世界の片隅の、とある艦娘達のお話   作:moco(もこ)

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呉の川内型姉妹のお話


嘘つき挽歌(呉鎮守府:川内、神通)

 

こんこん、と部屋をノックする音が聞こえた。はて、姉の川内ならばノックをするような仲でもないし、一体誰だろう、と少々小首を傾げたところで扉越しにじんつー、あけてー、とのんびりした声が聞こえてきた。

 

「姉さん何して……わ」

「お酒のも、お酒」

 

にひひ、と胸元に抱える大量の酒瓶を見せながら姉の川内が中へと入ってきて中央のちゃぶ台にそれを並べていく。

 

「これ、高かったんじゃ」

「いいんだよどうせ使うところもないし」

 

鼻歌でも歌い出しそうな程にご機嫌におちょこをこちらにも差し出す。もちろん付き合うでしょ、と言わんばかりだ。軽巡にしてはお酒を飲む方である姉だが、飲むのはもっぱら私と二人きりのとき。飲み会などでは軽く口をつけてへらへらと交わしている姉が意外にいけるくちであると知れば、一部の重巡洋艦などは黙っていないだろう。だからこそ、なのだろうけど。

 

「なにかあったんですか?」

「ないよ」

 

静かに姉の盃に日本酒を注いでしめやかに乾杯し、なんとはなしに聞く。

 

「だから飲むんじゃん」

 

盃に目線を落としていた彼女はそうぽつりと呟くとまたそれに口をつける。

……姉は、とてもわかりづらい。姉妹である私にすら、お酒を入れたとてその内心を晒そうとはしない。頑固者、と一度以前怒ったところ、そりゃ神通のお姉ちゃんですから、と鼻で笑って誤魔化された。

だからこの姉にとって、何もないことこそが最大の幸福であるということに気づけるのは、果たして私を除いてどれくらいいるのだろう。様式美となりつつあるその無意味なやり取りを終え、しばらく黙って酒を酌み交わした。

 

「雨風しのげる場所がある、飢えることもない。その上お酒まで飲めるってんだから、いい身分になったもんだよね」

「ええ」

 

『──お前は、筋がいい』

 

よくある話だ。深海棲艦の空襲で親を失った子供たち。孤児院などにかくまわれる子はまだましな方で、行く宛もなくさまよう浮浪児達。深海棲艦との戦線が落ち着いてきたとて、未だその爪痕は深く残っている。そういった身寄りもなく、生きるために悪事に手を染めざるを得ない子供たちがまだまだたくさんいるのだ。

姉さんは昔から器用だったから。あの人に見初められて、仕込まれて。そうしてその上前を撥ねられつつも、なんとか少し体が弱く稼ぎの少ない私の分まで稼いできてくれて、細々と二人で生きてきたのだ。

 

『あたしがクソだってんなら。こんなことしなきゃ生きていけないこの世の中はもっとクソだ』

 

雨を避けるために地下道で膝を抱えながら身を寄せ合って。生きることに絶望しながら、それでも悪態をつきながら生にしがみつく。生きているか死んでいるかも区別のつかないような鬱々とした日々に比べれば、明日には死んでいるかもしれないこんな職業でもずっとずっとましだ。姉は器用だった。そうして私は艦娘となることで健康な体を手に入れ、健康な体を手に入れた私も姉ほどではないにしてもそれなりに色々なことができた。頭の鈍いやつから死んでいくような環境で育った私達は、それなりに頭もきれる方で、気がつけば二人ともこの呉鎮守府への転籍が決まっていた。

外を見やれば上弦の月がまだ高いところにあった。たまには、こんな早くからお酒を飲むのもいいだろう。なにせ姉は巡り巡って、現在この呉鎮守府でエースと呼ばれる程には忙しくしている身なのだから。

 

「……もう少し」

「ん?」

「皆にも、そういう顔を見せたらどうですか」

 

私の前で屈託なく笑うこの人は、滅多にそういう顔を他の人に見せない。以前グラーフさんのことを隙がなさすぎると言っていたけれど、私からすれば姉も大概だ。

隙を見せたら負けだ。そういう環境で生きてきたし、きっと姉がこういう風になってしまった一因は守らざるを得ない程に弱かった私にもあるのだろうけれども。艦娘となって私が隣で姉を支えられるようになっても、彼女は相変わらずだった。

 

「やだ」

「姉さん」

「そういうのは別のやつがやればいい。あたしはそんな器用じゃない」

 

そう言い切ってぐいっと一気に煽って空になったそれをこちらに差し出す。

 

「それに世代がかわって徐々に艦種間の上下関係も緩くなってきてるでしょ。あたしくらいはこれくらいでいいんだよ」

「……でも」

「神通」

 

柔らかな、それでいてはっきりとした拒絶を声にのせて姉さんが私を遮った。差し出された盃に私がお酒を注ぐ音が静かに室内に満ちる。

 

「嫌いなものに優しくできるほど器も大きくないしね」

 

ガキは嫌いなんだよ、ホント、とごちながらこの話は終わりと言わんばかりの彼女に。嘘つき、と内心呟き。そうして過去のとある出来事に思いを馳せるのであった。

 

 

時たま、夜一人でどこかにふらりと姿を消すことは昔からよくあった。昔は夜の雑踏に、今は、海の上に。

 

「姉さん」

 

後ろから静かに声をかければ、ひょっこりと彼女が振り返る。気配にさとい姉のことだ、きっと大分前から私の存在に気づいていたであろう彼女は、バレちゃった、と言わんばかりに笑いかけてきた。

 

「内緒にしといてっておっちゃんに頼んであるのに」

「姉さんのお気に入りのお酒を二本差し出したらあっという間でしたよ」

「ちょっと!?」

「そんなことはどうでもいいんです」

「いやいやいや待って大事、どれ、どれあげたの!?」

「──姉さん」

 

姉の言葉を強く遮る。

 

「どこに行くつもりですか」

 

その私の言葉を受けて、姉さんはしばし黙り込んだ。びゅうと海に向かってひときわ強い風が吹く。それに煽られ、姉の手元にあるそれがバサバサと音を立ててたなびいた。

 

「……ただの散歩だよ」

「わざわざ艤装をつけて、そんなものを片手に?」

「そ」

 

残念ながらショットガンは仕込んでないけど、と左手に持っていた花束をこちらに向ける。白い、菊の花束だった。

 

「……しょうがないなぁ」

 

とん、とその花束を肩に担いだ姉は少し困った顔をしながら。今回だけだよ、と呟いてすい、と海へと繰り出した。ついていっていい、ということだろう。この人の妹でよかったと思うことが幾度もある。どうしたって私には甘い、わがままを許容してくれるこの人の。

 

 

しばらく無言で航行を続けていたかと思うと、無線でこの辺でいい、と姉が呟き、緩やかに停止した。月も星も見えない真っ暗闇において、姉の航海灯が頼りなさげに夜の海に揺れる。

何をするのかと黙って待っていれば、徐に彼女は花束を海へと投げ入れた。

 

「……お国のためだ、なんだとこの海に散っていったのに」

 

姉の表情は、暗くてわからない。ただ淡々とそう切り出した彼女は、いつもよりは元気がないように感じられた。

 

「軍艦とすら呼ばれないなんて。惨めな、もんだ」

 

そう言って、黙って海のその先を。多くの仲間達が沈んでいった、遠くを見つめた。

 

『駆逐艦は嫌いだ、すぐ死ぬ』

『なんであたしがあんなガキのお守りしなきゃならないの』

 

口を開けば悪態しか出てこない。訓練は苛烈、その途中で失神しようがお構いなし。深海棲艦と戦う方がまだまし、とさえ囁かれている程に、姉の駆逐艦へのあたりは強い。

駆逐艦は、嫌いだ。その言葉は、まるで自分に言い聞かせるかのように。でも、そうやって言い聞かせたところで。懐からものをスッてやって、それにはしゃぐ彼女らのさまを目を細めて見ていたり、訓練に耐え、予想を遥かに上回る結果を残した娘の頭をぽん、となでたり。どうしようもなくこの人は姉気質で、その言葉がどうしようもないほどの嘘であることだって、私は知っているのだ。

菊の花。手向けの、花。普通ならそれだけを意味するこの花束も。

──そら、くれてやる。お前らの菊花紋章だ。誰がなんと言おうとも。お前らは私にとって立派な軍艦だった。

 

「いい夜」

 

空を見上げてぽつりと呟く。

 

「夜は、いいよね」

 

姉さん、今どんな顔をしているんですか。頑固な姉は、絶対に心のうちをこぼさない。だから、こぼれ落ちそうになると闇夜に消えてゆく。それが、私は時たま、無性に怖い。

 

「私は。……お日様の下で姉さんの顔を見て、姉さんと笑いあう方が好きです」

「うん」

 

目を離せば闇夜に消えてしまいそうな危うさでそこに立つ姉を見失うまいと、必死に目を凝らしてそう答えれば。

 

「神通は、そのままでいて」

 

闇夜の向こうで。姉さんが笑ったような気がした。

 

 

「おしゃれしましょう、姉さん」

「……はい?」

 

ふわふわと定まらない思考のままそう切り出すと、姉さんは怪訝そうな顔で酒瓶のラベルを確認した。

 

「これ、度数そんな強かったっけ」

「よってまへん」

「酔ってる、酔ってるよ、神通」

 

ぐいと残りを煽って手酌でなみなみとお酒を追加すると、あ、ちょっと、と私を止めようとする姉さんが手を伸ばす。それを振り切りまた飲み干した。

 

「このお酒、そういう飲み方するやつじゃ……」

「那珂ちゃんが、呉にある可愛い簪屋さん教えてくれたんですよ」

「あー、横須賀行ってきたんだっけ。元気だった?」

「ええ。いいバックダンサー見つけたってはしゃいでました」

「誰だろ」

「舞風ちゃんと野分ちゃん」

「……舞風はともかくあいつはそんなガラじゃないでしょ」

 

はっ、と小馬鹿にするかのように鼻で笑う。

 

「姉さんって、結構野分ちゃん気にいってますよね」

「まさか。冗談よしてよ、あんな生意気なやつ」

 

ないない、と手を振って否定する姉をちゃぶ台に突っ伏しながらジト目で見上げる。

 

「おしゃれしましょう」

「いいよ、あたしは」

「私が」

 

『──は、こっち側来ちゃダメ』

 

いつだって自分を悪者にして。そうして私に与えるばかり。大きくなっても、健康になってもそれは変わらない。少しくらい、私だって。

 

「私が姉さんに、贈りたいんです」

「……」

「姉さん、きれいなんですから」

「それは妹の欲目じゃない?」

「姉さん」

 

行かないで。何度闇夜に消える姉を引き止めるその言葉を飲み込んだのだろう。何度。闇夜に消える姉に、恐怖したのだろう。姉さん、姉さん。

 

「お願い、だから」

 

確かにそこにいるということを。私に、感じさせてください。

 

 

すやすやと寝息をたてながら潰れた我が妹の前髪を軽く払ってやりながら一人ごちる。

 

「……灯台があるから、陸に帰れるんだけど」

 

自分がどうしようもなくこちら側であることを自覚しているから。だから、頑なに神通をこちら側にこさせることを拒んだ。わがままだということはわかっている。それでも自分がここまで、まぁそこそこ道は外しかけているけどまっとうに生きて来られたのはこの子がいたからなわけで。

 

「灯台から船を探すってのは、存外。心細いのかもしれないね」

 

どうしようもない姉でごめんね。それでも。こうやって小煩く叱って、姉さんと慕ってくれるこの子がいるから。きっとあたしは、ここにいられるのだと思う。

 

 

「ん」

「げ」

 

よりによって第一遭遇者がこいつか。思わず小さく舌打ちするも、そんなのはいつものことなので気に留めることもなく大井が近寄ってきた。

 

「珍しい。色気づいた?」

「馬鹿言わないでよ」

「夜戦馬鹿に馬鹿と言われる筋合いはないわよ」

 

お互い口が悪いのもあり、会えばこのような会話が繰り広げられるわけだが、これが通常運転だ。

居心地悪いのもあり、頭のそれをいじりながら言葉を濁す。

 

「あー、神通、が」

「ああ」

 

その言葉だけで察せられるのは同じ姉としての立場ゆえか。

 

「似合ってるじゃない、お姉ちゃん」

「あんたにお姉ちゃんとか言われる筋合いはない」

「後で青葉呼んだろ」

「やめて」

「そんで那珂に写真送ったろ」

「やめろ」

 

冗談じゃない、那珂にそんなものを手渡したが最後、横須賀中にばらまかれる。とある駆逐艦がそれを見て『馬子にも衣装ですね』と小馬鹿にする姿を想像して激しくイラッときた。

 

「いいじゃない。あんたきれいな黒髪なんだから映えるわよ」

「大井がつけたらキャバ嬢だもんね」

「素直に褒めてんだから素直に受け取れないの、あんた」

「大井が素直とか気持ち悪いんだよ。出撃前に、縁起でもない」

「このアマ」

「そう、そう。調子出てきたじゃない、おねーちゃん」

「こんな可愛げのないクソ妹なんて持った記憶ないわよ」

 

廊下を喧々諤々と歩いていると、すれ違う人達にまたやってる、というような視線を送られる。駆逐艦なんか姿を確認するや否や、ぴゃっと逃げ去る娘も数人。これがいわゆるあたし達の日常だ。鬼の川内、悪魔の大井。地獄の訓練で名を馳せる軽巡二人が揃えばさもありなん。ちなみに神通もそこそこしごくのだけれど、なぜかあの子には通り名がない。いや、どちらかというと名前すら口に出すのが恐ろしいという立ち位置なのかもしれない、あの子は態度こそ柔和だけれども訓練に慈悲はないから。

 

「まぁいいじゃない。たまには妹のわがまま聞いてあげるのも姉の務めよ」

「……木曾って、わがまま言うの?」

「言わないから言わせる」

「……ああ、うん。つくづくあんたみたいな姉を持たなくて良かったわ」

「そりゃこっちの台詞ね。あんたみたいな面倒くさい姉なんてごめんだわ」

 

やいのやいのと言い合いつつ、工廠へと一歩踏み出す。

 

「感謝することね、あんたなんかの妹やってる神通に」

 

そっくりそのまま返してやる、と内心悪態をついて少々やけっぱちにおはようございます、と声を張り上げると、最終点検をしていた明石さんが振り返った。

 

「あら。かわいいのつけてるじゃない」

 

呼び止められて立ち止まると、しゃり、と微かな音をそれが立てる。

 

「似合ってるでしょ」

「似合ってるけど。自分で言う?」

「そりゃあ」

 

指先で簪を撫でる。姉さん、姉さん。あたしにとってあの子の存在が灯台なのだとしたら。きっとこれはあの子にとって灯台から必死にあたしを探すための目印なのだろう。

 

「神通が選んだんだから。似合わないわけないでしょ」

「シスコン」

「シスコンだ」

「うるっさい」

 

そうしてあたしはまた海へと繰り出す。悪態をつきながら、鬼と恐れられながら。いつだってあたしの帰る場所である彼女のくれた、それを身に着けて。

 


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