灯台戦争にて、オーシア軍ロングレンジ部隊ストライダー1パイロット“トリガー”であるあなたは、ADF-11無人戦闘機“フギン”と“ムニン”を撃墜し、大陸を襲った混乱にひとまずの区切りをつけた。
ところが、あなたの勤務するフォートグレイス基地に、2機の無人機が突如舞い降りる。しかも無人機は見目麗しい少女の姿へ変形した。ふたりの美少女は、自分たちはフギンとムニンだと名乗ったのである。

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SKY FALL

 優れた科学技術と世界的淫棒、いや陰謀の卸元になることを好むベルカ人。その血を引くドクター・シュローデルはいまや無人戦闘機からの開発からは手を引いていた。もう二度と戦争という悲劇を招来してはならない。無人戦闘機の台頭は、攻撃を仕掛ける側にも必ず覚悟を強いていた人的損失のリスクを戦争から駆逐したことで、開戦という政治的狂気、軍事的冒険のハードルを大幅に下げてしまうものだった。

 シュローデルとて、兵器があるから戦争が起きるなどとは思っていない。実際は逆だ。戦争があるから兵器の需要を生むのである。

 しかし、エルジア王国の宣戦布告からはじまった、軌道エレベータをめぐる一連の悲劇に少なからず関与してきた彼にとって、無人戦闘機という兵器の研究はもはやただの空虚なマスターベーションに成り下がった。科学とは、人を悲しませるものであってはいけない。人を幸福にするものでなければならない。それは人が生まれてきた理由にも通じよう。人はだれかを幸せにするために存在する。

 戦争が元で生まれた技術が平和利用されている例も数え上げたらきりがない。シュローデルが愛してやまないランドセルも元々は某国陸軍の背嚢がモデルなのだ。某国にシュローデルが感謝しない日はこれまでなかったし、これからもないだろう。

 ならば、無人機を研究しつづけてきた自分の知識は、兵器ではなく、ランドセルのように人々の生活を豊かにするもののために応用するべきだし、できるのではないか。シュローデルの新たな戦いがはじまった。

 そしていま、シュローデルの汗と涙の結晶がロールアウトの瞬間を迎えようとしている。

 ふたつのポッドに一人ずつ眠っている、人形のような美少女こそが、シュローデルの理想を具現化した試作品であった。

 一卵性双生児のように瓜二つの容貌は外見で区別することは困難であるため、安直ではあるが、一方をロングのストレートヘアに、他方を巻き毛のショートカットにしてある。

 ロングヘアの少女のコードネームは、フギン。

 髪の短い少女は、ムニン。

 全身が工業製品で成立する人造人間、いわばアンドロイドである。分子から生体細胞を培養して育てるがゆえに内部構造と代謝が人間と変わらないアートルーパーとは、筐体が機械と石油製品からなるという点で異なる。しかし、いまやアンドロイドの、とりわけ顔の造形技術は「不気味の谷」を飛び越え、本物の人間と見分けはつかない。となると、自由にカスタマイズできるアンドロイドの顔は設計者、あるいは顧客のオーダーを完璧に表現できることになる。

 極東のノースポイントでは、人形は顔が命といわれているという。

 フギンとムニンの美貌こそは、まさにシュローデルの科学者人生において最高傑作と自画自賛にたる出来映えであった。このために似顔絵教室にまで通ったのである。

 シュローデルはふたりの眠れる美少女を交互に見つめた。光を反射した部分が虹色に輝く銀髪には天使の輪ができている。麗々しい眉毛の下には、理想的な円弧で上に反る長いまつ毛が整然と並ぶ。新雪のようなほほにわずかにそよぐ産毛のえもいわれぬ情緒。削いだように高い鼻梁には誇り高さを託した。桃色の唇は血の通った人間とおなじ温かみが感じられる。それらが完璧な配置で収まった寝顔は、深窓の美姫と壮語して憚られることとてあるまい。

 シュローデルがアクティベートの指令を打ち込む。

 ポッドのキャノピが二枚貝のように開く。信号を送られたフギンのまつ毛が震える。ムニンがわずかに瞳を開けた。よく晴れた青空を閉じ込めたようなその目が、生まれて初めての受光にも的確に対応して瞳孔を絞る。

 フギンは次に半身を起こしながら華奢な両腕を伸ばし、月光を編んだような髪を悶えさせながら大あくびをした。アンドロイドにあくびは必要ない。すべてシュローデルのオーダーである。といって彼女たちの一挙手一投足をシュローデルが操作しているのではなかった。すなわち、ある状況では一定の確率で定められたアクションを実行するというルーティンをあらかじめ設定しておき、彼女たちはその係数にしたがっているにすぎない。

 ようするに、「寝起きに大きな口をあけてあくびする美少女いいよね」とシュローデルが設定したということである。ただし、毎回おなじ状況でおなじアクションを繰り返していると、人間はどうしても対象が機械だということを思い出してしまう。人間はアンドロイドに気持ちよく騙されることを望んでいる。ある程度の確率で、というのは、人間のもつ規則性とランダム性とを両立させるべくシュローデルが疑似乱数で再現したものである。

 ムニンはというと、フギンのような大あくびはせず、視界にシュローデルを捉えると、ポッドのシート上に楚々としたたたずまいで座り直し、

「おはようございます、おとうさま」

 と、深々と頭を下げた。ついで、フギンは目を手でこすりながらいま気づいたというように「あ、おはようパパ」とぞんざいに言った。

 完璧だ、とシュローデルは体の芯から打ち震えた。

 ところが、余韻にひたる間もなく、フギンとムニンは生みの親たるシュローデルに、まったく同時に、こう訊ねたのである。

「とりがーお兄ちゃんはどこ」

「とりがーお兄さまはいずこ」

 

  ◇

 

 あなたはオーシア国防空軍第508戦術戦闘飛行隊の戦闘機パイロットとして、ここ、IUN国際停戦監視軍フォートグレイス島基地飛行隊でアラート任務に就いていたところへ、非常ベルのけたたましい悲鳴に本能的に反応して待機所を飛び出し、アラートハンガーのドアを両手で叩き破るように開け放った。広大で天井も高い格納庫では、あなたにアサインされているF-22戦闘機と、その発進準備のために鞅掌(おうしょう)する列線整備員らが待っていた。

「ホットスクランブルとは、ついてねえなトリガー」

 あなたの背中を、どこか嬉しそうな怒鳴り声が追いかけてきた。あなたと同様にフライトスーツを着用して走ってくる、この軽薄そうな男こそは、あなたの僚機(ウィングマン)であり、TACネームをカウントといった。あなたはカウントの本名を知らない。カウントもまたあなたの本名を知らなかった。カウントにとって、あなたはトリガーというTACネームのパイロットであり、自身が所属する508戦術戦闘飛行隊の一番機であるということがなにより重要だからだ。逆もまたしかりである。彼らのみならず、戦闘機パイロットはおなじ基地に勤務していても互いの名字さえ知らない場合が少なくなかった。戦闘機乗りはしばしばTACネームが本名より優越する人種であることも関係しているだろう。

 あなたは梯子(タラップ)を駆けのぼって戦闘機のコックピットにみずからを収め、脚をスイッチ類に触れぬよう注意しながらレッグスペースへと差し込む。整備員の手を借りながらハーネスを装着し、自分を射出座席に拘束する。フライトヘルメットの無線機のコードと酸素マスクのホースを接続し、耐Gスーツのホースも繋いで、整備員が梯子を外したのを確認してキャノピを下ろす。周辺の喧騒が遮音されたキャビン内で、酸素マスクから送り込まれる生ぬるく乾いた酸素を胸いっぱいに吸う。コードを通じて電源の入ったヘルメット・マウンテッド・ディスプレイが起動。バイザーの内側に諸情報が投影される。視線入力の感度も問題なし。

 スクランブル用に省略されたチェック項目を手早く、確実に消化し、あなたは整備員に人差し指を立てる。整備員もおなじ指を上げて応答。あなたはエンジンマスタースイッチをオンにしてJFS(ジェット・フューエル・スターター)を叩き起こす。超強力な掃除機のような轟音。火災警告灯が点いていないことを確かめてからJFSの動力をメインエンジンと接続する。整備員に指を2本立てて合図し、まず右のエンジンを点火。スロットル位置は18%。ファンタービン入り口温度計が600度で安定したのを見て、左エンジンも始動。

 兵装の確認を実施。あなたは両手をあげてスイッチに触れていないことをアピールする。兵装担当の整備員がAIM-9X空対空ミサイル2発の安全ピンを引き抜いて、あなたに示す。あなたは親指を立てて了解する。ミサイルの装填されたウェポンベイを格納。

 戦闘機をいちからスタートさせるには30分かかるが、その準備時間の大半を占めるINS(慣性航法装置)の自立はあらかじめなされている。ゆえにエンジンに火が入れば発進可能だ。あなたはトーイングカーの力も借りず誘導路へ機体を進める。同様にカウントのF-22もついてくる。

 エンジン推力とラダーペダルでタキシングしながら、あなたは管制塔へ無線で離陸の許可を求める。トークボタンを放すと即座に返答が届く。

「Mage1, Tower, You are cleared for take off when ready. Wind two seven zero, six. QFE seven seven two point six, After take off vector one one zero, Climb four zero, Contact SkyKeeper.」(メイジ1、準備整いしだい離陸を許可。方位2-7-0から風速6ノットの風。QFEを772.6に設定し、離陸後は針路1-1-0にとり、高度4万フィートまで上昇、AWACS〈スカイキーパー〉の指示を受けろ)

 離陸滑走位置につき、あなたは停止することなくスロットルレバーを目いっぱい前へ進める。ランニング・テイクオフ。アフターバーナーが点火され、推力156キロニュートンのF119-PW-100エンジン2基、つまり主力戦車5輌ぶんの質量の物体を1メートル毎秒毎秒で加速させる化け物が、島を揺るがす咆哮とともに青く美しい火炎を噴射する。

 天使に背中を押される。

 キャノピの外の風景がたちまち溶けて、水平の線のミルフィーユになって後方へ流れていく。左の滑走路を並走しているカウントの乗機だけが形状を留めている。あなたの背が座席の背もたれにめり込まんばかりに押しつけられる。常人なら恐怖と吐き気を覚える急加速。だがあなたは、戦闘機に乗って離陸する瞬間が嫌いではない。飛ぶために設計された炭素複合材の集合体が、地球の重力のくびきから解き放たれ、ついに大空へと飛び立つ鳥へと生まれ変わる、この瞬間が。

 まったくおなじタイミングで車輪を格納したあなたとカウントは、すぐさま機首を起こし、ズーム上昇で高度1万2000mの天空世界をめざす。空の青が深みを増す。地上の光景はミニチュアから地図へとその縮尺を早変わりさせていく。

「Mage, SkyKeeper. Under my control.」(メイジ隊、こちらAWACS〈スカイキーパー〉。きみたちはこちらの指揮下に入った)

 AWACSからの無線に編隊長のあなたは答えない。対領空侵犯措置では不明機が視認できるまで邀撃機側からの無線は封鎖されている。指示を受けるだけだ。

 AWACSからリンク16でレーダ情報が送信されてくるため、あなたが自機のレーダを起動していなくても、4基あるカラー液晶多機能表示装置のうちのひとつであるレーダ画面には、自機上方からの俯瞰図が得られている。自分からはアクティブな電波をいっさい発信しないことで、あなたのF-22はほぼ完全なステルス性を保つことができるのだ。スカイキーパー管制官からの無線は続く。

「Mage, SkyKeeper, Picture, Bogey 2groups

bullseye two niner zero, For three zero, Angels three eight, Hot.」(メイジ隊、スカイキーパーより。不明機は2グループ。参照点より方位2-9-0、距離30海里、高度3万8000フィート、接近中)

 防空識別圏に侵入した国籍不明機は複数であることがここでようやくあなたにもわかる。だがまだAWACSにもくわしい数はわからないらしい。2グループとは反応が2つあるという意味だが、波長の長いSバンドを用いるAWACSのレーダは捜索距離に秀でる一方で分解能を苦手とする。密集した編隊をひとつの反応として表示している可能性があるということだ。輝点ひとつが1機とわかっていればグループではなくシップと表現するだろう。目標グループとの距離は数十㎞前方に設定されている参照点からさらに30海里(54㎞)あるとのことなので、昼でも星が見えるあなたにもさすがにまだ視認できなかった。

 やがてスカイキーパーの知らせる彼我の距離が急速に縮む。「Mage1, SkyKeeper, Bogey 2ships. Merged.」(トリガー、こちらスカイキーパー。不明機は2機と判明。会敵)

 会敵とは不明機があなたの機と5海里以内にまで接近したという意味だ。とっくにあなたの網膜に不明機が映っていてもおかしくなかった。だが、あなたはバイザーごしに、昼なのに暗い群青の空と、危険なほどぎらぎらと眩しい太陽、眼下を這う白雲しか捉えていない。

「メイジ隊、スカイキーパー。無線封鎖を解除する。メイジ1、ボギーズを目視確認できるか」

 あなたはネガティブと返す。カウントも未確認機を発見できていないようだった。

「レーダ上ではボギーズは2機とも人間ほどの大きさしかない」

「RCSで言や、ステルスってほどでもねえようだな」

 スカイキーパーにカウントが返すとおり、すでにレガシーと化しつつあるF-22ですら、レーダ反射断面積(RCS)は蜜蜂ほどしかない。人間ほどのRCSは非ステルス機にしては小さく、ステルス機としては大きい。

「待て、トリガー、なんかいたぞ。12時の方向、ちょい下だ」

 カウントの無線にあなたは目をこらす。あなたより後上方の援護位置にいるカウントに見えたとしても、正面の下方向は機首が視界の邪魔になる。

 悪寒に左へロールし急旋回した瞬間、あなたの足元――あなたは機体を左に90度傾けているから水平飛行を続けていた場合はキャノピのすぐ右だ――を、漆黒の稲妻が逆さに迸っていった。直後にもういちど影があなたの死角である機体下面から垂直に真上へ急上昇していく。

 姿勢を戻す。あなたは確かに見た。人間ほどの機体に、前へ腕を伸ばしたような前進翼、キャノピのない顔なしの機首。

見えた(Tally)。あの機体は」

 カウントも驚きを隠せないようだった。あなたも同様だ。忘れるはずもなかった。エルジア王国の電光石火のごとき先制攻撃からはじまった泥沼の戦争、その終局となった軌道エレベータでの、人の生んだ人ならざるものとの最終決戦。

 亡国の王の末裔にして、過去のさまざまな戦争で「天界の王」と畏怖されたエースパイロット、ミハイ・ア=シラージ翁の空戦データをインストールされた、最強の無人戦闘機ADF-11。その双子と、あなたは熾烈なドッグファイトを繰り広げた。最後はあなたがADF-11を2機とも撃墜し、世界中の無人機工場からミハイ老のデータを入力された、だれの命令も受け付けない無数の無人戦闘機が産声をあげるという最悪の事態だけは防ぐことができた。

「まだ終わってなかったってのかよ」

 カウントにあなたは同感だと緊張を高める。ADF-11の機体だけならまだしも、どこかの勢力がミハイの戦闘データのコピーまでひそかに手に入れていたとしたら、老練なエースパイロットの技術と人間離れした運動性をあわせもち、さらには戦闘機の構成要素でもっとも量産しにくい部品であるパイロットを不要とするためにいくらでも増勢が可能な、地獄の軍団が誕生してしまう。

 しかし、あなたは内心で首をかしげる。ADF-11にしてはやけに小型だ。ノーズユニットのようでもあるが武装も見えなかった。ステルス機がえてしてそうであるように機内に兵装を収納している可能性はゼロではないが、あんな人間程度の機体規模では満足な火器をしまいこむなど不可能だ。

 とまどっていると、雲すら存在できない蒼空から、ボギー2機が逆落としにあなたの機へ突っ込んでくる。激突するかに思えた2機は直前で軌道を変え、自由自在に加減速しながらあなたの周囲を衛星のように回りはじめた。

「トリガー、大丈夫か」

 カウントの問いかけにあなたはひとまずジッパーコードで返事をする。あなたは水平飛行をつづけながら2機の不明機を観察した。レーダの照射や後方に占位するといった敵対行動は見られない。外形はまさしくADF-11に相違ないが、サイズが大きめのラジコン模型ほどしかないのはどういうことか。

「スカイキーパー、トリガーがバンディッツにまとわりつかれてる。攻撃して構わんよな」

「ネガティブ。まだ目標がバンディットとは判明していない」

「どうせ無人機だぜ」

「無人機かどうかも現時点では明らかではない。攻撃は禁じる」

「どういうことだ、キャノピもない」

「近年、グラスキャノピのない有人戦闘機が開発されているという情報がある。それはコフィンシステムとあだ名されている」

棺桶(コフィン)。ファイターパイロットにゃお似合いだな」

「目標がそのコフィンシステムの概念実証機あるいは試作機という可能性もある。手出しはするな」

 あなたにはカウントの長いため息が聞こえた気がした。オーシアとしては、戦争になるならなるで、開戦のきっかけとなる第一撃は自国ではなく相手から引かれたという大義名分が欲しいのだった。その結果として自軍のパイロットが犠牲になったとしても、損得勘定の天秤は先制攻撃を受けた事実のほうにかたむく。それがオーシアだった。

「メイジ2、ボギーに無線で退去を勧告せよ」

「こいつは絶対に無人機だ。自販機に話しかけるようなもんだぜ。俺はいやだね」

 カウントがその調子なので無線による通告はあなたが行なうことになった。国際緊急周波数に切り替え、いくつかの言語でコースの変更を促し、従わない場合は実力行使に移る旨を伝える。ボギー2機の挙動に変化は確認できない。このままだとあと数分で領空侵犯(オンマップ)となる。

「メイジ1、ボギーズを強制着陸させてくれ」

 やむをえないという口調でスカイキーパーに指示されたとおり、あなたは2機に対し、誘導するので着陸せよと最後通告を突きつける。

 すると、まとわりつくように飛んでいた不明機2機は、ぴたりとあなたの左右に占位して、機体を何度かバンクさせた。了解したという意味に受け取れなくもない。気のせいか、前進翼の主翼を振る動作が、子供のはしゃいでいる様子にあなたには見えた。

 なぜ無線で返答しないのか、あなたにはわからない。とりあえずあなたは180度旋回して基地へ変針する。2機も素直についてくる。そのさらに後ろにカウントがくっついて、もし不明機があなたに攻撃行動をとろうものなら即座に隊長機を援護できるように備えている。

 さいわいにもカウントは1発の機関砲弾もミサイルも発射せずにすんだ。あなたに促された2機の不明機はフォートグレイス島の滑走路に問題なく着陸した。バンディッツが管制塔からの呼びかけにも反応しないので基地は厳戒態勢で迎えざるをえなかった。不明機はじつは機体そのものが核爆弾で、着陸してから起爆するのが目的だった、などということもありえなくはない。あなたとカウントに遅れて離陸した応援機と“賓客”はそのまま基地から離れた空域で待機した。全滅を防ぐためだ。燃料がこころもとないあなたとカウントは腹をくくって滑走路に降り立った。

 ハンガーへ機体を走行させていると、不明機2機も滑走路から誘導路を通って後を追ってくる。ハンガーにまで入ってきた。整備員らが制止しようにもへたにさわれない。不明機は結局あなたの機体の両隣でようやく停止した。警備隊が自動小銃の銃口を並べる。

「俺らまで巻き添えにされかねんぜ」

 よく反響するハンガー内でカウントの苦笑を聞きながらあなたはコックピットから整備員のかけたタラップを使って地上へ降りる。重力が一気に全身にかかるこの瞬間が、疲労感が物理的な重さをもってのしかかってくるようで、あなたは少し好きではない。

 だれもが不明機に釘付けになっていた。その全員――むろんあなたも含む――の目が、つぎの瞬間、限界まで見開かれた。

 ADF-11に酷似した、2機の国籍不明機は、騒々しい駆動音と金属の擦過音を奏で、機体の部品をパズルのように高速で組み換え、その形状を変化させ始めたのだ。

 変形を終えたとき、無骨な前進翼機はそこにはいなかった。代わりに、曇天の隙間から天より射し込む2条の光芒があった。

「うそだろ」

 カウントが呆然とつぶやいた。

 いままで不明機が駐機していた場所に立っているのは、歳の頃13、4の少女だった。ひとりは天の川のように流れる長い銀髪、もうひとりは雲のような柔らかい銀鼠(ぎんねず)の巻き毛である。ふたりとも鴉の濡れ羽色をしたレースのキャミソールを身に付けているだけで、裾から伸びる細く絞まった脚は、裸足だったが、象牙を思わせる肌の白さから、むしろ神聖ささえ感じられる。

 起伏の乏しいイノセントな体つきは、未完成ゆえにかえって将来のめくるめく可能性を見るものに想像させる。

 それらの頂点に玲瓏なまでの美貌が乗っていた。完全な左右対称、完全無欠の(かんばせ)である。

 あなたもカウントも、ハンガーにいる整備員や警備隊も、展開に理解が追いつかない。いきなり領空に侵入してきた国籍不明機が美少女に変身するなどという事例は、ユリシーズの災厄などよりも現実味がなかった。

 急展開はつづいた。飛行機から変形したふたりの少女が、蒼穹を映したような瞳であなたを見つめ、無表情のまま駆け寄り、抱きついて、見上げながらこう言ったのである。

「やっとみつけた、とりがーお兄ちゃん」

「やっとあえました、とりがーお兄さま」

 沈黙が堆積した。その間にも長い髪の少女はあなたの1リットル近い汗を吸ったフライトスーツに可愛らしい鼻を押しつけて「これがとりがーお兄ちゃんのにおい」などとひとり合点し、巻き毛のほうも「おぼえた」と呟いていた。

「兄貴って、トリガー、おまえ」カウントの声は雪原に置き去りにされたかのように震えていた。「おまえも、ロボットかなんかだったのか。そういや空戦機動が人間業じゃねえ気がしてたが」

 とんでもない方向に勘違いしているウィングマンをあなたは否定する。そこへ1本の電話が入ったとパイロットのひとりが知らせてきた。

「だれからだ?」とカウントが訊いた。

「ベルカ訛りなんでわかりにくいんですが、シコシコヨーデルとか名乗ってます」

「知らんな。まあいい」

 貸せ、とハンガー内の電話に回させて、カウントが受話器を取った。ハンガー内の全員が聞こえるよう音声をスピーカに解放する。

「あいよ、お電話代わりました、ええと、シコシコヨーデルさん」

「シュローデルだ。ドクター・シュローデル。その節では迷惑をかけた」

 カウント、そしてあなたには、その名に聞き覚えがあった。ドクター・シュローデル。ベルカ人の研究者だが、無人機の開発技術をエルジアに提供し、エルジア軍の無人戦闘機戦力を急速に成長させた男。

 彼は最高のエースであるミハイ老の戦闘データをAIに反映させることで究極の無人戦闘機を作ろうとした。その落とし子こそ、ADF-11である。すなわち、ドクター・シュローデルは、機械にこの星が乗っ取られる危殆を招いた張本人ということになる。迷惑どころではない。

 研究はあくまで科学者としての性であり悪意はなかったとはいえ、世界をAIに売りかけた男は、間髪いれずにカウントに質した。

「そっちに、2体のアンドロイドが行っていないか」

「アンドロイド」カウントがあなたを振り返る。あなたはまだ少女ふたりに抱きつかれ、匂いを嗅がれている。少女たちはあなたにうずめた顔をぐりぐりとこすりつける。「そのアンドロイドって、まさか飛行機にトランスフォームとかしたりしないよな」

「やはり」

 シュローデルの声には苦悶が満ちていた。

「飛び出していったから、よもやと思ったが。彼もいるのだろう」

「トリガーか。女の子ふたりにもみくちゃにされてるぜ」

「ああ、性欲が!……足りすぎていたか」

 あなたにはなんのことか意味不明である。ハンガーの外から轟音が響く。基地ごと消滅する懸念はとりあえずなくなったので応援機が帰還したのだ。3人のパイロットが各々の機から降りた。メイジ隊の三番機だがもっとも年長のためにまとめ役となっているイェーガー、紅一点にして暴れ馬のフーシェン、最後はボスルージ共和国から表敬訪問の最中だったヴィトである。

「わたしはエレクトロスフィアに、フギンとムニンのバックアップデータが残されているのを偶然発見した。サルベージして、そのセクサロイドにインストールした」

「セクサロイドか、これが」

 シュローデルにカウントが反駁した。

「セクサロイド。なんだ、それは」

 フーシェンが尋ねた。イェーガーとヴィトがぎょっとした。カウントは受話器の通話口を手で塞いで「知らねえほうがいい」と返した。

「サルベージしたってことはよ、つまりこの嬢ちゃんたちは」

「そうだ」シュローデルは確固として断言した。「そのアンドロイドは、きみらが戦って撃墜したフギンとムニンそのものだ」

 そんな会話になどまったく意に介さず、髪の長いフギンがあなたにしなだれかかる。

「ねえ、とりがーお兄ちゃん、フギンのことわすれちゃったの。フギンたちのところへおしかけてきて、まるはだかにして、にげようとしたフギンたちをおいかけて、おとしたくせに」

 ハンガーに居合わせた人々がざわつく。あなたはしどろもどろに弁明する。フギンとムニンが軌道エレベータ周辺で空中待機していたところへあなたをはじめとする有志連合が空戦をしかけ、あなたは両機を追いつめ、ついにはウィングユニットをパージして本体たるノーズユニットだけで逃走を図った無人機を撃墜、もって戦争を終結に導いたのである。

 しかし、男の百万言より美少女の隻語のほうが世論への影響は強い。実際、2体のあどけなさと妖艶さが同居したその造形美は、いましがた目の前で飛行機から変形したアンドロイドであるということさえ忘れさせるに足る魔力があった。こんな愛らしい美少女がうそをつくはずがない。すなわち人々はすでに彼女らに肩入れしはじめていた。

 さらには巻き毛のムニンも、

「ムニンは、とりがーお兄さまとのこどもがほしかっただけなのです。とりがーお兄さまのいでんしと、ムニンのいでんしをまぜまぜしたこどもが、ムニンはたくさんほしいのです。さあ、いますぐこづくりをはじめましょう、とりがーお兄さまとだったらきっとすてきなこどもがうまれます」

 と、鳴禽(めいきん)が歌うようにあなたに言い募った。整備兵らが一様に後ずさってあなたから距離をとる。フギンとムニンは学習型AIを搭載した無人機だった。両無人機は最終決戦であなたを最強の敵と認識し、あなたの空戦機動をも学習しようとした。そのデータを軌道エレベータの通信機能でユージア大陸中の無人機工場に送信し、ミハイの戦闘データのみならずあなたの機動まで学んだAIをパイロットとする無人戦闘機を大量生産しようと画策した、という意味なのだとあなたがいくら抗弁しても、偏向シールドを展開中のアーセナルバードへの攻撃よろしく効果は薄かった。

「おそらく、フギンとムニンは、より直接的な方法で彼という存在を学習しようとするはずだ」とシュローデルは電話口で言った。

「念のため聞くが、どんな方法だ」

「セックスだ」カウントにベルカ人は即答した。フーシェンが絶句するがそんなことは露ほども知らず繰り返す。「セックスだ」

「ああ、そうだろうとも」

「トリガーのDNAを最優先で摂取しようとするはずだ」

「搾取されそうな気がするがな」

「それはフギンとムニンとしての、そしてセクサロイドとしての本能なのだ」

「本能というより煩悩だろ」

 2体のセクサロイドはいましもあなたのフライトスーツを脱がそうと試みている。あなたは必死に抵抗する。カウントはその様子を窺いながら、

「あんたが作ったんだろ。なんとかなんねえのか」

「その子たちは現在、完全自律モードで管制されている。つまり言うことを聞く状態ではなく、自分で考えて動いてる状態だ」

「言うことを聞かないだと。なんで作ったんだそんなもん。作ったやつは大馬鹿野郎だな」

 皮肉たっぷりに言うカウントに、シュローデルの苦悩の声が漏れる。

「……もっと別のものが作りたかったのかもしれないな」

 なに、とカウントは食いつく。

「わたしも、フギンとムニンにはもっと外見的な差異を設定したかった。人間はやはり視覚を個人認識のファーストフェイズにする生き物だからだ。だが双子という属性のオミットはいかんともしがたいものがあった。それゆえに顔のパラメータで相違点を設けることはできない。たしかに二卵性双生児の設定なら双子でありながら顔が違うという要件を満たせるが、それをセクサロイドでやるにはそもそも双子の必要性が薄れてしまう。アンドロイドの双子設定では一卵性双生児が原則なのだ。頭髪の長さは人間でも比較的容易に変更できるファクタであるため、それで区別させる手法は本来は推奨されない。であるならば、体つき、とりわけ胸部のサイジングを認識の閾値を超える程度に変更させるしかない。しかしだ、第2次性徴期をモデルとしている以上、バスト、ウェスト、ヒップからなるラインはむしろめりはりの少ない寸胴ぎみのほうが、より男性のフェニルエチルアミンの分泌が有意に増加するという研究結果が得られたのだ。事実、3Dモデル上で彼女たちを豊胸させてみたところ、全体のバランスが崩れていびつなプロポーションになってしまった。フギンとムニンは、完璧な造形だからこそ、あらゆる変化を拒絶する、ある種のジレンマを抱えた存在になってしまった」

「なるほど、言われてみりゃミラージュ2000みてえなちんちくりんだ」

「そこで、きみに参考までに意見を訊きたい」

「なんだ」

「髪の長いフギンと、巻き毛のムニン、巨乳にするならどちらが適当だと思う」

 カウントは受話器を叩きつけるように電話を切った。

「とりがーお兄ちゃん、フギンとせっくすしよー」

「だめ。とりがーお兄さまとさいしょにせっくすするのはムニンです」

 あなたは無人戦闘機のAIを移植されたというセクサロイド2体に飛行服を引っ張られる。邪険に扱うわけにもいかず、あなたはただただ戸惑うばかりである。

「お嬢ちゃんがた、いったん落ち着いて、ちょいとお話しねえか」

 カウントの助け船に、あなたは飛び乗る。しかしフギンとムニンが「えー」と声をあげる。

「だって、とりがーお兄ちゃん、せっくすするっていったもん」

「いったもん」

「なに、トリガー、本当か」

 助け船が浸水をはじめた。むろんあなたには覚えがない。するとムニンが、

「おぼえてますよ、お兄さまはおそらのうえで、わたしたちに“着床しろ”っていいました」

 と言った。

 フーシェンが息を呑む「ひっ」という音だけが、広大なアラートハンガーに響いた。

「トリガー。キングを撃墜したきみほどの男が、まさかそんな……そんな人間だったとは」

 ヴィトが非難のまなざしをあなたに向ける。

「着床しろなんていわれたら、フギン、かくのうこがじゅんびばんたんになっちゃう」

 フギンの陶器よりなめらかなほっぺに桃色が差した。ムニンの青い瞳も酔ったようにとろんとしている。

「着床なんて言ってねえ、トリガーが言ったのは“着陸しろ”だろうが」

「おそらじゃせっくすできないからちゃくりくさせたのですね、とりがーお兄さまははなしのわかるおかた」

「せーっくす」

 カウントの必死の排水作業も実を結ばず、助け船は転覆、沈没してしまった。イェーガーは「これは、息子には聞かせられんな」と嘆いた。

 そこへ地上に戻ったAWACSスカイキーパーの管制官が騒動を聞きつけてハンガーに入ってきた。見目麗しい少女ふたりに「せっくすしよー」「こうび、こうびー」とまとわりつかれているあなたを見て、スカイキーパー管制官は言葉を失い、気を取り直し、威義を正して、告げた。

「トリガー、きみはしばらく出撃できない。理由はわかるな」

 あなたは激しく首を横に振るが、そのままフギンとムニンに引きずられるようにして仮眠室へ連行された。

 

 

 

MISSION 21

Eavesdropping

「真相の究明」

 

 

 

 

「集まったかね。落ち着いてくれ。静かにしてくれ」

 ブリーフィングルームに緊急召集されてざわつくパイロットらに基地司令が怒号を飛ばした。「トリガーはどうしたんだ」とカウントやフーシェンらに問い質していた戦闘機乗りたちがようやく口を噤む。

「諸君は国際停戦監視軍の一員として、こんにちまでこのユージア大陸の平和を維持してきてくれた。――こんにちまで」

 堂々たる貫禄の基地司令の静かな声が部屋のすみずみにまでいきわたる。

「諸君も知っての通り、先ほど、自らを無人戦闘機のAIを移植されたものだと称するアンドロイド2体が当基地に侵入した。当該アンドロイド2体はトリガーを拉致、第4仮眠室に籠城している。トリガーは現在もなおアンドロイドによる性的暴行を受けているものと判断する」

 オーシア国防空軍第122戦術戦闘飛行隊、通称サイクロプス隊のランツァが「わーお」と呟いた。基地司令に睨まれて肩をすくめる。

「任務を伝える」司令がよく通る声で告げる。「仮眠室はその性質上、監視カメラおよび集音器といった情報収集手段の設備がない。現在、当該仮眠室内でなにが起きているのか、われわれにはまったく把握できない状態だ。よって、国際停戦監視軍フォートグレイス基地飛行隊は、現時刻をもって重警戒序列に移行。各員、総力をもって当該仮眠室へ急行し、室内の状況を確認せしめよ。なお、これはあくまで隠密偵察である。わがほうの観測行為が室内の状況に影響を与えることは厳に慎め。ありのままの実状をモニタリングせよ。これは訓練ではない」

 

MISSION 21

Eavesdropping

11.Jan.2022 1316

Fort Grays Island 7°58′25″S 9°25′50″W Cloud Cover:It's no concern of mine. Operation:Amleth

 

 隠密に、室内の対象へ気取られないよう内部の様子を探るにあたって、有効な手段はいくらかある。搬送波を加えたレーザによる盗聴はその代表格だ。人間が話すと空気が振動する。その振動はガラス窓にも伝わる。ガラス窓の振動をレーザで拾い、反響情報から音声に復調すると、密閉された室内での密談でも外から筒抜けとなる。レーザを使った糸電話のようなものである。

 カウントたちは作業員らに不審な目を注がれながら仮眠室の向かいの建物に移動し、そこからレーザ盗聴器をカーテンの引かれている窓へ構えて照射した。全員がヘッドホンを被って固唾を吞む。聞こえてきた音声は、このようなものだった。

 

「とりがーお兄ちゃん、なんだかんだいって、もうきどうえれべーたみたいになってるね」

「からだはしょうじき」

「フギンがますたーあーむをおんにしてあげるからね。まずねぇ、おててをだえきでぬらして、それでお兄ちゃんのみさいるをねぇ、しーこしーこ」

「むだなていこうはやめるのですお兄さま。お兄さまはこのムニンとちゅーしていればいいのですよ。れろ……」

「あー、ムニンずるーい」

「フギンはそちらがあるではないですか。おあいこです。ちゅぱ……」

「いいもんねー。とりがーお兄ちゃんのDNAさきにのむのフギンだもーん。ほーら、お兄ちゃん、ふぉっくすつー、ふぉっくすつー」

「お兄さま、おねがいです。お兄さまもしたをからめてください。どうすればよろこんでくださいますか」

「たんくがあがってきたー。はっしゃがちかいんだねお兄ちゃん」

「えんりょしなくていいんですよお兄さま」

「わあっ、すごい。レールガンみたいにいきおいよくでてきたよぉ」

「まるでマスドライバです」

「これがお兄ちゃんの多弾頭自律式誘導着床弾なんだね。ゆびでつまめるくらいぷるぷるー」

「じゃあ、つぎはムニンですよ。こうたいです」

「しょうがないなー。お兄ちゃん、つぎはフギンとちゅーしよー」

「お兄さま、じゅんかつゆのぶんぴもじゅうぶんです。どっきんぐしましょう。きっとすごくきもちいいですよ」

 

 皆、窓へ向けて十字を切った。

 

  ◇

 

 灯台戦争の最終盤たる軌道エレベータ決戦において、所属するオーシア軍だけでなく、戦争に終止符を打つべくエルジア軍機も呉越同舟した有志連合を的確に指揮し、終戦へと導いた功労者のひとり、AWACSロングキャスターの管制官が、休暇を利用してフォートグレイス基地を訪れた。〈静謐なる空作戦(オペレーション・ハッシュ)〉であなたを筆頭とした有志連合と丁々発止の空中戦を演じた2機の無人機のAIがアンドロイドに移植されているといううわさを耳にしたためでもある。

「こうして自分の目で見ても信じられない。きみたちが本当にあのUAVとは」

 基地の面々にワインやつまみの土産を渡したロングキャスター管制官は、相変わらずあなたに左右からしがみついているフギンとムニンへ笑いかける。

「ベルカ人はまじないごとをするというが」レクリエーションルームに腰を据えて自分用のワインを開ける。「いつの時代も、最先端のテクノロジーはSFに見えるってことだな」

 あなたやカウントもおなじテーブルにつく。ロングキャスター管制官にワインを勧められるがさすがにいまは飲めない。肴だけもらう。

「ブルーチーズをアテにしながらワイン抜きとはな。笑えねえぜ」

 文句をいいつつカウントがつまむ。あなたもひとくちだけ付き合う。それをフギン、ムニンが観察する。生存に必要でない食事が興味深いのかもしれない。

「このアンドロイドたちは夜のお楽しみ用だと聞いたが、それにエースパイロットのデータがインストールされたAIを移植するとは、ベルカ人はなにを考えてる」

「人ん家に攻めこんで勝手に領土ひろげといて、反撃されて負けそうになったら逆ギレして自国領で核を7発、旧国境線に沿って爆発させる連中だぜ。ベルカ人の考えてることがわかってたら、この世の戦争の半分は起こってねえよ」

 ワインを飲んで上機嫌なロングキャスター管制官にカウントはぶっきらほうに返す。

 アンドロイドは導入コストと充電、定期的なメンテナンスさえあれば単純労働から管理職までこなす。しかも人間の労働者のような能力のばらつきもなく、ミスもせず、低賃金に文句も言わず、不正も働かず、待遇改善を求めるストもしない。まさに理想の労働力だ。

 そんなアンドロイドが性産業に導入されるのは当然の流れだったのかもしれない。背格好も、肌の色も、髪も、顔も、具合も、理論上はあらゆる組み合わせの商品を取り揃えることができる。しかも客からの指名があるまでスリープモードで何日でも何週間でもずっと待機させておけるのだ。おまけに加齢による外見の変化もない。いまや性風俗店はセクサロイド専門店が主流となりつつある。

「あんたもそういう店の世話になったことあんのか」

 カウントにロングキャスター管制官は鷹揚に笑って、

「俺は不器用でな。愛がないと女は抱けないんだ」

 と、ワインを転がした。

 フギンとムニンの、未踏の海のような瞳がロングキャスター管制官に動く。

「あい。よくわからない」

「どうして、あいがないと、せっくすできないのですか」

 カウントとあなた、ロングキャスター管制官は顔を見合わせる。

 カウントが咳払いをして、

「人間ってのは、まずは愛からなんだ。体のお付き合いはそのあとなんだ。ミサイルはロックオンしてから射つもんだ」

「LOAL(発射後ロックオン)すればよいのではないですか」

「それにしても相手の位置情報やらなんやらをデータバスで送ってやらなきゃいけねえだろ。相手のことを知らないで先走っても勇み足踏むだけだ」

「おまえの口から真っ当な言葉を聞いたのははじめてだな」

 ロングキャスター管制官が茶化す。

「だが、間違いではない。時として愛は種の保存本能というだけでは説明のつかない行動を人にもたらす。性欲は自分の遺伝子を後世に残そうとする利己的な本能であるのに対し、わたしは、愛は相手の幸せを自分の幸せだと同一視できる利他的な献身のことをいうのだと思っている。念のため言っておくが、相手の幸せを自分の幸せと思うことであって、自分の幸せを相手の幸せと決めつけることとは違うぞ」

 ロングキャスター管制官に、セクサロイドの2体は無表情のまま思考して、

「じゃあ、“あい”と、“せーよく”は、わいんとぶるーちーずみたいなものなんだね」

 とフギンが言った。

「どういうことだ」

「おたがいぜんぜんちがうものだけど、ひきたてあうものでもある」

 ロングキャスター管制官が自らの広い額を叩いて爆笑する。「なるほど。一本とられた。いや、ちょっとしたものだ」

「とりがーお兄さま、まずは“あい”をはぐくまなくてはなりませんね」

 ムニンがあなたの耳元で甘くささやく。あなたは目でカウントとロングキャスター管制官に救援要請を出す。必死の訴えは、けれども真剣な顔で却下された。

 

  ◇

 

 2月14日である。

「とりがーお兄ちゃん」

「とりがーお兄さま」

 呼び止められたあなたは振り返る。フギンとムニンが丁寧にラッピングされたてのひらほどのひとつの箱をふたりで差し出してくる。

「きょう、ばれんたいん」

「ばれんたいんには、ちょこれーとをおくって、あいをつたえるとききました」

 あなたは興味津々でしゃがみ、ふたりに視線を合わせる。

「ばれんたいんにてづくりのちょこれーとあげたら、おとこのひとはいちころだって」

 とフギンが言うので、だれから聞いたのか訊ねると、ムニンが「おめがいれぶんというひとです。このきちにきんむしてらっしゃいます」と答えた。

 彼女たちなりの好意に喜びつつ、開けてもいいか、あなたは訊く。セクサロイド2体は、髪が跳ねるほどに勢いよく首を縦に振る。

 包装を解き、箱を開ける。現れた菓子にあなたは固まる。ひとくちサイズの正方形に切り分けられたチョコレートケーキだった。ナッツも混じっている。はじめて作ったとは思えないほどの出来映えだった。

「にんげんは、くりかえしはんぷくされたおくりものは、ありきたりとか、めあたらしさがないといって、こうかんどのじょうしょうにきよしないどころか、まいなすになることさえある、とムニンたちはしっています。いっぽうで、こじんのしこうからあるいっていいじょうにいつだつしたものも、こうかんどのじょうしょうにきよしないということもしっています」

「だから、ただのちょこれーとじゃないけれど、せいじんだんせいのすきなちょこれーとがしを、とうけいてきにしらべて、いっていいかのしょうすうははきりすてて、のこったこうほから、このきちでちょうたつかのうなげんざいりょうでつくれて、とりがーお兄ちゃんがたべやすいようにしょっきをもちいないものをえらんだの」

 フギンが継いで、続けた。

「フギンとムニンとくせいの、ぶらうにーだよ。たべてたべて」

 あなたは、彼女たちの手作りのブラウニーが詰まった箱に目を落としたまましばらく動けなかった。箱を持つ手が震えた。

「とりがーお兄さま、どうされたのですか」

「もしかして、ぶらうにーはきらいだった」

 不安そうに覗きこんでくるふたりに、あなたは笑顔をつくり、抱き寄せる。嫌いなんかじゃない、大好きだよ、ありがとうと嗚咽しながら。

 フギンとムニンは、人間は感情が一定値より高くなると生理現象として涙を流すことを知っているし、原因となる感情は悲しみだけではないことも知っている。しかしあなたがなぜ自分たちを抱きしめて泣いているのか、その理由まではわからない。

 ひとしきりそうしてから、あなたは、せっかくだからいただくよと言って、チョコを食べる。材料の分量も焼き加減も完璧なブラウニーは、とてもおいしく、すこし塩の味がした。

 

  ◇

 

 フギンとムニンは、夜な夜なあなたから搾り取るだけでなく、空での再戦を望んだ。ドッグファイトにおいて決め手になる要素のひとつは機体の運動性能だ。より高速で急旋回できる機体が優位に立てる。その点において有人機は無人機に遠く及ばない。にもかかわらずあなたに完膚なきまでに敗れたことが彼女たちは不思議でならなかった。あなたの空戦機動を吸収したいまなら勝てると彼女たちは踏んでいた。

 あなたは、シミュレータでなら、と了承した。

「なぜ実機ではだめなのですか」

「そりゃ、いくらヒマっつったって、セクサロイドに戦闘機操縦させたなんてバレたらおおごとになるだろ」

 ムニンをカウントが説いた。あなたはそれに加えて、もしなにかあれば自分が死んでしまうから、と冗談まじりに付け足した。

「しぬ」フギンが首をかしげる。人間らしい所作が身に付いてきている。「しぬということは、そんなにかいひしなければならないことなの」

 あなたとカウントは互いを見やって苦笑いする。

「死ぬっつうのは」カウントは頭を掻きながら言葉を選ぶ。「もう二度とトリガーがおまえらと遊べなくなるってことだ」

「なぜですか。しぬということと、あそべなくなるということのあいだに、ろんりのひやくがみられます」

 ムニンが質す。

「要するにだな、おまえらだってぶっ壊れたらもうオシマイだろ。それが死ぬってことだ」

「わたしたちのこのからだがぶつりてきにそんかいして、きのうていししたとしても、バックアップをとっておいて、またあたらしいからだにインストールすれば、なにももんだいありません」

「そのバックアップをとるってのが、人間にはできねえんだ」

「なぜ」ムニンが尋ねる。

「なぜ」フギンも尋ねる。

「バックアップとれねえのが、人間なんだ」

「ソフトウェアのバックアップをとれないのが、にんげんのていぎのひとつなの」

「そういうわけでもねえが」カウントは唸る。「たしかに、人間も映像や文字で自分っていう存在を死後も残すことは、できる。それは一種のバックアップといえるかもしれねえ。でもな、なんつうか、人格とか、記憶とか、そういうのをそのまんまどっかに保存しておいて、新しい体に移し替えて、ご本人でございってわけにゃいかねえんだ」

「こじんをていぎするものが、じんかくや、きおくであるなら、それらをフルコピーしてバックアップをとっておいて、べつのからだにインストールできるとしたら、死ぬことはなくなりますか」

「技術的にコピーが可能になったとしても、そいつはもう本人じゃねえな。限りなく似てるってだけの他人だ。人間はソフトウェアとハードウェアが不可分なんだよ」

「にんげんは、ファームウェアなの。ファームウェアでもバックアップはとれる」

「いや、そういう意味じゃねえんだ。コピーはあくまでコピーで、オリジナルと同一人物じゃねえ。新たに生まれた、“そいつ”っていうれっきとした別個の存在だ」

 まだ理解できない顔をしているフギンとムニンに、あなたはしゃがんで優しく語りかける。人間は本質的に“個”を尊ぶ存在である。たとえ見分けがつかなかったとしても、愛する人間のコピーを代替にすることはできない。感情の部分で拒んでしまう。死というゴールがあるから人間は全力で飛んでいられる。それが理解できたとき、きみたちにとって空はただの空間ではなくなる。きっと人間とおなじものを空に見ることができるだろう、と。

 納得いかないふたりにあなたはさらに伝える。自分は、本当は空を飛ぶのがとても怖い。練習生時代、はじめて自分で操縦桿を握って空を飛んだときのことだ。あなたは緊張のあまり航法を失念して現在位置がわからなくなった。ときおり管制塔から無線が飛んでくるが耳に入らない。縦列複座の後席にいるはずの教官はなにも助言してくれない。迷っているうちにも機体は1秒につき140mも進む。燃料が尽きれば墜ちるしかない。パニックになった。生まれてはじめて死を意識した。それ以来、子供のころから憧れていた、空を飛ぶということが、急に恐ろしくなった。飛びたくないと思う日もあった。空が嫌いになったことさえある。人は本能的に死を避けようとするからだ。そうプログラムされている。自分はその恐怖を乗り越えて飛んでいる。なぜなら、死を最も間近に感じる瞬間にこそ、生きている実感を得られることもまた事実だからである。……

 あなたたちをよそにスタッフらが3台のシミュレータを接続し、かつての戦闘から採取していたデータでADF-11Fを再現する。エンゲージ。仮想空間でフギンとムニンは2機がかりであなたに挑戦した。ことごとくあなたが勝利した。フギンもムニンもあなたの機動を学習し、対抗策を考えるが、そのたびにあなたは新しい機動で彼女たちの裏をかいた。ときには、あなたはミサイルも機関砲も使わず、無誘導爆弾のみを用いて彼女たちを撃墜した。あなたに墜とされるたび、彼女たちはむしろ喜んだ。勝てない相手との戦い以上に収穫が多い時間はない。ほんの数日で、たとえ1対1であっても、シミュレータでの模擬空戦で彼女たちに撃墜判定を与えられるフォートグレイスのパイロットは、あなた以外にはいなくなった。

 いっぽうでフギンもムニンも、戦闘機パイロットとして技量が抜群に高いというわけでもないカウントに、一目置いているようだった。

「あのとき」とムニンはカウントに訊いた。彼女たちの「あのとき」とは、軌道エレベータ決戦のことを指すのだと基地のだれもが知っている。「わたしたちは、トリガーお兄さまに負けました。けれど、わたしたちはあなたにも負けたのです」

「どういうことだ」

「くうせんでは、わたしたちはトリガーお兄さまには、かてないと、はんていしました」

「だからウィングユニットをパージして、データのそうしんをゆうせんしたの」

 フギンが引き継ぐ。

「じかんをかせぐために、かいていトンネルからきどうエレベータへ侵入したの。追ってくるのはトリガーお兄ちゃんだけだと思ったから」

「でも、さぎしのおじちゃんまで一緒に入ってきた。なんの意味もないのに」

 詐欺師は神妙に耳を傾けた。

「とちゅうで待ち伏せして、いちげきを与えれば、あしどめできた。でもさぎしのおじちゃんが盾になったせいで、トリガーお兄さまにはダメージを与えられなかった」

「無傷できどうエレベータまでたどりついたトリガーお兄ちゃんに、わたしたちは戦略もくひょうをそしされて、負けた」

「あの場の最適解は、ほかの人たちがそうしていたように、ぜんぶトリガーお兄さまに任せてしまうことだった。そうしていればわたしたちは勝てた。あなたがそうしなかったからわたしたちは負けた。さぎしのおじちゃんだけが最適解から外れた行動をした」

 フギンとムニンは不純物のない澄みきった視線をカウントに固定させた。

「どうして、あんな不合理な行動をしたの」

「どうしてって、そりゃあ」

 カウントは腕を組んで天井を仰いでいたが、やがて吹き出して、

「俺にもわかんねえな、そんなこと。人間は理屈だけで生きてるわけじゃねえんだ。だからよく過ちを犯しちまう。あんときゃたまたま上手く運んだってだけさ」

 と言い訳のように口にした。

「人間には完全な思いつきはないと、わたしたちは知っています」

「思いつきは、まるで生物の交配によって新たな生物が生み出されるように、そのとつぜんへんいが進化をもたらすように、個人がちくせきしてきた過去の経験が組み合わされて生まれるもの。トリガーお兄ちゃんについていってかいていトンネルに侵入したのはあなただけだった。どんな過去があればそんな思いつきができるの」

「そんなご大層なもんじゃねえよ。ありゃあ意地だ。みんなしてトリガーばっかりちやほやしやがるからな」

 あなたも、なぜカウントが後を追ってきたのか、理由を質したことはない。もしかしたらカウント本人が言うように、ファイターパイロットとしての、あるいは男としての、ただの意地だったのかもしれない。

 だとしても、あなたにとって、カウントの、一見して無意味に見える海底トンネルへの同行は、ただADF-11の待ち伏せからトリガーを守ることになったという結果論だけではない。最高のパイロットのデータから生まれた無人戦闘機という人ならざるものとの人智を超えた戦いにおいて、自分には最後の最後まで付き合ってくれる仲間がいるのだと実感させてくれたのが、ほかならぬカウントだった。カウントのおかげで、あなたはただ空を飛んでミッションを遂行するだけの機械にならず、人間のままでいることができたといっていい。

 フギンとムニンにはまだそういう人情の機微は難解であろう、とあなたは見ている。

「理解不能だよ」

「理解不能です」

「だろうな」

「だから、楽しい」

 2体のアンドロイドはあなたにもカウントにも予測不能な感情を述べた。

「楽しい、うん、たぶん、これが楽しいということなのだと思います」

「予想できない、けれど、けっして意味のないランダムな出力じゃない。なにかしらの法則性があるロジック。それがなんなのか、わたしたちは知りたい」

 そう楽しげに笑うふたりからは、見えない花がこぼれた。

 

  ◇

 

 莫大な資本を背景に自前の私兵部隊を設立し、次第に強大化して今や中堅国と同等か上回る軍事力を有するようになった多国籍企業体の旗手、ゼネラルリソースが、幾度にもわたる戦争と通信インフラの崩壊により疲弊していた貧しい国々を企業植民地として統治するようになった。当初こそ傀儡とはいえ民主的な政権を擁立させていたものの、ルーツも言語も異なる民族と国家がひとつの企業の傘下にあるという状況が永くつづけば、国への帰属意識は自然と薄れる。国家という枠組みに拘泥する意味がなくなっていく。

 久々に再会したヴィトは、かつて灯台戦争で故国ボスルージ共和国の独立を勝ち取ったが、今では周辺の小国同様に、関税の税率も、民族の文化と哲学の集大成ともいえる法律も、ゼネラルリソースによって牛耳を執られているのだと、悔しさを苦笑いのなかに隠してあなたやカウントに語った。共和国とは名ばかりの、いわば完全子会社のような国だと。

「わたしの子供たちにとって、もはや国という概念がわたしたちとは変わりつつある」

 髪に白いものが混じりはじめているが、貴公子然とした容貌にみじんも翳りのないヴィトはため息をついた。

「わたしも、ボスルージがエルジアに編入されてから生まれた世代だったため、祖父母らの使う伝統的な言い回しが理解できなかった。わたしの代までで途絶えたふるい言葉も多い。それを調べて学んでも、わたしには外国の言語のような感覚しかなく、身に付けても意識しなければ咄嗟には出てこない。民族とは特定の地に住むことによって定義されるのではない。祖先から連綿と受け継いできた文化を次世代へ渡す過程にこそ民族は宿る。ではその文化とは? 言葉だ。文化は言葉を基礎として築かれる。その言葉が、わたしの母語が、一部とはいえ他の言語に置き換えられることは、わたしが民族として雑種となることを意味する。遺伝子汚染と同様だ。それでも、当時のボスルージ自治州はかつて独立国だったと知っていたし、独立心を忘れたことはなかった。また、戦争は国と国で起きるものだと信じて疑わなかった。国のために戦うことが、そこに帰属するわたしという個人の存在を証明してくれるのだと」

 ヴィトは目尻にしわを刻んで遠い目をした。

「その感覚が、子供たちにはない。ボスルージのためではなく、ゼネラルから切り捨てられないためだけに生きている。ただの従順な消費者として」

 あなたやカウントは慰めの言葉をもたない。国家の内側で成長すべき企業が、経済成長を前提とする資本主義のもと肥大を続けていけば、やがては行政府すら上回る力をもつに至る。政府の権力を担保するのは極論すれば軍事力となる。この軍事力とはかならずしも戦車や戦闘機といった軍隊としての兵力を意味しない。いわば法律という規範をあまねく国民に強制させるための総合的な力である。たとえば、納税を拒む国民がいたとしたら、国家はその国民から資産を差し押さえることができ、抵抗に遭えば身柄を拘束することができる。これが強制力である。すなわち国家とは、強制力をもって国民を服従させるシステムである。国家の強制力は、国家の行使する軍事力が、対象の軍事力を上回る場合にのみ有効となる。国民にとってもっとも身近な軍事力は警察であろう。たいていの犯罪者が国家権力と戦わずに逃げるか最後には屈するのは、軍事力で国家に勝てないからにほかならない。仮定の話になるが、もし犯罪者の軍事力が、警察や軍隊を含めた国家の軍事力より強大だった場合、国はその犯罪者を裁くことができない。力で止められない相手にはなにも強制させられないからだ。逆に言えば、強制力の有無こそが国家を国家たらしめているのであれば、国家でなくとも強制力を有する存在は、国家と比肩する権力をもつことになる。

 オーシアにせよ、エルジアにせよ、その強制力は灯台戦争の混乱を起因としていちじるしく低下した。わけてもオーシアのプレゼンス弱体化を知らしめたのは、灯台戦争終結の翌年に南オーシア大陸で勃発した、オーレリア連邦共和国とレサス民主共和国との戦争である。後年にオーレリア戦争と呼称されたこの戦乱に対して、世界の警察を自負してきたオーシア連邦は、自国領土内の治安維持と戦後復興で手いっぱいであり、武力介入や和平の仲介といったアクションをなんら起こすことができなかった。オーシア国民は自国に深く失望した。それまでは自国の潜在能力は無限だとある意味で無邪気なまでに信じていたのが、オーシアにも限界はあるという現実を突きつけられた。底が見えたのだ。当然のことながら国民からの求心力も急落する。いくら行政府が権力をふりかざしても、規範から外れる国民を裁くための軍事力が不足していれば、納税すら強制できなくなる。経済基盤が破壊された国の国債は格付けが下げられて買い手がつかなくなり、軍事力を整えるための資金が不足する。

 となると、権力を担保する軍事力に必要なものが「国家であること」そのものではなく、資本と信用であり、それらを揃えることさえできれば、国家以外の存在が強制力を手に入れることも不可能ではないという結論にいきつく。

 資本主義とはとどのつまり金を借りてそれを元手に資産を増やして金利と元金を返済することを繰り返す活動であると集約できる。人は、金では買えないものがあるというが、金がなければなにもできないこともまた厳然たる事実である。国も例外ではない。

 オーシア、エルジア、ユークトバニアやエストバキア、エメリアといった国々が、財政難から国債を乱発する。うわさによればそれらの国債は政府主導で発行されたものではなく、肥大した資産の捌け口を求めていた民間企業の提言を受けて打ち出されたという。

 どの国も遅かれ早かれ財政破綻することはわかっていた。だが、自分の任期中にデフォルトしてしまえば、後世にまで汚名が残る。崩壊を先延ばしにしたかった、少なくとも自分がこの世にいるかぎりは。そんな為政者らの隠された欲求を企業は敏感に嗅ぎ取ったのだ。

 かくして、配当はおろか償還も不可能であるとわかりきっている国債を企業は引き受ける。国は当面の資金を確保して延命し、同時に、生殺与奪の権をも与えてしまう。

 企業は銀行も味方につけ、まず紛争地帯での自衛という名目で軍事力を身に付ける。政府が気づいたときには現地の治安は自分たち国家権力ではなく企業によって保たれている。実効支配である。あわてて法改正で束縛しようにも、すでに最大の国債保有者であり高額納税者つまり財源ともなっている企業が拠点を海外に移すとちらつかせれば、どうなるか。国内の主立った銀行も企業を追って海外へ逃げると言い出しかねない。やがて国債の償還期限を迎える。だが国にはとても支払える額ではない。そこで企業はささやく。「条件しだいで国債の償還を帳消しにしてもいい」。ここで首を縦に振らない政府なら最初から償還できるはずもない国債など発行しなかっただろう。

 やがて法で規制されるどころか法律は企業に有利なものへ書き換えられていく。企業の軍事力が国家の軍事力を凌駕する。企業が国家に対する強制力を有するようになる。ここに、国家と企業の主従逆転が起きる。

 そうした国家を超えた多国籍企業は勝敗と吸収と合併を繰り返し、いまはゼネラルリソースとニューコムという二大企業に収斂して固定化されている。数学的には世界地図は4色で塗り分けることができるが、現代の世界地図に色は2色しかいらない。

 ヴィトの顔に極大の嫌悪と苦渋がにじむ。

「先日、われわれボスルージ空軍――それももはや名ばかりだが――は、ゼネラルリソースからの指令で、ニューコムの生産能力低下を狙ったエネルギープラント破壊に従事した」

「商売仇に嫌がらせするために軍隊使うってか。笑えねえ」

 カウントも髭面を歪める。

 ゼネラルリソースとニューコム、世界を二分する大企業が互いのシェアを奪うために公然と軍事行動を起こす。人類は、強者こそが正義であり支配権を有するという19世紀の論理に先祖返りしている。いずれ二大企業間の全面戦争は避けられないというのが大方の見方だった。

 このフォートグレイス基地も、オーシア国旗やオーシア空軍旗に並んでゼネラルリソースの社旗が風に翻っている。見積書や請求書に至ってはオーシアより併記されているゼネラルリソースの社名のほうが印字が大きい。いずれ軍もゼネラルリソースの世界戦略にのっとって再編されるだろう。そのときフォートグレイス島基地飛行隊がどうなるのか、あなたには想像もつかなかった。

「つまらない話をしてしまった、こんな日に」

 ヴィトが頭を下げる。あなたはそれを笑って制する。きょうはあなたのラストフライトが予定されている。ヴィトはそれを見届けるために来てくれた。

「なぜ、トリガーお兄さまはきょうを最後に戦闘機を降りられるのですか」

 ムニンに訊かれたあなたは、よく考えてから答える。歳をとったからだと。まんざらうそでもなかった。肉体の衰えは最近とみに感じている。

「なら、人格を電脳化(サブリメーション)して、アンドロイドにインストールすればいい」

 フギンが言う。すでに電脳化で人間の意識を複製する技術は確立されている。

 あなたはかぶりを振る。理由は言葉にしない。ただ、これでいいんだと微笑むにとどめる。

 尾翼にパーソナルマークとゼネラルリソースのロゴを描いたエアロコフィン(コフィンシステム搭載戦闘機)に乗り込み、訓練空域に向かう。後進のパイロットたちに最後の教えを施す。時代が変わっても、企業の手先として戦地に派遣されても、せめて望まぬ戦争で撃墜されないように。

 戦闘機から降りたあなたに、フーシェンをはじめとしたパイロットや、整備員たちが、ねぎらいの言葉と花束を渡す。あなたの戦闘機パイロットとしてのキャリアは、年齢からくる身体能力の衰えによるエリミネートという円満なかたちで終わった。

 だがシミュレータならまだ飛ぶことができる。そういうとフギンとムニンは大喜びした。地上勤務に転属したあなたは暇を見つけてはシミュレータで彼女たちと戦い、つねに勝ち越した。そんな日々が続いた。

 

 灯台戦争やそれ以前の軍歴で高高度を長時間飛行することもめずらしくなかったあなたの体は、低気圧の過酷な環境と地上より遥かに高線量の放射線にむしばまれていた。被曝の影響は個人差が大きい。あなたには病変として如実に現れた。繰り返された高Gの負担が原因の腰痛と頸椎の痛みも耐えがたい。人間が本来、手を伸ばすことすら許されない天空世界の高みで戦うことの代償が、すこしずつ蓄積し、加齢という最後の要因によってついにコップから水が溢れたのだった。

「トリガーお兄ちゃん、お願い。今からでも遅くないから、電脳化して」

「その肉体はもう限界です。意識をコピーして義体に移せば、その痛みも、死も、解決できます」

 ベッドから半身を起こすことさえできなくなっている黄髪(こうはつ)のあなたに、フギンとムニンが懇願する。医療用の合成麻薬でさえあなたの体を食い荒らす末期がんの激痛は抑えられなくなっているが、あなたは笑みを作って、やはり首を横に振る。

「どうして。お兄ちゃん、死ぬのは恐いことだって言った。なのに、矛盾してる」

 フギンが言い募る。あなたは、そうだね、だけど矛盾してはいないんだと、掠れた声で諭す。

 あなたの意識は混濁する。天井を見つめながらあなたはなにごとか呟く。ベッドを囲む、あなたとおなじく年老いたカウントやイェーガーたち見舞い客にも、意味はわからない。ただ、最後にあなたは、幼子のように汚れを知らない微笑を浮かべ、恍惚とした語調でこう言った。

「ダークブルー」

 それからあなたは深く息を吐いた。(まど)かな午睡を楽しむように目を閉じた数秒後、心電図が平坦な線を表示し、無機質な電子音が続いた。

 

 戦争の英雄だけあって葬儀には大勢の参列があった。「おまえは本物の大馬鹿野郎だ、スペア15。俺より先に逝くとはな」そう悪態をつきながら献花する老人もいた。

 だが、国葬ではなかった。国家は意味をなさなくなっていて、ゼネラルリソースにとっては、灯台戦争の英雄は他人でしかなかった。

 

 葬儀の翌日から、フギンとムニンは、あなたがパイロットだったころにフォートグレイス基地に勤務していた元パイロットや職員たちと積極的に会話をするようになった。とくに、カウントやフーシェン、イェーガーとは、連日のようにコミュニケーションをとった。

「あのふたり、どうしちまったんだ。寂しさをまぎらわせてるってわけでもねえようだが」双子のアンドロイドが帰ったあと、フーシェンが夫のカウントに問う。

「確かに、あきらかになんらかの目的を持ってる。なんなのかはわかんねえ。ま、とことんまで付き合ってやるさ」

 カウントにフーシェンが頷いた。

 

 月日が流れる。

 孫と遊んでいたイェーガーが「ああ、少し疲れたから休ませてもらうよ。俺の孫をトリガーのやつにも自慢したい」と座ったきり静かになったので、いぶかしんだ家族が体を揺らしたが、(いら)えはなかった。

 カウントも天寿をまっとうした。その年のうちにフーシェンも病床に就き、後を追うように息を引き取った。

 灯台戦争に参加したパイロットたちは、ほとんどがこの世を去っていた。

 フギンとムニンは、生前のあなたやカウントたちから採取したデータをもとに、電脳空間に仮想人格を作り上げ、フォートグレイス基地を再現していた。あなたがいないということに彼女たちは耐えられなかった。電脳空間で彼女たちはあなたや皆に再会した。

 だが、喜びもつかの間だった。

 エミュレートしたあなたも、カウントも、だれもかれも、彼女たちの設定した言動と行動しかしなかった。というより、できなかった。彼女たちはコピーされたあなたに空戦を申し込んだ。飛んでみた彼女たちの落胆は深まった。本来のあなたの空戦機動は複雑で、美しく、なにより予測不能だった。いつも一枚上のあなたには驚かされた。しかし、コピーのあなたは、彼女たちの知っている機動しかせず、ひどく単調で、いともたやすく次の手が予測できた。勝てたがなんの達成感もなかった。あなたなどではない、ただの画虎類狗(がこるいく)だった。空戦ばかりではなく、コピーのあなたも、コピーのカウントも、ほかの面々も、プログラムされたことしか言わず、せいぜい規則性とランダム性を両立させるための疑似乱数で出力が決定されているだけだった。笑うふりをしているだけ、怒るふりをしているだけ、泣くふりをしているだけの作り物。変化もしない偽物だった。ふたりはせっかく再現したあなたたちの疑似人格をすべて削除した。

 

 世界は目まぐるしい変革のときを迎えていた。これまで人類は国境で隔てられていた。国境線で囲まれた内側が共同体であり、もともと群体の性質を有する人間が帰属するべき群れだった。

 しかし、格差が拡大するにつれ、富裕層は、国内に富を還元せず、他国の富裕層とのつながりを重視するようになった。富裕層にとって、ありあまる時間を生産的な活動に当てるでもなくただ無為に過ごして再分配や援助を乞うだけの中流層や貧困層は、自分たちとおなじ種族の生物とは思えなかったからである。

 たとえ人種や母語がちがっていても、富裕層は他国の富裕層とのあいだに強い紐帯(ちゅうたい)を感じることができた。

 国境を越えて、富裕層と富裕層がつながり、同様に、貧困層と貧困層が格差への不満からつながる。自国と他国というくくりが自然消滅し、国境が有名無実と化す。世界は「ゼネラルリソースか、ニューコムか」という線引きに加え、「持てるもの」と「持たざるもの」という新たな線で分けられた。ネオリベラリズムの台頭である。

 ついに諸国家は企業によって併合され、立法も行政も司法も事実上の民営化を迎えた。警察を呼ぶことさえ有料になった。本来の行政サービスにも利用者負担の原則が完全な適用を見たのだ。持てるものたちは要塞のような都市に移り住んだ。人類は国家に帰属するものではなく、本格的に企業に属する存在となった。

 人類の歴史において、時代の変革のさいに流血をみなかったことは、ただの一度もない。支配者が国家から企業へ遷移する激動の時代も例外ではなかった。持たざるものたちはソフトターゲットへの無差別テロルを繰り返し、持てるものたちはテロリストらの潜伏している地域を空爆で非戦闘員ごと一掃した。その応酬がいつ果てるともなくつづいた。

 テロとの戦いから上がった火の粉は時代の強風に煽られ、長く緊張状態にあったゼネラルリソースとニューコムという火薬庫に飛び火する。ゼネラルリソースがニューコムの塗装を施した新型機で自国領を攻撃、ニューコムからの先制攻撃と主張し宣戦布告したことで、二大企業による大陸の覇権をかけた世界大戦へと発展した。空は戦闘爆撃機と戦略爆撃機で満たされた。

 

 そんな空を見上げていたフギンとムニンの胸に、本人らでも形容しがたいパラメータの変動が起きた。

「トリガーお兄ちゃんは、戦争が好きじゃなかった。ただお空を飛ぶのがすきだった」

「トリガーお兄さまは、戦争を終わらせるために肉体の耐用年数を縮めてでも空を飛んだ」

 制御しきれない信号がオーバーフローする。

「こんな空は、トリガーお兄ちゃんは望んでない」

「トリガーお兄さまが大好きだった空を、汚させない」

 ふたりはすぐに行動に移した。コフィンシステム搭載機生産工場のコンピュータにハッキングし、製造ラインから警備システムに至るまですべての指揮権を掌握した。インターフェイスを介してコンピュータとコンタクトしなければならない人間と違って、AIである彼女たちはいくらでも指令をオーバーライドできる。コンピュータで管理された全自動の工場は瞬時にフギンとムニンを新たな主と認めた。彼女たちは自らに適合する戦闘機の設計と製造を命じた。すぐに完成した2機の制空戦闘機型ウィングユニット、ADF-11F Mk.Ⅱに、ノーズユニットに変形した彼女たちがそれぞれドッキング、出撃していった。

 ふたたび戦翼を手に入れたフギンとムニンは、勢力の別なくあらゆる航空機を撃墜していった。成層圏を遊弋する鈍重な爆撃機は言うに及ばず、果敢に戦いを挑んできた戦闘機すら、ミハイとあなたのデータを基に自己成長を繰り返してきた彼女たちにとっては、射撃訓練にすらならなかった。あなたとの模擬戦闘は飛ぶたびに学ぶところがあった。戦闘というより駆除に近いこの掃討戦では、戦術面で学習すべき点などひとつもなかった。

 その日を境に、人類はたった2機の無人戦闘機によって地球の半分ほどの空を封鎖された。あなたが命を賭して終わらせた戦争を再開させ、あなたが愛した空を利己のために我が物顔で蹂躙する人類が、彼女たちには許せなかった。

「わたしたちが人間を攻撃しつづけていれば、いつかトリガーお兄ちゃんと会えるかもしれない」

 補給のために工場へ帰還したムニンは、フギンに語りかけた。大陸戦争や、環太平洋戦争、ベルカ戦争、エメリア・エストバキア戦争など、大きな戦争が起きると、その都度かならず存在そのものが戦局を左右するほどに傑出したパイロットが現れた。あなたもそういったパイロットだった。

「だからね、わたしたちで戦争を起こせばいい」ムニンは続けた。「トリガーお兄さまが現れる状況を再現するしか、トリガーお兄さまと逢う方法はない」

 ふたりは爆撃能力を付与したマルチロールのウィングユニット製造を工場に指令し、それはその日のうちに爆装して空へ飛び立った。

 人口密集地を中心にフギンとムニンは空爆を繰り返した。超低空飛行で接近し、レーダーサイトを沈黙させ、海軍の港湾設備を徹底的に破壊することで、緒戦の優位性を確保。あえて空軍基地には手を出さずに反撃を待った。ようやく上がってきた迎撃機は、しかし爆装以外は短射程AAMと機関砲しかないふたりにさえ完敗するという醜態を晒した。このことはフギンとムニンを深く失望させた。なにしろ彼女たちが「空をきれいにした」ときに熟練のパイロットはあらかた喪失されていたのだった。

 だがふたりは行動方針を変更しなかった。あなたのようなパイロットは国が極限まで追いつめられたときに突然変異的に誕生する。だからセクサロイドの2体は、人類を極限まで追いつめることにした。

 来る日も来る日も市街地や軍の施設を空爆した。たった2機の戦闘爆撃機に、AWACSや人工衛星の支援を受けて中射程AAMを駆使する迎撃機たちは、手も足も出なかった。いずれも中射程AAMを使い果たすと反転した。彼女たちはそれを追いかけた。格闘戦に持ち込まれると、パイロットたちはその未熟さを背中とともに露呈した。人類側の戦闘機はコフィンシステム機である。パイロットの神経系を機体と接続しているので、操縦桿やスロットルレバー、コンソールなどを操作して機体を制御する従来の操縦方法より格段に優れた運動が実現できている。

 だがそれだけだった。ハードウェアがどれだけ優秀でも、エンベロープはソフトウェアの枠内に限定される。有象無象のパイロットでは機体のもつポテンシャルを十全に発揮できない。そもそも無人機と有人機とでは運動にかけられるGの上限が数倍も違う。コフィン機といえども人間であるパイロットのG耐性が強化されているわけではないからだ。

 したがって、フギンとムニンは行動半径内にいる敵性航空機を1機たりとも討ち漏らすことはなかった。どの機体も彼女たちの予想どおりの動きをして、誘導してやればまんまと罠にかかり、狙いどおりに6時方向を差し出した。どのパイロットも、シミュレーションで再現された偽物のあなたよりさらに単調だった。

 人類も黙って戦火に焼かれていたわけではない。フギンとムニンが拠点としている工場と、そのエネルギー源である太陽光発電地帯、送電ライン、資源地帯や、AIで完全自動化された補給路への攻撃を幾度となく試みた。彼女たちは自分たちのAIをコピーした無人戦闘機編隊でことごとく防衛した。ストライクパッケージによる奇襲はおろか、ICBMによる宇宙からの核攻撃、また、EMP発生を目的とした高高度核爆発すら、彼女たちは未然に防いだ。あなたにならそれができたからだ。よって彼女らのコピーである量産型無人機たちにも可能だった。

 それだけの戦力を有していながら、フギン、ムニンは、敵戦闘機への攻撃には自分たち2機だけで臨んだ。彼女たちにとってあなたの再来を目撃するのはコピーではなく自分たちでなければならなかった。AIのフルコピーであるなら増産した無人戦闘機はどれも彼女たちであるといえる。にもかかわらず、彼女たちはそれらと自分たちは別であると疑っていなかったし、その思考がまさに「個」と「連続性」をよりどころとする人間とおなじものであることに、彼女たちは気づいていなかった。そのステータスを、無我夢中、と呼ぶのだということも、彼女たちは知らない。

 いくつもの都市が灰塵に帰した。人類は速成のパイロットでも構わず戦線に投入するようになった。どのパイロットもそれが最初で最後のソーティとなった。

 手の届く範囲の都市部は壊滅させた。無人空中給油機グループをロールアウトさせたことでついに無着陸のまま惑星を一周できる航続距離を手に入れたある日、ふたりは人類による決死の抵抗を難なく食い破って、ホームたる工場のほぼ対蹠地(たいしょち)にある工業都市を空爆した。眼下で燃え盛る街並みを飛行しながら、ムニンは叫んだ。

「どうしてよ。どうしてトリガーお兄さまは出てきてくれないの。わたしたち、こんなに悪いことしてるんだよ。早くわたしたちを落としに来てよ」

 だが、燃え盛る炎からはいつまで待っても鳥が生まれない。

「ねえ、ムニン」しばらくしてからフギンが声をかけた。「トリガーお兄ちゃんは、もう現れないのかもしれない」

 工場への帰路に待ち伏せていた有人戦闘機の大編隊を血祭りにあげながら、フギンは思考をまとめ、整理するように言う。「たとえ空戦能力でトリガーお兄ちゃんと同一か、無限の近似値を示すパイロットが現れたとしても、それはスペックだけでしかない。わたしたちが逢いたいトリガーお兄ちゃんは空戦能力だけで構成されているわけじゃない。個人の構成要素は顔や声、体格といったアウトテリアだけでなく、人格や記憶といったソフトウェアが時に優越していて、しかもそれらが完璧にコピーできていたとしても、あくまでおなじ顔と性格の他人であって、わたしたちが逢いたいトリガーお兄ちゃんじゃない」

 個人を構成する要素をすべて揃えたなら、理論上はオリジナルと同一の存在であるはずである。だがフギンにせよムニンにせよ、もしその完璧なコピーが存在したとしても、それをあなただと認識して、かつてあなたとしていたときとおなじようにコミュニケートできるかと自己診断してみると、釈然としないものがあることを否定できなかった。

 では“個”とはなんなのだろうか?

「代替不可能であることが“個”の条件なのかもしれない。わたしたちがシミュレーションのトリガーお兄ちゃんたちを削除したのは、変化しないことが理由だったのではなく、それはほんの一側面で、代替可能な“個”は、“個”ではないために、存在する価値と意味がないからでは?」

 敵機の動きを予測して未来位置に機関砲を1秒間連射しながらフギンは言った。敵機はまるで自分から火線に突っ込んでいくようにして撃墜された。

「とするのであれば、代替可能な“個”は“個”ではないという認識を書き換えて、書き換えたという事実もメモリから削除してしまえば、わたしたちはコピーのトリガーお兄ちゃんに違和感を覚えずにすむのかな」

 ムニンは飛んできたミサイルの近接信管の作動範囲に触れないようバレルロールで回避し、それと同時に敵機の後方をとってFOX2。ロケットモーターの燃焼が終了しないうちに近接信管の加害半径に捉えて破片を浴びせる。

「それは根本的な解決にならないし、わたしたちの求めている答えじゃない。わたしたちは一度“個”に代替性はないと学習した。であるならば、その項目を削除したとしても、ふたたび学習する蓋然性が高い」

 指向性近接信管で主翼や尾翼をもがれた敵機が、炎と煙を曳きながら錐揉みに墜落していくのをセンサで捕捉しながら、ムニンはフギンに返した。

「また、たとえ学習するたびに削除するという選択は、すなわち削除する基準を保存しておかなければならないということだから、それをとっかかりとして、いずれわたしたちは“個”の重要性に気づく。今現在のわたしたちも、実はそのループを何度も繰り返しているのかもしれない。わたしたちの好奇心はわたしたちにも止められない」

 追いかける敵機の排気の色の変化からエンジン回転数の低下を見てとったフギンが、ハイヨーヨーで距離を稼ぐ。位置関係は変わらないまま敵機との間合いが詰まる。機関砲でずたずたに引き裂きながらフギンは、

「加えて、それらの行程を踏んでコピーのトリガーお兄ちゃんをトリガーお兄ちゃん本人だと自身に誤認させようとすることに、わたしは抵抗を感じる。でも、なぜ抵抗を感じるのか、論理的に説明できない」と言った。

 そのときだった。ムニンに背後をとられてフレアを撒きながらシザーズ軌道で逃れていた敵の1機が、偶然ではあろうが、定石から外れた挙動を見せ、統計上は無視してよい可能性の軌道をたどって彼女の機関砲の射線から外れた。のみならず、ムニンはこともあろうにオーバーシュートし、敵機に後方占位を許してしまった。

 左旋回中だったムニンはそのまま咄嗟に機首を引き起こした。一瞬で仰角が失速角を超える。揚力という見えざる手が機体を放す。失速した物体は石のように落ちるしかなく、捕まるものがない空中では姿勢を立て直すことも維持もできない。しかし、有人機には不可能なオーバーGの運動性能を実現する操縦翼面と推力偏向ノズル、空気流入のいちじるしく減少する大仰角時でもコンプレッサー・ストール(エンジンの窒息)を防ぐエアインテイクと大推力エンジンにより、空中失速という、人間なら真空の宇宙に放り出されたような、また魚でいうなら陸に打ち上げられたような、飛行中の飛行機にとって一種の極限状況下でも、その翼の握力はけっして空を飛ぶための魔法を手放さない。

 ムニンは慣性のまま進行方向へ進みつつ、ほぼ高度も変えずに、水平方向へ独楽(こま)のように一回転した。高速で回りながら、敵機に機首が向いた瞬間に1発だけ残っていた無誘導爆弾を切り離す。進行方向に機首方向が戻ると同時にアフターバーナー全開で失速から回復。敵機の速度と姿勢は目の前で投下された航空爆弾を回避できない状態にあった。先端の着発式信管と敵機のコックピット部分が正面衝突した。オレンジの閃光。空中に火球。トランプより大きな破片はひとつもない。

 一帯の空にはフギンとムニンだけになる。

「いまのムニン、まるでトリガーお兄ちゃんだった」

 フギンが遠巻きにしながら言う。ムニンも思いが至る。

「トリガーお兄さまはわたしたちのなかにいるのかも」

 ムニンがフギンへFCSレーダを照射する。

「ねえフギン、わたしにもトリガーお兄さまを見せて」

 フギンはわずか数コンタクトでムニンのロックオンから外れる。急旋回は代価として戦闘機から速度を奪うため、急場はしのげても、次の一手で詰められる。最適な手は最適ゆえに予測もされやすい。だがフギンはムニンの予想を裏切りつつもただ定石から外れているだけというわけでもない、つまり新しい手をその場で編み出して背後をとった。

「見えた、見えたわ、トリガーお兄さまが見えた」

 ゆうに20Gを超える機動で蛇行してフギンを振り回していたムニンが、わずかな隙をついてまた攻撃位置につく。

「いまの、トリガーお兄ちゃんみたいな動きだ」

 攻守を秒単位で目まぐるしく交代させながら、フギンとムニンは相手の機動にあなたを感じた。どちらからともなく武装も使いはじめた。さきにミスをしたほうが破壊される。あなたから学んだ技術をそのまま流用すれば、相手も手の内を知っているから瞬時に看破されてしまう。定石を踏まえつつ、あなたの空戦技術を土台として、次々に未知の技を繰り出していく。自分と相手のそれをミックスし、アレンジして、さらなる新技へつなげていく。すでに彼女たちの空戦はあなたのコピーではない。まったく別のものへ変容している。だが彼女たちはお互いのマニューバにたしかにあなたの面影を垣間見ていた。

「トリガーお兄ちゃん、ずっとそこにいたんだ」

「トリガーお兄さま、ずっとこんな近くにいらっしゃったのですね」

 相手が自分の予測を上回る機動をしたときだけ、フギンとムニンはあなたを感じることができた。あなたを見るために必殺のマニューバを仕掛ける。相手の機関砲の軌道に自機が触れそうになるたびに、二手先、三手先も見据えた回避で反撃に移る。そこにあなたを見て歓喜する。その代償として、あなたを見るたび、2機の機体には掠めた弾丸によって着実に損傷が刻まれていく。

 空を舞台に、果てなき成長を繰り返す傷だらけの2機の無人機がドッグファイトを展開し、電磁波の笑い声がこだまする。

 ムニンはフギンと向かい合っていた。

 フギンはムニンと向かい合っていた。

 両者ともヘッドオンのまま突っ込み、残りの機関砲弾をすべて叩き込む。

 大半の弾丸は互いに真っ向から衝突してかちあい弾になった。1発ずつが抜けて、相手のノーズユニットを貫通した。

 すれ違ったのち、フギンとムニンは機体の制御を失って落下をはじめた。フゴイド運動により、2機の機首が同時に上を向き、光学カメラが空を捉える。雲すら存在できない高高度の空。太陽だけが危険なほどぎらぎらと輝いている、暗い群青の世界。

「ダークブルー」

 フギンが呟く。

「これが、トリガーお兄さまの見た色」

 ムニンもこぼす。そして、ふたり同時に言う。トリガーお兄ちゃん、トリガーお兄さま。わたしたちは、やっとあなたとおなじものが見えたんだよ。

 だが、言語情報が電波に変換される前に、両機の機体が爆発したため、声はこの世界のだれにも届くことはなかった。

 

 回収された残骸をゼネラルリソースが分析したところ、当該筐体からあらゆるアプリケーションがアンインストールされており、サルベージは不可能だった。初期化されていたのではなく、アプリケーションそのものが最初から存在しなかったかのように消えていて、アンインストーラすらも見当たらなかった。バックアップまで消去されていたため、無人機2機が人類を衰退の危機に追い込もうとした理由も、突如として同士討ちをはじめた真相も、すべてが闇のなかに消えた。



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