人間、どうしても反りが合わない人がいると思う。世界にこれだけ色々な人がいるのだから、まぁ絶対こいつは無理、みたいなのがいてもしょうがないんじゃないかと言うのが持論だ。こんだけいっぱい人がいるのだから、そういうのには必要以上に近づかなければいい。仕事でどうしても付き合わなければいけないとしても、まぁビジネスライクの関係を築けばいいと思っている。もし、その人物の性格が合わない場合は。だがしかし。
「……あー、もうちょっと、大きな声で言ってもらえると」
「……! ……!!」
物理的に苦手な場合は、どうすればいいだろうか。目の前でイクに頑張って話しかけてくれているこの子は、別に嫌いではない。多分、少し引っ込み思案なだけの、いい子、のように思う、のだが。
「あー……」
「……」
如何せん、声の相性が悪い。元々囁くような声量で喋る子ではあるが、よりによって彼女の声はどうやら苦手な音域にあるようで。頑張って音量を上げてくれているようなのだが、本当に何を言っているかわからないのだ。口元から内容を類推するのは元々苦手であるし、しかも彼女の可愛らしい口はあまり大きく開かれることもないからなおさら。
そうしてどうしたものか、と言葉を濁していると、目に見えて彼女、伊13──通称、ヒトミがうろたえ始めた。
「あー、ごめんなさいなのね、聞き取れないんだけど。緊急なの?」
こくこく、と精一杯頷いて必死に意思表示をされる。悪い子では、ないのだ。だからこそ少しの申し訳なさを感じてしまう。
「んー……十秒」
ボディランゲージで必死にリアクションを返すヒトミにつられてこちらも両の手で十を示しながら言葉を続ける。
「?」
「イクがスタートって言ったらその内容、十秒で喋って欲しいのね。できる?」
少し不思議そうに首を傾げながらももう一度ゆっくりと頷く彼女を確認して、スタートと呟き。サングラスをわずかに下にずらす。
──瞬間。色の洪水が襲ってくる。情報の変換、足音、廊下の軋み、風、衣擦れ、呼吸音、心音それじゃない情報の取捨選択をしろ、どれだ──イ──の部屋、水浸し──葉擦れ、窓が揺れる音──私達の──引き戸が引かれれる音、カラスの鳴き声、誰かの話し声──避難して──。
ズキリ、と頭痛が走って思わず目をつぶる。昔に比べれば大分陸でも使えるようになったけれど。やっぱり陸は、雑音が多すぎる。
痛みが引くまで目をつぶって耐えていると、羽織っていたパーカーの裾をくいと引かれる感触がしてゆっくりと目を開ける。目の前には、心配そうにこちらを見つめるヒトミがいた。
「あー……水浸し? イクの部屋? ……あ、もしかしてまたあのオンボロ洗濯機、壊れたの?」
こくこく。
「で、避難……避難?」
くいくい、と人差し指で自分を指差すヒトミ。
「直るまでヒトミ達のところに避難しろって、ことなの?」
こくこくこく、と今までで一番力強く頷かれる。どうでもいいけど小動物みたいなのね。
「了解なのね。イヨもいる?」
こくりと彼女が頷くのを見て少しホッとする。イヨの声は聞き取りやすいし、まぁ部屋に行きさえすれば筆記用具だとかもあるだろうからなんとかなるだろう。
とりあえずは一件落着だ、と頭を軽く振って頭痛を誤魔化して歩き出そうとしたところで、また裾を引かれる。視線を上げると、ヒトミが両手の平を合わせて申し訳なさそうにしていた。
「んー、別に謝ることじゃないのよ」
というかこればっかりはしょうがないことだし。だから気にするな、と手をひらりと振ったのだが、それでもどこかヒトミはしょんぼりしたままだった。
「知ってると思うけど、イクはちょっと聞くのが苦手なの」
かちゃり、とサングラスの位置を直しながらゆっくりと話しかける。
「そんで、ヒトミはちょっと喋るのが苦手」
悪い子ではないのだ。普通ならこんなに聞き取れなかったらしびれを切らして伝えることを諦める。コミュニケーションというものは、お互い聞こう、話そうという歩み寄りが大事になるわけだけれども、イクの場合どうしても相手側に負担がいってしまうからそれも仕方ないと思っている。だけれども、この子はきちんと最後まで毎回付き合ってくれるのだ。だからイク的にはヒトミに対する好感度は高いし、申し訳なさそうな顔をされてしまうとこちらが逆に申し訳なく思ってしまう。
「でも毎回、ヒトミは頑張って苦手なお喋りをイクにしてくれてるのね」
「……」
「だから今回はちょっとイクも苦手なこと頑張っただけなのよ。だから気にしなくていいのね」
色んなやつがいる。耳が聞こえない、というのを額面通りに受け取って聞こえてないと思って悪口を言ってゲラゲラ笑うやつ。可哀想可哀想、なんて可哀想な子なんだろう、ととかく構ってくるやつ。人間、十人十色。嫌いなやつはぶん殴って物理的にも精神的にも距離をあけてきた。聞こえないというのも、まぁ悪くないこともある。面と向かって悪口を言えないやつなど所詮小物だ、そいつらがピーチクパーチク囀る音が聞こえないと思えば、雑音が減ったと考えられなくもない。
人間、十人十色。嫌いなやつと仲良くなるのにエネルギーを割くくらいなら。
「ヒトミはいいやつなのね。だから、んー。イクもちょっと頑張れるのよ」
どうせなら自分は、好ましく思う人と付き合っていくことにエネルギーを割きたい。
気にするな、とポンポンと肩を叩いて歩き出す。うーん、ちょっと油断してたのね。いつもなら携帯端末でやり過ごすのだけれど、こういうときに限ってお互い持ち歩いていなかったりするものだ。しかしそろそろあの洗濯機、買い替えてくれないものだろうか。いい加減寿命だと思うのだけれど。
※
気になる人と物理的に相性が悪い場合は、どうしたらいいのだろう。
『イクちゃん、いい人だよー、ちょっとやさぐれてるけど』
いい人なのは、知っている。毎回毎回私がしどろもどろと話しているとき、どうやら私の声が全然聞き取れないみたいなのだけれど、それでも頑張って耳を傾けようとしてくれる。まだまだ艦娘としての艦歴が浅く、足を引っ張ってしまうことがある私を何度もフォローしてくれる。
『イク、海の中は得意なのね。いつもヒトミにはお世話になってるから、持ちつ持たれつなのよ』
申し訳なくてぺこぺこしていると、ちょっと困ったような顔をしてそう言う。お世話なんて、言われるほどしていない。気を使わせてしまった、と落ち込んでいたら、気分を紛らわせるためにか、色々なことを教えてくれた。
『深海には音の道があるのね』
音が見えるという彼女の話は、どこかお伽噺のように現実味がなくて、それでいて面白かった。
『どこまでもどこまでも遠くに音を届けることができる、音の道が。海にいる子達はそれを知っているのね』
昨日まで見ていた世界が、ある日急にがらりと変わってしまうというのは、どういう気持ちなのだろう。いつもかけている特別なサングラスがないとまともに目を開けていられないと聞いた。陸の上はうるさいが口癖の彼女は、陸の上にいるときは不機嫌そうな顔をしていることが多いけれど。深海を泳ぐときは、いつも楽しそうにしている。
『ザトウクジラの歌は、綺麗なの』
光も届かぬ深海の世界を綺麗だという。私が感じることができない世界を見ることができる彼女は、きっときっと、とても大変な思いをしてきていると思う、それでも。私は彼女が今そうやって見ている世界を、もっと感じてみたい、知りたいと思った。
『ヒトミはいいやつなのね。だからイクもちょっと頑張れるのよ』
──問い。お互い苦手なものがかち合った人と仲良くするためには、どうすればいいでしょう。
※
月火水木金金金。今日もこれから楽しい楽しい資源回収フルマラソンだ。お酒でも飲まないとやってられるかぁー!! とイヨが切れていたけれど、お酒さえ入れてしまえばコロッと機嫌を直してしまえる彼女はある意味潜水艦向きだ。メンタルコントロールができなければ潜水艦娘は鬱まっしぐらである、そもそも普段の生活の場が深海という日の光の届かないところであるわけだし。ゴーヤはバナナ食べて隙間時間に日の光を浴びてれば幸せになれるはずでち、セロトニン教にイクも入会するでち、などと今日も虚ろな目をしてバナナをもしゃもしゃと頬張りながら帳簿とにらめっこしていた。全然効いてるようにみえないのね、と言えばセロトニン様のおかげでこのくらいで済んでるんでちよ、と返された。憐れだったのでとりあえず一本バナナはもらっておいた。
今日はヒトミとイヨとだったか。ヒトミも最初はこいつ、すぐ鬱になってダウンするんじゃないかと思っていたけれど、あれでいて中々芯が強い。いやはや。潜水艦娘なんてマゾじゃないとやってられないのね。
そんなことを考えながら歩いていたら、ばったりとヒトミと出くわした。いつもなら、少しだけ頭を下げて終わりなのだが。今日は少し違った。
「……な、なに?」
いつもおどおどしているヒトミが、気合十分、といった様子で目の前に立ちはだかる。その様子に気圧されていると。
『おはようございます』
予想だにしない行動を、彼女が取ったのだ。
「……おはよう」
そう返してあげると、途端にぱぁっと顔を明るくして流暢に指先を、腕をヒトミが動かし始める。
『喋るのは苦手だけど』
今まで全く聞き取れなかった彼女の声が。
『こういうの覚えるのは、得意、です』
よく、見える。
「……ふは」
思わず間抜けな声が漏れた。そういえばイヨがいつだったか姉貴はめちゃくちゃ頭いいんだよー、なんでもすぐ覚えちゃう。外国語もいっぱい喋れるの、まぁ喋るのは苦手だけど、とか言っていたっけ。いやしかし。
「ヒトミ、あんた本当にいいやつなのね」
『イクちゃんのが、いい人』
「イクは別にいい人じゃないのよ、ただ」
ああ、愉快だ。人生なんてクソッタレ。周りにいるやつもクソッタレ、この世は全然優しくないし綺麗でもないけれど。
「イクはイクに優しい人には優しくするってのが、モットーなのね」
これだから人生ってのは、面白い。
※
「……」
「はぁ、そりゃ」
「……」
「はは、バカなのね」
「……!」
「イヨー、あんまヒトミに迷惑かけるんじゃないのね」
ヒトミと会話をしながらのんびりとちゃぶ台の上のみかんを頬張る。通算何回目だっただろうか、またあの洗濯機が壊れたのである。まだ……まだ使える!! と修理費を浮かせるために提督自ら修理しているわけだけれども、一番被害を被るのは下の階のイクの部屋である。そろそろ部屋を変えてもらおうか、提督の部屋と。一度あいつも水浸しになればいいと思う。
「むー!! 姉貴とイクちゃんずるい!」
「なにが?」
「……ずるく、ない」
みかんの白いすじを丁寧にとっていたら、イヨが頬を膨らませ抗議をしてきた。
「内緒話しないでよー!」
「イヨも手話覚えればいいのね」
「私姉貴みたく頭よくないもん!」
「じゃあ簡単なの教えてやるのね。田んぼの田」
「あ! わかりやすい!」
「これで坂」
「おー、簡単!」
「おめでとうなの、これでイヨも手話で坂田を呼べるのね」
「誰よ!!」
やいのやいのと騒いでいると、こんこん、と扉を叩く音がして提督が現れる。つなぎを着込んでるとパッと見ただの土方のねーちゃんである。
「直ったわよー」
「ていうか本気でそろそろ新しいの買ってほしいのね」
「ヤダ、まだ使える。もったいない明石ちゃんと夕張ちゃんが出るわよ!!」
「なに、それ……」
「艦娘界で一、ニを争うもったいないが口癖のメカマニア。水浸しになるイクの部屋のこともそろそろ考えて欲しいの」
「うわ、相変わらず白いのきっちり取るわね」
「美味しくないし」
「ていうか」
ごし、と腕で汗を拭いながら提督がちゃぶ台を囲むイク達をまじまじと見下ろす。
「あんた達そんな仲良かったっけ?」
そうしてその言葉に、三人して顔を見合わせた。
「前からずっと、仲良いのね」
「……うん」
「あ、じゃあいっそここ三人部屋にしちゃうとか!」
「狭いのね」
「狭い」
「狭い、です……」
「あ、ごめん、ヒトミにまでそんな顔されるとさすがに傷ついちゃう……」
「いいぞ姉貴、そのまま睨んじゃって」
「ついでにちょっと涙目だともっと効果的なの」
「あ、やめて、ちょっと本気で良心が」
「ぐーぱんしてやれ、ぐーぱん」
「魚雷使う? なの」
「死ぬわ!!」
──問い。お互い苦手なものがかち合った人と仲良くするためには、どうすればいいでしょう。
──答え。お互いちょっとだけ無理をして、解決策を探します。ほら。ちょっと頑張っただけの、