チョコを渡す側にも、渡される側にも、ややこしい想いがあるのではないか、と思い書きました。
彼女が気にしていた文面は、まあタイトルのとおりですね。
防人が乙女すぎるような気もしますが、どうかご容赦を。

バレンタインネタを投稿するには、遅きに失した感は否めません

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第1話

「はいこれ、ハッピーバレンタイン」

「おや、わざわざありがとうございます」

 

 女性がチョコレートを男性に渡す。とある島国の、とある日には、いたるところで行われている行為だ。

 本日、2月14日。聖バレンタインデー。恋人たちが愛を誓い、親しい人には感謝を伝える日。

 

「市販のものだけどね。日本じゃ女性からチョコを渡すのが一般的だって聞いたから」

 停泊しているS.O.N.G.本部。そのエントランスにて、チョコを渡した女性――マリア・カデンツァヴナ・イヴはこの国の文化にそれほど明るいわけではない。バレンタインデーは世界的な行事だが、義理チョコや友チョコなど、日本では独自の変化を遂げているようであると知ったときは、少々混乱した。しかし、親しい人に贈り物をするという本質は変わっていない。であれば、郷に従って行うのが道理であろうと考え、マリアはチョコを用意したのであった。

「いただけるだけで有り難いですよ。それも、世界の歌姫からなんて」

 チョコを受け取った男性――緒川慎次はいつもと変わらぬ、温厚従順な笑顔でそう答えた。

「嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも、緒川さんなら毎年沢山貰ってそうね」

 本部でも緒川は女性陣に人気のようだし、恋慕の情を抱いていなくとも、彼に渡す者は多いだろう。

「そうでもありませんよ。毎日同じ場所に居るわけではありませんから、会えるかどうかもわからない人に用意する方はあまりいらっしゃらないようでして」

「あら、そうなの?」

 意外ではあったが、確かに、緒川は毎日本部に来るわけではなく、また仕事の現場も流動的だ。わざわざ、チョコを用意する者は少ないのかもしれない。

 

「それじゃあ、翼からはもう貰った?」

 

 翼であれば緒川と接する機会も多く、バレンタイン当日に合うかどうかは事前に把握できるだろう。それに、今日は朝から番組の収録で一緒だったはずだ。当然、『未だ』か『既に』のどちらかを予想しての質問であった。

 

「いえ。翼さんからは、もう何年もいただいていませんね」

 

 だが、答えはどちらでもなかった。

 

「えっ、どうして?」

 てっきり翼は毎年渡しているものだと思っていたマリアは、つい不躾に尋ねてしまった。

「どうして、と言われても理由は存じ上げないので答えかねますが……。ただ、奏さんや司令には、変わらずお渡ししていたようですね」

 緒川は苦笑混じりにそう答えた。

 その面子に渡しているのに、緒川にだけ渡さなくなったというのは不自然だろう。マリアとしては、何か理由があるのではないか、と勘ぐってしまうところではある。

 一方の緒川は、疑問にこそ思っているものの、翼がチョコを渡さなくなった事自体は特に気にしていない、といった態度。

 

 ――ちょっとくらい、気にしてあげてもいいんじゃないかしら。

 

 そんな余裕綽々な態度を崩してやろうと、マリアは悪戯らしい色を顔に浮べ、からかうように言葉を放つ。

 

「ふーん。じゃあ、もしかしたら緒川さんの知らないところで意中の男性に渡しているかもしれないわよ?」

 

「それはそれで、翼さんが普通の女の子らしいことを出来るのは良いことだと思いますよ」

 

 少しは狼狽えることを期待していたが、緒川は先ほどと変わらぬ苦笑を浮かべたまま、模範解答のようなことを言った。まるで、用意していたのではないかと思うほど。

 本音を隠していると疑うわけではないが、これでは、些か手応えに欠ける。マリアは半ば意地になって、緒川の感情的な部分を引き出そうとする。

 

「そうだけど……ほら、翼を他の人に取られたら、悔しかったりしない?」

 

 長い間、翼の世話をしていれば、親心のような感情が芽生えても不思議ではないだろう。翼がどこの馬の骨とも分からない相手のものになっていたらと考えると、気が気ではないはずだ。それを煽るように、マリアは再び緒川に問いかけた。

 今度こそ、たじろぐ姿を見てやろうと、緒川の顔を注視する。だが、

 

「元々、僕のものではないですよ。それに、誰のものでもありません」

 

 態度も、表情も、声色も、何一つ変わっていない。

 しかし、緒川の発言に何か違和感を覚えた。その『何か』の正体は分からないが、緒川はこの話題について触れて欲しくないのではないか、という直感があった。

 

「そうね。ごめんなさい、冗談が過ぎたわ」

 

 その直感の正否はともかく、大人の男性をこれ以上からかうべきではないだろう。少々、悪ふざけが過ぎた、と反省する。

 

「でもまあ、安心して。私が見てる限り、翼が恋慕してそうな相手はいないから」

「それは……安心してよいのかどうか」

「マネージャーとしては、いいんじゃないかしら。マスコミやパパラッチに嗅ぎつけられる心配もないでしょう?」

「確かに、そういった面では安心ですね」

 この会話は、ここいらが限界だ。チョコも渡しているし、これ以上引き止めるのも迷惑だろう。

「それじゃあ、私はこれで失礼するわ。今度、チョコの感想聞かせて頂戴」

「ええ。ありがたく頂きますね」

 

 マリアは緒川に背を向け、エントランスから内部へ向かう通路を歩き出す。

 そうして、しばらく進んだところに位置する休憩室に入ると、携帯を取り出しある番号へ電話をかけた。数コールの後、電話がつながる。

 

「私だけど、今から会えるかしら?」

 

******************************************************************

 

 時刻は夕方6時。

 本部内の会議室の一つを借り、マリアはある人物を待っていた。

 しばらくすると、入り口の自動ドアが開き、その人物が入ってくる。

 

「それで、電話ではできない話とは一体何だ?パヴァリア絡みの話なら皆も交えて――」

「あなた、緒川さんにチョコ渡してないんですって?」

 

 待ち人――風鳴翼は入室するなり、突然マリアからの質問を受けた。

 

「……そうだが」

「昔は渡していたのに?」

「何故知っている……。確かにそうだが、それを聞くためにわざわざ呼び出したのか?」

「そうよ。どうして渡さなくなったの?」

 マリアの詰問に、翼は呆れた表情をする。

「その、申し訳ないというか」

「どういう意味?」

 『申し訳ない』。渡さなくなった理由を色々と推測してはいたが、それはマリアにとっても予想外であった。余計に気になり、さらに問い詰める。

 翼は逡巡するような仕草をしたまま、その場をウロウロし始めた。しばらくその怪しい動作を続けた後、マリアの方を向き直り、疑うような表情で尋ねる。

 

「……誰にも言わないか?」

「言わない言わない」

 

 マリアのやや適当な答えに、翼は、はあ、とため息をつくも、マリアの向かいの席に座った。

 そうして、昔を懐かしむ様に、語り始める。

「歌手活動を始めてから、緒川さんと一緒にいる機会が増えたのだが、そうすると緒川さんが結構女性に人気があるのだと知ってな」

 その点については、想像に難くない。女性陣からの人気の高さはマリアも認識している通りだ。

「6年前のバレンタインの日、収録後にチョコを渡そうと緒川さんの元へ向かったんだ。しかし、ちょうど現場の女性スタッフに告白されている緒川さんを見つけて、思わず隠れてしまった」

 告白までするとは、中々勇気のある女性だ。いや、緒川の家柄や立場を知らない女性からすれば、ただのマネージャーでしかない。そういったこともあるだろう。

 それよりも、その場面に立ち会ってしまう翼の間の悪さも中々のものだ。

「緒川さんは、その告白を断った。その時、相手の女性が理由を聞いたんだが――」

 翼は一瞬言い淀んだが、意を決したのか、その理由をはっきりと口にする。

 

「緒川さんの答えは、『意中の人がいる』というものだった」

 

 緒川が断ることも、その理由も、マリアにとってはさして不思議なことではない。緒川ほどの人間なら、そういった状況の上手い切り抜け方も熟知しているはずだ。だから、

 

「そんなの、断るための方便かもしれないでしょう?」

「そうかもしれない。でも、もしかしたらと考えると、どうにも渡しにくくなってしまって……」

 

 なるほど、つまりは――

 

「意中の人がいる相手に、チョコを渡す自信がなかった、ってことね」

 翼はこくりと頷くと、そのまま俯いた。

「別に特別な感情があって渡していたわけではないのだが……」

 ボソボソと言い訳のようなことを口にしているが、特別扱いしていなければそんな状態にはならないだろう。

「まあ、理由はわかったわ。でも急に渡さなくなったら、相手は結構傷つくんじゃない?」

「でも、何も言われなかったし……」

「そりゃあ、緒川さんの性格なら何も言わないでしょうね」

 マリアも先程聞いたばかりであるが、さも自分の方が緒川のことを知っているかのように振る舞う。

「……」

 それを悟ったのか、翼は俯いたまま黙ってしまった。

「あなた、もう少し図太くなってもいいんじゃない?」

「図太く?」

「ええ。『日本のトップアーティストがチョコをあげるんだから、光栄に思いなさい』くらいの気持ちでね」

 マリアがそう言うと、ふっ、と翼の口から息が漏れた。吹き出したのか、溜息なのか。どちらかはわからないが、何か響いたものはあったらしい。

「……私のキャラではないな」

「あら、防人モードのあなたは、どちらかといえばそういうキャラよ?」

「そうなのか?いや、そうだったかもしれないな」

 そう言うと、翼は俯いていた顔を上げる。その顔は、若干赤らんでいるようにも見えた。そのまま、本日二度目の溜息をつく。

 

「はあ……わかった、渡す。渡せば良いんだろう?」

 

 半ばヤケクソ気味のようではあるが、言質はとった。

「そうこなくっちゃ。えーと今から買いに行くとなると――」

 もう夕方の6時過ぎだ。お店までの距離と選ぶ時間を考慮すると、それほど選択肢は多くない。どこが良いかとマリアがスマホで探そうとすると、おもむろに、翼が鞄から箱を取り出した。

 綺麗に包装されている。まるで、自分が数時間前に渡したチョコのようだ。

 

 いや、まさか、

 

「……何それ?」

「……チョコだ」

「はい?」

「いや、だからチョコだ」

 

 理解が追いつかない。だが、このタイミングで出したということは、これは、

 

「緒川さんへの?」

 こくりと頷く翼。

「用意してたの?」

 再び頷く翼。

「もしかして、毎年?」

 三度頷く翼。先程よりも、明らかに顔が赤らんでいる。

 はぁ、とマリアも溜息をつく。

 

 ――この剣ってば、本当に、

 

「……姉のような顔になっているぞ、マリア」

 

 知らず、そんな表情をしていたらしい。だが、それも当然だ、なぜなら――

 

「ええ、私のほうが年上だもの」

 

 少しくらいは、人生の先輩ぶってもよいだろう。

「ともかく、チョコがもうあるなら、あとはサクッと渡すだけね」

「簡単に言ってくれる……こっちは6年ぶりなんだぞ」

「先延ばしにしたあなたが悪いのよ。あ、そうだ」 

 そう呟くと、マリアは鞄からメッセージが書かれたカードを取り出した。チョコを買ったときに付いてきたのだが、わざわざこのメッセージを送る相手もいなかったので、放置していたものだ。

「これも一緒に渡すと良いわ」

「ああ、ありがとう。だが、この英文はどういった意味だ?」

「あー……それはバレンタインによく使う、親愛を伝える英語のフレーズね。定型文みたいなものだから、そんなに気にしなくていいわよ」

「そ、そうか。なら、これも付けておこう」

 上手く、はぐらかせただろうか。嘘は言っていないし、これくらいの悪戯、もといアシストは許されるだろう。

「そ、それじゃあ。帰りに渡しておくぞ」

「ええ、頑張りなさいな」

 チョコを渡したからといって、二人の関係が劇的に変わることはないだろう。だが、このわだかまりは解消しておくべきだ。

 

 ――さて、このおせっかいの結果は、明日ゆっくり聞いてあげましょう。 

 

******************************************************************

 

 時刻は、夜8時。

 緒川の運転する帰りの車中にて、翼は悶々としていた。

 渡すと決めたは良いが、どうやって渡すべきだろうか。何せ6年ぶりだ。何と言って渡していたかなど、とうの昔に忘れてしまった。

 

 ――ああ、昔の純粋な私が羨ましい。

 

 過去の自分への羨望すら抱き始めてしまった。あの頃の気楽さを取り戻せないものだろうか。いや、こんなことを考えている場合ではない。早くしなければ、家に着いて――

 

「翼さん?」

「ッ、はい!?」

 

 急に呼びかけられた所為か、驚いて変な声が出た。

 

「ご自宅に着きましたけど……どうかしましたか?」

「いえ、ちょっと考え事をしていて……」

 いつの間にか、家に着いていたようだ。切り出し方を考えていたせいか、全く気づかなかった。そして、まだ考えは纏まっていない。どうするべきか。

 その時ふと、マリアの言葉を思い出す。

 

 ――『日本のトップアーティストがチョコをあげるんだから、光栄に思いなさい』くらいの気持ちでね

 

 そうだ。私はトップアーティスト、風鳴翼だ。その私のチョコを受け取って嬉しくない人間が居るだろうか。いや、居まい。

 まるで自分に暗示を欠けるかのように、決意をする。そうして、

 

「緒川さん、その……これ!」

 

 鞄からチョコの箱を取り出した。

 決意の割には、貧弱な切り出し方になってしまったが、見せてしまった以上、もう引き下がれない。もうどうにでもなれ、である。

 

 緒川の反応を待つ。6年間渡していなかったのだ。驚かれ、何かしら問いただされるだろうと覚悟する。だが、

 

「おや、チョコですか?翼さんから貰うのは、久しぶりですね」

 

 意外にも、あっさりとしたものであった。

 

 緒川はいつものように微笑みながら、ありがとうございます、というとそのままチョコを受け取った。特に、何かを尋ねられる様子はない。

 拍子抜けの反応に、翼はポカンとした表情のまま、固まってしまう。

「翼さん?」

「え、あ、はい」

「どうかしましたか?さっきから、ボーっとしていることが多いですが」

 あれだけ悩んだ末に渡したというのに、あまりにも肩透かしな結果。翼は若干の腹立たしさを感じ、目を逸らしながら、思わず尋ねてしまう。

 

「いえ、その、しばらくお渡ししていなかったことを気にしていないのかと思いまして……」

 

 ――しまった、折角何事もなく終わらせられそうだったのに

 

 自分から話題に出してしまったことを、後悔する。

 恐る恐る緒川の顔を見ると、

 

「……何か、理由があるんじゃないかとは、思っていましたよ」

 

 その微笑みは先程よりも優しいものになっていた。

 

「でもそれは、翼さんが自分で考えて決めたこと。そうして今日、もう一度いただけたことも翼さんの気持ちです。それだけで、僕は十分ですよ」

 

 緒川もまた、思うところはあったのだろう。それでも口に出さず、聞き出しもしなかったのは、彼なりに翼をおもんばかってのことだった。

 勝手に悩んで、苛立っていた自分が恥ずかしくなる。

 

「それでは、このチョコは帰ってから有り難くいただ――」

 

 緒川の言葉はそこで途切れた。その視線は、箱に付属したメッセージカードに向けられていた。先程マリアからもらったものだ。何か、おかしなところでもあったのだろうか。

 一瞬の間の後、緒川は翼の方を向き、尋ねる。

 

「翼さん、このメッセージ……」

「ああ、それですか。意味はよく知らないのですが、バレンタインに親愛を伝えるフレーズだとマリアから聞いたので」

 

 翼がそう言うと、緒川は妙に納得したような顔をする。その表情からは、何故だか少し、残念そうな感情が伺えた。

 

「そうでしたか。でも、このフレーズ、男性にはあまり気軽に使わない方がいいですね。本当に大切な人以外には」

「えっ、そうだったんですか?マリアめ……」

 

 親愛のフレーズというから有り難く受け取ったというのに、図られた。明日、文句の一つでも言ってやらなければ気が済まない。だが、それでも、

 

「でも、渡すのが緒川さんでよかったです」

 

 翼にとって、緒川は大切な人だ。そして、男性でもある。用途としては、間違ってはいないだろう。

 しかし、ふと緒川の方を見ると、虚を衝かれたような顔をしていた。あまり、見たことのない表情。

 

「緒川さん?」

 翼がそういうと、緒川の表情は先程までの優しげなものに戻った。

「……いえ、何でも」

 流石に連続でレアな顔をされては、フレーズの意味が気になって仕方がない。躊躇うことなく、翼は尋ねる。

「ちなみに、あのメッセージ、どういう訳になるんですか?」

「それは……ご自分で調べて下さい」

「ど、どうしてです!?」

 予想外に突き返され、つい声を荒げてしまう。

 

 やはり、変な意味だったのだろうか。だが、翼の心配を他所に、緒川はわざとらしく考え込むような仕草を見せた。

 そうして、いつものように微笑みながら、彼らしからぬ子供っぽい回答をする。

 

「だって、恥ずかしいじゃないですか」

 

 ――ああ、マリアには絶対、今日中に問い質してやる

 

 その決意は、チョコを渡すときよりも固いものであった。



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