幼馴染で隣人で許嫁な彼女と惚気たい   作:金枝篇

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岩傘調は防ぎたい

 一番最初に結果だけ言っておこう。

 僕が()()()()したぞ。

 クルーシュチャが泣いて悔しがるレベルで完全勝利したぞ。

 

 ◆

 

 『くふ、くふふふ。雨、良い響きだ。雨は何もかもをかき消す。悲鳴も、恐怖も、悪意も……。知っているかい? 排水溝に潜むピエロが居るよね。あいつも雨の日にやって来ては幼気な少年を殺して回っている。古今東西、雨の日の恐怖というのは似たよ「やかましい。今忙しいんだ」――ブツッ』

 

 いきなり連絡先不明の相手から電話が鳴ったと思ったら、怪しい奴からの連絡だった。

 面倒なので切ってやった。

 同時、轟音! 閃光! そして生徒会室に響く、千花の悲鳴!

 

 「うお、こりゃ近いっていうか――真上だな」

 「残っている生徒も、早く帰るようにと連絡がありました。生徒会も今日は早終いですね」

 

 光と音の感覚は一秒もない。至近距離である。

 文月も半ばとなると、唐突な俄雨(にわかあめ)が降る事も珍しくない。ここ最近、ゲリラ豪雨などという呼び方が流行しているらしいが、日本人なら日本人らしく夕立と表現したい物だ。ソロモンの悪夢をゲリラ豪雨と呼ぶのは風情に欠けると思うっぽい。……なんてね。

 

 まあ今回のこれは、雷雨ではなく台風だ。

 関東圏に上陸した台風は勢力を弱めず北上し、数日間は雨が止まないと天気予報は告げていた。河川の増水には十分注意するようにと付け加えられている。

 

 「電車も止まってるようです。御行氏、どうします? 送ってきましょうか?」

 「いや、バイトがある。それに自転車を回収出来ないのは不味い。明日が徒歩になるからな」

 「そりゃ不味いな。……雨合羽を買えばどうです? 折り畳み傘より便利ですよ。最近のは社会人も――工事現場の人とか配達業の人が――使う、格好良い奴も売られてるよ」

 「……考えてみよう」

 

 少し前に、中古でも格好良い服はあるよ、千円で上下一揃えを買うなら良いんじゃない? とアドバイスをした。

 御行氏は、あれからニ・三週間に一セットくらいのペースで、割とマシな私服を増やしているらしい。情報ソースは憂さん → 我が妹 → 圭ちゃんというルートである。

 逆に言えばそれまで、私服のセンス“も”壊滅的だったという事か。

 

 「こりゃ傘は役に立ちそうもないし……車を使うかな。千花ん家、車はー?」

 「タクシー使ってってメール来ましたうひゃあ!」

 

 再びの落雷。なんとなく不吉な感じだ。

 雨はそこまで嫌いではない。雨が降る前の空気の湿り気というのか、あの微かな郷愁を誘う空気が好きだ。まあビシャンビシャンと雷が落下し続ける、この豪雨は『気持ちが良い』と言えるレベルは通り越しているが、それでも日中の蒸し暑い空気をどっかに吹き飛ばすような暴風雨だ。これはこれで悪くないと思う。

 が、さっきの電話で色々と不愉快だ。うーむ、良くないな。

 

 「雷! 雷落ちましたよ! 今! おへそ取られちゃいます!」

 「雷がそんなに怖いか?」

 「だってドーンて来て、バーンて言うじゃないですか。大きい音、苦手なんです!」

 「……耳を塞げば良いんじゃないか?」

 

 実に真っ当な御行氏の意見に、千花は千花っぽく答えた。

 

 「耳、塞いだらおへそを隠せないじゃないですか! 普通考えたら分かるでしょ!」

 「いや、その理屈はおかしい」

 

 どうすっかなー、アイツ絶対なんか攻撃してくるぞ、と思いつつ「よな?」と御行氏を見ると、御行氏も『普通ってなんだっけ』と言いながら頷いていた。

 

 雷様におへそを取られるというのは、一種の格言であり、古くから伝わっている教訓だ。

 気温が下がるからお腹を冷やさないように、という意味。お腹を押さえると身を屈める姿勢になるから落雷に注意できる、という意味。昔の人は小銭を腹のポケットにしまっていたから、落雷時にへその辺りに通電して死体の中で特に目立って焦げていた、なんていう裏話もある。

 

 まあ天災への恐怖が今も息づいているのは、それはそれで良い。

 そしてこの辺で、僕はふと気付いた。

 

 (冷静に考えればその辺を放浪してるニャルラトホテプなんかより、よっぽど怖いよな、雷)

 

 ……そう、クルーシュチャの奴が、怖くなくなってきたのだ。

 さっき電話を切った時、何というか相手が「えっ」という反応をしてきたと思う。

 

 確かにアイツは怪しいが、ぶっちゃけ恐怖度と言う意味では御行氏の音痴具合(尚、無事に朝礼での校歌斉唱はクリアした)の方が恐怖だったように思う。

 恐怖には鮮度があるという。過去の恐怖体験とか段々薄れていくものだ。

 

 「うう、私はおへそを隠しているんで、かぐやさん耳を塞いでて下さい……」

 「わ、分かりました……」

 

 等と、相変わらず千花は周囲を巻き込んでマイペースである。

 

 差し迫った仕事は、今月末にある生徒総会くらい。この天気でずっと学園に残っているのも気分が良くないし、さっさと帰るとしよう。SE呼んで修理してもらったPC(でも相変わらず調子が悪い)のデータをバックアップも併せて保存し、帰り支度を始める。

 メールを憂さんに送ったら『車を回します』と返事が来る。帰路の心配はしないで良さそうだ。

 となると絶対何か仕掛けてくるニャルラトホテプを如何しようか、だ。

 

 「千花、憂さんが車回してくれるってさ。迎えが来るから支度しよう。……御行氏、雨合羽、使います? 多分車の中に、大きめの奴が一つくらいはある筈です。自転車漕いで帰るためにも遠慮せずどうぞ」

 「そうだな。じゃあ甘えさせて貰う。また乾かして返す」

 

 と、こんな感じで一同は解散することになった。

 

 かぐや嬢は近侍早坂愛を伴って車で帰宅。御行氏は合羽を借りて自転車でバイト。そして僕と千花は憂さんの車で帰路に付く。空は相変わらずの雷模様。電車は復旧したらしいが豪雨に一切の曇りは無い。考え込んでいると、これも数日前に御行氏から言われた言葉が頭に浮かんだ。

 

 『素直に受け止めれば良いんじゃないか?』

 

 ……そうか、と僕はそこで閃いた。

 素直にやって負けるなら、素直にやらなければ良いだけの話なのだ、と。

 

 

 ◆

 

 憂さんの運転する車に千花と乗りこむ。

 千花はなんか、耳を塞がれ、序に眼も塞がれると「楽しー!」とか笑っていた。玄関前まで見送りに来てくれた、かぐや嬢には感謝である。千花のそういう顔を見てると僕も楽しくなるものだ。

 この雨で体が冷えるといけない。風邪引かないようにとの忠告が、別れの挨拶だった。

 

 ゆっくりと動き出した車の中で、冷静に考える。

 あのクルーシュチャという女に、単純な知力で勝つことは出来るだろうか? 否だ。努力すればワンチャンあるかもしれないが、勝つまでには相当の辛抱が必要だ。そうでなくとも奴はこっちを見て嘲笑し、簡単に煙に巻く。僕が些細な抵抗をしても、奴は受け流すだろう。

 

 言うなれば奴と僕の立場は、僕と伊井野ミコ程の力量差がある。

 僕が何をしても、真正面からやったら確実に完敗する。仮に勝てたとしても、それは数ある勝負の中のたった一回であり、その一回で奴を『追い詰める』必要があり、相手を倒さなくてはいけないのだ。そんな都合よく、話が進むとは思わない。

 

 じゃあ、どうするか。

 戦い方を変えるのだ。知力で戦おうとしても無理。無意味。そもそも学校の成績で、自分の努力すら他生徒に負けると実感したばかりだ。その上で『ニャルラトホテプに頭脳で勝ちます』というのは失笑物も良いところだ。

 

 ならもう、捻くれた攻撃をしてやるしかない。

 こっちに喧嘩を売ったのならば、喧嘩を売ったことを後悔させてやろう。

 頭の中で、プランが瞬く間に組上がっていく。

 

 視界の隅、車の進行先に、ツートンカラーの女の姿が見えた瞬間、僕は行動に移していた。

 

 「千花、千花 さっき、かぐや嬢がやってたの、僕もやって良い?」

 「あ、さてはいーちゃん羨ましくなりましたね? 良いですよ。はい」

 「うん、それじゃあちょっと失礼して」

 

 千花の耳を塞ぐ。序に目を合わせて千花の視界を僕に固定。

 髪の毛と、その下の可愛い耳に触れる。あ、これキスする寸前みたいな形になるな。

 じっと見ていると千花が、「え? え? あれ? もしかして不意打ち?」という感じで顔をちょっと赤くする。

 僕もキスしたい衝動に駆られたが、憂さんがミラー越しに見ている。止めておこう。

 

 千花が動揺している隙を付き、憂さんには、代わりに一つお願いをした。

 

 ◆

 

 雨の中でクルーシュチャは笑っていた。

 電話は切られたが、その程度で彼女が嫌がらせを辞める筈もない。

 彼女の姿は、藤原千花には見えてはいない。だが岩傘調と、運転手には見えているだろう。運転が少しでも動揺すれば占めた物。

 

 彼女の視界、岩傘調は、藤原千花の目と耳を塞いだ上で優華・憂に何かを告げる。

 

 「くふふ、電話は切られたが、その程度で追跡を振り切れると思わ『バッシャアアア!』――」

 

 次の瞬間、車は加速。

 そしてクルーシュチャの真横を通り過ぎ、盛大に水飛沫を跳ね飛ばしていった。

 顔面、全身をずぶ濡れにして、車は去って行った。

 

 「………くふ、ふふ、や、やってくれるじゃないか」

 

 後には、モノクロカラーの服が濡れて灰色一色、アホ毛が崩れたクルーシュチャが一人。

 若干、引き攣った顔をして、彼女は後を追いかけた。

 

 ◆

 

 「要するに、相手をしないのが、一番だよな」

 

 ニャルラトホテプが嫌がる事! それは!

 

 挑発に乗らずにスルーすること。

 そして延々と逆挑発を繰り返すこと。

 この二つだ。

 

 幸い、奴は確かに精神的にアレかもしれないが、物理的に存在している。

 それは弱点だ。奴はトリックスターで手品師かもしれない。しかし幾ら手品師が、優れたトリックを持っていても、それを使わせなければ――要するに()()()()()()()()()それで終わるのだ。

 

 観客が誰もいない舞台で手品をする程、奴は落ちぶれちゃいない。

 優秀だからこそ観客を求める。チケットを売りつける。

 

 売られた喧嘩(チケット)は買ってやる。だがどんな風に買うか観るかはこっちの勝手だ。

 相手が殴って来たからといって殴る必要は無い。相手が殴ってきたらこっちは銃を撃てばいい。要するにそれだけの話なのだ。それだけの話だと気付くのに時間が掛かった。

 

 加えて――どんな方法かは知らないが――あいつの存在を、千花は認識出来ないらしい。

 クルーシュチャは、その特性を、僕の不安を煽るのに利用していた。だが――逆に言えば、僕が何をしても、見えない相手に僕が独り相撲をしているようにしか見えない。であれば簡単だ。

 

 「んー、千花、家、寄ってかない? 今日は義母さんも居ないし、妹も居ないから、親父が戻って来るまで僕と憂さん二人だけなんだよね。ちょいと寂しい」

 「むむむ? 良いですけど……。何か用事でもありましたか」

 「いや、何もない。単純に千花と二人で過ごしたいなーってだけ。ダメかな」

 「ちょっと甘えん坊ですね? 良いでしょう良いでしょう、私は寛大です。甘えたい、いーちゃんを存分に甘やかしてあげましょう!」

 

 僕の本音に、千花はなるほどなるほど、と頷いて『良いですよー』と大きな胸を張った。可愛い。母性を感じる。流石に、そのたわわに顔を埋める欲望を実行するのは、ちょっとばかりはしたない。……でもハグした時&タッチした時に、その感触と大きさは確認済みだ。想像するくらいは許してほしい。

 

 言いながら車を降りる。まだ雨が降っている。傘を差して、二人で入った。

 玄関まではほんの数メートルの距離だ。

 

 その途中に、先回りしたらしいクルーシュチャが不敵な笑みを浮かべている。

 

 「――くふふ、さっきは呆気に取られたが今度はそうもいかないよ? 話の通り雨というのは水だ。つまり水の眷属が活発化する。ダーレスの分類には賛否両論があるが、利

 『甘える序に甘えて良い? 千花のご飯食べたい。今日、そこまでお願いしたい』

 ――用できるものは利用させてって、おい、まさ

 『え?……うーん、じゃあ良いですよ。でもお母さまやお姉さん達も一緒になると思います。それでも?』

 ――無視するなよ!?

 『勿論!』

 

 なんかほざいていたけど全部無視してやった。

 千花からは奴の姿が見えない。なら僕が無視すれば何の問題もない。

 

 「くふ、くふふ、やってくれるじゃないか。こういう方面で攻撃をしてく痛あっ!?」

 

 おっと。なんか道を塞いでいる邪魔な足があったから、うっかり爪先を踏んでしまったらしい。

 

 そうだよな。物理的な制限を受けるなら、加えて人間的な形態をとっているなら、末端神経への痛みは結構響くよな。でも僕は悪くないぞ。通行の邪魔をしている奴が居たら退かすのは当然で、しかもそれが敷地内に居る不審者相手なら、遠慮をする必要は全くないよな?

 

 地味に痛かったらしく靴を押さえてフルフル震えていたクルーシュチャの横を通り過ぎる。

 

 そのまま玄関に到着したので、扉を開ける。開かない。

 ……ちょっと考えながら鍵を取り出し、差し込んで、鍵を外す。扉は、開かない。

 ふむ、これはちょっと困ったな。

 

 「……ようやく気付いたようだね。鍵は開かないように細工を施させて貰った! 話を聞かない限りこの先には進めない。くふふ、ペースを握られたが、ここからが本気の」

 「憂さん、すいません、お願いします」

 「はい。――……HAっ!!」

 

 呼吸を整えた憂さんが、正拳を一発。その一撃は扉を貫通!

 よいしょ、と言いながら力技で扉を開ける。そして元に戻す。

 

 「本気の『深き者』が――え? あの、……えっ?」

 「おー凄いですねえ憂さん!」

 「お粗末でした。――雨漏りか、湿気かで、扉が歪んだのでしょう。業者を呼んで修繕して貰いましょう。今は私が適当に応急処置をしておきます」

 

 どんなトリックかは知らないが、物理的な法則があるなら、物理で破れる。

 憂さんの目にもクルーシュチャは映っているようだが、そもそもが表情筋が動かない人だし、奴が敵意悪意を持っていると(神保町の一件で)理解している。であれば彼女は容赦をしない。下手すると僕より容赦をしないぞ。

 

 僕と千花が中に入り、憂さんがしずしずと扉を閉じ、クルーシュチャは雨に打たれ続けていた。

 

 マンホールの蓋が開き、なんか待機していたらしい触手生命体が、豪雨の中へのっそりと顔を出し(顔は無かったけど目と口らしき物があった)『姐さん、ウチら登場して良いんですか?』みたいな感じで、うねうねにゅるにゅると突いていたが、知ったこっちゃない。

 SAN値が減った感じは全くない。会長の歌や死んだアルパカの方がホラーだ。

 

 とは言えこれで諦めてくれるとも思わない。

 どうせだ。色々準備しておこう。

 

 ◆

 

 「携帯繋がらないんですよー、でも何とか連絡は取れました」

 「雷が激しいからじゃないかな」

 「ですねえ。お母さまとお姉ちゃんが、途中で萌葉を拾って戻って来るって話してました。あんまり遅くならない内にとは言ってましたけど、19時過ぎるようです」

 「扉の修理が終わってから作り始めれば、丁度良い時間かー」

 

 憂さんは壊れた(壊したとも言う)扉を修繕中である。幸い我が家には倉庫があって、そこには色々な資材が保管されている。大半は本棚を造るための木材や角材だ。妹が部活で使う雑貨なんかも締まってあるので、応急手当には事欠かない。

 

 携帯電話の調子が悪い、のは果たして事故なのかクルーシュチャの妨害なのか。定かではないが、ここで重要なのは千花に違和感を与えず、全て自然な理由付けをする事である。

 僕と千花は広間のソファに並んで座り、テレビ画面を見つめていた。

 

 「豊実姉の趣味がスプラッタなのは知ってたけど……、B級鮫映画も範疇なの?」

 「らしいです。まあこれはマシな出来らしいですよ、鮫映画の中では」

 「定義がよくわからん……」

 

 幼い頃は、憂さんと豊実姉とが、僕と千花の世話役だった。

 だから豊実姉に付き合って、彼女の趣味だというB級映画を見たことも何回もある。実妹の千花に無理やり見せるのは抵抗があっても、妹の許嫁・義理の弟である僕へのちょっかいは沢山あったのだ。お姉さんぶっていた、ともいう。だから色々変な映画鑑賞に付き合わされた。

 

 その中には『もう見たくないです』っていうレベルのクソ映画もかなりあった。最近、彼女は色々と裾野を広げているらしく、その中の一本を憂さんにも勧めており、それが我が家にあったのだ。せめてもうちょっとこう……トトロみたいなの無かったの? と思うが、千花が見たいと言ったのだから付き合っている。

 

 「きゃっ、け、結構ドキドキしますね?」

 「そうだね。……それが狙いかー! 千花―!」

 「そうですよ! 偶には私も引っ付きたいんですよー」

 

 開始から十分。海の中を泳いでいた金髪巨乳の姉ちゃんがサメに襲われ……なかった。いや、あれは鮫なのか? 鮫を捕食する蛸の触手。鮫を殺す鮫とか、微妙にテンプレを外している。

 割とマシな作品かもしれない。

 

 しかし、それに合わせて千花が引っ付いてきた。狙いすましたように僕に寄りかかる。腕を絡めて、顔をこっちの胸板に寄せ、小動物が懐く様に。……甘えて来ている!

 悟った。畜生、さっきまで僕がタレチカならぬ垂れ調(タレシラベ)のように、くたくたっとしていたのを見かねて反撃だな? くっそ柔らかいな。良い匂いするな。

 

 怯んだら負けだ。彼女を受け止めて、そのまま膝の上に乗せる。とんとんと背中を叩いて、猫を宥めるように体温を味わっていると、ごろにゃーと彼女は鳴いた。むう性癖を攻撃されている。

 

 「にゃろう。くすぐってやる! このこの! てい!」

 「きゃはは、駄目ですよ! 脇はダメですー! もうエッチ!」

 「何がエッチだ誘った癖に!」

 

 どうやら敏感らしい脇をくすぐってやると彼女はけらけら笑い続けていた。

 虐めたくなる気持ちも分かる。

 

 「このまま襲うんですか? いーちゃんが好きな本みたいに!」

 「畜生! 趣味バレてるとやりにくいな!」

 

 適当なところでやめた。

 僕はケモナーではないし、コスプレ好きではない。

 ただこう、……魔法少女とかは好きなのだ。平和な日常を守るために奮戦する姿とかぐっと来る。序に言えば普段は見せない姿を見せると尚良い。千花の猫真似は、そういう意味で、実にクリティカルヒットだった。

 

 「千花にお酒飲ませたら、マタタビをかいだ猫みたいになるのかね……」

 「食前酒とお神酒くらいなら飲みますが、顔に出ないですし、いーちゃんが望む醜態は多分、晒さないですね」

 

 千花、意外とお酒が強いらしい。僕はあんまり強くない。

 まー飲ませて酔わせて関係を発展させるとか、そういう事は……多分恐らく、起きない筈だ。

 

 画面の中では、ボートから一人逃げ出したジョックが、お約束通り鮫に襲われていた。この分だと退治方法もテンプレート通りだろう。激しい戦闘音が続く。

 同時、窓を叩く雨音に別の音が混ざった。

 ちらっと窓を見ると、蛸の吸盤のような何かが張り付いている。

 おお、映画と合わせて良いタイミングだ。色んな意味で。

 

 「さて、そろそろ扉の修繕も終わるかな」

 

 名残惜しいが、千花を膝から、再びソファの上に戻して、僕は立ち上がった。

 そのままカーテンを閉める。これで何かが目に入ることは無い。

 

 しかし、周囲に怪しい何かが動いているのは確からしい。それも巨大な頭足類が。神話的に言うならば、雨が止むまでは彷徨って居そうだ。うーん、どうしたもんかなーと思っていると、窓ガラスが割れる音が聞こえた。

 

 「! な、なんでしょう? 突風で何か飛んできたんでしょうか……?」

 「ちょっと見てくるね」

 

 立ち上がって、ビニール袋を手に取った。序に手袋を確認した。

 この手袋、憂さんの購入したスタンガン式である。片方だけ借りてある。

 

 憂さんが扉の修繕をする為に、倉庫から色々持ってきたのだが、その際に僕も道具を調達してきた。千花には『雨漏りあるかもしれないから』と言い訳してある。

 袋を持ったまま廊下に出ると、薄暗い中――触手が蠢いていた。

 

 「窓ガラスを割りやがって……」

 

 隣の窓ガラスから、外を見る。其処には何か巨大な影があった。言うなれば触手の塊のような何か。うぞうぞと実に気色悪く蠢いている。次から次へと触腕を増やし、軟体動物よりも滑らかな動きで、狭苦しい窓から侵入しようとしている。

 その脇に、クルーシュチャが笑っていた。今度こそ本当に此方のターンと言わんばかりに嗤っていた。ちょっとムカッと来たので行動を開始する。

 

 「えーと、じゃあこれ」

 

 窓から侵入してきた触手に、組み立て途中の本棚のパーツを渡す。木材の板、柱、パネルなどを触手が掴む。組み立て途中の、良い感じのボックスがあったので、それも追加だ。

 パワーが段違いなのかメキメキと壊れていく。捕まったら嫌だなと思いつつ、取り合えずビニール袋から、袋を取り出す。

 

 「くらえ! 所詮お前なぞ食材に過ぎない!!」

 

 『伯○の塩』。2.5㎏。

 それの封を切って、入ってきている触腕にぶちまけた。

 

 「!?!?」

 

 海水に生きている生命体なら、塩分濃度の調整機能くらいは持っている筈だ。それが崩れたら驚く。魔除けの意味もある。大体、一気に水分が抜け出て乾いた触手など、包丁でも斬れる。

 手に手袋をしているのを確認して、慌てて引っ込む触腕に、更に追撃をした。本棚の木材が邪魔になって、引っ込むまで30秒ほどの時間が稼げた。

 

 「じゃ、これ持ってってね」

 

 ボックスの中に、ビニール袋の中身を全部、投げ込んだ。

 

 妹が購入していたプラスチックチューブを纏めて鋏で切って投入。

 びりびりッと更に四つほど、袋詰めの土を封を開けて投入。

 おまけに台所から持ってきた瓶の、蓋を開けてそれも追加。

 

 果たして引っ込んだ触手は、それらを抱えたまま外に引き戻され、そして握らせたそれらを周囲にぶちまけた。

 

 ◆

 

 「うん?」

 

 クルーシュチャは、引っ込んできた触手に、何かが付属しているのに気付いた。

 塩を洗い流そうと慌てる『深き者』は、そのまま握った何かをぶんぶんと撒き散らす。

 

 「くふふ、同じ手は二度は食わな――」

 

 傘で防衛した彼女の笑顔は、しかし固まった。

 うねる触手の握力を前に、木箱は簡単に潰れてしまう。

 すると当然、圧縮された中身は破裂する様に撒き散らされる。

 

 見事に周囲に飛びちって、びちゃあっという音共に靴や衣服に張り付いた。

 一見すれば透明な液体。あるいは軽土。それらが靴や服にくっついて――『固まる』。

 

 余裕の笑顔をそのままに、ギギギと彼女は飛んできたそれらを見た。ご丁寧にビニール袋やチューブ、瓶には製品名が記されている。

 

 「止水セメント……瞬間接着剤……蜂蜜ぅ……!? ……は、剥がれな、動けない、髪に付いてべたべたする……っ!? ちょ、えっ……! も、もう怒ったぞ!? い、良いだろう、そこまで喧嘩を売りたいなら買ってやろうじゃないか……!」

 

 最初に喧嘩を吹っかけたのは彼女の方なのだが、それをすっかり忘れて憤慨する。

 

 止水セメントは数十秒から数分で固まってしまう。動転している隙に彼女の靴と地面は離れなくなってしまった。しょうがないので靴を脱いで、靴下のまま彼女は動き出す。体中が接着剤と蜂蜜でベタベタ。山盛りの塩を受けた『深き者』は、自分の触手を必死に振って治療中だ。頼れない。

 

 こうなったら、直接乗りこんでってやらあ! と気合を込めて、先ほど割れた窓に近寄った!

 

 ◆

 

 「いーちゃん、どうでしたー?」

 「どうも突風で石か木の枝が飛んできたらしい。窓ガラス危ないから近寄ったらダメだよ」

 

 触手が逃げ帰って行ったのを見送っていると、千花が廊下に顔を出した。

 幸運にもタイミングが良かった。まあ千花にはクルーシュチャが見えていないようだし、あの触手も見えなかったかもしれないが、わざわざ確認をする意味は薄い。

 

 ちらっと見ると、引き攣った笑顔のクルーシュチャが、何故か靴を履かないでやって来ていた。

 僕につられて外を見るが、千花は『何かありましたか?』と首を傾げている。

 やはり見えていない。

 

 「憂さんを呼んできて、窓ガラスの処理と窓の修理もお願いしないといけないな」

 「さっきニュースを見たら、もうちょっとで雨は静かになるらしいですよ。風も収まるって言ってました」

 「じゃあ夕ご飯を食べ終わった頃には落ち着いてるかなー」

 

 会話をしていると、クルーシュチャが窓に取り付いて、よっこいしょと侵入しかけていた。

 人の家に濡れた格好のまま入るなよ。と思ったので、取り合えず追い払おう。

 

 無視して千花を追い抜いて、窓から距離を取る。僕とクルーシュチャの間に千花が居る順番だ。

 

 「千花千花、ちょっとこっち見て」

 「はい」

 「ダァン!!!」

 「わひゅうっ!?」

 

 振り向いた千花の真横に、手袋を付けた方の腕を伸ばして、叩きつける。

 

 「どう? これが御行氏直伝、壁ダァンなんだけど。……いきなりで御免。ドキドキした?」

 「ちょっと驚きましたー。……そうですね、新鮮さはありました。今も、心臓がどきどきしてます。痺れてます」

 

 ◆

 

 クルーシュチャは痺れた。

 

 突然伸びてきた手袋は、彼女を経由したのち、壁ドンを行ったのであった。

 窓の下、廊下から死角になる場所でビリビリと悶えていた。

 

 ◆

 

 「でもいーちゃんがやっても微妙ですね。あんまりワイルドさとか無いですし」

 「そっかー、じゃあ今度は別の方法を確かめてみる」

 

 不審者が窓から外に出て行ったというか窓の外に転がり落ちたのを見て、僕は安心した。

 

 今の音を聞いたのか、玄関の修繕を終えた憂さんも戻って来る。彼女に、窓が壊れてしまったと説明をすると、分かりましたと頷いて、今度は窓の修繕を開始した。

 適当な板で窓を塞ぎ、窓ガラスの破片を拾い、床を綺麗に雑巾がけ。手際よく仕事は終わった。

 

 それでもしつこく触手が侵入しようとしていたのだが。

 憂さんは懐からナイフを取り出して、忍び込む奴に囁くように一言。

 

 『蛸はオリーブオイルで煮ると美味しいですよ』

 「!?!!?」

 

 奴は逃げた。

 

 「お待たせしました。では、夕食の準備をしましょう。千花さん、手伝いをお願いします」

 「はいはい! お任せくださーい」

 

 去っていく二人の背中を見送って、やれやれと僕は肩の荷が下りる気分になった。

 

 先ほどの千花の言葉は正しかったらしい。

 見れば帰宅時より雨も小降りで、風も随分と穏やかになってきている。

 

 クルーシュチャの姿は見えない。触手の塊も姿を消している。どうやら暫くは黙っててくれるようだ。携帯のアンテナも立っている。何とかなって良かった良かった、だ。

 

 「……ちょっとやり過ぎたかな」

 

 幾らあの女が気に食わないと言っても、流石に攻撃をし過ぎた気もしなくもない。

 例えニャルラトホテプであっても、一応彼女は人間だった訳で、しかも少女だった訳で。そういう相手を虐めたり傷付けるのは、振り返れば、あんまり気持ちが良い物ではない。

 

 「いーちゃーん、今日のメニュー、何か希望ありますかー」

 「あったかい奴かな!」

 「はーい。お任せあれですよ」

 

 千花に返事をしながら、僕は少しだけフォローをしてあげようと思ったのだった。

 甘いと言われたら其れまでだけど。

 

 あ、料理の注文もう一つしておこう。

 蛸や烏賊は少し食べたくない。

 

 エプロン姿の許嫁が可愛いなあ、結婚してたら後ろから抱きしめたいなあ。

 とか思いながら、僕も手伝う事にした。

 

 ◆

 

 我が家には僕以外に四人の住人が住んでいる。

 親父は多忙、母は色々あって自宅に居る時といない時が半々。そして妹は、基本的に自宅に居るが、事ある毎に自主練に出かけていく。幾ら運動部とは言え、中等部の女子なので、もうちょっと身の危険を感じて欲しいのだが――あの妹にそんな心配をするのは無駄。

 此処に憂さんを追加して、我らが岩傘家の成立だ。

 

 本日は憂さんと千花が作った晩御飯。机に座るのは、僕と千花と、豊実姉と萌葉ちゃん。万穂さんと我が妹と憂さん。どっちの父親も帰宅は遅くなるらしい。……女性比率が高い!

 

 むっちゃ肩身が狭い。藤原家の四人は僕に何かと茶々を入れ、妹はそんな僕を見て『だらしがない』と睨んでいる。頼れる憂さんはキッチンとテーブルを往復して常に座っている訳ではない(尚彼女も一緒にご飯を食べているぞ。お手伝いさんだからといって別扱いはしない)。

 

 「それで今日はいきなり壁ドンしてきたんですよー、驚きましたよー」

 「おー、責めましたね、お義兄さん! 今度私にやってみたらどうです?」

 「あらあら、萌葉じゃ身長が足りないわ。此処は私にやって貰うのが良いんじゃないかしら」

 「お二人とも勘弁して下さいって」

 

 湯気の立っているロールキャベツに舌鼓を打ちながら、わいわいと会話をする。

 でも、この賑やかさは悪くない。

 

 「やっても良いですけど、千花の前でですよ?」

 「そうですよー。取ったら怒りますからねー」

 「取らないわよ」

 

 和気あいあいと歓談が進む。

 憂さんは龍珠組の若いのと順調に交際が進んでいるようだから、そう遠くない内に家を抜けるかもしれない。豊実姉もずっと独身というのは無いだろう。そして僕と千花は、独立して新居を構えることになる。

 時間は長いようで短い。この時間を味わうのは悪くない。

 

 「と、そういえばちょっと用事を思い出した。席を外すね。すぐ戻る」

 

 一言断って、僕は居間を出る。向かう先は玄関だ。

 途中、自分の部屋によって、保温しておいた給湯ポットとカップ麺、割り箸も一緒に抱えた。

 そのまま玄関から外に出る。

 随分と顔に当たる雨も少なくなって、湿度のある風が吹き寄せる。蒸し暑さも感じない。

 

 「其処に居るんだろクルーシュチャ。折角だから食べてけ」

 「くふ、ほ、施しなら、受けないぞ? こ、これほどの屈辱を受けたのは初めてだぞ!」

 「素が出てるぞ素が。施しとかじゃないから。大体『こんな屈辱が初めて』とか言っても、僕らと大して年齢変わんないんだろ? じゃあ遠慮せずに食べとけよ」

 

 だぞ!ってなんだよ、だぞ!って。それが素の口調という事か。

 

 未だに服もずぶ濡れの女がそこには居た。

 接着剤と蜂蜜で、灰色の髪はベタベタ。モノクロ衣装はセメントで灰色に汚れている。

 其処はニャルラトホテプらしく、何の変哲もない服に着替えておけよ、と思ったが。

 

 「人に見られていないと手品は出来ないんだよ……!」

 

 僕が全部ガン無視した結果、早着替えを発動することも出来なかったらしい。

 というかやっぱり手品だったのか。大体何かしらのトリックがあるとは思っていた。だからこそ退治(物理)が効果を発揮すると思っていた。それは証明されたわけだ。

 

 場所が場所故に、恐らく僕らの屋内での会話は聞こえていただろう。

 暖かく賑やかな我が家と比較して、一人寂しく、野外で、くふくふふと笑っていたこの女の精神状態は如何なるものか。

 愉悦も出来なければ、多分、悲しいとか虚しいと表現できる筈である。

 

 その証拠に、カップ麺を見て、喉を鳴らしていた。

 微妙に目元を拭った跡まであった。

 ……やっぱ怖くないわ、コイツ。

 

 「要らないならゴミ箱に捨てておけばいいよ。明日は燃えるゴミの日だし。じゃ」

 「くっ、くふふ、お、覚えておけよ!!」

 

 屋内に戻る僕の背中に奴の負け惜しみが飛ぶ。

 半分ヤケクソ半分泣き声になったような、声だった。

 

 「次は負けないからなぁあああ!」

 

 泣きながら走り去って行く姿は、邪神ではなく普通の少女だった。

 アフターフォローはこのくらいで良いだろう。奴のしてきたことに比較すれば、僕の今日の行いは可愛い反撃だ。次またちょっかいを掛けてきたら、同じように反撃してやれば良い。

 

 尚、ちゃんとカップ麺にはお湯を注いで、割り箸と一緒に持っていった。

 翌日、代金が封筒に入ってポストに投函されていたとも付け加えておこう。

 律儀な女である。




本日の勝敗:岩傘調の完全勝利(パーフェクトゲーム)
理由:クルーシュチャは半泣きで逃げだした。
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