続きを書くのは本当は先延ばしにするつもりだったのですが、我慢出来なかった。
男子の部と女子の部の日程については考えていないため、ツッコミどころいっぱいかもしれませんが、ご了承ください。
どうでもいいけど、『哭きの竜』と『ドラえもん』ってどちらも、タイトルになってる奴の持つ特別な力を巡って登場人物たちが美味しい思いをしたかと思ったら最後は身を滅ぼすことになるところが似てるよね。
【1】
「宮永さん!」
呼ばれて咲は振り向いた。そこには男子が居た。かなり顔立ちの整った男子だ。精悍な顔付きながら厳めしい雰囲気は無く、むしろ柔和なものさえ見受けられる。
彼女を呼んだその男子は、咲に対する呼び方から分かる通り、須賀京太郎ではない。
「あ、はい、どうも……」
咲は他人行儀に返答した。
「そんな余所余所しくしなくてもいいのに。名前で呼んでくれていいよ」
「そんな事言われても、京ちゃん以外の男の子と話したことあまりないから……」
その男子は、咲の言った『京ちゃん』という名前に一瞬眉を顰めた。
咲の言ったことは浅慮ではあった。しかし彼女はこれまで、幼馴染の須賀京太郎以外の男子と話した経験が浅いために、こうしてぎこちない態度をとったり、不用意な発言をしてしまうことがあるのだ。
かと言って、彼女にとってこの男子は、敢えて素っ気ない態度を取るほど知らない顔というわけでもなかった。
彼は去年一昨年のインターハイ個人戦でのチャンピオンである。その端正な顔立ちと騎士然とした立ち振る舞いは元より、他の追随を許さぬ凄まじい強運や、当たり牌を高確率で止めたり、危険牌を大胆に通したりなどの洞察力や度胸は非常に人気が高い。地味で人気の薄い男子の部にマイナーなファンや女性ファンが付いているのも彼の功労に依るものと言われたりなど、まさに男子麻雀の花形の一つと言っても過言ではない。
さりとて、去年麻雀を再開するまでずっと麻雀から離れていた咲は彼のそんな評判など知りもしない。ではどうして彼女は彼を知っているのかと言うと、それはひとえに彼からの接触があったからである。
「君の試合、見たんだけどさ、本当に凄かったよ。素敵だった……。君が嶺上開花するたびに、何だろう……、君の周りで花が飛んでるみたいな錯覚を見るんだ。それが途轍もなく綺麗で……。ああもう! 俺は何言ってるんだろう……」
彼は顔を逸らして頭を掻きながら赤面した。咲から見て、何だかそれが可笑しくて、ついくすくすと笑いを漏らした。彼のほうも、これに釣られて笑い出した。
咲は彼のこの初心な様子に親近感を覚えている。人伝手に話を聞く限りだと、堅苦しくて息が詰まりそうな印象を受ける彼だが、でも本当は結構シャイな男の子なんだということを、彼女は知っている。だから一緒に居て安心出来るのだ。去年、大会の終わりに唐突に声を掛けられて面喰ったものだが、今にして思えば悪くない出会いだったという心持ちであった。
彼は咲に向き直って、咳払いを一つした。
「あの、さ……、大事な話があるんだ」
つっかえながら彼は前置きをした。
「大事な話……って、何ですか?」
咲は、自身より背の高い彼を見上げて聞き返した。またも彼は赤面し、顔を逸らしそうになったのだが、堪えた。そうして目を閉じ胸に手を当てて深呼吸を数回程すると、
「ずっとあなたのことが好きでした。僕と付き合ってくれませんか」
彼は静かに、けれどもよく通るはっきりとした声で告げた。
「えっ!……」
突然の告白に、瞬く間に咲は茹蛸のように赤面した。
「去年、初めて君を見てから、それから君に憧れていたんだ。雀士っていうこともあったけど、そうして君のことを考えていると、段々と、君という女の子のことばかり考えるようになっていたんだ」
上擦った高めの声で滔々と彼は語った。しかし咲の頭は処理落ちを起こしているようで、真っ赤な顔のまま目をグルグルと泳がせているばかりで彼の言葉の多くを理解出来ないでいた。
それによって二人の間では言葉が途絶えた。が、周りはそうではなかった。
流石に人の多い所ではなかったものの、それでも少なくはない人がその場には居た。彼ら彼女らは、目の前で行われた大胆な告白現場を前にして、ヒューヒューと煽ったり、キャーキャーと黄色い歓声を上げたりしていた。中には猫耳みたいに髪を逆立てて、みんなに広めなきゃと言ってどこかへ走っていく少女も居た。
「え、え、えっと……、その……、あの私は……、うう……」
「すぐに返事をする必要は無いよ、時間はたっぷりあるし、それに――」
彼は、それまでの純粋で恥ずかしがりやな青年の様相とは打って変わって、これから決闘の場へ赴く騎士としての面持ちとなって、
「俺のほうも、決着を付けなきゃならない相手が居るから……」
その言葉にはっとなって咲は我に返った。
「決着?……」
そう尋ねた咲だが、彼女には、その明言されていない決着の相手が誰であるのか、薄々と分かっていた。
「すぐに分かるよ」
じゃあね、と彼は優しく言ってその場を離れた。
先ほどまで、生まれて初めて受けた告白に有頂天になって全身を熱くしていた彼女であったが、今ではすっかりと冷め、顔を冷たい汗が伝っていた。そのせいか身体は震え、口は声を出すことすら覚束ない。
周囲はその彼女の様子から察し、囃し立てるのをやめた。声を掛けようとする女子も何人か居たが、いずれも連れ合いに止められるかして、結局そうはしなかった。
「京ちゃん……」
言葉を紡ぐことすら困難な中、咲はようやく、頭に浮かんだある青年の名前を、須賀京太郎の名前を呼んだ。
ずっと一緒だった男の子。掛け替えのない大切な人。
でも、頭の中に映し出されるその彼の姿は揺らいでしまっている。
男子との縁と言えば須賀京太郎くらいしかなかった咲にとって、先ほどの彼からの告白は人生観を変えかねないほどの大きな衝撃であった。嬉しくもあった。ともすると流されるままにイエスと言ってしまうこともあったかもしれない。ところがそれも、脳裏にかすかに浮かんだあの金髪の彼の姿によって、夢から覚めるみたいに消え去った。
――所詮、それまで男にあまり縁の無かった自分という女が、女の子が憧れる素敵な男の子に言い寄られて舞い上がっているだけに過ぎなかったんじゃないか。
そんな疑念と自責が余計に彼女の心を惑わした。
「京ちゃん……」
もう一度、呼んだ。
「どうした、咲」
突然後ろから彼の声が聞こえて、ビクリと咲は身を震わせた。
「そんな驚くか。気付いてたから呼んだんだろ」
「え、あ、まあ……」
咲は言い淀んだ。会いたくなったから呼んだ、だなんて恥ずかくて言えない。
「で、何か話でもあんのか」
気の利いたことに京太郎は訊いた。
彼はいつだって、咲の迷った時に欲しい言葉を切り出してくれる。今度だって多分に漏れず、
(京ちゃんは訊いてくれた。そうしていつも私を導いてくれていた)
そんな彼の存在に光明を見出し、助けを求めるかのように咲は須賀へ、先ほどの告白の件を打ち明けたのだった。
で、その彼女の悩みを聞いた京太郎はと言えば、
(あー、要するにこいつは、誰もが羨むようなイケメンに告白されて躊躇っているんで、兄貴分な俺にどうすればいいか意見を求めてるってわけだ。まったく世話の焼ける奴だ、そんなんじゃ付き合った後も俺に意見を求めて彼氏君をヤキモキさせちまうこと請合だぞ)
あまり深刻な心情ではない。割とおちゃらけている。
(しかしながら、上から目線で俺が無責任な意見を出したところで、それは咲の意思とは言い難いし、ここは――)
「咲はどうしたいんだ」
咲が自分で答えを出せるように気を利かせたつもりで返した。
気楽に言った彼とは対照的に、咲は見捨てられた心情となった。
「どうしたいって……、どうすればいいのか訊いてるんだけど」
(あ、あれ……、何か怒ってる? よし、それとなく弁解しよう)「俺もどうすればいいのか分からない、お前自身のことだからな。だから俺からは答えらしい答えは無い。答えを出すのは、お前自身だ」
それとなく弁解しよう、としながら、結局意図を全部話してしまう京太郎であった。
「どうして? どうしてそんなこと言うのっ? 私だって分からないんだよ、だからこうして京ちゃんに訊いてるんでしょ!」
追い縋る勢いで咲は須賀へ迫る。
「京ちゃんは、迷子になった私をいつも導いてくれた、だから今の私がある。でも今度のは分からないよ……、京ちゃんが私にどうしてほしいのか、言ってくれなきゃ分からないよ!……」
このように訴えて咲は頭を抱えて呻吟し出した。
京太郎はそれを見つめ、心中で唸る。
(勝手な意見は咲の人生を歪めることになる……、かと言って今の咲には判断材料が無いから二進も三進もいかない……。せめてヒントになるような情報でもあげられればな……。あっ、そうだ!)
「咲」
出来るだけ優しく、しっかりと伝わるように京太郎は彼女の名前を呼んだ。これに反応して、彼女は悪夢から覚めたような気分で顔を上げた。
「次の試合、その男と試合をするわけだが、その時に俺が答えを出してやる。それならヒントにはなるだろ」
つまるところ、
(俺が先方から詳しく話を聞いてきてやるから、それで判断しろ)
ということである。
「京ちゃん……」
一方咲は、
(京ちゃんは、京ちゃんの気持ちを次の試合で教えてくれるってことだよね?)
こんな具合である。
「そういうわけだ。分かったか?」
「う、うん……」
まだ納得が行かない咲であったが、これが京太郎なりの譲歩なのだと割り切って、その場は頷いておくことにした。
ひとまずその場は別れた。
去り行く京太郎の後姿を見ながら、取り残された咲は寂しさを覚えた。何だか、京太郎がどこかへ行ってしまうことをどうしても想像してしまう。
「やっぱり、見たくないな……」
怖かったのだ。京太郎の啓示する答えというものが、まさか咲を突き放しどこかへ行ってしまうことなのではないかと邪推してしまうのだ。殊更に、ここ最近京太郎の周りにその不吉な気配――清澄での京太郎への侮蔑の眼差しや、彼の周りをうろつく裏社会の人間――が見え隠れしていることが、より一層疑念を抱かせる。
京太郎が自分を引き留めてくれるのではないかと期待する反面、彼が自分を置いて行こうとしているのではないかとも考えてしまうのだ。
「咲さん」
またも彼女の名を呼んだのは、今度は友人であり部活仲間の原村和であった。
そこに居たのは和だけではない。同じく部活仲間の片岡優希、現部長の染谷まこ、それに元部長である竹井久と、咲の姉である宮永照が私服で来ていたのである。
「みんな……、それに部長も……」
「もう部長じゃないけどね。……それより、今の話だけど」
久は気さくに笑ったかと思うと、その次にはいささか神妙な顔つきとなった。これに咲は何かを感じ取って、
「もしかして……」
「そうじゃ……、すまんが一部始終を、な」
「そう、なんだ……」
どうやら説明の必要は無いらしかった。
それからしばしの沈黙が流れ、その少ししたところで、
「やっぱり、不安?」
照が口を切った。
「うん……」
「まったくあの犬の奴、咲ちゃんを蔑ろにするなんてとんでもない奴だじぇ! これで勝手に消えるってなったらただじゃおかないじょ!」
優希はプリプリと憤慨している。
「本当にその通り。たとえその答えとやらが良いモノだったとしても、私たちに一人一回ずつビンタされたって文句は言えませんね。そう思いません?」
和は微笑ましそうに言った。照もそれを受けて、ほのかに口元に笑みを浮かべると、
「京ちゃんなら、きっと大丈夫だと思う。今大会だって、いつも通りお菓子くれたけど、黙ってどっか行っちゃうなんてことするようには見えなかった。ずっと一緒だった咲には、分かるよね?」
どこか切なそうに語る照の表情を見て、咲は気付かされた。
(私は、何て自己中心的なんだろう……)
「お姉ちゃん……」
涙ぐみそうになりながら、咲は照を呼んだ。
「私も、それにまこも、同じ意見ね。咲ほど須賀君を見ていたわけじゃないけど、それでも彼はあなたを悲しませるような人じゃない、それだけは分かる。だからね、咲、勇気を出して。須賀君が出す答えを聞いて、そして受け入れるのよ。これはあなただけのことじゃない。私のためでもあると、そう思ってちょうだい……」
久の言葉を受けて、咲は皆のそれぞれの顔へ視線を流していき、
「……はい!」
自分一人だけではない。如何なる結果が待ち受けようとも、それを分かち合ってくれる仲間が、自分には居る。須賀京太郎が導いてくれた先に居た、彼女らが。
(京ちゃん、お願いね、また私が迷子になっちゃう前に……)
一方その頃、須賀京太郎は、先刻咲に大胆な告白をした例の彼と相対しているところだった。
「お前が須賀京太郎か」
「如何にも、俺は須賀京太郎だ」
お互いに神妙な面持ちで居た。睨み合っているとも言えるかもしれない。さっきの場所とは違って、ここは人が多い。だからか、先ほどから二人の間にある剣呑な雰囲気を感じて、周りの人々はちらちらと彼らを見ている。
「俺はさっき、宮永さんに告白をした」
「それならもう知ってる」
「なら話は早い。須賀京太郎、次の試合で、僕が宮永さんの隣に居るにふさわしいことを見せてやる!」
周囲に居る人たちの中から、おおっ、という声が上がる。
なお、京太郎はその宣戦布告を、
(ふむふむ、つまりだ、咲ちゃんと結婚を前提にお付き合いしたいから、咲ちゃんのお兄ちゃん的な立ち位置の俺に面接を頼みたい、ということだな!)
元よりこの男子の面接をすることを考えていた京太郎は、こればかりを考えていたばかりに宣戦布告として受け取らず、面接の要請だと受け取ったのであった。
京太郎は片方だけ口を吊り上げて小さく笑った。
「いいだろう、ちょうど俺もそうしようと思っていたところだ」
「そうこなくてはな。言っておくが、俺に譲ろうとは考えるなよ、全力で、俺を殺すつもりで来い!」
彼はビシッと京太郎を指差して声を張り上げた。
(えっ、何この人、もしかして圧迫面接希望? 何て意識の高い奴なんだ!……。俺も見習わなくっちゃな)
「半端な奴に咲は渡せないな」
早速京太郎は圧迫面接のデモンストレーションとなるような毒を吐いた。
(どうだ! よくドラマとかで、娘を嫁に行かせたがらない頑固親父のセリフだ! 見ろ、こいつめ、動揺しているぞ。だが俺の舌鋒はまだまだこんなもんじゃあない、試合の時を楽しみにしておけ!)
と京太郎は思い込んでいるが、実際には違う。
相手の男子は、京太郎そのものに恐怖を感じているのだ。何せ須賀京太郎という男は、哭きを入れる度に相手の運ごと牌を喰い取ってしまい、果ては命運すらも喰ってしまう――所謂『持続型相対強運』――との話で恐れられているからだ。現にこの大会では、京太郎と対戦した相手の中には以後姿を見せない者までいて、噂に拠ればその男はもうこの世には居ないのだという……。
だからこの男子は怯えたのだ。そんなの京太郎に知る由も無いが。
負ければ自分の命を喰われる。今まで自分の命を懸けた例しなど無いその男子だが、だからと言って男としてここで引き下がるわけにはいかなかった。
「やれるものならやってみればいい。だが俺は決して屈しないぞ! たとえその後、どんな苦難が続いていようとも」
(苦難って、どう考えても宮永家の人たちとの面接のことだよな。まさか――咲の両親と照さん相手に圧迫麻雀面接をするってんじゃないだろうな。こいつ、正気か!……。親父さんのほうはともかく、お袋さんは元プロだし、照さんなんか現役セミプロだぞ!)
戦慄のあまり京太郎は黙りこくった。相手も同じく、黙って京太郎を睨み返す。
その構図は差し詰め、一人の女を巡って男二人がこれから決闘をしようとしているようであった、と、その場に居合わせた者たちは口を揃えてのちに述懐する。
で、例によって猫耳みたいに髪の毛が逆立った女子が、キラキラと目を輝かせながらどこかへ去っていった。
【2】
この試合は、男子個人に於ける最終決戦と言われている。それだけに、この卓に付く者たちの実力は折り紙付きである。
まず第一に、男子麻雀の名物の一人である、去年一昨年のチャンピオンが来る。その次に来るのは、そのチャンピオンに二年連続で後塵を拝してきた男子と、チャンピオンに負け越して引退した先輩の雪辱を果たす目的を持った男子が居る。
これらそうそうたる面子ではあるが、この三人と揃って卓を囲む須賀京太郎も負けず劣らず、否、むしろ最も注目されている選手と言っても過言ではない。
それは、今大会の中、或いは外部での女子麻雀の名だたる選手らが彼の試合に注目している旨の発言をしていることが大きい。
去年までの個人戦三連覇を成し遂げた宮永照、その後継者とされている大星淡、龍門渕の大将の天江衣、九面の神代小蒔ら『天照大神』と呼ばれる四人。宮永照の妹であり団体戦にて清澄を優勝へ引っ張り上げた立役者である清澄大将の宮永咲を入れた『牌に愛された子』ら、さては臨海女子の大将を務め現在世界ジュニアで活躍中のネリー・ヴィルサラーゼらを筆頭に、様々な人物が彼に注目していた。(余談一:龍門渕透華はこれについて悔しがっている)
そして彼女らの言った通り、彼はここまでの試合にて、哭き麻雀を駆使した鮮やかな和了りを衆目へ見せつけ自らの力を示してきた。そんな彼のことがあるからこそますます期待は高まり、この今年の男子麻雀の最終決戦は例年を遥かに凌駕する注目度となっていった。(余談二:龍門渕透華はこれについて悔しがっている)
さて、いよいよ試合開始の時間が迫っている。京太郎を除く三人の選手は既に卓へ着いている。
互いに因縁深い関係であるが故か、誰も彼もが視線も言葉も交わらせることなく、張り詰めた空気の中で各々椅子に座っている。もうすぐで時間だと言うのに、京太郎はまだ来ない。
一人はイライラとした様子で貧乏ゆすりをし、またある一人はひたすら黙って卓を見つめて、またチャンピオンの男子は目を閉じて瞑想に耽っている。
現場にいるスタッフらはその様子を戦々恐々と遠巻きに眺めていた。そして心の中で、早く来てくれ須賀京太郎と念じていた。
刻一刻と迫る試合の時間。下手をすれば不戦勝もあり得ることで、これに関してもスタッフは心配していた。
そんな折、会場の扉を開けて、京太郎が姿を現した。遅れてきたことにさして悪びれた様子も無く、鷹揚な足取りで卓へ向かって足を運ぶ。その緩急の無い歩みなさながら幽霊のよう。
「遅かったな、須賀京太郎、遅刻も同然だぞ」
卓へ近付く彼へチャンピオンが投げ掛けた。
「時の刻みは、俺には無い」
低い声でそう切り返した彼に、その場に居た者たちは皆一様に慄然と口を閉ざした。
通常ならば、こんな台詞などただの中二病患者の戯言と一笑に付すところではあるのに、この須賀京太郎という男となれば別であった。今までに麻雀の対局者を幾人も不幸な死に追いやっていると噂を持ち、現にこの大会中でも須賀との対局後に姿を見せなくなった者まで居る。そんな男の吐く科白だからこそ、凄味を感じるのだ。
まあ実際には、
(圧迫面接テクニックその一……遅刻しといて傲然と開き直る面接官!)
こんな具合に、これから始める圧迫麻雀面接とやらを楽しみに行っている始末であった。ちなみに遅れてきた理由は、自分がいつの間にか全国個人戦での最終決戦に来てしまっていることに今更ながらビビッて、一時的な過敏性腸症候群の苦悶と闘っていたからである。この部屋に入ってきた時に歩き方が変だったのは、全てを出し切った時に尻に感じる違和感のせいであったのだ。どうにもここ最近、何かと尻に違和感を感じることが多い彼であった。
して、無事に試合が始まることとなったわけで、スタッフもホッとしている。
席順は次の通り。
まず東家(起家)は須賀から始まり、その次の南家の黙って卓を見下ろしていた男子、西家には貧乏ゆすりをしていた男子、そして最後の北家にチャンピオン。
「『哭きの京』――或いは『哭きの竜』。そんなあんたが最初に座る場所が、東家とはな」
京太郎の下家(南家)が唐突に言った。
「差し詰め俺は朱雀で、西家のあんたが白虎、でチャンピオンのあんたが北家に居るから玄武ってところか」
淡々とした口調で、自らを朱雀と呼んだ下家は語った。
「どうせ変わるんだから意味ないだろ」
白虎と呼ばれた彼(京太郎の対面)は嘆息しながら言った。
玄武とされたチャンピオンは、ああ、と相槌で流しつつ京太郎へ、対抗心を明け透けにして視線を向けていた。そんな視線をどこ吹く風と、京太郎はとっくりと理牌をしていき、これが終わると早速牌を打った。
『さあ起家の須賀選手の第一打を以って対局がスタートを切りました。各選手火花を散らし合っております』
という実況の声が、観戦場に流れる。
『そうですねえ。特に須賀選手とチャンピオンが一際強く睨み合っているようです。彼ら二人は、女子の部の清澄高校の宮永選手を巡っての因縁がありますからね』
と解説。
会場で試合の様子を清澄の面子と一緒に観ていた宮永咲は顔を真っ赤にして俯いた。
始まる前でさえかなり目立っていたのに、今の実況と解説の発言のせいで、周囲に居た人たちは彼女のことを冷やかすように見ながらひそひそと話し出した。
「有名人じゃのう、お姫様」
「大変ねぇー、お姫様」
染谷まこと竹井久はからからと他人事みたいに笑うものだから、咲もむすっと二人を睥睨して黙り込んでしまった、……のだがその先輩らからすれば咲のむくれた顔はむしろ愛らしいと思えるようで、ほっこりと彼女らは顔を綻ばせた。
「それにしても、男子の人たちは皆気色ばんでいますね」
と原村和が言って、彼女らは気付いた。
他の観戦している男子たちは、皆一様に殺気立った様子で、
「やっちまえ須賀ァ!」
だの、
「いけ好かないチャンピオンをぶっ潰せェ!」
だのと怒号を上げている。
ところが、
『聞いたところに拠ると、他にも女性関係を持っているとの話もあるみたいですねえ……』
解説による若干楽しげな爆弾発言を皮切りに、今度は咲の他にいる京太郎ゆかりの女性たちが注目を浴びることとなった。
引き合いに出された彼女らは各々別々の反応を見せている。
例えば永水の神代小蒔や、宮守の元大将の姉帯豊音、それと先ほどまで咲をからかう顔をしていた竹井久といった普通の神経の持ち主は、咲と同様に羞恥心に顔を赤らめて顔を伏せたり隠したりしている。
対照的に、黙々とお菓子を齧り続ける宮永照、ふてぶてしくだらける宮守の元先鋒の小瀬川白望みたいに周囲のことを気にしない者も居る。
変わった例だと、龍門渕の天江衣や龍門渕透華は誇らしげに胸を張って周囲の視線に徳顔を向けていたり、
「イエーイ! ピース! ピース!」
自称高校百年生こと白糸台の大星淡は面白がって自己主張したりしている。
「座ってろ」
元白糸台麻雀部部長の弘世菫によってすぐに押さえ付けられたが。
東横桃子? 誰それ。
これに因って、今まで京太郎を支持していた男衆は一斉に手のひらを返し、
「死ね、須賀ァ!」
「ぶっ飛べェ、須賀ァ!」
「池田ァ!」
と須賀京太郎死ね死ね団としての唱和を始めた。物々しいが、そこはかとなく楽しそうな様子であった。
そしてすぐに鎮圧された。
『さあ十三巡目。それにしても須賀選手、今回は鳴きませんね。以前の試合では、オーラスで大明槓責任払いを直撃させた以外には基本面前で打っていたことはありましたね。今回もそんな調子で打っていくのでしょうか』
『本来ならそう考えるのが普通なのですが……、彼の場合……』
『何とも言えませんねえ。あっ、チャンピオンが自模りました! 東一局にして倍満炸裂!』
「親被りだな、須賀京太郎。これで俺の流れだ」
チャンピオンは勝ち誇る顔を、牽制するように京太郎に向けた。
(ですよねー、俺みたいなペーペーがチャンピオンさんに勝てるわけないっすよねー。マジ凄えっす、半端ねえっす)
と京太郎は心中で上家に居るチャンピオンに敬意を表するのだが、口には出さない。今は圧迫麻雀面接の最中なのだから。
京太郎とて、満更遊び感覚でやっているわけではない。彼なりに真面目にやっていて、だからこそ厳格な雰囲気――と本人は思っている――が出るよう心掛けているのだ。
何故なら、
(今の内に俺が圧迫面接しとかないとな。だって照さん、圧迫面接とかきっと出来ないだろうし。シュークリームと紅茶持ち込んでマイペースに振る舞う姿が目に浮かぶわ。あとアホの淡や弘世先輩も誘ってお茶会とかやり出しそう)
そのように、ポンコツ面接官を頭に思い浮かべて京太郎は思わずふっと笑いを漏らした。
「何だ、今の笑いは……」
チャンピオンは詰問するように京太郎を見たが、当の京太郎は何も言わない。
(圧迫面接テクニックその二……相手の発言を鼻で笑う!)
誰に言い訳するでもないのに、胸の内でそんな言い訳をしている京太郎であった。
続く東二局。この局も上家のチャンピオンが跳満を自模和了。その次の局でも、負けじと対面が
そして東四局、親はチャンピオン。今度は下家が立直を掛けるも、チャンピオンの親満貫和了、四〇〇〇オールの怒涛に蹴飛ばされた。
(手は入っていたのに……。棒テンならまだしも、あんな大きな手に潰されるとは……。やはり手強いな)
(先輩の言った通り、こいつ、何て太い運だ……。先輩はこんなんと渡り合ってたのかよ)
下家と対面は、チャンピオンの威厳というものを見せつけられ、歯噛みしている。不幸中の幸いと言えば、事前にチャンピオンの強さを知っていたために戦意喪失していないということだろう。
今の和了により、東四局はチャンピオンの連荘一本場で継続。
「何してんのさ、キョータロー!」
観戦場では、正面の巨大な液晶に映る京太郎に向かって淡が叫んでいた。
「そこはダブリーでしょ、ダブリー! ダブリーで和了って一気に畳み掛けるの!」
すかさず菫が拳骨を叩き込み黙らせ、現チーム虎姫のメイトが如才なく周りへ頭を下げていく。
「須賀君、普段私たちと打つ時と全然打ち筋が変わっていませんね……、全く非効率的で、非合理的……。一年前からまるで成長していないみたい……」
和が溢すように言った。
「確かに、まるで素人の打ち方じゃのう。女子の部ではもっと滅茶苦茶な打ち方の輩が居るもんじゃから、すっかり失念しとったな」
まこは苦笑を浮かべた。
「まだ須賀君は哭いてないわね」
久が腕組みをして呟いた。
「亜空間殺法(鳴きを入れることで場の流れを変える戦術)のことですか。確かに、流れが上家にあったあの時にやっていればもしかしたらとは思いますけど」
「それもあるけど、須賀君は何を狙って面前で打っているのかしら」
「本来は面前で打つことこそが普通ですけど……、でもそれまで亜空間殺法を使っていた須賀君があの場面で鳴かなかったのは不可解ですね……。鳴けば分かるのでしょうか」
「あら、和がそう言うなんて。心境の変化かというやつかしら」
「違います。オカルトなんて馬鹿げています。ただ、オカルトを信じて打つ人が何を狙っているのかくらいなら分かります」
心外だという風に和はそっぽを向いた。
して、京太郎が哭きを入れないことに疑問を抱いているのは、何も清澄の彼女らだけではない。この観戦場で、京太郎の打ち筋を知っている者たちは言わずもがな。
京太郎の対戦相手の彼らも疑問を抱いていた。
「これで分かったろう、須賀京太郎。この試合での天運は、俺にある! 天の采配というものだ。今の俺なら、哭きを入れられたところで、運を喰われたりはしない」
チャンピオンは、口上を述べながら自分の下家に居る京太郎を指差して、
「俺は、お前を退けて高嶺へと昇り詰める!」
と結んだ。普段ならチャンピオンは、そんなことはしないはずだった。だがこの相手に対しては別であった。この須賀京太郎という相手は、彼自身が乗り越えるべき壁であるから。そして何より、打ち倒すべき怪物としての畏怖があるから、こうして自らを鼓舞するために強気でなければならなかった。
しかし言われた当人の京太郎からは何の反応も見られなかった。彼は変わらず、卓に肘を突き、その手の甲に顔を乗せて俯いたまま、堪えた様子は見受けられなかった。
まるで糠に釘。恐怖心から逃げようとして、却ってその感情が弥増しになるチャンピオン。
(良い自己PRだ……、俺に対して居丈高なのが頂けないが、それなりに良ポイント)
そんなチャンピオンの感情など露知らず、京太郎は呑気にも、チャンピオンの意識の高さに感心しているばかりであった。
「ポン」
東四局一本場、十巡目。
『あっ、鳴きました! 須賀選手、今試合初の鳴きを入れました!』
京太郎は対面から鳴き、九筒の明刻を作った。
たったひと哭き。ただそれだけで、実況と観戦場はざわつき、対局相手らは身構えた。
(ついに動いたか……)
身構えると同時に、彼らはほっとしている自分に気付く。
この対局で最も警戒しなければならない男とは、即ち須賀京太郎である。それは誰もに共通する認識。それは、現時点で圧倒的トップに立っている上家のチャンピオンとて例外にはあらず。否むしろ、須賀京太郎が一切何も仕掛けてこないまま、ここまで都合良く事が運んでいるからこそ落ち着かなかったのだ。それはさながら、いびきを立てて眠る竜の鼻先に立たされているが如く……。
なお、京太郎はと言うと、
(最終決戦だって聞いて、場を荒らさないように面前で打ってたのに……、鳴きたい衝動を抑えて我慢してたのに……、お前らが煽るから……)
彼は鳴き中毒を発症していた。長期に渡って鳴き麻雀を繰り返してきた彼にとって、最早鳴きとはまばたきに等しい衝動と化していた。
だが京太郎は鳴かなかった。それはひとえに、最終決戦の場に水を差してはならないという彼の中に残った常識がせめいでいた故であった。だのに他三家がやたらと京太郎に鳴きを催促してくる――そう彼には思えた――ものだから、ついに我慢の限界が訪れ、
(そんなに鳴いてほしいんなら、いくらでも鳴いてやるッ! 最近小蒔が俺の鳴き麻雀真似しだしてるって霞さんから苦情を寄せられたが知ったことか。今まで鳴けなかった分まで、お前らが嫌になるまで鳴いてやるぜェ!)
「一つ教えてやる。俺の哭きは牌を喰うんじゃない、牌に命を刻んでいる」
ポン、と京太郎は上家からの西を鳴く。
今、ここに今大会屈指の迷惑雀士が目覚めた。
「ポン」
次は六筒を、同じく上家から。
(ホンイツかトイトイ……、或いは両方。しかし上家【京太郎の対面】も注意しなければ)
チャンピオンは自らの上家の捨牌を盗み見た。
(それと奴の捨牌はほぼ中張牌だけでヤオチュー牌は無く、純チャンかチャンタや、混老頭、下手をすれば清老頭も考えられる。二巡目と三巡目で二、三萬の両面落とし、その後に七索を捨てている。また場には三つ八索が切られていて、現在の流れは対子場。。これらから推測するに、奴は一萬と九索を暗刻にしている)
それから自分の手牌へ目を移す。二三四筒の一盃口になっているが、ここに来て一筒を引いてきてしまった。
(あまり筒子は打ちたくないが、ここは上家【京太郎の対面】へのリスクを避けて――)
打四筒。
「チー」
すかさず京太郎が鳴いた。三四五の順子が出来る。この鳴きで打ち止め。もう哭くことはない。
{裏} {横④③⑤} {横⑥⑥⑥} {横西西西} {⑨横⑨⑨}
鳴いた牌を右に滑らせると、京太郎は手元に残った裸単騎の牌を伏せて、再び肘を突き元の体勢に戻った。
更に二巡後のチャンピオンの自模、一筒。
(これで一二三筒の一盃口。須賀京太郎は今さっき四筒を鳴いたばかり。それに、引っ掛けで筒子以外の牌を裸単騎にしている可能性もある。この四筒は大丈夫なはずだ……)
ふうと息を吐き、四筒を打った。
その瞬間、
「ロン」
自身の上家(京太郎の対面)からの予期せぬロン宣言が入り、チャンピオンは瞠目した。
{123999一一一北北北④}
闇聴の北、三暗刻の四筒単騎待ち。
対面は右端の四筒を強調するように卓に打ち付けてから、
「
卓に肘を掛けチャンピオンに流し目を送る。
「もっと待っていればチャンタや混老頭まで伸びていたのに……、なのに俺を狙うために……」
不覚と小さく歯を剥きながら点棒を卓に置くチャンピオンに、してやったとばかりに対面は片頬でほくそ笑んだ。
「なあ、対面【京太郎】さん。そっちもバカホン*1で、同聴の頭ハネなんだろ、俺には分かるぜ。もう見してくれてもいいんじゃないか」
親しみある笑みで対面は、京太郎の伏せた裸単騎に手を伸ばそうとするのだが、
(イヤン! エッチ!)
京太郎はその牌を掴むと、崩した山の中へと放り込んでしまった。
「捨てた牌は"表"の世界、手の中の牌は"裏"の世界。己れの裏だけは見せられない」
馬鹿に格好付けて有耶無耶にしようとしているが、実際には、
(言えない……。調子に乗って牌を伏せていたら、点棒の受け渡しが終わるまで四筒の裸単騎だってことをすっかり忘れてたなんて恥ずかしくて……)
『チャンピオンに八〇〇〇点直撃! 須賀選手は頭ハネを見逃しです』
『トップ独走のチャンピオンから出来るだけ点を剥ぎ落しておきたかったのでしょうね。須賀選手の手は二六〇〇だから、敢えて対面に譲ったのでしょう。どちらの和了でもチャンピオンの連荘は打ち切りですから』
観戦場はざわざわと盛り上がりの様を呈していた。
対戦相手でありライバルでもある二人の選手が、結託してチャンピオンの連荘を阻止したという構図もさることながら、しかし京太郎が他に和了させる目的で哭きを入れたのではとの荒業の可能性が、何よりも関心を集めていた。
「けしうはあらず、と言ったところだな。油断の隙を突くのは衣とやった時と同じか。龍の如き力を持ちながら、蛇のような手口。まるで蟒蛇」
そう語る衣は、いささか貶すような言葉を使いながらも、実に愉快という顔をしていた。
東場終了時の点数。
トップはチャンピオンの七一〇〇〇。次点で対面の一五〇〇〇、京太郎と下家は同着七〇〇〇。
このSS書くためだけに哭きの竜全巻買いました。褒めて。