もし一人のオリキャラが増えることで、ユウキが生きるルートが生まれるなら   作:葦束良日

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22 詩乃の心

 

 

 紺野木綿季。

 俺が受けた骨髄移植手術の受け入れ相手であり、かつて不治の病に冒されていた少女。

 そして、詩乃にとっては昨日出会ったばかりの少女だ。

 けれど、そんな僅かな時間であっても、木綿季が持つ生来の明るさと無垢で素直な気質は十分に伝わっているはずだった。それは、先程彼女が木綿季と話していた時に見せていた自然な笑顔が物語っている。

 とてもそんな過去があるとは信じられないほどに、木綿季の性格には厭世感もなければスレた様子もない。

 どこまでも真っ直ぐな性格。それを感じ取っていたからこそ、詩乃の表情は驚き一色に染まっていた。

 

「……うそ……そんな様子、全然……」

 

 絶句し、それだけを返す詩乃に、俺は頷いた。

 

「だろうな。あいつは、出会った時からそうだったよ。他人に、自分のそんな様子を感じさせない奴だった」

 

 俺はユウキの笑顔を思い浮かべる。始まりの日、ALOで俺に話しかけてきたあいつの姿を思い出していた。

 SAOの後に問題となったALO。その際に犠牲になったのは、現実に帰ってくるはずだったSAO生還者数百人。

 ALOの運営を任されていた男は、そんな数百人の意識を仮想世界に隔離して幽閉した。そして、恐ろしいことに人の意識に対する人体実験を行っていたのである。

 それを俺たちが知ったのは、後のことだ。当時、俺たちは別の目的でALOにログインした。

 キリトの恋人――SAOでは無二のコンビと呼んでも差し支えない存在だったアスナという少女。未だ現実に帰ってこない彼女をALOで見たという目撃情報があったからだった。

 キリトはそれを知るや否やALOへ突入。俺もその手助けになればとALOに向かった。後にアスナはその運営側の男に囚われていたとわかり、キリトの手により救出。そして男の悪行も世間に詳らかにされ、ALO事件となったわけだが……まぁ、そのあたりは置いておこう。

 ともかく、ALOに突入した俺は、そこである少女に話しかけられた。

 

 ――お兄さんも今から始めるんでしょ? どうかな、一緒に行かない? と。

 

 

「……それが、木綿季?」

「ああ。……不思議な奴だったよ。ALO初心者だっていうのに、恐ろしく剣が早く、鋭くて、強かった。そして何より、動きにVR世界独特の慣れがあった。それこそ、二年間VR世界にいた俺たちSAO生還者に引けを取らないほどに」

 

 けれど、ユウキはSAO生還者ではなかった。SAOのクセがなかったし、何よりSAOであれほど強い剣士がいたなら、噂になっていないはずがなかったからだ。

 そしてユウキは俺と行動を共にすることになり、つまりはキリトの目的に向けて動くことになった。

 キリトの協力者リーファを含めた四人で、俺たちはアスナがいると思われる世界の中心地《世界樹》を目指した。

 その道中も、ユウキは常に明るくムードメーカー的存在だった。素直で快活な彼女はすぐに俺たちとも打ち解けていった。

 けれど、時折そんな普段の様子とは打って変わって、深く考え込むような姿を見せることもあった。何気ない事で喜んだり、NPC……というよりは交流したモンスターの生死に一喜一憂したりもしたな。

 感受性が高い、感激屋、というにはそれはあまりにも深刻だったし、本気だった。その頃からだろうな、俺がユウキのことを何気なく気にするようになっていたのは。

 

「けれど結局、その一連の事件に関する出来事の中ではユウキが抱えるものについてはわからないままだった。その後、SAOでの仲間と一緒にユウキと過ごすようになってからも、暫くは何も変わらなかった」

 

 脳裏に浮かぶ、ウンディーネの少女の儚い笑顔。一瞬、声を詰まらせてから俺は口を開いた。

 

「……変わったのは、ある日ユウキがいつもと違う様子でログインしてきた時だ」

 

 俺の声質が変わったのを感じたのだろう。詩乃も息を呑んで俺の言葉を待った。

 

「その日のユウキは、一緒にクエストをしていてもどこか上の空だった。集中しきれていない、というのか。だから、俺は尋ねた。無理をしてないか、ってな。案の定、ユウキはいつも通りだって答えたけどな」

 

 空元気で大丈夫だと笑っていた姿は、いま思い返しても痛々しい。あれはユウキなりに心配をかけさせまいとしたのだろうが、逆効果だった。

 むしろその姿を見て、俺は一層このまま放ってはおけないと思ったのだから。

 

「でも、続けて本当か、と訊いた。その時だよ。ユウキが本当の素を見せてくれたのは。――ユウキは、ぼろぼろと涙をこぼして泣いていたよ。声を殺して、それでも抑えきれない感情に喉を震わせて」

 

 体ごと俺にぶつかってきて、頭を押し付けて、服を握りこんで、慟哭したユウキ。普段の天真爛漫な姿からは想像も出来ない、あれはユウキが心底弱っていた姿だった。

 詩乃はさっきまで笑って話していた少女が、それほどまでに感情を露わにして涙したという話に戸惑いを見せていた。詩乃から見ても、木綿季がそれほどまでに泣くという姿は想像できないのだろう。

 しかし、ユウキがそれほど泣いたのも当然なのだ。なにせ、彼女はずっと二人三脚で過酷な人生を歩んできた半身を失ったのだから。

 

「木綿季には姉が一人いたんだけどな。そのお姉さんが、現実世界で亡くなったんだ。死因はある不治の病。そして、木綿季もまたその病に冒されている一人だった」

「――え?」

 

 詩乃の目が見開き、半ば反射的に疑問の声が漏れ、唇が小さく震える。

 

 不治の病。言葉にすればたった一言だが、実際に治すことが出来ず、遠からず死に至る病に身を冒されたらと思うと、その絶望は想像を絶するだろう。

 メディキュボイドというナーヴギアと技術を同じくする機械によって常に仮想世界にダイブすることで、投薬の副作用による苦しみなどは緩和し、仮想世界の中とはいえ自由に過ごすことは出来ていた。それは数年間におよび、それがユウキのVR世界慣れの原因でもあった。

 けれど、それは別に彼女たちの病を治したわけではない。現実の体はずっと病魔に蝕まれて着実にその命を縮めていたのだ。

 木綿季と藍子はずっとそんな苦しみや絶望と戦ってきた。姉妹二人で支え合いながら。押し潰され、諦めてしまいそうな生の中でも、二人はそうして懸命に生きていた。

 そんな互いに支え合う二人だったからこそ、その一方の消失は耐えがたい悲しみを木綿季に与えたのだった。

 

「――その時はもう、俺にとってユウキはただの仲間じゃなかった。友達よりもずっと近くて、妹のようで妹じゃない。隣にいてくれると心地よくて、いないと物寂しい。そんな女の子だった」

 

 涙を流した彼女の姿と同時に、ユウキもランと同じく死んでしまうのかと思った瞬間の深い喪失感を思い出す。恐ろしく実感のない漠然とした恐怖が身を包んだことを覚えている。

 

「怖かった。ユウキが俺の前から消えてしまうのかもしれない、なんて思ったらな。……まるで、全身から体温が奪われたみたいだったよ」

 

 それは言うなれば底のない穴に落とされたかのように。先に待つ絶望を知りながらも落ち続ける間は恐怖が続くような、そんな身も凍るような感覚だった。

 ふと、自分の手が固く握りこまれていることに気付く。その時のことを思い出して、思わず手に力が籠もってしまったらしい。

 俺は苦笑いを浮かべて握り拳をほどいた。

 

「でも……でも、木綿季は生きている……」

 

 詩乃が確かめるように言う。

 俺は頷いた。

 

「……そうだな。その時、ユウキは悲しそうに笑いながら言ったんだ。本当はボクもそうなるはずだったけど、ボクにだけ奇跡が起きたってな」

 

 その言葉で察したのだろう、詩乃の目が驚きの色を見せると同時に、俺の瞳と正面から絡み合った。

 

「もしかして、それが……?」

 

 もう一度、俺は頷く。

 

「そうだ。ユウキは少し前に現実世界で骨髄移植手術を受けたと言った。そしてその時に聞いた、病院、医師の名前。そして、以前に木綿季のお姉さん――ランから聞いていた言葉。そういった情報と木綿季の言う内容を照らし合わせて、俺は確信したんだ」

 

 それは本来、被移植者にもドナーにも知らされることの無い情報。それが何の因果か様々な要因が重なり合った結果、俺に伝わることになった。

 不治の病と言われるエイズを完治させる、現状たった一つの方法。それも天文学的な確率でのみ可能となる、奇跡のような巡り合わせ。

 

「――ユウキこそが、俺の骨髄移植の相手だったんだってな」

 

 その出会いを、倉橋先生は運命と称した。俺はそれを否定し、木綿季の生を願った彼女を思う人たちの願いが通じた結果だと言った。

 しかしながら、倉橋先生が言う運命というのも、あながち間違いではないのだろう。なにせ、七十億を超える人類の中で恐らく一組。俺と木綿季でしか為し得ない、どちらが欠けても成立しなかった奇跡だったのだから。

 そのうえ、多くのVR世界の中で、同じALOを選び、同じ時間にスタートし、始まりの街で出会う。

 現実世界でも、仮想世界でも。俺と木綿季の繋がりは、まるでそうあるべきだと言わんばかりに交差した。それを運命というならば、なるほどと思うところもあったのだ。

 そうして出会った結果、俺の存在は木綿季の命を救った。骨髄移植手術を受けた時にはまったく実感のなかった、誰かの為になったという感覚。

 それが色濃く浮き上がり、俺の心に広がっていったのは、その時。ユウキが移植相手なのだと知った、その時だった。

 

「その時の気持ちは、今でも覚えている。……胸の底から湧いてくるような感動と、涙を流すほどの嬉しさ。繋いだ手から伝わってくる体温、目の前にある生きている笑顔」

 

 もし俺という存在がいなかったら、ユウキが生きる未来は生まれなかった。

 それはすなわち、俺がいることで生きる事が出来た命があるという事。つまりは、命を救ったということに他ならない。

 全身が感動で震えた体験は、あの時が初めてだった。嬉しさで涙を流したのも、初めてだった。

 ああ、俺には生きている意味があったんだと、大げさかもしれないが、そう思ったほどだった。

 

「――俺はSAOで、人の命を奪っただけだった。そんな過去を忘れた日はなかった。苦しみはずっと続いて、現実に戻って来てからもどこか世界は空虚で、漫然と生きているだけだった。……けど、そんな俺がいることで、救われた命があったんだ。それが俺にとって、どれほど嬉しかったか」

 

 詩乃を見る。きっと今、穏やかに笑っているのだろう俺を見て、詩乃は複雑そうな、それでいて羨望を隠せない顔をしていた。

 未だ救われない彼女にとって、俺の姿は望んでも得られない姿に見えたのだろう。けれど、それは詩乃の勘違いだ。

 恐らくだけど、詩乃も俺と同じだ。自らがしてしまったことに囚われて、それ以外のことに目を向けていないだけなのだと俺は思う。

 視線を向けるべき場所を変えれば、きっとまた違うものが見えてくるはずだ。

 俺はじっと詩乃の目を見返した。

 

「確かに、俺は骨髄移植で木綿季の命を救った。けど、それだけじゃない。俺もまた木綿季に救われたんだ」

 

 ブランコに座る詩乃は、俺を見上げている。縋る場所が見つからない子供のような瞳が、真剣な表情をした俺を映していた。

 

「――詩乃。お前だって、そうなんじゃないか?」

「……え?」

 

 突然話を振られた詩乃が困惑の声を上げた。

 

「わたしも、って……どういうこと……?」

 

 疑問を含んだ視線が問いかけと共に向けられる。

 俺はそれを真っ直ぐに受け止めた。そのうえで、俺は詩乃に答える。その問いかけに対する俺の考えを。

 

「お前が人を殺した過去は消えない。俺だってそうだ。人を殺したのは事実だ。俺たちは、確かにそうしたんだ」

 

 確認するように言うと、詩乃の肩が震えた。その瞳には僅かに恐怖も覗く。それは、それだけ詩乃にとってその過去が、拭いがたい悪夢そのものであるという証左だった。

 けれど、この事実を無視することはできない。俺たちは確かに人を殺したんだ。その事実から逃げることは、難しいが出来るのかもしれない。しかし、その先に安寧の未来はない。

 なら、俺たちはもう一度そんな逃げ出したい過去にも向き合って、きちんと事実は事実として受け止めなければならないのだ。

 詩乃の肩に手を置き、真っ直ぐに視線を交錯させる。過去への怯えを浮かべる詩乃に、俺は言い聞かせるように言葉を紡いだ。

 願わくば、これから話す俺の考えが、詩乃の心を幾分かでも軽くしてくれるようにと祈りながら。

 

「――けどな。お前がそうすることによって、その場にいた他の人間は助かったんじゃないか?」

 

 詩乃の瞳が無言で驚愕に見開かれた。俺はなおも言葉を止めずに、先を続けた。

 

「命もそうだが、殺されるかもしれないという恐怖からも、きっと解放されたはずだ。……別に、殺人は仕方のない事だったと正当化するわけじゃない。ただ事実として、そうだというだけだ。詩乃、お前が起こした行動の結果がそうだったのは事実だ。違うか?」

「そ、それは……それは……」

 

 詩乃は動揺を露わにして目を泳がせた。

 それはきっと、俺の言葉が詩乃にとっては考えもしなかったものだったからだろう。詩乃はずっと、自分の罪と殺した相手のことばかり考えていた。その場には他にも人間がいたというのに。

 いま初めてその周囲に対しても意識を向けた詩乃は、言うべき言葉を探すように俯いて押し黙った後、ぽつりと呟いた。

 

「それは、都合がいい話よ……。だからって、私の罪は……」

 

 口にしたのは、自らの罪をやはり意識した言葉だった。

 俺はそれに首肯した。

 

「そうだな。都合がいい話だ。けど、言っただろう。過去は消えない。罪もそのままだ。お前がそう感じる限りはそうだろうさ。それを失くせとは言わない。その罪悪感は、人を殺すことが悪い事だと感じるお前の優しさだからだ」

 

 詩乃の顔がぱっと上がり、俺を見た。

 まるで今言われた言葉の意味が分からないと言わんばかりの、呆気にとられた表情だった。たぶん、そんなことを言われたことは一度もなかったのだろう。

 

「……優しさ……?」

「ああ、そうだ。殺すことに何も感じなければ、そんな罪悪感なんて抱かない。そんな連中を俺はごまんと見てきた。でもお前はそうじゃない」

 

 ラフコフの連中は前者だった。殺すことは快楽であり、罪悪感を抱く対象ではなかった。

 けれど、詩乃は違う。

 

「なんで人殺しが悪い事だかわかるか? 法律か? 常識か? 間違ってはいないが、それらはきっと後付の理由だ」

 

 法律でも常識でも、なるほど殺人は悪い事だ。けれど、それなら何故同じ殺人を行ったというのに、ラフコフと俺や詩乃でこうも差が出る?

 一方で悪いことをしながら罪悪感を抱かず、一方で悪いことをしたから罪悪感に苦しむ。

 その差は単純明快、両者の心の問題にすぎない。

 

「お前が自分を責めている理由は、違うだろう。それよりも何よりも、もっと単純に、相手の命を奪ってしまった事に対してお前は後悔しているんだ」

 

 肩がピクリと跳ねて、詩乃の窺うような視線が俺に向いた。

 

「……図星か。なら、やっぱりそれはお前の優しさだよ。相手の命のことを思いやるからこそ、それを奪った時に後悔が生まれるんだ。それを優しさと言わないで、なんて言うんだ」

 

 連中は相手のことなど考えず、自らの快楽のみを追求した。詩乃は相手の命の重さを考えて、その生を奪ったという事実に後悔した。

 相手の人生を奪ったことに後悔するのは、相手の命、人生、家族を思いやったからだ。それこそが優しさであり、同じ殺人という行いであろうと、詩乃と連中を分ける境界だと俺は思う。

 

「そして、詩乃。その優しさに救われた人間が必ずいるはずだ。それは結果的に、というだけかもしれない。けれど確実に、お前に救われた人間はいるんだ。詩乃」

 

 これは想像ではない。事実だ。

 詩乃に救われた人間はいるのだ。ただ、詩乃にとって相手の命を奪ったという事実の重さが重すぎて、そのことに気付いていないだけで。

 

「お前は忘れている」

 

 だから、俺はその事に気付いてほしかった。

 話を聞いただけの俺にだってわかった、単純な事実。詩乃の行動によって確実に救われた、一つの命のことを。

 

「私が……なにを……」

「お前は少なくとも一人、確実に救っているじゃないか。お前の母親を」

 

 見開かれた瞳は、今まで詩乃がその事実に気づいていなかったという事を物語っていた。

 殺された郵便局員に続いて、犯人に目を向けられたという詩乃の母親。もし詩乃が行動を起こさなければ、彼女がどうなっていたのかは想像に難くない。

 ならば、詩乃の行動は彼女の命を救ったのだ。過程ではなく、結果として、それは事実なのである。

 

「お前のお母さんがどういう反応をしたのか、俺は知らない。お前を褒めたのか、それとも……恐れたのか。お前がそれにどう感じたのかも、わからない。けれど、お前の行動によって一人の命は絶対に救われているんだ。そのことを、考えたことはあるか?」

「……ぁ……」

「ひょっとしたら、母親から感謝はなかったのかもしれない。向こうに救われたという認識は、無いのかもしれない。けど確実にお前は、一人の命を救ったんだ」

「……ぁ、………っ」

 

 詩乃が震える唇を動かして、言葉を紡ぎ出そうとする。しかし、溢れる感情が邪魔をするのか、上手く言葉に出来ないようだった。

 俺はそんな詩乃の肩に置いた手に力を込めて、潤む黒い瞳を覗きこんで、一語一語はっきりと聞こえるように意識して口を開いた。

 

「――奪っただけじゃないんだ。そのことを、忘れないでほしい」

 

 俺にとってのそれは木綿季だった。奪っただけだと思っていた俺に、初めて救った命があるということを教えてくれた、大切な存在。

 詩乃にとって、救った命は恐らく母親だ。彼女の母親は、確実に詩乃がいることによって救われた命だろう。

 母親が詩乃にどんな対応をしたのかは知らない。詩乃が母親のことをどう思っているのかも、俺は知らない。

 ただ、詩乃はただ奪ったわけではない。救ったものもあるのだということを、詩乃にわかって欲しかった。

 命を奪ったという事は決して忘れてはいけない。しかしだからといって、そのことだけに囚われなければならないという道理はない。

 きちんと詩乃には、それ以外にも目を向けて考える権利があるのだ。そのことを知る切っ掛けになってくれればと俺は思うのだった。

 

「……わ、わた……わた、し……っ」

 

 詩乃が、掠れた声を震わせて口を開く。

 その瞳には大粒の涙が溜まっていた。

 

「わたし……ずっと……こ、殺してしまって……人の一生を、だ、台無しにして……それで……っ」

「ああ」

 

 詩乃が途切れ途切れに吐露するそれは、きっと今まで心の中に溜め込んでいた本音なのだろう。

 詩乃が恐怖と後悔と自責を感じる根本。詩乃が優しい性格であるが故に起こった、詩乃を縛り続ける鎖の正体。

 俺はただ頷いて、詩乃の吐き出す言葉を聞き続ける。

 

「絶対に、許されないって……思って……っ。あんなことした、男でも、生きていた、から……っ、じ、自殺なんてしたら、相手も浮かばれないって、それで……ッ」

「そんなことまで考えてたのか。……やっぱり、お前は優しい奴だよ。詩乃」

 

 どこまでも相手のことを考えるがゆえに、詩乃は後悔に囚われてしまったのだろう。そんな詩乃の気質が現れる言葉に、俺は少しだけ笑んで詩乃を見た。

 

「わたし、わたし……っ!」

 

 瞳に溜まっていた涙が頬を伝って顎へと流れる。

 そのまま地面に落ちた涙が染みを作り、それは一つ、二つ、と増えていく。

 

「私、本当に、奪っただけじゃ、ないの……?」

「ああ。お前のお母さんを、お前はきちんと助けたんだ」

「こ、こんな、血に濡れた……」

 

 小刻みに震える自身の手を詩乃が持ち上げて、俺はそれを躊躇いなく力強く握った。

 

「でも、同時に人を救った手だ。な、詩乃」

「っ、ぅ……ぅあ、ぁあ、……っ!」

 

 詩乃はそのまま倒れ込むように俺にもたれかかってきて、涙を流した。

 握っている手ではないもう一方の手は、強く俺のコートを握りしめている。そして、詩乃の肩に置かれていた俺の手は、そのまま詩乃の背中に回って寄りかかる詩乃の体を支えていた。

 華奢な体だった。当然だ、相手はまだ高校生の女の子なのだから。けれど、彼女はこの小さな体で、過酷な過去に対してずっと一人で戦ってきたのだろう。

 避け続け、逃げ続ける道もあったはずだ。けれど、彼女は強くなることによって過去を乗り越えようとした。茨の道だ。けれど、詩乃はきっと逃げ続けるだけでは駄目だと本能的に悟っていたのだろう。

 その先に、幸せで安心できる未来は待っていない。彼女は自分の未来のために、ずっと諦めたくても諦めず、辛くても苦しくても一人で呑みこんで、立ち向かってきたのだ。

 木綿季の言うように、詩乃はそうしてずっと現実と戦ってきたのだろう。

 包み込んでいる体から伝わってくる温もり。小さく震える体がひどく儚く思えて、俺は自然と詩乃の髪を撫でていた。

 落ち着かせるように、何度も手の動きを繰り返す。安心させるように、体温を分かちあうようにじっと、その体勢のままで俺は詩乃の涙を受け止め続ける。

 これが詩乃の救いになったのかはわからない。これだけで全てが解決したと言えるほど、心の問題は簡単ではないだろう。

 けれど、少なくともこの涙の分だけでも詩乃の心に光が差し込んでくれていると嬉しい。そう思いながら、俺は声を殺して泣く詩乃の髪をゆっくりと撫で続けるのだった。

 

 

 

 

 たっぷり数分はそうしていただろうか。

 不意に、腕の中で詩乃が身じろぎするのを感じて、俺は抱き留めていた腕の力を緩める。

 すると、それを敏感に感じ取った詩乃がゆっくりと俺から離れた。

 その顔は目が赤く充血して、その周りも少し赤みがかって腫れていた。明らかに泣いた後だとわかる顔。けれど、詩乃の表情にはどこかすっきりしたような晴れやかさが見て取れた。

 

「大丈夫か?」

「うん。……ありがとう、えっと、高谷さん?」

「よせよ、今さら。総真でいいよ」

 

 気が付けば俺も詩乃と呼んでいるし、これでお相子だ。そう言えば、詩乃は笑った。

 

「俺でよければ、何度だって相談に乗ってやる。話も聞くし、好きに頼ってこい。遠慮はなしだ。ソウマとシノンの間に、そんな他人行儀な真似は必要ないだろう?」

 

 それは俺の本心からの言葉だったが、詩乃は少し申し訳なさそうな顔になる。

 

「何から何まで……。悪いわ、そんなに迷惑をかけて……」

「別に、好きでやってることだ。お前のためだって思えば、迷惑なんかじゃないしな」

 

 仮想世界だろうと現実世界だろうと、シノンと詩乃は同一人物だ。なら、俺にとって詩乃はシノンと同じく大切な友人だし、そのために力を尽くすことに躊躇う理由なんて一つもない。

 だからこそ断言すると、詩乃は目だけではなく耳まで赤くしてそっぽを向き、ぼそぼそとお礼を言った。

 頷き、地面に置いていた空き缶を拾い上げて適当にポケットに突っこんでいると、不意に詩乃が口を開いた。

 

「……手、握ってくれてありがとう」

「ん?」

 

 一瞬何のことかと思ったが、そういえばさっきまで詩乃の手を握っていたことを思い出す。

 そのことを気にしているのかと問うと、詩乃は僅かに躊躇った後に頷いた。

 

「昔、ね。触るなヒトゴロシって言われて、振り払われたことがあったから」

 

 それもまた、詩乃にとってはあの過去によって引き起こされた拭いがたい過去の一つなのだろう。

 俺はそんな暗い過去など気にする必要はないと、笑って問題ないということを示す。

 

「気にするなよ。言ったろ、綺麗な手だって。むしろ役得だよ」

 

 俺がにやりと笑って言うと、詩乃は小さく噴き出した。

 

「何よ、それ。木綿季に言うわよ」

「そ、それは勘弁してくれないか」

 

 俺が弱りきった顔で言うと、詩乃は「冗談よ」と言って微笑んだ。その笑顔に先程までの自分を責めるような自嘲の色はなく、ただ単純に可憐で可愛らしい笑顔だった。

 思わず見惚れてから、俺は苦笑した。こんな笑みを浮かべることが出来るのなら、もう大丈夫だろうと思ったからだった。

 

「家まで送ろうか?」

「ううん、大丈夫。私のアパート、すぐそこだから」

「そうか」

 

 俺は短くそう答えて、詩乃から一歩足を引いた。

 すると、詩乃は首元を覆うマフラーを直しながら人差し指を俺に向けて笑う。

 

「じゃあ……また後でね、ソウマ。私の弾丸に貫かれる以外で負けたら、承知しないわよ」

「お前こそ、油断してやられるなよ。……でも」

 

 歯切れの悪い俺の言葉に、詩乃が首を傾げる。

 これは余計だったかなと思いつつも、言葉を続けてしまったからには言わないわけにもいくまい。

 

「……ま、無理はするなよ」

「……あ、ありがとう」

 

 少し上気させた顔でお礼を言う詩乃に、俺は笑って「じゃあな、詩乃」と言って背を向ける。

 ひらひらと手を振って歩き出すと、その背中にもう一度「ありがとう」と小さな声で聞こえてきた気がしたが、俺は振り返ることはせずに歩き続けた。

 

 

 

 

 去っていく総真の背中を、詩乃は公園の中で立ったまま見続けていた。

 まだ体に残っている、総真の体温。そして、掛けられた言葉と親身になって此方のことを思ってくれているとわかる心遣いに、詩乃は心が温かくなっていくのを感じていた。

 知らず、頬に熱が集まる。感情が沸騰し、これまでに感じたことの無かった思いが胸に満ちて、氷のようだった心が解ける感覚を詩乃は抱いていた。

 そして同時に、ふと木綿季の明るい笑顔が脳裏に浮かぶ。

 その瞬間、解けかけていた氷に、ひび割れのような小さな痛みが走った。

 

「……もしも、誰よりも早くあなたに出会えていたら、か……」

 

 ふと呟いて、詩乃はマフラーを口元まで引っ張り上げた。

 そして踵を返すと公園の出口を抜ける。アパートはすぐそこだ。けれど、やはり冬場だからだろう。刺すような寒さはどうしようもなく詩乃の体を冷やしていった。

 

「……温かいけど、寒いなぁ」

 

 その声は少しだけ震えていた。その理由に詩乃は思い至ったが、何もそれ以上言うことはなく、ただ胸の内の温かさだけは消さないように体を丸めて家路を急ぐのだった。

 

 

 

 

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