本編に歴史上事実に対するなにかしらの批判的意図はありません、念のため。
『──嫌いです、こんな名前』
顔を歪め、そうこぼした彼女。小さな体に、重い重い名を背負って苦しむいたいけな少女。
『私、は』
今にも泣きそうで、それでも泣くまいとして。それでも抱えきれぬ想いをこぼしてしまった彼女の、嫌いと言うその名前を呼ぶ。
『──ちゃん』
私は知っている。自分の体格の不利を知って、自身の艦艇のスペック不足を知って。それでも負けまいと一生懸命な彼女を知っているから。だから、私は。
ゆらり、ゆらり。青白く光る瞳が、ひとつ、ふたつ、みっつ。数えたところで現状が変わるわけでもない、十を越えたところでその無意味な行為はやめた。
妖精さん達が必死にダメージコントロールをしてくれているけれど、消えることのない炎が自身をも焦がす。焼けるように熱い空気を吸って、喉も焼けただれた。今、ここにいるのが私一人でよかったと心から思う、連携なんてまともにとれそうもないから。
操作が自動的にマニュアルモードへと切り替わる。ああ、もうそんなに損傷がひどくなっていたのか。ここからは、一つでも被弾すれば即深海へと堕ちてゆく死と隣り合わせの世界。
『──縁起が悪い』
そうかもしれない。彼女の名前は、その意味は彼女が生まれたときから変質してしまったから。だからこそ、彼女には生きてほしかった。
もう、十分逃げられたかな。この海に一人立ちふさがって、どれくらいになるんだろう。
ぐらりと体が傾く。だけれどもまだ倒れるわけにはいかない、まだ私の艤装は動くのだから。それならば、私の取る行動は一つだけだ。まだ動く高角砲を手動入力で操作する。
──不意に。背中を力強く押すように、一陣の風が吹いた、ような気がした。実際は、どうだっただろう。大分意識が朦朧としていたから、もしかしたら気の所為だったのかもしれない。それでもよかった。その風は、私に勇気を与えるには十分だったから。
──ぽつり。がむしゃらに動き回るうちに、いつの間にかスコール領域に入っていたらしい。激しい雨が視界を遮り、熱をもった砲身を急激に冷ましていった。そうしてその視界不良により、敵の攻撃がばらつき始める。
「──ちゃん」
そっとその名前を呼ぶ。こんな状況だというのに、いつもいつも、びくびくと姉さんの後ろに隠れてしまうような自分だというのに。思わず笑ってしまったのは、気がふれてしまったのか、あるいは。
「力を、貸してね」
こんなところで死ぬわけにはいかない。いや、死ぬわけがないなんて。私にしては妙に強気でいられるほどに、彼女の存在は私にとって大きなものであったのかもしれない。
※
足取り軽く食堂までの道のりを歩く。今日は待ちに待った金曜日、カレーの日だ。艦娘になってよかったことの一つは、毎週必ず一回は大好きなカレーを食べられることだろうか。
「金曜日の五月雨ちゃんはご機嫌ね」
「……子供っぽいですか?」
「んー」
隣を歩いていた夕張さんがその様子を見て笑う。佐世保や呉などは規模が大きいのもあって食堂は艦種ごとに別れているけれども、ここ、大湊警備府はそれらに比べるとこぢんまりとしているので食堂は大食堂一つ、艦種もごちゃまぜだ。おかげでこうやって夕張さんと一緒にご飯を食べられるのだけれど。
「年相応でいいんじゃない?」
「……子供っぽいんですね」
「いや、いい意味でよ? 私はそういう五月雨ちゃんといるのが楽しいから」
夕張さんがカラカラと引き戸を開けると、途端にふわりと食欲を刺激するカレーの香りが強くなる。お昼を少し過ぎてしまっていることもあって、食堂内の人はまばらだった。
「おばちゃん、カレー並盛り──」
「へいおまちっ!」
「げぇっ! 足柄!!」
トレイを片手にひょいっとカウンターを覗いた夕張さんを迎えたのは、満面の笑みでカツ山盛りカレーを差し出してくる足柄さんだった。思わず夕張さんが顔を引きつらせる。
あ、足柄さんって八重歯なんだな、なんて笑ったときに覗いたそれに気づく。戦場にいるときはそれこそ獰猛が人の皮を被ったかのような人だけれど、普段はどちらかというと愛嬌があって可愛らしい人、という印象が私の中でかたまりつつあった。
「こんな食べられないってば!」
「いいから食べなさい、揚げすぎちゃったの」
「出撃減ると料理で発散する癖、なんとかならない……?」
「美味しいからいいじゃない」
「美味しいけどもたれるんだって」
そうしてもう一枚追加しようとしてくる足柄さんとそれを阻止しようとする夕張さんの攻防が始まる。
足柄さんはたまにこうやって食堂に潜り込んでは料理をすることでストレスを発散するのだけれど、何故かそのラインナップは決まって揚げ物、特にカツである確率が高い。しかも大量に作るものだから、最近よく食堂に訪れるようになった夕張さんとのこのやり取りも見慣れてきた。
「ほら、五月雨もよ!」
「わ、わ、ありがとうございます!」
そうして私にも一枚、とびきり大きなカツを乗っけてくれた。揚げたてなのか、ほんのり湯気がただよう。
今日はいい日だな、大好きなカレーに足柄さんお手製のカツも食べられるなんて。作りすぎてしまうことがちょっぴり玉に瑕ではあるけれど、味は絶品なのだ。
上機嫌で先にテーブルにつくと、遅れてげっそりした夕張さんとこれまたにこにこと上機嫌な足柄さんが向かいの席に座った。
「しっかり食べないとエネルギー維持できないわよねー」
「ナチュラルに相席してくるし……その細い身体のどこにそんな量の食事が入るんだか」
カツの量にうんざりしながらも、夕張さんは残すことだけはしない。なんか、素材を無駄にするのって許せないのよね、もったいないじゃない? と以前こぼしていたけれど、おそらくあれはまだ使えるのに廃棄されかけた艤装をいつももったいないと引き受けていくことの延長のように思う。
「ていうか羽黒は?」
「駆逐隊と一緒に牽制部隊となって撤退中の船団の護衛補助」
「……それって」
「まぁ殿っていうか囮っていうか」
囮、という言葉に思わず食事の手を止める。するとそれに気づいた足柄さんが安心させるように笑いかけてくれた。
「大丈夫よ、危険海域じゃないから。念には念を入れてって作戦なの」
「それに撤退戦なら羽黒が適任だもんね」
「そうなんですか?」
ペースを落とすまいと黙々と食べていた夕張さんの言葉に、足柄さんがパッと顔を明るくする。
「そうよ、うちの羽黒は守る戦いが得意なんだから!」
どうやら自慢の妹を認める発言が夕張さんの口から出たことが相当に嬉しかったらしい。いつ見ても仲のいい姉妹だなぁと思っていると、ちびりと水を飲んで夕張さんが言葉を続けた。
「羽黒は強いよ。強いんだけど、本人あんな感じだし、そもそも守る戦いって評価されにくいから」
「そう! そうなのよ!!」
足柄さんが身を乗り出して力説する。
曰く、前いた前線基地では敵深海棲艦による攻撃が激しく、前線を下げざるを得なかったらしい。その過程でどうしても撤退戦が増え、羽黒さんはよく殿を請け負っていたのだという。
「あの子、本当は戦うのなんて嫌いなのよ。それでも誰一人として死なせたくないからっていつも殿を引き受けて」
そうして一度、沈みかけたことがあるのだという。たった一隻で、何隻もの敵深海棲艦を相手にとり。たまたま、スコールが羽黒さんに味方したから。たまたま、別作戦を終えた足柄さんの艦隊が近くにいて、救援が間に合ったから。
砲弾をほとんど撃ち尽くし、大破状態でまともに艤装が動かない中、それでも手動で敵を殲滅せんとする姿には鬼気迫るものがあったという。そうして羽黒さんの奮闘のかいあり、護衛していた輸送船団および僚艦は無事だったのだと。
「だっていうのに、あのクソ提督、なんて言ったと思う? なぜ重巡が囮になる。どうせならそこの駆逐艦を──」
「っ、バカッ!!!」
弁に熱がこもっていた足柄さんの口を、反射的に夕張さんが塞ぐ。それでようやっと我に返った足柄さんは、しまった、という顔をした。
その先の言葉は、予想がついた。どうせなら、駆逐艦を囮にすればよかっただろう。
「大丈夫、です」
気まずそうにしている二人に笑いかける。駆逐艦になったときに、ある程度は覚悟していたことだ。駆逐艦は一番脆い艦種。そうして、一番多くの艦娘がなる艦種。言ってしまえば、
「……五月雨ちゃん」
「少なくとも夕張さんも足柄さんもそういう顔をしてくれるから。だから私は、大丈夫です」
だから、効率を重視すればそういう発言がさも当然のように出てくるのだろうということも。わかっていても実際にその現実を聞いてしまうと少し心が重くなったが、それでもそういったものを知った上で私達駆逐艦をこうやって大切にしてくれる人達がそばにいるから。だから私もくよくよなんてしていられない。
「……強いわね、五月雨は」
「いえ、私なんて全然! この前なんか砲撃した瞬間に転んじゃって……」
「「それはまずい(わね)」」
「うっ」
「体幹鍛えなさい体幹、筋肉は裏切らないわ」
そう言って、足柄さんはテーブルを挟んで私の腕をもにもにといじり始めた。
「足柄、セクハラー」
「うるさいわね。ていうか全然ダメね、これじゃ」
「ううっ」
「まぁ、新人なんだし。それを支えるのが私達の役目でしょ」
足柄さんの容赦ない言葉にグサグサと心をやられていると、夕張さんが五月雨ちゃん、手を出して? と笑いかけてきた。
疑問に思いながら差し出すと、夕張さんはツナギのポケットからひとつ、大きな飴玉を取り出してころんと私の手のひらに置いてくれた。
「足柄はもう少し飴もあげたほうがいいよ。はい、頑張ってる五月雨ちゃんにご褒美」
「……これ」
「なんかこの前駄菓子屋の前歩いてたらねー、懐かしくなっちゃって」
そうしていつの間にかカツカレーを完食していた夕張さんは、自分も一つとってピリピリと袋を破いて口に放った。
「うーん、残念、はずれ」
そうして飴玉をころころと口の中で遊ばせながら、破いた袋を見てのんびりと呟いた。
「……夕張って」
「ん?」
「案外、面倒見いいのね」
「足柄が猪突猛進すぎるだけじゃない? まぁ、戦場ではそれが頼もしいんだけどね」
じっと夕張さんを見つめる足柄さんに、飴を催促されていると思ったのか夕張さんがもう一つ取り出して手渡す。それを受け取りながら、なんとも言えない顔で足柄さんは言葉を続けた。
「あなたって、人に興味がないのかと思ってた」
「まぁ、人より機械の方に興味があるのは否定しないけど」
袋を破ってその大きな飴玉をしばし眺めていたら、不意に足柄さんと目があった。なんだろう、とキョトンと見返していると、ぽりぽりと頬をかいて足柄さんがぼそりと呟いた。
「なるほど、新しい風ね」
「?」
「私達がもっていない、いいところをいっぱい持ってるってことよ、五月雨は」
誇りに思いなさい、なんて言いながら頭をわしゃわしゃと撫でられた。なにがなんだかわからなくてポカンとしていると、そういえば、と夕張さんが話題を切り替えた。
「羽黒、改二式受けたんじゃなかった? 今日はどっち?」
「今日は改ね。まだ改二はうまく扱いきれないから」
「そっか。まぁ慣らしには時間がかかるしね」
ころり、と飴玉を口に入れる。甘酸っぱいぶどうの味がした。その大きな飴をころころと転がしながら、ふと二人に疑問を投げかける。
「改二式艤装って、扱いが難しいんですか?」
自分にはまだまだ縁遠い改式、改二式艤装。養成学校ではあまり詳しくは教わらなかった。だから、改式以降の艤装を身につけると簡単にパワーアップができる、といったイメージしか持っていなかった。
「うーんとね。改式に改装したところで、それを使いこなせるかどうかっていうのはまた別問題になるのよ」
えーっと、と両手を広げて夕張さんが続けた。
「要は艦娘の能力としてのキャパシティが上がるってだけだから。だから能力の上限が五十から百になったところで、本人の能力が八十くらいしかなければそこまでしか使いこなせない」
「自転車から車に乗り換えるみたいな感じよね、馬力自体は上がるんだけど、それを使いこなすとなると勝手が違うっていうか」
「そうそう」
ふんふん、と頷きながら続きを待つ。
「これが改二式になるともっとシビアで、まず安定した改式上限能力が発揮できないとまともに動きすらしないのよ」
「しかもこれを十全に使いこなせるかってなると……もうホント、一握りよねぇ」
「ていうか、ほとんどいないと思うなぁ」
改二式艤装は、限られた艦娘にのみに実装されている最強の矛。と、同時にそこまで到達できる人はほんの一握りしかいないとは聞いていたけれども、まさかそこまでとは。
「だから結構、その日のコンディションで能力に振れ幅が出てくるのよね。ノッてるといい感じなんだけど」
「わかるわかる、私はね、ギアが噛み合う感じがすると調子がいいわ」
「ああ、なんかその辺の感覚、人によって違うよね」
そういえば、この二人は改二式艤装を乗りこなせるんだった。と、いうか大湊にいる艦娘の大体が改式以上を使いこなしている。初期艤装ですっ転んでいるのなんて、私だけだった……。
楽しそうに話している二人のその感覚とやらが全く理解できず、ちょっぴり寂しさを覚える。
「雲龍はわかりやすいわよね〜」
「雲龍さん?」
「あの人は改式だけどね。誰が見てもノッてるのがわかるから」
そう言ってとんとん、と自分の頭を叩く夕張さん。なんだろう、髪が逆立ったりするんだろうか。
「ま、私は対潜警戒任務くらいしか行かないから大体改式で済ませちゃうけどね」
そう言ってまた飴玉を今度は違うポケットから一つずつ取り出して私達に渡す。今度は桃味だ。
「……ああ、でも一回改二で本気でやりあいたい子はいるかな」
「やりあいたい子?」
「前回は改だったし、仕留め損ねちゃったから」
ピンッと親指で自分の分の飴玉を真上に弾き、そうして
「相変わらず器用ね」
「まぁね。指先の感覚って艤装いじるのに大事だし」
「そういうレベルじゃなくない……?」
対潜能力は主に二つの観点から評価される。まずは水探をきちんと使いこなし、敵潜の存在を把握する能力。そうして、場所がわかったら爆雷の深度を適切に調整して正確に放り、撃沈する能力。私はまだその本当の凄さがよくわからないのだけれど、夕張さんはどちらもずば抜けているらしい。
「ちなみに誰なんですか、その人」
「ん?」
足柄さんが面白がって放ってくる紙くずを夕張さんが片手でキャッチしては近くのゴミ箱、といっても結構距離のあるそれに投げ入れる。
「舞鶴にいる声がかわいい潜水艦」
夕張さんはそう言って笑うと、ひゅっと最後のゴミを放り投げた。最後まで、彼女は狙いを外すことはなかった。
※
「……っくし!」
「風邪でちか?」
ぶるりと震えた体を抱きすくめる。
「お、悪寒が……」
背筋に、ぞわりとした怖気が走った。なんだか嫌な感覚だ。そう、気づかぬうちに敵深海棲艦に存在を捕捉され、今か今かと仕留めるその時を待たれているかのような、そういう気持ち悪い感覚。
「えー、帰ってあったかくして寝た方がいいよイクちゃん!」
「……イヨ、その手にある酒瓶はなんなの?」
「あったかくなるよ!!」
「飲む口実見つけて満面の笑みでちね。てかどっから出した」
「格納庫!」
「「おい」」
そうしてゴーヤと二人して、だから格納庫は酒蔵じゃないのね、とイヨに説教をしているうちに、いつしかそれも忘れ。
そうして忘れた頃に一通の合同演習申請書が大湊から届いたことで、舞鶴所属の潜水艦娘達が阿鼻叫喚に陥ることを、まだこの頃の三人は知る由もなかった。
※
小さい頃から私は引っ込み思案で、いつもいつも姉さんの陰に隠れてそぉっと辺りを伺うような子供だった。
『ほら、──! こっちこっち!』
そうしてそんな私の手を、姉さんはいつもいつも笑いながら引いてくれていたから。真っ先に知らない世界に一人飛び込んでいって、そうしてそれに挑むことを楽しんでいる姉さんはいつも眩しくて、自慢の姉であると同時に、私はいつもそんな彼女と自分を比較していた。
姉さんはすごいな。私、は。私、なんか。
引っ込み思案な自分が嫌だった。人前に出るとおどおどしてしまう自分が嫌だった。それでも私は私を変える方法がわからないから。だから、いつも一歩下がったところで、皆はすごいなぁって見ているだけだった。
「──足柄さんっ!」
それは、姉さんと一緒の艦娘となった後も同じだった。一足先に艦娘となって海を駆け回っていた姉さんは、少し好戦的が過ぎることだけが玉に瑕ではあったけれど、皆から慕われる艦隊の中心的存在だった。そうして、神風ちゃんもそんな姉さんを慕っているうちの一人だった。姉さんもそんな神風ちゃんをよく可愛がっていたから、私も他の子より関わる機会は多かった。
「駆逐艦のスペックは、実力じゃないのよ!」
ぱたぱたと桜色の袴をはためかせながらよく働く子だった。駆逐艦の娘達の中でも小柄な体をよく動かし、人一倍努力をする。それを当たり前のこととしてこなし、いつも笑っているような、艦隊にいるとそこに桜が咲いたかのように周りを明るくする子。
「神風ちゃんはすごいね」
そうやって褒めると嬉しさで顔をほんのりと紅潮させつつ、なんてことはないとすました態度を取ろうとする。そういうところは年相応でかわいいな、なんて思いながら。あの日は、何を話していたんだっけ。
「私なんかよりずっと立派だね」
確か、そんな言葉を自然と口にしていたのだったと思う。私にとって、周りと比べて少し卑屈になってしまうことはもはや当たり前のことのようになっていたから。だから、なにも考えずにそのまま思ったことを口にしたら、彼女はむっとしたのだ。
「それ、嫌いだわ」
「え?」
「私なんか、ってなんですか」
その言葉に困惑していると、いいですか、と腰に手をあてながら神風ちゃんがこちらに向き合った。
「そうやって自分を卑下する言葉を口にしていると、その言葉に自分が引っ張られちゃいますよ」
「え、えーと」
気弱な私は、神風ちゃんから見てもやはり頼りなく見えるのか、こうやってお小言をもらうことがままあった。これじゃどっちが年上なのだかわからない、などと思っていると神風ちゃんはすぅっと息を吸って、
「旧型が、なによー!!!」
と、大声で叫んだ。それにびっくりしてまじまじと彼女を見つめると、彼女はこちらを見上げながら笑いかけてきた。
「周りになんて言われたって、私がこうやって自分を信じていればへっちゃらよ」
「……でも」
その言葉に、無意識に、ぽつりと反発の声を漏らしてしまった。
「?」
「……ええ、と」
そうして同時に、しまったと思った。私は年下の女の子に何を言おうとしているのだろう。
一度こぼした言葉の先を待ってこちらをじっと見つめる彼女に根負けして、結局それを言ってしまった。
「私は、私の何を信じれば、いいのかなって」
言ってしまってから、それはとても情けないことのように思えて軽く自己嫌悪に陥る。
「そんなの簡単よ! 羽黒さんが皆にしていることを自分にするだけだわ」
「皆にしていること?」
「そうよ! さっき私を褒めてくれたじゃない、それを羽黒さん自身にしてあげるだけよ」
「……ううん、と」
自分を、褒める。……自分を、褒める?
「……わ、私のいいところって、どこかなぁ」
うんうんと暫く考え込んで、そうしてようやく言葉を発したと思ったらそんなことを言ってのけた私に対して、神風ちゃんは信じられないものを見るかのような顔をした。
「え、ええと」
「冗談よね? いっぱいあるじゃない」
「え?」
呆れた顔をしながらひーふーみー、と指折り数えながらすらすらと神風ちゃんが言葉を紡ぐ。
「私なんかって言葉は嫌いだけれど、羽黒さんは皆のことよく見ていて、いいところをいっぱい教えてくれるでしょ。あと秘書艦業務、秘書艦補佐でもなんでもないのによく手伝ってくれて助かってるって聞いたし、それから──」
「……」
「あ、そうだわ」
なにか思い出したのか、パッと顔を上げてにこにことしている彼女を首を傾げながら見つめ返す。
「羽黒さんが艦隊にいると、とっても安心するわ。いつも私達を守ってくれるから」
『──また羽黒か』
なんでこんなに被弾が多いんだ、とよく提督からお小言をもらっていた。その度に体を縮こませてすみませんと謝れば、怒っているわけじゃないとため息をつかれ、どうするのが正解なのかわからず顔をうつむかせていた。そうすると決まって、もっと自分に自信を持てないのか、曲りなりにもお前は重巡だろう、と畳み掛けるようにそしられた。
「その分皆よりボロボロになっちゃってるけど」
「うっ」
「中破した羽黒さんは目のやり場に困るってよく噂されてるわ」
「誰から!?」
ここで私が避けたら、後ろのあの子に当たってしまう。重巡の私は、少しでも皆の分弾受けをしないと。
痛いのも、怖いのも嫌いだ。それでも私は重巡洋艦なのだから、いつまでも昔のように誰かの陰に隠れてなどいられない。だから私なりに頑張ってはいたけれど、それを認めてくれるのはいつも姉さんだけだったから。
「大丈夫よ、次は私が羽黒さんの服を守ってあげるから!」
「ふ、服だけ……?」
だからきっと、こうやってしょうがないと言いつつ私にまっすぐと信頼を寄せてくれるこの子の言葉が嬉しかったのだと思う。この子の言葉には裏がない分、卑屈になっていた私の心にもまっすぐと届いた。
だから、ほんの少しだけ勇気をもらえた。無邪気に私を信じてくれるこの子を。この子が信じる自分というものを、少しくらいは信じてみようと。
多分、私は彼女が思っているよりも彼女が私にあたえてくれたその言葉の数々に。救われていたのだと、思う。
※
自分に与えられた、艦娘としての名前があまり好きではなかった。一枚の赤い紙と共に与えられたその名前を初めて見たとき、一瞬顔をしかめてしまった。
だって、私が知っているその名前は、決して縁起がいいものではなかったから。
それでも艦娘の一人としてこの海を守れるという事実が自身を鼓舞した。そうして私も、自分に言い聞かせるように言っていたのだ。
旧型がなによ。駆逐艦の実力はスペックじゃないんだから。実際私の戦績はそこそこのものだったと思うし、バランスが悪いと言われている睦月型の娘でも何人か飛び抜けて強い娘を見てきたから。だから私は、自分に対して少しばかり自信をつけていたのだ、あの場所に転籍するまでは。
私の着任報告を受けた彼は言葉にこそしなかったけれども、明らかに態度に落胆の色を滲ませていた。彼はスペックで艦娘を使い分ける人だったから、前線がじりじりと下がり、次なる前線基地となりつつあるその場所に送り込まれたのがこんな低スペックの駆逐艦とは、とでも思われていたのかもしれない。それでも私は、一生懸命頑張っていればいつしか彼も認めてくれるだろうということを疑っていなかった。
「──縁起が悪い。どうして前線にあんな名前の駆逐艦を寄越したんだか」
玉砕でもさせるつもりか。
戦局が傾いてくると、その苛立ちを部下に八つ当たり気味にこぼす人だった。だから、たまたまその内容を聞いてしまった私は、運が悪かった、それだけ。
「……」
「……神風、ちゃん」
それだけの、はずなのに。提督達がこちらに気づくことなくその場を去るまで、足が動かなかった。そうしてそのとき、たまたま一緒に歩いていた羽黒さんが気遣わしげに私に声をかけてきた。
「嫌いです、こんな名前」
泣くものか。例え戦力外と見なされ、魚雷発射管を奪われ、その軽くなった分で物資を運べと言われようと。低スペックと言われようとも。それでも私は、この海を守る艦娘の一員なのだから。だけれども。
『──神風特別攻撃隊を彷彿とさせる、縁起の悪い名前だ』
私の艦艇が竣工した後に結成された、爆装航空機による体当たり攻撃部隊、神風特別攻撃隊。その名前が、私を縛る。スペックでもなくなんでもなく、名前がダメだというのなら。私はどうすればいいのだろう。
悔しかった。どんなに頑張っても、私は私の誇りを取り返すことができないその事実に。だからおもわずそんな言葉を吐き出してしまったのだ。
「神風ちゃん」
羽黒さんとは、この場所に着任して何かと一緒に行動する機会があった。いつも自信なさげで、姉妹である足柄さんとは対極的な人。なんでこんな気弱な人が重巡なのだろう、なんて最初の頃は思っていた。
「次の撤退戦、皆で生きて帰ろうね」
それでも付き合っていくうちに、決して心が弱い人ではないのだと気づいた。その性格に隠れてしまいがちだけれども、彼女にはしっかりとした、重巡洋艦としての芯があった。
「あなた達の背中は私が守るから、ね」
だから私は、足柄さんと同じくらい羽黒さんが好きだった。羽黒は頼りないよな、と誰かがこぼせば見る目がないのね、と食ってかかっていた。だって。
「大丈夫だよ、神風ちゃんの名前に込められた、本当の意味はね──」
私を、この呪縛から救ってくれたのは。彼女、ただ一人なのだから。
※
「羽黒さん」
ドックでこそこそとしている彼女の背後から名前を呼びかけると、ぴくりと肩がはねた。そうして恐る恐るこちらを振り返った彼女につかつかと詰め寄る。
「か、神風ちゃん」
「任務から帰ってきたばっかりなのに、なにしてるの?」
「ええ、と」
じとっと睨みつければすぐさま目が泳ぎ出す。こういうところは相変わらずだ。年下の私に凄まれてすぐにおどおどする気弱な人。
「もうちょっと、慣らし運転したくて」
「例え怪我はなくても、疲労はたまってるんだから。改二式の運用は精神的負担も大きいって聞いたわ」
「えー、と」
「なにかあってからじゃ遅いんです」
困ったような顔をしている羽黒さんを、ぐっと見上げる。
この人はいつもそうだ。どこか気弱で頼りない雰囲気の人なのに、こういう妙なところで頑固というか。
「航行訓練だけにしてください」
「え、ええ?」
「あと私もお供するわ」
「ええ!?」
だから私も頑としてここは譲らない。彼女は頑固ではあるけれど、こうして私がごねれば折れてくれるのも知っているから。こういうときは子供って役得ね、と思う。
渋々と了承をした羽黒さんに続いて私も海へと繰り出す。私だって任務帰りで疲れがないわけでもないけれど、殿をつとめていた羽黒さんに比べれば全然だ。
梅雨明けの公式な宣言は出ていないけれど、空は真っ青に晴れ上がり、初夏の水分を含んだ空気に日の光がきらきらとまるで小さな硝子の破片を降り注がせているかのように乱反射して綺麗だな、と思った。たかが訓練だからと気を抜いていいわけではないけれど、任務から帰ってきたばっかりだしこうやって景色を楽しむくらいはいいわよね、と思っていると、先行していた羽黒さんが大湊の山々を見上げながら呟いた。
「山したたる、だね」
「え?」
「夏の季語。若葉から青々とした葉が茂り、その葉から水がしたたる様が美しいっていう」
そう言葉を続ける彼女の横顔は少し楽しげだ。その彼女の視線の先を追う。真っ青な空を背景に、深い緑に覆われた山頂を、入道雲が覆うように流れていた。
「私、この季節の山が一番好き。空も緑も、全てが鮮やかだから」
そう言って笑った彼女に、なるほど、似合うと思った。性格自体は控えめでどこか儚さすら感じる羽黒さんは第一印象からすると秋とか冬とかの方が似合いそうではあるけれど、こうやって笑う彼女は、彼女が好きだとこぼした、全てが色鮮やかな夏の景色によく映えた。
「それにほら、私の名前って山からきてるから。だから余計に思い入れが、わ、と、と」
「ああ!慣れない改二式でよそ見航行しないで!」
「ご、ごめんなさい……」
そうしてよたよたとよろける羽黒さんに思わず悲鳴を上げてしまった。危なっかしくて見てられない。心底ついてきてよかったと思う。
羽黒さんは強い。強いけど、どこか危なっかしいのだ。他人が傷つくくらいなら自分が、と率先して盾になる。あのときだってそうだ、だから、私は。
どうにか体勢を立て直した彼女にホッと胸をなでおろしていると、びゅう、と一陣の風が吹いた。なんてことのない、海風。
「いい風だね」
それに煽られた髪をおさえていると、羽黒さんが今度はゆっくりと停止して、こちらに振り返って笑いながら声をかけてきた。
「神風ちゃんといると、いつもいい風が吹く気がするの」
『──神風は、神様が私達を守るために吹かせる風だから』
『羽黒大破! あと三十分で帰投します!!』
『入渠施設、空きは!?』
『んなもんあるか、中破してるやつどかせ!!』
聞こえてきた怒声に血の気が引く思いだった。ろくな武装も持っていなかった私達駆逐艦に、時間を稼ぐから、と笑ってその場に留まった羽黒さん。
お供します、と言いたくても言えなかった自分が悔しかった。こんな兵装では、お荷物でしかない、ならば、とまで思いつめていた私の心を見透かしてか、
『神風ちゃんは
と諭した彼女に、なにも言えなかった。
『大丈夫、死ぬつもりはないから。だから神風ちゃんは』
きちんと生きて帰ってね、と笑っていた羽黒さんに、私が何を言えたのだろう。
いや、でも大破、だから。生きている。沈んでいないのだから、だから、と言い聞かせながらドックへと駆けていった。そうして彼女の、予想以上にボロボロなその姿をみて絶句してしまったのだ。だというのに、彼女は私を見つけると力なく笑いながら、かすれきった声でこんなことを言ったのだ。ね、大丈夫だったでしょう。神風ちゃんが守ってくれたおかげだね、なんて。
後から聞いた、運良く、風が運んできたスコールに守られたのだと。たまたま近くまで足柄さんの艦隊が来ていたのだと。そんなの運が良かっただけだ。そんなの、ただのこじつけだ。でもそうやってこの人は私に笑いかけたから。
「そうよ、だって私は神風の名を冠する駆逐艦だもの!」
ならば私は、彼女が好きな神風として、誇れるような駆逐艦となるのだ。それが、彼女に対する恩返しだ。
「いつでも私が、羽黒さんを守ってあげるんだから!」
あのとき決めた。見ていて危なっかしいこの人の側になるべくいて、そうして私自身が加護の風となってこの人を守るのだと。胸を張ってそう宣言すると、彼女は柔らかく笑い返してくれた。それに釣られて思わず私も笑う。
そうやって二人して笑い合っていると、遠くからちょっとぉおおおお……と雄叫びをあげながら足柄さんがこちらに突進してきた。
「二人してずるいわよ! 訓練するなら私も誘いなさいよ!」
「どこから嗅ぎつけてきたの……?」
「戦いあるところにこの足柄あり、よ!」
「ただの航行訓練ですよ、足柄姉さん」
「航行訓練! いいわね! 初心を思い出すわ!!」
そうして私に続きなさーい! と先に行ってしまった足柄さんの背中を、羽黒さんと二人してポカンと見つめる。いつもいつも、嵐みたいな人だ。
「……羽黒さん、足柄さん訓練許可もらってると思います?」
「ううん、今回は勢いで飛び出してきた感じがするから……どう、かな?」
「後で提督に書類提出しないと……事後報告だけど」
はぁー、と長いため息をつく。悪い人ではないのだけれど、そう、嵐が過ぎ去った後って事後処理が大変じゃない? そんな感じの人なのよね。
「二人共ー! 遅いわよー!」
「い、今行きま、わ、あ」
「あああ急加速しちゃダメだったら!」
本当にこの二人といると毎日が騒がしいったら。
まぁ、こんな日々が、私は割と嫌いではないのだけれど。
4.16.2021 短編同士の前後関係で少々齟齬が出てしまっていたので季節を調整。お話の本筋に変わりはありません。