金カム主人公の近所のお兄さんポジだが俺は杉元佐一の支えにはなれない 作:MM*K
大幅に修正したため、今回は入営前の秋〜冬の話になりました。
すんごい話の流れ変わってるので、雰囲気で読んでください。
秋は収穫の季節だ。稲穂が実り、村中の田んぼが黄金色に染まる。強く爽やかな一陣の風が通り抜けると、波打つかのように稲穂がたなびいてとても綺麗だ。
前世から俺はこの風景を好んでいた。と思う。記憶が曖昧なものだから自信はないが、懐かしさというか、不思議と愛着を感じているからそうだと思いたい。
前世の実家はど田舎だった。家の周り全部田んぼってくらい田んぼだらけで、それが巨大な運河のように流れていた。子供の頃から馴染みのある景色で、よく塀の上に登って怒られた。でも、怒られても懲りないくらいには、あの光景が好きだったのだと思う。上京する直前ですら子供のように塀に登って腰をかけていた。
コンビニすら車で1時間みたいなところで、すごく不便で嫌いだった故郷。今じゃ帰りたいと思ってもたどり着くことができないほど遠くへ行ってしまったようだ。いや違うな。故郷は今もあそこにあるのだろう。そこから遠ざかるのはいつだって自分の方からだった。
「唯之にいは何で毎年ぼけっと田んぼ見てるんだ。」
「何でって、何でだろうなぁ。なんか懐かしくてみちゃうんだよ。」
「それ葬式の話の時も言ってたじゃん。じじいかよ。」
ついに佐一も反抗期なのだろうか。道端に腰かけた俺の背にのしかかる様にもたれかかる佐一はいつも以上に子供っぽい。原因はわからないが、拗ねているようだ。絡んでくる割に顔は合わせてくれない。
「唯之にいの故郷はここだろ。」
「……ああ、そうだな。」
「ちゃんと此処に帰ってくるだろ。」
「……ああ。」
「真面目に約束してほしいんだ。唯之にい。」
指切ろうか?
俺の目を見ていう佐一は黄昏時というのも相まって、この世のものではないかのような空気を纏っていた。冷たい汗が雫となって落ちる。佐一の顔にはぼんやりとした影が落ちているというのに、虎のような強い瞳だけ光って見えた。意思がこもった、本気の目だ。
多分佐一はやると決めたら本当にやるだろう。約束のために指を切るのか、それとも俺を戦争へ行かせないために指を切るのか。それともその両方なのか。俺には本当のところは分からないが、それでもなんだか恐ろしく感じてしまって、遊女じゃねぇんだから、とはぐらかして家路につこうと促した。
「……いっつも何か悩んでるくせに、なんで俺に言ってくれないの?」
「俺は悩んでなんかいないさ。毎日頭の中ハッピーだよ。」
「ハッピー?なんだそれ。」
「あー……。ハッピーは英語で幸せって意味。」
「幸せ、か。いいなはっぴぃ。俺も使お。」
10回言えば忘れないんだよな。と、ハッピーと口ずさんで指折る佐一の雰囲気は、また子供っぽいものに戻っていた。それにしても10回言えば忘れないって、俺が随分前に教えたことまだやってるんだなぁ。今年で10歳だもんなぁ。小学四、五年生なんてそんなものか。
俺のせいなのか、はたまた別の要因なのか、俺の周りの子供達は妙に聡いところがある。子供だからこそ鋭いのかもしれない。
佐一は特にそうだ。俺のテンションの浮き沈みに一番敏感で、ちょっと落ち込んでればすぐに「どうしたの・なんで攻撃」が始まる。俺のことを純粋に心配してくれているのだろうが、その気遣いが俺には辛かった。佐一は良くも悪くも無遠慮なところがあるから、それに疲れてしまう日もあった。もしかしたら気付かないうちに、優しいお節介を迷惑に感じていたのかもしれない。
だから尚更、佐一に話せるわけがない。前世の自分に戻りたいだなんて、こんな突飛で奇怪な話をしたら即お医者様コースだ。誰にも打ち明けたことはないし、きっとそれはこれからも同じだ。墓場まで持っていく事を俺はもう分かってる。
たとえ突飛でも奇怪でもなくても、幼い佐一に重苦しい悩みを吐き出すような真似はしたくない。もしそんな事をしてしまったとしたらそれは八つ当たりに等しい。『高橋唯之』として生きることが辛いのだ、なんて。幸福な事が申し訳ないのだ、なんて。こんな贅沢な悩み持つだけで罪だというのに、それを誰かに打ち明けるなど言語両断だ。佐一もそんな事を話されたって、困ってしまうだろう。
しかし、子供ってもっと自分のことで手一杯で、生きるのに必死なものだと思っていた。俺が初めて面倒見た佐一は今よりうんと小さくて、この両腕で覆い包めてしまうくらいだったのに。温かくて泣いているだけの小さな子は、いつの間にこんなに大きくなっていたんだろうか。
それに比べて自分はどうだろうか。本当に情けなくって仕方がない。
俺は佐一が羨ましい。佐一はあらゆる面で俺よりも『高橋唯之』だった。俺はその事を、一生彼の代わりは務まらないという当てつけに感じていた。そう感じてしまう自身も嫌で仕方がなくて、どうしようもない。
この事実に気付いたのは、葬式の一件で佐一と距離を置いたからこそだった。俺は葬式でこの村を離れている期間。自分の想像以上に、生きるのが楽だった。何故ならあそこは、誰も『高橋唯之』を知らない場所で、誰も『高橋唯之』に成ろうとした俺を知らない場所だったからだ。
あそこなら、本当の自分になれるような、そんな勘違いをしてしまったのだ。
だから佐一に何度葬式の話をしてくれと強請られても、大したことは話せなかった。海の話や田んぼの話など、取り留めもないことをつらつらと懐かしかったとだけ言って、土産の干菓子を出して早々に話を切り上げた。
あの日会った少年はどうしているだろうか。佐一と違って、可愛げも快活さもない子ではあったが、そういった意味で俺に恐怖を与えることはなかった。彼のことを俺はさしてよく知らないはずなのに、心の何処かで親近感を覚える彼の空気は、俺に活力を与えるものではないが、優しく触れてくれるものだと思った。
もし佐一が俺を『高橋唯之』にしてくれる子どもならば、あの少年は俺を本当の俺にしてくれる子どもだったのだろう。
「本当に悩んでないの?」
「本当にないよ。ないない。」
念を押して聞いてくる佐一の追撃を躱して、二人で俺の家に帰っていく。目が開けてられないほど眩しい夕陽が、キラキラと視界の端で沈んでいった。手を繋いでいつも通る田んぼの中の畦道に、サザザという稲穂の音が響いていた。
*
渋柿の糖度は甘柿の糖度より高いという事をご存知だろうか。渋柿はよく干し柿にして食べられるが、実際に糖度を測ると、乾燥する前であっても20度以上もあるらしい。メロン(糖度は17ほど)より甘いのだ。
しかし名前にもある通り、渋柿はそのまま食べれば地獄を見る。まさかこんな不味いものが干せば甘くなるなんて、いったい誰がそんな事発見したのだろうか。何故干せば甘くなるのかなんて難しい理屈は俺には分からないが、干す作業は渋抜きと言うらしい事を婆ちゃんに教わったことがある。
前世の実家もこの時期は家族総出でひたすら渋柿の皮むきをやった。上手にヘタの部分は綺麗に残して、沸騰した鍋の中にぶち込み、白いビニール紐に結んで家の軒先に吊るす。たまに日本酒を霧吹きで与えてやると、無事カビも生えず立派な干し柿ができた。
もちろんこの高橋家でも家族揃って干し柿生産を行う。というか村中やってる。どこの家の軒先も柿、柿、柿。保存が効くし栄養価の高い干し柿はみんなに大人気だ。柿が赤くなれば医者が青くなるなんて言葉があるが、言葉の通り柿は凄い果物なのだ。
今年は佐一も手伝ってくれるようなので、きっと例年より早く作業が終わる事だろう。佐一に刃物を持たせるのは迷ったのだが、これも経験のうちと思ったので、小刀で柿の皮を剥くようお願いした。
それに佐一だけじゃない。今年は兄も病院から村に帰ってきていた。
俺の兄、高橋和正は気の弱い男だ。ストレスに過敏な体質で免疫力も低い。俺より二つ年上の兄と『高橋唯之』はよく遊んだが、雪の中を駆け回って翌日、ピンピンしている弟の横でひどい風邪を引いてしまうほど体が弱く、どこか情けない印象が拭えない人だった。
最近は体調が回復しつつあり、俺が入営するということもあって医者を説得して帰ってきてくれた。俺と兄の間にある兄弟の絆というものは、世間一般から見ると弱いものだが、人並みの情は持ち合わせていた。俺の身を案じて、少しの間だとしても家族揃って過ごした思い出を作るために、おぼつかない足取りで故郷へやって来たのだ。
久しぶりに見る兄の顔は相変わらず優しげで、何度も本当に体は大丈夫なのかと聞くと、兄は心配しないでと笑う。そうは言ってもその体の細いこと。腕も足も、袖から出ているところは全部棒のようだと思うほど痩せている。俺は無言で兄に柿を食わせ続けた。
……何?もう無理だ、食べれない?バカ言わないでください兄さん。それで満腹だったらあんたの腹は俺の4分の1しかありませんよ。
「さぁ兄さん。食わねばその体の細さは治りません。そんな骨と皮で冬を乗り切れるとお思いですか?干し柿も食べてください。干してる分、生で食べるよりも栄養効率が良いですよ。」
「そうは言っても唯之。これはまだ乾ききってないやつなんだろう?俺は腹がいっぱいだし、ちゃんと乾くまで干した方がいいんじゃないかな。」
「この中間のやつが一番うまいんですよ。みずみずしい干し柿なんてこれだけなんだから、食わないと損だ。」
いいから食えという圧力で干し柿を差し出すと、押しに弱い兄はすんなりそれを受け取ってくれた。
ゆっくりと干し柿を食べ始める兄の横で、俺と佐一は第二陣干し柿と漬物をこさえる。今年はかなり大量に作っているが、兄に滋養のあるものを食べさせたい一心である。二人いれば効率よく作業も進むし楽チン楽チン。
漬物は無限ループを生み出すための材料だ。甘いもの→塩辛いもの→甘いもの、の連鎖は止めようと思っても止まらないもの。いくら兄の食が細くても、食欲が湧けば普段よりはたくさん食べられるはずだ。
良かれと思って佐一にも干し柿を漬物を添えて渡すと、佐一は神妙な面持ちで「俺はいい。」と断った。一体どうしたことだろうか。お前の好物だろうに。
「佐一どうした。どこか調子が悪いのか。」
「なんでもない。」
「なんでもないってことはないだろう、そんなに元気がない顔をして、風邪引いたんじゃないのか。」
「だからなんでもないよ。」
そこまで聞いて、なんだかいつもの俺と佐一が入れ替わってしまったようだと思った。いつもは悶々としている俺に、佐一の方が「大丈夫か」と気遣ってくれる。目の前にいる佐一は、佐一に優しくされるくせにはぐらかしている自分と同じだった。
佐一には佐一の悩みがあるのだろう。俺がそっとしておいてほしいと思ったように、今は何も聞かないのが賢明だろうか。少し微妙な空気の流れる家の中が居たたまれなく、俺は散歩と言って、休憩がてら家から出ることにした。
一応佐一にも来るかと尋ねたが、今日に限っては佐一の首は縦に振られなかった。
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ぐつぐつと煮え続ける鍋は、俺の心と似ている。唯之にいの居なくなった家の中で、彼の兄だという男と二人無言で作業をしながら、俺は男への苛立ちを膨れ上がらせていた。しゃりしゃりと柿の皮を剥く音も、手に濡れる柿の汁気も、やけに自分の心をビリビリ刺激するのだ。
男、高橋和正の存在を、俺はついこの前の二月まで知らなかった。俺にとってこの高橋和正という男は、青天の霹靂と言っても過言ではない程の衝撃だった。
きっかけは兄達が徴兵検査の話をしていたことだった。兄達に限った話ではなく、村中の若い男達らはみんな同じような事を話していた。会話の中で、家督を継ぐ長男は徴兵されないらしいという事を聞いたので、俺は兄達に「なら唯之にいは徴兵されないんだね」と言った。すると俺の予想と正反対な答えが返ってきた。
「唯之には兄がいるから次男だ。あいつの事だから、多分徴兵検査には行くだろう。」と。
えっ、と無意識のうちに出た言葉にもならないような声は空気といっても差し支えないほどだった。俺は生まれた頃から唯之にいに世話になっている。兄弟同然に育ったと、そう思っていた。
俺は10年間、兄が居るなんて話聞いたことがなかった。唯之にいは、俺にそんなこと話してくれなかった。
ちらりと横目で男を見れば、目があった男が困ったように微笑む。初めて会った日も思ったが、その顔はやはり兄弟だからか似ている。俺はなんだか悔しくて、そっくりな微笑みを睨みつけてから目を逸らした。
ああなんて憎たらしいんだろうか。穏やかな顔で笑いやがって。お前なんかがまだ生きてるから、唯之にいは徴兵されるっていうのに、のこのことよく村に帰ってこれたものだ。早く死んでしまえばよかったのに。
いっそこの小刀で首を掻っ切ってやろうか。
初めて会う少年から、何故自分がこんなに嫌われているのかなんて、男には分からないだろう。分かるはずがない。そもそも自分が嫌われているとは気付いているものの、殺意を抱かれているとは考えもしないはずだ。
俺は男を心の底から妬んでいる。
男のいない十年を過ごしたのは自分だというのに、その溝を感じさせないほど、自然な兄弟の姿が、羨ましく感じたのだ。きっと男になら、俺にも話してくれなかった心の内を、隅から隅まで打ち明けてしまうのだと。
二年前のことだ。俺は唯之にいの口からそれを本人の意思で伝えられたわけではないが、唯之にいの抱える重いものの一端を、覗いてしまったことがある。
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高橋唯之という男がいる。俺にとってその男はひどく危うい存在だと、杉元佐一は思うのだ。
物心つく頃から彼に面倒を見てもらった自分は、彼のことを実の兄だと勘違いするほど慕っている。実際兄弟でないと知ったのは4歳の頃だった。
いつもいつも誰かのために働いて、爽やかで、笑顔が絶えない好青年。みんな彼のことが好きだし、俺はみんなよりうんと好きだと言える。
勉強がわからないときは分かるように説明してくれるし、やりたいと言った事はやれるようになるまで根気強く付き合ってくれるし、風邪をひいたときは一番心配してくれる。
俺は友人と遊ぶのも好きだったけれど、彼の色んな話を聞くことも好きだったから、彼の家を訪ねる事は多かった。その日は珍しく朝から走って唯之にいの家に遊びに行ったのだ。
唯之にいの家は山の麓の林にある。家は丁度木陰になっていて、昼間でも少し薄暗いが気持ちのいい風の吹く場所だ。村からそこまで通うのは楽ではなかったが、帰りは必ずと言っていいほど家まで送ってくれたので、その為だけに長い畦道を何度も通った。
家の戸を開けて彼を呼ぶ。
しかし、いつもなら囲炉裏の前で乾物の整理をしている姿は見当たらなかった。不思議に思いつつ、もう一度唯之にいと呼ぶが、返事は返って来なかった。
おかしく感じた自分は不躾にも彼の家に上がり、あらゆる戸という戸を開け放って彼を探した。小さな家だったので開けるものはすぐになくなった。けれど彼が台所に立っているのが分かった。
彼は台所で少し俯きがちな体勢で立ち尽くしていた。声をかけても振り向かなかった。前へ回り込めば気付くだろうと俺は彼の近くへ寄り、そして絶句した。
普段の彼からは想像もつかないような表情で、彼はまな板の上の包丁を見ていた。
あまりにもその表情が冷たくて硬いものだったから、俺は何も言えなくなってしまったのだ。息も少しの間止めていたかもしれない。
見ているだけだというのに、その包丁で自殺してしまうのではないかと、当時8歳だった己にそう思わせるほど異常な空気を彼は纏っていたのだ。たぶん、本当に彼は死のうかどうか思案していたに違いない。
普通なら視界の端に人がいれば気が付いて目を向けるものだろう。彼は全くもって微動だにしなかった。瞬きすらしていなかった。彼も自分と同じように、息が止まってしまっているのだと感じた。
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あの日から俺は何度手を握ってもらっても、一緒にいても、互いの間に溝を感じていた。その見えない溝を埋めようと必死だった。
徴兵されると聞いてからは、尚更。
唯之にいは、あっさりと命を投げ出してしまいそうだと思っているから。
この男は果たして知っているのだろうか。あの夜よりも深く暗いものが、一体なんなのかを。
家の中で二人何も喋らず、淡々と作業をこなした。静かな時間は遅いような、早いような、奇妙な感覚をしていた。
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最近佐一はやはり調子が悪い、というか、機嫌が悪いようだ。どうにも暗い顔をしていて、心配で声をかければ口を聞いてくれない。大抵俺が「大丈夫か?」と声をかければ、「別に。」「大丈夫。」「なんでもない。」としか返ってこなかった。
佐一もこんな気分だったのだろうか、と考える。俺は何度も佐一に「不安なことがあるのか。」「何か悩み事があるのか。」と聞かれても、今の佐一のように素っ気ない態度を取るばかりだった。
ついに佐一に愛想をつかされたのだろうか。こんな風にこれまで彼の気遣いを誤魔化して躱してきたバチが当たったのだろうか。しかし、それにしては未だ俺と一緒に居たがるから不思議だ。普通こんなに自分の気遣いを無碍にされれば、付き合ってられないと思う。
そもそも俺は佐一のように根底からの善人ではない。これまで十年よく保ったほうだ。俺の、いかにも人間的なエゴに塗れた本性に、そろそろ気付いても遅くないのではないだろうか。佐一を羨ましいような、疎ましいような目で見る俺自身を知って、今戸惑っているのだろうか。
気になる。気になり始めたらきりがない。聞かないほうがいい事は分かりつつも、聞いてみたくなってしまう。杉下○京か俺は。
思い切って俺は佐一に聞いてみることにした。
「あー、佐一はなんでそんなに俺と一緒に居たいんだ?」
「一緒にいたいと思うのに、理由がいるのかよ。」
「ああ、なんでもいいから、今俺は理由が欲しい。」
「……。」
佐一は口を一文字に結び、目を左右きょろきょろとさせてから気まずそうな顔をした。俺は佐一が話し出すのをじっと待った。しばらく二人とも何も話さないから、妙な空気が流れる。俺は俺で、佐一の口から一体どんな理由が飛び出すのか、無性に気になり始めるし、佐一も佐一で、表情が硬くなって緊張しているようだった。
唾を飲み込む音さえも聞こえてくるような中で、ようやく佐一の重い口が僅かに開く。
か細い声は、静かなせいかやけに良く聞こえた。
「唯之にいが、俺の手を握っててくれたからだ。」
「へ?」
「前に俺が酷い風邪だった時、唯之にいはずっと俺の手を離さないでいてくれた。だから俺は唯之にいと一緒にいたいし、絶対に握った手を離したくないと思った。なのに、兵役なんかあるから……。」
拍子抜けと言うと佐一に失礼だとは思う。けれども、思わず俺は笑ってしまった。笑わずにはいられない。
佐一は風邪特有の急に一人になると寂しくなるそんな時に、俺が手を握ってやった事を、健気に覚えていて、俺の傍に居てくれたのか。そんな吊り橋効果みたいなのでいいのか。お前将来悪い女に引っかかるぞ。ソースは俺。
「笑うな!何で笑う唯之にい!俺は今でもあの日のこと思い出せるぞ!」
「悪いなぁ佐一。いや、ちょっとなんか、いかにも次はとんでも無いのが来るぞ来るぞー!と思ってた時に何も起こらなかったゆえの笑いというか、うん。」
てっきり俺は何かもっととんでもない言葉が出てくるんじゃないかと、勝手に勘ぐってしまって、ドキドキしていたのに。でも良い意味で期待を裏切ってくれた。確かに佐一の話には覚えがある。風邪引いた家族は隔離療養が当たり前だ。この時代風邪こじらせただけで肺炎でバタバタ死ぬから。でも俺は元々体は丈夫だから、佐一が風邪引いた時つきっきりで看病した。熱で顔真っ赤にした佐一の様子は尋常ではなく、もっとヤベェ病気なんじゃないかと俺はずっと心配で、手を握って南無阿弥陀!南無阿弥陀!南無三ー!!と唱え続けた。正直マジでヤバいやつだったらビックリするほどユートピアを佐一に教えなければならないと本気で思っていた。今思えば俺もどうかしてたな。ごめん。
俺が笑ったせいで佐一は御機嫌斜めになってしまったが、その様子は最近とは違って、もとの調子を取り戻したようで、ちょっと安心した。
「元気でたみたいで良かったよ。おかげで俺の心配事も一つ減った。」
「ふん……そうかよ……。」
「そんなに拗ねるなよ。はぁ、たしかに、一緒に居たいと思うのに理由なんて、いらねぇんだよな。」
長く付き合いのなかった兄でさえ、俺のために帰ってきてくれたくらいだ。一緒に居たいとそう思ってしまうことに、何故なんて問いはいくつあっても足りない。でもそんなもの、どうでも良かったんだ。なんであれ、一緒に居たいことに変わりはなかった。
俺はあんまりにも理由にこだわり過ぎた。のかもしれない。俺は『高橋唯之』になるしかない。その過程で色んな劣等感に晒されることは必然だった。俺はグズでノロマなクソだから。
佐一との別れが辛くならないようにと理由をつけて佐一を突き放そうとした。劣等感を感じたくないが為に、自分勝手な対応をしようとした。
けれどこうしていざ佐一に冷たくされたらどうだ。俺は単純だな。佐一に離れて欲しくないと思っている。
あんまりにも呆れてしまって笑いしか出ない。本当に、バカな話だ。あ、涙出そう。
「唯之にい。」
「はは、なんだ。」
「もう和正さんに干し柿食わせるの辞めてよ。」
「えぇ?なんでだ?」
「…手紙に添える干し柿、なくなっちまうだろ。」
また俺が笑うと、佐一は、もーッ!と声を上げて怒った。俺は目尻から出る涙を、笑い過ぎたせいにして上を向いた。
修正前に比べて尾形編の役割をチラッと出せたかなと自己満足に浸っております。
杉元はおそらく基本善良なので、その性質に主人公の高橋唯之が嫉妬してもおかしくないかな、と思いました。人間汚いところは出てしまうものだよね。
高橋唯之は自分より『高橋唯之』らしい杉元佐一に複雑な思いを抱き、杉元佐一は主人公の兄に自分には無いものを持っている妬みを感じ、主人公兄である高橋和正は記述こそしていないものの変わってしまった主人公に対する恐ろしさに似た違和感を持つトライアンゴゥです。(ただしホモではない。)
かなり暗くなったかなぁ、と思いつつ、もともと主人公が葛藤するだけの話でしたね。問題ナシ。