世界の片隅の、とある艦娘達のお話   作:moco(もこ)

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舞鶴鎮守府前日譚。
長いので前後編にしました。


合縁奇縁、廻り廻りて‐前編‐(舞鶴鎮守府)

 

 おおきな、おおきな津波がこの地方を襲ったのです。日本海側でかつてこれほど大きな津波があったでしょうか。ようやっと立て直しの目処がたってきたのに、その大波は全てを飲み込んでさらっていきました。

 その津波がこの地域を襲った後、ひっそりと海軍所属のとある人物が行方不明となりました。あれを壊されてはたまらない、と言い残した彼は、数日後に水死体として波打ち際に打ち上がっておりました。

 その次の日に。俺が帰らなかったら、彼女を呼んでくれないか、と言い残して一人の男がその場を後にしました。そうして彼も、帰らぬ人となり。

 

「──オマエかぁ」

 

 そうして彼女がそこに向かうと、それはそこにあぐらをかいて座り込みながら、楽しそうに彼女を見上げたのです。

 

「……」

「ナァ、アレ、アレは、どうしてる? きちんと殺したのカ?」

「あなたには関係ありません」

「教えてくれたっていいジャナイカ」

「そんな義理はないですね」

「冷たいナ。マァ、思いつきで引っ張った(・ ・ ・ ・ ・)だけだけど、存外に面白いことになったよナァ」

 

 くすくすと。楽しそうに目を細めたそれの言葉が、この自然洞窟の祠にこだまする。

 ──一滴。たった一滴、それが水にこぼれ落ち、混じり合ってしまえば。その水は元には戻らない。例えそれが微かなものであったとしても、どんなに見た目が同じように見えても。それは、以前のものではなく。

 

「ナァ、コレ。どうやったら、壊せる?」

「教えると、思ってるんですか?」

「どうかナァ、オマエら、脆いから。突っつけばすぐにボロを出してくれるかもしれない」

 

 それと同様に。人類の敵として立ちふさがるそれらも、徐々に徐々に。明確な形を持ち、明確な意志を、敵意を。

 ──ぴちょん。薄暗い洞窟の天井から静かにひと雫、水滴が落ちた。その小さな水溜りに映る、それの鮮やかな白さと、黄色のような、あるいは紅さが揺れる。そうして。その水面に映ったそれの口元が、にいと嗤った。

 

「壊スノハ、得意ダカラ、ナ」

 

 それは昔、とある二人が交わした言葉。この、舞鶴鎮守府の役目が変質した、その原点。

 

 

「この魚雷はダメでちね」

「……前から思ってたけど。なんでわかるの?」

「見りゃわかるでち」

 

 ようやくまともに一人で出歩けるようになったのであてもなくぷらぷらと歩いていると、埠頭にて魚雷のチェックをしていたゴーヤを見かけたのでなんとなく隣に座り込んで眺めていた。

 ゴーヤがダメだと言えば、工廠の魚雷調整場に持っていっても結局その魚雷は廃棄になる。ゴーヤさん、艤装技師の適性検査受けてみません……? と工廠のやつらがじりじりと囲い込みに動いているのは結構有名である。まぁ、老後は考えてもいいでちかね、なんて言っていたけれどもいつまでこいつは働くつもりなのだろう。

 ゴーヤは根っからのワーカホリックだと思う。常に頭を働かせていないと落ち着かないようで、休日はなんだか分厚い書籍をパラパラとハイペースで読んでいる。なんでも、情報を頭に入れると落ち着くとか。逆に小説だなんだなどは一切興味がない、というより嫌いらしい。全くもって理解できないが、こんなやつだからこそこの舞鶴鎮守府のブレーンをやっていけるのだろう。艦娘は結構見た目詐欺が多いとは聞くけれど、ここまでのやつは中々いるまい。果たして八百屋で今日もお使い偉いね! とおまけされるほどの童顔な彼女が舞鶴の秘書艦であると初見で見抜けるやつなどどれほどいるのか。いるもんなら会ってみたいものだ。

 

「……んー、どれも同じに見えるのね」

「イクの目が節穴なだけでちよ」

 

 そう言って笑うゴーヤに嫌な感じは受けない。耳があまり聞こえない、ついでにいうとつい最近までろくに目も見えなかったイクは、陸では誰かの手を借りないとまともに歩き回ることもできないただのお荷物である。一度海に潜れば期待された以上のことはこなせるけれど、まぁそんな色々といわくつきなイクに対してほとんどの人は気を使う。それは勿論善意からくるものもあるのだけれど、正直たまに息が詰まる。

 だからこうやってなんでもないことのようにこの目であるとか、まぁ色々茶化してくるゴーヤとの会話は存外に気楽だった。人の悪意には敏感な方だとは思うけれど。とかく邪気がない。と、いうよりあまり他人に興味もないのかもしれないけれど。

 

「当てるのはじょーずなのにね」

「見えてるからね」

「見えてるもん全部に当てられるんなら苦労なんてしないんでちよ」

「海にいる方が気楽だから人より潜って練習してたら人よりちょっとうまくなっただけなのね」

「海のが過ごしやすいとか、人魚でちか?」

「イクを食べても不老不死になんてならないのね」

 

 けっと悪態をつくと微かにゴーヤが笑った。イクと会話を続けながらも、魚雷のチェックに余念のない彼女はらしいといえばらしい。

 

「新しいテートク、どーなの?」

「さぁ」

「さぁって。秘書艦でしょ」

「あんま興味ないでち。提督の能力を数値化してくれる機械でも誰かが作ってくれたら多少はやりやすいんでちが」

「明石ならできそう」

「まぁそんな遊ばせるほどの予算はこの鎮守府にはないけどね」

 

 世知辛い世の中だ。潜水艦が艦娘が艦娘たらしめる艤装の核となる特殊資源を発掘する主戦力だというのに、なぜこうも馬車馬のように働かされ、宿舎はボロく、給料もアレなのか。まぁ確かに前線に出る機会が少ない分危険手当てとかはないにしても、精神的苦痛手当くらいはもらってもいいと思う。

 

「ああ、でも、そうでちねぇ」

 

 全ての魚雷のチェックを終えたゴーヤが空を見上げながらぽつりと呟く。冬のこの時期は、大体重苦しい灰色の雲が空を覆っている。今日もそれにたがわず、色彩を欠いた空と海は視覚的になんとも寒々しい。

 

「前の提督より頭は悪そうでち」

「……ゴーヤって、意外と言うのね」

「客観的事実でち、まぁ前任が優秀すぎたのかもしれないでちけど」

「じゃあなんで辞めたの?」

「さぁ」

 

 本当に人間関係適当なやつ。多分この深く踏み込まず、それでいて業務を回す頭脳はピカイチ、というところを前任の提督に買われたのだろう。前任は艦娘嫌いだったと聞いている。

 ここに配属になったとき、ちょうど入れ替わるように辞めていったから個人的には面識はほとんどないけれど。そこそこな血筋の、結構なエリートだったということだけはなんとなく耳に入っていた。歳もまだ若く、将来を嘱望された存在だとも。だというのに、彼女はここを退き、後釜として収まったのは提督の制服に着させられているような、まるで似合っていないちょっと軽そうな女。工事現場でツナギ着てタバコ咥えているほうがよっぽど似合ってそうな、なんとも場違い感が拭えない年若い女性。

 

「ここの提督は、秘密主義でちたからね」

 

 特に興味なさそうにそう呟いたゴーヤのその言葉を軽く流しながら。この職場、大丈夫なんだろうか、と一抹の不安に襲われるのであった。

 

 

「っ、くち!」

「……見た目に似合わずかわいいくしゃみしますね、ご主人様」

「見た目に似合わず、は余計よ」

 

 ずび、と鼻をすすりながら肩を回す。こきこきと小気味のいい音が鳴り響いた。寒い、寒すぎる。肩こり悪化するっての。

 ここの秘書艦は伊58、通称ゴーヤが前任から引き継いで勤めてくれているのだが、先程クソデカため息をついて離席なされた。ちょっと待ってゴーヤ、いや、ゴーヤさん! 見捨てないで、と懇願も虚しく、

 

「介護は秘書艦の仕事じゃないでち。漣でも呼ぶでちよ、ゴーヤには息抜きが必要でち」

 

 としたったらずな言葉でもってバッサリと切られた。さもありなん。しょーがないじゃない、士官学校出てからこちとら……何年くらいになるんだっけ。ろくに覚えちゃいないわよ、そんでもって私の知識は士官候補生レベルで止まっているわけで。

 

「暖房入れていい?」

「え? このレベルで???」

「え、寒いでしょ?」

「漣は半袖でもへっちゃらですよ!」

「それ神衣だからでしょうが!!」

 

 艤装を背負っていなくても微弱な結界が作動している神衣はそこそこ万能である。つまるところ、ちょっとあったかい。半袖だろうがなんだろうが、全身の体温がちょっといい感じに調整される、らしい。だから非番でも神衣をまとっている娘は結構いる。

 ここ、舞鶴鎮守府は他の鎮守府に比べ、なんというかボロい。というのも、十数年前の大津波でここら辺一体ごっそりとやられたからである。元々保存状態はよかったとはいえ築うん十年の庁舎も宿舎もそれに耐えられるわけもなく、そうして新しく作り直そうとしたところでやれ地震、やれ豪雨、となんだかんだ茶々が入って壊される、ので。最終的に壊される前提の安っちい素材でもって劇的ビフォーアフターされた、見た目だけはしっかりしているように見えなくもない、隙間風吹きすさぶ舞鶴鎮守府へと落ち着いたのである。寒い。

 いや無理無理風邪ひくわ、と暖房を入れようとリモコンに伸ばした手ががっちりと掴まれる。ええい離せ。

 

「電気代」

「……は?」

「電気代、節約。いいですか、舞鶴の家訓は一に節約二に節約、三四がなくて五に節約です!!!」

「私ここの提督なんだけど!!!」

「べらんめぇ! そーゆーのはいっちょ前に仕事できるようになってから言えってんですよ!」

 

 どっさどっさと机に追加される書類の山に思わず悲鳴をあげる。

 

「まだあんの!?」

「まだ五分の一ですぞ」

「嘘でしょ……」

「ごめんなさいサバ読みました」

「そ、そうよね、よか」

「本当は十分の一だお」

「そっちのサバ読んじゃったかー!!」

 

 ごん、と額を机にうちつけうめき声をあげる。つらい、飽きた、寒い。

 

「……判子だけ押せばいい?」

「ぶっ飛ばしますよ、しっかりなかも読んでください」

「そういうのって、秘書艦がやるんじゃ」

「甘っちょろいこといってんじゃねーですよ。前のご主人様ならこんなの瞬殺ですよ、瞬殺」

「あんな完璧超人と一緒にすんなしぃ〜」

 

 こちとら最近まで工事現場でその日暮らしの賃金稼いで生きてきた脳筋女だぞ。

 

「もー漣は優しい方ですよー? ゴーヤちゃんならもっと塩対応だよ?」

「例えば?」

「クソデカため息ついて無言で後始末」

「……心当たりしかない」

「そしてこっそり心象ポイント削られます」

「まって、私今何点?」

「マイナスってなんで掛け算するとプラスになるんですかねー」

「マイナスなの? ねぇ、ねぇ??」

 

 どうしよう、すでに秘書艦との仲に亀裂が入りかかっている。これは由々しき問題だ、自慢ではないが秘書艦であるゴーヤにおんぶにだっこな状態でないと業務を回す自信がこれっぽっちもない。

 

「ほら、ナガモンさんとの顔合わせまでにちゃきちゃき半分くらいは終わらせて」

「ナガモンさん?」

「舞鶴の養成学校の責任者ですよ」

「あ、あー。何時からだっけ」

「ヒトゴーマルマル」

「後二時間もないじゃない!!」

 

 無茶言うな! と悲鳴をあげる私の肩にぽん、と漣が手を置く。

 

「ご主人様」

「なに?」

「諦めたら、そこで試合終了ですよ」

「根性論で仕事が終わるかぁ────!!!」

「ご主人様今相当数の敵を作りましたよ!?」

 

 ハイ、ハイ! やればできるやればできる! 自分を信じて!! とテンポよく声をかけながら漣が机に書類を並べていく。

 実際、漣には結構助けられている。ゴーヤは個人の処理能力は高いけれど人に教えるとなるとあまり向いていない。いや、もしかしたら無言で淡々と間違ったところを添削されて突っ返されるあの方法が合う人もいるのかもしれないけれど、私にはきつい。心が折れそう。

 対して漣と言えば、言葉ではめったくそにこちらをこき下ろすものの、書類を分類ごと、優先順位ごとに並び替え、ちょうど一息がつけそうな量ずつよこしてくる。その意図を聞けば、瞬時に求めた答えが返ってくるし、きちんとできればべらぼうに褒めてくる。私、漣に育成されている、それがわかる。

 ゴーヤが悪いと言っているわけではない。彼女の頭脳は非凡なものであり、その処理能力は常人にはついていけないけれども、少なくとも彼女がここの秘書艦であることで私がよくわかってないあれやこれが改善されているのだろうと思う。現にここの運営資金を見てあまりの少なさに悲鳴を上げたら、それ、ゴーヤちゃんが頑張ったからそこまで持ち直したんですよ、と教えられた。どんだけ貧乏なの、ここ。

 そう、ゴーヤは紛れもなく秘書艦に適した娘だろう。でも、だからといって。

 

「ね、なんで秘書艦変わったの?」

 

『なんで漣?』

『ゴーヤの前の秘書艦が漣でちたからね』

 

 わざわざ変えさせるほど。この子が劣っているようにも、どうにも思えなかったのだ。

 

 ──瞬間。

 

「……漣のこのふざけたキャラにご主人様がとうとう愛想尽かしちゃって!」

 

 一瞬の硬直。無意識に喉元に触れる、指先。まだよく知らない子に対して先入観はいけない、けど。努めて明るくそんなことをのたまった彼女は、根が素直な子かもしれない、と思った。

 

「えー私は好きだけど」

「イロモノ好きですねぇ、ご主人様。ていうかご主人様ってのに突っ込んでくださいよ」

「ん? ツッコミ待ちだったの? それ」

「ボケ殺しつらーww」

「あー、まぁ、別にいっかなって。実家のような安心感? みたいな」

「なんですかそれ」

「お帰りなさい、ご主人様」

「ご飯にする? お風呂にする? それともさ・ざ・な・み?」

「休憩を所望する!!」

「さっきから休憩ばっかやないかーい!」

 

 ずびし、と勢いよくツッコミをいれる漣にふ、と表情が緩む。

 こういう子は、貴重だ。寒いからなのか、ボロいからなのか、あるいは。

 

「そーゆー明るさ。私はいいと思うけどな、ここ、なんか暗くて寒いしね」

 

 そういう土地柄だからなのか。なんとなく、ここの空気は重苦しくまとわりつくかのような。そういった、独特な湿度があった。端的に言って、気が滅入る。寒いし。

 

「……ご主人様」

「なに? 惚れた?」

「いえ。その暖房のリモコン。こっちに寄越してください」

「チッ」

 

 抜け目ないな。

 

 

 こっちの責任者も女なのか、と握手を交わしながら相手を見上げる。随分ガタイがいい、というと語弊があるけれど、芯がまっすぐ一本、体に通っているというかなんというか。涼やかな切れ長の瞳といい、醸し出される雰囲気といい、カタギではないだろうな、と思っていると小脇に抱えていたファイルから書類を差し出された。

 

「次の編成組み替えによる転籍者リストだ」

「……これって、そちらの仕事なんですか?」

「この時期だけのお手伝いのようなものだな。暇になるからな、養成学校は。こっちが各自の詳細データだ、わからないことは秘書艦に聞くといい」

 

 そうしてまた差し出された書類を受け取ろうとしてスーツの下から除く、右手首に広がる異様な傷痕に思わず固まる。やけ、ど? いや、やけど痕には間違いないんだろうけど、なんて、いうか。

 ヤクザ、鉄砲玉などという言葉が脳裏に浮かぶ中、誤魔化そうとして笑った顔がひきつる。

 

「ん? ああこれか」

「……事故ですか?」

「いやなに。砲弾ぶん殴って弾いたとき当たりどころがわるくてな」

「は?」

「ん? 聞いてないのか?」

 

 ぷらぷらと右手首を振りながらなんでもないことのように。

 

「私はいわゆる艦娘上がりだ」

 

 さらりとそんなことを言ってのけた。さら、と彼女の腰まで伸びている黒髪が揺れる。そうして漣の、ナガモンさんという言葉。

 あ、あー……なるほど。そういうパターンもあるのか。ナガモン、ナガモンね。長門あたりかしら。ヤクザ上がりではなくてよかったと思いつつ、恐る恐る純粋な疑問をぶつけた。

 

「……砲弾って、ぶん殴って弾けるものなんですか」

「コツはいるな」

「コツ」

「弾道予測から跳弾角度の算出と結界強度の再分配を──いや、提督である貴殿にはどうでもいい話だな」

 

 ガチな返答に軽く引いていると、その様子を察した彼女は苦笑しながら話題を切り替えた。

 

「ここは艦娘の入れ替わりが激しいな」

「そうなんですか」

「他の鎮守府に比べるとな。なにか理由があるのか」

 

 探られてる、というより。これは試されている、という感じだろうか。まぁそりゃそうか。なんだかよくわからない女が急に着任すれば裏を知りたくなるだろうし、口の軽そうな見た目をしている私が果たして見た目通りのうつけなのか、あるいは食えないやつなのか。わからないにしても何かしらのとっかかりとして、世間話のように振ったのかもしれない。

 値踏みするかのような彼女の視線を避け、リストに目を落としながらなんでもないことのように口を開く。

 

「前任からは特に説明は受けてないですけど」

 

『──メンツが目まぐるしく入れ替わっていたら、一人くらい消えてもわからないわ。こんな職場だしね』

 

「一応前線支援もしてますけどここの主な任務は資源回収。任務内容は横須賀とどっこいどっこいのつまらなさ、おまけに飴になる間宮もなければ隙間風が吹きすさぶボロ鎮守府ですし。艦娘をやめさせないための苦肉の策、とかじゃないですか?」

 

 嘘をつくのは得意だ、嘘を見破るのも。そういう風に、育てられてきた。このくらいのやり取り、猫のじゃれ合いみたいなものだ。

 

「潜水艦はほぼ固定なのに?」

「まぁ潜水艦は資源回収と切っても切れない存在ですから……」

「今年は何回ストライキするかな、潜水艦共は」

「え゛」

「舞鶴名物だぞ、聞いていないのか」

 

 聞いてないわよ、こんちくしょう。ついでにいうならこの周辺の美味しいもの安く食べられるところだとか、そういう情報も。大事なことがまるっと抜け落ちている、これだからお嬢様ってのは。

 

「今年は変わり種もいるしな」

「変わり種?」

「共感覚、だったか? 音が見える潜水艦が今年編入しただろう」

「ああ」

 

 あれはやっぱり艦娘の中でも特殊だったのか。艦娘自体がびっくり人間みたいなものだからさほど気にしてなかったけれども。

 

「潜水艦の申し子と上ははしゃいでいるな」

 

 ただ、その言葉は。妙にカンに触った。

 

「いい迷惑ですね」

 

 そいつらは陸にいるときの彼女をちゃんと見ていたのだろうか。心底だるそうにベッドに寝転がってた彼女の姿を思い出す。アイマスクをわずかにずらした瞬間、思わずぎゅっと目をつぶって何かに耐えるような仕草をした、あの子を。

 

『わからないって、結構つらいのよね』

 

 聞き取れない音は、ただの雑音。だから視覚情報で補って、そうやって情報を徐々にすり合わせながらチャンネルを合わせる。彼女は聴覚障害者ではなかったけれども。第二言語を聞いているときの彼女とイクの感覚って似てるんじゃないかと思う。

 イクがどれほど聞こえないのかだとか。喋ることにはあまり不自由はしてなさそうだから後天的なものだろうかとか。考えはしても聞いたことはない。だけれども、それでも。よく聞こえない状態で視覚まで奪われてしまうというのは、とても。とても、耐え難いものなのでは、ないだろうか。

 

『──陸は、うるさいのね』

 

 勝手に艦娘なんてもんにしておいて。勝手に人らしく生きることを難しくしておいて。もっと、なんかあんだろ。

 

「そんな気もないのに周りからそうやって期待を押し付けられたのなら。さぞ迷惑なことでしょうね、彼女は」

 

 どいつも、こいつも。だからここは、ここにいる奴らは嫌いなのよ。

 

「……舞鶴っぽくないな」

 

 ぽつりと呟かれたその言葉にハッと我に返る。やばい、勝手に上のお偉いさん共とクソ親父を重ねて憤ってしまった。あれまずくない? これ反逆罪的なものでクビ飛ばされない? いやそれもいいかもしれな……いや良くない、約束反故にされたらまずい。

 

「舞鶴の女らしくない」

「ええ、と。南、育ちな、もので?」

「いや、そういうんじゃ……まぁ、いい」

 

 内心冷や汗タラタラだったものの、とくに彼女は気を悪くした風でもないようだった。いやわからない、なんせここにいる奴らはどいつもこいつも腹に一物抱えた曲者ばかりだ。

 

「どうしてここの提督になったんだ?」

 

 ただ少しだけ。彼女の態度は軟化したように思えた。

 

「なりたくてなったクチじゃないだろう」

「……その心は?」

「似合ってないぞ、それ(せいふく)

 

 その言葉に苦笑する。そんなのは自分が一番わかっている。さて、どうしようか。

 物語(ストーリー)は、データよりも人の心を惹きつける。飢餓で苦しむ人達がどれほどこの世界にいるかよりも、たった一人飢餓に苦しむその人の物語を与えられた方が、人の心は動く。

 だから、どうでもいいところ。知られたところで痛くも痒くもない部分の、真実。真実だけれども、興味を引くように少しだけ脚色した自分の話。それはこんな世界でやっていくための処世術でもあり、一種の気晴らしでもある。

 

「……そうですね。守りたいものがあったから。嫌々、仕方なく」

「嫌々なのか」

「ええ」

 

 出世欲なんてありませんという予防線も張りながら。人が好きそうな言葉選びでもって。

 

「願わくば一生、提督なんてなりたくなかったですよ」

 

 真実を語るのが、私の気晴らしだった。

 

 

 人には、人生の分岐点になるような。そんな出会いが人生のなかでひとつやふたつ、あるのではないだろうか。思い返してみればそれはその瞬間劇的に世界が変わる出会いだったわけでもなく。それでもたしかに、あの日、あの人に出会っていなければ今の自分はいなかっただろうという、静かな確信のようなもの。

 何もかもが嫌になった。だからあいつの書斎においてあった盆栽用の断ち切りハサミをひっつかんで庭に飛び出したのだ。こんなもの、こんな家。息もととのわぬうちに自身の長く伸ばされた髪をひっつかんで。

 

 ──ジャキン!! 

 

 鋭い金属音が鳴り響く。えらく切れ味がよかった。だからその一断ちによって髪はそれはもうバッサリと切れたし。その呆気なさに、こんなものか、とがっかりもした。そうしてその失意から手からハサミが滑り落ちたのと、小さな悲鳴がどこからともなく聞こえたのは同時だった。

 なにもかもどうでもよかった。それでもただ、なんとなく首を巡らして。そうして私の庭から見える、隣家の二階にそれを見つけた。

 

 ──西洋人形みたい。

 

 透き通った紺碧の瞳に、薄暗い室内からでもわかるほど美しい金の髪。そこそこの旧家であるとはいっても地方の片田舎で育った自分にとって、そいつは初めて遭遇した外国人だった。

 カラカラと、わずかばかり開いていた窓を押し開き、その子が泣きそうな顔をしながら声をかけてきた。

 

「なん、で?」

 

 いやにたどたどしい日本語だった。異国の言葉が飛び出してくるものと身構えていた私が、その意味を認識するのにしばし時間を要するような、日本語らしからぬイントネーション。

 

「……髪は女の武器なんだって」

 

 こいつ日本語通じんのかな、と思いながら。別に伝わらなくてもいいか、と誰に聞かせるでもなく呟く。

 

「ぶき?」

「そう、武器。これでイチコロよ」

「いちころ」

「ばーん」

 

 ハサミを取り落としてフリーになっていた右手を銃の形に模してその子に対して発砲すると、びくり、とその子の肩が跳ねた。なんというか、驚き方でさえお淑やかさが漂うというか。育ちの良さそうなやつだな、と思いながら自嘲気味に口を開く。

 

「だから切ってやった。ざまーみろ」

 

 ざまあみろ。お前らの思うように育ってなんてやるもんか。ざまあみろ、お前らが与えるものなんて、片っ端から捨ててやる。

 

「……かなしい、です」

 

 ほぼ独り言のようなものだった。返答なんて期待してなくて、だというのに清々したと吐き出したはずのその言葉は、彼女の柔らかな言葉によって受け止められ、包みこまれた。

 

「……なにが」

「それ、理由。きれいなのに」

 

 心がささくれだっていた私は、それをうるさいとはねのけることもできるはずだった。だけどどうしてだろう、私よりも年下に見える、しかも異国の少女のそのたどたどしい言葉は。

 

「髪、きりたい、かった?」

「……」

 

 私の手に握りこまれている切り落とした髪の束を痛々しく見つめるその瞳は。妙に、妙に心に刺さり。

 

「じぶんでじぶん、が、心、キズ……Um, ダメだ、よ」

「……」

「めっ!」

 

 そうして私は、ただの反抗心から。私が唯一好きだった、親からもらってしまったもの。だから伸ばしていたはずの髪を切ってしまったことに対して。後悔しているのだと、その激情の中にくすぶっていた小さなそれを理解したのだ。

 

「……生意気」

「? Pardon?」

 

 後からわかったことだけれど。その子は筋力が低下する病気をわずらっていて疲れやすいこと。リハビリもやりすぎは良くないらしく、そうして治療薬の関係で感染症を気にしなければならないこともあって、日がな一日その部屋で暇を持て余していて、たまたま空気を入れ替えようと窓を開いたらそんな光景を目の当たりにしてしまったものだから思わず悲鳴をあげてしまったこと。そうして、その日まで。全くもって私という存在に気づかなかったというのだから、人と人の縁というものは不思議なものである。

 

「──お前が言うことを聞くのなら、彼女を救ってやろう」

 

 そんな彼女が唯一無二の親友になるまで、そう時間は要さず。そうして家を飛び出した私のところに、それをちらつかせながら実父が訪れたのも、道理といえば道理だった。

 

「高額な治療費を全てもってやるし、最高の医療でもって最善を尽くしてやる」

「……」

「難治性で、手こずっているらしいな?」

 

 こういう奴だった。人当たりのいい顔で平気で嘘をついて人を騙す、心酔させる。人の心をコントロールして、そうして反抗的な者には力でもってねじ伏せる。自身が人の上に立つ存在であるとしてゆるぎない自信を持ちながら、この家の性質上そこ(・ ・)には立てなかった男。心底、こいつが嫌いだった。

 

「……心配」

「あんたは自分の心配しろっての」

「あんなに、嫌がってたじゃない」

 

 人生とはままならないものだ。自由を手に入れた、と清々していたのに。私の心を自由にしてくれた彼女のために、またそれに囚われる。最近、思う。それは予感のようでいて、確信に近いもの。例えば、私は雨女であるとか。例えば、どうにもうまいタイミングで私は人に助けてもらえるとか。

 ──例えば。どうしたって、私は。このしがらみから、逃れられないのだろう、とか。

 

「この世にはさ」

「?」

「きっと、完全な自由なんてない。人が、人と関わり続ける限り。きっと何かに囚われ続ける」

 

 これから私はなんでもないような顔をしながら嘘をつく、平気で人を騙す。そうして。平気な顔をして、殺しさえもするのだろう。

 

「それでも、心は私のもん。心だけは、自由だ」

「……」

「自分で自分の心に嘘をつくとうるさいやつがいるからね」

 

 十代の不安定な頃。士官学校に無理矢理押し込まれて荒れていた頃、そうして実家から逃げ回ってとうとう勘当された頃。どんなに物理的に距離が離れようとも、声で、言葉でいつも支えてくれていた。私の、心の寄る辺とでもいうような存在。

 

「あんた守れるんなら、こんなことは大したことじゃない」

 

 だから私は、この自由な心でもって。このくそったれな宿命とやらに殴りこんでやるのだ。そうしてそれで親友を救えるというのなら、プラマイプラスもいいところだ。

 

「……だからあなた、男の人にモテないのよ」

「ああ゛?」

「どうでもいいことはへらへらしながら嘘をつくのに、そういうところよ」

「なにがよ」

 

 出会った当初、お人形さんのように可愛らしかった彼女は歳を重ねるにつれ美しく育っていった。美人薄命という言葉がある。病弱な体に悩まされる彼女は、おそらくこの言葉が当てはまるのだろうけれども。

 私は、病弱でありながらもその瞳に衰えることのない光を灯す彼女の強さに、人としての懐の大きさに、そうして相手の心を包み込むような慈悲深さに。

 

「そういう言葉をまっすぐ目を見ていうんだから」

「……」

「そういうときは絶対に嘘をつかないし、ね」

「……なに、こんなの本気にしたの? 惚れちゃった? いやぁ私の演技も中々うまく」

「誤魔化すのは相変わらず下手ね。照れると早口でまくし立てあげるの、直したら?」

「ぬ、ぐっ」

 

 そんでもってお国柄か。口がよく回って、性根が頑固なこいつに。どうしたって、頭が上がらなかったのだ。

 

 

「……なにしてるの?」

 

 やっば、執務室ノックされたの気づかなかった。すごい、すごい引かれてる。めっちゃ蔑みの目で見られている。これは可及的速やかな弁明を要するとみた。

 

「……窓、あったかくて……」

「……」

 

 微かな同情を滲ませながらさらに一歩、物理的に引かれた。私悪くなくない? 南育ちにゃこの気温は極寒なのよそりゃあ微かなぬくもりを求めて日の差す窓辺へといざなわれその柔らかなぬくもりに思わず頬を擦り寄せちゃったりまってこれ直にいった方があったかい、絶対そうって若干前はだけてぴっとりインナー越しに窓に張り付いちゃったりしちゃったりしたのは暖房をつけさせてくれないからで。

 

「服もっと着ろなの」

「おっしゃる通りです……」

 

 すごすごと窓から離れて制服の前をしめる。こんなにかっちりした服なのに全然あったかくないんだもんコレ、嫌になっちゃう。

 サングラス越しに呆れた視線を向けられる。うん、どうしよう、ゴーヤの私の評価がマイナスなのに加えてこの子からの評価も地に落ちたかもしれない。

 しかし、なんだな。まじまじとその子──イクを観察しながら改めて思う。潜水艦娘は他の艦娘ともちょっと違う、独特の雰囲気があるように思う。あるいはそれは、深海に潜り続けることでよりそちら側に近くなるのか。ほのかに赤みがかった色素の薄い青い髪。サングラス越しにちらりと覗く赤い瞳に、日に当たらないせいかあまり健康的とは言えないほどに白い肌、そしてスクール水着。いや最後は関係ないけど。なんというか、潜水艦娘は他の艦娘達よりもどこか浮世離れしているというか、存在そのものが希薄というか。ああ、そうか。なんとなく陸の上にいる姿がしっくりこないのだ。だからそんな姿がちょっと幽霊っぽく見えるのかも。そして裸足だし。裸足? このクソ寒い中スク水にパーカーひっかけただけの、そして裸足でもってぺたぺた歩き回ってんのこの子???? 

 

「ジロジロ見られると流石に気分悪いのね」

「安心してやましい気持ちは一切ないわ。あんた結構胸あるわね、背は低いくせに」

「言ったそばからセクハラ発言すんななの」

「そんな体で潜航できるの……?」

「オイコラ」

「やましい気持ちは一切ない。知的好奇心よ」

「そう言えば許されるとでもおもってんのかコラ、なの」

 

 女子高的なノリなら許されるかと思ったけれどイクの瞳の、蔑みの色がより一層強まった。やっば、イクもとうとうマイナスまでいっちゃったかしら。評価のマイナスにマイナスをかけてプラスにする方法、求む。

 しらーっとした顔のイクが差し出した書類を受け取ろうとした、その瞬間。

 

「つっ、めた!!!」

 

 指先に彼女の手が触れて。あまりのその冷たさに、思わず書類を取りこぼしてしまった。

 

「わ、ご、ごめん」

「いーけど」

 

 ばさ、と床に落ちた書類の束を慌てて拾いながらイクを見上げると、彼女はしかめっ面をしながら頭をかいていた。

 ──そうして耳から覗く、補聴器。

 しまった、思わず上げた悲鳴が耳にさわったか。仕方がなかったとはいえ申し訳ないことをした。

 

「そんなにイク冷たい?」

 

 しゃがみ込んで残りの書類を拾いながらなんの気なしにイクが尋ねる。いや、いやいやいや。

 それを受け取ってひょいと横にどけながら今度は両手でもって彼女の指先に触れた。

 

「氷みたいよ、あんた」

「ふーん」

「ふーんて」

 

 死人だってもうちょっとぬくもりってもんがあるんじゃないのか。この体温でなんで平然としてられるんだ。軽いパニックになっていた私は、文句を言いながら少しでもあったまらんものかとイクの手をにぎにぎした。

 

「風邪引くんじゃないの? もー、そんなさぁ、パーカーひっかけただけじゃさぁ」

 

 女に冷えは大敵でしょー、と続けながらにぎにぎを続けていると、微かにイクが笑った気配を感じて顔をあげる。その表情は、なんとも言えぬものであった。嘲笑のような、あるいは哀愁のこもった笑みでもあるような。

 

「……なに?」

「テートク。イクは艦娘なのね」

「知ってるけど」

 

 それがどうしたとにぎにぎを継続していると、淡々とした様子でイクが続けた。

 

「寒いからパーカーひっかけてるわけじゃないのね。これ、申し訳程度のセクハラ防止用なの」

「ほんと申し訳程度ね」

「うるさいのね」

 

 少し指先があったかくなってきただろうか。いやしかし、全身これって。なぜ震えない。京都のやつらってそんなに寒さに強いのかしら、ねぇだって。

 

「潜水艦娘は寒いところでも生きられる変温動物みたいなものなのね」

「……どう、いう」

「ふっつーに考えてみてほしいの。深海っていう低温環境下で何時間も体温を保つのには中々のエネルギーがいるの。そんなの効率悪いでしょ」

 

 なんかよくわかんないけれど超常現象でもって、すごい力で戦う女の子。私の艦娘に対する認識なんて、そんなもん。だってほら。例え見た目がちょっと変わろうがなんだろうが。

 

「これが潜水艦娘の普通なの。こんな体温でも死なないのよ」

 

 目の前にいるのは、ただの人でしょう。

 

「──艦娘は人とは違うのよ」

 

 そう思っていた私の心を見透かすかのようにイクはそう言って笑った。そんなことも知らないのか、とでも言いたげに。

 

「テートクって、なにも知らないのね」

「……元々なるつもりなかったし。人手不足で無理矢理連れてこられたもんでね、こちとら」

「そんなに人手足りてないの?」

「ここの提督は特殊なのよ」

 

 どうにかこうにか自分の悲願を私を使って達成させようと躍起になっていたクソ親父から逃げまくって煽りまくってようやく勘当された身だ。もとよりなるつもりもなければ真面目に学ぶわけもなく。そうして、私がいなくなったところで件のお嬢様がなんかうまくやってくれるでしょ、とタカをくくれるほどに彼女、前任の舞鶴鎮守府の提督は絵に描いたような優等生だったのだ。なるべく関わらないようにしていたけれども、遠目に見ても人目をひく容姿やらなにやらを見て、天に愛される人というものはいるもんなんだな、と思っていた。だから。

 

『前任からのアドバイスよ。艦娘を人だと思わないことと』

 

 そんなにか。

 

『──希望なんて、まかり間違っても持たないことね』

 

 この人が、絶望するほどに。そんなに、ここは。

 

「あんた達の神衣がそんなんだからね。女の提督ってあんま見ないでしょ、なんか知らないけど提督適性って男性のが出やすいから」

 

 嘘は言っていない。それに加え、ここの鎮守府の提督は代々、その裏の役目を知っている数少ない家系から排出されるというだけで。

 

『──崇高な使命なのだ。我々は、選ばれた』

 

 そんでもってその陰鬱な使命を正当化すべく、幼少の頃から選民思想を植え付けられた、歪んだやつが多いというだけで。ああ、それで言ったら。あの人は、引き継ぎのときにしか言葉を交わさなかったけれども、そういった感覚は割と普通そうな、だからこそのあの忠告と、あの疲れ切った顔だったのだろうと。その様子に微かに同情をしてしまったといえば、彼女のプライドを傷つけていただろうか。

 

「女だからって安心できたもんでもないのね」

「ま、確かにね」

「……」

「いや引かないでよ。私あんたなんか興味ないわよ」

「そりゃよかったのね。ちゃんと否定してくれないと誤解されるのよ、ここは」

 

『──セクハラ防止用』

 

 ……ああ、あれってそういう? マジか、結構いるのか。いや私はそういう偏見は特にないけれども。

 

「アンタ気をつけたほうがいいのね」

「なにを」

「そーいうのに好かれそうな顔してる」

「はは、冗談……よね?」

 

 お願いだからなんか言って。意味深ににっこりとこちらに笑いかけてゆっくりと立ち上がり、執務室を出ていこうとするイクを慌てて引き止める。

 

「待って、イク」

 

 どのくらいの声量がちょうどいいのだろうか。どのくらいゆっくり喋れば、視覚で喋っている姿を捉えなくても、この子は気づけるだろうか。

 元来粗雑な方だからついつい気が回らなくなってしまうけれども。その人の仕草、声のトーン、呼吸。得られる情報をうまく使い人の心を掌握する術として嫌になるくらい色々と詰め込まれた知識を、私はそんなことになんか使ってやらない。

 振り返ったイクのその目をまっすぐに見る。目は口ほどに物を言うという。だから私は、その人を知りたいとき、必ずその目を見るのだ。

 耳が聞こえず、視界も奪われ、おまけによくわかんない能力まで押し付けられて。そんでもって馬車馬のように働かされる、と。聞いてるだけでお腹いっぱいだ。そりゃあスレてもしかたないだろう。実際ようやく一人で歩き回れるようになったとはいえ、陸にいるときの彼女はどこか気だるげだ。だけれども。

 ──こいつ、目が綺麗なのよね。

 そう、だから。だから私はこの子が気になるのかもしれない。

 

「私、かなりポンコツだと思うから慣れるまでは結構迷惑をかけると思う。トンチンカンなことも言うだろうし、それで笑われても仕方ないって思ってる」

 

 プライドなんてクソ喰らえ。張れるほどの見栄すらこの身にはない。

 

「でもね、私は私の言いたいことは言う。だから言った分は、あんた達の言葉も聞く」

 

 嘘をつくのは得意だ、嘘を見破るのも。ああ、だけれども。

 

『あなたは嘘つきだけど正直者だから』

 

 自分で自分の心に嘘をつくのは、その心を曇らせることは。どうしようもないほどに嫌いで、どうしようもないほどに苦手であるから。

 

「私はあんた達ときちんと話をしたい。だから」

 

『──艦娘を人と思わないことね』

 

 だからきっと。私は彼女以上に、この仕事に向いていない。そう割り切ってこなしてきた彼女ですらああなのだから。まぁ、でもそんなこと。

 

「言いたいことあったら、私にちゃんと言って」

 

 最初から百も承知だっつの。だから今まで逃げ惑ってきたのだ。絶対にこんな仕事向いていないのだから。

 だって私はどうしたって人と関わるのが好きで。どんなに化け物と揶揄されるような体であろうがなんだろうが、ここにいる子達はちょっと前までは紛れもなくただの女の子で、そんでもって。

 

『お前の意見など聞いていない』

 

 そういう彼女らの心ってもんをまるっと無視するやり方ってのはクソ親父を想起させるので心底反吐が出る。反抗期かって? うるさいあいつに対しては死ぬまで反抗期だ、そんでもってこれはただの反抗心からの行動ではなく。私が、私として。ここで最後どうなろうとも私らしくあるために、絶対に譲れないものであるのだ。そう。例え、これから。私が人殺しとなるのだとしても。私は絶対に、目を逸らさない。

 まっすぐ、イクの目を見据えてそう口にすると、彼女が微かに目を見開いた。そうして私は、やっとその正体を理解したのだ。

 ──桜だ、桜が咲いている。

 いつも少しどこか不機嫌そうにしている彼女のその瞳ははっきりと見開かれることは滅多になかった。そりゃあ綺麗なはずだ。なんだっけ、日本人のDNAには桜を美しいと感じる遺伝子が組み込まれてるんだっけ? なら仕方ない。

 その特殊な瞳はきっと艦娘になってからのものなのだろう。だとしたら、きっと彼女はそれが嫌で嫌でたまらないのかもしれないけれど。やっぱ綺麗だわ、サングラス、とっぱらってやりたい、とうずうずしていると、しばらく黙り込んでいたイクがその口を開いた。

 

「じゃあ、言うけど」

「うん」

「この潜水艦の神衣、なんとかなんないの?」

「……そういうのはちょっと」

「使えねーの」

「あ?」

「あと資源回収クルージング減らして欲しいの」

「それも私の一存ではちょっと」

「マジで使えねーの」

「あ゛?」

 

 けっ、と軽く舌打ちをするイク。おいこら、こちとら上官だぞ。

 

「別にアンタになんも期待なんてしてないのね」

「あのさぁ、私、一応あんたの上官なんだけど」

「テートクの望み通り言いたいこと言ってやってるだけなのね。感謝して欲しいくらいなの」

「こ、こいつ……」

 

 可愛くねー!! 黙ってればそこそこ可愛らしい顔つきであり、ついでにいうとその甘ったるいボイスで甘えられでもしたらその辺の男ならばイチコロだろうに、その甘ったるい声でつらつらと紡がれるのは罵倒である。いや、これはこれで需要あるのかしら、などとどうでもいいことを考えつつこんにゃろうと思っていると、ふん、と鼻で息をつきながらイクが続けた。

 

「期待なんかこれっぽっちもしてないから。もっと肩の力抜けばいいの」

 

 新たなる罵倒に噛み付いてやろうと反射的に口を開きかけ、ん? とその微妙に罵倒のようで罵倒でないような、やっぱり罵倒なような物言いに混乱して二の句をつげないでいると。

 

「見てるこっちが肩こるのね」

 

 はぁ、と一際大きなため息と共にそう言ってさっさと踵を返して執務室を出ていこうとしていた彼女は、その扉に手をかけたところで、ああ、と思い出したかのように振り返って。

 

「でもコレは、一応感謝してる」

 

 と、トントンと自身がかけているサングラスを叩きながら出ていった。

 

「……ツンデレ?」

 

 一人残された執務室にて。おもわずぽつりとつぶやいた言葉が静かに室内に落ちていった。

 

 

 庁舎の廊下を歩いていると、不意に後ろから呼びかけられた。

 

「あ、いたいた。おーい、イクちゃん」

 

 ワンテンポおいて振り返ると、漣が手を振って答える。そんでもってちょいちょい、とイクを指差し、あなたに話しかけているのだ、とわかりやすくジェスチャーでもって呼びかけた。ふざけた言動に隠れがちだけれど、漣はこういったちょっとした気遣いが上手だった。

 

「相談があるんだけど」

「なに?」

「今度新しい駆逐艦と潜水艦の娘達がくるっしょ? 対潜訓練イクちゃんにやってもらいたいなーって」

「……なんでイクなの?」

 

 どー考えたって自分が指導教官の真似事のようなものに向いているとは思えなかった。他に適任はいそうなものだけど。

 

「イクちゃん、音紋でだれがどこでなにしてるか見えるっしょ、だから新人潜水艦娘の動きの評価しやすいかなって」

「あー、まぁ」

「海中での動き、こっちからだと評価しづらいし」

 

 それなら、一応納得はできる。指導する立場なら秘話装置でもって近距離でコミュニケーションを取りながら指導もできるけれども、基本的に潜水艦は潜っている間はほぼほぼ連絡を取り合わない。それでもって潜ってしまえばそこは光の届かぬ世界。音が唯一の敵味方の識別方法であり、それもいわゆる敵か味方かの判別くらいだ。そんでもってそれは敵も同じであり、だからこそ潜水艦娘は潜っているときは静かでなければならない。音を発しない、ひっそり、こっそりと忍びより敵をあぶり出すか、攻撃をするか。そんな性質上、潜水艦の指導は難航しやすいという話はまま聞く。

 

「見てるだけでいいの?」

「潜水艦の評価してるときは。あとは仮想敵役で駆逐艦ボコボコでよろしく」

「ボコボコって」

「全員沈めちゃっていいですぞ」

 

 カラカラと笑いながら演習内容についてざっとまとめた概要をこちらに差し出す。

 

「負担になるようなら断ってくれていいよ」

「海にいる方が楽だから別にいいのね。指導できるかは知らないけど」

「イクちゃん面倒見いいから大丈夫でしょ、ね?」

 

 普段どんちゃんうるさくしているからあまり近寄りたくはない部類の彼女ではあるけれど、こうやって一対一で話している分には元々落ち着いた声質であるのも相まって、ただの普通の、少しだけ周りがよく見えるだけのおとなしめの女の子に見える。

 そりゃあ人間、色々な面があるだろう。だけれども少なくともこの舞鶴鎮守府の古参である彼女、漣に対して、イクはどういった評価を下したもんかと未だ迷っていた。

 

「潜水艦の怖さは一番最初に叩き込んでおいた方がいいし」

「戦艦とか空母じゃなくて?」

「うん。そっちばっかり見て足元掬われる娘は多いから」

 

 まぁ気晴らしにはいいだろう。毎回資源航路開拓してこいとぐるぐるぐるぐる海を泳がされるよりはマシだ、多分。

 りょーかい、と相槌を打って会話を切り上げようとしたら、ふと漣が質問を投げかけてきた。

 

「ね、イクちゃん。ご主人様のことどう思う?」

「ご主人……ああ、提督ね。どうって?」

「漣はほら、前のご主人様とどうしても比べちゃうから。なーんにもフィルターかかってない人の意見はどうなのかなって」

 

 んなこと言われても自分だってそんな言うほど会話なんてしていない。このサングラスを作ってくれたのは感謝してるけど、多分そういうことじゃないだろう。

 

「ん〜……変なやつなの」

「変?」

「さっき窓に張り付いてたのね」

「ヤバww」

 

 ひとしきりひーひー笑っていた漣は、笑った拍子にでてきた涙を拭いながら言葉を続けた。

 

「好き? 嫌い?」

「そういうの判断できるほどあの女のことなんて知らないのね」

「あえていうならだって」

 

 いやに食いつくな。面倒くさいと頭をかきながらどうしたものかと考えていると、ふと。

 

『──あんた案外綺麗な目してんのね』

 

「……目」

「め?」

「まっすぐ目を見て喋ってるときは、嫌いじゃない」

 

 目を見て話したい、と言われたのは初めてだ。そしてその発言の通り、あいつは話しているときにこちらの目をまっすぐ見ている。なにか見透かされているようで若干の居心地の悪さもあるけれど、それでも。まっすぐと目を見ながら紡がれる言葉は、悪くはない。

 

「……信頼できる?」

「知らないけど。ああいうときは嘘はついてないんじゃない」

「そう、かな」

 

 声量が小さくなり、よく聞き取れず漣の方を見返す。漣は、窓の外を見やって。そしてそれはどこか遠くの方を見ているようで。

 

「提督なんて、嘘つきだもん」

 

 そうしてあとに続いた独り言ともとれぬ言葉は。かろうじて聞き取れたものの、それの意味するところは。よく、わからなかったのだ。

 

 

─後編へつづく

 




後編は明日の九時投稿予定です。
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