勘違いをしたのかもしれない   作:おかぴ1129

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大失敗だったのかもしれない③

「大切な人を目の前で嬲られて、黙っていられる僕じゃない……ッ!!」

 

 一色さんの手首を握る彼の言葉は、私の耳に、しっかりと届いた。

 

「離して……ッ。離してって……!!」

 

 一色さんは勢いよく左手を振り払い、金森くんの右手を払う。その後ストンと席に座り、乱れた息を整えていた。

 

 一方の金森くんも、今のやり取りで結構な体力を使ったらしい。肩で息をし、眼差しこそするどいが、表情は怠そうだ。

 

「あなたはずっとそうだった」

「は?」

「僕が気付いてないとでも思っていたんですか」

「……?」

「ここで会う度、彼女をジッと睨みつけていたでしょう……だから僕は、あなたとの相席をずっと避けてた。席だって、あなたから離れたところにせざるを得なかった」

「え……」

「大切な人にそんなことをされたら、誰だって不快感を抱くでしょう」

 

 呼吸の浅い金森くんが、必死に言葉を紡ぎ出す。その言葉の一つ一つが、私の耳に、静かに届いてきた。

 

 声色に感じる感情は怒り。だけどその言葉は、私の胸に、じんわりと温かい。

 

 ……彼の言葉を聞いて、私はやっと気付いた。私は気付かないうちに、ずっと彼に守られていた。私が一色さんに悪意を向けられていたことに、彼は気付いていた。そして、彼女を私から遠ざけて、ずっと守ってくれていた。いや、きっとそれだけではない。クリスマスの夜も初詣の日も、東京出張の時も。……そしてきっと、私が覚えてない、毎日の中でも。

 

――……同じ会社の人です

 

 彼が発したこの言葉。これは、真意が分かっている私の胸にブスリと突き刺さり、その痛みは、ジグジグと私の中でうずき続けていた。

 

 でも今、金森くんは言った。

 

――大切な人を目の前で嬲られて、黙っていられる僕じゃない

 

 彼が発した、『大切な人』という言葉の真意はわからない。

 

 だけど、『守られていた』という事実と共に、その言葉は私の胸を、優しく暖かく、ふんわりと包み込んでくれた。まるであの日彼から借りた、赤と紺のマフラーのように。

 

 金森くんに守られていたという事実と『大切な人』という言葉は、私の心に安堵をもたらした。ホッとしたら私の目から涙がにじみ出た。一色さんに見られないよう、私はうつむき、指でこっそりと涙を拭いた。先程彼女に握られていた手首の痛みは、いつの間にか消えていた。

 

「……彼女に謝って下さい」

 

 未だにその場に立ったままで、しかし声が少しだるそうな金森くん。彼は私への謝罪を一色さんに促すのだが……彼女もまだ、引く気はない様だ。私はうつむいているから顔は分からないけれど、その舌打ちは、私の耳にも確実に届いていた。

 

「は!? なんで私が!?」

「謝るのが大人ではないのですか」

「あんたら、やっぱり付き合ってるの?」

「……付き合ってません」

「は? ウソつかないでくださいよ。ここまで必死になって、付き合ってないわけないでしょ」

「違います」

 

 もうきっと彼女は聞く耳を持たない。これ以上何を言っても……誠実に対応しても無駄だと、私は金森くんに言いたかった。私が金森くんに声をかけようと顔を上げ、彼の顔を見た時。

 

「僕が慕っているのは……」

 

 彼は、自分なりの誠意を、彼女に見せた。

 

「……彼女の指導社員で僕の先輩。渡部正嗣さんです」

 

 でもその誠実さは、通じる人と通じない人が世の中にいることを、私は知っている。

 

 彼女は……一色玲香という人は、後者にあたる。『渡部正嗣』という男の名前は、彼女にとっては、質の悪い冗談としか聞こえなかったようだった。彼女は再び怒りで顔を歪ませ、今度は金森くんに、その矛先を向けた。

 

「意味わかんない。それ男でしょ?」

「男性です」

「嘘つくならさ。もっとマシな嘘ついてくださいよ」

「嘘では……」

「キッツいわ……アンタ……」

 

 その瞬間、私の頭が真っ赤に染まり、頭の中で血管が切れる音が聞こえた。

 

「アンタねぇ!!!」

 

 私は今度は自分の足で立ち上がった。誰かによって無理矢理にではない。自分の意志で立ち上がり、そして未だ涙が枯れない両目で彼女を睨んで、腹に力を入れ、大声を張り上げた。

 

「今!!! 金森くんがアンタごときに誠実に答えてくれたの、分かんないの!?」

「は? つーかうるさいんだけど」

「知るか! アンタがここからいなくなってくれるなら、いくらでもデカい声出すわ!!!」

「……」

「アンタ、仕事中の金森くんしか知らないでしょ!!! 好きな人の前でしか見せない姿知らないでしょ!!!」

「なにそれ」

「金森くんはね……いつもいつも周囲に気を配って微笑んでるけど、ホントに好きな人を前にしたら、めちゃくちゃはしゃぐんだよ!? ペンギンみたいにキモい動きして!! 子犬みたいにその人の周りでキャッキャいいながら、めちゃくちゃ楽しそうにはしゃぐんだよ!?」

「知らんわ」

「それはアンタがそんな金森くんを見たことないからでしょ!?」

 

 私は、喫茶店の中に響くほどの大声で、一色さんに対しまくしたてた。金森くんが、本当に好きな人の前ではどんな様子なのかを、彼女に説明するために。

 

 だけどそれは、叫んでいる私自身の胸にも、ザクザクと刺さって傷を残していく。

 

 なぜなら、私の前では、金森くんはけっしてそんな姿を見せないから。

 

 彼がそんな姿を見せるのは、渡部先輩の前でだけだから……。

 

 そのザクザクと刺さっていく痛みが、私の目に再び涙を溢れさせた。気がついた時、私はボロボロと涙をこぼしながら、一色さんに金森くんのことをまくしたてていた。

 

「カイロを貸してくれたのだって!!! マフラーをかけてくれたのだって!!! 確かにうれしかったけど!! ……でも、それは……ッ」

「……」

「それが私だから……だって、私じゃ、ないから……ッ」

 

 そして、そんな私を、金森くんは私の横で、ジッと見つめていた。相変わらず呼吸が浅くて、息苦しそうに肩で息をしながら。

 

 一方の一色さんはというと……やはりというか何というか、眉間にシワを寄せ、不快感丸出しの顔で、私の言葉を聞いていた。私から顔をそらしてめんどくさそうに、お冷に度々口をつけながら、私の言葉を聞いていた。

 

 大声に張り上げ続けた私の気持ちも次第に落ち着いてきた頃、一色さんはお冷をすべて飲み干した。テーブルにグラスを置く音がタンと耳に響き、その音は私をハッとさせた。

 

「……なんだ」

「なにが!?」

「アンタ、やっぱり好きなんじゃん」

「……?」

「アンタだって好きなんでしょ? 金森さんのこと」

「違う! 私は!!」

「私は?」

「か……ッ」

 

 その答えを、私はすぐに口に出すことが出来なかった。私は『薫お姉さま』と言いたかったが……

 

――大切な人を目の前で嬲られて、黙っていられる僕じゃない……ッ!!

――大切な人にそんなことをされたら、誰だって不快感を抱くでしょう

 

 その名前が出なかった。口に出そうとすると、大晦日の日に見た金森くんの横顔が……クリスマスの日に見た金森くんの力ない微笑みが……恵比寿駅で見せてくれた金森くんの頼もしい顔が、私の頭にちらついた。

 

 違う。これは勘違いだと自分に言い聞かせるが、それでも頭の中の金森くんは消えてくれない。昨日撫でた彼の髪の感触が、昨日触れた彼の汗ばんだ肌の感触が、私の指先に蘇った。

 

 ねえ金森くん。

 

 昨日の夜、鍋焼きうどんを食べる時に、私達こんなやりとりをしたよね?

 

『美味しそう』

『美味しいと思うよ。料理上手な私の友達のレシピで、渡部先輩のアレンジも入ってるから』

『んーん。そうじゃなくて……』

『うん?』

『……なんでもない。いただきます』

『はいどうぞ』

 

 あの時、キミは何を言おうとしたの?

 

 『どうしてこんなに面倒見てくれるの?』と聞かれて私が『マフラーを私が借りたせいで体調崩したと思ったから』って答えた時、『……そっか』て寂しそうに答えたよね?

 

 キミは、私に何て答えて欲しかったのかな……?

 

 私はこの気持ちを、勘違いだと思い込むことが出来なくなってしまいそうだよ。

 

 『私が好きな人は、薫お姉さまだ』と、胸を張って答えられなくなってしまうよ……。

 

 私が言葉に詰まって何も言えなくなっているのを、一色さんは侮蔑の眼差しでジッと見ていた。やがて私達の耳に届くぐらいの舌打ちをした後、

 

「チッ……バカみたいじゃん私が……」

「何が……ッ!?」

「……アンタらキモいわ」

 

 そう吐き捨て、立ち上がって店を出ていった。金森くんにわざとぶつかりそれを謝りもせず、最後まで不快な表情を変えないまま、ドアを開いて出ていった。私はうつむいているから、彼女が出ていった瞬間は見ていない。だけどドアが乱暴に開き、そして閉じられた音は、私の耳に届いていた。

 

「……金森くん」

「……ん?」

「……一色さん、行った?」

「行ったよ」

 

 一色さんが、店から出ていった。その事実は、私の身体から緊張を取り去り、立っている力を失わせた。私は再びストンと腰をおろして、カキフライ定食が並べられているテーブルの上に突っ伏した。

 

「緊張したぁ〜……!!」

 

 震える喉からやっと絞り出した第一声がそれ。さっきは気が張ってたから大丈夫だったけれど……なんのことはない。私はずっと怖かったのだ。

 

「……小塚さん」

「ん? なに?」

 

 一方の金森くんも、顔から緊張が抜けているのが分かった。病み上がりだから息が浅いと思っていたのだが、そうではなかったようだ。いつもの穏やかさを取り戻していた彼は、息が整っていた。

 

「ここ、空いてる?」

「空いてるも何も、そのつもりで来たんでしょ!?」

「う、うん……一緒に食べようと思って……」

「だったら座る! ほらさっさと!!」

「……わかった」

 

 私は今、全身から力が抜けてへろへろの状態だ。手だって震えてる。このままちゃんとカキフライ定食を食べ続けられるか怪しい。だからそれをごまかすために、金森くんに大声を張り上げ、わざと大騒ぎしてやった。

 

 金森くんはすべてを察したのか、それともこんな私が滑稽に見えたのかは分からないけど……穏やかに微笑むと、さっきまで一色さんが座っていた私の向かいの席に座ってくれた。

 

「はーい。ちょっとごめんよ〜」

 

 金森くんがメニューを開き、ランチの物色を始めるのと、ウェイトレスの奥さんが私たちのテーブルにやってきたのは、ほぼ同じタイミングだった。さっきまであれだけ大騒ぎしていたにもかかわらず、今の店内は静かだ。奥さんの声もいつもより穏やかで、その声を聞いているととても落ち着く。

 

「オーダー決まった?」

「えーと……病み上がりですから、ちょっと軽めで……」

「んじゃコーンスープにパンでもつける?」

「はい。それでお願いします」

「あと、アンタ」

「は、はい!?」

「あんた、ドリンクっていつもオレンジジュース頼んでたよね」

「え、ええ。覚えてくれたんですか?」

「まぁねー。彼氏の方も病み上がりだし、二人ともオレンジジュース……と」

 

 そう言ってオーダーに勝手にオレンジジュースを追加する奥さんを私は慌てて制止する。今日はオレンジジュースはいらない。そう伝えたのだが……

 

 奥さんはそんな私の手を指差した。私の両手は、さきほどの興奮でカタカタと震えていて、箸を持つことも出来ない有様だ。

 

「そんなんじゃ食べれないでしょ? あたしらのおごりだから、食べる前にちょっと気持ちを落ち着けな」

「え……」

「カッコよかったよ~? 必死に彼氏を守ってさ。いい彼氏じゃん。アンタのこともずっと大切にしてきてたんだし」

「いや、あの……」

「ちょぉぉおおおっと、賑やかだったけどね……タハハ……」

 

 そう言って、奥さんは苦笑いで店内を見回す。私が入店した時にはお客さんが幾人かいたはずだが、店内はいつの間にかお客さんは私達だけになってしまっていた。

 

 あとで奥さんから聞いたところによると、私達が喧々囂々と言い争いをしているうちに、面倒事を嫌った他のお客さんは、次々と退店していったそうだ。『しばらくはお客さんも減るかもしれないけど、まぁそのうち戻るでしょ』と、奥さんは私達が店を出る時に笑って許してくれた。

 

 奥さんがいつものようにピラッと右手を上げ、テーブルから離れていく。少々……いや、盛大な大騒ぎをしてしまったが、この喫茶店での金森くんとのいつものランチが、やっと今、始まった。

 

「……あの、小塚さん」

「……ん?」

「ありがと」

「私だって。ずっと金森くんに守られてた……」

「いや……そんなの……」

 

 こうして私達は、いつものようにカキフライとコーンスープを互いにシェアし、いつものように楽しいランチを堪能することが出来た。

 

 この店に入った時は、『一人で考えたい』と思っていた。そしてその答えは、一色さんが乱入してきたせいで、今も答えは出ていない。

 

 でも、まぁいい。金森くんと、いつものようにランチを食べる……そのことが、こんなにも嬉しいことだと気付いたから。彼と同じ空間にいるというとてもありふれたことが、私にはとてもうれしいことなんだと、気付いたから。

 

 

 食べ終わり、二人で店を出て、会社へと戻る。

 

「ねー金森くん」

「んー?」

「ホントに体調は大丈夫?」

「小塚さんのおかげでだいぶ。まだ本調子ではないけれど、これなら仕事は出来るから」

「お姉さまたちは知ってる?」

「知ってるよ。喫茶店に入る前に係長と正嗣さんに会った」

「へー……」

「そこで小塚さんがランチに出たって聞いて、きっとあの店だろうって思って」

「そっか……」

 

 こんな他愛ない会話を金森くんと交わせることが、こんなにも嬉しい。金森くんの顔も、いつもより少しだけ明るい。私と話が出来ることが嬉しいのか、それとも他に理由があるのかは分からないが……。

 

 私達の間の距離も、心持ち普段よりも近い気がする。歩いている間、時々私の左手と彼の右手がコツンと当たるから、これは気のせいではないのかも。

 

 そうして、心にポカポカと心地よい暖かさを感じたまま、私達は会社に戻ってきた。入り口ドアを開き、事務所に入ろうとしたのだが……

 

「……」

「あれ……薫お姉さま?」

「係長……正嗣先輩も……?」

 

 ドアの向こう側には、薫お姉さまと渡部先輩の二人が立っていた。

 

「お前ら……」

 

 渡部先輩は、私達の顔を見るなり眉をへの字に曲げて、困り果てた様子で私たちを見つめていた。

 

 一方で、薫お姉さまの顔は、いつもの無愛想な顔だったのだが……

 

「……二人とも」

「は、はい」

「係長……あの……」

「第三会議室に来なさい」

「えっと……お姉さま?」

「なんですか」

「お姉さま……今すぐ、ですか……?」

「今すぐです」

 

 腕を組んで仁王立ちしていた薫お姉さまの眼差しと全身は、私に怒りの感情を伝えていた。

 

 私たちに背を向け、第三会議室に向かう薫お姉さまの背中は、ギスギスとして、刺々しかった。

 

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