世界の片隅の、とある艦娘達のお話   作:moco(もこ)

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合縁奇縁、廻り廻りて‐後編‐(舞鶴鎮守府)

 

「いや知らんでち」

 

 よく喋る女だと思う。無口で辛気臭い顔を常にしながら仕事を完璧にこなしていた前任と、へらへら笑いながらろくに仕事のできない現上司。どちらがいいと言われれば、前任のが楽だったと言わざるを得ない。

 

「いやでっち、あんたはもう少しくらい周りに興味持ったら?」

「あ?」

「すみません馴れ馴れしかったですねこちらの書類をお納めくださいゴーヤ様」

 

 頭を垂れながらうやうやしく差し出されたそれを受け取りながら思い起こす。

 別に親しいわけでもないし。艦種も違うし。と、いうか、顔と名前を一致させるのだってそもそも苦手なレベルであるからして、それ以上の情報を思い起こそうとしてももやがかかったように曖昧なのだからしょうがない、が。

 

『──提督!』

 

「あー……そう言えば」

「うん?」

「前から、あんな喋り方だった、っけ?」

 

 なんか、ある日を堺にやたらうるさくなったような。そうでもないような。

 

「……それくらいは認識しましょうや、ゴーヤさん」

「人間のガワなんてただのガワでちよ。どう喋ろうがどう見えようが大して意味なんてないでち」

「ゴーヤがいうと説得力あるけどさ……」

 

 誤解を一々訂正するのが面倒くさい。誤解され、それが利益に繋がるのならば特に否定する必要もなく。

 

『──変なの』

 

 皆が皆、口を揃えてそう言うのなら。きっとそれが正しいのだろう。そんなのは知っている。知っているから、とりあえず放っておいてほしい。

 

「ゴーヤさん、ご趣味は」

「無駄口叩いてないで手を動かすでち」

「無駄話は嫌いで?」

 

 うるさいな。微かな苛立ちとともに語気を強める。

 

「余計なことにリソースを割きたくないでち」

「余計ねぇ」

 

『──そんなの、人としてダメじゃない?』

 

 見えきった答え。どうせ最終的に行き着く答えはつまるところ、そんなところなのだから。こちらの神経を逆なでていくという点では無駄よりタチが悪い。だから意味のない会話なんてどうでもいい、どうでもいいっていうのは。

 

「じゃあ何にリソース割きたいの」

 

 黙ってろって意味なんでちが。一向に口を閉じようとしないそいつに、とうとうしびれを切らして睨みつける。

 

「ごめんね、ゴーヤには意味がなくても私にはあんのよ。静かな室内にペンが走る音だけとか、寝ちゃうわ」

 

 そんなことを言いながら、頬杖をついて、苦笑。完全に集中力は切れたようだった。

 

「図書館とか、そういう空間がダメでさ。ちょっとだけ、付き合ってくんない?」

 

 無駄口を嫌った前任と正反対。つくづく、面倒くさい。はぁ、とため息をついてぼそりと呟いた。

 

「……知識」

「知識?」

「資産運用、艦魄艤装回路理論、艦隊運用術、知らないことが多すぎて時間が足りないでち」

 

 知らなくてもわかる。知らなくても戦える、それが艦娘というものだ。そしてそれが、自分にとってはひどく気持ちが悪いのだ。

 パソコンがどうしてそういう風に動くのか。尋ねてみれば、そういうものだから、と返され納得がいかなくてそれをバラした。

 魚雷の仕組みは? 触発信管、磁気信管とは、各種魚雷の違いは動作不良の原因は。そこに現象があるのならば。それを説明できる理論が、知識がないと落ち着かない。

 知らないものを知らないまま当然のように使うのが、心底気持ち悪い。

 

「でもそういうのって、突き詰めるとキリなくない?」

「だから言ってるんでちよ、時間が足りないって」

「いつ休んでるの?」

「? しょっちゅう休んでるでち」

「え、そう?」

「魚雷点検したり、専門書読んだり」

「それって休んでるの」

「休んでる」

 

『それって休めてるの?』

『最高にリラックスしてるでち』

『ふーん……読むのはっや』

 

 ああ、そういえば。イクは自分にしては珍しく結構早く顔を覚えた方かもしれない。彼女との会話は気楽でいい、理解はしてくれないけれども特に否定もしないから。彼女との沈黙は特に気にならないし、なによりぽつりぽつりと投げかけられる会話も苦痛にならない。違いは一体なんだろう、と思いながら。

 

「知識を頭に入れたり、得た知識を照らし合わせたりしてるときが。一番、心が安らぐ」

 

 そこで言葉を切ってそいつを見やる。

 

「満足でちか?」

 

『──変なの!』

 

 そらお前もそういう顔をするんだろう。イクだって言葉にはしなかったけど困ったような表情をしていた。だからこれは、変なのだ。そうしてそのやり取りを何十回と行ってきてこちらはもううんざりなのだ、だから自分に必要以上に関わらないで欲しい。こちらだって、必要以上には関わらないから。

 

「うん」

 

 だけれども、そうして真正面から睨みつけてやったそいつの顔はそのどれにも当てはまらず。今日寒くない? と聞けばうん、寒い、と返すくらいの気軽さでもって。ただただ、こちらをまっすぐに見ていたのだった。

 

「だったらさっさと──」

「──アフリカのとある地方で食糧不足が深刻化しています」

 

 微かな動揺を隠すように仕事に戻れ、と言いかけると。それに被せるように提督が口を開いた。

 

「世界飢餓指数は二十二点と高く、原因は乳幼児死亡率の高さ及びカロリー不足の人口数ってデータと。その地方に住むとある可哀想な女の子の話。どっちを聞いたら寄付したくなる?」

「前者」

「一般論では後者なんだって。どう? こういうちょっとためになる話ならオッケ?」

「……まぁ」

「それじゃー次までにもっとこういうネタ仕入れとくわ」

 

 ヤバい、意味わかんないでち。今までは自分がまるで宇宙人のように扱われることばかりであったけれどもどうやら自身もこの歳にしてとうとう宇宙人と遭遇してしまったらしい。

 これからはもう少し人に優しくできるかもしれない。うん、変な奴は、変だ。

 

「……なんで?」

「え? 私は喋ってないと眠くて手が進まない。ゴーヤは無駄話は嫌い。だから折衷案っていうか」

 

 そんなことを言いながら提督がほっと掛け声と共に肩を回すと、してはいけないような大きな音が執務室に鳴り響いた。……肩、こり過ぎなのでは。

 

「……ながら作業も嫌いでち」

「あんらー」

 

 真実ではあるけれども。微かな拒絶もなんのその。うーん、どうしよ、と首をバキボキ鳴らしながら回している彼女に。

 

「……休憩時間、くらいなら」

 

 思わず譲歩してしまったのは。きっと、意味がわからなさすぎて、そうして意味がわからないものとは自分にとって恐怖の対象であるからして。

 

「長時間話すのが、苦手ってだけでち。拘束時間が、長いと」

 

 だからきっと、防衛本能みたいなものが働いたに違いない。これ以上つっぱねたら何をしでかすかわからない、そういった恐怖に対して。

 

「ああ、それ、わかるわー!」

 

『えー、変なの! 全然意味わかんない!!』

 

 だってそういう反応は、見たことが、なくて。そうしてそれが、自分の世界の当たり前だったのだから。

 

「も、ほんと女ってさーどうでもいい話で延々と喋れるじゃない? 私あれ、いつこれ終わんの? ってだんだんイライラしてくるのよねー、私の人生まさに浪費されてますーってかさ」

 

 けらけら笑っているそいつの髪が、窓からちょうど差し込んだ西陽に照らされる。ただの黒髪だと思っていたけれど、日の光にさらされると少しだけ茶色く輝くそれに目を細めながら。

 

「……うん、だから」

 

 そうしてキッと再度睨みつける。

 

「さっさと業務覚えてゴーヤの人生これ以上浪費させんじゃないでちよ。休憩終わりでち」

「うっ……すみません……」

 

 そうして不備のあるそれを突っ返すのであった。

 ……変なやつ。

 

 

 前任の提督とは、多分、今この鎮守府にいる娘達の中では一番長い付き合いになるだろう。

 未だになんで彼女が自分を秘書艦に任命したのか、それはよくわからない。いいところの出の、超がつくほどのエリート。少しだけきつそうな見た目ではあったものの、見目も麗しく、そんな彼女の秘書艦として自分はとても場違いなもののように思えた。

 

『……漣』

『は、はい、なんですか提督!?』

『あげる』

『は、へ?』

 

 コミュニケーションをとるのが、決して上手な人ではなかった。元々無口な方で、黙っていると怒っているのではないかと錯覚してしまうこともしばしば。それでも。

 

『うん。似合うわね』

 

 ぎこちないけれど。あの頃の彼女はそれでも笑いかけてくれていた。

 最終的に艦娘嫌いとレッテルを貼られてしまった彼女だけれど。本当は、本当はそんなんじゃないって、そう思っている。そう、思っていたけれど。もう私には、なにが真実でなにが嘘だったのか。なにも、わからないのだ。

 

 

 埠頭でぼんやりと海を眺めながらそれをいじっていると、はらり、と白いそれが自身の腕に落ち、空を見上げる。

 ふわりふわりと空から降ってくるそれを見て、ああ、今日はそんなに寒かったのかとぼんやりと思う。どんな気温でも顔色変えずピチッと制服を着こなしていたあの人に対して、彼女はすぐに駄々をこねる。今日くらいは、いっか。あまりに寒がるものだから、はたして自分がこの土地に慣れ親しんでしまったからなのか、あるいは。艦娘として過ごすことで色々と、知らず知らずのうちに失ったものも、あるのかもしれないと思った。

 電気ストーブでも導入してあげようか、と考えこんでいると、ざり、とコンクリートを踏みしめる音が響いた。

 

「かわいいわね、それ」

 

 ずび、と鼻をすすりながら。もっふもふの耳当てに、二重に巻かれたマフラー。そしてがっちりしたダウンコートを身にまとい、現在の自分の上司に当たる女性、舞鶴鎮守府の提督が現れた。

 ……確かそのコートは雪国で流行しているガチの防寒コートだった気がする。いや、そりゃ寒いだろうけれど。その重装備具合といったら浮きまくりだ。

 突っ込むべきかどうか悩んだところでなんだかバカバカしくなってしまって、手元のうさぎの人形に視線を落とした。きっと、この雪が。感傷的な気分にさせているのだ。

 

「……もらいものなんです」

「へぇ、誰からの」

「前のご主人様ですよ」

 

 はらり、と雪がその人形に舞い降りる。きれいな、樹状の雪の結晶だった。小さい頃はこの形の雪の華が好きで、大きく育った雪の結晶を見つけてははしゃいでいたっけ。

 

「え、なんか意外。そういう趣味だったの?」

「さぁ。よくわかんないです」

 

 そんな小さな頃の記憶すら朧気なのだから。自分の気持ちすら、こんなにも曖昧なもので、あるのだから。

 

「あの人のことなんて。何もわかんないです」

 

 私が彼女に感じていた親しみも。彼女が私に向けてくれていたと思っていたはずの、それも。きっと、この雪の結晶のように跡形もなく溶けて、消えて。そうしてそこになにもなくなったとしても、世界はこうやって、回り続けるのだ。まるで最初から、そこにはなにもなかったかのように。

 

「──問」

 

 ざり、と音を立てながら大股でこちらに歩み寄った彼女は、漣の隣に立って、海を睨みつけながら。

 

「その子の親が死んで、その夜その子が静かに泣いています。適切な心情を答えよ」

 

 脈絡もなくそんな質問を投げかけ、そして。

 

「あ────、死んで清々した!」

 

 大声でもって、なんとも不謹慎なことを海に向かって投げつけた。

 その様子に呆気に取られていると、またずび、と鼻を鳴らしながら彼女がぼそりと呟いた。

 

「バツだったわ」

「いや当たり前でしょ」

「そう? 嬉しすぎて涙流してんのかもよ」

「いやいや」

「私なら、大正解」

 

 はっと蔑むように笑う彼女の横顔は初めて見る。普段はのらり、くらりとやり過ごしている彼女の内面に燻るその激情を垣間見たような気がした。

 

「本当の内心なんて誰もわかりゃしない。言葉なんて簡単に偽れるし」

 

 そう、そうなの、本当にそう。なにも、なにも信じられるものなどなかったのだと失ってから気づいた。信頼という気持ちを相手にあずけても、同じものが返ってくることはないということも。そうして、どうしようもなく。

 

「だからいいのよ。私にとってそのシーンは親が死んで清々するシーンだったし」

 

 ちらり、と一瞬こちらを見やった彼女は、また雪がはらはらと降りしきる、曇天によって黒々と染められた海を眺めながら、ぽつりと。

 

「漣が感じたものは、それでいい」

 

 そう呟いて、体ごとこちらに向き直った。

 

「──それ、いつから?」

 

 そう、あの時から私、漣は。

 自分の感情を、信じることができないでいる。

 

 

『──前から、あんな喋り方だった、っけ?』

 

 漣が秘書艦を辞めた理由について探りを入れたときに返ってきた言葉。入れ替わりの激しいこの鎮守府ではゴーヤが一番付き合いが長いのではと思って聞いたら知らんと返され、代わりに与えられた言葉。

 ここの駆逐隊のメンツはとかく入れ替わりが激しい。対潜訓練済み駆逐艦の養殖地か、と言わんばかりにある一定レベルに達した駆逐艦はあっちそっちに引き抜かれていくので、ここのレベルを一定にするのは中々骨が折れるとゴーヤがぼやいていた。

 だから現在の漣の同室である朧も、比較的新しい娘であり、漣には良くしてもらっているようだった。

 

『ね、漣っていっつもあんななの?』

『あんなって?』

『うるさい的な』

 

 寒いところが嫌いというひょんな共通点から地味に仲良くなったのだけれど、そんな流れで彼女のお気に入りのペットであるカニを突っつきながらなんとなく聞いてみたのだ。あのノリを四六時中やられたらたまんないんじゃなかろうかと。

 

『漣、部屋にいるときはそんなにうるさくないですよ』

『そうなの?』

『はい。あれはなんていうか……周りのため、なのかな』

 

 朧、しょっちゅう失敗しますけど、あの明るさに結構助けられてるところありますもん、と言われ。そこから一つの仮説が立てられたわけである。

 ──この子はすすんで自ら、道化を演じているのではないだろうか、と。

 

「……この鎮守府、暗いんだもん」

 

 力なく笑う彼女のその声は、いつもよりも落ち着いたもので。きっとこっちが素なのであろうということが伺えた。

 

「前はね、あんなんじゃなかったの。もうちょっと、優しかったんだけど」

 

 手元の、あの人からもらったのだというそれをいじりながら、とつとつと語る漣は。

 

「いつからかなー、なんか、笑わなくなって? なんか、よそよそしくなって。皆との仲もぎくしゃくしてるし」

 

 とめどなくこぼれ落ちる自身の感情を止められないのだろうか。そこでえへへ、と笑いながら。

 

「なら、漣さんくれぇは明るく楽しくやってやろうってぇ、イメチェン的な? やり始めたら結構楽しいし。無理なんかしてないんだよ、でも」

 

 そこで一旦。ひゅ、と微かに息を詰まらせ、それでもこんなことはなんでもないのだ、と力まかせにそれを口にした。

 

「──漣。それ、やめてって」

 

 その言葉になにも返せずにいると、漣はこちらを振り返りながら、一際大きな声でもって。

 

「んなこと言われたらなーんもいえねぇ!」

 

 一目で空元気だとわかる、痛々しいくらいの笑顔でもって、そう続けたのだ。

 

「だからゴーヤちゃんに変わってもらったの。すっごく頭いいし、きっとあの距離感も提督と合うと思ったし、実際合ってたし」

「……でも、やめちゃったじゃない」

 

 そうして私は。あえて言ってはいけない言葉を投げかける。それは、多分。漣自身がずっと、ずっと自分に投げかけていたであろう、言葉。

 

「……っ、じゃあ、どうすればよかったの!」

 

 彼女の怒りを真正面から浴びる。誰にも言えず、ずっと心の内で持て余していたどうしようもない悲しみを爆発させるかのように吠える彼女を黙って見据える。

 

「なんも、なんも言ってくれないし! 何やってもダメだったし、だから、だから」

 

 できた、子だと思う。周りのみんなを元気にしようとどんちゃん騒ぎをして。それを煩わしいとしかめっ面をする子もいるけれど、そういう子も最後には笑ってしまう。この舞鶴鎮守府にかかせないムードメーカーである彼女の怒る姿なんて、きっと誰も見たことがないだろう。そうやってずっとずっと、誰にも言えず。そのどうしようもない気持ちを抱えながら、笑い続けていたのだ、この子は。

 

「どうしようもなかったの」

 

 だから私は、彼女のその熱を冷たさでもって受け止める。優しく受け止めるべきだった人は、漣がそうして欲しかった人はもういない。そうして私は彼女の代わりにはなれやしないのだと。明確に伝える意味でも。

 

「どうしようも。漣が悪いとか、あの人が悪いとか。そういうのを越えた、なんつーの。どうしようもできない流れって、あんのよ」

 

 こんな家に生まれてこなきゃよかった。そういう自問自答は数えきれないほどにした。子供は親を選んで生まれるって? 冗談よしてよ。でも、そう思う一方で。この家に生まれなければ出会えなかったかけがえのない存在もいる。

 それと同様に。この場所の因縁が彼女と漣を引き合わせたのならば、引き離したのもまたそれなのだ。いやだ、と掴もうとしてもすり抜ける、そういうことは、ある。それをしかたないと言えるほどにはすれていないけれど。それでも、どうしようもないそういった流れの中で、もがき、苦しみながら私は何かをつかもうと生きている。

 だから、同情はなんか違う気がしたのだ。さりとて甘えんな、と突っぱねるほど冷たい女でもない、と一応思っている私は、ポケットからごそごそと若干ぬるくなったそれを取り出す。

 

「ん」

 

 小豆色の、この時期になるとそっと自販機に追加される小さな缶。

 

「よく飲んでるから、好きなのかなって」

 

 おしるこの缶ジュースを漣に差し出すと、漣はしばしそれをじっと見つめて。そうしてゆっくりと、それを受け取った。

 

「……コレ飲んでると冬って感じがするんですよ」

「へぇ」

「一口いりますか、提督」

「いや、いい。私甘いの苦手なんだ」

 

 甘いものって喉が渇くし。あんまり食べた気もしないのにカロリーだけは馬鹿みたいに高いもんだからいまいち好きになれない。

 私の言葉を受け、漣は両手でそのおしるこ缶をもてあそびながら、ぽつりと呟いた。

 

「あの人は、甘いの好きだったんですよ」

「え、意外」

「引き出しにいっつもチョコ入れてて。ちょっと高めの、まあるいチョコ。あれをよくコロコロ、口の中で遊ばせてたんですよ」

「……不覚にもちょっとかわいいとか思っちゃったんだけど」

「でしょ」

 

 力なく笑いながら漣がプルタブをひっかく。カシ、と乾いた音が響いた。

 

「本当に好きだったのねぇ、あの人のこと」

 

 人間とは多面的な存在である。世間一般では艦娘嫌いとしての悪評の方が強い彼女ではあるけれど。きっとそれだけだったのなら、この子はこんなに大事に、あの人からもらったものを手元には置いていないだろう。

 ──カシッ。

 

「……報われない片想いでしたけどねー!」

 

 プルタブをひっかく手を止め、努めて明るくそう言い放った彼女の横顔は。ひどく痛々しく、映った。

 

「そんなことも、ないんじゃない?」

 

 それが作られたキャラであれなんであれ。それを演じることでこの舞鶴鎮守府に少しばかりの明るさを与えていたのは事実だ。そうして、そのやかましいガワに隠れがちではあるけれども。彼女のそういった気遣いというものは、居心地が、いいのだ。

 

「この鎮守府、潜水艦以外は結構入れ替え多いでしょ」

「そう、ですね」

「でも漣は、秘書艦外れた後もずっとここに所属してるじゃない」

 

 だから、余計につらかったのかもしれない。そんな彼女の気遣いにすがってしまえば。一度こぼしてしまえば、それを取繕えそうなほど器用な人には見えなかったから。

 

「つまりそういうことよ」

「……ちょっと、よくわかんないです」

「弱小鎮守府が優秀な艦娘をキープするのって、そこそこ労力いんのよ」

 

 それでも手放せなかったのだから。もうどうしようもできなかったのだろう。

 彼女は漣を巻き込まない道を選んだのだ。例えそれが彼女を傷つけることになろうとも。それでも、そこは、譲らなかったのだろう。

 

「優秀な艦娘はどこでも取り合いなんだから。あんたなら佐世保か呉行ってもいいくらいよ、ほんと」

「……」

「転籍、する? 今ならねじ込める」

 

 ならば私も、この子だけは巻き込むまい。にっちもさっちもいかなくなったとしても、この子だけは。

 

「ここはもう、あんたの守りたい舞鶴鎮守府じゃあ、ないんでしょう」

 

 それが多分。私があの人にしてやれる唯一のことだろうから。

 

「……ご主人様って、ここが嫌いですよね」

「寒いもん」

「それだけ?」

 

 じっとこちらを見上げる漣の瞳を、まっすぐに見返す。

 

「それ以外も、ある」

 

 しばしじっとこちらを見上げていた漣は、ふいと視線をおしるこ缶に移しようやっとそれを飲み始めた。

 

「ご主人様ってほんと、あの人と真逆ですね」

「そりゃあエリート様とはね、出来が」

「目」

 

 漣はそこで一旦言葉を区切ると。

 

「あの人はまともに合わせてくれなかった」

 

 そう言ってまた一口、それを飲んだ。

 

「……目は口ほどに言うから」

 

 やろうと思えば、そうと悟られずに嘘をつくこともできる。それでも難しいものは難しい。それが、心を許せる存在であればあるほどに。

 

「きっと誤魔化すのが苦手な、不器用な人だったのね」

 

 優秀な人ではあったのだろう。だけれども、恐らく。この舞鶴鎮守府には向かなかったのだ。舞鶴鎮守府の提督に一番必要とされる部分が、あまりにも不器用で、あまりにも誠実過ぎて。

 他人事ではない、明日は我が身だ、と内心で自嘲していると。

 

「イクちゃんがね。ご主人様がまっすぐ目を見てるときは嘘はついてないだろうって」

 

 不意に漣がそんなことを尋ねてきた。

 

「どうなんですか?」

 

『──そういうときは絶対に嘘をつかないし、ね』

 

 え、えー? そうなの? 流石に二人から言われてしまったのならちょっと考え直さねばならないのかもしれない、その癖。いやでも相手に訴えたいときは目を見るのなんて普通じゃない? なんなの? えー、も、えー。

 

「……さぁね? あんまそういうの、アテにしない方がいいわよ。そういう仕草って取り繕えるし。足元掬われちゃうわよ? 掬われちゃっても責任なんてとらないからね」

 

 ぺらぺらぺらーとこれまた指摘された悪癖でもってとりあえず場当たり的に誤魔化す。いやね、そう。こんなの知られても痛くも痒くもないから。だから誤魔化す必要なんてまずないのよね、そうそう。ていうか? そう思ってもらえてるのなら色々と使いようもありますし。

 

「……そういうことに、しといてあげます」

 

 その様子を見上げていた漣は、ふと表情を緩めると立ち上がって徐に海に向かって大声を張り上げた。

 

「転籍なんてごめんですぞー!!」

 

 その声にびっくりした海鳥が数羽、バタバタバタと飛び去る。

 

「夏は地獄のように暑く、冬はクソ寒く、お金もなくてオンボロで、ついでにいうと定期的に潜水艦が暴れまわるここ、舞鶴鎮守府ですがー!」

「普通に聞いても最悪よね。刑務所かなんか?」

「刑務所wwww」

 

 けらけらと笑う漣の瞳に、微かに涙が滲む。それは、笑いすぎによるものなのか。

 

「漣は、そんな舞鶴鎮守府が。まぁ割と、嫌いじゃないから」

 

 あるいは。

 

「大体ご主人様、漣いなくなったとしてゴーヤちゃんとやってけるほどお仕事覚えたんですか?」

「いや全然。まったくもって、これっぽっちも」

「そろそろ潜水艦ストライキの時期ですぞ」

「待って、そんな行事感覚なの??」

「ストライキ起きたら筆頭はゴーヤちゃんだから秘書艦業務まるっと放置されますよ」

 

 その言葉を聞いて、すぅっと音もなく地べたに膝をつき。

 

「……漣様」

「なんでしょ」

「是非とも舞鶴にいて頂きたく」

 

 華麗なる土下座を決め込んだ。無理無理無理ほんと無理。ついでにいうとゴーヤにストライキなんて起こされたら勝てなくない? 是非ともここはハウツーを蓄積しているベテランの力が必要だ。

 

「……ホント、しょーがないご主人様ですね」

 

 その様子をみて。ふへ、と気の抜けた声を漏らしながら笑った漣は。きっと、まだまだどうしたってその傷を抱えて生きていかねばならないのだろうけれど、それでも。それでも、前よりもいい顔で笑ったような、気がした。

 

 

 一般開放時間を十分に過ぎてから。生きとし生けるものが寝静まった頃、私は鍵を片手に舞鶴鎮守府庁舎の書庫へと向かった。

 懐中電灯とか持ってくりゃよかったな、なんかあるかしら、と携帯端末のライトを頼りにごそごそと受付の辺りを漁ると、年代物のオイルランプを見つけた。またこんなマニアックなものをと思いながらも、これ使ったら雰囲気出るなと若干わくわくしたのも事実。それに灯りをともし、携帯端末をポケットに突っ込んでから地下へと降りていく。どこか停滞した埃っぽい空気にしかめっ面をしながら、ランプをかざして周囲を照らした。

 

「……ここは、状態いいのね」

 

 何度も津波だなんだと被害を受ける舞鶴鎮守府が移転しない真の理由。それがこの庁舎の地下に存在する書庫だとは誰も思うまい。上の方は真新しくなっているけれども、この地下空間だけは結界で守られているのだと聞いた。微かにそれらしい気配は感じるものの、一体どういう仕組みでこの空間が守られているのかは自分にはとんとわからない。もう少しこっち方面くらいは真面目に勉強しとくべきだったと悪態をついても後の祭りだけれども。

 ずらりと並ぶ各種資料。これもそりゃ大事っちゃー大事なものであるけれど。これはただのカモフラージュだ。その本棚を素通りして、壁伝いにそれを探す。

 

 ──カツン。

 

「……うーん、これ、わかりやすすぎるんじゃない?」

 

 塗り壁の下、木造部分のそれを指先でなぞる。桜の花弁と、その下に錨。それがとある一部分にのみ彫られていた。

 

「よっ、ほ、そい。いやぁ、こんな内容じゃなければわくわくするようなところではあるわよね、こういうからくりってのは……」

 

 まぁこれが隠し扉の目印であるとわかったところで、この複雑怪奇な順序でもって仕掛け部分をいじっていかないと開かない隠し扉ではあるけれども。秘密箱といい、日本人ってこういう仕掛け、好きよね。

 ぐっと壁に力をかけると、微かに軋むような音を立ててそれが回転する。さぁて。この先から重苦しい空気が流れ込んでいるように感じるのは、怖気づいているってことかしらね。少しばかりかがみながらその狭い通路を進んでいくと、小さな書庫にたどり着いた。意外と奥行きはありそうだな、とざっとランプで辺りを照らしてから、それを机に置く。さて、どれを読んだものかと手を机についたとき。かたん、と偶然にもそれに手が触れた。

 

「……こりゃまた」

 

 ぱらぱらとそれをめくっていく。このワードだなんだが発展した時代に手記って。どうやら代々の舞鶴鎮守府の提督達がここにある資料やら自身の見解などを書き綴っていったものらしいのだけれど、数人、ひどいくせ字でこりゃ読むだけで苦労しそうだ、と苦笑する。そうして一番新しい時代に書かれたであろう、ひどく几帳面な字で綴られたそれにたどり着く。

 

「……パンドラの箱は、開かれた。そうして底に残ったの、は」

 

 ──希望という名の絶望だと。私は、結論付けた。

 

「……せめてもうちょっと明るいこと残してくれないかしら」

 

 苦笑いをしながら一度それを閉じ。そうして最初のページをまた開く。あれが人智を越えた存在であり、この十数年、私よりも頭のいい人たちが知恵を絞ったとしても手に負えないと判断されたアレ。ダメで元々だ。知識もなければそっち方面の能力も秀でているとは言いづらく。そうだな、あれだ。私が唯一誇れるものと言えば、人との縁くらいか。思えば人生の節目節目で、そのときは気づかないのだけれどもなんとなくいい方向へと導いてくれるような人に私はよく出会っているように思う。それを気のせいだと断じてもいいけれど。私は、これを自分の力であると信じている。そんでもってそれが、なんかうまい具合に私を助けてくれる、かもしれないし。助けてくれないかもしれない。

 まぁ、そんな博打だけに頼るほど酔狂でもない。やれることはやってやろう。いやしかし、初代さんめちゃくちゃくせ字、読みづらいったらないわね。

 

「ええ、と。なに? 大いなる、災禍、と。……き、消え、た、始まりの──」

 

 ガタン、と古びた木製の椅子を引き寄せながら。そうしてその日から、人知れず私はやつをぶん殴るための術とやらを模索し始めたのである。

 

 

 ──そうして時は、流れ、流れて。

 

 おかしいとは思っていたのだ。こんなひなびた鎮守府に海外艦の、それも戦艦を着任させるというような話は。戦線が落ち着いているとはいえ、こんなところで遊ばせておくような艦とは思えなかった、だから裏はあるとは思っていた、思っていたけれど。

 

「な、んで! ここにいんのよ!!」

 

 その人が目の前に現れたその瞬間。思わず声を荒げてしまった。

 当の本人といえば私のそんな様子にも臆することもなく、涼やかな笑みでもってそれに答えた。

 

「会いにきちゃった」

「っ! ……っ!!」

「あら。人って本当に驚くと声が出なくなるのね」

 

 傷だらけの不沈艦。オールド・レディ。艦娘にとって、スペック以上に艦にまつわる異名というものは重要なファクターとなる。

 例えばそれは奇跡の駆逐艦と呼ばれる雪風のように。例えばそれは、この目の前の艦娘の艦に与えられた異名のように。その名は、艦娘の力となりうるわけで。だからこいつは、こんなところではなく、本来なら呉とか、呉とか、呉に配属されるべき存在であるからして。

 

「まさかこんな極東の島国に適性のある娘がいるなんて、ですって」

「あの、やろ! 話が!」

「海軍の息がかかった病院ですもの。こんなこともあるわ」

「なんでそんな落ち着いてるのよ!?」

 

 昔から、どことなく気品が漂うやつだとは思っていた。それは多分、英国出身の知り合いがこいつしかいない自分にとって、異国に対する憧れも混じっているのかもしれないと思っていた。それをさっぴいたとしても、この人の傍にいる時間があったことで。私は私であることを忘れずに済んだ。

 だから本人には決して面と向かってそんなことは言わないけれど人生の恩人だと思っている。だからこの話だって受けてやろうと。くそったれな宿命だなんだの中で私は私らしくあがいてやろうと、そうあのとき決意した、と、いうのに。

 

「私が受けたくて受けたんだもの」

 

 だというのにこいつは。ああ、そうだ、そう。こんな美人薄命みたいなツラをしているけれども内面は割としたたかだった、そうね、そうだった。決して囲われ守られるような弱々しい女ではなかった、これだからイギリス女ってのは。

 

「Queen Elizabeth Class Battleship二番艦、Warspite(ウォースパイト)です。Admiral(ていとく)、よろしくお願いしますね」

「発音いいのむっかつく!!」

「母国語だもの」

 

 頭ひっかきむしりながら荒れ狂う私をくすくすと楽しそうに見ていたそいつ、ウォースパイトは、ふと目を細めてぽつりと呟いた。

 

「随分、やつれたわ」

「……そんなことないわよ」

「そう?」

「そうよ。思い出が美化されてんじゃないの?」

「そうかもしれないわね」

「そういう、あんたこそ。足」

「この艦の宿命みたいね。これでも以前よりは動かせるのよ?」

「……そう」

 

 艦娘になると何かしら障害を抱えている娘は大抵それが完治する。例えば体の弱い娘は健康体に、目が見えない娘は見えるように。それでも中には例外がいるということも私はよく知っている。そうしてそれは、目の前の電動車椅子に腰掛けている彼女にもどうやら当てはまるようであった。

 

「これもなにかの縁ね」

 

 だというのにそんなことはどうでもいいと楽しそうに笑っている。うん、これは、本当に。心底この状況を楽しんでいる顔だ。それくらいはわかる、だって。

 

「お手伝い、させて頂けるかしら、Admiral?」

 

 曲がりなりにもこいつは、私の幼馴染のようなものであるのだから。

 

「……それ、やめて。ゾワゾワする」

「どれ?」

「Admiralっての!」

「あら、いいじゃない。私は気に入ったわ」

 

 にこにこと穏やかな笑みを絶えさせないウォースパイトのその後ろ。執務室の扉の影からぴょこぴょこぴょこ、と潜水艦娘の頭が団子四姉妹よろしくな状態で現れた。

 

「……昔の女でちか?」

「違うわよ!!」

 

 一番上のゴーヤが若干引き気味に尋ねてきたので声を荒げて否定する。

 

「そうよ、過去にした覚えはないもの」

「話をややこしくしないでくれる???」

「アバンチュール……」

「痴情の……もつ、れ……?」

「海外艦にまで手を出すとか。やるのね」

「出してねぇ────!!!! ていうか今まで一度も誰にも手なんか出してないわよ!!」

「モテるのに」

「女からだけでちけどね」

「あら。妬けるわね?」

「も、ほんと、黙って??」

 

 合縁奇縁。ああ、廻り廻って、なんと世間の狭いことか。

 どっと疲れが押し寄せ思わず天を仰ぐ。

 合縁奇縁、廻り廻りてここ集う。未だなにも解決策が見い出せない中、若干やけっぱちになっているところにこいつがここに来たことに、なにか意味があるのだろうか。

 

「からかいがいのあるあなたがいけないのよ?」

「あー、わかるのね」

「あら、わかってくれる?」

「反応が面白いから」

「でしょう? ふふ、あなたとは仲良くなれそう。お名前を伺っても?」

 

 おうおうちょいと、やめてくれ。

 

「イクなの」

「素敵なお名前。私はウォースパイト、好きなように呼んでね」

「……ウォーさん?」

「あだ名で呼ばれるなんていつぶりかしら、ふふ」

「あれ、なんかめっちゃ仲良くなるの早くないイクちゃん?」

「昔と、今の……女の、愛憎劇?」

 

 ぽつりと呟きながらすすす、と手話でもって尋ねるヒトミにイクがしかめっ面をする。

 

「勝手に今の女にすんななのね気色悪い」

「ついでに言うと私もそんな気はさらさらないわよ?」

「提督フラレてやんの」

「イヨ、あんた一ヶ月禁酒」

「パワハラだー!?」

「提督の昔の女ktkr!!」

「帰れ!!! 漣!!!!!」

「辛辣wwwww」

「うるっさ……」

「はーアホらし。帰るでち」

「待ってくださいゴーヤ様! この書類も持ってって!?」

「漣よろしく〜」

「断固拒否!!」

 

 合縁奇縁。廻り廻りてこの地に集う。それは腐れ縁であったり。

 

「……行くのか」

「はい、しばらく留守にしますね、提督」

 

 因縁であったり。

 

「ごめんください」

「……どなた、でしょうか」

 

 託し、繋がれる縁であったり。

 

「うん、うん。どうでぇ」

「……Perfect! デース!!」

 

 繋がり、より集まっていく。そこに流れはあれども意味はなく。偶然と必然が重なり紡がれる。

 きっとその出会いに意味はなく。ただ、確実に。

 

「〜♪」

 

 ──ぴちょん。

 

 運命の歯車というべきものは。回りだして、いるのかもしれない。

 

 


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