味もなく、赤色を広がるだけだ。その目に浮かんだ狂気を前に、僕は悲鳴すらも上げられない。
何故こうなった。
何が理由で、こうなった。
「……答えて……下さい……よ……」
ゆっくり、彼女がこちらに近寄って来る。
手に蝋燭を持ち、蝋と血を滴らせながら、近寄って来る。
そしてその明かりが、椅子を照らした。
首元を斬られた四宮かぐやが斃れていた。
「どうして……。……どうして……」
彼女は悲痛な声と共に、僕へと駆け寄り、ナイフを振り上げて――叫ぶ。
「どうして龍珠さんと浮気なんかしたんですかああああああっ!!」
すべてを理解した。
違う! それは違う! 誤解だ!
咄嗟、千花の腕を捉え、目の前の刃をギリギリで止める。そのまま投げる事も出来たが、床には石上が寝転んでいる。止めだ。千花の腕を傷めない程度に力を込める。しかしそれで向こうが止まってくれる訳もない。
何か、何か、千花の気を思い切り逸らせる一手がないか……!
…………あれだ!
思いついたので、実行した。
ナイフを持っている両手を、左掌で丸ごと握る。抵抗で押し切られるまでの一瞬で。
「えい」
そのまま、目の前にあった、たわわな胸部にタッチ。
果実のような張りと、適度な弾力と、それを超えて沈むような指の感触。
ふにふにと指を動かして確かめる。
空気が止まった。
そしてすぐに動き出した。
「ちょちょちょお、なんあなああああんばしよっとですかあ!?」
「それはこっちの台詞だ! というか他三人も何をやってるんですか!」
よし、正気に戻ったな!?
壁際にあった電灯をオン。蛍光灯が輝き、室内を照らす。
同時、御行氏は瞬きをしながら身を戻し、かぐや嬢はナイフを外し、石上は起き上がった。
床に広がっていたのは水溶性の血糊。微かに漂う鉄の匂いは……芳香剤か。おまけにナイフと衣装は、……明るい場所で見れば分かった。これ演劇部の奴じゃないか。
「質問したのはこっちですよ! こっちです! なんで浮気したんです!?」
「はあ……?」
「誤魔化しても駄目です。知ってるんですからね!? 龍珠さんとの事……!」
「私が何だってんだよ」
先の約束通り、生徒会室に顔を出した天文部長が返事をする。相変わらずの不機嫌そうな顔だ。
僕は簡潔に、一言で分かる単語を言った。
「アレの件で誤解したらしい」
「ああ……。……そりゃ大変だったな」
どっから説明をしたものか。
そしてどっちから説明をしたものか。
取り合えず、六人で落ち着いて話をしようじゃないか。
◆
「いーちゃんが浮気してるかもしれないんですっ!」
藤原千花の第一声を聞いて、生徒会の面々が思った感想は一言、全て同じであった。
「ないな」「ありえませんわ」「ねーよ」。
順番に、会長・副会長・会計である。
寄りにもよって
それでも藤原千花の言葉は真面目であり、その眼には本気の炎が燃えていた。
故に、取り合えず説明をしろと彼女を座らせて事情を聴くことにしたのである。
「まずですね、数日前から、岩傘家と龍珠家の間でなんかやり取りがあるんです!」
「龍珠って、龍珠先輩ですか。天文部の」
石上の言葉に、御行は頷いた。
白銀自身、彼女には貸しがある。だからという訳ではないが、何かと信頼して色々と良好な関係を築いている友人だ。向こうもちょこちょこ要望を回してくる。凡そWinwinの関係と言って良いだろう。
「まあ岩傘も、部活動こそTG部だが、……あいつは秀知院VIPの一人と言っても過不足が無い立場だ。マスメディア部が部長に据えたいくらいはな。家業的にも、龍珠の実家と関係があって問題は無いんじゃないか?」
「それはそうです。懇意にしてたら社会風紀的な意味でちょっとヤバイ気もしますけど! 政治家とヤクザと同じくらいには仲良しで良いでしょう。ですけど実家通しの交流だけじゃなくて、最近学園でもなんか話してるんですよ! 内緒で! 怪しいですよ!」
「いや、怪しいって言われても……。藤原先輩だって内緒話の一つや二つくらいあるでしょう」
石上の真っ当な発言に、それだけじゃないんです! と彼女はスマホのメール欄を見せた。
そこにはアドレスと共に、短くメッセージが書かれている。
『なんか二人で地図見てデートがどうのとか時間が如何かとか話してる。どうする? 焼く?』
「これ! これです! これキーちゃんから送られてきたんですよ!」
「……キーちゃん、とは?」
憤懣やるせない顔で説明する千花に、かぐやからの疑問が飛んだ。
答えたのは千花ではなく、白銀御行である。
「岩傘の妹だ。
「あら、そういえば雨の日にもそんな話をしていましたね。妹さんが居るという話も、どこかで耳にしています。……そうですか、キーちゃんさんと言うのですか」
「……そういや僕も聞いたことある気がしますね」
二つ下の学年ですが、と前置きをして石上が口を挟んだ。
「中等部の現状は知りませんが、初等部の時に編入してきたんですよ確か。今はもう『純院』扱いらしいですけど、厳密にいえば『混院』です。噂というか、暴れっぷりというか、恐ろしさというか、そういうのは耳にしました。雷みたいな娘らしいですよ。……どっかの
「そんなキーちゃんの話はどうでも良いんです! 今大事なのは! キーちゃんからのメールの内容なんです! これどう見ても浮気ですよね!? デートプラン計画してますよね!?」
「いや、藤原先輩と一緒に行くデートプランを話し合ってるんじゃないんです?」
これまた石上の素直な発言が飛んだ。
あるいはもっと単純に、藤原千花へと何かをプレゼントするための相談をしているとか。
指摘に対して『まあそう思うよな』と頷いた御行であった。前にも同じような事はあった。藤原千花に対して内緒の何かを計画し、その相談を受ける。それは初めてではない。
しかしその答えを受けても、藤原千花の意見は翻らなかった。想定済みだったらしい。
「極めつけはですね、確認したんですよ! 憂さんに! そしたら『龍珠の方から恋文が届いてその判断に迷っていて……』とか煮え切らない返事が来たんです! これ確定ですよ!」
そこまで言われると、一行は考えてしまった。
高等部三年二年で、彼に恋文を出す女子はいない。
別に決して人気が無いわけではない。紀かれんが語ったように、細かい部分で結構ポイントは高かったりする。ただし藤原千花という相手がいるから誰も手は出さない。
この春に入った一年生の中には奇特な人間が居るかもしれない。しれないが……その場合も、即座に断るだろう。実際、生徒会メンバーであり、広報担当の彼は露出が多く、白銀御行よりは手が届きやすい位置にいる。だから告白も少しはあるらしいが、即決して断っている。
それが、考えている。
となると――何かあるのは間違いないらしい。
「という訳で、問い詰めるので! 協力してください! もしも浮気していたら……」
浮気を何処までセーフとするか、は人によって大きく変わる。
通称『浮気ボーダー』と呼ばれるこのラインは、その人の恋愛観によって大きく変化する。異性との食事がダメという人間も居れば、遊びなら寝所を共にしても良いという人間も居る。
この話から三、四ヵ月ほど後。
体育祭の後に、柏木渚から『翼君が眞妃ちゃんと浮気してるんです!』相談が持ち込まれ、その際にも判定に関しては女性陣で色々とやり取りがあるのだが、それは割愛。
ここで重要なのは、藤原千花の認識である。
彼女にとって、岩傘調の現状は『浮気』らしい。
瞳からハイライトが消えるばかりではなく、フ、フフ、フフフと怖い声を上げ始める。
その迫力を前にしては、誰も『嫌だ』とは言えないのであった。
◆
「という事で私は説明しましたよ! 納得のいく説明を要求します!」
「ああ、うん、誤解してるのは良く分かった」
それで演劇部から借りてきた道具を使って僕にスプラッタを見せたという事だな。流石アナログゲームでもガンガンにブラフを掛けてくる女。演技が堂に入っていた。
とりあえず誤解の源は、デートプランの話、龍珠との話、あと恋文の話か。
どっから話すかなあ、と首を捻った後、分かり易い部分から話すことにした。
「恋文の話から行くか。数日前、確かに我が家にラブレターが届いた。差出人は龍珠組だ。ただしそれは、断じて龍珠桃が僕に送った物じゃない。確かに龍珠組から送られてきた手紙ではあったんだけどね」
「じゃあ誰宛てだったんですか」
「
「……What?」
千花は思わず反芻した。
意外に思って固まるのも無理はない。僕だって固まった。
それ以上に固まっていたのは、貰った憂さん本人だったけれども。
「千花、さっき憂さんから『龍珠の方から恋文が届いてその判断に迷っていて……』って話を聞いたと、言っていただろう。そりゃあ迷うよ。あの人がラブレターを受け取るのとか、そりゃあ色んな意味で衝撃だったから」
「で、その恋文を差し出したのが、うちの人間だった訳だ」
溜息を吐いた龍珠桃は、振る舞われた紅茶を飲み干して、お代わりを要求。
無言でかぐや嬢が追加し、続きを促す。他人の恋バナを聞くのが楽しいのは彼女も一緒だ。
「最初に出会ったのは、昨年……つーか学年代わる前の、バレンタインだ。あん時、優華・憂が、護衛組のリーダーしてただろ? それがファーストコンタクト。ウチんのが気にした最初のタイミングだ。で、陥落したのがコンペん時らしい」
「コンペ……っていうと」
「『チクタクマン』事件の直前だ。臨海のビックサイトでロボットコンペンションが行われた。其処に津々美もブースを出していた。僕は会場で龍珠さんと遭遇した。で、龍珠組に忍び込んでいた他のシマの奴が暴走した」
掻い摘んで流れを説明する。
その際、暴れた男は憂さん(津々美開発のスタンガン手袋装備)の手で華麗に叩きのめされた。
電撃は、馬鹿と同時に、もう一人の男の心も痺れさせてしまったらしい。
「襲ってきた馬鹿はちゃんと
「で、どうすんだよ……と話してたんだ。OK?」
「じゃあ、いーちゃんが浮気は」
「してません。僕は千花以外、一切、目に入りません。万が一……よりもっと少ないな。億か京に一でも浮気する場合、千花に許可を取ってからします」
「……そうでしたね。そういう約束でした。……久しぶりだったので忘れてましたー」
ごめんなさい、と謝る千花に、良いよ良いよと頭を撫でてあげる。
女子の頭に触れるのは相当難易度が高い行為なのだが、僕と千花に限って言えば今更だ。
『それは安心する話なのか? それで浮気は良いのか? 二人の定義はどうなっているんだ?』
と御行氏が首を傾げていた。良いんだよ。僕と千花はそれで。
『処理』の中身に関しても詳細は聞かぬが華だ。
この秀知院には怒らせたらヤバイ人間が山程いる。
財閥、警察、自衛隊、経団連、宗教、暴力団、政治家、探偵、芸能人、スポーツ選手、IT系の資産家。医療機関、報道機関とかのトップまでいる訳で。
手を組めば何でも出来てしまうのだ。怖すぎる。
「筆を執っても上手い文章を考えられない奴でな。手紙出すにも苦労した」
「憂さんも憂さんで大変だった。ラブレターを貰ったのは良いんだ。ただ彼女は恋愛経験がない。秀知院の高等部に編入して、そっから大学を出てるけど、在席期間は短かったし、『混院』で距離あったし、そもそも勉強に必死で恋愛どころじゃなかったし。大学だと人気出てきたけど、僕の家の手伝いもあって、全部断ってきた。だから今になって恋愛沙汰になっても、何をすれば良いのか全く分からない」
ある意味、岩傘家に振り回されている人だ。
だから――今更、というと今更になってしまうが――機会は、生かしてあげたい。
「ウチの若いのに伝えたら『では会うだけ会えないか』となってな。それを伝えた結果『では一度お会いしましょう』となったんだよ。そうなると、こっちも世話しないとってなるだろ?」
「憂さん殆どスーツというか執事みたいな格好だし。女性らしい服とかかなり少ない。メイド服はあるけど着るタイプじゃないし、それで男性に会うには難しい。そもそも化粧からして派手じゃないんだ。奉公人としては何でもできて優秀だけど、乙女としての生活を送って欲しいと思った時に、色々と足りな過ぎる……。今まではナアナアで済ませていたし、それに甘えていたけど、彼女が直接、恋愛に関わるとなると、流石にね」
「じゃあそれは私達に話を持ってくるべきじゃないです?」
「うん、だから今日はそのつもりだった。豊実姉には話を付けてある」
僕と龍珠桃の間で話せる部分は全部話し終わった。
となると後は、女性陣の協力の番となる。……いや龍珠桃の女性的魅力が足りないというつもりは無いぞ。ただ豊実姉、千花、萌葉ちゃんと居るならば、そこを頼るのが一番だ。万穂さんも居るけど流石に忙しいだろうし。
で、僕が今日、その話を千花にしようと思って顔を出したら――。
「藤原さんのスプラッタ劇場と、バッティングした、と」
「そういう事です。……ま、さっきの劇場の話は、もう辞めましょう。僕の心臓に悪い。『新鮮な惚気』は大事だけど、傷つけるのは無しだしね」
本当に殺人とか死者が出来たら、僕は【ネクロノミコン】を取り出すぞ。
尚、血糊を拭き取ったりする作業は、皆で会話をする前に済ませてある。
空気も入れ替え、演劇部からの道具も返却し、先ほどまでの惨劇は消えてくれた。
流石に、あの状態で話し合うのは無理だ。僕は湯呑に緑茶を淹れて、蜂蜜を入れて、飲む。急須が空になったのでお代わりをと思ったら、千花がポットからお湯を追加してくれた。
「という訳で、今週日曜日、憂さんと相手側とのデートがあります。なので下見とかを兼ねて、土曜日には色々と準備をしましょう。千花、そこ予定、空いてたよね?」
「はーい。色々納得しました……。じゃあ皆と一緒にお出かけですねー。そろそろ期末テストも見据えて動かないといけませんし。その前に息抜きしておきましょう」
わあいと喜びながら、千花は僕のスマホを覗き込む。
そのまま、さっきまで座っていたスベースではなく、膝の上に乗っかって来たので受け止めた。
当初の疑いに対するサービスみたいなものだろう。
「……白銀、この二人は何時もこんな感じで進んでくのか」
「そうだ。……珈琲の追加ならあるが、要るか」
「……貰う。紅茶だけじゃ足りねえ」
当たり前のようにデートの予約を入れる僕と千花の態度を見て、龍珠桃は呆れていた。
序に言えば、余りにも簡単に誘い誘われる関係を見て、かぐや嬢が戦慄していたが――まあこれは蛇足という事で。
◆
それから数日後、土曜日。
僕は予定通り、憂さんと、藤原家の三姉妹と共に買い出しに付き合う事になった。
……我が妹も同伴である。彼女の世話は萌葉ちゃんにお願いしておこう。
「それだけだったら良かったんだけど……」
「普通の男の子は入りにくい場所ですよ? 私の
「確かに水着の時に話に出したけどさ……! まさかこっちに来るとは思わない……!」
二人きりになったタイミングを見計らい、千花に誘われて連れてこられたのは。
下着コーナー。
……『大天使のブラ』って……何……!?
同人版も突っ込んでいくスタイル。
序にそろそろ邪神が動き始めるスタイル。