世界の片隅の、とある艦娘達のお話   作:moco(もこ)

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大湊警備府に所属する、兵装実験軽巡洋艦夕張と白露型駆逐艦五月雨のお話


春を告げる寒桜(大湊警備府:五月雨、夕張)

 ぼろぼろぼろぼろと。大粒の涙はとめどなく零れ落ちる。あの人に託されたものをなくさないように、涙で汚さないよう、大事に大事に胸に抱えながら。

 

 私は、こんなものよりも。

 

 

 なんでこんなことに、なってしまったのだろう。

 

「かったいかたい! 同型艦同士じゃねぇか! なぁーかよくしようぜ、なー五月雨!」

「は、はひ」

 

 緊張でかっちんこっちんの私に対してここ、大湊の秘書艦である涼風が気さくにそんなことを言ってくれたものの、未だ私は緊張で呂律すらよく回らないでいた。

 

「あの、私、新人なんですけど」

「けーいご」

「し、新人なんだけど」

「知ってっぞー?」

「……ここでは新人が、秘書艦補佐をするもの、なの?」

 

 そうなのである。まず訓練所から大湊に配属されたのが私一人。そうして卒業の際にああ、あなた秘書艦補佐に任命されてるわね、なんてさらりと言われ、よく理解できず教官に三度聞き返した。おっちょこちょいで成績もぱっとしない私がなんの間違いでそんなことに、というもはや理解の範疇を越えすぎて、混乱のままここ、大湊警備府に着任したのである。

 

「あのな、五月雨」

「うん」

「そもそも大湊には滅多に新人はこない」

「……うん」

「だから五月雨が初めてだぜ、よっ、日本一!」

 

 カラカラと笑いながらそんなことを言われてしまった。というかなんだろう日本一って。涼風の喋り方、どこかべらんめえ調だし、もしかしたら勢いだけで喋っているのかもしれない。

 

「まぁものは試しでやってみておくれよ、あたいも助けるからさ」

「うぅ」

「本当に嫌だったら異動願いだって気軽に出してくんな、ここ、結構そういうトラブル多いから割と融通利くし」

 

 なんだか不穏な情報を今手に入れてしまったような。不安は尽きない、尽きないけれど。

 ちょっと困ったようにこちらを見上げる涼風から悪い印象は受けない。道中、怖い雰囲気の人と何人かすれ違ったけれど、第一印象で全てを決めてしまうのは早計な気もするし。

 なにより私は生まれも育ちも大湊だ。冬は厚い雪に閉ざされてしまうこの土地だけれど、その冬の厳しさにいっつも自分がちっぽけな存在なのだと思い知らされてしまうけれども。それでもこの初夏から夏にかけて、自然豊かな緑に覆われた山であるとか、突き抜けるような青い空に舞う誰かの艦載機であるとか。そういうものを見上げていると、ああ、やっぱりここが好きだなぁ、離れてしまうのは寂しいなぁと思っていたのも事実だったから。

 だからまずは、一生懸命やってみようと思った。

 

「よーし、そんじゃ秘書艦補佐初仕事でぃ」

 

 涼風のその言葉に背筋をぴんと伸ばす。

 やっぱりお仕事といったら涼風が座ってる机に山のように積み上がっている書類の処理だろうか、考えただけで目を回しそうではあるけれど、頑張ろう、と気合をいれて彼女の言葉を待っていたら。

 

「工廠に丸一日引きこもってるバカに飯食わせてきて」

 

 なんて、まるで予想もしていなかったことをばん、と判子を押しながら言われたものだから。その言葉を脳内で反芻して、やっぱり秘書艦補佐の業務と結びつかなくて思わず首を傾げてしまうのだった。

 

 

『ヘッドホンとればいいから』

 

 その意味もよくわからないまま、言われた通りに工廠に向かう。大湊で訓練を受けた身としてはある程度慣れ親しんだものだけれど、いつ来ても大きいなぁと思ってしまう。大湊の工廠は旧海軍で使用していたものを改良したものらしく、そのおかげか規模も中々に大きいらしいというのはここで初めて艤装を身に着けた際に小耳にはさんだ。

 しかしこうも広いと見つけるのも大変そうだ。とりあえず入口から中を伺っていると近くを歩いていた艤装技師に声を駆けられた。

 

「なにか用かい」

「あ、あの、夕張さん、って人を探しているんですけど」

「ああ」

 

 もうそんな時間かぁ、なんてぼやきながらよどみなくすっと指先で方向を示される。

 

「いつものとこだよ」

「いつもの?」

「うん? あれ、お嬢ちゃん新入りさんかい」

「はい、五月雨っていいます」

「ああ、ごめんね。俺、艤装を見れば誰かわかるんだけど、顔を覚えるのは苦手だから気づかなかった」

 

 とりあえずこの突き当りまでいったらまた誰かに聞きな、ちょっと入り組んでるからと送り出される。

 カーンカーン、と金属を何かで叩く音、艤装技師達の声だし確認などを聞きながら、邪魔にならないよう注意して中を進む。言われた通り突き当りでまた人を捕まえ、そうしてようやっと目的の人物がいる場所へとたどり着いた。

 工廠の奥まったところ。ぱっと見死角になっていてわかりづらいところに一人、つなぎを着こんだ女性が座り込んで何かをがちゃがちゃといじっていた。

 

「あ、あのー……」

 

 後ろから恐る恐る声をかける。が、全くと言って反応がない。

 よくよく見てみるとなにかリズムをとるかのように頭が揺れている。そうして彼女の頭には大きなヘッドホンが装着されていた。

 

『ヘッドホンとればいいから』

 

 ふと涼風の言葉を思い出す。

 え、ええ……? 初対面の人にそれをするのって結構ハードル高くないかなぁ。

 

「す、すみませーん!」

 

 さすがにそれを行動に移すのが躊躇われたので、もう一度、今度は声を張り上げて呼びかける。だがしかし結果は同じだった。うう、そんな大音量で音楽を聞いてたら耳が悪くなっちゃいますよ。

 しょうがないので覚悟を決め、そろりそろりと彼女の背中に近づく。すぐ後ろに立っても彼女はまるで気づく素振りすら見せなかった。すごい集中力だなぁ、と半ば感心しながらそっと彼女のヘッドホンに手をかけ、そろーりとそれを取り外した。

 

「……あーちょっと待って涼風、今いいところなのよ、いやいやご飯食べなきゃいけないのもわかるんだけどもう一時間二時間くらいのばしたって別に死にはしないわけじゃない?」

 

 なるほど、効果はてきめんだ。ヘッドホンを取り外されてすぐに、彼女はこちらを見向きもせずにすらすらすらーと言葉を並べ始めた。ただし私のことを涼風だと勘違いしているようだけれども。

 

「あ、あの」

「わかったわかったじゃあ三十分、三十分でいいから──」

「あの!」

 

 そうして誤解をとこうと大声を張り上げたことで、ようやくその人が顔を文字通り上げる。座り込んでいるその人が見上げると、ちょうど立ったままその人のヘッドホンを奪って見下ろしている私と視線がかち合うわけで。

 

「……どちら様?」

 

 そうしてようやく、彼女は私の存在に気づいたのであった。

 

「ほ、本日着任しました、白露型駆逐艦の、五月雨、です」

 

 ひとときの、間。ぱちくりとその人が目を瞬かせてこちらを見上げていると、ぐぅと盛大に私のではないお腹の虫が鳴った。

 

「……お腹、減ったのか」

 

 自分のお腹を見下ろしながらぽつりとそう呟いた夕張さんは、ひとつ大きなため息をつくとゆるゆると立ち上がった。彼女のヘッドホンを奪ったままであることに気づいて慌てて返すと、彼女はそれを受け取って首にかけながら何気なくこちらに話しかけてきた。

 

「どうせ涼風にご飯食べさせてこいって言われたんでしょ? コロッケ食べにいかない?」

「コロッケ?」

「結構美味しいのよ、あそこの定食屋の」

 

 お姉さんが奢ってあげる、なんて目元を緩めてそんなことを言いながら、そばにひっかけてあったコートを手に取ってさっさと歩き出してしまった。

 

「その姿のまま出かけるんですか!?」

「だってご飯食べたら戻るし」

 

 あー、眩しい、なんてぼやきながら先を歩く彼女の背中を追いかける。い、いいのかな、勝手に外に出ちゃって。でも涼風から請け負った依頼は夕張さんにご飯を食べさせることなわけだし、いやでも外出許可なしで出歩いたら怒られちゃうんじゃ、などとあれこれと考えつつ、結局なにも言うことができないまま件の定食屋とやらに到着してしまった。

 夕張さんは自分から誘った割に道中雑談を振るでもなく、そうして定食屋に着いた後も私がそわそわきょろきょろしていても特に気にすることなくぼんやりと窓の外の景色を見ながらお茶を啜っていた。

 マイペースな人なのかも、と思い始めた頃にようやっと目の前に置かれたコロッケは、予想よりも一回りも二回りも大きくて、思わず目をまんまるにしてわぁ、と感嘆の声をこぼしてしまった。

 そうしていただきます、とザクザクした衣に包まれたコロッケを頬張り、中のホクホクなじゃがいもの素朴な甘さに舌鼓を打ちつつ、予想外の熱さに目を白黒させていると、その様子を見ていた向かいの彼女が実に楽しそうに笑った。

 

「やけどしないようにね」

「……あ、あの」

「ん?」

「なんで、私を誘ってくれたんですか?」

 

 彼女曰くいいところを無理矢理中断されご飯を強要されたわけだし。本人としてはとっととご飯を食べてあの場所に戻りたいだろう。

 新人の私がお邪魔したことで気を使わせてしまっただろうか、と少し申し訳なく思っていると、ぱき、と割り箸をわりながら夕張さんがぽつりと呟いた。

 

「美味しそうに食べてくれそうだったからかな」

 

 その言葉にきょとんとしていると、夕張さんは割り箸でコロッケをさっくりと割りながら言葉を続けた。

 

「艦娘なんてやってると、結構人の感覚っていうのかしら。鈍ってくるじゃない。おまけに私、私生活も壊滅的だし。面倒くさいとレーションとかで普通に一週間くらい過ごしちゃうし」

「れーしょん」

「というか食べ忘れちゃうのよね。だからかな」

 

 そうして一口大になったコロッケをひとつ口に運ぶ。それをゆっくりと、目をつむって咀嚼しながら。

 

「うん、美味しいね」

 

 そうしてまた箸をのばす。こちらに視線で食べないの? と語りかけてくる彼女に慌ててまた一つ齧り、そうしてそうだった熱いんだった、とまたはふはふと口の中で冷ましていると、ようやく夕張さんが雑談らしい雑談を振ってきた。

 

「ここ、怖い人いっぱいいるでしょ」

「そ、そんなことは」

「いーのいーの、気を使わなくて。涼風来る前はここの秘書艦の離職率やばかったんだから」

 

 と、いうことは逆に言えば涼風はそれほどに有能だということだろう。同じ白露型だというのに私とは雲泥の差だ。思わずはぁ~と感嘆の息を漏らす。

 

「べらんめぇちくしょうめぇ! 艦娘が怖くて深海棲艦と戦ってられるかってんでぇ! ってよく言ってるなぁ」

「ふ、な、なにそれ」

「みーんなわがままだからね、ここ。私も含めて、ね」

 

 航空戦のエキスパートの佐世保、最前線を支える呉、護衛の横須賀に資源航路開拓を担当する舞鶴、そして北の防人と呼ばれる北方海域の防衛に勤める大湊。

 候補生時代はどこに配属になるのかわからなくて、皆で色々な噂を集めていたものだ。だから私が大湊に配属になるなんて夢にも思っていなかった、だって。

 

「……その、ちょっと怖いなって思ってしまう人もいますけど」

 

『大湊はまず新人は配属されないらしいよ』

『なんで?』

『少数精鋭だからほとんどが各鎮守府、泊地で経験を積んでいる凄腕が配属されるんだって』

『……あたし、聞いたんだけど』

 

「夕張さんは、怖くないです、よ?」

 

『大湊って、腕は一流だけど他のところで扱いに困った艦娘が最終的に行き着く場所なんだって』

 

「そう」

 

 私の言葉に短くそう答えると、夕張さんはまたコロッケに箸をのばしながら質問を続けた。

 

「ちなみに誰が怖い?」

「えーと」

「私以外誰も聞いてないよ」

 

 なんだか悪口を言っているみたいで少し気がひけるのだけれども、そうやって語りかける彼女の表情が存外に柔らかいものだったから、

 

「……く、球磨、さん」

 

 とついついうっかりとこぼしてしまった。

 

「あー、球磨はしょうがない、慣れるまではね」

「そ、そうなんですか?」

「うちで一、ニを争う戦闘狂だからねぇ。まぁでもあれで球磨も頑張ってるんだけどね」

「頑張ってる?」

「うん。前所属してた泊地で駆逐艦泣かせてから、怖さ緩和のために語尾にクマってつけるようにしたって聞いた」

 

 あの語尾の裏に、そんな真実が。なんだろう、ちょっと可愛いって思っちゃった。

 

「まぁでも問題行動も多いし、結局効果なくてここに飛ばされてるんだけどね~」

「……夕張さん、は」

 

 これは、聞いていいのだろうか。そう迷いつつも、一つの疑問を口にした。

 

「なんで、ここに?」

 

 その言葉に彼女がぴたりと箸を止めた。

 私みたいなケースもあるんだろうけれども。こうやって箸を止めたからには、何か彼女も問題があるのだろうか。

 艤装いじりに没頭して寝食を忘れてしまうのは問題ではあるけれども、それでもこうやって話している分にはしごく普通の優しいお姉さんとしか思えないのに。

 

「……そのうちわかるよ」

 

 そうして私の疑問は、にっこりと笑ってそんな言葉を返してきた夕張さんによって、静かに返答を拒絶されたのであった。

 

 

 そうして定食屋を後にして、夕張さんは寄り道もせずにまっすぐと工廠へと戻っていった。道中、やはり会話らしい会話はなかった。だけれども、行きのときよりも気まずさはいくらか和らいだように感じた。

 夕張さんはいつもの場所へと腰を下ろすとまたかっぽりとヘッドホンを装着し、そうして図面を見つめながらぶつぶつとなにやらひとり言を呟きながら瞬く間に自分の世界へと入り込んでしまった。その切り替えの早さにぽかんとしつつ、しばらく横でその様子を眺めていたのだけれど、邪魔しても悪いなぁ、とそろりそろりとその場を後にして庁舎の執務室へと戻った。

 

「どうだったー?」

 

 書類から顔をあげることなく声をかけてきた涼風に答える。

 

「一緒にご飯食べてきた、けど」

「んん、何だって?」

 

 私の言葉に怪訝そうに涼風が顔を上げた。

 

「コロッケ、美味しかっ……あー! ごめんなさい! 外出許可なしで出かけちゃいました!」

「いやそんくらいいいよ、いつものことだし。それにコロッケってぇとあそこだろ、あそこは懇意にしてっからだいじょぶでぃ」

 

 あと敬語、とちょっと困りながら言われてしまった。同型艦とはいえ経験の差は雲泥の差であるし、曲がりなりにも涼風は秘書艦であると思うとそんな簡単には割り切れない。

 

「夕張はまだかわいいもんさ、厄介な奴は無断で演習に繰り出すしなぁ」

「え、ええ……」

「それを見込んで資源管理に遊びを持たせないといけないからさぁ、結構頭使うんだ」

 

 そうしてため息とともに、最近陸軍から出向してきたあいつもまだよくわかんないしなぁ、と涼風がぼやいた。

 

「しかしあの夕張がねぇ」

「?」

「ああ、なんでもないって。どう、夕張は。うちでは比較的無害な方だから任せたんだけど」

 

 涼風のあんまりな言い方に思わず苦笑する。その言い方ではまるで有害な人がいるみたいでは……いや、深く考えるのはやめよう。

 

「優しい人だった、よ?」

「ふーん」

 

 机に頬杖をついてこちらを見つめていた涼風は、不意ににっと笑うと。

 

「じゃあ夕張のスケジュール管理は五月雨に任せっか!」

「えー!!」

「いや地味に面倒くさいんだよ、あの人普通に任務も忘れるから。いやぁ五月雨が面倒みてくれるんならバッチリだね!」

 

 いや~助かる助かる、とからからと笑っている涼風に思わずがっくりと肩を落とす。

 なんか、思っていたのと違うかも、秘書艦補佐の仕事って。

 大きくため息をついて、そうしてとあることに気づいて思わずきょろきょろと辺りを見回す。そういえば。

 

「どうかした?」

「あの。提督は?」

 

 そういえばまだ、この警備府の提督に会っていない。そう思って涼風に聞いてみると。

 

「ああ、じっちゃんならこの時間は釣りしてるよ」

 

 と、何気なく返された。

 

「……」

「うん? なんでぃ?」

 

 もしかしなくてもここの実質的なトップって涼風なんじゃあ。なんとなく心の中で同情していると、涼風は無邪気な顔でもってきょとんと私を見返してきた。

 

「涼風、私、お茶いれてくるね」

「お、いいの? じゃああつーいお茶、頼むよ!」

 

 秘書艦補佐としては、ここは秘書艦を労わるということから始めていこう。そう決意を新たに給湯室へと足を運ぶのだった。

 

「お待たせ涼風、お茶、だ、だ、う、うわぁ!!!」

「あっづぁああ!!!!」

 

 そうして盛大につまづいて熱いお茶を涼風にひっかけてしまったのだけれども。

 

 

 大湊軍港の一角。埠頭に腰掛け、静かに釣りをしている老齢の男がいた。年の頃は六十代くらいであろうか。真っ白な白髪を短く切りそろえ、そうしてその体躯は年齢に見合わず鋼のように鍛えられていることが伺われた。

 ゆらゆらとゆれる浮きをじっと眺める彼の隣に置いてあるクーラーボックスの中はゼロ。いわゆるボウズというやつだ。だがそんなことはどうでもいいのか、彼はただただ、無為に流れる時間を楽しむようにその場に佇んでいた。

 

「ご相伴、あずかってもよろしいでしょうか」

 

 そうしてその男に声をかける少女がいた。

 彼女の出で立ちは、この大湊警備府においてひどく浮いていた。灰色の陸軍制服を思わせる上着に軍帽。そうして丸めたコートを袈裟がけした恰好はなんとも海に合わない。そうしてその制服から覗く肌は、北陸美人も真っ青な白さである。

 軍帽をくい、と上げながらその少女が声をかけると、その老齢の男は静かに顎で隣を示した。

 

「ここの娘達はせっかちでありますからなぁ、釣りの楽しみをわかってくれないであります。提督殿が釣り好きでよかったであります」

「そうか」

「たまに雲龍殿が気づいたら隣にいるのですが、話しかけようとしたらふらりと消えていてろくに会話もできないでありますし」

「あれは、誰に対してもそうだ」

 

 ぺらぺらと少女が喋り続け、そうして男が相槌をうつ。しばらくそのやり取りが続き、その間に準備が整った少女はひゅ、と餌を海に向かって投げ入れた。

 

「ところでこんなところで油を売っていていいのでありますかな、本日は新しい艦娘が着任する日だったと思うのですが」

「涼風がうまくやる」

「ははぁ、全幅の信頼を寄せているんでありますなぁ。しかし、なんでまた今回新人をわざわざ?」

「知ってどうする」

「なに、ただの興味であります」

 

 一見なごやかに交わされているように見える会話。だがしかし当人達はとっくに気づいていた、二人の間に微かに流れる緊張を。それを感づかせないように少女はいたく陽気に話しかけ、男はいつもよりもほんの少し言葉少なに言葉を交わす。

 二人の間に流れるわずかながらの不穏な空気。それには原因があった。

 

「……提督殿ぉー」

 

 しばらくお互い黙って海を見つめる。そうしてその沈黙を打ち破ったのはやはり少女の方であった。

 

「陸とか海とか。一体なんなのでありましょうな」

 

 若干間延びのした、下手をすると投げやりともとれる彼女の言葉に。しばし男は考え込むと、なにやら懐からごそごそと紙の束を取り出した。

 

「……この前の揚陸作戦について、島民から貴様宛の感謝の手紙をあずかっている」

 

 この二人の間に流れる微かなる不和。それは立場の違いによる警戒心により起こるものであった。

 かたや、海軍所属、大湊警備府のトップを張る男。

 かたや、陸軍所属、日本初陸軍所属艦娘である揚陸艦の艦娘。

 いつの時代、どの国も陸軍と海軍の仲が悪いのはもはや様式美である。だからこそ、海軍所属の艦娘達もこのあきつ丸を少々胡散臭く遠巻きに見るし、この男も完全に信頼して何もかもを打ち明けるということはしない。それは、ある意味仕方がないことであった。

 それでもその空気はこの娘にとって居心地のいいものではないだろう。だからこそ、こうして彼女も愚痴をこぼしてしまったというのだから。

 陸軍の艦娘は、海軍のものとは少し性質が異なる。揚陸艦を中心に保有する陸軍は独自の艦娘システムを開発し、そうしてようやっと完成したのがこのあきつ丸だ。

 艦魄によって艤装を制御するのは同じなのだが、彼らは旧海軍時代に保有していたあきつ丸そのものを再現し、そうしてその船にそれを取り付け、適性を示す彼女をその船に乗り込ませることによってそれを操る。揚陸艦の強さはその容量の大きさ、そして湾港設備に頼ることなく上陸できる能力にある。それによって大量の物資、人員を収容し、深海棲艦への応戦能力も維持しながら移動することを可能としている。

 前回、このあきつ丸は大湊警備府所属艦として深海棲艦の発生により孤立してしまった島民の避難を請け負った。病院設備も内部に併設しているあきつ丸の乗員は、怪我を負っている人々を近隣の島の病院施設に輸送する際、到着まで必死に手当をし、それによって救われた命も多数あったとのことだ。

 

「俺達は、海を守る。貴様らは、陸の人々を守る」

「……」

「得意なものが違うだけで、見ているもの、望んでいるものは同じなのだと」

 

 そうそこで言葉を切って男がちらりと隣を見る。彼女が手にしている手紙には、たどたどしい字で、おとうさんをたすけてくれてありがとうございます、と書かれていた。

 

「……そう、願いたいものだな」

 

 かさり、とあきつ丸が次の手紙へと視線を落とす。しばらく、黙々と手紙を読んでいた彼女は。

 

「……まったくでありますなぁ」

 

 と、ぽつりと呟いて、それらを懐へとしまった。

 

「ああ、それとあきつ丸」

「なんでありますか提督殿」

「それだ」

「はい?」

 

 くい、と竿を軽く引きながら男が言葉を続ける。

 

「階級に殿をつけるのは、海軍では侮蔑にあたる。俺以外には気をつけろ」

「提督ど……、の、は。いいのでありますか」

「構わん」

 

 すいと手繰り寄せると、綺麗に餌だけがなくなっていた。それに新たな餌をつけながら、淡々と男が答える。

 

「形式などくだらん。貴様は貴様らしくあればよかろう」

 

 ちゃぷん、と音を立てて浮きが海へと放たれる。内湾の穏やかな寄せては返す波に揺れるそれを見つめながら、少し目を細めて心底うんざりとした声音で男は言った。

 

「だがうるさいやつもいるからな、特に陸軍所属艦艇は少ないから恰好の餌食だ、気をつけろ」

「……なるほど」

 

 ご忠告、痛み入ります、と呟いた少女は、また自身の浮きをぼんやりと眺め始めた。

 一陣の風が吹く。その風にのって海鳥たちが空を舞い、流された雲から太陽が覗く。その眩しさに軍帽をかぶりなおしながら、ぽつりと。今度は本当に、ひとり言のように少女が呟いた。

 

「大湊の冬は、厳しいのでありましょうなぁ」

「まぁな」

「自分、何分雪国は初めてでありまして。今から戦々恐々であります」

「なに」

 

 く、と喉の奥で男が笑う。それに対して少女は珍しいものを見た、と思った。彼女が着任して以来、この男が笑うところなど見たことがなかったからだ。

 

「じきに慣れる。人間とは、そういうものだ」

 

 そうしてその言葉に。その、言葉に含まれる色々な意味を。果たして自分が理解できる日は来るのであろうか、と思いながら少女は黙り込んだのであった。

 

 

 昔から、物事に没頭すると色々なことが頭からすっ飛んでしまう性格だった。寝食を忘れ、力が入らなくてぶっ倒れる頃にそういえば前にご飯食べたのいつだったけ、と気づくくらいには、多分私はダメ人間なのだと思う。

 それは艦娘になった後も変わらなかった。兵装実験軽巡洋艦などという少々特殊な艦娘になってしまったのもいけなかったと思う、だって自分で艤装をいじって、自分で試せるのだから。こんなに私にうってつけの艦種もないだろう。

 だからあの日も、いつものように引きこもって艤装を弄っていたのだ。あの日は、とても調子が良かった。頭が冴えきっていて、いつまでもいつまでも艤装を弄っていられるような感覚。

 ここがうまくいかない。なにがいけないんだろ、ここの配線かな、ああそうだ、ここをこうしたらどうだろう──。

 

「夕張!!!」

 

 そんなことを考え込んでいたら不意にぐいっと力強く肩をひかれた。ちょっと、今、いいところだから。邪魔しないでよ、もう。

 調子がよかった私にとって、その茶々はひどく鬱陶しかった。だからそれが自分の上司である提督であるということにすら気づかず、文句を言おうとしたのだ。

 

「なんですか、今いいところ──」

「今すぐ過同調検査受けてこい!!」

「……は」

 

 そうして大声で怒鳴りつける人がうちの提督であることに気づいたとき。彼の周りで多くの人が遠巻きに、信じられないものを見るかのような目を向けていることにも気づいた。

 

「三日三晩、飲まず食わずでピンピンしている人間がいるか!!!」

 

 ああ、もうそんなになるのか。確かに、いつもならばったり倒れているところだ。とても、とても調子がよかったのは。

 

『──このデータが、あれば』

 

 ──こいつの、せいだったのか。

 そうして私は無理矢理療養施設へとぶち込まれたのである。

 

「これ、食べてみてください」

 

 目隠しをされたまま、何かを口に突っ込まれる。じゃりじゃりと、ひどく不快な触感だった。

 

「どんな味がしますか」

「……なにも」

「ふむ」

 

 そうして医師は、私から目隠しを取り去り。

 

「立派な中等度過同調です。それ、砂糖の塊ですよ」

 

 と淡々と告げたのだった。

 

「……砂でも食べてるのかと思っちゃった」

 

 なんだかそれが妙におかしくて、笑ってしまった。なるほど、味覚がなくなっているのならば今後はなおさら食事はレーションでいいな、なんて考えながら。

 

「……機械いじりだけで過同調をこじらせるやつがいるとはな」

 

 そうして乙適性にしては驚異的な回復スピードでもって復帰した私に突きつけられたのは、転籍命令だった。

 大湊。寒いと、艤装のメンテ、大変そうだなぁなんてぼんやりと思いながら。そうして私は、雪の降りしきる頃にこの地へとやってきたのだ。

 

「あたいはここの秘書艦の涼風ってんだ」

 

 私が着任した頃、ちょうど涼風も大湊の秘書艦に任命されていた。彼女はその気さくさでもって、話は聞いてるよ、ま、飯でもくいながら話そうと私を外へ連れ出した。

 四月になるというのにまだまだそこら中に積雪の跡が見えた。ここの春は遅いんだな、と思いながら慣れぬ雪道におぼつかない足取りでもって挑み、そうして着いた先は少々寂れた定食屋だった。

 

「ここのコロッケ、うまいんだぜ」

「……大湊まできて、コロッケ?」

「騙されたと思ってさ」

 

 せっかくの港町なのだから、新鮮な魚介類とか。いや、まぁうんざりするほどに食べ親しんできているものだから逆にいいのかもしれないけれども。

 そうして出された予想よりも二回りは大きいコロッケに一瞬ひるむ。味覚を一時失った関係で、とりわけそれを象徴づけるざらざら、ざくざくとした触感が少し苦手になっていた。

 

「ほら、冷めないうちに食べなって」

 

 そうして豪快にコロッケを口に頬張る涼風に促され、箸でもって小さく切り取ったコロッケを恐る恐る口へと運んだ。

 

「……美味しい」

 

 きちんと、味がする。そんな当たり前のことを認識して、思わずぽつりとこぼした。きっとここのホッと気が緩むような、優しい素朴な味のコロッケがそうさせたのだろう。

 そんな私の言葉を受けて、涼風はにっと笑った。

 

「艦娘ってのは色々人として失っていくものもあるけどさ」

 

 あーんと大口で熱々のコロッケを頬張る涼風を見て、口、やけどしないんだろうかなどと考えながら彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「それでも人間であることを忘れちゃあいけねぇよ」

 

 そうしてものすごい勢いでご飯をかっこむ涼風をしり目に、私はまたもう一口、コロッケを口へと運んだのだ。

 それ以来。なんとなく、人間であることを忘れそうになる頃にこのコロッケを食べて、きちんと味を楽しむことができるのだと再確認するのが癖になっていた。

 

『あ、あつ、は、ふ!!』

『……お水、飲む?』

『ひゃい……』

 

 ただそれに。気まぐれでも、誰かを付き合わせる日が来るなんて。あの頃の私は知りもしなかったのだけれども。

 

 

 水探用のヘッドホンを首にかけ、リストバンドを軽くはじく。主に兵装実験に従事している私は、あまり戦闘に赴くことはない。実際砲雷撃戦はあまり得意ではないし、砲雷撃戦に関してはここの艦娘達は私が私がと我先に率先して赴くわけであるから、どーぞどーぞと譲っている。

 それでもこれは割と好きだった。水探から聞こえてくる息を潜めて海を徘徊するやつらの音。その一つ一つに耳を傾け、爆雷で始末をするだけの簡単なこの仕事は艤装弄りで詰まった時のいい気分転換になる。

 そういえば、対潜警戒任務に五月雨ちゃんとつくのは初めてかもしれない。ちらりと隣を見やれば案の定がっちがちに緊張している五月雨ちゃんがいた。

 それに苦笑しながら、どれ、少し緊張をほぐしてあげようか、と声をかける。

 

「ね、ね、五月雨ちゃん」

「な、ななな、なんですか、夕張さん」

 

 ぎし、とロボットでももうちょっと滑らかに動くんじゃないだろうかってくらいカッチカチの彼女に、いつもの常套句でもって笑わせてあげようと。そういう、ちょっとした気まぐれ。

 

「私、足遅いからさぁ」

 

 夕張の足の遅さは有名だ。ありとあらゆる兵装を詰め込んだ弊害で、こんな重い軽巡がいてたまるか、とか、その重さ、重巡にカテゴリー変えたら、とか。散々な言われようだ。

 だからそう、いつものように。置いていかないでねって。自慢の自虐ネタで笑わせてあげようとした、はず、だった。

 

『──この結果だけでも』

 

「……」

「夕張さん?」

 

 だというのに、いつもの言葉が出てこなかった。そうして代わりに出てきた言葉は。

 

「……いざとなったら、置いてってね」

 

 あれ、なんでだろう。

 ──いやいや、だってね。一生懸命引っ張っていこうとしてさ。そんでもって、自分じゃ力不足なんだって気づいてぼろぼろぼろぼろ泣いてさ。たまんないでしょ、最後に見たのがあんな顔なんて。だからね、私は。

 

「──なんでそんなこと言うんですか!!!」

 

 一瞬。工廠内が、しんと静まり返った。近くにいた艤装技師も、仲間の艦娘も思わずその大声をあげた人物に顔を向ける。だってその子は、今まで一度も声を荒げるなんてしたことはなくて、むしろこの子はきちんと怒ることができるんだろうかって言われていたくらいで、だから。

 ──もう二度と。あんな顔は、見たくないのよ。

 

 ──ゴッ!! 

 

 自分自身を思いっきりぶん殴った夕張の姿に周りが思わずぎょっとする。そうしてその様子を見ていた艤装技師のうちの一人が取り落としたレンチが高い金属音を立てて床をはねた。

 

「……ああ、()()()()()

「ゆ、ゆうばり、さ」

「いや、知らないし。私とあなたは違うわけだし。私は私で、だから、ええ、と」

 

 なんだっけ。私は何をしていたんだっけ。ああ、違うの。私はあなたにそんな顔をして欲しかったわけじゃなくて、そう、こいつ、こいつがね。あれ、こいつって、なんだ、っけ。

 

「──夕張ィ!!!」

 

 頭がぐちゃぐちゃして気持ちが悪い。は、と喘ぐように浅く息を吸い込むと、不意に何かが私にどん、とぶつかってきて床に叩きつけられた。ガシャン、と一際大きな音が辺りに響く。

 

「過同調発作だ! 救護班呼んで来い!!!」

 

 かどうちょうほっさ。なんだっけ、なんか懐かしい響きだ。ええと、そうね、そうだ、とりあえず。

 私を押し倒して怒鳴り散らしている涼風の肩越しに、彼女の姿を捉える。その顔には、驚愕と、動揺と、それから、それから。

 ねえ、あのさぁ。

 これで満足なわけ。私は、こんな顔だって、みたくなかったんだけれども。

 

 

 ──夢を見る。あの人の、夢を。

 物事に夢中になるとまるで周りのことに気が向かなくて、そういう夢中になれるものがあるのってかっこいいなぁってよくその真剣な横顔を眺めていた。

 

『新鋭艦に使う兵装は、私がきっちりチェックするからね!』

 

 そう言って体を張って皆のために頑張るあの人が好きだった。こちらに気がつくとほわり、と顔全体をゆるませて柔らかく笑いかけてくれる彼女が好きだった。

 

『お、置いてかないでよぉ!』

 

 あの人の口癖だった。あんなに一杯兵装を積んでいたら、それはそうなるだろう。そうしてその彼女の鈍足っぷりを皆で笑うのだ。笑えていたんだ、あの頃は。

 

「──五月雨ちゃん」

 

 だからほら。言ってくださいよ、いつもの言葉を。

 

「もう、いいから」

 

 ああ、なんで私はこんなに非力なのだろう。

 ああ、なんで私はこんなに、無力なのだろう。

 どうしてこの人はこんなに重いんだ、なんて八つ当たりをしながら、それでもその手を放したくなくて。穏やかに笑っている彼女の次の言葉を聞きたくなくて、いやいやと首を振った。

 

「この結果だけでも、もっていって、ね」

 

 私は。そんな言葉なんて、聞きたくなかったのに。

 

 

「乙適性なのに同調率が安定しないんだよなぁ、夕張は」

 

 とりあえず容態は安定した、と涼風から受けてほっと胸をなでおろしていると、がしがしと頭をかきながら涼風が夕張さんについて教えてくれた。

 

「他の乙適性より過同調からの回復も早いんだけどさ。なんかきっかけあると、すぐ高度手前まで悪化しちまうんだよ」

 

 過同調。私はまだ体験したことがない、艦娘とは切っても切れぬ言葉。私たちは艤装を通して艦艇の付喪神とつながる。だからなのかなんなのか、自己が混ざりやすい、とよく言われている。

 例えば同型艦同士は仲良くなりやすい。例えば艦艇同士縁のあるものは惹かれやすい。そういった、艦艇の付喪神同士の縁に振り回され、下手をすると自己を見失ってしまうのだと。だから同調率のチェックはどんなに忙しくても決してサボってはいけないのだと口酸っぱく言われてきた。

 

「だからここで専ら対潜警戒と兵装実験に従事してんの。まぁ実際対潜能力はずば抜けてるからさ、あたいらも助かってるんだけど」

「……」

「舞鶴の潜水艦にさ、すんごく怖がられてんだ、夕張。なんたって」

「夕張さんは」

 

 それは悪気のない一言だった。この暗い雰囲気を笑い飛ばそうとして涼風が振ってくれたたわいもない話。でも私は、彼女を形容するその言葉が気に入らなくて。

 

「夕張さんは、怖くなんてない」

 

 思わず彼女の言葉を遮ってしまったのだ。

 

「夕張さんは、いっつもそう。優し、過ぎるから、だから」

 

『──もういいから』

 

 ──だからああやって、私にあれを託して、私には生きろって。そうやって笑うのだ。

 そんなことをされてしまっては、死ねない。死んでもこれを届けなければならない。そうしなければ、私は私を許せない。彼女を救うことのできなかった、無力で、愚かな自分のことを。私は、許すことが、できない。

 だから私は、大声で泣きながら、それでも後ろを振り返らずに突き進んだのだ。そうしなけれ、ば。

 

「──五月雨」

 

 鋭く放たれた涼風の言葉にハッと顔をあげる。そこには今までに見たことのないような、えらく真剣な顔をした涼風がいた。

 

「お前、どっちだ」

「ど、っち……?」

 

 私は、過同調なんてまだなっていない。だって、新人だし。海にもろくに出ていないし。それに、私はこんなにも元気なのだから。

 だから涼風のその言葉がよく理解できなかった。

 

「それは、()()()()()()()()()()()?」

 

 私は新人だから。だからまだ知らなかったのだ。彼女らの、艦艇の付喪神の気持ちは、想いは。人知れず、ひっそりと。私の中へと、入り込んでくるということを。

 

 

 面会謝絶状態が解除になったと教えられ、私は夕張さんがいる療養施設へと赴いた。

 ひょい、と窓付きのドアから夕張さんのいる部屋を見ると、彼女はぼんやりと窓の外の海を眺めていた。

 その様子は、なぜか私を非常に不安にさせた。そのままふらり、とどこかに消えてしまいそうな、存在の希薄さというのだろうか。そんなことを感じてしまったから。そうしてそんなことを考えてしまった自分自身にも嫌気がさして、それを振り払うようにこんこんとドアをノックした。

 

「ごめんね、びっくりさせちゃったでしょ」

 

 私を部屋に招き入れた彼女は、普段と変わらぬ様子でそう私に謝ってきた。

 

「なんかね、適性は高いんだけど夕張との性格っていうの? そういうのが合わないっぽくて、たまにああいう拒絶反応みたいなの出ちゃうの」

 

 そうしてまた、ごめんね、と繰り返した。その謝罪は、きっとあのときの言葉に対してなのだろう。

 

『いざとなったら、置いてってね』

 

 それは緩やかな拒絶。それは、この人自身の言葉ではなくて。

 

「……夕張さんは」

 

 そこまで口にして、これじゃあわかりづらいと言い直す。

 

「夕張さん達は、優しいです」

 

 ──夢を見た。大切な人の手を放して、わんわん泣く夢を。まるで自分のことのように、つらく、悲しい夢を。

 

「私を傷つけたくないから夕張さんは私を遠ざけようとしたんですよね」

 

 起きた時に思わずぼろぼろと泣いてしまったけれど。あれは、私の夢ではない。それを、涼風の言葉でようやく理解した。

 ──知っている、あの人は優しいから。だから静かに拒絶することで、私を突き放すことで私を守ろうとしてくれていたのだと。それを、わかっていても私は。

 

「それで、その言葉に私が傷ついたから、夕張さん(あなた)は怒ったんですよね」

 

『わぁ!?』

『……とっ!!』

 

 私が転びそうになるといつもそうやって受け止めてくれてくれるような人だから。五月雨ちゃんはおっちょこちょいだなぁなんて笑いながら怪我をしていないかさりげなくチェックして手を放す。そんな優しいあなただから、私があの言葉に傷ついた顔をしたのが、それをしたのが自分であったのが我慢ならなかったんでしょう。

 

「私は、いつもそういう夕張さんに助けられて、守られて」

 

 そうして私がこの人に返せたものなんて、どれほどあるのだろう。

 なんで私はこんなになんにもできないのだろう。

 優しいこの人に、この人達になにも返せないのだろう。

 ああ、きっと私と五月雨はとても似ているのだと思う。だからこそ私は途中まであれが五月雨の夢であると気づかなかったのだから。

 いつもいつも考える、どうやったらこの優しい人からもらった分だけのものを、私も返せるのだろう、と。

 そうして自分の胸の内に膨らむ気持ちをうまく形にできず、言葉に詰まらせていると。不意に、ぐぅと大きな腹の虫が鳴った。私のではない、腹の虫が。

 あれ、こんなこと前にもあったな、なんて思っていたら、目をぱちくりと瞬かせながら夕張さんが自身のお腹を見下ろし、静かにさすった。

 

「……ああ、ごめんね。病人食、量は少ないし味も薄いしで嫌になっちゃう」

 

『面倒くさくなるとずっとレーションで過ごしちゃう』

『お、美味しくないですよね?』

『私、栄養がとれれば味は特に気にならないのよねぇ』

 

 食に頓着しない彼女は、下手をするとレーションとサプリメントでもって平気で過ごす。それに危機感を覚えて、ご飯食べに行きましょう! と誘うようになって。艤装弄りを邪魔されてきっと迷惑だっただろうに、夕張さんは嫌な顔をひとつせずに私に付き合うようになってくれた。

 

「前はこんなこと考えなかったんだけどなぁ」

 

『──夕張、人と一緒にご飯なんて滅多に食べないぞ』

 

 どうやって手なずけたんだ? なんて首を捻る涼風に聞きたいのはこっちの方だった。私はなにもしていない。ただ、一緒にご飯を食べようと言えばこの人は付き合ってくれるから。そうしてこの人とご飯を食べながら過ごす時間が、私は好きなだけで。私は、何もしていないのだ。この人が、いつも私のわがままに付き合ってくれるだけで、この人が、優しいだけで。

 

「コロッケ食べたい。抜け出しちゃおっか」

「ええ!? だ、だめですよ!」

 

 思わずびっくりして反対すると、夕張さんは微かに目元を緩めて笑った。

 

 ──ああ、これだ。

 そう、これがあの夢が艦艇五月雨の夢であり、私のものではないと気づいたきっかけ。五月雨の夢に出てくる夕張さんは、笑うときは顔全体をゆるませて柔らかく、優しく笑う。あっちの夕張さんの方が、もう少し全体の空気も柔らかだ。

 でもこの人はそんな風には笑わない。こうやって、ほんの少しだけ目元を緩めて笑うから。だからこの人は、艦艇の夕張とは違う言葉を紡ぐのだとわかる。

 

「あのね、私、五月雨ちゃんと食べるご飯結構好きなの」

 

 だから今この人は私に言葉を向けているのだとわかる。艦艇の夕張としてではなく、ひとりの人として。だから、あのときも夕張の言葉に怒って自分で自分を殴ったのだ。

 それはとても不器用なことのように思えた。普通の人ならのまれてしまいそうな、艦艇の付喪神の強い想いを受けても、自分が納得いかなければ反発するのだ。例えそれで自分が倒れてしまうのだとしても。

 

「夕張さん」

 

 うん、大丈夫。

 きっと夕張さんと同じように、私の彼女に向ける気持ちも五月雨が夕張に向けるものとは違う。それを、はっきり理解した。だから、私は大丈夫だ。

 

「元気になったら、食べに行きましょうね」

 

 それは拒絶ではなくて、ある種の線引き。五月雨が夕張を慕っていたように、私もこの人が大事なことは一緒だから。向いている方向は一緒なのだから、だからきっと、私達はうまくやれるよ、五月雨。

 

「待ってますから」

 

 そうして笑いかけると。夕張さんは少し困ったような顔をしながら、五月雨ちゃんがそう言うんなら、大人しくするしかないわねぇ、なんて笑うのだった。

 

 

 人でごった返す忙しい時間帯の工廠の波にもまれながら、大声を張り上げる。

 

「す、すみませーん! 球磨さん達見かけませんでしたか」

 

 その声にこちらに気づいた艤装技師数人が、一瞬こちらを見て気まずそうに視線を逸らした。

 

「あーっとぉ」

「あ、またお酒で口止めされてますね!」

「いや、そんなことは、なぁ」

「今月は資源厳しいから控えてほしいのに!」

 

 無断演習出撃常連の球磨型姉妹を今日も捕まえることができず、思わず嘆く。

 

「ご、ごめんな」

「うう、もうそっちはいいです。雲龍さん見かけませんでしたか?」

「いやそっちはマジで見てない」

「もー! あの人いっつもどこにいるんですかぁ」

 

 この大湊に着任して暫く経つ。なんとなく涼風と私で役割分担も決まってきていて、実務処理は涼風、こうやって問題児達とお話をするのは私の役割となりつつあった。

 

『五月雨が話した方があいつら言うこと聞くからなぁ』

 

 そうかなぁ。そもそも、まず当人達を捕まえることすらできないのだけれど。

 そうしてため息とともにいつもの場所へと向かう。あの人も困ったところはあるけれど、捕まえやすさはピカイチだから助かる。

 いつものように座り込んで艤装を弄っている変わらぬ彼女の背中に安心感を覚えつつ、ひょいとヘッドホンを外した。

 

「……あれ、ご飯にしては早くない?」

「夕張さん」

「うん?」

「今日は対潜警戒任務の旗艦です」

 

 ジト目で彼女を見下ろしていると、彼女は頭をかきながらすっとぼけた声をあげた。

 

「明日じゃなかったっけ?」

「今日です。もー! 時間ないですよ、ほら」

 

 ぐいぐいと背中を押して工廠併設の艦娘専用更衣室に連れて行く。もうこんなやり取りも日常茶飯事であるから、彼女のロッカーには常に艦娘の戦闘服である神衣とつなぎがセットで置かれているのである。

 

「いやぁ、どうしてもね、こういうの覚えるの苦手で」

「知ってます」

 

 そうして道中しどろもどろと言い訳をするのも最早日常だ。最初の頃は綺麗なかっこいいお姉さんなのかと思っていたところもあるけれど、最近は割と頼りない面もぼろぼろと見えてきた。

 まぁでもいいのだ。それでも対潜任務に従事している彼女はそれはそれはかっこいいのだから。涼風が太鼓判を押すだけあって、対潜任務の旗艦が夕張さんだとどこか安心感がある。

 今日は近海を軽く哨戒するだけだから、夕方には帰ってこれるだろう。そんなことを思っていると、夕張さんが着替えながら声をかけてきた。

 

「今日ご飯なんだったっけ」

「今日はカレーです!」

「ああ。五月雨ちゃん、カレー好きよね」

「はい! 大湊のカレーが一番美味しいです」

 

 子供っぽいと思われてもこれだけは譲れない。各鎮守府のカレーは、年に一回グランプリも開かれることもあって色々と試行錯誤を重ねた上で味の改良を進める一級品なのだ。

 にこにこと晩御飯のことを考えていると、夕張さんが私の様子を楽しそうに見下ろした。

 

「夕張さん」

 

 着替えを済ませてぱたんとロッカーを閉じた夕張さんに声をかける。

 

「帰ってきたら、一緒にご飯食べましょうね」

 

 そうしてその言葉を受けて夕張さんは。

 

「うん」

 

 目元を緩めて小さく頷きながら更衣室を後にした。

 その背中を追いかける。私はまだまだ新人で、秘書艦補佐なんて肩書に全然見合ったお仕事もできていないけれども。でもこうやって、この人や、この大湊に所属する頼もしい人達を支えていけたら、と思えるくらいには。この場所に愛着を持ち始めていた。

 工廠に入ると、遠くで涼風が遅いぞー、二人共ぉ!! と大声で叫んだ。

 その様子に二人で顔を見合わせ。そうして、小さく笑いながらごめんごめん、と足早に待っている仲間たちのものとへと向かうのであった。

 

 

「やぁ、今日も五月雨殿は元気でありますなぁ」

 

 いつものように釣りをしていると、ちょうど抜錨していった艦隊を見送りながら隣のあきつ丸が声をあげた。

 

「正直自分はすぐに根をあげるものかと思っておりました」

「そうか、見る目がないな」

「これは手厳しい」

 

 波を蹴立てて抜錨していった彼女らによって、激しく浮きが揺さぶられる。それを何の気なしに見つめながら、ぽつりと呟いた。

 

「……寒桜だ」

「はい?」

 

 ほんの気まぐれであった。ここの警備府はほとんど面子が入れ替わらない。ひとり、またひとりとここが合わずに脱落していく者がいても、それを補う人員は中々はいってこなかった。

 

「冬に咲く、寒桜。吹雪に負けぬよう咲き誇る我が国の象徴の花」

 

『大湊って、腕は一流だけど他のところで扱いに困った艦娘が最終的に行き着く場所なんだって』

 

 候補生達がかしましくこの場所を通り過ぎたのは、たまたまだった。そうしてたまたま、そんな会話が聞こえていたのだ。

 

『そっかぁ、私、大湊がよかったんだけどなぁ』

『ええ、こんな話聞いてもそう思う?』

『うん』

 

 だって私、大湊が好きだから。そう笑って言ってのけた彼女に興味がひかれたのは、たまたま。

 

「逆境に咲く花は、美しい。そして」

 

 釣具を片付け、立ち上がる。そうして隣に座っていたあきつ丸を見下ろしながら呟いた。

 

「それを支えるのが、俺の役目だ」

 

 その言葉にぱちくりと目を瞬ませ。口をとがらせてあきつ丸が反論した。

 

「提督殿はここで釣りをしているだけではないですかー」

「なに、貴様が釣れただろう」

 

 長い長い冬を耐え忍び。そうして他の花よりも早く、春を告げる寒桜。

 吹雪にた折られ、朽ちてしまうこともあるだろう。消えない傷が、残ってしまうことも。それでも。

 

「咲いてみせろ、貴様もな」

「……どう受け取ればいいのやら。判断に困りますな」

 

 それでもあがいて、もがいて掴み取ったそれを美しいと思うから。だから俺は、ここにいる。

 遠くでうちの問題児達がこちらに戻ってくるのが見えた。こちらの存在に気付いてやばい、という顔をするもの。そうして、気まずそうにふいと視線を外すもの。

 好き勝手咲き散らしているお転婆どもに、軽く嘆息をしながら。さて、小言はなににしようか、などとこの状況を楽しんでいる自分もいるのだから、やはり人間は慣れる生き物であるな、と改めて思うのであった。

 

 

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