哭きの京(とりあえず鳴いとこう)   作:YSHS

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 咲は原作やアニメよりもSSのほうがよく見てるって人は俺だけじゃないはず。お陰で口調とか人間関係とかあやふやになってきました。

 あといっそのこと京ちゃんにパイポとか吸わせてみようかなと考えてみたり……。


天に一番近い場所:中編

 南一局 〇本場 開始。親は再び須賀京太郎。

 

 現在トップはチャンピオンの七一〇〇〇。次点で対面一五〇〇〇、須賀と下家は同着七〇〇〇。

 

 途方もない差ではあるが、各人の顔はさして悲観的ではない。七千点と七万一千点の差はちょうど六万四千点。子の役満を一回直撃させれば並べる程度の数字だし、それにまだ四局ある。これが対面と下家の認識である。

 

 須賀京太郎に至っては、日頃部活仲間をはじめとした麻雀仲間の少女たちにボコボコにされているので、負けるのは慣れているし、そもそも勝敗自体も気にしてはいない。彼はここに、圧迫麻雀面接をしに来たのだ。

 

「対面さんよ、そっちの哭きのお陰で、今流れはこっちに来ている。ひょっとしたらそっちの哭きは、他人のためのものなのかもな」

 

 京太郎の対面は上機嫌で自分の配牌に視線を落として言った。

 

「他人にささげる強運なんて無い、ましてや己の強運に身を任せるほど愚かではない」

 

(訳:いやー、そんなことないですって! 俺なんかただ破壊衝動に身を任せて鳴きまくってただけですもん。最後の鳴きでわざわざ順子を崩したのだって、ただ鳴きたかっただけですもん、ともすると順子になってたの失念してたし! そんなことより、あの乱流の中でチャンピオンさんから直撃取るなんて凄いっす! 尊敬しまっす!)

 

 京太郎は内心テレテレと謙遜していた。今のセリフもそうだが、彼がそれまでに吐いてきたロマンあふれる名言めいたことは、対局者やスタッフ、果ては観戦者ら(主に男)の心にグッと刺さっているのだが、本人はこの通り、格好良いことを言ったつもりは全然なかったことを彼らは知らない。

 

 さりとて、こうして卓の枠に肘を立て、その手の甲に顔を乗せて静かに俯いている姿からは、彼がそれ以前から積み重ねてきた過ち――もとい評判に拠るバイアスも相俟って、とてもそんな風には見えない。故に誰も気付かない。

 

 これを最早、呪いと呼ぶか、雀神(多分色川武大みたいな顔してる)の加護と呼ぶか、それともギャグ補正と呼ぶかは観測者次第である。

 

 さて、局は進んでいく。

 

 前の局では元気いっぱいに鳴き麻雀で場を荒らしていた京太郎であったが、この局では鳴りを潜めている。そのためか各人の自模も良好で、するすると手が進んでいく。

 

立直(リーチ)

 

 先ほどのチャンピオンへの奇襲により、それまでチャンピオン一辺倒だった流れは、確実に変わっている。その流れを掴まんとばかりに、対面は勇み足に即リーチを仕掛けた。

 

 が、その立直に、下家はぞっとしないでいた。

 

(下家【京太郎の対面】の奴、先走っているな、流れが自分のすぐ近くを通っているものだから。だが無理もないか……)

 

 前の局。京太郎の鳴きがあったからこそ、対面はあの手を聴牌出来た。それと並行するように、下家はあのまま一筒を雀頭としてチャンタを仕上げられたのが、京太郎の鳴きによって阻まれたのである。謂わば彼は京太郎の駒としての働きをしていたに過ぎない。

 

(奴もボンクラではない、当然気付いているはずだ。気付いたからこそ気に喰わなかった、だから主導権を握ろうとしているんだ)

 

 しかし対面は、チャンピオンの脅威というものへの意識が希薄化していた。下家はまだ流れからは程遠いために、岡目八目により慎重で居られた、だからチャンピオンの放つ気配を察することが出来た。

 

 次巡、チャンピオンが立直。そのすぐ後、須賀が対面から牌を鳴く。これによってチャンピオン、一発が消える。

 

(前の局は鳴き過ぎたし、今局は控えめにっと……)

 

 須賀京太郎は前の局でしこたま鳴けたことに満足して現在賢者タイム。良かったね。

 

 で、京太郎の鳴きによって、下家には再度自模番が回ってくる。それで引いた牌は二索。

 

(不要牌だが、これは元々は対面のチャンピオンが引くはずのものだった。それに立直の少し前の捨て牌一索と三索が不穏だ)

 

 下家は手牌を崩し、二索を保持することにした。

 

「ツモ!」

 

 {11233②②③③④④南南} ツモ{2}

 

「立直、自模、二盃口。……満貫だな」

 

 薄っすらと腑に落ちない面持ちでチャンピオンは点数申告を行った。視線だけをその倒された手牌へ向けていた下家は、次いで自身の手牌の左端で浮いている二索へ視線を流して、それからしめやかにこれらを伏せた。

 

『チャンピオン、前局の挽回とばかりに満貫和了しました。対照的に須賀選手、親被りにより残り三〇〇〇点。次の局からは、子の倍満か親の三翻四十符の自模和了でトビです』

 

『もし須賀選手が鳴いていなければ一発が付いて跳満でしたね。パッと見チャンピオンの独走状態を維持しているように見えますが、彼の表情からしてもペースを乱されていますね』

 

『ふむふむ、この試合、まだまだどう転ぶか分かりませんね!』

 

 実況の興奮したアナウンスにより、観戦場でははらはらとした緊張感が漂っていた。

 

 この、すぐにでも決着が付いてもおかしくない、消化試合が続くだけの、退屈とさえ思えるような、既に結果が出ているも同然の点差。それでも観戦者たちは、ここからどう転ぶかが気になって気になって仕方がないらしかった。

 

「今のって……」

 

 菓子を齧るのも忘れて、照は目を丸くして画面を見つめていた。

 

「どったの?」

 

「腹でも痛いのか?」

 

 心配そうに彼女の顔を覗き込み、気遣う淡と菫を横に、

 

「相手の和了を統制しての点数調整……」

 

 と照は呟いた。

 

「点数調整?」

 

 淡と菫は顔を合わせて、『点数調整』という単語に疑問符を浮かべた。他の白糸台のメンバーにも視線で尋ねたが、いずれも小首を傾げるばかりであった。

 

 場は南二局へと進む。

 

 下家は先ほどの、京太郎によるチャンピオンの跳満和了り妨害を思い起こして、視線で京太郎へ畏敬の念を送った。

 

(うわぁ……、下家の人がガッツリ俺のこと見てる……。お前のせいでチャンピオンが満貫ツモっちゃったじゃねえかって眼してる!……。すんません、次の局こそ鳴きませんから!)

 

 なお、京太郎は、鳴きによって自模順がどのように変わるかなんて全く把握していないため、言うに及ばず先ほどの対面からの鳴きがファインプレイであることなど思ってもいない。

 

 配牌が完了した。親の下家がまず一枚目を切り、局が始まる。

 

(ひとまずここは、棒テンで和了して連荘を狙うしかない。高い手を自模和了りしてしまったら、須賀のハコテンで対局が終了する。チャンピオンを狙い撃ちにするのが理想的だが、そのためには迷彩を作る必要があるし、チャンピオンが悠長にそれを待ってくれるわけもない)

 

 そうこうしている内に対面が

 

「立直!」

 

 と勇み立直を掛けた。下家はぎょっと対面を見やった。

 

(こいつ、まだ諦めていないのか。とは言え奴も俺と同じで安手にしているはず。しかしどうして黙聴にしない……)

 

 まさか、と下家の背筋に悪寒が走った。

 

(高い手でチャンピオンを狙い撃ちにしようと? 何て無茶な賭けを……)

 

 そして下家の嫌な予感は、次のチャンピオンの自模番にて確信に変わる。

 

「カン」

 

 チャンピオン、自模ってきた牌で暗槓。その時捲られた新ドラ表示牌に、対面が動揺の色を見せた。

 

(下家【京太郎の対面】はドラがモロ乗り。俺の手にある九筒がそうだから、奴は九筒を暗刻にしているな)

 

「立直」

 

 それからチャンピオンは牌を横向きに打って宣言した。

 

(チャンピオンの追っかけ。下手をしたら下家【京太郎の対面】の当たり牌を察知して同聴にしていることもあり得る。もし下家【京太郎の対面】の手が倍満になっていたとしたら、……いや、なっていなくても裏ドラのリスクを考えれば和了はためらわれる)

 

 通常なら、追い詰められた際のネガティヴ思考としてかぶりを振るところ。しかし彼が今相手にしているのは、全国各地の手練れを打倒してきた猛者であり、そういった極端な状況を呼び込むことも十分に考えられる強運の持ち主たちだ。

 

 下家は鳴きを入れることを考えたが、しかしそのための対子が彼には無い。

 

 彼の読みの通り、チャンピオンと対面は同聴。しかも対面は今の新ドラが手牌の暗刻にモロ乗りし、なおかつチャンピオンの手牌はどう低く見積もっても満貫。

 

(流れは上家【京太郎の対面】の方に傾きつつあるけど、皮肉にもそれが仇となっている。そこを突いてこの手を奴と同じく四索待ちにして直取りを……)

 

 続く京太郎の切る牌でも、下家はチーを入れることは叶わず。

 

(これまでか……)

 

 諦め半分に下家は牌を打った。

 

「ポン」

 

 急遽入ってきた鳴きの声に、下家ははっと沈んでいた意識を引き戻された。見れば、横から伸びてきた手が彼の河に捨てられた牌を取っているところであった。

 

 その手の主の京太郎は、自分の手から倒した対子に、取ってきた牌を繋げて卓の右下に寄せた。

 

 そうして京太郎が牌を捨てたことで、もう一度下家に自模が回ってくる。下家はその通りに牌を取って、そうして引いてきた四索を見てゴクリと唾を飲んだ。

 

(如何にもな危険牌、これは打てない。だが七索を落として、これでカンチャン待ちで聴牌。あとは自模のみで和了れば……)

 

 自らの手牌から、たった一つ残った不要牌を切り、下家は黙聴で場を回した。あとは対面とチャンピオンが当たり牌を掴まないことを祈るのみ。

 

 その祈りが届いた偶然か、或いは必然か、

 

「ツモ!」

 

 下家が自分の当たり牌を掴み、和了。

 

 {三四五⑦⑧⑨46888白白}

 

「自模のみ、一翻……、いや――」

 

 と口を止めて彼はドラ表示牌にある三萬と八筒を見て、

 

「ドラ二で……二〇〇〇オール」

 

 二〇〇〇オールにより合計六〇〇〇点、チャンピオンと対面のリー棒合わせて下家は八〇〇〇点獲得。

 

 しかし素直に喜べはしない。何故ならこれで京太郎は残り一〇〇〇点。これはノーテン罰符でも飛ぶ点数である。ハコテンによる対局終了は免れはしたものの、それでも京太郎、及び下家と対面はますます追い詰められていることは変わらない。

 

(それで大丈夫なのか、須賀京太郎。あんた、どうしてそんな落ち着いて居られるんだ)

 

(おお? 下家が何とも言えない顔でこっち見てる。ははーん、さては前の局の俺の鳴きを恨みがましく思ったけど、今の局で自分が和了出来たもんだから気まずいんだな?)

 

 この場で一番追い詰められているはずの京太郎は呑気にそんなことを考えていた。

 

 下家に二千点を支払う際に、引き出しに残った百点棒十本を彼とて見ていないわけではなかった。ところが彼はそれを見た時、焦燥の表情を浮かべるどころか、むしろ世の無情を見てきた老人さながらの達観した顔付きをしていた。

 

 全ては、嶺上魔王――もとい自身の幼馴染の咲たちをはじめとした麻雀少女たちにさんざん点棒を絞られた挙句に高い手振り込まされまくったという哀しい過去があった故に。

 

 次、南二局 下家の連荘 一本場。

 

「ロン、八〇〇〇は八三〇〇」

 

「ぐっ……」

 

 下家がチャンピオンへの満貫振り込み。これで下家は死んだも同然。東場での勢いはもう目に見えて衰えはしても、それでもチャンピオンとしての意地というものを見せつけた。

 

 その出和了でチャンピオンが目を向けたのは、たった今直撃を取った下家でも、ましてや対面でもなく、自身が倒さなくてはならない敵――雀士としての強さを証明するために、そして自身が思いを寄せる少女を迎えに行くために倒さねばならぬ因縁の相手、須賀京太郎であった。

 

「さあ、どうする、須賀京太郎。南場は残り二局、今更踏ん張ったところで、たったの千点のお前に対して俺は八万五千三百。役満を最低でも一回は俺に直撃させなければ、まず勝ち目は無い」

 

 チャンピオンは捲し立てる。しかしその表情に余裕は見られず、むしろ追い詰められているようにさえ見える。か弱き人間が、恐ろしい龍に向かって必死に剣を突き出すように。

 

 ただ、その怯えを抜きにしても須賀京太郎は一切チャンピオンの啖呵に揺れることはなかった。

 

 彼はじろりと瞳だけをチャンピオンへ向け、呆れたような溜息を吐くと、

 

「それ以上話すと――言葉が白けるぜ」

 

(圧迫面接テクニックその三……あれ、四だったっけ? まあいいや……呆れたような溜息の後でそれまでの相手の発言全否定! 微妙に面接の時間が残っていることがミソ。その僅かな苦痛の時間が長く感じるのだ!)

 

 まだやってたのか。

 

 しかしやはりと言うべきか、観戦場では京太郎による含蓄の――実際には無いけど――ある言葉は受けていた。大口叩きなどと嘲っている口さがない輩も中には居るが、概ねは好評であった。どうかすると龍門渕透華が、

 

「わたくしも名言を製造すれば目立てるかしら」

 

 と検討するほどである。

 

「そうだね」

 

 周りから異口同音にその一言で流されてしまったが。

 

 南三局 〇本場 親は対面。

 

(あー鳴きてえぇぇぇぇぇぇぇぇ……、鳴きてえよおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……)

 

 前の局で全然鳴けなかった京太郎は禁断症状に陥っていた。連荘の東四局にてさんざん鳴いたということでしばし落ち着きを取り戻し、油断してその後二局続けて一回ずつしか鳴かなかったことが災いしたのだ。

 

 そんな彼の前に、中が出ようものなら――、

 

(わーい、中だー! 京ちゃん三元牌大好き―!)

 

「ポン」

 

 京太郎は上家のチャンピオンから中を鳴いた。

 

(奴がまた哭いた……、鳴き返すか? いや、奴に合わせるのは却って危険なのは分かり切ったことだ)

 

 チャンピオンは冷や汗を流して激しい葛藤をしていた。ひょっとしたら向こうはこちらが動くことを想定しているかもしれない、かと言って動かなければ相手の思う壺、と、裏の裏の裏まで読まんと必死に思考を凝らしていた。

 

 その彼のそばで京太郎は、

 

(三元牌って、白肌、緑髪、赤唇の美人三大要素らしいけど、何でオモチは無いんだろう……。あ、分かった、パイって読み自体にオモチの意味が含まれてるんだな!)

 

 などと訳の分からないことを考えている。

 

「チー」

 

 京太郎、くだらないことを考えつつまたもチャンピオンから鳴く。

 

 鳴かれたチャンピオンは心中穏やかではなかった。鳴かれる度に彼の中では、鳴き返そうか、いや耐えるんだという声がせめぎ合っていた。が、彼にとっての脅威は京太郎のみではなかった。

 

「立直ッ!」

 

 対面だ。彼はまだ死んでいなかったのだ。彼は吠えるように立直を掛けた。この局は彼の最後の親番。連荘し続けていけばチャンピオンに打ち勝つ道が開ける。即ち最後のチャンスなのだ。

 

 そうして勝負が引き延ばされれば、対面のみならず、下家も復活し、何より京太郎という脅威が大きくなる。

 

「カン」

 

 京太郎が、持ってきた中を加槓したことで、その動揺は輪を掛けて大きくなった。

 

 真っ暗闇の迷宮の中、手負いの怪物たちに、同じく自分も手負いの状態で追われる恐怖に似ている。これに苛まれながら、チャンピオンは慎重に牌を進めていく。それから三巡して、ようよう彼は聴牌をしたのであった。京太郎を見て、自分は助かったのだ、生き延びたのだと安心した。

 

(でも、これでいいのか?……)

 

 チャンピオンは自らの手牌へ目を移す。タンヤオ、平和(ピンフ)のみ。出和了りなら二〇〇〇、自模和了なら七〇〇・一三〇〇。京太郎をハコテンにすることこそ叶わずとも、和了りさえすればチャンピオンの勝利は確定である。

 

(逃げるのか?……)

 

 そんな馬鹿げた想念が過る。

 

(そんな勝ち方で三連覇を成し遂げた俺は、その後のインタビューでどう答える……。完勝したとおめおめ語るつもりか、だからと言って、尻尾巻いて勝ち逃げしましたとへらへら言うのか。果たしてその足で宮永さんのもとへ行けるのか)

 

 チャンピオンは自身の手元に残った最後の浮き牌を握り締める。

 

(周りはきっと俺を祝福してくれるだろう。でも俺自身は許せないッ……、俺自身が認められなくては、勝ったとは言えないッ……。何故なら、俺の勝利は俺のモノだからだ! 余人のための勝利ではないんだ!)

 

「立直!」

 

 決意の打牌を遂げ、リー棒を場へ放つ。これで立直の一翻の付加により、自模りで一三〇〇・二六〇〇。残り千点の京太郎はトぶ……。英雄(チャンピオン)は、飽くまで完全なる勝利を求め、選んだのだ。

 

「あンた――」

 

 京太郎はそんなチャンピオンに、唸るように、そして囁くように呼び掛けた。

 

 その呼び声に彼は一瞬だけ怖気を感じてビクリと肩を震わせるも、それでも、勇ましい表情をプライドで以ってどうにか保ちながら、自分の下家に鎮座する一匹の竜へと顔を向けた。

 

「背中が煤けてるぜ」

 

 チーという発声と共に京太郎は一萬を哭き、そうして出来上がった一二三萬の順子を脇の副露牌に重ねると、その後三萬を手出しで河へ流した。

 

(ククク……、俺一人を倒したところで、あんたにはまだ宮永一家との圧迫麻雀面接が残っているんだぜ……。宮永照という大魔王、並びにその生みの親である破壊神こと宮永母を相手にして、果たして焼き尽くされずには居られるかな? ――宮永父はシラネ)

 

 これだけ格好良い台詞を吐いておきながら、実際の本人の意図は、実に他力本願で、卑屈な、小物臭いものであった。知らぬが華とは、いみじく言ったもの。

 

 次巡にて、チャンピオンは一萬を自模。彼は京太郎の捨て牌にある真新しい三萬を見て、それから副露された一二三萬の順子二つに中の槓子を見た。

 

(どの道、立直をしたら当たり牌以外は捨てなきゃならない……)

 

 意を決してその一萬を打った。

 

「……ロン」

 

 そう告げながら京太郎は、卓の脇の副露牌をやおら中央まで押し、手牌を左から右へ指でなぞる要領で倒した。

 

 {二三九九} {横一二三} {横二一三} {中横中中中} ロン{一}

 

「……中、ホンイツ、チャンタ。満貫だな」

 

 チャンピオンは静かに言うと、八〇〇〇点の点棒と、場に出ていたリー棒二本を潔く京太郎へ差し出した。

 

(何で時々、四翻なのに満貫になるんだろう……)

 

 素人丸出しの疑問を浮かべつつも、京太郎は点棒を受け取った。

 

『満貫炸裂ッ! 須賀選手の本対局初の和了にして、チャンピオンの本対局初の満貫直撃です!』

 

『チャンピオンは飽くまで須賀選手を飛ばして完全勝利を目指したことで、今の振り込みをしてしまったようですね』

 

『三連覇を見据えて臨む試合で、王者の矜持が逃げを許さなかったのでしょうか! さて、いよいよ南四局です! 鳴いても笑ってもオーラス! 依然チャンピオンの断トツは変わらないにも拘わらず、どちらへ転ぶか分からない勝負となっております!』

 

 実況のテンションはいよいよピークに達している。いや、ピークに近いと言うべきか。これに煽られて、今しがた京太郎が和了した満貫への盛り上がりは、彼が口にした決め台詞も手伝ってひとしおになっている。

 

「わたくしも何か決め台詞があれば、もっと目立てるのかしら」

 

 透華は頬に手を当てて考え込んでいる。

 

「試合始まる前からそればっかだよな。何だその対抗心、どっから来るんだ」

 

 と、井上純はついに、本試合以前から終始目立つことばかり考えている透華にツッコミを入れた。

 

「だって、もう結果は見えた対局ですもの、楽しみが一つ減っているのなら、一つくらいわたくし自身の楽しみを見つけてもバチは当たりませんわ」

 

 余裕綽々の態度で言ってのける彼女であったが、その頭頂部から生えているアホ毛は、興奮した犬の尻尾さながらにふりふりとせわしなく振られている。

 

「そうか? むしろ衣は興が乗った。きょうたろーは、あたかも自分が追い詰められているみたいに魅せるのが巧い! ハラハラするぞ!」

 

 衣が楽しげに言うと、

 

「分かってるじゃん」

 

 と横から入ってくる者が居た。

 

「キョウタロウは自分を弱く見せる演出が本当に上手なんだよね。エンターテイナーとしても良し、だからますます欲しくなるんだよね」

 

 こう言ってその彼女は笑ってみせた。その微妙に違和感を感じさせるイントネーションから、外国人の少女であることは分かる。

 

「ほう、分かるか」

 

 衣は等閑する眼で返した。

 

「分かるよ、だってネリーが見つけたんだもん。いつかネリーのものになるんだ、キョウタロウは、ビジネスパートナーっていう形でね」

 

 そう高らかに言ってのける、ネリーと名乗った少女に、衣はふっと聞こえよがしにせせら笑うと、

 

「笑止千万とはいみじく言った――否、笑止兆万と言わせ賜わるぞ。よもや金子などという、(まなこ)にも映る凡俗のための指標であの男を計ろうとは」

 

「なんにも考えないで、ただ欲しいってワガママで欲しがるより、計画を持ってるほうが良いんじゃない?」

 

 何やらギスギスした雰囲気。衣も、ネリーも、どちらも小柄で可愛らしい容貌であるにも拘わらず、緊張感が漂っている。

 

 で、そこで、

 

『なあ、対面さん、そっちはここからどうするってんだ……』

 

 現場を映す液晶の向こうでは、京太郎の対面が不意に京太郎へ語り掛けていた。

 

「現在トップのチャンピオンさんは七六三〇〇点、対してそっちは一一〇〇〇点。実に六五三〇〇の差だ。役満(ちょく)っても一三〇〇の差で勝てない。なのに何故そんな平然としてられるんだよ……」

 

 よもや逆転の道を潰されて完全に心が折れた対面は、恨めしそうに呻く調子でぼそぼそと述懐した。

 

 勝てない、と、対面は言っていたが、これは正確ではない。場にリー棒が二本出れば、彼の言っていた一三〇〇という差は捲れなくはない。が、彼が敢えてそのことを言わなかったのは――京太郎への恨みのこともあるが――そもそもここに来て役満をチャンピオンに直撃させられる可能性はあまりにも薄過ぎるからである。

 

 それに、他二人が立直を掛ける意味は無い。下家は四七〇〇、対面は八〇〇〇。二人ともトップ逆転の可能性は完全に潰れた。そんな彼らが、わざわざ立直して京太郎に協力をするわけがない。

 

 だから対面は、下家は、さも逆転を確信しているみたいに態度の変わらない京太郎を不思議に思う。一体この男は、何が見えている。そして我々に何を宣ってくれる。

 

 迷い惑い、道を見失った二人は、神頼みをした後の人間がそうするように、次の局の準備をしていく。

 

 少しして、京太郎はおもむろに口を開く。

 

「他人の命構うより、己の命――磨きなよ」

 

(訳:いやー、お気遣いどうもです! でもお構いなく! 俺、最初っから期待なんかしちゃいませんから! お互い、どうせ勝てないんなら、最後くらいは高い手狙っていきましょう!)

 

 ちなみに京太郎は、対面の最後の親番を流したことについては把握していなかったりする。そんなこと意識出来るほど麻雀が出来るわけがない。だから彼はてっきり、対面の渋面は、ただ疲れているんだなと思っていて、恨まれているなどとは知りもしない。

 

 そして南四局オーラスが、いよいよ始まる。

 

 勝負はこの局で、決する。


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