もう今更なんですが!
今回は、藤原千花と、思いっきり思いっきり関係が進展するので!
それをご承知で! 読んでね!
岩傘調は抱きたい※
「津々美さんは、ちゃんと泣かせておいたんです」
「そっか」
扉を開けた時も、部屋に入った時も、ベランダに座った時も、千花の態度は何時も通りに見えた。少なくともパッと見はそうだった。
ホテル最上階に近い、この部屋のベランダには、数人が楽に座れる長椅子と、パラソル付きの小さな机が置いてある。長椅子に並んで座って、夜景を見ながら、何を話そうかと考えていた時、最初に出た話題が、それだった。
天文台からの帰りの車の中、千花はしっかりと津々美を泣かせたらしい。悪い意味ではない。泣きたい時に泣けないと大きな傷になる。だからしっかり悲しみを分かち合ってきた。そう言った。恋敵の為に本気で助言して本気で泣ける。千花の凄いところだ。
車の中のかぐや嬢、
振った振られたの問題と解答に、正解は存在しない。結果があるだけだ。その結果を受け入れるしかない。
「ごめん。色々と」
「えー、それは私の言葉ですよ。津々美さんを応援したのも、いーちゃんにけしかけたのも、私が好きでやったことです。私が押し付けた、そうでしょう?」
あっけらかんとして言う千花に、そうじゃない、と僕は投げる。
「
「……そこ指摘しますか」
「分かるよ。何年付き合ってると思ってる」
はあああ、という声にならない声を吐き、ゆるふわ髪を手でぐしゃぐしゃとしながら、千花はがくっと肩の力を抜いた。座ったまま俯いて、顔が隠れている。相当、溜め込んでいたらしい。
……僕が溜め込ませたのだ。
黙って吐き出すのを待つ。先を促したことは、向こうも分かっていた。
「津々美さんを嗾ける度、正直ちょっと心が曇りました。応援している横で、素直に応援しきれない自分が居ました。最初から結果が分かって安堵している自分が居ました。……嫌な女だなと思いながらも、でも応援するのは、辞めませんでした。……それもこれも全部いーちゃんのせいです。いーちゃんが、私をこんな風に変えたんです!」
「それは……反論出来ない。――愛想が尽きた?」
「この程度で愛想が尽きるならとっくに破局してます。……でも」
大きく息を吐いて顔を上げた千花は、僕を見る。
「
言うや否や、彼女は僕の元に顔を寄せる。胸元に、飛び込んでくる。
受け止めた。
とん、と胸板にぶつかる彼女は、勢いはなかったが、とても重かった。
……藤原千花は、そういう娘だ。友人の為に泣けたとしても、自分自身の為に泣くことは滅多にない。感情表現の一種として泣き顔を見せることはある。表の顔は直ぐ変わる。だけど心の奥底を露にする相手は、ごく限られている。
御行氏が、かぐや嬢が、その心の奥を出さないのと同じように。
石上が嘗て僕らに見せてくれた程の、底にある「ソレ」を見せてくれる相手は、限られている。
家族か……あるいは、僕か、だ。
「ふざけんじゃ、ないですよ」
彼女の声は泣いていて、顔は見えないけれども、僕は胸元にじんわりとした熱を感じていた。
顔を絶対に上げさせないと示すように、僕の二の腕を、ぎゅうっと握ったまま、訴える。
「割り切れる訳、ないじゃないですか……! 嫉妬するに、決まってるじゃないですか! ……本当は言いたかったんでずよ! 言わないで我慢じでだんですよ! 岩傘調の相手は私ですよ! って! 津々美ざんを相手していないでこっち見てよって!」
「……ごめん」
「謝んないで良いです! いーちゃんはそういう人だって分かっでまず! 協力もします!絶対に私を選ぶってのも知ってますでも寂しい物は寂しいんですよぉ! 馬鹿ぁ!!」
千花にばしばしと叩かれているようだった。言葉は彼女の痛みを伝えて来ていた。
彼女の指摘の通りだったから、反論もせず、僕はじっとしていた。
……昔から何回もこういうがあった。だけどその時より、ずっと千花は悲しんでいる。それはきっと高等部になって、人間関係が増えたから。御行氏、かぐや嬢、石上、その他大勢の皆との関わりが成熟したから。
幼い頃から若い頃まで、単純な好き嫌いから、その意味が色々な形で深くなっているから。
……だからその分、僕の行動は重く面倒になり、千花は……こうしてダメージを負っている。
けれども。だけれども。僕は多分、これを変えられない。
千花と僕が幸せならそれで良いと割り切れない。
昔はそうだった。昔は、千花が幸せならそれで良い――自分を後回しにして、己を殺して尽くしていた時期もある。それから、千花に怒られて二人で幸せならばと思い直した。
だけれどもその結果が憂さんの孤独で、その結果が義母との確執で、その結果が
一緒に歩いて、一緒に耐えてくれている。辛い道でも協力して頑張ってくれる。
ならば僕は、千花が大変だと、辛いと、キツイと、そう言った時に、必ずそれを受け止めなければいけない。不満を、嫉妬を、我慢を、苦痛を、憂欝を、行き場のない感情を、受け止めよう。それは義務ではない。僕から千花への
「……ぐずん、……いーちゃんの
「でも?」
「私は、やっぱり、そういういーちゃんが、好きです。迷惑を私にばっかりかけて、自分達の幸せを他人に別けようとする、そんないーちゃんが、好きです」
「……僕は、好きじゃない」
言葉に、千花が「!?」という顔で僕を見る。
だから即座に言った。
「もっと大きい。好きや大好きじゃ足りない。――やっと顔を上げてくれた」
目尻を腫らした、今も微かに涙の跡が見える千花と向かい合う。
「あ、……愛してる、から」
僕の言葉の意味を聞いて、彼女は段々と顔を赤面させた。え、あの、と言葉にならない言葉を言った後で、やがてポツリと吐き出した。
「……そんな風に言われるの、何時以来ですかね」
「自分でも言ってて恥ずかしくなった!」
「もう! 其処は何時もみたいに平然としてて下さいよぉ!」
本当だ。短いたった五文字の響きだけど、言うのに恐ろしく勇気が必要だった。好きだと言うのには慣れているが、流石に真面目に愛を囁くのはまだまだ照れ臭い。
段々と調子が戻ってきた千花は、笑いながら僕を小さく何度も叩く。彼女も恥ずかしいらしい。
「……座ろう。話したい事、色々あるんだよ」
「順番が違いますけど、今からロマンチックにお話ですか」
「うん」
促しながら、長椅子に並んで座る。
目の前の夜景が、何処までも煌びやかに光る中、寄り添った。
◆
「と言っても話す内容、まとまってないんだ。部屋に来るまでは本当、色々言いたいことがあったんだよ。夏休みのこれからの話とか、生徒会の話とか、かぐや嬢の話とか、二学期からの話とか、今までの貸し借りの話とか。色々さ。色々あったんだ。だけど来たら言葉にならなくなっちゃって。……どうしようかな……って誘った癖に、困ってる自分が居る」
「普段あんなに自慢ばっかりしている癖にですか?」
「他人に見せつけるのは良いんだよ。でも今は二人きりだ。千花相手に格好つけても始まらない。さっきの一件だってそうだ。前に生徒会で話してたでしょ。千花は、僕のダメな部分の大部分を知ってる……。素直に接せるけど、素直になり過ぎても、逆に何も言えない」
素直な言葉に、千花は笑って。
「じゃあ私から。――知ってます? 此処だけの話、お姉ちゃんも萌葉も、結構いーちゃんの事好きですよ。家族的な意味でですけど、私の知らない話、結構してくるんです」
「例えばどんな?」
「私が知らない岩傘家での態度とか、私が知らない子供の頃の微笑ましいエピソードとかです。この前なんかアメリカ旅行中の事件の話していました」
「……情報源は、憂さんと
「ですです。驚きましたよ。いーちゃん、義母様に再会してたんですね」
「だから吹っ切れた。千花も知ってる通り、最初は折り合い、悪かったからね……」
ハワイの景色に、過去の嘆きは溶ける。
その昔、家庭の事情でストレスをため込んだ僕は、ふらっと旅行に行っていた。この話は過去にしたと思う。僕は、その時「お母さん」に再会した。今の義母ではなく、産みの母に。
クロウさんに出会ったのもその時だ。海が苦手になったのもその時だ。
そこで僕は、ちょっと吹っ切れて、ちょっと成長した。自分で言うのもなんだけど。
義母とは、今は仲が良い。仲直りが出来たのだ。元々向こうが嫌っていたのではなく、僕が上手に接することが出来なかっただけだった。高等部に入った頃にはほぼ改善され、今ではお弁当を作って貰ったりしているし、会話も多い。
義母の体調の都合上、毎日という訳にはいかないけれども……。
「そして表にする秘密。実は私の元には、時々、
「マジで!?」
「マジです。メールですけどね。勿論、義父様、
「道理でえ……。憂さんだけじゃ知識量に無理があるなとは思っていたんだよ……」
僕を生んだ母:岩傘
離れているが、流石は母というべきか、僕の方から連絡を入れられることは滅多にないが、向こうはこっちの情報を良く掴んでいる。四宮家のシークレットサービスを駆使しても足取りを追うのが困難な人の癖に、連絡を入れるのは怠らないらしい。
相手が僕ではなく、
「短いですけどね。何故か、適切な助言が来ることも多いです」
「そっかぁ……。最後のメールにはなんて?」
「それは秘密です。大体の場合『息子と旦那には内緒でね』と書かれてるんですよ。だから来ましたと報告だけは、伝えていますけれど……詳しくは言えません。割と過去の話が多いですよ。古読さんを篭絡した時の話とか載っています。『親子だから好みはそっくり』って」
「親父も苦労してるな……」
まあ親父と好みが似ているのは間違いない。女性の趣味――まで同じとは言いにくいが、それ以外の部分でそっくりだ。
好みを承知した上で、女を磨いて、アプローチしてくれる。
「お嫁さんとしての修行は、まだまだです。お掃除やお洗濯はさておき、料理とか大変なんですよ? 最近やーっと生魚を裁けるようになりました」
「そうなんだ? ひょっとして鮫の時も……?」
「えへへ、実はそうです。言いませんでしたけど。憂さんと一緒に少しだけ」
後日知ったことだが、僕らが止まったホテルは「自分で料理も出来る」ホテルだった。専門家に任せても良し、食材を渡してお願いするも良し、自分らで手間暇かけるのも良し。
男を捕まえるのは胃袋からという言葉がある。
僕が益々千花に篭絡されるのも無理はない。料理以外にもいろいろな部分で僕への攻勢を緩めない。ピンポイントで急所を狙われているのだから負けるに決まっている。
何時ぞや発見されたR18本(未だにちょっとずつ増えている。彼女が居るのに読むな? ……馬鹿言うな、そこは男子なんだからしょうがないじゃん)も今なお確認しているのもある。女性は過激な本に耐性があるというが、千花も例に漏れない。
まあだからこそこちらは周囲を巻き込んで攻撃を繰り広げているのだけれど。
此処に居るのは二人だけ。戦いになったら状況は不利だ。なんてね。
「果報者だな、僕は」
「むーん、もうちょっと敬って、お返しくれても良いんですよ?」
「……じゃ、こっち来なよ。引っ付こう」
折角、二人で仲良く並んで夜景を眺めているのだ。もう少し距離を詰めよう。
あー甘くて良い匂いするなーと思いながら、腰に手を回して、優しく引き寄せた。
◆
「もう、いーちゃん。二人きりだからって大胆ですよ?」
「嫌なら止めるけど?」
「嫌ですねー」
えっ。と思わず千花を見た僕の顔は、多分かなり驚いていただろう。
それを確認した千花は、僕が何かを言うより早く、続ける。
「優しくじゃダメです。もうちょっと強めに!」
「……分かったよ!」
さっきの逆襲だ。やられた、と思いながら強めに――痛くない程度にぐいっと引き寄せる。指が少しだけ身体に沈む。その感触がこそばゆかったのか、少しだけ身体を震わせる。可愛い。
腿と腿がくっつくくらいに、肩がぶつかって、千花の頭が乗る位に。一つの席に二人が座るように距離を詰める。互いにアロハシャツと下着だけなので、必然、体温が分かる。胸の側面が当たる。柔らかい。……ちょっと自分の鼓動が早いなと自覚した。顔に出さないようにするのに必死だった。
「くっつくだけですか?」
「僕の膝とかに頭を乗せても楽しくないでしょ。景色も見れないし」
「まーそれは確かに。……かぐやさんや会長も、景色、楽しんでました。呼んで良かったです」
「うん。たった一日だけど、良い一日になったよね」
昨日、観光をした。男子三人で女子が二人。僕と千花、御行氏とかぐや嬢という組み合わせで動くと、必然、石上が余る。なので午前中は全員での行動を意識しつつ、基本は男女別の行動だった。女子二人で大丈夫か? とも思ったが、そこは早坂愛もいる。何とでもなった。
午後、石上はホテルで休んでいた。誘おうかとも思ったが『邪魔したくないんで構わないですよ』と空気を読んだのだ。僕も割と気を使うが、石上も相当に気を使う奴である。
石上にも相手が居れば良いのだが――と気を揉んでもしょうがない。出会いはあるさ。
何度も説得したが、石上も割と強情だったので、最終的には言葉に甘えて男女二人ずつになった。となればどうなるかは自明の理。
僕は千花と行動し、必然、御行氏とかぐや嬢の二人での行動になった。
果て、二人の交流が、どの程度に良い具合の行動になったのかは、言わぬが花だ。
休みの間、会いたいと互いに思っていただろう。
会えない分のフラストレーションを、僕らが解消してしまって良かったのかな、と少しだけ思ったが、悪いことではないさ。
かぐや嬢が強制送還されてしまい、観光が一日だけになってしまった事は酷く残念だし。
一度会えたからこそ、二度目三度目の再会が待ち遠しくなるとも言う。
帰国後にある花火大会が楽しみだ。
「あの二人ってどうなるんでしょうね」
「何とかなると思うよ。僕らとは違った形で、両思いだし」
背後の夜景から、空に。夜天に広がる一面の星は水平線まで続いている。今日の月は小さかった。だけどそれで良かった。月は好きだけど、今、この状況に相応しいのは、輝く星だ。
天文台の景色も素敵だったが、今はもっと素敵だと思う。
隣に千花が居る。二人きりだ。
……千花が、何時からあの二人の関係に気付いていたかは、定かではない。
ただ、気付いていた。
少なくとも互いが互いを意識していて、御行氏の努力はかぐや嬢に良い格好をする為だ、とは理解している。かぐや嬢の態度も、御行氏には素直になれないだけだというのも理解している。
ラブ探偵チカは僕が育てた――と言って良いと思うが、お陰で彼女の相談室は評判が良い。相手が誰なのかまで的確に嗅ぎ付けて、助言を重ねているのだ。ぱない。
「御行氏の根性なら、絶対に最後はかぐや嬢を、捕まえる。どんなハードルがあっても、どんな問題が立ち塞がっていても、絶対に。……こういう言葉がある。『誰かの為のヒーローは、その人に向かって一番に進んだ人である』」
「……誰です? その言葉を言ったの」
「今、考えた。でも本音で、思想だ」
誰かの為に一歩前に出て、何かを為すために進む。それは難しいことではない。少しの勇気があれば誰だって出来ることだ。それだけで己を取り囲む世界は割と簡単に変わる。
うるせえ
だけどそれを何回も何十回も積み重ね、前に進み続けることが出来るのは一握りだ。そうして最後まで進み続けた人間は、他の人が憧れ、認める『王子様』になる。
学年一位を取るための努力と、学年一位を維持し続けるための努力の差。
ただ只管に、前に進み続ける漢。そんな
「僕にとってのお姫様は千花だけどね。もうこの掌の中にある。だから、絶対に逃がさない」
「またそーいう事をー。言葉より行動が欲しいですー」
「そう、それじゃあ」
小さな世界に二人だけ。僕の手の中に、僕の星が一つ。だから遠慮も憂慮もせず、行動した。
ちょいと千花の首元に手を回し、彼女の顔をこちらに向け、自然なまま唇を落とす。
すっと極々自然に。……不意打ちだったけど。冷静にやっているように見えて結構バクバクだ。
「ん!? ……ん、……っ、……。……い、いーちゃん、不意打ち!すぎます!」
「……でも……効果は、あったでしょ?」
「ぐぬー、効果はありましたけど! けど!」
口を離すと、もう! という顔だった。
少しぷんぷんという顔で――朱に染まって半分嬉しそうだったけど――憤懣を口にする千花が、もう愛しくて愛しくてしょうがなかった。星灯りだけしかないけれども、彼女の姿は輝いている。思わず笑いが零れた。
その内に千花も、くすくすと笑いだして、楽しいのと同時に温かさと幸せで笑ったまま。
「もっかいする?」
「むう! 今度は私の方からします!」
千花が、座ったままの膝の上に乗っかった。僕の首に腕を回して、そのままぐいっと顔を寄せてくる。最初、ベランダに出てきた時とは違う柔らかさを感じて、そのまま受け入れた。
長い髪が頬と首元に流れていく。
唇の柔らかさを感じながら、僕の心は――
だから、すっと舌を伸ばした。
「――!?」
軽く舌先で、千花の歯を叩く。おずおずとだが、彼女は唇を重ねたまま、少し口蓋を開けた。
その奥に先端を押し込むと、彼女の方の舌が当たる。
所謂、ディープなキス。ぐい、とそのまま彼女を引き寄せる。
「……ん、……ちゅ……っ……ん、……」
水の音がした。粘っこい、互いの唾液が絡み、濡れた舌同士がぶつかる音がする。暫しの後に、千花から口を離した。ぷは、と呼吸が荒い。つつ、と互いの口の間から、雫が垂れる。
僕の再びの不意打ちに、千花は混乱し、今まで以上に真っ赤だった。多分身体も真っ赤だろう。
「あわわわ、も、もう! だ、大胆です! なんか大胆ですよ!? もう……!」
「顔、真っ赤。――覚悟決めて、来たんだよ。部屋に来る時」
「は、……はい?」
少し深呼吸をした。部屋に来る前から、緊張はずっとあった。
腕の中に居る、大事な大事な彼女の瞳を見る。
……勇気が必要だった。唯の夜なら引き下がっていた。
だけど天文台の一件があったから、自分を叱咤して、自分を前に進める覚悟が決まった。
どんな経験があっても、彼女の存在は、心の中を占めている。
誰かを見送っても、誰かから告白をされても、僕の心は、彼女から離れない。離れようがない。
一緒に歩いてくれて、泣いてくれて、支えてくれて。
それは感謝以上に、愛情が勝るのだ。
掌の中に抱えることが出来るたった一人の女性。自分の全てを掛けられる異性。
真剣な目に、千花は動きを止める。心臓の音が痛い。ほんの少しだけ僕の指先が震えていただろう。けれども――僕は続けた。
「今日は、……離したく、ない」
言葉を、絞り出した。直接的な言葉は言えず、だけど何時も通りの言葉でもなく。
素直に言えない自分が情けないなあとかヘタレだなあとか思ったが、意味は、通じたようだ。
千花は、暫く意味を吟味していたようだが、――やがてボンと湯気が立ち上る程、顔が赤くなる。さっきが桃なら今は林檎だ。あわわわと慌てふためいている。
「え、あ、え、や、あの、あのそれって」
「抱きたい」
「ふ、普段のハグ的な、い、いい意味」
「では、なくて」
はわわわ!? と膝の上で混乱する彼女に、問いかけた。
「嫌、だった?」
返事を待つ僕に対して、千花はやがて黙り込む。
一瞬が永劫に感じられるような刹那の後、小さく、ほんの小さな声が届いた。
「…………じゃ、……ぃ、です」
「……僕に聞こえる声で良いから、もう一回」
促す。千花は、震えながら、僕に再び抱き着いて、耳元で微かに、けれどしっかりと言った。
「……ヤじゃ、ない、です」
「わ、かった」
そりゃあ僕だって緊張でがくがくだ。もう心臓が破裂しそうだ。
けれども想いの一切は陰らなかった。
答えを聞いて、僕は千花をそのまま持ち上げた。膝の下に左手、右手を背中に。
お姫様抱っこだ。
そのまま、頑張って、部屋に戻る。
「あ、あの、あのあの、そ、その、ですね! こ、婚前交渉は、い、いーちゃんならセーフ、セーフだと思います! 思いますけど!」
「……けど?」
「そ、その……」
ベッドの上に運んで、置く。
千花は、どもりながら、緊張に身体を固くしながら、それでも無防備に、続けた。
「や、優しく、お願いします……」
「善処するよ」
それからどうなったかは、言う必要はない。
千花はとてもとても、とっても可愛かった。
僕の脳内フォルダに記録された姿は、死ぬまで、彼女と同じ墓に入るまで、大事にしよう。
かくして関係は行くところまで行ってしまった。
タイトルは「
でも物語はまだ続く。
惚気とラブコメは折り返し。此処からは後半です。
今後もよろしくお願いします。