幼馴染で隣人で許嫁な彼女と惚気たい   作:金枝篇

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クルーシュチャちゃんはポンコツ


岩傘調は休ませたい

 その日、僕の気持ちは割と沈んでいた。“割と”というより“かなり”沈んでいた。

 教室に入った僕は、挨拶こそちゃんとしたが、それ以外は割とおざなりになって机に付く。豊崎は『体調でも悪いのか?』と聞いてきたので、身体より精神的に少し、と返事をした。

 

 神話的恐怖やらSAN値直葬案件やらに関しては異常に耐性がある僕の精神だが、その逆には弱い。平たく言えば、人間同士の関係から生じる感情の機微にはかなり弱い。今回もそれである。

 

 「なんだ、藤原さんと喧嘩でもしたのか?」

 

 「そんなことは無いよ。むしろ昨日は藤原家と一緒に夕食を取ってとても盛り上がった。特に千花が可愛かった。ロールキャベツを作ったんだが――この暑い中でとか言うなよ? 台風でじめっとしてた上に濡れて肌寒かったからな――味だけでなく、食べた時のリアクションまで可愛くってなー、下を火傷しましたって小さいベロ出してくるの。口内炎に効く薬を塗ってあげたくらいで……」

 

 「すまん聞いた俺が馬鹿だった」

 

 遠回しな遠慮の言葉に僕は黙った。そして窓から空を見て、つい溜息が出る。

 溜息を吐くと幸せが逃げるというが……どうしても吐き出さずにはいられなかったのだ。

 そうこうしている内に千花も教室に入ってきた。そして僕の元に。

 

 「いーちゃ……調さん、そこ、私の席です」

 「……そうだね」

 

 のそのそと動いて隣の席に移る。なんとなく千花の座席に陣取ってしまっていた。

 この点だけでも僕が割と、精神的ダメージを負っていることが分かって貰えると思う。

 

 「藤原さん、岩傘に何があったんだ?」

 「んー、何と言いますか、人間関係が変わるのはしょうがないですよね、って話です」

 

 こういうことに関しては、女性の方がずっと耐性が高いという。

 事情を知っている千花は、あんまり詳細に話すのも身内の話なので、と言葉を選んだ後で。

 

 「長年働いてくれていた、調さんの家のお手伝いさんが、そろそろ辞めるって話が出まして」

 

 簡潔にそれだけを伝えてくれた。

 

 ……そうなのである。憂さんが、家を離れる、という話題が出たのである。

 昨日の台風の日、藤原家の皆が帰宅した後。……親父が家に戻ってきた後で、彼女が切り出した。淡々と、いつも通りの鉄面皮のまま、抑揚も変わらないままに、切り出したのだ。

 

 無論、今すぐという話ではない。だけど近い内に、彼女は家から居なくなってしまう。

 変わらないものは無い。環境は必ず変化する。だから今が大事なのだと僕は自分に言い聞かせていた。だが実際にその局面が訪れると、覚悟していた以上の衝撃がやって来るものだ。

 

 だから少し、今日の僕は、あんまり元気ではない。

 そんな僕を、千花は『如何したものですかね』と、何時もは僕が腕組みして考えるような顔で見つめていた。……授業だけは真面目に受けたが、それから放課後まで、僕の精神は低空飛行のままだった。

 

 ◆

 

 「別に、嫌って話じゃ無いんです。僕より10歳年上で……初等部の頃から、ずっと家に居てくれました。本人も、秀知院に途中編入で、勉学に付いていくのに必死だったのに……なのに二足の草鞋を履いて、家の事をやってくれました。だからそろそろ我が家のお手伝いさんから、極々当たり前の、普通の女性としての幸せを持った『お嫁さん』になって欲しい、という気持ちはあります。これ以上、縛っておくのもと。ただ、それと上手く感情が切り離せない……。そういう事なんです。すいません、愚痴っぽくなってしまって」

 

 「いや、構わんさ。お前が愚痴を吐くのも珍しいからな……。生徒会長として、役員のケアをするのも当然の事だ。いっそ吐き出して楽になっていけ」

 

 生徒会室で、僕は事情を話していた。御行氏は書類に目を通しながらも、聞いてくれている。

 話していると口の中が乾いたので、珈琲を二人分入れて、一つを御行氏に。もう一つを自分に。そして無意識の動きで蜂蜜を珈琲の中に投下して『あ、やっべ』と思った。まあ味には問題ないだろう。そのまま飲む。悪くない。頭の中の靄が晴れていくが……気分は沈んだままだ。

 

 「大事な家族なんだな」

 

 「大事です。……あの人が居ないと、今の家は無かったんですよ。僕と養母の関係は悪いままだったでしょう。(キーちゃん)は家の一員になれなかったでしょう。そういう気の使い方が出来る人で……。……学生時代も、家柄や身分に関係なく、憂さん自身を見てくれる人は、彼女のそういうところに魅かれてました。でも岩傘の家を優先して、告白を断ってったんです」

 

 「バレンタインの時に顔を見たが、優しくて芯が強そうな人だったな」

 「その通りです。――そんな人が、いなくなる、ってのが……」

 

 僕はそこまで言って、首を振って気分を切り替えるように息を吐いた。溜息になってしまった。

 生徒会室で延々と愚痴を吐く訳にも行かない。仕事はしなければ。

 

 「失礼しました。少し楽になりましたので……。――御行氏、それで今日の仕事は?」

 「……ふむ、じゃあお願いするか」

 

 良いのか? と一瞬気遣ってくれたが、僕の顔を見て即座に頼みを了承してくれる。

 御行氏もそういうところ凄いと思う。敢えて優しくするのではなく、僕の感情を優先して頼みを聞いてくれる、というのは余人には中々出来ない選択だ。

 彼は僕に、一枚の資料を見せた。

 

 「『血溜(ちだまり)沼』が酷いことになっている。先日の台風が原因だ。業者は手配したが、此方でもある程度の清掃はしておかないと不味いだろう。姿勢だけでも」

 「……去年の春先に聞いた話ですねそれ」

 「俺も自分で言ってそう思った」

 

 互いに軽く笑う。少しだけ気分が晴れた。

 

 御行氏が写真を見せてくれる。これは酷い。

 暴風で飛んできた木枝や葉はまだ良い。空き缶やペットボトル、果てはカップ麺の容器まで水に浮かんでいる。そしてお決まりのように水は濁っている。

 

 『血溜沼』。学園の裏手にある沼だ。一応整備されていて、どちらかといえば「沼」よりビオトープ的な環境になっている。しかしこの沼、欠点が一つ。立地の問題か、地質の問題か、それとも沼の構造の問題なのか、どうにも配管が詰まる。かなり詰まる。

 沼の底に落ち武者の首が落ちている、なんて噂がある位には、水の循環が悪い。

 

 懐かしいな。昨年の春――御行氏が入学してきて直ぐ、か。あの時も、先代生徒会長の指示の元、沼の掃除(ボランティア)が行われた。確かその時、マスメディア部の部長が溺れかけて……かぐや嬢が飛び込んだ、のではなかったか?

 

 あれが御行氏と彼女のファーストコンタクトだったように思う。

 

 僕も活動には出ていたが、運悪くゴミ袋を運んでいる最中だったので、救助に行けなかった。沼に戻って来た時に、かぐや嬢が飛び込んで助けたという話を聞いたのだ。あの時まだ、かぐや嬢は氷のような態度だった。懐かしい。

 

 「俺が監督に行きたいんだが、生徒総会に向けて仕事が山積みでな。同様の理由で石上も手が離せん。すまんが代理で顔を出して欲しい。後でチェックに藤原書記を向かわせる」

 「僕なら一緒に沼に入ってもセーフですしね」

 「無理強いはしないがな」

 

 そういう事だ、という御行氏の言葉に、了解、と僕は写真を受け取る。

 ボランティアで活動してくれる生徒がいるとは言っても、割と雑だ。沼の中まで足を沈めてゴミを拾うような奴は奇特である。大体の場合は、投網や籠を投げての廃品回収になる。

 一応綺麗にしましたよ、と言える程度にしておけば良いだろう。

 

 ……あれ、今、かぐや嬢ではなく千花と名前が出たか? 何時もと違うな?

 

 「そういや……かぐや嬢はどちらに?」

 「む、朝に連絡したが聞いていなかったか?」

 「……すいません。聞いたかもしれないですが、耳から抜けていたかもしれません。かぐや嬢の話に合わせて、朝、他の連絡をしてくれていたなら、それももう一度お願いします」

 「四宮なら風邪を引いて今日は休みだ。他の連絡は、特には無い」

 「風邪ですか」

 

 昨晩の大雨でも特に身体が濡れたなんてことは無いだろうし……。

 季節の変わり目は体調を崩しやすいというが、今は夏。いきなり風邪をひくのは珍しい。

 恋愛馬鹿になったから風邪を引いたとか、そんな理由ではないだろう。

 

 「分かりました。じゃ、行ってきますよ。……ちょっと気になる部分もあるので」

 

 僕は資料を受け取って、席を立った。仕事はしなければいけない。

 ……写真の中に写っているカップ麺の容器を確認する。

 僕の目が確かならば、これと同じ商品を、先日の夜、クルーシュチャへと差し入れたのだ。

 

 ◆

 

 「……広報? 岩傘広報―? 大体終わりましたよー?」

 「え? ああ、うん、……ありがとうございます柏木さん。翼君も」

 

 気付けばゴミ拾いは終わっていた。

 『血溜沼』の清掃はそこまで手間暇を費やすこともなかった。ボランティア部の皆も協力してくれたし、その他有志の生徒達の姿もある。昨年春みたいに誰かが溺れる様な事件も起きずに済んだ。まだゴミは残っているが、あとは業者に任せて問題ない程度には綺麗になったと思う。

 

 どうもありがとうございました、と参加してくれた生徒の名前、学年を控える。

 因みにこれは後日、生徒会から教員へと提出される。内申にちょっとだけ響くかもしれない。内申狙いだろうと何だろうと参加してくれたなら問題は無いのだ。

 

 各自を解散させた後、僕は沼の傍にあるベンチに腰かけて、動かないでいた。

 

 意識は散り散りで集中が出来ていない。授業も――宜しくない事に――話半分だった。ノートには書いたが、これは復習に気合を入れないと取り零しそうだ。

 視野が狭くなっているのが分かる。どことなく空は――夏の煌びやかな青なのに暗く見える。此処だけ、僕だけが、一人取り残されたような感覚だ。

 

 『少しずつで良いから回りを見るようにしましょう。調さんは集中し過ぎます。闇雲に努力をするだけではいけないんです』

 

 ふと憂さんから教わった言葉が頭に浮かぶ。

 

 あの人が本当に得難い人だと思う最大の理由は、僕を叱ってくれた事だ。

 若い時分(といっても今の僕も、所詮は高校生の若造だが)の僕の、若さ故の未熟さというか、好き勝手する性根を、彼女は逐一、叱ってくれた。

 怒鳴られたり、叩かれたりの記憶は殆どない。

 その代わり淡々と正論を告げ、僕に逃げる余地を与えなかった。

 貴方が雇い主の子供でも、駄目なものは駄目ですと説教をしてくれた。

 

 「……参ったな。……此処までショックを受けるとは予想外だ」

 「そですか? 私は割と全うだと思いますけど」

 「! 千花か。何時からそこに?」

 「たった今ですよー。近寄っても全然反応しないんで、隣に座ったんです」

 

 思い出しながらぼーっと溜息を付いていたら、隣に座っていた千花が、普段よりちょっとだけ真面目な顔で笑っていた。

 僕の反応に、彼女は何も言わずに肩を掴んで、そのまま引っ張る。されるがままの僕は、そのまま横に倒れ、千花の膝の上に頭が乗る姿勢になる。

 

 「前、言ってましたよね。膝枕して欲しいって。だから、ほら、してあげます」

 「……ここなら人目もないか」

 「はい。だから、いーちゃんは、力を抜いて下さい。私の膝なら何時でも貸します」

 「ん」

 

 左耳に感じる千花の暖かな太腿の感触に、再び、記憶がフラッシュバックした。

 

 まだ養母が家に居らず、(キーちゃん)も家に居なかった頃。千花がペスを飼う前後の頃。僕は家で一人で、憂さんが親代わりだった。彼女は時に、僕に膝を貸してくれた。養母が家に来た後、そういう交流は消えた。

 ただ今でも時々思い出す。憂さんも覚えていてくれるらしい。時々弄られる。無表情のまま。

 

 「……いーちゃん。悲しいなら、口に出して良いですよ。寂しいなら、寂しいって言いましょう。色々な思い出があります。私だってお世話になったんですから……。ならそれは、一人で抱え込むものじゃないです。そうでしょう?」

 「……うん。――御免、そうする」

 

 此処には他に誰もいない。だから少しだけ昔の話を、二人だけで思い出しても良いだろう。

 

 ◆

 

 優華・憂という人が家に来たのは、僕が6歳の時だ。

 当時僕は、秀知院学園初等部に入学したばかり。岩傘家と藤原家の記録を探せば、僕と千花が二人仲良く並んだ写真が、今も残っているだろう。

 

 だけれども、当時の僕が幸福だったかといえば……そうでもない。

 

 お金には困っていなかった。

 親父は、当時はまだ社長でこそなかったが、既に割と社内でも辣腕を振るって管理職まで出世していた。隣人の藤原家と仲が良かったから、何かと迷惑を掛けつつもお世話をして貰った。

 

 最大の理由は、お母さん――実母の行方不明という事件にあった。

 

 お母さんは海外特派員そして戦場カメラマンだ。それもフリーランスの。

 多国語を巧みに操り、身体能力とコネを利用し、世界中のあちこちを回って様々な写真を撮る。紛争地帯に乗りこんで激写した物が、記事の一面を飾ったこともある。

 だからこそ、妙に邪神的イベントに遭遇するらしいが、それは割愛。

 

 生きていることは知っている。今も探索者とカメラマンは両立しているらしく、一年に一回、親父の会社には特ダネと共に歴史的に重要になりそうな写真を送って来る。

 その行方を追うのに、四宮家の力が必要なくらい、行動が読めず、破天荒なだけで。

 

 今現在、海外カメラマンといえば、例えばテロ組織の人質にされるとかで、良い顔をされない。10年前は今ほどではなかったが、それでも危険と隣り合わせ。僕が生まれる前は、もっと凄い勢いで駆け巡っていたらしく、そのエネルギッシュ(過ぎる)姿勢に、親父は魅かれたらしい。

 

 そんな危ない仕事をする女性を妻に、という事で何かと実家――ここで言うのは祖母や祖父ら、父方の親である――との喧嘩があったが、これはF氏こと大地さんの助力もあって無事に解決。二人は結ばれ、僕が生まれた。そして僕が幼等部に入るころに、取材に出かけた。

 そして戻らなかった。

 

 母親としての責務を果たしていない……、親失格だという言葉は、事実だと思う。

 ただ僕は嫌いになれなかった。当時はちょっと複雑だったが、今は受け入れている。

 中等部、インスマス辺りに足を運んだ時、出会って話が出来たのも大きい。

 

 日本の法律では、消息不明後、七年間で死亡扱いとなる。

 何せ岩傘家は日本情報産業のトップに位置する家なので、世界中に手を伸ばして、お母さんの行方を捜した。しかし見つからなかった。

 

 既に何処かで死亡しているかもしれない。そんな諦めが皆の心に去来した時、我が家の扉を叩く女性がいた。それがまだ若い、当時16歳だった憂さんだ。

 彼女は、お母さんの手紙を携えていた。手紙には、無事元気でやっている、少し事件に巻き込まれたが心身ともに健康との記述と、憂さんと一緒に撮ったばかりの写真が一緒だった。

 

 ……手紙には、憂さんの保護者になって欲しい旨も書かれていた。

 さる紛争地帯で拾った娘である、私の恩人で、私を恩人と思っている、と。

 家事、運転、機械工作、護衛は十分にこなせるとお墨付きだった。

 

 当然、難色を示した人間も多かったが、親父は受け入れた。憂さんが生真面目で、その時はまだ完璧とは言えないが日本語にも十分堪能で、家政婦としてのスキルも高かった。

 そして彼女は、僕の家に住み込み始めた。親父の伝手で秀知院へ編入した。

 

 ……彼女は、努力家だった。異国の地で、今までとは全く違う環境だったのに、石にかじりつくような姿勢で勉強をし、家事と両立させ、僕を懇々と育て上げた。

 彼女のお説教は、本当に延々と僕の記憶に残っている。

 

 『嫌いな物があるのは構いません。しかし食べる努力をしましょう。少しで良いから口にする。出来たら次、もう少しだけ頑張る。その積み重ねです。食事に限らず、苦手な物から逃げているだけでは何も変わりません。出来ないと認めなさい。まずはそれがスタート地点です』

 

 『勉強をしろとは言いません。自分の時間を、ゲームに費やそうが、読書に費やそうが、千花さんとの遊びに費やそうが、私は何も言いません。しかしすべき事は、しましょう。何故ならば貴方の信用に関わるからです。貴方の信頼にも関わるからです。何をしても他人から信じて貰えなくなったら嫌でしょう? 千花さんにも、嫌われますよ』

 

 『具合が悪いときは無理をしないで言うように。平気平気と無理をして頑張ったら、その分反動は大きくなります。自分を客観的に見れるようにしましょう。視野は広く持ちましょう。……一歩、一呼吸、それで少しだけ景色は変わります。……ま、今は良いです。良いから布団で寝ていなさい。今水枕を持ってきます。今日は私もこの部屋で寝ますから、安心して』

 

 『千花さんを泣かせましたね? 理由を教えてください。……なるほど、それは調さんが悪い。ちゃんと謝りに行きなさい。泣かせたのは無論悪いことです。しかし、泣かせたのだと自覚を持ち、反省して、次に繋げましょう。私も一緒に、行きます』

 

 『おめでとうございます。誕生日ですね。……腕によりをかけました。美味しく食べて下さい。……調さんが昔より笑うようになって、私はとても安心しています』

 

 『母の日ですか。私を母と呼ぶのは止めましょう。貴方のお母さまは一人だけです。少し譲っても養母さんまでです。私は……そうですね、この前、誕生日を祝って貰ったので十分ですよ。でも気持ちだけ頂いておきます。このプレゼントも』

 

 『男の子には、我慢する時と、泣きたい時があります。泣きたい時は――こっそり泣きましょう。信じる誰かに、頼りましょう。千花さんが恥ずかしいなら、私の膝を――』

 

 「膝を、貸しましょう、か」

 「……です。ね、いーちゃん。知ってますか? 憂さん、いーちゃんの知らない場所で、私にも色々教えてくれたんです。私が悪い時は、私にもちゃんと叱ってくれたんです。素敵な人です……。私も寂しいです。とても」

 「うん」

 「だから、私もここに来ました。ここに来れば、いーちゃんが居ると思ったので」

 「……うん」

 「傍に居ます。私は、ずっと」

 

 それだけじゃ、駄目ですか? という彼女の言葉に。

 膝に顔を乗せたまま、僕は腕を千花の腰に回して、そのまま埋めた。

 

 涙は出ない。ただ、彼女が居なくなるんだな、という現実を受け止める。

 痛い。辛い。寂しい。

 喜ぶべきことなのに、悲しい。

 

 そんな僕に千花は何も言わなかった。

 傍に居ますよ、と小さく囁くように重ねて、じっとしてくれていた。

 

 ◆

 

 「……有難う。随分と、楽になった。……はい、これ。沼の清掃の確認表。御行氏に持ってって渡してくれるかな。僕はもう少しだけ、ここで一息入れてから戻るよ」

 「いえいえ。良いですよー。ですが今度は、私に膝枕してくださいね?」

 「分かった」

 

 何分くらい、そうしてぼーっとしていたのか。

 学園のチャイムが鳴った音で、僕は顔を上げた。

 

 時刻は17時を指している。これ以上は長居せず、生徒会室に戻って仕事をすべきだろう。

 千花を先に帰して、僕は気分を切り替える様に大きく伸びをした。

 

 ――よし、頑張るか。

 

 気合を入れたのと同時、スマホの着信音が響いた。

 画面を見る。其処に表示されていたのは、龍珠桃の番号だ。

 

 「もしもし? 珍しいな、何があっ」

 「それどころじゃねえ。優華・憂は無事か!? こっちの若いの――彼女と交際してたのが消えた。それも怪しい連中に攫われたみてえだ。先日の『星龍会』は抑え込んだと思ったんだが!」

 

 言葉に耳を疑った。

 

 「……ちょっと待て、どういうことだ? 阿天坊先輩経由で圧力もかかったんだろう?」

 「確認したら情報は入って来てないとのらしい。多分、組織だった犯行じゃねえ。個人による恨み辛みが近いと睨んでる。こいつは小島の見解も一緒だ」

 「りょ。すぐ折り返す」

 

 このタイミングでそれかよ! と思いながら僕は憂さんの番号を呼び出した

 コール音が響く。一回、二回、三回。その後に――。

 

 「はい、憂です。……どうしましたか?」

 「無事でしたか。実は」

 

 彼女は出た。手短に用件と事件を伝えると、声が一瞬だけ強張り、注意します、急ぎ組と合流します、と返事が来る。大丈夫、電話の向こうの声は普通だ。

 

 ほっとする。此処でまた、怪しい邪神的なトラブルに巻き込まれるのは勘弁して欲しい。第一、先日あんだけ、けちょんけちょんにしたクルーシュチャが暗躍したとは思いたくないのだ。

 すぐさま、龍珠桃に連絡を返すと、此方もほっとした声が返ってきた。

 

 とりあえず――とりあえず、憂さんが巻き込まれるのは防げそうだ。

 心臓に悪い!

 これで彼女の行く先がバットエンドとかふざけんなと叫ぶぞ。

 

 「お困りのようだね、くふ」

 

 ……言ってたら本当に嫌な声が聞こえた。

 

 顔を上げると、そこには先日追い払ったニャルラトホテプの顔があった。涙目はどこへやら飄々とした態度。唯一違うのは笑い顔が醜悪ではないことくらい。

 しかも彼女は、我が秀知院の学生服に身を包んでいる。白黒モザイクツートンカラーの服は汚れて使えないとしても、どっから調達したんだ。まさか泥棒じゃないだろうな?

 

 思わず殺気を込めた瞳で睨んだ僕に、待て待て!違う!と慌てて彼女は言い訳をする。

 

 「流石に今回の事件は私が犯人じゃないし、関与してもいない! むしろ逆だ! 今回は素直に助けに来たというか、助けを求めに来たというか、そういう感じだ!」

 「はあ……?」

 「約束する約束するぞ! ()()()君たちを始め、学園のあらゆる人間に邪神的トラブルを持ち込まない。今回の事件も退治を依頼って訳じゃ無い。神話的な悪意も持ち出さない! ただちょっとだけ手伝いが欲しい。君の家のお手伝いに、手伝ってほしいんだぞ!」

 

 くふふ、という笑いをしない辺り、どうも本気らしい。

 どういうことだよと説明を促すと、彼女は少しだけ『何から切り出そうか』と考えた後。

 もの凄く真面目な顔で、告白した。

 

 

 「えーと、……カップ麺を泣きながら食べていた私は、学園の中で、四宮かぐやに保護されて……彼女に風邪を引かせる原因を作った挙句、部下の触手は管理下から逸れてしまったんだぞ。――あいつが犯人です。すいません助けて下さい」

 

 

 さっき自分で「私は犯人じゃない」って言ったけど、どう考えてもお前が犯人じゃねーか。

 僕は――朝からとは全く違った意味合いの溜息を吐いて――再び、憂さんに連絡を入れた。




次回で《優曇華の花》篇は終了です。

中の人の多忙に付き、ちょっと更新頻度が遅れそうですが、
停止も中断も挫折もしないので気長にお待ちください。
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