現在、所々に牌譜の不備があり、修正していますが、まだあるかもしれません。よろしくお願いします。
【1】
さて! さてさてさてさて、いよいよやって参りましたこの時期が。
全国高校生麻雀大会県予選まで残り一ヶ月を切った。
去年の大会のお陰で、我が清澄高校麻雀部には、何人かの有力な女子選手が入ってきまして、今や清澄高校は、長野の麻雀に於ける少数精鋭の強豪高校と認知されている。去年に引き続き女子は団体戦に出られることとなりましたとさ。
え、男子? 一人も入らなかったッス。お陰で今年も俺は個人戦に出場することと相成りましたとさ。
「勝てもしないのにな……」
席に座ったまま俺は、机に突っ伏している。正直、気が重い。大体どうして、碌な練習もせずに、そこそこ腕の立つ雀士と対局し、ボッコボコにされに行かにゃならんのか。そりゃあ、麻雀は面白いゲームだ、良く出来たゲームだ。だけど和了れなきゃつまらないし、勝てなきゃつまらない。まったくげんなりする。
と、そこへ話し掛けてくれるのは、
「なあ、須賀、お前大丈夫か」
俺の友人の高久田誠君。俺を気遣ってくれる奴らの中で、直接俺に話し掛けてくれる数少ない人物の一人だ。
「大丈夫じゃねえかもー……」
近頃どうも上手く行かない。正直、女子陣が麻雀強過ぎて、俺は彼女らに気後れしてしまっている。ついては、俺みたいな素人雀士が大会に出るのは気が重い。
そのせいか、最近の俺はどうもダメダメだ。よく物を失くすし、その失くした物が変な所にあったりという不思議現象見舞われている。
あと注意散漫になっているからか、校内でよく人とぶつかる。しかも、同じ人に何度もぶつかるし、酷い時だと背後に居る人物にさえぶつかっていくらしい。いや、俺自身としてはぶつかっているつもりは無いのだが、ぶつけられた相手が言うには、ぶつかってきたのは俺のほうなのだと。
あ、そうそう、先生からもなんかしょっちゅう怒られてる気がする、それも大体は同じ先生から。ていうかあの先生厳しすぎだろ。まあ、さりとて、教師陣に不満たらたらというわけではない。渡る世間は鬼ばかりではないと言うことわざ通り、怒りっぽい先生が居る他方で、やけに優しい先生も居たりする。
(……って、んなわけないじゃーん!)
どう考えてもぶつかってきたのは向こうであって俺悪くねえし、むしろあれって、『聖咲ちゃん騎士団過激派』らによる俺への面当てじゃん。教師のほうだって、我が校の華たる(女子)麻雀部から悪い虫を引っぺがそうと俺を追い落とそうとしているのが丸見えだ。
あー、憂鬱だ。こんなに気が落ち込むのは、期末試験の山外して、全く勉強していない所ばかりが出題された時以来だ。
「あんま一人で抱え込むなよ?」
俺の肩を叩いて、我が友は言ってくれた。慰めてくれるのは素直に嬉しいものだ、けれど……。
(でもちょっと大げさ過ぎね? ひょっとして、慰めるように見せかけて俺の貞操を狙っているんじゃ……)
という想像をして、俺は背中にうすら寒いものが走るのを感じた。
(いや! いけねえ、いけねえ。それは下衆の勘繰りだ……)
俺はかぶりを振ってこの想念を隅に追いやった。これも、変なホモヤクザに目を付けられたせいかな。
本当に嫌になってくる。俺の周りには、こんなにも良い奴らが居るってのに。
例えばあそこの、俺をちらちら見ながら耳打ちし合っている女子の集団とか。他にもあそこの男子のグループだって、俺に何と声を掛けたらよいのか分からないのか、忌々しそうにさえ見えるくらい苦々しげな顔で、俺を弱いだの、麻雀部を辞めたほうがよいだのと気遣ってくれる話をしている。皆、俺の苦労を知ってくれているからか、可哀想な人を見る眼で見てくる。本当に良い奴らだ!
「おう、あんがとよ。んじゃ、俺そろそろ部活行くから」
「須賀、お前……」
俺は席から立ち上がって、部活に行くことにする。活動内容は勿論、仕事を貰うためである。雑用やってストレス解消してなきゃやってられん。
「つっても、染谷部長、なかなか雑用回してくんないんだよな……」
部室への道すがらの廊下をとぼとぼ歩きながら、俺は途方に暮れていた。
麻雀部に入部者が居るのは、喜ばしいことだ。が、新入部員が居るということは、人手が有るということであり、即ち雑用が俺に回ってこなくなるのである。正直これは死活問題だ。俺が麻雀部に居る意義が無くなる。
去年の竹井部長の人でなしなら、遠慮せずに俺に雑用を言い渡してくれたかもしれない。しかし現部長の染谷まこ先輩は、去年俺が雑用ばかりであまり麻雀を練習出来なかったことを慮ってくれているからか、なかなか雑用をくれない。一応、力仕事は、男としての俺の顔を立てるために寄越してくれたりはするが、牌譜整理などといった、女性でも出来る、むしろ女性だからこそ出来る仕事は新入部員の女子に任せてしまっているのが現状だ。
「正直、麻雀の練習とかダルいんだけどなぁ……」
牌効率だの何だの、そんな煩瑣なことを考えるのなんてぶっちゃけ面倒臭い。高い手和了る浪漫に浸って何が悪い。……まあ俺は未だに役を覚えきっていないけど。
大体さ、麻雀って運要素強過ぎね? いや、元がギャンブルだから当然なんだけど、期待値の高い選択をしていくと勝ちやすいというのが人生に似ている。ほどほどに頑張ればそれなりに良い成績が残せるが、けれどそれではそこで頭打ち。真に頂点を極めるのなら、時にはリスキィな行動にも出ねばならないが、それで当たりを引き続ける強運が無ければ意味が無い。畢竟、運がモノを言うところが、まさに人生と同じだ。
いやいやおかしいだろ。麻雀って娯楽のはずだろ。何が哀しくて娯楽の中で、生々しい人生の苦渋を味わわねばならんのだ。和の親父さんも、その運に左右されるという点で麻雀に否定的らしいけど、同感だわ。弁護士っていう、社会の荒波に揉まれてきた人なら、そう考えるのも致し方ないことだろう。
と、まあ、先ほどから俺はこの調子でぼやき続けていた。周囲には生徒らが居るので、麻雀部への不平とも言えるこのぼやきを聞かせるわけにもいかないので、辺りを憚る小さめの声でである。
「須賀京太郎!」
突如として掛けられた声に、俺は顔を上げた。見ると、俺の前方に、一人の男子生徒が仁王立ちしていた。何だこいつ。
「僕は、『原村和親衛隊』! 二年の――」
と鳴り物入りに名乗りを上げる彼を見て俺は悟った。
(……この人、『のどっちのおもち研究会』の人だな)
『のどっちのおもち研究会』の人は、まず人前では『のどっちのおもち研究会』とは名乗らず、何かしら和にちなんだ名称を使う。理由は……訊くな。
また、この理解に苦しむ変人めいたふるまいはまさしく、変人集団『のどっちのおもち研究会』の会員に違いない。いや、会員にしてはいささか常識的だが、この変人っぷりは間違いなく会員だ。『研究会』会員番号八番の俺が言えたことじゃないけどさ。でも世の中色んな変態が居るよ。去年のクリスマスなんか、サンタさんの格好した謎のおっさんが『We Wish You A Merry Christmas』を口ずさみながらその辺の男に殴り掛かる意味不明な事件あったし。
あ、いっけね、馬鹿なこと考えてたら名前聞き逃した。でも別にいいや、後で聞けばいいし。
んで、彼が俺に何用なのか。
要約させてもらうと、彼も県大会に出たいので、麻雀部唯一の男子である俺に打ち筋を見てほしいのだそうだ。あと、俺が大会出るのに及び腰だということを見抜いてくれているからか、実力次第では俺の代わりに出てくれるのだとか。良い奴だなぁ……。『研究会』の人たちは、ドの付く変態だけど、やはり良い人ばかりだ。会員になって良かったってつくづく思う。
つっても、俺、今の話ほとんど聞いてなかったんだけどな。前口上がダラダラ長いし。
まあ内容大体合ってるんだろうし、いいだろ。
俺としては諸手を挙げて喜べることなので、二つ返事で了承した。急いて返事をしたものだから、少し素っ気ないものになってしまったかもしれないが、寛容な『研究会』の人たちならきっと大丈夫。
で、何やかんやで、入部テスト対局。場所は当然麻雀部の部室。
「……何このギャラリィ」
てっきり麻雀部とか『研究会』の人たちだけかと思いきや、うちのクラスの連中や、それにとどまらず別のクラス、果ては別の学年の生徒まで居るではないか。
「それに何故に高久田まで……」
しかも何故か、この対局には高久田まで同卓すると言い出して、この状況だ。
高久田が麻雀出来るのかって? 大丈夫、こいつも何ヶ月か前に麻雀始めたそうだから。で、俺は高久田の麻雀デビュー祝いとして、復刻版の初代プレステと、SIMPLEシリーズ第一弾にしてシリーズ大ベストセラーである『THE麻雀』(プレミア)をプレゼントしてやったわけだ。金余ってたし。
PS4版? 自分で買え。
卓を挟んだ俺の対面には、対局を頼み込んできた会員壱(もとい変態壱)、その下家に位置する所には、壱に付き添ってきた会員弐(もとい変態弐)。ちなみに高久田は壱さんの上家のほうに居る。
壱さんはやけに得意げな顔だ、ともすると俺を馬鹿にしているみたいな顔だ。そこから推して量るに、このギャラリィを集めたのはこいつだな。あの大仰な自己紹介といい、何とすると彼はエンターテイナとしての側面があるらしい。憎い奴だ、二つの意味で。
彼は卓に散らばった牌から、東南西北の四枚と一、二筒の二枚の計六枚を持ってくると、これらを裏返してシャッフルし、また横に並べ、これを卓の縁に当てて綺麗に揃えた。
ああ、その方式の
それから壱さんはおもむろにサイコロを振るスイッチを押してサイコロを転がした。出た目は十、つまり、彼の下家に居る弐さんが該当する。それで彼が振って出たのは三、なので、弐さんの対面にあたる高久田である。
ここに至って、壱さんは、シャッフルした六枚を表に返した。
{西東②南①北} この中で、二筒と一筒子を各々端に移動させ、{②西東南北①}
「今出たのが三だから、高久田から反時計周りに取っていくんだな。三は奇数だから、取っていくのは一筒の側から」
と俺は、北牌を指差し、これを取って高久田に寄越した。次いで、高久田の右隣りの壱さんが南を取り、次に弐さんが東、最後に俺が西を取った。ちょうど、現在の俺らの席を反時計回りするみたいに牌を取っていくわけだ。
「僕は、ここで」
と、東を取った弐さんは今自分が居た席にそのまま座り、
「なら僕は……」
と続いて壱さんがその下家に座った。
「俺がここか」
高久田が更に下家に座って、俺は残った席に着くことになった。椅子に座る際、観客の中に居た咲をはじめとした麻雀部の面々と目が合った。とりあえずダブルピースを送る。で、なんか知らんが、それを見た観客の一部が口々に、
「女ったらし!」
「屋根裏のゴミ!」
とか何とか言ってきおった。
誰だ屋根ゴミっつったの。屋根裏要素どこだよ。好き放題言ってくれやがって。三ヶ月前のバレンタイン思い出してブルーな気持ちになっちゃったじゃねえか。
で、着席が完了したその後、高久田がやおらサイコロを回して、
「七だな」
そうして出たのは七であった。
「出親は、僕かな」
言いながら弐さんが、中央の穴に牌を押し込みながら言う。
牌山が昇ってきた。サイコロは、山が出てくる寸前に既に回してあったので、間髪入れずに弐さんは山に切れ目を入れ配牌を開始した。出たのは五だったので、弐さんの山から取っていく。
「ところで――」
と高久田が口を挟んだ。
「流れからして、ルールは大会ルールでいいんだろうが、槓ドラは明槓・暗槓問わず即ノリでいいか? 正直、ややこしいんだ」
視線を向けられた壱さんと弐さんは、二人してお互いに顔を見合わせたのち、
「別に、僕としては構わないが」
壱さんは、相変わらず貴族みたいな喋り方で応え、
「僕も、いい」
弐さんも首肯しながらボソボソと、呟くように言った。
全員の配牌が完了するや、出親の弐さんはいきなり第一打を切った。彼が理牌を行いだしたのはその後だ。
(はっや……。理牌無しに第一打を決められんのかよ。俺なんか未だに、理牌した後に悩んでから、数の少ない数牌や孤立牌、風牌とかを切るのに)
と弐さんに感心していると、その間に壱さんが、それと同様に第一打を切った。俺は面喰った。二人して随分と麻雀慣れしているみたいだ。もうこの時点で入部テストは合格でいいんじゃないかなと思う。半荘もやる必要ないんじゃないかな?……、ていうか東風戦も要らないんじゃないかな?……。
「ツモ。一三〇〇・二六〇〇」
{六七八①②③赤⑤⑥⑦2333} ツモ{1}
とこのような具合に、八巡目で
うーん、良いね。具体的にどこが良いのか分からないけど、良いね。
【2】
東三局。親は高久田。
高久田誠は焦らずにはいられなかった。
「ロン。
{二三四五六七①②③④⑤北北} ロン{③}
【東三局終了時点での点数】
トップ、弐―― 四〇四〇〇点
二位、壱―― 二七〇〇〇点
三位、京太郎―― 二〇三〇〇点
ラス、高久田―― 一二三〇〇点
この状況が出来る潮目は前の局、東二局(親は壱)連荘二本場だった。それまで、壱と弐の鳴きによる早和了り戦略を前に、立直すら出来なかった高久田は焦燥を募らせていた。が、さりとて、相手に合わせて鳴きの早和了を目指すのは愚策だと、彼は自身に言い聞かせつつ、なるべく門前の打ち方を保とうとしていた。
ところが、件の東二局(親は壱)連荘二本場にて、ようやっと高久田は聴牌。そこで気が緩んだのが隙。抑え込んでいた焦りが一気に解放され、無警戒にも彼は立直を掛けてしまったところ、弐による黙聴の六四〇〇(七〇〇〇)を直撃させられたのであった。
それで、今しがたの千点の直撃。折角の自分の親番を蹴られ、点数も二万をとうに切り、現在一三三〇〇点。いよいよ彼も打つ手が無くなってきた。
(クソッ、分かってはいたけどよ!……)
元々彼がこの対局に参加しようと決意したのは、この圧倒的不利な状況を少しでも緩和できればと思ってのことであった。
この勝負、もし高久田が参加をしなければ、残る一席は当然、現在対局している相手の息の掛かった人間が座るはずであった。つまり、京太郎一人に対し、三人が相手となることとなる。
高久田とて、麻雀を始めたのはつい最近のこと。練習と言えばせいぜい、ネト麻か、京太郎からプレゼントされた『THE麻雀』くらいのもの。自身が戦力になるだろうとは、端から期待していなかった。さては、麻雀歴が一年の京太郎、それも去年の県予選で惨敗を喫し、しかもその時から今の今まで、麻雀についてまともな指導を受けていない彼が、斯様に不利な対局を切り抜けられるとも思っていなかった。
ただ、友達を独りで闘わせるのが嫌だった。
東四局、親は京太郎。十二巡目。
{三四五②②③④344556東}
高久田、二-五筒両面待ち、聴牌。高めタンピン三色(五筒)。
しかし彼は立直は掛けず、最後まで取っておいた東を切った。
……いや、掛けられなかったのだ。
二度に渡ってしくじったことで彼は今、負け腰の疑心暗鬼に陥っていた。故に、立直という自分に利がある行為にさえ恐れを抱いていた。例えば、ここで立直した後で敵方に追っかけ立直をされてしまったら……、という具合に、メリットよりもリスクのほうに意識が行ってしまう心境にあった。
「ポン」
高久田の捨てた東を鳴いたのは京太郎であった。手牌から不要牌を切り出し、次いで二枚の東を倒して見せ、高久田の河から東を持ってきて副露。何ら不思議ではない。東場で、東家(親)の京太郎が東の刻子を作れば、ダブ東で二翻付くのだから、彼が東の対子を抱えているのは当然であろう。
(東が来たから、つい鳴いちゃったけど、これって役牌付くんかな……)
まあ当の京太郎は、ダブ東なんて考えてすら居ないのだが。ていうか未だに風牌に役牌が付く条件を意識出来ない。どころか、今が東場なのか南場なのか分かっているのかも怪しい。
次巡。
「立直!」
壱が立直宣言をし、リー棒を場に放った。
これに高久田が浮足立つ。その調子で、自分の自模番で牌を持ってくる。持ってきたのは和了牌ではなかった。しかも、たった今立直宣言をした壱の現物でもなかった。そうなると自然と高久田は呼吸が乱れた。
一瞬、オリようかと彼は考えるも、しかしどうにも自身の手はそういうようには動かず、結局彼はその牌を自模切りすることにしたのであった。幸い、壱の当たり牌ではなかったため、直撃ということは免れた。
その次の自模番は京太郎。彼は高久田と同じように、持ってきた牌を数秒程見つめたのち、自模切りした。
出たのは赤五筒。高久田の当たり牌だが、彼は京太郎から出和了するわけにはいかない。
高久田は歯噛みした。もし、前巡で立直を掛け、かつ京太郎が鳴きを入れていなければ、これを一発ツモでメンタンピン三色のドラ一で倍満だった。彼自身の弱腰もさることながら、東を持っていて、かつ京太郎が東の対子を持っていたことからして、今の自分たちはツキに見放されているのだと、つくづく高久田は思い知ることとなった。不幸中の幸いにも、その後の壱と弐の番で、高久田の当たり牌が来たということは無かったが、……ますます緊張が重なる彼の慰めにはならない。
ところが次巡、彼が引いてきたのは、お目当ての五筒であった。
彼は一つ吐いた息に、よし、という声を含ませた。
「ツモ!」
と宣言して彼は手牌を倒した。
{三四五②②③④344556} ツモ{⑤}
「ツモ、タンヤオ平和三色。満貫」
喜色をを噛み殺した面持ちで高久田は早口に申告した。
同時に、何かがおかしいようにも感じていた。
点数申告をしようとするその時、高久田はハッと気付いた。だがもう遅かった。
「二〇〇〇……、四〇〇〇……」
この支払の内、四〇〇〇点は京太郎の親被り。しかもこの東四局は京太郎の親であり、それを流す結果ともなったのだ。
サッと高久田の顔が青ざめる。苦境から脱したと思ったらまだ苦境という、上げて落とされたその心持ちたるや。そんな苦難を前に彼は、一体これをどう受け止めればよいのか、全体これからどうすればよいのか、といったように、五里霧中に陥っていた。
ゆっくりと高久田は顔を上げ、目の前の対局者らを上目がちに見た。
京太郎は、相変わらず、卓に肘を突き手の甲に額を乗せながら、もう片方の手で支払いの点棒四〇〇〇を高久田へ差し出した。
他方、敵方の二人。弐のほうは依然としてつまらなそうな顔で、おもむろに点棒を渡す。片や壱には表情は無く、しかし内心でほくそ笑んでいるであろう無表情で高久田を見据えながら点棒を寄越してきた。
高久田は胸の内で、認めざるを得なかった。
(悔しいが、こいつら、強え……)
対局当初での早和了に加え、二度に渡って高久田から安手ながら直撃を取り、しかもそれで動揺を誘った末に彼に京太郎の足を引っ張らせ、高久田と京太郎のコンビを破綻させた。
今となってはもう、完全に流れまで掌握されてしまっていた。
南一局(親は弐)で弐が一〇〇〇オール、その次の連荘一本場では跳満を和了。更に連荘二本場では、今度は壱が跳満。そしてその次の局(親は壱)で、弐が壱に跳満を差し込み、
【南二局終了時点での点数】
トップ、壱―― 五四九〇〇点
二位、弐―― 二八一〇〇点
三位、高久田―― 一一〇〇〇点
ラス、京太郎―― 六〇〇〇点
今の差し込みで、壱と京太郎の点差は絶望的なまでに開いた。その点差は四八九〇〇点……親の倍満、子の三倍満直撃でも捲れない。
この勝負は飽くまで京太郎の勝負であって、高久田は単なる助っ人に過ぎない。つまるところ、高久田がトップに立っても意味が無い。出来ることとすれば、高久田が壱から大物手を直取し、そのあとの局で京太郎が、逆転可能な大物手を和了る、など。あまりにも薄く、頼りない可能性。
(こういうわけかよ……。差し込みや鳴かせのコンビプレイなんて、どうして大会では出来ないはずのやり方で来るんだと思ったら、……要は公開処刑しようって腹か)
元よりこの勝負は、『大会でまともに打てる腕』を示すことが目的である。そうすればこの二人は大会に出られるわけだ。
ここで不可解なのは、『大会でまともに打てる腕』という曖昧な条件と、『対局後に京太郎はどうなるか』が明確になっていないことであった。
だが今の高久田なら分かる。少なくとも敵方二人は、もう十分に腕を示したと主張出来る状態にある。そのため、大会に出られるかの腕前についての疑問は、後ろ盾さえあれば封殺出来る。
そして京太郎の処遇についてだが、無論、負けたからとて彼が麻雀部を強制退部といったことはないはずだ。
――そう、彼自身が退部を希望しなければ……。
(大方こいつらは捨て駒、スケープゴートってとこだな、悪い奴ほどよく眠るとはいみじく言ったもんだ。――クソッタレが! こんなカスどもに……、それとどっかで高みの見物してる奴どもに……、ぜってえ負けたくねえッ!)
そう彼は闘志を燃やしだす。が、現状その望みはあまりに薄く、それでも諦め切れない思いがせめぎ、彼は自らの無力さを痛感せざるを得なかった。
南二局、連荘二本場(親は壱)。
{1122233二二三三四五南}
開始数巡にして高久田、二盃口一向聴(四萬待ち)。流れ自体は敵方に持っていかれたものの、ツキはまだ残っているらしい。
打南。
「立直」
同巡、一萬で立直を掛けてきたのは弐で、
「ポン!」
それを鳴いたのは壱であった。
その後高久田に自模番が回ってきて、自模ってきたのは、
(白……生牌、しかもドラか)
生牌の危険性について、高久田は知識では知っていても、実感としてはよく分かっているわけではない。しかし、追い詰められたこの期に及んだことでか、普段ならさほど悩まず打つであろうこのドラ白板も、今なら打つべからざる危険牌だとひしひしと感じる。
だから彼は二索を打った。これは通る、既に三索を捨てている弐には。
高久田の後、京太郎、弐と続いて壱の番。彼が捨てたのは發。
「ポン」
仕掛けたのは京太郎だった。それで打ったのは赤五索だ。
(何故ここで赤ドラを……)
高久田は疑問を浮かべた。
(なんかここまで蚊帳の外だったし、ヤキトリだし、一回くらい和了りたい)
京太郎は大して考えてない。
ギャラリィたちはひそひそと、出来るだけ小さな声で囁き合っていた。
「ねぇ……、正面の人からポンすると、自模順ってどう変わるの?」
そのギャラリィらの一人の女子生徒が、そばに居た男子生徒にそっと耳打ちした。
「各々の正面と引く牌を交換するように変わるんだってさ。つまり、須賀とその正面、高久田とその正面が、次の引く牌を交換してるってこと」
その男子生徒が麻雀用語を避けて説明すると、一応納得したように彼女は、ふうんと頷きながら相槌を打った。
高久田の番、九筒を自模。彼は、対面の弐の河に視線を移した。
(奴は立直直前に五筒切りか……)
もし、この五筒が最近まで孤立牌でなかったとすれば、裏スジである九筒は危険牌。
(こいつが危険牌なら、ここは迷う必要は無いな……)
さして迷うことなく高久田は五萬を打つ。
「チー」
京太郎がまた一鳴きし、四萬と六萬の塔子に五萬を噛み合わせ、先ほどの緑發の明刻の上に重ねた。
打紅中。
続く弐の自模、一筒。これは彼の和了牌ではないため、ノータイムで切る。
「ポン!」
壱、これを鳴き、淀みない動作で副露。
打六索。
高久田はこれに不吉なモノを感じた。それから壱の河を見やると、彼の河には中張牌と字牌のみが捨てられていた。その上、
(脂っこい牌ばっか切りやがって……。隠す気も無いと来たか)
それもそのはず、この局の親は壱で、役満を和了ろうものなら、ツモでも一六〇〇〇オールで京太郎と高久田がトビ終了。和了れないのなら和了れないで、さして問題ではない。また、たとえ京太郎と高久田が大物手を聴牌しようとも、最悪の場合、弐による差し込みで強引に終わらせてもよい。
ずばり、清老頭。ここで畳む腹積もりらしい。
確信して高久田は自模。二枚目の白を持ってきたことで、先ほどの白と合わせて対子に。
{112233二二三三四⑨白白}
(よし、白が合わさったぞ。どうする……、勝負するか?……)
と、高久田は九筒を僅かに摘まみ上げ、
(いや、これは打たないと決めたろ……)
かぶりを振って、四萬を持ち上げる。これで七対子ドラドラ、九筒単騎待ち聴牌。
立直はしない。これは和了るなら十中八九、ツモ和了だ。立直を掛ければ跳満になり、ますます京太郎の首を絞めることになる。
もう迷うことはない。
そのはずだった。
(いや待て……)
高久田の手が止まったのは、牌を切ろうとした矢先だった。
理由は本人にも分からない。ただ、直感では感じるものがあるらしく、自然と目が場に向く。まず目に付いたのは、壱の河、一列目に八筒が捨ててある。決め打ちにしても、九筒が一、二枚の時から、それも初期に八筒を捨てるだろうか。
(さては既に九筒を暗刻ってるな。ということは、俺のこの手は空聴……)
彼の読み通り、壱と弐の手配は、
{1199⑨⑨⑨} {横①①①} {横一一一}
壱、一-九索シャンポン待ち。清老頭。
{七八九789⑥⑥⑥⑦⑧白白}
弐、六-九筒両面、白の変則三面待ち。安目で六筒による立直のみ。白なら役牌が付く。高めは九筒による三色同順。
それぞれこのようになっている。
ひどく分の悪い状況だ。
この三人の内、和了が無くなったのは高久田だけであり、あとの二人はめいめい残り僅かとなった和了牌を引かなければならなくはなったものの、それによって自身らが不利になることはない。
尚更、高久田は迷う。そもそも、弐の待ちは白なのか九筒なのか。経験の浅さ故に、数牌と字牌が合わさった変則三面待ちを読めない高久田には分からない。
案外に九筒は当たりではないかもしれないし、もしかしたら白はまだ山の中かもしれない。考えれば考えるほどに様々な憶測が飛び交い、次第に自分の読みの何もかもが曇りだす。そうして決断は衰え弱まっていく。
そのさなか、高久田の頭に、一つ小さく閃くものがあった。それは前に京太郎が捨てた赤五索であった。それと、今しがた壱が打った六索。
(一索は、五索の裏スジ。対して六索は、同じく裏スジなのに須賀の当たり牌じゃなかった。二索と三索は俺から三枚ずつ見えている。残る一枚ずつが、もう山の中に無いのだとしたら……。うん、あり得なくはない。確証はないけど、それでも――)
――それでも、信じよう。
(お前に賭けるよ、……須賀)
まさに迷いを完全に断ち切った手つきで、高久田は一索を河へ叩き付けた。清水の舞台から飛び降りるとはこのことだ。
「ロン!」
{1199⑨⑨⑨} {横①①①} {横一一一} ロン{1}
その決死の打牌に、壱は容赦なく出和了宣言をかました。終わりだ、と、そう言うかのように、壱は勝ち誇った顔で高久田を見てから、京太郎へ顔を向けた。
だが、即座にその顔は一転して、驚愕に強張った。
「頭ハネだな」
京太郎に代わって、高久田がそう宣言した。京太郎の手牌もまた、倒されていたのだ。
{23八八八②②} {横五四六} {發横發發} ロン{1}
發のみ、一〇〇〇は一三〇〇。
その点数をあらかじめ読んでいたかのように、高久田はその手牌をほとんど見ないで、引き出しから点棒を取って京太郎のほうへ置いた。
顔だけをその点棒へ向け、京太郎は静かにこれを見続ける。
(……あれ? これって俺いいの? 俺が貰っちゃっていいの?)
一方、京太郎は戸惑っていた。
同時和了の場合、優先とかそういうのはどうなるのかというのは、このアホンダラはまだ解っていない。
和了牌が出たので思わず和了り、それから不毛な迷いに惑っている内に、なんか高久田から点棒貰って、今に至るわけだ。
縋るように京太郎は高久田へ顔を向けた。
これを受けて高久田は、なんかやり遂げた感溢れる精悍な顔つきで、黙って頷くだけだ。
なんかカッコイイので、そこはかとなく京太郎はムカついた。
まあいいか、と京太郎はとりあえず点棒を受け取った。差し当たってヤキトリは避けられた、これでよし、と納得する。単純な奴だ。
(赤ドラ捨てちったのは勿体ない感じがすっけど、和了れたんだし、結果オーライ! やっぱ嵌張待ちより両面待ちだな)
で、そんな京太郎の、内面を露知らず、高久田はしたり顔で壱を一瞥すると、何事も無かったかのように次の局へ取り掛かった。
忌々しそうに壱はねめつけるも、ただの悪あがきだと一笑に付し、同じように次の局へ歩みを進める。
さあ、ここが潮目。流れは変わった。それまで、壱と弐が勝ちそうだったという雰囲気が俄かに霞掛かり、誰もが勝負の行方を見失いだした。依然として、京太郎不利であることは変わらないのにも拘わらず、である。
そう、京太郎には、それほどの凄味があった。さも、この状況を理解していない風に、静かで、鷹揚な、そして飄逸で揺るぎない居住まいに、全てが飲まれていった。
色々な意味で。
今更見てくれる人なんて居んのかなとは思えど、思い付いたネタを書かずにはいられない次第であります。よければお付き合いよろしくお願いいたします。