参拝も無事に終わり、賽銭箱に二人で五円玉を投げ終わった私は、今は一人で大きな焚き火の前にいる。たくさんの参拝客に紛れ、パチパチという心地よい音とぬくもりの中で、金森くんが戻ってくるのを待っている。
神社の社に視線を移すと、そのそばでは幾人かの神社関係者がテントを張り、そこで熱い甘酒を参拝客に配っている。この神社では、初詣に来た参拝客には甘酒を振る舞ってくれる。この寒空の下では、身体が冷え切ってしまう。そんなとき、甘くて熱い甘酒は本当にありかたい。もっとも私は、金森くんのカイロのおかげで言うほど寒くはないけれど。
そのテントで、紙コップを2つ受け取る金森くんの背中が見えた。細身のチェスターコートを着ている彼は、周囲の人と比べても頭が一つ飛び出ている。その彼が、両手に湯気が立つ紙コップを持って、笑顔で私の元にやってきた。
「おかえりー」
「ただいまー。はい甘酒」
「ありがと」
金森くんのカイロを左手に持ち替え、右手で紙コップを受け取った。中の甘酒は本当に熱い。金森くんのカイロ以上の熱が、今まで以上に私の右手を温める。
その熱い甘酒を、一口だけすする。麹の香りがプンと立つその甘酒は本当に甘く、そして熱い。気をつけないと、舌をやけどしそうなほどに。
「あづッ!?」
一方で、金森くんは甘酒を一口すするなり、こんな風に悲鳴を上げていた。
「金森くんって猫舌だっけ?」
「んーん……違うけど……アヅヅ……」
クリームコロッケの時も悲鳴あげてたし、これは本人が否定しているだけで、ホントに猫舌なのでは? ……という気持ちを、私はグッとこらえた。
金森くんは先程のひとすすりが相当キツかったらしく、未だに口を押さえ、もごもごしている。目が涙目だ。そんなに熱かったのか……
金森くんがひとしきり落ち着くまでの間、私はジッと焚き火の炎を見つめていた。パチパチと薪が爆ぜる音が周囲に静かに響いている。焚き火の明かりの中では、たくさんの参拝客が体を温め、友人同士で談笑し、恋人同士で寄り添っている。
私と金森くんの間は、少しだけ間が開いている。左手を伸ばせば彼の右のポケットには届くけれど、逆に言えば、伸ばさないと届かない程度に距離が開いている。
「……ねー金森くん」
「んー……もごもご……なに?」
「薫お姉さまたちってさ。今頃、何やってるのかな」
「……」
私は、焚き火の炎を見つめながら、心の奥の疑問をつい口にした。焚き火の向こう側では、ひと組の男女が仲良さそうに肩を寄せ合い、焚き火のぬくもりで体を温めていた。
「……なんかね。二人で『ゆく年くる年を見る』とは言ってた」
「そっか」
「だから今日は家にいるんだって」
「なんだそりゃ」
あまりに間抜けな理由に、つい苦笑いを浮かべてしまう。お姉さまにとって私は、公共放送の正月番組より存在価値のない女ってことか。
「そっかー。私はゆく年くる年に負けた女かー」
「まぁ……僕もそうなるね」
「寂しいなー。お姉さまにとって私は、その程度の女かー」
「自分のルーチンってさ。意外と大切なもんなんだよ。係長と正嗣先輩は、『大晦日にはゆく年くる年を見る』ってルーチンで、毎年生きてるんじゃないかな」
「……」
「だから、それと比べて小塚さんが大切じゃないとかじゃないよ」
「そっか」
「うん」
優しい人だ。お姉さまたちの選択を肯定した上で、ちゃんと私のことも気遣ってくれてる。『ゆく年くる年に負けた女』という事実は覆せないけれど、それでも、金森くんの優しさはとてもうれしい。
左手を袖の中に引っ込め、金森くんのカイロを袖口に仕舞う。そのまま両手で甘酒の紙コップを包み、一口すすった。今日はとても寒い。そのためか、甘酒はさっきより少し冷めて、幾分飲みやすくなっている。
金森くんも、私と同じタイミングで甘酒をすすった。冷めた甘酒は金森くんにとっても飲みやすい温度のようで、彼が舌をやけどすることはなかった。
二人で並んで、焚き火を見つめる。焚き火はパチパチと音を立て、私達の顔をオレンジ色に照らしている。こっそり金森くんの横顔を見ると、表情はいつもの穏やかな顔だったが、目だけはどこかさみしげだった。
「金森くんも、先輩がいなくて寂しい?」
「んー……まぁ、少し」
「そうだよねー」
「でもさ。初詣に来たのはよかったと思うよ」
「なんで?」
「んー……」
当然の疑問だ。互いに目当ての人には会えず終いなわけだし。私だって、今日は楽しかったけれど、薫お姉さまに会えなかったことは残念だ。それは金森くんも変わらないはずなのだが……
私の尋問を受けた金森くんは、照れくさそうに苦笑いを受けた浮かべながら、左手で鼻の頭をポリポリとかいていた。焚き火の明かりに照らされてるからいまいち分かりづらいけれど、なんとなく、ほっぺたが赤くなっている気がした。
「んー……」
「んー?」
「えーと……」
「なになにー」
ニヤニヤとほくそ笑みながら、金森くんを肘でつつく私。そんなに言いづらそうで、だけど言おうか言うまいか迷ってるような顔してたら、逆に気になるじゃないか。
「言ってしまえ金森くんっ!」
「わかった! わかった言うから!」
観念したのか、柔らかい笑顔で金森くんは、私が右耳に添えている、かすみ草を指差し、そしてこう答えた。
「いつもと違う小塚さんに会えた」
「え……」
「振り袖もかすみ草もよく似合ってる。素敵だ」
「……」
「係長じゃなくてごめんね。でも、ホントに可愛くて、よく似合ってるから」
私の顔が熱くなる。これは焚き火の熱じゃない。私の顔が真っ赤っ赤に紅潮し始めたからだ。
大体、そんな屈託のない笑顔で、しかもほっぺたを赤くしながらの、そんな言葉は卑怯だ。薫お姉さまに振られたその直後に、そんな言葉は卑怯だ。胸がドキッとしてしまうじゃないか。勘違いしそうになるじゃないか。
「……」
「……あれ。どうしたの?」
今ほど、この金森くんという人をズルいと思ったことはない。さっきみたいな言葉をしれっと投げかけたくせに、今はとても不思議そうに私の顔をのぞき見てくる。何の企みもないのに、あんな言葉を私に投げかけてくるのは本当にズルい。
残った甘酒を飲み干したあと、その紙コップを焚き火に投げ入れた。ジュワッと音を立て、紙コップはすぐ焚き火の炎に包まれて焼けていく。
私は金森くんに背を向け、そして顔を見られないようにした。かすみ草が落ちそうになったけど、それは自分でキチンとさし直す。
「なに言ってんの金森くんっ!」
「ん?」
「ほら! おみくじでもやりに行こう!」
「わかった」
慌てて甘酒を飲み干し、私と同じ様に焚き火に投げ入れる金森くんを待つことなく、私は視界の先のおみくじ売り場に歩を進めた。袖口に右手を突っ込み、中のカイロを手に取ると、金森くんのカイロは、まだまだ温かい。
金森くんと共におみくじを引き、中を開いた。
「……」
「……」
私も金森くんも、おみくじの結果を見る目は真剣だ。私の結果は『吉』。良くも悪くもない一年になるということか。……しかし、私はもちろん、おそらくは金森くんも、一番気になるのは全体運ではない。
結果を見た後、私の視線は『待ち人』の項目を探す。待ち人の項目には……
「やった!!」
「金森くん?」
私が『待ち人』の結果を見たのと同時に、金森くんが元気な声を上げた。
「良かったの?」
「良かった! すごくいいよ!!」
そう言って、無邪気な笑顔で私に自分のおみくじを見せてくれる金森くん。その目はとても喜びに満ちていて、おもちゃを母親に買ってもらった男の子のように、キラキラと輝いて見えた。
金森くんのおみくじ結果は、『吉』。そして……
「待ち人『近くにいる』だってさ!!」
「へぇ〜……」
「やったよ!! これは絶対に正嗣先輩だ!! ついに僕と正嗣先輩が……ウハァー!!!」
「ちょっと金森くん……声でかい……」
金森くんの声の大きさに、周囲の人たちの視線が集まってきた。大半の人は微笑ましく金森くんを見ていくだけだが、中には『目を合わせないように……』とあからさまに私と金森くんから顔を背けていく……
その様子に、私も一瞬恥ずかしくなったのだが……なんだかこの光景も悪くない気がしてきた。呆れつつ、なんとか彼に静かにして欲しくて……でも半分あきらめつつ、彼をなだめるけれど。
「よしっ! これで言質は取れた……!!」
「ハハ……言質って……何なの……」
「神様からの言質だ! これで心置きなく……正嗣先輩と……ッ!!」
「ハハハ……金森くん、うれしいのはわかったから……」
「今年こそは!! 今年こそはァァァああああ!!!」
「ちょっと……ハハ……落ち着こうか……」
私の制止など効果が無い様で、いくら声をかけても、金森くんの暴走は止まらない。
それどころか時間が経てば経つほど喜びが倍加しているようだ。今は私にくるりと背を向け、暗闇の中に広がる公園に向かって、大声で『正嗣さん!!! 待っててくださいねぇぇええ!!! 係長! 負けませぇぇえええん!!!』と全力で叫んでいる。周囲の人がくすくす笑っていることに気付かずに。
そんな彼の様子に苦笑いを浮かべつつ、私は改めて自分のおみくじを見た。
私のおみくじの『待ち人』の項目には……『眼の前』と書かれている。
「……タハハ」
思わず苦笑いが浮かび、かすみ草が耳から落ちそうになった。
私の目の前には、ガッツポーズで愛する渡部先輩に向かって思いの丈をぶちまける、我が社きっての残念なイケメン金森くんの、素敵な後ろ姿があった。