たとえどこまで逃げようとも、天は決して貴様を許すことはない。善には善の、悪には悪の報いがある。悔い改めることなく、なおも悪行を重ね続けるというのであれば、必ずその命をもって償うこととなるだろう。
人それを、『応報』と言う。
儂が悪いのではない。この手が悪いのだ。
地に倒れ伏した、自分と同じ境遇だった盲目の男を見下ろし、そんなことを思う。
自分の手には、血に塗れた包丁が握られている。血は、倒れている盲目の男のものだ。この手が刺したのだ。自分が悪いのではない。この手が、勝手にやったのだ。
いままでもそうだった。この手は、盗みを繰り返し、殺しを行なってきた。自分が悪いのではない。なにせ自分は、眼が見えないのだ。そんな自分が、盗みや殺しを行えるはずがないではないか。
男は、それを理解しようとせず、自分を奉行所に突き出すと言ったのだ。自分や男も含め、盲目の者たちを世話してくれている旦那の物を盗むおまえを許すことはできぬ、と。
儂が悪いのではないと、この手が悪いのだと必死になって説得したが、男は聞かなかった。だから、刺した。この手が、近くにあった包丁を掴み、男を二度、刺したのだ。
***
役人に引っ立てられ、奉行の前に突き出された。
敷かれた
奉行が、ぴくりと眉を動かしたような気がした。
「別の町でも貴様は、盗みと殺しをくり返していたようだな。同情の余地もなし」
「滅相もない。儂には無理でございます。このように眼も」
「貴様は眼が見えているだろう」
奉行が、断じるようにして言った。
思わず息を呑んだ。なにを言っているのだ、と一瞬呆けたあと、慌てて口を開いた。
「な、なにを仰います。儂は生まれつき、眼が見えず」
「以前、この
「そ、それは、人の気配がしたからで」
「ここにいるのは、私たちだけではないのだぞ。なぜ迷いもせず、私の方にむき直れた。誰か、私の方にふりむけと、その男に言ったか?」
奉行が周りの者に呼びかけた。全員が、首を横に振っていた。
「いまも貴様は、周りの者たちを見ているな」
「っ、そ、そんなことは」
「貴様のしたことは、ほかの誰でもない貴様が責任をとれ。この、二枚舌の大嘘吐きめ」
「わ、儂ではありませんっ。こ、この手が、この手が悪いのです!」
「手が悪いと申すか。ならば、その両腕を斬り落とす!!」
「な、そ、そんなご無体なっ。儂は悪くありませぬっ。手を斬り落とすなど、なぜ、儂がそのような酷い目に遭わなければならないのですか!?」
「この期に及んで貴様は、自分にはなんの罪もないと、責任から逃れようとぬかすか!!」
奉行が、一喝した。反射的に身を竦める。
「追って
奉行が再び一喝し、周りに控える役人たちが動き出した。
***
なぜだ。なぜ、こんなにもか弱く善良な儂が、死罪となるのだ。儂は、嘘を吐いたことなど一度もない。なぜ、こんな理不尽な目に遭わなければならないのだ。
牢の中で、一枚だけ敷かれた筵の上に座り、床を見つめ続ける。
「なぜ、なぜだ。なぜ、儂がこんな目に」
「明日、打ち首とは、かわいそうに」
声が聞こえた。ハッと格子のむこうに顔をむけると、ひとりの男が佇んでいた。身なりのいい男だった。
「私が助けてやろう。こちらに来たまえ」
男が言った。何者なのだ、という思いはあったが、素直に男の方に近づいていく。
自分は、善良な弱者なのだ。きっと男は、そんな自分がこのような理不尽な目に遭ったのを見かね、助けようと思ってくれたのだろう。そうに違いない。
「助けてくれるのですか」
「ああ。ただ、ほんとうに助かるかどうかは、おまえ次第だ」
どういう意味かと尋ねようとしたところで、視界が急に狭まった。目の上に、なにかがある。
なにかが額に突き立っている。男の姿勢が変わっていることに気づいた。男は、こちらに指を突きつけるような姿勢に、いや違う。男の指が、額に突き刺さっている。
痛みとともに、なにかが流れこんでくる。そのなにかに、自分の躰が塗り替えられていくようだった。
「私の血をくれてやる。適応できなければ死ぬが、適応できれば、こんな牢など苦もなく脱け出せる力を得られるだろう」
男が、指を抜いた。立っていることができず、地に倒れ、のたうち回る。痛い。苦しい。それだけが頭の中を支配する。
その痛みと苦しみが、唐突に止んだ。代わりに、飢餓感が湧き上がった。
「適応したか。腹が減っているなら、この奉行所にいる人間を殺して喰うがいい。鬼となったおまえの力なら、たやすいことだろう」
人を殺して喰う。そんなこと、善良な弱者である自分にはできない。
「ほう。では、どうする?」
どうするか。殺すのは、自分ではない。自分ではない、誰かだ。
「うむ。善良な弱者に冤罪をかける奉行や、それを看過する役人。そんな極悪人どもは、儂が殺して、喰ろうてやろう」
自分の隣に、額に二本の角の生えた子供が現れた。雷神様のような連鼓を背負っており、
自分の分身だと、わかった。自分から分かたれた、自分ではない存在。
憎珀天が、牢の格子に手をかけた。大した力を入れたようには見えなかったが、格子はすぐに破壊された。
***
奉行所の中を歩き回り、目についた部屋の襖を開けることを繰り返し、いまようやく見つけた。
「お奉行様」
「っ!」
奉行の枕元に近づき、声をかけると、奉行が飛び起きた。
奉行がこちらを見て、眼を見開いた。
「貴様。どうやって牢から」
「儂のような善良な弱者が理不尽な目に遭うのを見かねて助けてくれたお方がいた、というだけのことです」
「なにが善良な弱者かっ。この大嘘吐きめがっ、ぐっ!?」
憎珀天が手を振ると、奉行の躰のあちこちから血が噴き出した。憎珀天が、その爪で切り裂いたのだ。
奉行は立ち上がろうとしたようだが、出血は脚にもあった。傷はかなり深いようで、立ち上がることは叶わなかった。
奉行が、座りこんだままこちらを見た。
「その子供はいったい」
「奉行という公明正大であるべき役職に就いていながら、か弱き者に冤罪をかけ、不当な罰を与えようとする極悪人めが。儂が貴様に罰を与えてくれるわ」
憎珀天がそう言うと、奉行が眉をひそめ、視線をめぐらせた。
「助けは来ませんよ、お奉行様」
「奉行所内の者は、貴様らが皆殺しにした、ということか」
動揺した様子もなく、奉行が言った。
「儂はやっておりません。やったのは、この憎珀天です」
奉行の眼が、これまで以上に鋭くなった。
「貴様に責はないと、そう言いたいのか」
「当然ではありませんか。儂は善良な弱者なのですから。儂を助けてくれる者たちが勝手にやっただけで、儂のせいではありませ」
「貴様は、どこまで責任から逃げ続けるつもりだ」
こちらの言葉を遮り、奉行が言い放った。思わず口を噤む。
なぜ、この男は怯えない。
「貴様がなんと言い逃れようと、事実は変わらぬ。口封じしたところで無駄だ」
なぜ、この男は恐がらない。
「その薄汚い命をもって罪を償う時が、必ずくる」
奉行の言葉を遮るように、憎珀天が腕を振った。
奉行の首が飛んだ。首が畳の上に転がる。首をなくした胴体から、思い出したように血が噴き出し、やがて倒れた。
転がった奉行の顔が、こちらをむいた。睨みつけている。やはり、恐れも、怯えの色もなかった。鋭く、半天狗を睨みつけていた。
白刃が迫る。目の前に、花札のような耳飾りを着けた、額に痣のある
いま見えていたのは、なんだ。あれは、儂か。人間のころの儂か。いまのは、走馬灯か。
剣士の刀が、半天狗の
半天狗の首が、地に転がる。
目に映る光景が、三つ。いましがた半天狗の頸を斬った剣士。朝日を浴びながら佇む、鬼であるはずの、角の生えた娘。憎珀天の猛攻を凌ぐ、鬼殺隊の柱のひとりである女。それらが、見えなくなっていく。
命をもって、罪を償え。
最期に再び、その言葉が聞こえた気がした。
お奉行様を書きたくなった。