世界の片隅の、とある艦娘達のお話   作:moco(もこ)

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舞鶴鎮守府の提督と、とある潜水艦のお話


深海に咲く夢見草(舞鶴鎮守府:伊19)

 女の子というものは、とかく噂好きだ。誰それが好きであるとかいう甘酸っぱいものから、おどろおどろしい怪談まで。戦いに身を投じているとはいえ、艦娘も女の子である。そうして付喪神なんてオカルティックなものをその身に宿して戦うとされる艦娘周りは、そういった話題がとかくつきない。

 ──曰く。艦娘は、海に呼ばれることがある。そうしてその言葉に耳を傾けてしまえば、二度と帰ってこれなくなるのだと。

 ──曰く。この舞鶴鎮守府は他の鎮守府とは別の目的で建てられている。それは──。

 

 

 ざばん、と勢いよく海面に浮上する。長いこと海に潜っているとどうにも人である感覚が薄れるというか。こうして海面に顔を出して肺に空気を送り込むことでようやく、自分が人であることを思い出す。

 数時間ぶりの日の光とのご対面。海鳥が鳴く声、風斬り音に、波の歌声。相変わらずの煩わしさに顔をしかめながら陸へと上がり、付随の格納庫から特注のサングラスとそれを取り出し装着しながらペタペタと歩いていると、遅れて今回の訓練の面倒を見ていた新米潜水艦娘が慌てて陸に上がって追いかけてきた。

 

「伊19教官!」

「イクさんでいいのね、柄じゃないし」

 

 ゆっくりと振り返えると、その子は新人らしいぎこちなさでもって言葉を続けた。

 

「イ、イクさん、あの」

「まぁ、新人にしては悪くなかったのね」

「あ、はぁ。ありがとうございます……じゃ、なくて」

 

 少し離れたところで遅れて陸に上がってきた新米駆逐艦娘達を眺める。うん、まぁこっぴどく怒られるといいのね。なんせ一個も爆雷を当てられなかったのだから。それがここ、舞鶴鎮守府に着任した駆逐艦娘達の歓迎会のようなものになって久しい。

 

「……ぇえと、あの」

「……」

「あの!!」

「うぉっ!?」

 

 ぼんやりとその様子を眺めていると、急に耳元で大声を出されて飛び上がる。

 

「あ、ええと」

「あー……言ってないイクが悪いんだけど。急に大声出すの、やめて欲しいのね」

「あ、す、すみません」

「あと小さい声も早口も聞き取りづらいのね、言いたいことがあるならはっきりハキハキ言うのね」

 

 ちょいちょい、と耳元の補聴器を指差して注意をする。ああ、面倒くさい。こういうやり取りを一々しなくてはいけないことが。

 

「……え、イクさんって」

「あんま聞こえないのね」

「じゃ、じゃあ。なんで」

 

 そうして後に続く質問も。

 

「ソナーもつけないで、あんな正確に相手の場所がわかるんですか」

 

 全てが、煩わしい。

 

「耳は悪いけど目はいいのよ」

「は、ぁ」

「あーイクはめちゃくちゃ強い、それだけわかればいいのよ、後大声は出すな」

「は、はい! すみませっ……あ!?」

 

 言ったそばから。思わずしかめっ面になるイクの顔を見て慌てだすそいつの様子を見て、深くため息をつくのであった。

 

 

「特別任務を与えます」

「お断りなのね」

 

 神妙な顔をして重々しくそうのたまったその女のお願いを速攻でつっぱねてやる。

 

「……何度も言うけどね、私は、あんたの、上官よ」

「知ったこっちゃないのね」

 

 ケッとさらに突っぱねると、その女、イクの上司で舞鶴鎮守府最高責任者である提督が呼応するかのように舌打ちした。

 

「チッ……仕方ないわね」

「何を言っても断固拒否なのよ、面倒事は」

「その代わり次の資源回収クルージング免除」

「慎しんで拝命するのね!」

 

 食い気味に提督に飛びつき、後ろに回って肩を揉んでやる。

 

「さすが提督なの! イク信じてたの、ほらほら提督、肩凝ってるなの?」

「うん、あんたのその甘ったるい猫なで声、男ならイチコロだろうけど。気色悪い」

「ふんっ!」

「いだぁ!?」

 

 ごり、と凝りを思いっきり指圧し、しれっとまた執務机を挟んで提督と相対する。

 

「お、おお……」

「で、なんなの? 早くしてほしいの」

「ぐぅ……こ、こいつ」

 

 執務机にもんどりうつ提督をまるでまな板の上の魚のようだ、と回復するまで観察する。イクを恨めしげに見上げるうちの提督は、日本各地の鎮守府の提督達の中で紅一点。日本潜水艦の神衣(かむい)は、かなり際どい。セクハラ問題回避のため、潜水艦娘が多く在籍する舞鶴鎮守府の提督は代々女性が勤めるのが習わしらしい。化粧っ気が全くないのにも関わらず、女のイクから見てもそこそこ整ったその顔が苦痛に歪む姿を見るのは至極愉悦である。

 

「……えー、それでは特別任務の内容ですが」

 

 ガチャン、と音を立てて執務机に並べられるそれ。非常に見覚えはあるものの、特別任務とやらとまるで結びつかなさそうなそれ。

 

「……なにこれ」

「釣り道具」

「見りゃわかるのね、そうじゃなくて」

「デデドン」

 

 よくわからない効果音を発しながらずい、とクーラーボックスと折りたたまれた釣り竿を押し出す。

 

「ミッション。今から言うとこで、魚釣ってきて」

 

 

 単車に乗って一時間少々。指定された場所は驚く程なにもない寂れた海岸だった。

 

『魚が釣れるまで帰ってくんじゃないわよ』

 

 いやもう意味がわかんないのね。これが果たして地獄の周回クルージング免除と釣り合うミッションなのだろうか、と適当な岩肌に腰掛け釣り糸をたらして数時間。ぴくりともしない浮きに段々イライラしてきた頃。

 

「おねーさん、釣れてる?」

 

 妙に明るい音が周囲の雑音に紛れて耳に届いた。それを認識するまでに少し時間がかかった理由は二つ。今日は妙に風が強くノイズが多かったのと。その音、いや声が。とても場違いなものであったから。

 ゆっくりと首を回して後ろを確認する。真っ黒なパーカーに身を包み、フードを目深にかぶった少女、だろうか。背丈は自分と同じくらいか、あるいは少し小さいかもしれない。

 

「……ボウズ」

「だろうね。ここ、なんか魚逃げちゃうらしいんだよね」

「有益な情報ありがとうなのね、帰ったら魚雷ブチ込んでやるのねあのクソアマ」

 

 釣れない場所指定して釣れるまで帰ってくるなとはこれいかに。反抗的過ぎる自身に対する嫌がらせか。よし、海に沈めてやろう。

 

「クソアマ?」

「イクのこといじめるクソ上司なのね」

「ふぅん?」

 

 アホらしい、やめだやめ、とリールを巻き取り後片付けをすることにした。かぐや姫じゃあるまいし。蓬莱の玉の枝を偽装して持ってってやるほどの価値もこれにはあるまい。

 

「ねー、おねーさん艦娘?」

「そうだけど」

「艦種なに? 戦艦って感じじゃないよねー」

「わざわざ言う義理なんてないのね」

 

 艦娘の艤装技術などは機密情報扱いではあるが、艦娘であること自体は別に隠さなくていいことになっている。と、いうか日本人離れした色とりどりの髪色はどうしたって目立つわけで、そういうわけだから下手に隠すのは悪手だろう、という判断があってのことらしい。それに戦線が落ち着いてくるとどうにも軍縮の動きも強くなるわけで、それを避ける目的で積極的に民間人と交流する役目を仰せつかっている艦娘もいるという。

 だから中にはこいつのように艦娘に興味をもって親しげに話かけてくる輩もいるわけである。そうしてイクは、こういう輩がとても嫌いである。ぞんざいに対応をしながらクーラーボックスの留金をしっかりはめ、立ち上がる。まったく、とんだ無駄足だったのね。

 

 ──ざりっ。

 

 何を思ったのか、そいつが一歩こちらへと歩み寄ったその瞬間。

 

「おっと」

 

 びゅん、と風斬り音をたてて勢いよく釣り竿の先端をそいつの喉元に突きつける。

 

「それ以上、近寄るな」

 

 あんたの声って無駄に可愛いわよね、と提督をして言わしめる自身の声をなるべく低く低く、ドスをきかせて鋭く放つ。

 釣り竿の先端がそいつの喉元をかすめるその瞬間、一切の無駄な動作なく一歩後退ってそれを交わしたそいつの、サングラス越しでもわかるほど真っ白な髪がフードの下で揺れたのを。口元が、楽しげに歪められたのを。そうして。

 

「ンー……当ててやろうかァ? オマエ、潜水艦ダロ?」

 

 そのフードの下から覗くその目が怪しくゆらりと光るのを見て。こいつがただの人であると思う艦娘なぞ、いないだろう。

 

「勘が良くて逃げ足が早イ。当たってるダロ?」

「そんなに殺気立ってたら誰でも気づくのね」

 

 何が楽しいのか、ケタケタ笑いながら話しかけてくるそいつの声に、ノイズが交じる。そうして、それが普通の声でないということは耳が聞こえづらい自分だからこそわかった。普通なら聞き取ることができないような不協和音。それが、妙にクリアに脳に‘声’として届く。

 

「ンー、アー……ねぇ、そのクソ上司に魚釣ってこいって言われなかった?」

 

 喉元をいじって声の調子をととのえながらそいつがパサリ、とフードを取り払った。その顔は思ったよりも可愛らしいものだった。病的に白い肌とさらりと海風に揺れるやわらかな白髪、そうして怪しく光る瞳を除けば。その正体を知らない人が見たらアルビノの子供かしら、と見間違うほど、そいつは無邪気に笑ってみせた。

 

その魚は、私だよ(・ ・ ・ ・   ・ ・ ・)

 

 ──見たことのない個体だった。人型個体の報告が徐々に増えてきているとは言え、ここまで。ここまで向き合って、恐ろしいと本能が叫ぶ個体は、少なくとも自分は会ったことがなかった。

 

「……クーラーボックスにあんたバラして入れたら事案なのね」

「アッハ、オマエ、面白イナァ」

 

 そもそも深海棲艦とは、意思疎通ができないものではなかったか。人語を発する個体も基本的には怨嗟の声を人の言葉に乗せて垂れ流すだけで、双方向のコミュニケーションは取れないはずだ。だとしたら、こいつは。

 

「前の奴よりは楽しめそうだ。仲良くしよう、生贄ちゃん」

 

 一体、なんだ。

 

 ──北陸地方を中心とした日本海側は、なぜか初期から他の地方に比べ深海棲艦からの襲撃を多く受けてきた。それは深海棲艦七不思議のひとつとも言われている。一体どこからやつらはこの日本海側に現れるのか。基本的にどこかしらの海域を根城としてそこから出現する深海棲艦ではあるが、それだけでは説明のできない現象がいくつもある。制圧したはずの海域に突如として現れる濃霧と、強力個体を中心とした艦隊。通称E海域と言われる、予測不能の大災害。そうして。根城とできる海域もないはずなのにふらりと現れては日本近海を襲う通称はぐれ深海棲艦。そして、このはぐれによる襲撃はなぜか昔から日本海側の方が多かった。そうして、そういった説明のつかない現象は得てしてあることないこと、とかく噂の呼び水となる。曰く、きっとこの地方に囚われの深海棲艦がいて、それを取り戻そうとはぐれがやってくるのだと。曰く、この地方に天災が多いのは、囚われの深海棲艦が時折思い出したかのように暴れるからであると。

 ──曰く。舞鶴鎮守府は、その荒ぶる深海棲艦を鎮めるために建てられたのが、始まりである、と。

 

 

 だっだっだ、と荒々しく廊下を駆け抜け、扉をぶち破る勢いで開く。それに驚いて顔をあげた間抜けヅラのそいつめがけて。

 

「今帰ったのね死ね!!!」

「ぎゃー!?」

 

 右手に鷲掴んだ魚雷を野球よろしく振りかぶる。今日という今日は息の根を止めてやると殺る気満々に顔面にそれを叩きこもうとした瞬間。

 

「──止まれ(・ ・ ・)!!」

 

 びたり、と慣性の法則も無視して振りかぶったその腕が、体が不自然に止まる。その反動に体が軋む。

 

「ぐっ!」

「よーし、いい子ねー、いい子だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ぎぎぎ、と自分の意志に反して体がその指示に従う。床に置かれた魚雷からイクが距離をとったのを確認し、ホッと胸を撫でおろしつつも首元のそれからは油断なく手を離さない提督に舌打ちをする。

 

「本当にこれ、忌々しいのね」

「ああ、本当に。ほんっとうに、これがあって良かったわ。じゃなけりゃ命がいくつあっても足りない……」

 

 強制命令執行権。艦娘は人智を超えた能力を有する。その絶大な武力を有する艦娘を従える提督はただの人、とくればそれ相応の抑止力が必要になるわけで。提督の首元に装着されている咽頭マイクのような装置を通して命令されると、艦娘は絶対にそれに逆らえないのである。それは単純な指示であるほど効果が大きい。例えば、さっきのような止まれという命令。これが絶対に死ぬな、というような条件が曖昧なものになると途端に効力が弱くなる。あくまで、ただの人である提督が艦娘を統率するための見える抑止力がこの強制命令執行権だ。

 

「次は窓の外から魚雷放り投げてやるのね」

「うん、私が悪かった。悪かったからやめて。うちはただでさえ貧乏なんだから、そんなことしたらゴーヤ達が死ぬわよ。その補修費稼いでもらわないと」

「仲間を人質にするとか人のやることじゃないのね!!」

「ただの人に魚雷ぶち込もうとする女に言われたくないわ!!!」

「先に殺そうとしたのはアンタなのね!!!」

 

『──仲良くしよう、生贄ちゃん(・ ・ ・ ・ ・)

 

 楽しげに笑うあいつの言葉がリフレインする。つまりは、そういうことだ。ここの噂は嘘か真か知らないが色々と聞いている。そうしてあいつのあの言葉だ。つまり、イクは。

 

「そうじゃない!!!」

 

 珍しく語気荒く提督が叫ぶ。普段飄々として滅多に取り乱さない提督のその様子にびくり、と怯んだ。

 

「……そうじゃ、ないけど。悪かったわよ」

 

 そうしてその激情を一瞬で飲み込み、少なくとも表面上は平静を取り戻したのは腐ってもここの最高責任者ゆえか。バツが悪そうに頭をかいて彼女はこちらに向き合った。

 

「イクなら大丈夫だと思ったのよ。というか適任がもうあんたしかいなかった」

「生贄の?」

「……少なくともここ最近殺される娘はいなかったし」

「やっぱり殺されてるんじゃねーかなの!!!」

「だ、大丈夫、自信はあった。あと失敗したらちゃんとお祓いに行くつもりだった」

「勝手に悪霊扱いするんじゃないのよ!!」

 

 おどれゴルァ! と胸倉を掴んで吊るし上げてもされるがままにしているのは少しは罪悪感があってなのか。心ゆくまで吊るしあげ、幾分か気も紛れたところで、ようやくまともに話を聞くためにどかりと執務室内の予備の椅子に腰掛けた。

 

「生贄ってのは、当たらずとも遠からずってところね。要はあいつの暇つぶしに付き合ってあげてストレス管理するのが、まぁここの鎮守府の裏のお仕事」

「ストレス管理?」

「そ。津波でも起こされたらたまんないから」

「……色々ツッコミたいところはあるけど、とりあえず、まず。あれ、なんなの?」

 

 そもそも前提条件が抜けている。本能で、あれは深海棲艦なのだと理解していてもまずは説明してもらわないことには始まらない。

 

「戦艦レ級flagship、って一応名前つけられてるわ。まぁ、あの個体は今現在あいつしか発見されてないんだけど」

 

 あのチビ、戦艦か。しかし一体しか観測されてないのにflagship、つまり突然変異体とカテゴリされているのは一体。

 

「解決策がない」

「は?」

「人語を理解する強力な個体には、その意識の核となっている艦艇がいる、ってのが通説なんだけど」

「……待つのね、これイクが聞いていい話じゃ」

「もう遅いわよ」

 

 今日は、なんて日だ。一生分の不運が降りかかっていたとしてもお釣りが出そうだ。内心舌打ちしながらも、少々疲れたように言葉を続ける提督に耳を傾ける。

 

「あれにはそういうのがない。断ち切る縁も、未練も。あれは、純粋な、悪」

 

『──仲良くしよう、生贄ちゃん』

 

 まともに目を見れば、持っていかれそうなほどの狂気。そばにいるだけで身の毛がよだつ。無邪気な外見のその内に渦巻くのは、純度百パーセントの悪、いや。あれは、殺意だ。

 

「それでいてデタラメに強い」

「……あーそんな気は、してたのね」

「しかもまともにやりあっても驚異的な自己再生能力でダメージが通らない」

「……マジ?」

「マジ。どうしようもなくて、まぁ当時の艦娘が死にもの狂いであそこに封じたのよ」

「イクの知ってる艦娘となんか違うのね……」

「そりゃうん十年経ったら定義だって変わるわよ」

 

 はぁーと深くため息をついて提督は苦笑した。こんな内容を自分一人で抱え込み、そうして。恐らく、わかっていながら自身の部下を犠牲にしなくてはならないその立場に疲れた女がそこにいた。

 

「封じて終わればよかったんだけどね。いつだって、ああいう荒魂(あらみたま)の類は定期的に暴れる」

「津波?」

「とかね。大小様々だけれど。この辺、中々復興進まないでしょ。そういうことよ」

 

 まさかのあの眉唾ものの噂がどんぴしゃりである。噂も馬鹿にならないのね。

 

「……あいつとの対話を試み始めてからもう十数年になる。現状の打開策になればってね、何人もの艦娘が犠牲になったわ」

「殺された?」

「いや、精神的におかしくなる(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)

「……」

「会ったんなら、わかるでしょ。……艦娘だけなのよ、あいつと言葉を交わせるのは。パンドラの箱はすでに開け放たれた。そうして上はきっと希望が底にあるはずだって意固地になってんのよ」

 

 そうして執務机の椅子に腰掛けると、うなだれるように肘をついて深く深くため息をつく。

 

「恨んでいいわよ」

 

 ぽつりと呟かれたその声は、それでいてイクの耳にちょうどいい声量で届く。もうこいつともそこそこ長い付き合いだ、だからそれはその過程でこいつの身にしみてしまった癖のようなものだった。そうして、イクは生まれて初めて。ここまで弱っているこの女の姿を見たのだ。

 

「一つ聞きたいのね」

「……なに」

「なんでイクなの」

 

 イクはこの舞鶴鎮守府においては古参の部類だ。そうして、これも自慢ではないが、恐らくここにいる潜水艦娘の誰よりも強い自信もある。最初は捨て駒にされたのだとブチ切れたけれども。冷静に考えれば、おかしいのだ。こいつはそういう理に叶わないことは絶対しないはずだから。

 

「……あんたが」

 

 逡巡するかのように口を開きかけては閉じて。そうしてようやくそいつが発した言葉はどこか絞り出すかのようであった。

 

「あんたが、一番。頼りになるからよ」

 

 それは、なんとなく。助けてほしい、と助けを乞うているかのようでもあった。

 

『ねー、なんでイクを秘書艦にしないんでちか?』

『は? 頼まれたってお断りなのよ』

『あっはっは、本人がこれだし』

 

 舞鶴の現秘書艦はゴーヤだ。舌っ足らずな喋り方、幼稚園児と言われても半分くらいの人は信じそうなほどの童顔。舞鶴鎮守府一の見た目詐欺と言われるパッと見幼女は地味に頭脳明晰だ。だからゴーヤが秘書艦であることに対して誰も特に文句はなかったし、それは自分にとってもそうだった。

 その日はなんとなーく二人をからかって遊んでやろうと執務室に遊びにきていたのだ。そうしたらふとゴーヤがそんなことを切り出した。

 

『でも提督が一番信頼してるのはイクでちよね』

『まーね』

『……』

『お、照れた? 照れた?』

『ウザいのね』

 

 くだらない、と嘆息して視線を手元の本へと落としかけたそのとき。

 

『──だから秘書艦にしないのよ』

 

 そうこぼしたこいつの意図は、あのときはよくわからなかった。思えばあのときから色々と考えていたのかもしれない。あれから、何年だ。頼るの下手くそってレベルじゃないのね。

 

「何すればいいのよ」

 

 その耳、艦娘になったらよくなるかもしれませんよ、なんていう甘言を間に受けたわけではない。それでも微かな希望を持ってしまった分、絶望も深かった。それが、いわゆる共感覚というものであるということを。視界に流れ込む暴力的なほどの膨大な情報によって教え込まれた。元々微かに音を色として感じるかもしれない程度のものだったのに、それがそれこそ何百倍、何千倍にも強化されたのだ。耳もろくに聞こえない、そうして視界すら、こんな世界が百八十度変わるほどの圧倒的な暴力として襲いかかってくる。陸の上では、圧倒的な雑音の数々にろくに目を開けることもままならなかった。

 だから、海の中だけだった。海の中だけは。世界が、音が綺麗に見えるから。海の中にいるときだけは、安らぎを感じることができたのだ。

 

『潜水艦になるべくして生まれたかのようなやつだ』

 

 どいつもこいつも勝手なのね。勝手に憐れんで、勝手に褒めたたえる。イクはイクなのよ、勝手にイクのこと決めつけるんじゃないのね。──返して、ほしい。例え、耳が聞こえづらくても。この目が映す世界は、綺麗だった。それが、今では海の中でしかまともに目を開けられないなんて。ああ、艦娘なんて、クソ喰らえなのよ。

 

『陸は、うるさいのね』

『あんた耳聞こえないんじゃないの』

『色がうるさいのよ』

『色?』

 

 陸の上ではろくに動く気になれず、寮でアイマスクをしてゴロゴロしていたときだった。相部屋の子がいつも具合悪そうに寝ているから、とイクのことを相談したらしく、ひょっこりと部屋にこいつが訪れたのだ。

 

『ごちゃごちゃごちゃごちゃ、いろんな色が混じって気持ちが悪い』

『ふーん。……サングラスとかどう?』

『は?』

 

 ソナーいらずだな、とか。歴代最強の潜水艦だな、とか。そんなことはどうでもよかった。ただただ、返してほしかった。

 

『きっと世界のピントが合ってないのよ』

『はぁ?』

『視力が弱い人は眼鏡をかけるでしょ。だから、色? が、見えすぎて気持ち悪くなっちゃうあんたにもなんかきっと合う眼鏡があるって』

『……誰が作るのよ』

『うーん、明石ちゃんに相談してみるか』

『何が目的なのね』

『へ?』

『そんなことしてアンタになんのメリットがあるのよ』

 

 誰も陸の上のイクのことなんてろくに気にしなかったのね。潜水艦として、海にいるときのイクしか見てなかったし。

 

『イクの目が見える』

『は?』

『コミュニケーションは目と目を合わせてようやく始まるもんよ』

 

 きっとこうやってまともにイクの顔を見ようとしたのはこの女くらいだ。アイマスクをずらしてそいつの顔をよくよく見てみようとしたけれど、そのときはやっぱりろくに見えず、すぐ頭痛がして目を閉じた。

 

『あら、あんた案外綺麗な目してんのね』

 

 なんて。女に言われたって全然嬉しくないのね。そう、だからこれは義理だ。このサングラスのおかげでなんとか陸での生活もまともに送れるようになったことへの義理立て。

 

「提督はムカつくし、潜水艦のシフトはブラックだし、陸の上の生活は前よりしづらい。ここに来てからいいことなんてこれっぽっちもなかったのよ」

「う」

「だけど。イクを頼りにしてくれたのは提督だけだから」

 

 だから、こたえてやろう。気が狂う? 上等だ、そんなの既にこんな目にされて一度狂ってる。きっともう一回狂ったらそれこそ正常な世界が見えることだろう。そうして、恨んで欲しいというのならば。

 

「お望みどおり、恨んであげるのね。アンタが死んだ後も、隣でずーっと恨み言垂れ流してあげるのよ」

 

 そうしてやろう。それが、イク流の恩返しというものだ。

 

「……そりゃ、熱烈なラブコールなこって」

「気色悪いこと言うんじゃないのね」

 

 ケッと毒づくと提督は弱々しいながらもようやっとこちらに笑いかけてきた。全く。こうもしおらしいと調子が狂うのね。

 

「もういい加減疲れたのよねー。だから、あんたで最後」

 

 思いっきり伸びをして執務机に頬杖をつきながら真っ直ぐこちらを見つめてくる。昔からそうだ。相手の目を見ないと話した気にならない、と真っ直ぐこちらを見て語りかけてくる。

 

「あんたで、最後にするわ」

「……悪いけど心中とかごめんなのよ」

「そうじゃないわよ。まぁ、けど一蓮托生ってことで。わかってると思うけど他言無用よ。……イク」

 

 ちょいちょいと手招きをされ、そのしおらしさも相まって迂闊に近寄ってしまった。そうすれば、にゅっと手を伸ばしてかけているサングラスをぐいとずらされる。

 

「ちょっ……!」

「ふふ、サクラサク。知ってる? あんたの目、桜咲いてんのよ」

 

『──綺麗な目してんのね』

 

 月火水木金金金。潜水艦なぞブラックだ。資源回収地獄のフルマラソン、戦いではひっそりと身を潜める性質から死んだところでほとんど誰にも気づかれない。ついでに言うなら神衣も頭がおかしい。スクール水着とか考えたやつに魚雷をぶち込んでやりたい。そんなクソブラックな環境で飄々と笑ってさらに仕事を押しつけてくるこいつ。正直魚雷をぶち込んでやろうとしたのは、まぁ今回ほど本気ではないにしてもそこそこある。それくらい、ムカつく。ムカつくけれども。あっけらかんと放たれるその言葉に嘘偽りがないということはいい加減わかってきているし。こうやってちょくちょく楽しそうに、艦娘になってがらりと変わってしまったこの瞳を直に覗きこもうとするくらいには、どうやらこれのことを本気で気に入っているらしいということも、まぁ知っている。

 

「月一回。あいつに会った後はその桜見せに来てね」

「……」

「まともに取り合わなくていい。とにかく、無事で」

「てーとくって」

 

 話がなんだか長くなりそうだったのでそこで遮ってやった。

 

「案外心配性なのね」

「案外っていうか……なんであんたそこまで落ち着いてんのよ」

「きっとなんとかなるのね。それに」

 

 そもそも艦娘という存在がわけがわからないのだから。何時間も海の底に潜っていても苦しくもならないこの身は、いったいなんだと言うのだろう。明日には敵の爆雷や魚雷で死んでいるかもしれないということと、化け物と会話をしてこいなんていうことはそこまで変わらないような気もした。それに。

 

「戦艦なんて、イクの恰好の獲物なのよ」

 

 いざとなったら自慢の魚雷でもって逃げてくればいい。なんとかなる。今までだってなんとかなってきたのだから。

 

「あいつ、対潜攻撃もエグいけどね」

「……戦艦じゃなかったの?」

「戦艦だけど。色々規格外なのよ。まぁ」

 

 きっと、まぁなんとかなるのね。なんとかならなかったら、そのとき考えればいい。

 

「信じてるわよ、あんたの逃げ足」

「……もうちょっと別のところ信頼してほしいのね」

「その曲がった性根も信じてる」

「おい」

「あいつ心が綺麗なやつは問答無用で殴り殺すからさぁ。私の目に狂いはなかった」

「おいこら。表出ろなのね」

「ヤダ寒い」

 

 ──ここは、舞鶴鎮守府。夏は蒸し暑いし、冬はめちゃくちゃ寒くてよく曇る。潜水艦娘どもはそのうち虚ろな目をして肩を組んで月火水木金金金と歌い出すし、他の鎮守府よりぼろっちくてお金もない。おまけによくわからない化け物が近くにいるし。

 あーもう。ここは、最高に刺激的で、最高に楽しい職場なのよ。誰になんと言われようともね。

 

 

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