勘違いをしたのかもしれない   作:おかぴ1129

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勘違いじゃない③

 時刻は12時少し前。いつものように渡部先輩が椅子から立ち上がり、お昼休み突入のお知らせを告げた。

 

「うーい。飯だ飯だー」

 

 それを受けて事務所のみんなが仕事を中断し、おのおのがお昼ご飯の準備に入る。ある人は外の居酒屋にランチに向かい、ある人は外の公園で食べるためにコンビニにお弁当を買いに行ったり……

 

「先輩、お昼食べましょ」

「おう」

 

 薫お姉さまと渡部先輩はいつものように、二人で仲良くお弁当を食べるべく、窓際のお日様の光がよく当たる席に移動したり……みな、思い思いにお昼休みを過ごすべく、席から移動する。

 

「お二人は今日も正嗣先輩のお弁当ですか」

「当たり前だ」

「先輩の卵焼きは毎日この時間に食べることに、意味があるのです」

「なるほど……ご夫婦の仲は健在ですね……羨ましいです……」

「むふー……」

「お前ら毎度毎度同じやりとりして、いい加減飽きないのか」

「ハッハッハッ……いつかは……やがていつかはと思っているんですよ正嗣さん……」

「さん付けするな」

 

 金森くんもいつものようにご夫妻に茶々を入れ、いつもの通りメランコリックな笑顔を浮かべていた。私の目にうつる彼の幻の犬耳もしっぽも、元気なくうなだれて見える。気を抜くと『くぅ〜ん……』と切ない声をあげるいじけた子犬のようにも見えて、カワイイやらおかしいやら……。

 

 私はチラと自分の荷物を見た。机の上に置いてある、少し小さめのキャンパス地のトートバッグの中には……

 

 渡部先輩へちょっかいを出した傷心の金森くんが、ちょっとだけ沈んだ顔で私の元へとてくてく歩いてやって来る。いつものように、私をランチへ誘うつもりなのだろう。でも金森くん。そんなに意気消沈していると、誘える人も誘えないぞ、と余計な老婆心を働かせてしまいそうになる。

 

「……小塚さん」

 

 私の目の前にきた金森くんが、力なくニヘラと笑った。

 

「いつもの喫茶店、行こっか」

「んーん。行かない」

「え……」

 

 それに対して即答で拒否を返す私。最近はもうずっと二人でランチを食べていたから、まさか断られるとは思ってなかったのだろうか。金森くんはちょっとうろたえ、目をパチクリさせていた。その目は、少しだけ寂しそうに見えた。

 

「じゃあ、他のとこにする?」

「今日はどこにも行かない」

 

 私はトートバックから2つの包みを出した。一つは真っ赤で小さな包みで、もう一つは少し大きめで青色のもの。それらをごそごそと取り出す私を、金森くんは不思議そうに見つめてる。2つの包みのうち、青いランチクロスに包まれた大きい方を、私は金森くんに差し出した。

 

「はい。一色さんからかばってくれたお礼。今日はお弁当作ってきたよ」

「え……?」

「これは金森くんの分。そのかわり、私のお弁当と同じメニューだけどいい?」

「……」

 

 戸惑ってあっけにとられる金森くんに、私は青い包みのお弁当を差し出す。顔ではできるだけ平静を装う私だが、実際、心臓はバクバクだ。差し出す手が震えてしまわないよう、私は両手でお弁当をもち、そして差し出している。

 

「……」

「……」

 

 う……なんだろうこの間は……早く受け取って欲しいんだけど……

 

「えっと、金森くん……」

「……」

「手が、辛いんだけど……」

「……んハっ。ご、ごめん」

 

 やっと気がついた金森くんは、しずしずと私のお弁当へと両手を差し出し、そして受け取った。その時、私と彼の指先が、ほんの少しだけ触れた。

 

「あの、こ、小塚さん……」

「ん?」

「えっと……ありがと……」

 

 言葉だけを聞けば、ずいぶんとそっけない返事だ。嬉しいのか迷惑なのか、声を聞いただけではわからない。何の感情も籠もってない、抑揚のない無表情なセリフだ。

 

 ……でも、私は分かる。だって彼の顔を見ると真っ赤っ赤だし、なにより……。

 

――パタパタ……

 

 私だけに見えているはずの彼の幻のしっぽが、パタパタと元気よく左右に振られているからだ。

 

「いいよ。私もたまには薫お姉さまと食べたいし、金森くんも渡部先輩と一緒に食べたいときあるでしょ?」

「う、うん……」

「だから今日は、お姉さまたちと一緒に食べよ?」

「……!」

 

 金森くんの口の端っこが、少しだけ上に上がった。本当はポーカーフェイスでいたいけど喜びが我慢できず、ついニカッと笑ってしまったような、そんな印象を私に伝えた。

 

 私は窓際の席に座る薫お姉さまと渡部先輩を振り返る。お二人はお日様がよく当たる席に座り、すでにランチョンマットを広げてお弁当箱を開けていた。ここからだとお弁当の中身までは見えないけれど、卵焼きの姿だけは確認できた。

 

「お姉さま! 今日は私たちもご一緒していいですか?」

「いいですよ?」

「おっ。弁当作ったのか小娘!」

「はい!」

「じゃあ小塚ちゃん、こちらへどうぞ」

「わーいお姉さまの隣だ!」

 

 私は金森くんを気にしないふりをして、薫お姉さまがぽんぽんと叩く隣の席へと足を運ぶ。この席もお日様の光がよくあたって、とてもあたたかそうだ。

 

「じゃあ、金森くんは俺の隣か……?」

 

 ポソリとつぶやかれた渡部先輩のこの言葉は、呆気にとられ続けていた金森くんの意識を覚醒させた。

 

「いいんですか正嗣先輩!? 僕が先輩の隣の席に座っても!!」

 

 彼にいつもの調子が戻った。100万ドルの笑顔で、突然ペンギンのようにちょこまか動き出した。膝から下だけで私達の周囲をちょこまかと動き回った後は、私達の顰蹙を気にせず、満面の笑顔で渡部先輩の隣へと座る。

 

「うーし。じゃあ食うぞー」

 

 そんな金森くんに顰蹙の眼差しを向けていた渡部先輩は、気を持ち直して自分のお弁当に箸をつけた。薫お姉さまもそれにならい、私の隣で小さく『いただきます』と口にした後、大好物らしい卵焼きに箸をつけていた。

 

「じゃあ……小塚さん」

「んー?」

「いただきますっ!!」

「はいどうぞー」

 

 一方で、私と向かいに座る金森くんも、ランチクロスを開いてお弁当箱を開ける。一瞬、同じお弁当箱を使っていることがバレるかとドキドキしたが、そこまでは気がついてないみたい。んー……ホッとしたような、ちょっと残念なような。

 

 お弁当の蓋を開けた金森くんの第一声は、作った側の私としては中々にうれしい言葉だった。

 

「うわぁ……」

「ん? どしたの?」

「すごく美味しそう……」

 

 渡部先輩も私のお弁当の中身を覗き込み、『……やるな小娘』と一言ボソッとぼやいている。

 

 私も、自分のお弁当の蓋を開けた。中にあるのは、ご飯とゆでたブロッコリー。卵焼きに小春さんのアスパラベーコン。そして……

 

「これ、クリームコロッケ?」

「うん。金森くん好きだったでしょ? だから」

「ありがとう!!」

 

 彼が大好きな、クリームコロッケだ。

 

 

 そこからのランチはとても楽しかった。私の隣でお弁当を食べ進める薫お姉さまは、時々私のお弁当を覗き込み……

 

「もっきゅもっきゅ……こふふぁふぁん」

「はい? どうしました?」

「ごぎゅっ……卵焼き、ちょっと交換しませんか?」

 

 と話しかけてきてくれた。いつもの無愛想な顔だから社交辞令で言っているのかなと最初は思ったけれど、お姉さまの鼻は少しだけプクッと膨らんでいる。私の卵焼きがホントに気になってるのかな?

 

「いいですよ? どうぞ!」

「ではいただきます」

 

 私は頷き、そして互いのお弁当の卵焼きを取り合った。渡部先輩の卵焼きは今日はだし巻きのようだ。私のものと違って、甘みは一切つけてない。そっか。これが薫お姉さまを虜にした味か……と妙に胸が熱くなった。

 

 一方の薫お姉さまはというと……

 

「もっきゅもっきゅ……」

「お姉さま? 私の卵焼き、どうですか?」

「もっきゅ……ごぎゅっ……ふぃー……」

「お姉さま?」

「先輩の卵焼きには負けますが……小塚ちゃんのも中々です」

 

 と、中々の高評価をしてれた。途端に私の顔はニタァアアとキモい笑みを浮かべ、薫お姉さまの隣りで化け物の含み笑いのような声をあげてしまった。

 

「ぐふふふふふふ……お姉さまぁ……ありがと……デュフフフフ……」

 

 一方で、渡部先輩はそれが気に入らなかったらしい。

 

「馬鹿な薫ッ!? 俺のものに小娘の卵焼きが匹敵するだと!?」

 

 そう言って箸を握りしめて立ち上がり、眉間にシワを思いっきり寄せている。そんな真剣な表情の渡部先輩を見るのははじめてだ。いつもその調子で働いてくれればいいのに。

 

「いや、実際美味しいですよ?」

 

 その隣では、金森くんがもっきゅもっきゅと卵焼きを頬張っている。いつもはそんなことしないのに、今日の金森くんは口の中いっぱいに私の料理を頬張ってるみたい。パンパンに膨らんだほっぺたをもごもごと動かし、渡部先輩にあっけらかんと答えていた。

 

 『馬鹿なッ!?』と渡部先輩は金森くんのお弁当から私の卵焼きを強奪し、口に放り込む。そして暫くの間咀嚼した後……

 

「うッ……!?」

「? 渡部先輩?」

「馬鹿な……この卵焼きを、小娘が作っただと……!?」

 

 と今まで見たこと無いような困惑の表情を浮かべ、渡部先輩は頭を抱え始めた。何だこの人。仕事中はいつも死んでるのに、お昼ご飯のときってこんなに生き生きしてるのか。だったら仕事中ももっと生き生きすればいいのに。

 

 そうやって私が渡部先輩に気を取られていたら、今度は薫お姉さまが私のお弁当にちょっかいを出す。さっきも食べたはずなのに、お姉さまは再び私の卵焼きを強奪し、口の中に放り込んでもぐもぐと味わっていた。無愛想な顔のまま口をもごもごと動かす薫お姉さまは、それだけで中々に迫力がある。ほっぺた赤いけど。鼻ぷくって膨らんでるけど。

 

「もっきゅもっきゅ……中々です。これは好きな味付けです。もっきゅもっきゅ……」

「ニヒヒヒヒヒヒぃ〜……ありがとうございます〜……!!」

「キモいぞ小娘……」

「小塚ちゃんも私のお弁当から好きなの取っていいですからね?」

「はいっ!」

 

 薫お姉さまからお許しももらえたし、私はお姉さまのお弁当のおかずの中から一つ、気になっていたきつね色の春巻きをいただくことにした。お箸で春巻きをひょいっと取って、それを自分のお弁当箱へと入れる。

 

 その時、金森くんの様子が目に入った。

 

「……」

 

 金森くんは、箸で持った私のクリームコロッケを、ジッと眺めている。

 

 私は、そんな金森くんの様子が気になった。

 

「……金森くん?」

「ん?」

「いや、なんかジーッと見てたから」

「うん」

 

 ひょっとして、何か失敗してたか? 焦げたり破裂したりはしてないはずだけど……緊張する。一番食べてほしかったクリームコロッケをジッと見つめる金森くんの眼差しは、なんだかとても真剣だ。

 

「……じゃあ小塚さん」

「うん」

「いただきますっ」

「はい。召し上がれー」

 

 改めて、私に仰々しい断りを入れ、金森くんは私のクリームコロッケを、一口ですべて口の中へと入れてしまった。

 

「んー……」

 

 暫くの間目を閉じ、じっくりとクリームコロッケを味わっていた金森くんは、次の瞬間、カッと目を見開いて、そして……

 

「美味しい……美味しい! 小塚さん! すごく美味しい!!」

 

 とほっぺたを赤く染め、満面の笑みを私に向けた。彼の頭の上に見える犬耳がピコッと立ち上がり、ケツのあたりに見える彼のしっぽが、元気よく盛大にふりふりしはじめたのが、私の目にはハッキリと映った。

 

「よかった。金森くん、コロッケをジッと見てたから緊張したよ」

「いや美味しい! ホントに美味しい!!」

 

 そう言って、私の前で無邪気に笑う金森くん。その笑顔は屈託がなくて、純粋で人懐っこい。まるで大喜びな子犬が私にかまって欲しくて、私の足元でちょこまかとはしゃいでいるようにも感じる。子犬というには、身長184センチはいささか大きすぎる気もするけれど。

 

 そんな金森くんの無邪気な笑顔は、私の胸に安堵と心地よいドキドキを届けてくれた。

 

 金森くんが、喜んでくれた。私のクリームコロッケを食べて、『美味しい』と言ってくれた……

 

「ふふっ……」

「小塚さん?」

「なんでもないよ」

 

 うれしい。渡部先輩が悔しがったときよりも、薫お姉さまから『中々です』と言われたときよりも、何よりもうれしい。彼の笑顔と『美味しい』が、こんなにうれしいとは思わなかった。

 

 作る時は『美味しいって思ってくれるといいな』って、少しだけ期待していたけれど。だけど、彼の笑顔から発せられた『美味しい』という言葉が、こんなにも胸に響く言葉だとは思わなかった。こんなにも耳に心地よい音だとは思わなかった。

 

「ふふっ……」

「小塚ちゃん、上機嫌ですね?」

「そうですか?」

「私もクリームコロッケいいですか? 代わりに先輩自慢の春巻きをも一つどうぞ」

「はい! どうぞお姉さま!!」

 

 薫お姉さまもクリームコロッケが気になったみたい。薫お姉さまは私のお弁当箱から、さっきの卵焼きと同様に、クリームコロッケを一つ、拝借していった。

 

「おい金森くん! 俺にも食わせろ!! 小娘のクリームコロッケを!!!」

 

 渡部先輩も気になったみたい。金森くんにそう詰め寄っていくんだけど……

 

「ダメです!! これは僕のクリームコロッケです!!!」

 

 と、渡部先輩ラブの金森くんにしては珍しく、渡部先輩の命令を拒否していた。これは渡部先輩も予想外だったようで、珍しくうろたえ、そして困惑している。

 

 珍しい……一方の金森くんも、まるで自分のごちそうを奪われそうになっている犬のように、珍しく敵意むき出しの顔で渡部先輩をにらみ、お弁当箱を大事そうにかばっている。顔を見ていると、なんだか『ガルルルルル』と可愛い唸り声が聞こえてきそうな、そんな感じだ。

 

「なんでだよ! 俺にもよこせよ金森くんッ!!」

「嫌だ! これは小塚さんが僕のために作ってくれたクリームコロッケなんですっ!!」

 

 二人の大騒ぎでみんな気が付かなかっただろうけど、このセリフを聞いた時、私の顔は火にかけてちんちんになったやかんのように真っ赤になっていた。

 

 そうやって私の頭が瞬間湯沸器にかかって沸騰している間も、金森くんと渡部先輩の果てしなくしょぼい争いは続く。二人は椅子から立ち上がり……しかし金森くんはお弁当箱を左手に持ったまま……お互いに相手の目を見て、二人でガルガルと唸り合っている。なんだこれ。二人とも大の大人なのに。

 

「そんなん卵焼きもそうだろ!! なんで卵焼きはOKでコロッケはダメなんだッ!?」

「絶対にダメです!! このクリームコロッケは僕が全部食べますッ!!!」

「おのれ金森……ッ! 先輩に楯突くというのか……ッ!?」

「僕のクリームコロッケを奪うというなら、いくら正嗣さんでも……ッ!!!」

 

 そして、そんなアホな野郎ども二人を眺める私と薫お姉さま。二人を見る薫お姉さまの表情はいつもの無愛想な顔だけど、鼻はピクピク動いてる。言い争う二人の様子が、楽しくて仕方がないらしい。

 

「タハハ……」

 

 私は、苦笑いを浮かべる。野郎ども二人が私のクリームコロッケを奪い合うという何ともシュールな光景を前に、私はこの表情以外を浮かべることが出来ない。

 

 でも。

 

――このクリームコロッケは僕が全部食べますッ!!!

 

 ああやって、金森くんが私のクリームコロッケを渡部先輩の魔の手から守ろうとしてくれている事自体は、とてもうれしいかな。すごくシュールな光景だけど。

 

 その後、へそを曲げた渡部先輩に薫お姉さまが『私がもらったクリームコロッケを二人で分けましょ』といい、渡部先輩もそれに素直に従っていた。食べてすぐに『うまっ』と上機嫌になっていたから、あの人は単純なのかもしれない。美味しいものを食べればすぐ上機嫌になるのか。

 

 そしてその傍らでは、金森くんがずっと笑顔でクリームコロッケを堪能していた。彼のお弁当箱にはコロッケを3つ入れたが、その2つ目はニコニコと上機嫌な笑顔で。3つ目は、これで最後だということを覚悟した、ちょっとさみしげな笑顔だった。

 

 

 こうして、私達四人の楽しいランチの時間は終わった。野郎ども二人のせいで途中はかなりの大騒ぎをしてしまったが、それでも、とても楽しいランチだった。

 

 私は食べ終わった後のお弁当箱を、今のうちに給湯室で洗っておくことにした。そうすれば、家に帰ったあとそのまま片付ける事ができる。渡部先輩は家で洗いたいらしい。給湯室よりも自宅の台所の方が勝手がわかってる分、効率がいいそうだ。

 

「金森くん」

「ん?」

「お弁当箱ちょうだい。洗うから」

「……ぁあ」

 

 まだ食べ終わったばかりの金森くんから、お弁当箱を回収するべく彼のそばに来た。彼は私に力が抜けた笑顔をニヘラと見せる。彼のお弁当箱を覗くと、中は見事に空っぽ。元から何もなかったんじゃないかと思えるほど、キレイにすっからかんだ。

 

「はい。ありがと」

 

 お礼を言いながら彼の顔を見る。口の右端にクリームコロッケのパン粉が、ほんの少しだけくっついていた。どうして彼は、いつも口元に何かをつけてしまうのか。これじゃあホントに五歳児だよ金森くん……。

 

「金森くん、パン粉ついてる」

「ん……どこ……?」

 

 私が指摘すると、金森くんは目を右上あたりに向け、親指でパン粉を拭き取ろうとするのだが……パン粉は右端についているのに、彼は必死に左端を探っている。右上を見ながら拭くから、分からないのではなかろうか……なんだか今日は、金森くんのいろんな顔を見られるなぁ。

 

「違う逆」

「んー?」

「そそ、そっち」

「あ……んー……」

 

 そうしてパン粉を吹き終わった金森くんはその親指をぺろりとなめていた。今日の金森くんは、普段よりも幼く見えて仕方ない。いつも穏やかで優しくて、私に気を使うのが金森くんなのに……なんだか今日は、私に対しても子犬みたいにはしゃいでるように見える。

 

 口元からパン粉が取れた金森くんが、私の顔を見てニパッと笑った。

 

「小塚さん。ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした。美味しかった?」

 

 そんなありきたりの会話を交わし、私は彼からお弁当箱を受け取った。蓋が閉じられたそれは、ランチ前のお弁当箱と見た目は変わらない。だけど、驚くほど軽くなったその重みは、彼が私のお弁当を『美味しい』と感じ、全て平らげてくれたことを私の両手に伝えてくれる。

 

 金森くんは私の言葉に興奮気味に答えてくれた。彼のほっぺたが赤いのは、私の気のせいではないんだろうなぁ……。

 

「美味しかった! 特にクリームコロッケ……今まで食べてきたクリームコロッケの中で、今日のやつが一番美味しかった!!」

「冷めてたから食べやすかったでしょ」

「うん。出来たてを食べるときって、アツアツだから苦労するんだよね……」

「金森くん、猫舌なんじゃないの〜?」

「そうじゃないと思うんだけどなぁ」

 

 私の『猫舌では?』という指摘には、口を尖らせ、不服そうに上を向く金森くん。いや、キミはやっぱり猫舌だよ。私が保証する。キミは猫舌だ。

 

 でも心配しなくていいよ。私が作る時は、キミにアツアツのものは作らない。熱い料理も、ほどほどの熱さで作ってあげるよ。だから心配はしないで。次も安心して任せて。

 

「ところで小塚さん」

「ん?」

 

 でもその時、金森くんも私と同じことを考えていたらしい。

 

「よかったら、また作ってくれるかな。小塚さんのお弁当、また食べたい」

 

 屈託のない笑顔でそういう金森くん。でもほっぺたがまっかっかだ。

 

 一方で、その時私は胸のドキドキが抑えられないでいた。彼とまったく同じことを考え、そして改めて彼から次をお願いされた。いけない。途端に私の顔も真っ赤っ赤になってしまう。私は後ろを振り返ってうつむき、彼に顔を見られないようにした。

 

「? 小塚さん?」

 

 やめてくれ。そんなきょとんとした声で、私の様子を伺わないでくれ。そんな声を出さないでくれ。

 

「……わかった。また薫お姉さまに食べて欲しくなったときに、ついでに作るねー」

 

 苦し紛れに出た強がり。金森くんに背を向けたまま、できるだけ背筋を伸ばして顔を前に向け、いつものようにお腹から声を出す。うつむいたままでは、金森くんの耳に私の声は届かないかもしれないから。

 

「ありがと! また小塚さんの弁当が食べられる!」

「……ッ」

「また楽しみにしてる! 僕も何かお礼を考えておくから!」

「……わかったからっ! ほら、私洗い物するから!」

 

 彼はいつもの調子で喜んだ後、てくてくと歩いて事務所に戻っていった。

 

 私は振り向けない。本当は彼の背中を見送りたかったけれど、今振り返ってしまうと、顔を見られてしまうかもしれないから。

 

 程なくして『正嗣先輩! 食後に僕と運動しに行きませんか!?』『私の前で旦那をナンパするのはやめなさい』『運動はすかんっ』と三人の声が聞こえた。三人の声の調子はいつも通りだ。薫お姉さまは冷静で淡々としてるし、渡部先輩はいつも通り呆れてる。金森くんもいつも通りはしゃいでいて、渡部先輩の前でちょこまかと動き回るペンギンのような彼の姿が、目に浮かぶようだ。

 

 そんな三人のいつも通りの声を背中に、私は私のものと金森くんのもの……2つのお弁当箱をその場で強く抱きしめていた。

 

「……ッ」

 

 少しだけうつむく。自分でも分かる。顔がさっきよりも真っ赤になってる。だってすごく顔が熱いから。胸が、痛いほどドキドキしているから。

 

 お弁当箱がきしむキシッという音が聞こえた。箱の中のお箸がカラカラと鳴り、金森くんがお箸も忘れずにしまっていることが分かった。

 

「……ハハ」

 

 口から、苦笑いに似た声が出る。胸のドキドキが収まらない。だけどポカポカと心地いい。視界が滲んでいるから、少しだけ涙がたまってるみたい。悲しいことなんて何もないのに。

 

「そっかぁ」

 

 身体が少しだけ震えた。足から少しだけ力が抜けた。それが私の胸に訪れた喜びのせいだということは、いくら私でも分かる。金森くんの口から直接言われる『また作ってくれる?』という言葉が、こんなにもうれしい言葉だとは、私自身、予想してなかった。

 

 分かった。

 

「勘違いじゃないんだ……」

 

 そう。この気持ちは、勘違いではないみたいだ。

 

 ねぇ金森くん。困ったね。私は薫お姉さまが好きだったはずなのに。

 

 キミだって、渡部先輩が好きなはずなのにね。そうだよね?

 

「困った……ハハ……」

 

 私は自分と金森くんのお弁当箱を、キュッと強く抱きしめた。次はいつ作ろうか……次は何を作ってあげようか……金森くんの笑顔を思い浮かべるだけで、私の胸に喜びが溢れ、涙目の顔は自然と笑顔になった。

 

 ……やっぱりそうだ。この気持ちは、勘違いなんかじゃない。

 

 ねぇ金森くん。

 

 私は、キミが好きだ。

 

 終わり。

 


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