ポケットモンスター 侵食される現代世界   作:キヨ@ハーメルン

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第12話 集い始める力

 リヴァイアサン号がシロちゃんを乗せて一路関東へと進んでいる頃。東京都内のある大学の研究室では、一人の男が達成感に浸っていた。男のネットでの通称は植物学者。シロ民からきのみの科学的な検証について任された男だ。

 

「ふぅ……」

 

 まだ年若いといっていい男はゆったりと椅子に腰掛け、その背もたれに身体を預ける。いかにも疲れてますといわんばかりの男の視線の先にあるのは十数枚の紙……男の書いた論文だ。内容は当然、きのみについて。

 

「…………」

 

 男は今まで幾つもの論文を書いて来たし、それが人に認められた事もあれば、尊敬出来る教授に誉められた事もあった。植物学者として名が売れ、今では若くして講師の地位にまで上り詰めれてもいる。しかし、そんな彼をして今回の論文は期待と不安、その他諸々がごちゃ混ぜになって全く先が見えない代物になってしまっていた。

 勿論努力はしたと自負出来る。それこそここ2、3日は寝食を惜しんでやったと言える程度には打ち込んだのだ。尊敬する教授からの反応も悪くはなかった。どこぞのコネしかないボンクラ教授とは違い、ある種の叩き上げであるその教授からも及第点を貰えている。まぁ、懐疑的ではあったが……それは仕方ない事だ。男とて自分の目で見なければ信じなかっただろうから。

 

「……きのみ、か」

 

 一通りの仕事をこなしたという達成感が薄れ、本当にこんな論文で大丈夫なのかと不安が増してきた男の目に映るのは、大学の校内で大量に育てた青い果実……オレンの実と、それに関する自らが書いた論文の一枚。思い出すのはきのみに関する事だ。

 最初にきのみが現れたとき、実は男は見向きもしなかった。講師としての仕事が忙しかったし、何かの間違いか、仮に本当だったとしても自分が出る幕は無いだろうと。

 風向きが変わりだしたのは、その果実達を誰も解析できない状況が丸1ヶ月続いたとき。誰もが一番になる事(成功者の席)を争い、しかし最初(失敗の責任者)には成りたくないと奪い合いと押し付け合い、何より無能の足の引っ張りが続き……男がようやく舞台に上がったとき、誰もやらないなら自分がやると男が立ち上がったときに、風向きが変わりだした。

 そしてそんな彼に助言したオタク趣味なシロ民らしい友人の言葉、つまりシロ民なら答えを既に知っていると……その言葉を確かめにネットの海に潜ったとき、風向きが完全に変わった。向かい風でも、横風でもなく、追い風に。

 そこからはトントン拍子だった。あまりの調子の良さと事の簡単さに拍子抜けした程だ。何せ彼らシロ民の言う通りに、もっといえばシロちゃんの言う通りにすれば、その通りの結果が出たのだから。まるで、最初から答えが分かっているかの如く。むしろ周りから足を引っ張られないように気を配る方が大変だったまである。

 

「……いや、事実分かっていたんだったな」

 

 自分の論文、その中の一文をチラリと見て呟く。男の論文の各所にはシロちゃんが描いたきのみの設定、その説明文が殆んどそのまま引用されていた。一応、自分の考えた事ではないと明言してはいるが……仕方のない事だった。まさかシロちゃんが論文を書く訳にもいかず、仮に書いたとしても誰も取り合わないだろうから。いや、場合によっては読もうとすらしないだろう。無名の、姿を見れば幼女並みの彼女を嘲笑するのがオチだ。……嘲笑した相手が元凶とも知らずに。

 

「ん? いや、この言い方は語弊があるな……」

 

 男は暫し考え込んだが、結局良い言い回しは見つからない。

 だがそれも仕方ないだろう。今の状況はどう考えても彼女が元凶としかいいようがなく、どうオブラートに包んでも今回の騒動の中心であるのは間違いないのだから。

 

「シロ民も、そこは否定しきれなかったしな……」

 

 彼ら曰く、シロちゃんはおとぎ話の主人公。

 今起きているのは、親に捨てられた憐れな少女の、儚い夢の具現化。

 なんともそれらしい話だ。男自身そういう話を子供の頃に読んだ覚えがある。日々の生活にすら苦しむ少女が夢を見て、少女を憐れんだ神様がそれを叶える……そんな話だったか。

 実際、シロちゃんは神様に憐れまれるような苦労をしている。物心ついたときには親は居らず、家に一人ぼっち。お金だけは無機質に払い込まれるが、まだ幼い少女……いや、幼女にそれでどうこうしろと言うのは無理だ。もし彼女が賢い子でなければ、近所の人が異変に気づかなければ、恐らくシロちゃんは……死んでいた。小学校に入る前に、だ。

 そして、更に悪い事に彼女の苦難はその後も続く。何せ体質的に身体が弱く、長時間日の下を歩けず、しかも学校でそれらに理解が得られなかったのだから、義務教育期間は苦痛でしかなかったろう。その上味方するはずの親は居らず、家に帰っても一人ぼっち……私なら苦痛に耐えかねて死んでいる。少なくともあんなに真っ直ぐには育つまい。そう男は考えを一度まとめる。……まぁ、いささか闇深いところがあったり、精神年齢にバラつきはあるが、それは仕方ないというものだ。むしろよく生き残ったと称賛されるべきだろう。

 

「そう、だからこそ……彼女を批判するのは間違い、あってはならない間違いだ」

 

 勿論苦労しているのはシロちゃんだけではない。男が知らないふりをしているだけで、不幸な子供なんて山ほどいるのだ。

 しかし、それでも。いや、だからこそ。彼女1人の夢ぐらい叶ったっていいじゃないかと、男は思う。シロ民も、概ね似たような考えの者が多い。今まで知らないふりをしてきたのだから、その様な事になっても文句を言える筋合い無し、と。

 しかし世の中は基本的に理不尽でクソッタレだ。男が、シロ民が予測するに、先ず間違いなくシロちゃんを元凶だ黒幕だと叩く連中が現れる。夢を願っただけの少女を、今まで憐れな子供を見捨ててきたクセに、偉そうに糾弾するのだ! 自分達こそ正義と胸を張って!

 あってはならない。そんな間違い認めていいはずがない!

 だが……ネットの掲示板でアイドルネキが語るに、一般の民衆は声の大きな者の考えに同調するものなのだという。自分では何も考えず、群れの流れに流されるのが民衆という生き物なのだと。男もその考えには同意した。専門ではないが、分かる話だったから。

 しかし、だからといって認めるつもりにはならない。それは男を含めたシロ民の総意だった。ようやく報われそうな憐れな少女を、再び地獄に落とす道理無しと。例え偽善だとしても、これ以上見て見ぬふりは出来ないと。ならば、どうするか? その答えの1つこそ、男の論文であった。

 

「シロちゃん聖女化計画……だったか?」

 

 作戦名はコロコロ変わるのでなんともいえないが、やることは同じだ。シロちゃんを騒動の元凶や黒幕ではなく、災いを予言した聖女に落とし込む……それが作戦の骨子である。男のオタク趣味なシロ民の友人曰く「シロちゃんを危険なKeter(ケテル)ではなく、友好的かつ利益を生むThaumiel(タウミエル)として世間に認識させる」との事。男にはその英単語がどういう意味を持つか推測しかねたが、言ってる事は同じだろうと察した。シロちゃんを聖女として神聖化し、悪口を言うことすらタブー化させると。多分にネット特有のノリがある様だが、悪い作戦ではない。少なくとも男はそう考えていた。

 そして、その一歩目こそ自分の論文を皮切りに打ち出される『きのみ』の有効利用。そして事前準備を兼ねた『モンスターボール』の確保、及び解析なのだと。男はそう考えている。

 もし、もし仮に━━いや、男は意地でも成功させる覚悟だが━━今回のこれが上手くいけば、民衆のシロちゃんのイメージは概ね良い方向を向くはずだ。それが預言者か、聖女か、あるいは可哀想な少女になるかは不明だが……少なくとも、民衆に利益をもたらした彼女を叩くアホは少数になるはず。そして少数ならば、どうとでもなる。それがシロ民の考えだった。

 

「論文の根回しは進んでいるし、近日中に元総理に説明出来る様にアポが取れている。モンスターボールも、第一陣は既に送った」

 

 男は自分の論文の一枚を手に取りながら、指折り数える様にして呟く。

 元総理とのアポはアイドルネキが取ってきた。ここで成功すれば政界への情報伝達がスムーズになり、場合によっては今後シロちゃんが動き易くなる様に風通しを良くする事も出来るだろうとの事だ。勿論失敗したときは腹切りものだが……男には失敗のビジョンは見えなかった。

 そしてモンスターボール。こちらは男の専門ではないので、他のシロ民同様自分用を確保した後は専門の研究機関等に送ってある。もっとも有名どころは十中八九門前払いされるので後回しにし、こういう新しい事に目がない人物や、男自身が事前に説明したり頭を下げれる場所を優先したが……だからこそ、話が通り易いはずだ。

 

 男はそこで1人頷き、何気なくオレンの実に関する論文を流し読みする。もう何度もやったので大方の内容は諳じていたが…………目につくのはやはり『傷が塞がる』とかいう非常識な文言や、『未知の物質』とかいう今時そうそう見かけない文言。そして『シロちゃんと呼ばれる人物の預言じみた知識』という色んな意味で危ない文言だ。男は思う。これ論文じゃねぇ、作文だ、と。しかしこうとしか書けなかったのだからどうしようもない。

 あぁ、これも全部『きのみ』が非常識過ぎるのが悪い。効果はファンタジーだし、成分は未知の物質だらけだし、そもそも自分で研究した部分なんて検証だけだ。研究とはいえないし、それで論文なんて書ける訳がない。そうだ、全部きのみが悪いんだ。さもなくばこうなるまでシロちゃんを放って置いた世間が悪い。皆悪い。男はそう現実逃避し、更に現実逃避を重ねてみた。つまり……

 

「フッ……きのみが世に出れば全てがひっくり返るな」

 

 男が軽く鼻で笑いながら出したのは、果実1つで世界が変わるという馬鹿馬鹿しい考え。しかし、事実だ。少なくとも植物学と、医学と薬学辺りは研究を1からやり直す事になるだろう。あぁそうだ。もう珍しい植物を草の根分けて探しに行く必要は無くなる。何せ目の前でアホみたく生えてくるのだから。社会の、大学のあちこちで悲鳴が聞こえるに違いない。男はそう考えて爽快感と、何ともいえない感情を抱く。何アホな事考えてるんだろう、と。

 

「……仕事するか」

 

 一周回って冷静になったのか、男は自分の役目を果たすべく動き出す。男の役目は何もきのみやモンスターボールだけではない。大学の講師としての仕事もあるし、先々を考えれば方々へのコネクションを手に入れておかねばならないのだ。更に足を引っ張っらんとする有象無象への対処も必要だった。休んでいる暇は、ハッキリ言って無い。

 

「━━しかし、変態どもがテロリストになったらしいが……大丈夫なのか?」

 

 だが男の思考は隙あらばそんな方向にも飛んで行っており、まだまだ余裕はある様子だった━━

 


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