これも全部YJの最新話(2019年9号)ってやつが悪いんだ。
その日、僕と千花は珍しく反目し合っていた。
B組で席も隣同士な僕と千花だ。時として授業中に小さなメッセージ(無論、真面目な奴だ。P45の設問2の答えを確認させてとか)のやり取りもする。
しかし本日はそうではない。千花は不機嫌そうにそっぽを向いている。ちょっと頬が膨れていて機嫌が良くない。喧嘩……と言うほどに喧嘩ではないが、何時もとは雲泥の差だ。
「何をやったんだ岩傘。これで二日だ。噂になっているぞ?」
「……僕にだって譲れない物があります」
御行氏が咎めるように言う。しかし僕は首を振った。これは譲れない。
時折、僕も千花も、互いにちらちらと様子を伺っているので、嫌い合っている訳ではない。
しかし互いに、相手が譲歩しない限り、自分から和解を切り出すつもりは無かった。
「……生徒会の活動に支障は出すなよ?」
「出しません。ご安心を」
僕は無言で、ポケットの中のスマホを握りしめる。
そう。例え千花からの要請であってもこれは譲れない。
生徒会室で!
彼女が一人!
不思議な踊りを踊っていた録画を消すだなんて真似は、出来ないのだ!!
◆
事の起こりは二日前、月曜日に遡る。
生徒会へのインタビューが終わり、マスメディア部は無事、新聞を作り上げた。広報としてその確認へと向かい、幾つかの修正点を上げたり、逆に譲れないという意見へ妥協点を探ったりと、思いのほか、時間が掛かってしまった。
生徒会室に戻って来た時、内部の様子に気づいたのだ。
中には千花が一人だけで、御行氏の机の上に、仰向けに寝っ転がっていた。
大きな胸が仰向けでも目立っている。開かれた窓から入る風に、髪やスカートが靡いて、一枚絵として非常に絵になった。だからと言って生徒会長の机の上を身体で独占するのは宜しくないが、問題はそのくらいだ。
ちらっと隙間から様子を伺うと、御行氏も、かぐや嬢も、居なかった。
後日知ったことだが、御行氏は部活連に顔を出し、かぐや嬢は大学部に足を運んでいたという。互いに用事で不在だったのだ。僕が遅れ、石上は例の如く。故に千花は一人だった。
生徒会室は、不埒な人間にとって宝物庫に等しい。個人情報や、学園資産、OBOGの連絡先、表に出せない貴重品が沢山である。故に鍵は、役員しか持っていない。何時、どんなタイミングであろうと、内部に誰も居なくなる場合、必ず最後に役員の手で施錠するよう徹底されている。
ここだけの話、内部には赤外線式のセンサーなんかも設置されている。夜間に潜入するには、ミッションインポッシブル並みの技量が必要であろう。
さて、これも後になって知った話なのだが、千花は浮かれていた。
インタビュー時にした僕からの怒涛の攻勢を前に、テンションが上がりまくっていた。
だからこそ、だろう。
踊り始めたのである!
僕は咄嗟にスマホを取り出して録画モードに切り替えた!
◆
いい具合に鳴り響いたチャイムの音でリズムを取る。
歌詞まで付いてた!
どーんだYO!と語尾を強調してポーズ!
前に進み出て、秀知院の生徒会は皆の憧れ!と筍が生えるようなポーズ!
ぽくぽくぽくと頭の横で指をぐるぐるさせて一回転。
役員達の名前を挙げて、「書記の千花!」で、銀河の歌姫的キラッというポーズ!
そこから荒ぶる鷹の姿勢に変わり「らー!」と力強く叫ぶ。千花と力で掛けたのだろう。
一転してゆっくりとソファの上にしなだれかかり、更に立ち上がってハンチングハット(別名:アホに見える呪いのアイテム)を被る。そこから振りむいて帽子を投げ!
「ラブ探偵千花が解決するわー!」とドヤ顔で振り向きざまに指でっぽうをバシュン!
しゅきしゅき書記書記初期設定! ちゅきちゅきドキドキふぉーちゅんてらー! と天然大爆発な歌詞と共に次々と決めポーズを炸裂させ、力の限り輝くのだーと力瘤のポーズで傾いた。
最後に、こんにち殺法の指を作って、踊り終わる。びしぃ!
…………。
…………………。
カーテンに止まっていたウルシゴキブリを窓から逃がして、彼女はやり切った顔であった。
それは一つの
良い物が見れたな、と僕は思って、静かにその場を立ち去った。
正確に言えば、立ち去ろうとした、のである。
「あの、何やってるんです? 広報担当」
「うおお石上!? 何時から其処に居た!?」
いつの間にか背後に立っていた石上に驚いて、僕は思わず物音を立ててしまった。
はっ! とした顔で彼女はこっちを見る。
扉の隙間から覗いていた僕と、目が合った。
「……見ました?」
ちょっと躊躇した後で、頷く。
「み、み、見たんですね……?」
「ちょっとだけ、だけどね。具体的に言えば、チャイムの音から窓際で満足するまで」
「全部じゃないですか! し、しかも――録画、録画までして……!」
僕の手のスマホを目敏く認識すると、千花は真っ赤な顔で詰め寄ってきた。
生徒会室の扉の前、廊下に面した一角。僕は逃げずに迎え撃つ。
「消して! 消してくださいー! 違うんですっいーちゃん、悪気はなかったんです! うっかり調子に乗っただけなんですよぉ! の、覗き魔って呼びますよ!?」
「はっ、証拠は僕が持ってる。イニシアティブを握っているのはこっちだよ?」
「邪悪な笑いー! 外道めー! 消して下さい……! この通りこの通りです御代官様っ」
「やだ!」
あんな可愛い踊り、絶対消すものかよ! 僕以外の人間に見せる気はないが、もしも動画サイト辺りにアップすれば30万再生くらいは一瞬で越えるだろう。そんなのは我慢がならない。消去しないように厳重に保管しておこう。心に決めて、千花のお願いを一蹴する。
この辺で『ケッ、やってらんねー』みたいな顔をして石上は生徒会室に入り、自分に任された書類の山を手に取って処理を始めていた。
「どうしてもですか?」
「どうしてもヤダ。他の人には見せないし、他言もしない。でも超可愛いから絶対消さない」
「……な、何でも言うこと聞くって言っても駄目ですか!?」
ここは生徒会前の廊下。結構音が響く。
千花の声に、遠目でこっちを伺っていた女生徒達が、ひそひそと顔を寄せて囁き合う。
なんか誤解された気がするな。まあ良いか。
「じゃあ『消さない』ってお願いにしようかな」
「狡いです! それ以外のお願いなら聞きますから。……キ、キスとか良いですよ!?」
更に女子達が顔を赤くして噂し合う。
安心しておけ、公衆の面前ではまずやんないし、お願いしてやるようなものじゃない。
しかし、ここでちょっと違和感があった。千花は強情であった。普段なら妥協するところを、執拗にお願いしてくる。今の動画に何か問題があったのだろうか。ううむ、分からない。
スカートの下が見えていたとかは無いし、ゴキブリを素手で掴んでいたのも「まあ千花だし別に?」という感じ。生徒会室の机の上に寝そべっていたのはマナー違反だが、僕が他人に映像を見せない以上、流出する心配はない。勿論、この動画を使って脅迫なんか絶対しない。
説明をしても千花は強情なまま。
遂には、憤懣やるせない顔で、ぷいっと他所を向いてしまったのだ。
「もう良いですー! いーちゃんの馬鹿ー! 嫌いで……いや嫌いじゃないですけど、でも口利きませんからね! そっちが態度を変えるまで、ちょっと千花むくれモードですよ!」
かくして、それが今日まで続いているのである。
石上に助言を募ってみたが『こっちに振るんじゃねえリア充』とけんもほろろであった。
◆
それから二日。水曜日。つまり今日。
僕と千花がちょっと不穏な関係になったというのは、割と素早く情報として浸透した。
マスメディア部の記事が掲示され、関係がより周知されていたのも大きいだろう。一日目までは「珍しいなあ」であったが、二日目ともなれば段々、噂は大きくなる。
実は不仲になったんじゃないか、みたいな流言飛語が飛び始めたのだ。
まさか! まさかまさか! 彼女への好意は一点も下がっていない。だがしかし会話をしないままずっと続いているのは確かだ。千花も今更、強情に消してほしいとお願いした理由を説明出来ないらしく、切っ掛けを掴めずにずるずると時間が流れていく。
「(早く私の方に来て折れて下さい! 何が起きるか分かりませんよ! 関係悪くなったって邪推されますよ!)」
「(じゃあ消す理由を話してくれ! そしたら考える! 外部の音とかどうでも良いわ!)」
「(は、恥ずかしいんで嫌です! ……言えないです! あ、外部が何言おうと私は好きですから安心してくださいね?)」
「(俺も好きだ。安心してくれ。だが折れる訳にはいかない。それとこれとは別なんだ!)」
などと目で会話はしていたが、口には出さない。
クラスメイトは『なんだ、別に険悪じゃないのか』と情報を修正したらしい。
まあずっと目を合わせて互いに見つめ合ってたら、そうもなる。
しかし部外者はそうは思わない。
そうなると、千花へアプローチする男子が出てくるのは、当然であった。
そう、千花はモテる。むっちゃ人気がある。
彼女の下駄箱にラブレターが投函されていたのは、なんと口論から三日目。
生徒会で不思議な踊りを録画した月曜日放課後から、三日後。木曜日の朝だ。
「ふーんだ、いーちゃんが譲らない限り、詳しくは話しませんよーだ」
「ぐぬぬ、……。くっ、屈したい自分が居る。ラブレターとか無視して欲しい……。でも録画は消したくない……! あんな可愛い姿、消せない……!」
僕の台詞に、耳を傾けていたクラスの人間がざわっとした。
千花の過激な映像を確保したとでも思っているのかもしれない。
確かに貴重な映像ではある。訂正する余裕はない。
「ぐぬぬ、私だって! 私だっていー、……調さんの方が良いです! でも理由、言えません。恥ずかしくて言いたくないです! 乙女心を分かって下さい!」
「今回のは難問なんだって! 大体今までは理由を即座に話してくれただろ!」
このあたりでクラス全員の目が生暖かくなった。
『なんだやっぱり何時もの惚気じゃねーか』と興味を失って戻って行く。
千花の目は「早く折れて止めて下さい!」と訴えていたが、理由が分からないのに頷けない!
話は平行線を辿って決着はつかなかった!
◆
その日の放課後が始まるや否や、僕はじっとしていられず、生徒会室に飛び込んだ。
扉の前には、変な笑顔で俯く、かぐや嬢が居たが、目に入らない。
「どうすれば良いんでしょう……どうすれば良いと思います!? 会長!」
「お前まで俺に話を持ってくるな! 見ての通り、俺は今、彼から恋愛相談を受けている!」
「……高等部一惚気が得意な岩傘広報でも、そういうことあるんですね」
「あるよ! ありまくるよ! 小・中・高と年に一回くらいは喧嘩してんだよ、
生徒会長に話を持ってきたこの男子、クラスメイトの翼氏だった。
クラスメイトの
柏木さんって柏木
また高いハードルを、と思ったが恋は障害が多い程に燃えるという。翼氏も病院の一人息子で将来を期待されていたっけ? 頑張ってくれ。応援する。
それより千花の事だ。
「別に喧嘩するのは良いんだよ。喧嘩をしない方がおかしいんだ。偶には本音でぶつかるのも大事だから。でも今回は、ぜんっぜん理由が分んないんだよ。僕が悪ければそれは直すし、謝るさ。それは今までもこれからも代わりは無い!」
「……本音でぶつかるのも大事なんですね」
「岩傘は良いことを言うな。そう、今までの話を総合するに、その彼女が君に好意を持っているのは間違いない。さっき話した通り、うだうだしてても始まらん。時にはぶつかるのも大事だ」
あれ、なんだこのブーメラン、と会長は引き攣っていた。自覚はあるらしい。
話半分で事情を知る。翼氏は、柏木さんが気になっているが、距離を測りかねている。チョコボール三粒だけのバレンタインプレゼント。『好きな人いるの?』という問いかけ。これらで不安になっていた結果の行動であった。
総合するに、御行氏の助言はそこまで見当違いでも無いと思う。
少なくとも嫌われてはいない。本当に義理チョコなら、三粒なんていう半端な真似はしないだろう。『翼君はチョコボール三粒でも怒らないよ』と分かっているからこその行動ともとれる。
僕が捕捉すると、翼氏はより納得したようで立ち上がった。
「分かりました、僕、やってみます……! ありがとうございました!」
翼氏の颯爽とした背中を見送って、僕は改めて御行氏に話を切り出す。
会長の机の上に寝そべっていた部分は伏せて、大体を説明する。生徒会室で踊っていたこと、それを録画したこと、それを消す消さないで対立していること、と。
「重要なのはですね、録画そのものは今までも何回もしてるってことなんです! 僕がこっそり撮ってるのに気付いて真っ赤になる事はあっても! でも許してくれていました。ヤバイ映像が取れた時は謝って消しています! 向こうも理由を説明してくれます。勿論、記録をコピーして残しておくなんて不誠実な真似もしません。でも今回は違うんですよ……!」
「……俺よりも、藤原書記に詳しいお前に分らない物が、俺に分かると思うのか?」
「さっき恋愛百戦錬磨とか呼ばれてたじゃないですか」
「くっ……」
いや分かってるよ。御行氏がそんなに経験豊富じゃないって事くらい。
御行氏、確かに女性からの人気はある。しかし同時に、高嶺の華なのも事実だ。
四宮かぐやという鉄壁のガードが常に見張っているのもあって、直の告白が出来る娘はまず居ない。ラブレターとかバレンタインチョコも貰っているが……そういうのは、鉄壁ガードを通り抜けて行動を起こせない娘ばかりなので、ちょっとずれている。毛が入ってるとか。怖い。
「俺に録画を見せる気もないんだろう? 話を聞いただけでは無理だ。……そもそも本当に理由は録画なのか? 実は別に理由があって、それが録画を契機に不満として噴き出た可能性は無いのか? 例えば………………良い具体例は出てこないが」
「無いと思いますよ。だって不思議な踊りを見るまで何時も通りでしたし。GWの予定の話も順調でした。理由は踊りにあるのが間違いないんです。これは僕の長年の勘です。今回もきっと可愛い理由でしょう! でもそれが分からないんですって!」
「惚気るな! もう知らん。自分で解決しろ!」
GWが目前だ。さっきの翼氏も、此処で交際関係に至れれば、長期休暇で何かしらのイベントを起こせる、という考えがあったかもしれない。
僕にとっても切実だ。旅行の予定を無下にしたくない!
とはいえ、御行氏がかなり蚊帳の外なのは、認めざるを得ない事実。
千花が『消して下さい!』と言っている以上、僕以外の誰かに踊りを見せて拡散など、以ての外。僕は引き下がって、悲しみを抱えながらPCを弄るしかなかった。
千花が居ない生徒会室はどことなく寂しい。広報の仕事は、書記の仕事と被っている部分も多いので、彼女抜きでも深刻な事態にはならない。だが能率は下がっていた。
なんとか終わらせて、早々に切り上げる。肌寒い夜道は、心身に殊更に堪えた。
◆
「と言う訳で、せめて……せめて、千花がラブレターの相手と何処で出会うかとか、探ってくれませんか
「…………」
その夜、とうとう僕は家の人間に協力を要請した。
妹から萌葉ちゃんに頼めないか、と話を持って行った結果
『は? 馬鹿じゃない? 口論? どこが? いつも通りじゃん』
とか言われて着火されそうになったので、もう一人の方に頼る事にする。
彼女は無言で額に手をやって、音を出さずに息を吐いた。
三週間に一回、微笑みが見れればラッキーと言うほどの鉄面皮。その一方、家事から護衛まで何でもござれの
僕が小学生の頃からこの家で働いてくれている。僕らの車での送迎もこの人だ。
豊実姉――藤原豊実さんと並んで、姉のように何かと頼りにさせて貰っている。
僕のお願いに、彼女は、淡々とした声で話をしてくれた。
「……実は、千花様から、伝言は受け取っています。数日前からの事情は、小耳に挟んでいたので。念のために、毎日、連絡を取っておりました。ラブレターの指定日は金曜日――明日ですね。その午後18時。学園の……何と言いましたか、あの七不思議で有名な……幸運の木、でしたか?」
「……【首吊りの木】ですか!」
秀知院にもオカルトはある。学園七不思議、ベタな奴がある。
【十三の階段】【夜、誰もいない音楽室でピアノが鳴る】【保健室で骸骨に看病される】【絵画が動く】等々。その内の一つが【首吊りの木】だ。
その昔『幸運の木』と呼ばれていた中庭の木。しかし首を吊って生徒が自殺して以後、『幸運の木』は【首吊りの木】になった。やがてその伝承は変化し『その場で告白されたカップルは、波乱続きの恋を送ることになる』――と言われている。
なるほど。確かに一見、告白が失敗しそうな伝承に思えるかもしれない。
しかし真逆に考えれば『告白すれば、波乱続きでも、その関係が継続する』と言う意味にも捉えることが出来る。その為、時折、この場所で告白を行うカップルが居るのも本当だ。
「分かりました。明日、そこに行ってみる事にします。ありがとうございました!」
「お構いなく。それより、しっかりと寝て下さい。昔から貴方は、睡眠時間が足りないと体調が悪くなるのですから」
「……はい」
色々あった昔から、この人は家の全般を取り仕切ってくれた。叱られたことも多い。
素直に助言を聞き入れて、予習だけして休むことにした。
それでも中々寝付けなかった。
明日18時、か。
◆
その時間は思ったより早くやって来た。一日の授業を恐るべき集中力――というか、頭からラブレターの問題を引き剥がしたくて、全力で授業に意識を向けた――結果である。
隣の席の千花は、むー、と不満そうな顔をして、それでも何も言わない。
彼女がラブレターを貰った話はクラスに伝播していて、僕と彼女の様子は一日中、観察されていた。しかし折れなかった。折れる訳にはいかなかった。
理由も聞かずに、不思議な踊りを消す訳にはいかない!
ラブレターを出した奴が何者かを確かめないわけにもいかない!
もう此処までくれば意地の張り合いだ。僕の並々ならぬ眼力に飲まれたのか、時折、授業の問題を回答するように指摘する教員の顔が、若干困惑しているほどだった。
授業が終わり、僕は即座に行動を開始した。中庭が見える位置に陣取って、時計を見る。なんか観客も多いようだが、僕は気にしなかった。生憎、今日は曇り空、告白に相応しいシチュエーションでは断じてない。御行氏には18時まで生徒会には行きません、と伝えてある。
「何時でも来い……!」
今日は冷える。微かに白い息を吐いて、僕はじっと待った。
時計の針が17時を指した。告白するような人間だ。ちょっとくらい早くやってくる可能性は高い。じっと中庭を見つめる。死角もない。誰もいない。まだ来ない。
「……もう少し……!」
17時40分を回った。流石に僕がずーっと中庭を見ていると、周囲の野次馬も遠慮する。大っぴらに見えていた生徒は消え、僅かに教室や廊下の隙間から伺うだけ。それも大半が男子だ。
そも僕と千花の関係は周知の事実。御行氏とかぐや嬢の告白ならまだしも、この野次馬が期待しているのは「僕がどんな風に動くか」と「僕と千花の関係に誰か追加されるのか」という部分だ。繰り返すが千花は人気がある。一足先に動き出したライバルが誰か、気にする男は多い。
クラスメイトは『いや、その告白とか絶対無理だろ。行く意味ないぞ。喧嘩とかしてないし』と口を揃えて首を横に振っていたが、説明も馬鹿らしいと思ったのか、誰も外へのフォローはしてくれなかった。
「……来ないな……、いや、まだわからん……」
すっかり体が冷え込んだが、僕はまだじっとしていた。17時56分。もう4分だ。
かちり、長針が一歩進んだ時、千花がやって来た。中庭に姿を見せる。僕は咄嗟に隠れた。
あと3分。時計を確認する。千花は、と言えば木を確認しながら周囲をぐるっと観察している。ラブレターの相手が来ていない、と把握しているのだろうか?
あと2分。僕の足はガクガクだった。風通しが良い校舎の影に隠れたせいで、余計に寒い。緊張で変な汗も出てきている。……何も起きない。起きていないのだ。
あと1分。そこからは1秒が長く感じられた。だが何も起きない。1秒が10秒になり30秒になり、やがて一周する。18時。約束の時間。
誰も、来ない。
我慢の限界である。
「――……
思わず身を乗り出して、うんと昔に呼んでいた呼び方で、彼女を呼んでいた。
僕の言葉に、千花は此方を振り向き、無言でラブレターを取り出す。
そして――。
それを破った。
びりびり、と。
その紙片を見る。文字は――書かれていない。
たったの一文字も書かれていない。
「…………はい?」
……もしや、と此処に来て思った。
もしや、そういうことなのか!?
まさか……!!
「…………や、や、やられたああ……っ!! 千花、くっそ――お前えええ!」
全てを理解して、僕は地団太を踏んだ。
千花はしてやったりと満足気だ。
「やっぱり来てくれましたっ! もう本当、来なかったら泣いてましたよ!? 絶対に伝わると思ってましたもん。此処まで強情なのは予想外でしたけど! ずっとふくれっ面を維持するの、ほんっとうに大変だったんですからね!?」
「千花の計画通りかよ! さては昨日の朝、自分で自分の下駄箱に投函したな!? そっから一日で僕が動くことを読んだな!? 憂さんと会話したのも仕込みだな……!?」
「にへへへー、そうですよ?」
にへへ、と笑う千花であった。
そのまま僕に近寄って、ぎゅーとハグになる。僕は問答無用でハグを返した。
ああ、そういや観客が居たんだっけ? まあいいや。どうも男子は全員、恨みがましい目で呪っているようだが、知るか。このやろうー! と言いながら千花を捕まえる。
落差があった分、もうテンションがやばいことになっていた。
マジ心臓に悪い。くっそ、僕がこの状態になれば千花からの攻撃を回避できなくなると知ってたな!? ぐぬぬと歯噛みしながら、負けを認める。負けだ!
「分かった。僕の負けだ。動画は消す! 消すけど、理由を聞かせてくれ。なんであんなに、強硬に消してほしいってお願いしたんだよ」
「……だって、だって、だってですよ!」
彼女は、恥ずかしそうな顔で俯くと、小声で呟いた。
「生徒会メンバーの名前を上げる時、語呂の良さを考えて、特別な人で除外したら……」
会長とかぐやさん、石上君と、書記の千花。
「消して欲しーじゃないですかあ! 名前を呼んでないんですよ!? 他の皆を入れてるのに、いーちゃんの名前に触れてない踊りを保存されるんです! そんなの嫌です!」
「…………ぐ、っ、くぅ……!」
破壊力は大きかった。今回も可愛い理由に違いない、と思ってたら!
やっぱり理由が可愛い過ぎる!
これが何日も焦らした後での計画なら怒りが沸くかもしれないが、僕が翻弄されたのはたった三日。しかも険悪だった訳じゃない。互いの好意がぶれた訳でもない。
教室でずっと会話してたしな!
理由を説明するために、僕を呼び出す工夫までしてきた。
恨みようがねえ。怒る気概がある訳ない。
「……分かった。じゃあ、妥協案だ。あの動画は消す。その代わり――もう一回、録画させてくれ。誰かの名前を入れないで良いから! 頼む」
「もー、しょうがないので、踊ってあげます。いーちゃんの家で良いですね?」
僕の言葉に、千花は、言葉とは裏腹に晴れやかな笑顔。
かくして僕の秘蔵フォルダに、一つ動画が増えたのであった。
くしゃみと咳をしながら動画を連続再生する自分は、はっきり言ってアレだったかもしれない。
由来は『今昔物語集』「竹取説話」より。
此方では、かぐや姫は『優曇華の花』ともう2品『雷』と『太鼓』を要求している。