アニメ2期も決定しましたね。
原作でも、どんどん新情報が出てきています。
白銀母、四宮家の問題、四条帝、不知火ころもetc。
これは負けてられないと発奮し、かなりの難産でしたがようやっと形に出来ました。
では、どうぞ。
名前を呼ぶ。これは実は中々難しい。
呼び方はそのまま相手との関係性を表す。
僕は千花と呼び捨てにして、千花は僕をいーちゃんと呼んでいる。しかし冷静に思い返すと『
精々、相手を冷静にさせる時に『おい調!』みたいな感じで使うくらいだろう。
この件、プライベートで少し前に質問してみた。
彼女の答えというか、思想は明白だった。
『んー結婚したら変えるかもです。夫婦なら「いーちゃん」とか公衆では呼べないと思うんで』
『なので今は、今しか呼べない「いーちゃん」にしておきます』
にへらーと笑った千花だった――全く僕の嫁は可愛いなあ――いやいや、本題はそこじゃない。
思えば僕が千花を「ちーちゃん」と呼ぶのは、よっぽどの時だ。動揺している時とか、真剣な時とか、大事に呼ぶ時だ。幼少期の呼び方を今更呼ぶとなるとちょっと恥ずかしいのもある。
『千花』『ちーちゃん』『藤原さん』『ふじわら』『ちかぽん』『リボン女』『対象F』。
『いーちゃん』『調さん』『岩傘さん』『いーたん』『いーいー』『いーくん』『対象I』。
出会って十数年。互いに色々呼び合って、けれどもそんな中でも今では言い難い名前がある。
であれば、交際すら始めて居ない、互いにゴール目前で微妙なバランスを取り合ってるような二人――白銀御行と、四宮かぐやの場合、互いの名前を呼ぶのすら苦労するのは当然である。
つまり今回は、そういうお話だ。
◆
夏も過ぎ去り、蒸し暑さも落ち着いてくる時分。
快適な温かさを感じる布団の中で、僕は目を覚ました。枕元でスマホが鳴っている。朝だ。
もぞもぞと手を伸ばして時間を確認すると、どうやら設定ミスだったのか、もう30分程は寝るのに十分な時間が示されている。無言でアラームを消して、布団に潜り姿勢を変える。
なんとなく掛け布団に抵抗があり、上手く引っ張れない。自分で下に潜り込む。
――ふに。
何やら手の甲が柔らかく温かい何かに触れた。
非常に感触が良いので、手の向きを変え、掌でよりしっかりと感覚を味わうことにする。
――もにもに。
――むにょん。
――たぷんたぷん。
――ふるふる。
――ゆさりゆさりゆさり。
良い感触だ。柔らかい。指先は沈むが、途中で反発する、適度なハリもある。掌より大きい。
……この時点で掌が何を掴んでいるのかは悟っていた。
断じて頬とか腿とか尻というオチではない。たわわである。
向こうが何も言ってこないので、そのまま身を寄せる。
のそのそっと動いて、顔を引っ付ける感じで。
「……起きてますけど」
「…………じゅうでんちゅうで。……前に千花も……やったでしょ……」
「昨日あんだけ弄った癖に甘えん坊めー」
「母性に飢えるのは男の
「癒しって言うかイヤラシですけど?」
「昨晩の話、丁寧に繰り返したいん……?」
頭に浮かぶ、僕以外には見せることが出来ない諸々の脳内画像。
ほんの少しだけ目を開けると、千花は顔だけそっぽを向けていた。頬が紅潮している。可愛い。
あ、因みにちゃんと衣服は着ているぞ。
幾ら寒暖が丁度良い秋の頭とはいえ、裸で寝ていたら良くないからね。
パジャマ(ノーブラだけど)の薄手の格好だが、直に肌に触れては居ないし、目を開けても肌色や桃色が視界に入ってはこないのだ。すうーと息を吸うと甘い香りが届くだけである。
軽い花ではない。もうちょっと濃い、艶やかな匂いだ。
「私は枕じゃないんですけどー」
「……知ってる……。でもピロートークも悪くない……」
「私を枕にするって意味違いませんっけ? ……通学前にシャワー浴びないと不味いですねー」
「……シャワーも一緒に浴びよ」
「そーいうことしてるから
「でも乗り気だよね?」
僕が指摘すると、再び彼女がそっぽを向いた。頬がさっきより赤い。可愛い。
互いの自室の一角に、それぞれの私服や着替えが置かれているのはもう、なんか進むところまで進んでいる証拠だ。このままだと色ボケしたまま通学になってしまう。心身を清めてこよう。
寝台から起きると、制服を抱えて部屋を出る。
家の人に発見されないよう――いや発見されても今更感はあるけど――浴室まで向かう。
湯で汗を流す行動が、別の意味で汗を流す行為にならないようにとだけは気を使った。
さて、朝っぱらからこんな風に余裕を持って行動しているのには、理由がある。
シャワーを浴びて着替え、朝食を終えて、徒歩で学園までのんびり歩いても、まだ時間が余る。
今迄仕事に追われていた生徒会の仕事が、一段落しているのだ。
「「おはようござい
「おう、おはよう二人とも。……相変わらずの夫婦っぷりだな」
千花と一緒に教室に入ると、豊崎からの言葉が飛んだ。
因みに僕が腕を差し出してのエスコート状態だ。校舎に入ってから此処まで、色んな人間に見られたが、別に恥ずかしくはない。むしろ見せつけて来た。自慢してきた。
男子の大半は『何時もの事だが腹立たしい!』という恨みがましい目だった。
羨望の眼を向けられるのは悪い気分ではないな。嫁が可愛くて何が悪い。
君達も彼女とか許嫁を作れば良いだけじゃないか。
『うるせえ! 実家のしがらみで自由恋愛出来ないんだよ俺は!』
『少し黙ってお願い。俺の許嫁は身持ちが硬くて結婚までデートすら駄目だって……!』
『金はあるから女は寄って来るけど、普通の女がいない……。誰か救いの手を……』
悩みが金持ちで社会的ヒエラルキーが高い奴らの言い分だった。
さておき、豊崎と話をしながら、椅子に座って、一限目の用意をする。座間先生の数学だな。
「今日は随分ゆっくりな通学だな。いつもはもっと早くなかったか?」
「生徒会が終わったから余裕がね」
「ちょっとだけ睡眠時間が伸びましたからねー。……お母さまから『じゃあ成績上がるわね?』って念押しされてしまいましたけどー!」
「『僕が責任もって教えますのでご心配なく』と伝えてある。おかげで放課後も一緒に居られるから嬉しい」
「最後のはどうでも良いけど、そうか、一区切り着いたんだな」
そう。二日前、僕ら67期生徒会は無事に活動を終了した。
だから今は、時間に余裕があり、何時もよりのんびりと寝ていられる。
長い様で短かった一年間。回想をするとキリがない。互い互いに思い出を語り、室内を掃除したり、私物を回収したりとした後で、打ち上げをファミレスで行い、それから二日。
10月15日に生徒会選挙を控え、学園中が『次なる候補者は誰になるか』と噂が出始める頃だ。
『この中の誰かが立候補してくれれば俺は安心だけどな。……岩傘、お前出てみないか?』
『止めておくよ白銀。僕は一時、道化を演じて周囲を盛り上げるくらいなら出来るが、そもそも人の上に立って指示を出す人間じゃない。No2……いや、No3くらいだね。トップを支える右腕の、その右腕くらいが丁度良い』
『そうか。石上、お前は?』
『ははは僕が票を取れると思いますか。目があっただけでクラスの女子は泣き出すんですよ』
『噂は聞いていましたが、フィルターは随分と強固なようですね……。石上会計? この場の皆に頼めば誤解を解くのも簡単にできそうですが、良いのです?』
『ははは今更です早坂先輩。泣かせた女は数知れず。女を泣かせて僕も泣く。面白いですよ』
石上の自虐的な態度に、早坂は主人:四宮かぐやを見たが、彼女は無言で首を振るだけだ。
因みに言っておこう。この場で彼の真実を知らない人間は居ない。そして彼が望むのであれば、幾らでも名誉を挽回させるために助力をする。
僕自身、復権しようと色々手配はしたし、今でも彼の無実を証明したいと思っている。
だが肝心の石上が、あんまり乗り気ではないのだ。
本人にその意思がないのに、此方が動くわけにもいくまい。
結果、彼の暴力事件の
とはいえ、マスメディア部とか、一部の学園VIPとは真相を共有している。
僕ら生徒会、VIP生徒、メディア部と此処まで石上の事情を知っている人間が居るのだ。
世間知らずの連中が騒がなければ、彼の周囲も基本は平穏に進むだろうさ。
萩野君だっけ? 彼の情報は、権力も財力も持つ大人の皆さんに『通っている』。
そして当時、ほんの少しだけだが大人の皆さんとは、僕とかぐや嬢はお話をさせて頂いた。笑顔が溢れる素敵な会話になったよ。会談の後に彼の家がどうなったかまでは責任が取れないけどね。
今後、彼の周囲で、再び何か問題が起きる様ならば、その時こそ本気で対応するだけだ。
『あ、じゃあ私が立候補してみましょーかー』
『『『『『それは止めろ/ましょう/なさい/て下さい/た方が良いと思います』』』』』。
尚、千花の立候補は、僕や白銀のみならず、石上や四宮かぐや、早坂愛(臨時役員)まで全員の意見が一致して否決したと伝えておく。
確かに千花は、将来的に政治家にはなれるかもしれない。しれないが、この色んな意味でブレーキが壊れた天然悪魔は、複数のバックアップが耐えず手綱を握っていないと大変なことになるのが、共通認識。
まして生徒会長とかいう役職に“うっかり”就任してしまったら、例え副会長に僕が就任しても抑え切る自信はない。生徒会長特権です!とか言って余計なことをするに違いないのだ。
……だってTG部でそういう光景、散々見てるし。
「まーそういう訳でちょっと余裕があってね。選挙が終わるまで生徒会は停止中。雑事も無し」
「部活動と勉学とたらたらのんびり恋愛するのに使うーって感じですね」
「最近はもう藤原さんまで遠慮が無くなって来てるよな」
豊崎の言葉に、僕と千花は揃って『『元々じゃないですっけ?』』と首を傾げた。
悪態をつかれた。
◆
さて、生徒会の仕事がないからのんびり部活動でも堪能するかなーと思っていると。
メールが届いた。差出人は、四宮かぐやである。どうやら千花の方にも届いたらしい。
『放課後に集まって貰えませんか。場所は生徒会室。会長には内緒でお願いします』
とのこと。
一体何を計画しているのかな、と放課後に顔を出してみれば。
生徒会室には女子の姿が六人。灯も点けずに生徒会室に
メールの送り主:四宮かぐや。その近侍:早坂愛。同じく近侍
なんと中等部の女子三人まで揃っている。
思わず千花と目を合わせ、首を捻る。
今は生徒会室、使用禁止期間なのだが。
「圭さんと萌葉ちゃんに
「内密のお話です。藤原さんも、くれぐれも! 外に漏らさないように!」
「内容にもよるよ。……次期生徒会選挙の為の内緒話?」
「いえ、もっと切実な話です」
手招きされて、輪の中に参加する。
中心に陣取った元副会長は、実に真剣な顔で告げた。
「会長を何て呼べば良いのか分からないのです。手伝ってくれますね?」
最後が疑問符だが、拒否権はこちらには存在しないようである。
話を纏めるとこうだ。
先日の打ち上げの時、彼女は気付いたのだという。
『今迄、会長と呼んでいたから、会長でなくなった白銀御行を何と呼べば良いの?』と。
あの場で千花は「みゆき君」としょっぱなから名前呼びであり、石上に至っては「みゅー先輩」と可愛い略し方をしていた。僕はプライベートでの時と同じで「白銀」と苗字呼びだ。
そんな中、彼女は最後まで『会長』としか呼べなかった――それが引っかかっているのだ。
気持ちは分かる。
かくいう僕も、四宮かぐやに対して「四宮さん」と呼ぶのは久しぶりで新鮮だった。
ええと、生徒会副会長に就任する前以来だから、……一年近く「かぐや嬢」呼びしていた訳で……今も気を抜くと出そうになる。
「手伝うのは良いんですが、僕に何をしろと」
白銀の仮面を被って台詞を言うだけなら、早坂愛で事足りる。
というか灰色女の変装技術を使えば、身の丈までそっくりに変貌できるだろう。
圭ちゃんが居れば『お兄ちゃんがこういう風に話すと思う』という台本の確認も出来る。
「何もしないで良いです。藤原姉妹が動かない様に抑えててください」
「あーそういう……」
「因みに実家でやるよりも精度が上がります」
四宮家の実家でやれば良いのに、と思ったら早坂に先手を打たれた。
前々から会長役を早坂がロールプレイして練習することは多かったらしい。
が、いい加減面倒になったことに加え、二人の関係を知っている人間が増えているということから、学園でやった方が負担も少ないだろう、という考えになったようだ。
自宅だと本家に情報が流れかねないという懸念もあるのだろう。
そして学園で圭さんまで誘って練習する以上、歩く災害である藤原姉妹の対策は必ずしておきたい、ということか。
「貴方も下手をすると災害になるので」
「僕が? いやーそれは買いかぶり過ぎじゃない? 別に邪魔とかしないよ?」
「ええ邪魔
早坂の眼が語っていた。
――でも貴方、いっそ学園全部を巻き込んだイベントに昇華させようぜとか言いだしますよね? と。
まあ、それは否定できないな。
――ついでにそれを生徒会選挙のための、支持率アップの布石にもしますよね? と。
いや、そりゃ考えたけど、考えていただけだよ。実行する気はないよ今はまだ。
白銀は生徒会長を再びやるのは勘弁と言っていたし、僕も出る気はないが……今の生徒会メンバーの誰かが(というか四宮かぐやが)選挙に出るとか、そうでなくともメンバーに再度選ばれるとかする時の為に
予想が当たっている時点で対処は当然ですと言われた。ぐうの音も出ない。
「個別で止めにくい分、貴方は面倒なのです。対象F姉妹を管理していて下さい」
「早坂さんちょっと酷くないです!?」
「今迄も同じように邪魔されていたので」
「……はっ! そうか、分かりました! 分かりましたよ! ちょっと前にピカっとしてチューチュー鳴くアレを見つけたって言ったの、私への誘導ですね!?」
そんなことがあったのか。早坂の顔を見る限り、多分正しいのだろう。
生徒会室で、白銀&四宮によるバトルが行われているのを察して、近付かないように、と言ったところか。
短い間だが、生徒会に参加した早坂は、皆に『素』を見せている。
その結果、千花は彼女からの扱いが適当だと認識した。千花は頬を膨らませて抗議をするが、それをスルーして、姉妹を揃って僕の方へと押し付けた。面倒見ろと言う話らしい。
「……もう一つ、良い?」
「なんでしょう」
「僕ら二年生は良い。でも良いの? 圭さんが一緒で」
彼女の意志は確認したんだよね? と念を押す。
圭さんが来るなら、萌葉ちゃん
特に後者は、護衛や雑用には丁度良い。
おい妹の扱いそれで良いのかとぶつくさ文句が飛んできたが、妹だから扱いは雑で良いんだよ。
一番大事な時に、優先順位を間違えず、手を伸ばして守れればそれで良い。
僕の問いに、圭さんは静かに答えてくれた。
「……夏休みの時から、何となくは察していたので。正直、少し今も、信じられませんが」
天文台の騒動時に、御行と一緒に、白銀家も招いたのは話したと思う。
圭さんや白銀家の父やらには観光していて貰ったし、事件解決後のフリーの時間は短かったのだが――どうやらその短い時間でも、白銀―四宮の二人の関係を、白銀家(の父)が見破るには十分だったらしい。
圭さん曰く『父が言っていました。あの女の子の態度ですぐに分かった』とのこと。鋭い。
「それで高等部に付き合ってくれるのは大変では?」
「……私達も生徒会選挙が近くて、今は休みですから。――次期会長選はそこまで波乱も起き無さそうですし。何より」
小声になって、圭さんはちらりと四宮かぐやを見る。
「――私も、気になったので」
四宮かぐやと兄がどうなるのか、という部分に加えて。
圭さんとしても、彼女との接し方は試行錯誤したい、ということらしい。
少し前に女性陣だけでの買い物タイムがあったのは知っている。それ以来、距離を縮めるための方法や機会には恵まれないから、ここで協力しよう、ということか。そういうことなら歓迎だ。
人間関係、良好にしておくことしたことはない。
「分かった。じゃあ協力するし、別室を借りる手伝いとかアリバイ工作とかはやるけど」
「けど、なんです?」
「石上も呼ばせてくれ。この男女比率の中で行動するのは抵抗がある」
それに二年生と中等部が協力しているのに、一年生の彼だけを放置するのも収まりが悪い。
彼の勉強を手伝う事も出来るからな。説明は僕からしておこう。
僕の言葉に、早坂は『……まあ良いでしょう』と頷く。
かくしてここに『四宮かぐや、白銀御行を名前で呼べるのか作戦』が発動したのである。
◆
大層なことを言っても、僕の仕事は藤原姉妹を押さえておくことだ。
意外と問題なのが萌葉ちゃん。
どうも白銀に対して羨望とも恋慕とも取れる感情を抱いている様子。
余計な茶々を入れさせると、話が拗れるだけでなく、四宮さんと対立に発展しかねない。
そこで石上だ。
千花を正論で殴れるなら、萌葉ちゃんにも特攻は持っているだろう。
男女比の問題で、僕が一方的に石上を引っ張り込んだ以上、彼に相応の見返り――つまるところの勉強指導――をする必要こそあれど、他の仕事は(殆ど)無いと言って良い。
そんな訳で、僕と千花と石上に萌葉ちゃんを追加した、変わった組み合わせ四人は、机の上にノートを広げている。
場所は生徒会室――ではなく、適当な空き教室だ。
天井にレールが嵌め込まれていて、壁をスライドさせることが出来る防音型会議室。
半分を四宮一座が使い、半分を僕らが使う形にした。
ふと気になったので、話題を振ってみる。
「ところで石上は、僕を『みゅーくん』みたいな変わった風に呼ばないの? この前の打ち上げも『岩傘先輩』だったし」
「良いんですか? そうですね、じゃあいーちゃん先輩と――」
刹那。石上に、どす黒い殺気らしきものが突き刺さった。
彼が悪寒に振り向くと、そこでは笑顔を浮かべる千花が。……その呼び方はアウトだ。
浮気と疑ったらガチで調べてきたりするし、以外と嫉妬深い一面もあるのだ、僕の嫁は。
ははは、因みに僕も千花以外からの「いーちゃん」呼びはあんまり良い気分じゃないな?
「――呼ばないでおきます。先輩
「萌葉です! ヨロしくです石上先輩! お義兄さんから聞いてますよ! 優秀だーって!」
何をそんなに怖がっているのか、慌てて話題を切り替えた石上。彼に対して天真爛漫に挨拶する萌葉ちゃん。
先ほど珍しい四人組と言ったが、本当に珍しい組み合わせだ。
一学期の終わりに、圭さんが高等部に顔を出したことはあった。その時、石上も僕と一緒に生徒会室に居た。だがその時の応対は、四宮さんに任せていた訳で――彼の情報は、殆ど伝わっていないと思われる。ハワイでもちらっと顔を見た程度だろう。
「石上優。元会計です。……まあ成績は、そんなでもないんで、頼られても困りますが」
「そう言うな。僕と千花は一年生時の復習。石上は中等部での復習。で、互いに教え合う感じでね。昔使ってたノートを持ってきた。きちんと纏めてあるから読み返しやすい筈だよ」
「一瞬前の言葉を聞いてました? 先輩」
「聞いてたよ? 今の成績が怪しいからこそ、中等部の内容を復習しようって話だ」
石上、中等部時代は悲惨だったからな。
あの辺りを再度勉強しなおせば、高校での成績は間違いなく上がる筈だ。
応用問題を解くためにはまず基本から。萌葉ちゃんの勉強を見るのは良い刺激になるだろうさ。
「……まあ、じゃあノート頂きます……。……字綺麗ですね」
「そうかな? そうかも。字を書くのは昔から得意だしね」
乱読家の姿勢として、自分の書く文字も、読みやすさを心掛けている。
参考書を開いて、次回テスト範囲を予想しながら問題を解いていく。手元には過去問があり、出題傾向なんかも網羅済みだ。勿論点数を上げることと頭をよくすることは別だし、成績を上げることと学問を身に着けるのは別なので、適宜、理解できているかを確認しながらの作業。
石上が萌葉ちゃんに、ちょっと戸惑いながらも教えるのを確認して。
僕は背後を――敷居の向こうを隙間から再度、伺う。
衝立の向こう側では、白銀そっくりに変装したイクサ相手に、四宮さんがあたふたしていた。
『あー、あー、あー、声はこんなくらいかな』と調整した灰色女に驚く一同。
圭さんは『最初は……朝出会ったら、兄は普通に挨拶すると思います』と注釈を入れる。
『おはよう四宮。今日も良い朝だな!』と異常にクオリティが高い変声技術を披露される。
早坂が『挨拶には挨拶ですが、それに追加して……そうですね、天気や服装の話題は難しいですし……授業の話もクラスが違い併せにくいので……クラスメイトの、藤原千花や岩傘調の様子から尋ねてみては?』と彼女の背中を押していた。
『そ、それは良い考えね。――おはようございます。生徒会から離れて二日ですが、書記や広報の様子は如何ですか? かいちょ……違う! 会長じゃないの! し、白銀さ……違うわ。み、みゆきさん!?』
『普通に白銀さんで良いと思うんですが……』
『……圭。白銀さんと呼ぶのは……慣れないの……それ以上に……』
四宮さんは赤裸々な乙女心を形にするように、訥々と言葉にする。
白銀さん、とは既に呼んだ。彼女はそう語る。
生徒会の打ち上げ会をした時、その別れ際に、一度だけ苗字で呼んでみた。
だけど慣れない以上に『違う』と心が思ったのだと続ける。もっと大事に呼びたいのだと。
「みゆき君」と千花が、「みゅー先輩」と石上が、僕が「白銀」と呼ぶ。
それらと一線を画す形で『会長』以外の呼び方が良い。
だからこその「御行さん」という選択だったらしいが――。
「それ以上に……それだと、ちょっと、……ぼんやりしますよね?」
曖昧な物言いだが、何となく意味は分かる。
自分だけの呼び方が良い。そして自分のことを、特別に呼んで欲しい。
だけど大っぴらに目立つ言い方をするには恥ずかしい。
彼女と彼にだけに分かる秘密の合言葉が良い――乙女の我儘だな、素敵な我儘だ。
『……四宮さんの気持ちは分かりました。……兄には勿体ないと思いますけど』
とはいえ丁度良い呼び方をぱっと思いつけば苦労はない。
ロールプレイは継続され、会話術は進展しても、呼び方が安定することは無さそうだ。
一先ずは『御行さん』と暫定的に決まった様子だが……。
これは、四宮さんの今の限界でもあった。
それ以上を呼びたくても、口が付いて行かないので、まずは、というハードルだ。
ううむ、これは僕が口を出して解決できる問題でもないしなぁ……。
考えていると、石上が服を引っ張る。意識が勉強部屋に戻った。
「呼び寄せた本人が上の空はどうなんです? ……まあ僕も個人的にちょっと気になってはいたんで、渡りに船ではありましたけど」
僕と石上は顔を突っつき合わせた。
どんよりとした彼の眼も、何時もより少しだけ注意深く光っている。
(……あれ? なんだ。要するに石上も同じなのか?)
もしかしてこれは――二人の周囲の人間、全員が二人の行く先を案じているということなのか?
言葉少なだが、鈍いようで敏い男だ。周囲を気遣って黙っていたが、彼も察していた様子。
……知らぬは本人ばかりなり、か。
でも悪い話じゃない。二人の関係を後押しし、応援してくれる人間は、多いほど良いに決まっている。
少し視点を変えよう。
四宮さん自身は『特別な名前で呼びたい』と思っている。
同時に『呼ばれたい』とも思っている筈だ。僕の経験則で分かる。
呼ぶのに時間がかかるのならば、呼ばれる方を先に叶えさせてやるのは如何だろう?
この発想は間違ってない筈だ。
何回も呼ぶ必要はない。大事な時に1回、本気で呼べる名前を互いに覚えるだけで良い。
と、すると、だ。
「石上。ちょっと耳を貸せ。……秘密の悪戯をしたくなった」
「ばれたらこっちに被害飛んできたりしません?」
「悪意があっての行動じゃない。まして悪い方向に作用させるつもりもない。まあ聞けって」
いやな、別に深い意味があって思った訳じゃないんだ。
ただやっぱり――こんだけ揃っていて、こんだけ色々周りが考えていて、こんだけ応援していて。肝心の白銀御行が不在なのは、蚊帳の外で何も知らないのは、ちょっと悲しいよなと思ったのだ。
◆
今のこの時期、生徒会室は使えない。
最初に皆を集めた時は『ちょっと室内に忘れ物を』と言って一時間だけ空けたらしい。
前にも語ったが、生徒会室の中には持ち出し禁止の書類が沢山ある。歴代生徒会の情報や、生徒名簿や、学園と縁深い財政界のお歴々や、純金飾緒やら、と表に出せないブツが山ほど存在する。
そして今の僕らは、役員ではない。
人間、どんなに硬い意志を持っていても『つい魔が差して』しまう事はある。
故に残念ながら生徒会室は使えず、こうして会議室を借りた訳だ。
借りた部屋は、一階に置かれていて、窓の外には殆ど人が来ない位置。
勿論カーテンを半分閉めており、四宮さん達の練習には支障がないように手配している。
もう半分は意図的にカーテンを開け、僕らが勉強をしている、とアピールしている。
これが一体、どんな意味を持つのか――?
翌々日、つまり生徒会解散から4日目の朝に、時計の針を進めよう。
早朝。常の如く千花同伴で通学した僕は、昇降口の前で少し待っていた。
『計画』――という程の物でもない、小さなお節介が、どんな形になるのかを見る為だ。
時刻はそろそろ、四宮さんがやって来ることを表す。
視界の隅に、自転車を置く、白銀御行の姿を、確認する。
「さて、……どうなるかなぁ……」
「どうなるんでしょうねぇ」
無論、このタイミングで二人が鉢合わせたのは偶然ではない。
白銀の方が気を使い、四宮さんと合う様に調整したのだ。
二人は僕らの目の前で、良い具合に鉢合わせる。僕らもそこに当然の様に混ざって挨拶をする。
「おはよう白銀。四宮さんも」
「おはよーございます、かぐやさん! 御行くーん!」
「あ、ええと……会長……では、なく」
四宮かぐやは、周囲の目線が殆ど向いていないことを確認し、意を決して呼ぶ。
「おはようございます。――白銀……御行……さん」
「あ、ああ……おはよう」
それに対して、白銀は。
同じように周囲の目がないことを確認し、同じように意を決したように、小さく返す。
「ああ、おはよう。四宮……かぐやさん」
「はうぅ!?」
その一言の、重さと威力たるや。
四宮かぐやは心臓を射抜かれたように固まり、あわあわあわと言う顔になった。
そのまま口元を抑えて震え暫く動かない。
「し、白銀さ、い、今なんて!?」
「何がだ四宮!? 何か聞いたならきっと聞き間違いに違いないぞ!?」
言った後に、彼は慌てて進路を変えて教室へ走っていく。
それを追いかけようにも、一言の衝撃が強すぎたのか、彼女の足腰はがくがくだった。
白銀の姿が消えた後、なんとか呼吸を整えた四宮さんは、こっちを見る。
嬉しさと怒りが混ざった複雑な表情で。
「……も、元広報! 貴方の仕業ですか!?」
「まさか。僕は他人に強制して、こういうことをするのは好きじゃないです」
そりゃあ確かにほんの少しだけ暗躍はしたけれど。
「白銀が四宮さんをあんな風に呼んだのは、彼自身の選択で、彼自身の覚悟ですって」
僕が強制したとして、それで「分かった」と彼女を名前で呼ぶほど、白銀御行は愚かじゃない。
そしてそれ以前の前提として、親友である彼に対して、そんな真似出来るか。
可能な限り恋愛には誠実でありたいポリシーを曲げるつもりは、ない。
「でも、嬉しかったでしょ?」
「嬉しかったですけど! ――くぅっ、貴方のことです、どうせ私の練習に関しても一切
吐き出した後、余り慌てていては目立つなと言い聞かせたのか、彼女は平素の笑顔になる。
そして『わ、私の作戦は続きますからね……!』と言い残して、校舎へと走って行った。
……例え白銀が再び会長になるとか――あるいは四宮さんが会長になって白銀が副会長になるとか――そうやって役職が与えられても、作戦を中止にする必要はない。
今回の二人の激突は、白銀が勝った。次回はどっちが勝つのかは、分からない。
「じゃ、僕らも教室行こうか。千花、一緒に付きあってくれてありがと」
「いえいえー。私も良い表情が見れたので楽しかったです」
勿論、あの内緒の練習を、話してはいない。
だが僕が呼んだ石上は、『話さないで下さいね』という約束には関わっていない。
態々あの場で彼を巻き込んだのは――そして「僕から説明する」と言ったのは――いざという時の布石。勿論、彼の勉強を見るという狙いも真剣な物だ。僕も千花も成績に関しては目敏く見られている身だし。
「片方を利用」ではなく「両取り」を狙ったという形が正しい。
石上に事情を話し、それを白銀に伝える。
こっそりと会議室の近くまで外を経由してやってきた白銀は、石上に連絡を入れる。
確認した上で、ほんの僅かだけ窓を開ける。
窓の下、死角に隠れたまま、四宮かぐやの練習を聞く。
聞くだけだ。奮戦を聞いて、それからどうするかは、彼自身の意志に全て左右される。
聞かなかった振りをしても良いし。
同じように練習をしたいと僕らを誘っても良い。
今回は『四宮かぐやを名前で呼ぶ』という結果になっただけだ。
そうなってくれるのが一番嬉しい、とは思っていたが、本当にそうなったのは偶然である。
僕が介入する余地はない。余地を入れたくなんかない。
「いーちゃんいーちゃん、私、今回のやり取りをずっと見てて思ったんですけど」
「どうぞ。何か?」
上手くいってよかったなあ、と安心していると。
千花が提案をしてきた。
「いーちゃんも私を、学校でも“ちーちゃん”呼びするのはどうです?」
いや、千花も僕を「調さん」呼びだったじゃないか。
最近は吹っ切れてるけど。
流石にずっと“ちーちゃん”呼びが出来るほど、僕は常時ハイテンションではないぞ。
そういうのは大事な時で良いのだ。
二人だけの時とか。寝台の中とか。
だから僕は笑顔で断って、最後に付け加える。
「僕は今のままで十分、特別だと思ってるけど?」
「……それもそーですね?」
僕らは僕らで、好きなように名前を呼ぶだけだ。今までもこれからも。
我らが親友二人に張り合う必要なんかない。
何か、僕らが望むとするならば。
あの二人の練習と努力を、これからも皆が応援してくれる、それだけだ。
◆
これから暫くの後。
生徒会選挙に立候補した、
岩傘調が、笑顔で『絶対阻止する』と決意したのは、言うまでもない。
生徒会選挙も間近。
このままだと主人公の助力があって、原作以上にイージーモードになってしまいます。
何とかミコちゃんの魅力を輝かせてあげたいですね。
ではまた次回。気長に次をお待ちください。