幼馴染で隣人で許嫁な彼女と惚気たい   作:金枝篇

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偶にはのんびりした惚気も良いよね。


幕間:忠犬ペスはじゃれつきたい

 夫婦喧嘩は犬も食わぬ、という言葉がある。

 世間一般で言えば、吾輩は犬だ。吾輩が夫婦喧嘩を食べたいかと言えば否である。

 しかし真面目なことを言えば、喧嘩でなくとも、甘ったるい空気を食べようとは思わぬ。別に人間同士の恋愛は吾輩には関係がないこと――しかし、互いの求愛行動というのは本能的に理解できるのだ。そこに横槍を入れるほど、吾輩、無粋ではない。

 

 「はあぁ……良いお湯ですねえ……」

 「そうだね。……なんでこうなってるの?」

 「いーちゃんはまだ療養中で、一人だと倒れるかもしれないくらい元気が無いからです。それに良いじゃないですか。互いに水着ですよー? スパとか温水プールだと思いましょうよー?」

 「……僕の記憶の中にある、買った水着と随分違うんだけど」

 「追加で買ったんですよー。えへへ、似合いますかー?」

 

 無粋では無いと言ったが、興味がないわけではない。のそりと動いて、無言で浴場に顔を出す。

 器用に前足と鼻を使い、浴室への扉を開けると、そこでは主様:千花殿と、調殿が居た。

 二人で仲良く湯船に並んでいた。ああ、無論、水の中で着る服は身に着けていた。調殿は良く見る……男性用の、余りラインが鋭くない水着。対して、我が主様と言えば……。

 

 「ギリギリ過ぎる……。それ、本気で着る気だった……?」

 「……えっと。…………はい、です」

 「二人きりの時に……?」

 「…………そう、です、よ?」

 「まあ、シチュエーションとしては今も似たようなもんだね」

 「ですよねえ! あー良かった! ちょっと怒られるかとドキドキだったんです。勇気出して良かったです。似合ってますか?」

 「うん。似合ってる。とても可愛い。抱きしめたい。ちょっと気力ないけど」

 

 人間の言葉で言えば「割と過激」という言葉が似合う意匠であった。

 胸部と臀部を布で覆っているのは確かだ。それを細い紐で結んで止めている。それだけなら未だセーフかもしれぬ。しかし脇から側面までがメッシュ状になっていて素肌が見え隠れしている。加えて上半身、布一枚ではなく、二枚を横に並べる形で、胸部を隠している形だ。つまり膨らみの間、谷間が見えている。

 我が主のスタイルが恵まれていることは知っていたが……。

 

 これは調殿も若干――興奮? 困惑? するのも無理は無かろう。

 そこまで考え、果てと吾輩、思った。

 

 ――長期休暇で、どこぞに出かけるという話は、どうなったのだろうか?

 

 「ペスー、駄目ですよ、そのまま入って来ちゃ。明日にでも洗ってあげますからねー。さ、いーちゃん、立って下さい。まだ病み上がりで、歩くのもフラフラしてるんですからね? これは介護、これは看病、だから気にせず、身を任せて下さい」

 「なんでワキワキと手を動かしてるのか気になるけど、お願いする……」

 「うえっへっへっへ、兄ちゃん良い身体してるじゃねーかって事です! 洗ってあげます。遠慮せず甘えて良いんですよ今日は。いーちゃんが無理なら、私からぎゅーってしてあげますね」

 

 ははあ、と吾輩は悟った。そういえば数日、千花殿は家を空けていた。夜になれば戻ってきていたようだが、その間、どうやら調殿は病で臥せっていたらしい。

 今も本調子ではなく、千花殿が面倒を見ている、と言う事か。納得した。

 では邪魔するのも悪い。吾輩は静かに風呂場を出た。

 

 「一緒に入るまでならプール扱いでセーフだけど、それ以上は不味いと思うな……」

 「いーちゃんは、私に看病させてくれないんですか……? 私のせいで風邪ひいたから、私が治るまで付きっきりで面倒を見てあげようと思ったのに、それが嫌なんですね……? まだ歩くのも難儀なのに……。ぐすんぐすん……迷惑だったんですね……しくしく……」

 「……オーケイ、分かった、分かったよ……。普通にお願いする」

 

 わあい、と即座に涙を消して喜ぶ我が主。根っこが世話焼き気質な千花殿だ。

 余分な体力がない調殿が、全力で甘えてくるのが嬉しいのだろう。会話があっちに飛びこっちに飛び、藤原千花節が全開である。平たく言ってテンションがおかしい。舞い上がっているにも程がある。まあらしいといえばらしいのだろうか?

 ……吾輩、聞いていて段々、虚しさを覚えてきた。寝よう。

 

 「普通ってどういうのです? ああ、いーちゃんの秘密の本棚に隠れてる中にあった、タオルを使わないでやるようなのですー? してみますかー?」

 「やんないで良い。そういうの、言うっん“、……けほけほっ、……言うなって」

 「きゃっ、私、このまま、いーちゃんに襲われてしまうんでしょうか……。熱で理性が飛び、限界を迎えてケダモノになったいーちゃん、それに抵抗しきれない私、二人は大人の階段を……」

 「昇らない。元気な時でも、まだ勇気無いんだから。……っくし」

 「ほら言わんこっちゃありません。まだ熱下がりきってないんですよ。素直に私に従ってくださいね。病人の意見は聞きませんー。イチャイチャするのは元気になってからです」

 「すっげえツッコミ入れたい」

 

 誘っているのか母性に溢れているのか惚気ているのか、あるいはその全部か。

 千花殿は、気遣いつつも調殿を誘導していく。調殿は、口でこそ咎めているが、それだけだ。

 千花殿の看病に感謝して、心身がリラックスしているのは先ほどの一瞬で良く分かった。

 二人の会話は、あれくらいで丁度良いのだろう。

 今日は、与えられた部屋で寝るのは止めだ。少々、悪戯をするとする。

 廊下を歩き、さる部屋の扉の前で体を丸めて、横になる事にした。

 

 ◆

 

 吾輩は犬である。名前はペス。藤原家に買われている由緒正しき忠犬である。

 種類は知らない。出自も知らない。実は吾輩、血統種に見えて雑種であり、レトリーバーなのかテリーなのかハウンドなのか定かではないのだ。表向き、適当な血統種という札を掛けて貰っているが、これは一種のカバー。吾輩が蔑まれる事の無いように、という主様達の配慮である。

 

 雑種とはいえ賢く礼儀正しい吾輩を、藤原家の皆は「血統種じゃないから嫌です」とは言わず、毎日丁重に可愛がってくれている。

 食事、睡眠、運動、ブラッシング、住居、掃除まで。吾輩は感謝の雨である。

 吾輩の主様、藤原千花は、このところ毎朝、ランニングをしているが、その際に護衛として同行し走る事も多い。実に健康的で恵まれた生活をしていると言えよう。

 

 自慢ではないが吾輩、かなり毛並みが良い。目付きは悪いと言われるが、それが逆に番犬としての威厳をなしていると考えている。そも飼い主の皆さまは、そんな自分のもふもふ具合を堪能されているようで、寒い日に足元にすり寄って身体を擦ると、毛並みと体温で悶絶してくれる。

 犬の本願、叶ったりと言う事だ。

 

 さて、そんな吾輩であるが、実は藤原家以外にも、もう一人の主人が居る。

 名前を、岩傘調。

 吾輩にとって忘れてはならぬ、恩人であるのだ。

 彼が居なかったら吾輩は、今頃どこかの路地裏で悲しく息を引き取っていただろう。

 

 昔の話である。

 

 ◆

 

 吾輩、生まれと育ちが何処であったのか、覚えておらぬ。見た目的に言えば、親はさぞ立派だったのだろう。しかし如何なる経緯か、吾輩は路上生活を余儀なくされた。

 例えばこう……飼い主に不慮の事態があって、吾輩を飼う余裕がなくなったとか。もっと単純に邪魔だったから捨てられたとか。……今となっては経緯も分らぬ理由が、色々あったのだろうが、やっと四肢が動いたばかりの、幼い吾輩は悲しく路上を歩いていた。

 

 理由を追求する前に、食事と寝床が必要だった。

 その頃は今ほど、いわゆる野良犬への締め付けが厳しくなかったのもあって、何とか保健所の追っ手に捕まることなく過ごせていた。小さく幼かったが故、隠れる場所も多かったし、食事も僅かで足りたのだ。

 

 しかしそれでも限界は来る。吾輩は限界を迎えていた。

 何とか食糧の多そうな、高級な住宅街へと夜間の間に足を踏み入れ、警戒が薄そうな家へ潜り込んだ。朝になって発見されれば追い払われるだろう。そのまま逃がされれば御の字、捕まって処理されるか、保健所に送られて殺処分されるか……、そんなことを考えても、どうしようもないくらい吾輩、疲れて動けなかったのである。

 

 朝になった。

 

 吾輩は、ぬるま湯の中に浸かっていた。

 人肌より少し高いくらいの温度の中、吾輩をすっぽりと入れる底の浅い桶の中、丁寧に汚れを洗われている。吾輩が目を開けて動いたのを気付いたらしく、湯に入れていた者達が声を上げる。

 

 「いーちゃんいーちゃん! 目を覚ましましたー! 良かった、元気ですよ!」

 「いや、元気じゃないと思うよ、ちーちゃん。お湯を替えて、もうちょっと汚れを落としてあげよ。今、憂さんにドックフードを、買ってきてもらっているから、それまでに、乾かさなきゃ」

 

 吾輩の目に映ったのは、まだ小学生の低学年くらいの男子と女子であった。

 片方は髪を伸ばして、片方はちょっと眉間にしわをよせている。互いに素足で、袖を捲っている。此処は風呂場であった。シャワーの音がして、微かな石鹸の匂いと共に、吾輩の身体を湯が流れていく。

 その感覚がこそばゆく、吾輩は思わず身動きする。

 

 「あ、ダメですよー! もう、お湯が撥ねちゃうじゃないですか!」

 「代わる。ちーちゃん。あんまり濡れるとお父さんたちにばれるよ」

 「その時は一緒にお風呂入ったとでも言いますねー」

 「無理あるよ! だんじょななさいにして……なんとかって言葉あるもん。僕もちーちゃんも、もう9歳。怒られるからね?」

 「……でも、いーちゃんが一緒に怒られてくれるなら、私大丈夫ですよ?」

 「その言い方は、ひきょーじゃないかな!」

 

 言いながら、吾輩の洗い担当は男子の方に変わった。

 四苦八苦しながらも、吾輩を壊さないように、丁寧に丁寧に汚れを落としていく。

 

 「危なかったんだぞお前。千花の家の庭で蹲ってて、見つけたのが、千花と、豊豊実(ねぇ)じゃなかったら、追い払われてたか、死んでたんだ」

 

 男子はぶつぶつ言いながら、頬を膨らませているような顔で、続ける。

 

 ――それって、悲しいんだ、と。

 

 ……何かしら、思う事があるのか。言いながらも男子は吾輩を洗い終わり、乾いた温かい布で水気をふきとっていく。やがて全身を綺麗に布に包まれた吾輩は、そのまま隣の部屋へと連行された。どうやら濡れた服を着替えたらしい女子が、とててっと近寄って来る。

 

 「ちーちゃん、それ僕の制服のワイシャツでしょ。なんで着てるのさ」

 「えー、だっててきとーな奴がなかったんです」

 「……まあ、しょうがない、のかな……」

 「はい、しょーがないんです」

 

 頷きながら彼女は言った。

 

 「いーちゃん以外の子供、この家には居ないんですから」

 

 それに「いーちゃん」は息を吐いて。

 

 「そうだけどさぁ。もうちょっと前のボタンとか、留めてよ。さきっちょ見えそう」

 「あ、見たいですか? 見たいですかー? うりうりーいーちゃんのエッチ!」

 「……言ったな?」

 「へ?」

 「じゃあ、見たいって言ったら見せてくれる?」

 「あ、えーっと……。……えーっと……えと、あの……その……(ちょ、ちょっとなら)……」

 「照れるなら言わなければ良いのに」

 

 吾輩、一瞬「イラッ」とした。多分、生まれて初めての苛立ちであった。

 そんなことは露知らず、男子は、吾輩を、段ボールの箱の中に入れた。若干、顔が赤い。彼も恥ずかしかったらしい。

 箱には既に毛布が敷かれていて、小さな皿に水が注がれている。

 

 「あ、水、ぺろって飲みましたよ……。元気になってくれそうですよー! やりましたー!」

 「ん、そうだね。良かった」

 

 わあい、と言いながらじゃれ合う二人の前。吾輩が暫しの時間、ゆっくりと水を舐めていると、部屋の扉を開けて、一人の女性が顔を出した。

 

 立ち振る舞いに隙が無い、すらりとした女性。髪も目も二人と違う。

 海を越えた先の国の生まれだろうか。二人とは年齢が、十くらい離れているようだが、まだ若く、学生服だ。彼女はコンビニ袋を置いて、調達してきたらしいドックフードを慣れた手つきで別の皿に開け、吾輩の前に差し出す。

 

 「憂さん、ありがとうございます」

 

 憂、と呼ばれた女性は、「いーちゃん」と呼ばれていた男子の言葉に、お構いなく、と返す。吾輩、彼女はこの家の家政婦か、お手伝いか何かなのだろうと判断をする。

 

 目の前に食事が置かれ、吾輩は無性に空腹を実感した。そういえば数日、何も食べていなかったことを思い出したのだ。にわかに沸き立った食欲に押され、食事にかぶりつく。

 決して高級ではなかったが、吾輩にはこれ以上のない、馳走であった。

 その吾輩の食べっぷりに「ちーちゃん」は目をキラキラと輝かせて喜んでいた。

 

 「食べましたよ! 食べました可愛いー! ちょっと目付きが悪いのにご飯に抗えてないのがぐっどです。いーちゃんいーちゃん、写真! 写真、とりましょう!」

 「はしゃがないで、ちーちゃん、まあ可愛いけど」

 「ぱしゃり」

 

 無言で、憂と呼ばれた女性はシャッターを切った。

 食べ終わった吾輩は、やがて眠くなっていることに気づいた。暖かく、満腹で、何も苦痛がない。安心感に包まれ、瞼が重くなっていったのだ。吾輩の処遇に関する話を始めたようだが、それは聞こえなくなっていく。

 ――吾輩は、癒されたのだ。

 

 ◆

 

 目が覚めた時、そこはキャリーケースの中であった。

 車に揺られているらしい。ケースを抱えているのは「ちーちゃん」で、付き合うように隣に座っているのは「いーちゃん」だ。

 「憂さん」が運転している車の後部座席に、仲良く並んで座っている。

 吾輩は、此処で不安になった。この後、どうなるのか、と。

 

 「だいじょーぶですよー。いーちゃんが、おとー様を説得してくれたんです」

 「説得は、してない。ただお願いしただけだもん。豊実姉にもお願いした。一番にお願いしてたのは、そっち」

 「えー、良いじゃないですか、そこは、いーちゃんの手腕ってことでー」

 「……ぼくの手腕じゃないよ。僕は、頭を下げただけだもん」

 「もう、いーちゃんは分かってませんねー」

 

 おしゃまな「ちーちゃん」は、にこにこしながら話す。

 

 「お父様に、面と向かって、おねがいします、って言えるのはすごいんですよ?」

 「……そうかな」

 「そうです。だから私も、一緒におねがいできました」

 「そんなことないと思うけど。ちーちゃんがおねがいしたからだよ」

 「一緒におねがいをーしてくれたのが、嬉しいんですー!」

 

 彼女はわかってませんねえ、と「いーちゃん」を突きながら続けた。

 

 「私が何かあった時、いーちゃんは、いっしょけんめいになってくれます。自分じゃむりだーって分かると、他の人に助けを呼んでくれます。豊お姉ちゃんを呼んでくれて、憂さんを呼んでくれて、色々やってくれました。……何があっても逃げないで、がんばってくれます。例え、お父様が相手でも、自分の意見を言って、まっすぐに、おねがいをしてくれます。私は、それを見ると、嬉しいし、がんばろーって思えるんですよ」

 「……やっぱり、ずるい言い方する」

 「えへへ、でも本当ですよ。だから、がんばりすぎないでね?」

 

 ここまで聞いて、吾輩は理解した。

 吾輩、どうやらちーちゃんと呼ばれた彼女の家に引き取られるらしい。

 渋っていた彼女の父上を、この二人が頑張って頼み込んだようなのだ。

 

 「それにですね、考えてもみてくださいよー、ペスはこれから我が家に住みます。でもそれじゃあ、いーちゃんの顔を忘れちゃいますよ。だからちゃーんと教えてあげるんです、いーちゃんもペスを助けるのに手伝ってくれたんですよーって」

 「……まあ、良いけど」

 「はい。そしてですね、どんどんウチに来てください! ペスが顔を忘れないように!」

 「……ぜんしょするよ」

 

 車が大きな家に停車する。降りた吾輩は、ケースの隙間から、それを見た。

 吾輩のケースを抱えたまま「ちーちゃん」が躍る。視界が回転して、ちょっと気持ちが悪くなったが、しかし悪い気分ではなかった。その理由は、何よりも先ほど聞いた、言葉があったからであろう。

 

 ――ペス。

 それが吾輩の名前であった。

 この日から吾輩は、藤原家の一員となった。

 

 ◆

 

 「いーちゃん」と呼ばれていた男子は、その後もずっと藤原家、吾輩の主の家にやって来た。

 男子ということで、少々の遠慮はあるようだが、出会う度に成長をしていくのは、吾輩だけではなく、彼も同じであった。

 

 彼の本名が、岩傘調というのも知った。

 

 流石に小学年の後半ともなれば、互いに照れや気恥ずかしさがあったらしく、彼が主様を「ちーちゃん」と呼ぶことは減った。藤原さんと呼ぶか、千花と呼び捨てにするか……。

 関係が徐々に成熟したものに変わっていくのも、感じていた。

 

 許嫁という言葉の意味は分からないが、どうやら周囲は、千花殿と調殿を(つがい)にしようと考えているらしい。その提案に関して、二人は受け入れつつも、悩んだり、喧嘩をしたりと繰り返しているが、それでも基本は前向きで、互いに好意を寄せている。

 であれば、吾輩、何も言う事は無いのである。

 

 「お前、なんというか、育ったなあ……」

 

 そこまで、夢見心地で回想した吾輩は、ふと意識を戻す。

 廊下の真ん中で眠っていたのである。声で目を開けた。

 入浴から上がってきたらしい調殿が居る。眠いが、少し顔を上げて、小さく吠えてやる。

 

 なるほど。確かに調殿は、本調子とは程遠いようだ。顔色が悪く、風呂上がりを差し引いても体温が高い。汗が止まっておらず、どことなく呼吸も荒れている。微かに喉を鳴らしているのは、扁桃腺が腫れているからだろう。

 再び納得をした。この病のせいで、長期休暇(ごおるでんういーく)とやらに旅行に、行けなくなったのだろう。

 無言で身を寄せて、体温を伝える。

 

 「ん、なんだ。ペス。その巨体で迫られると、結構威圧感あるぞ」

 

 あれから……今まで、7年か8年くらいであろうか?

 彼はすっかり立派な青年になっていた。千花殿より背が高く伸び、意外と体格も良い。時折ずれを直す眼鏡に愛嬌がある。

 

 吾輩も大分、年を経た。まだまだ元気な時期とはいえ、もう何年かすれば老境である。幸いにも妻が出来て、子供も生まれた。妻には先立たれ、若い子達は別の家に引き取られていった。子達の主は、千花殿たちがきちんと厳選した。彼らは元気でやっている事だろう。

 

 吾輩、恩人たちが居るから、余り寂しくはない。

 藤原千花と、岩傘調は、恩人だ。大恩人だ。猫は、祟るとも、恩を忘れないともいうが、犬とて同じこと。あの時、千花殿と調殿が居なかったら、吾輩はペスではなかったのだ。

 故に感謝の気持ちを込めて、吾輩は調殿に甘えるのだ。

 彼はちょっと重いな、と言いながらも、吾輩をどけることは無かった。

 

 思う。この先もこうして過ごせればいいのにと。

 吾輩は、千花殿と調殿に、じゃれつきたいのである。

 

 ◆

 

 「なんかペスが部屋の前を塞いでて、寝室に入れないんだけど……」

 「あらら、これは困りましたねー。よし、じゃあ一緒の部屋で寝ましょう?」

 「……風邪を移したくない」

 「看病に私が居ないと困るじゃないですか。それに移ったら治るって聞きますよ。今の私は元気ですから! お任せあれ、です! ……嫌ですか?」

 「分かったよ。じゃあこっちから誘う」

 

 何度も問いかけられて、ちょっとやり返したくなったらしい。

 熱で若干、性格が変わっているのもあるのか、割と強気の命令口調だ。

 

 「藤原千花、寒いから暖房器具になって」

 「……はい……はぃ……」

 

 千花殿は頬を染めて俯いてしまった。

 吾輩、狸のように寝たふりをして様子を伺っていた。

 結局そのまま、二人は同じ部屋に入って行く。

 

 翌朝。

 嗅覚で吾輩は感じ取った。

 

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 それこそ、子供が仲良く昼寝をするように一緒の布団で寝ただけであろう。

 進展しているのかしていないのか、良く分からない二人である。

 いや、この場合、調殿が「へたれ」なのだろうか?

 

 まあいい。この先も機会はあろう。

 吾輩は、今日も、主たちにじゃれつきに行く。




次回:調視点での、GW序盤の話。
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