世界の片隅の、とある艦娘達のお話   作:moco(もこ)

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大湊の雲龍さんのお話。


雲を継ぐ(大湊警備府:雲龍)

「雨も、海も、涙さえも。いつかああして雲になる」

 

 名は体を表すと言うけれど。彼女は本当に、その艦艇らしい艦娘だった。穏やかで、どこか掴みどころがない。どんなに切羽詰まった状況でものんびりとした態度でなんとかしてしまうような、ちょっと変わった、それでいてどこか人目を引くような魅力を持つ人。

 

「だから、そうね」

 

 痛いのも、面倒くさいのも。死ぬのだって嫌いだ、死んだら冷たくて暗い海の底でひとりぼっちになってしまうではないか、と。確かあれは、祥鳳に弓の訓練でこってりと絞られた後に愚痴をこぼしたのだ。そうしたら彼女はちょっと困った顔をして、空を見上げながらそう私に語りかけてくれた。

 空を見上げれば。もうもうと、夏らしい入道雲が見えた。

 夏の雲が一番好きだった。他の季節よりもくっきりとその存在を空に映えさせ、そうして風に流され面白いように形を変えてゆくから。だから見ていて飽きないと前にこぼしたら、この人も笑いながら同意してくれてちょっと嬉しかったのを覚えている。

 

「きっと、死んでしまったとしても──」

 

 そう、だから。この季節は、苦手だ。

 

 

 ようやく、見つけた。ありとあらゆる場所を駆け回り、じんわりとかいた汗を拭いながら弓道場の入口へとまわる。盲点だった、彼女は空母ではあるけれど、弓とは縁遠い人だと思っていたから。

 入口からそっと覗くと、お目当ての人物、雲龍さんと葛城さんの会話が聞こえてきた。

 

「……矢の引きが、足りてない」

「うぇ、やっぱり?」

「押し手、つっぱってる」

 

 うーん、変な癖ついちゃったかなぁ、と頭をかいている葛城さんに、雲龍さんが淡々とアドバイスを告げた。

 

「スランプのときは、量を減らして質を上げた方がいいわ」

「うー、わかってはいるんだけど」

「気分転換に、式神で遊んでみる?」

「いやいや、雲龍と一緒にしないでよ……」

 

 そう言ってついと式神を周囲に浮かべた雲龍さんがこちらに気づいた。それと同時に葛城さんもこちらに手を振ってくれたので、お邪魔をしてもいいものかと逡巡していた私はようやっと弓道場内へと足を踏み入れた。

 

「雲龍さんって、弓も引けるんですか?」

 

 雲龍型は基本的に陰陽型だ。葛城さんが雲龍型でも特殊な矢先に札をつけて発艦する、いわゆる弓型と陰陽型の中間タイプであるのに対し、雲龍さんは完全なる陰陽型のはず。その割にアドバイスが堂にいったものであったから思わず尋ねてしまった。

 すると雲龍さんはゆっくりと瞬きをしながら口を開いた。

 

「今は無理ね、もう鍛錬をしていないもの」

「陰陽型の人も最初は弓の訓練をするんですね」

「ああ、違う違う」

 

 私がなるほど、と頷いていると慌てて葛城さんが否定した。

 

「雲龍は特別。この人、元々の適性が全空母だったから」

「……はい?」

 

 その意味が飲み込めず、思わずこてん、と首を傾げてしまった。そんな私の様子を見て、雲龍さんがゆるゆるとピースサインをこちらに向ける。

 

「どの空母にもなれる可能性があったとかで、候補生時代に一通り訓練を受けてるの」

「は〜」

 

 そんな人もいるんだ。複数に適性を示す人がいるというようなことは聞いたことがあるけれど、それでも全空母レベルは初耳だ。だからこそ、好奇心が顔を覗いた。

 

「じゃあなんで雲龍さんは雲龍さんになったんですか?」

 

 幅広い選択肢の中でどうして雲龍を選んだのだろうと。思ってしまうのは、自然なことだっただろう。ただ、この質問があまり良いものではなかったらしいことを、私は雲龍さんの様子から気づいてしまった。

 微かに揺れる瞳。少し口を開きかけて、躊躇うようにつぐむ。一瞬の間をおいて、雲龍さんは何事もなかったかのように。

 

「前の雲龍が死んだから」

 

 そう淡々と告げ、小さくあくびをした。

 

「眠いわ、今日はこれでおしまい」

 

 そうしてひらり、と手を振ってふらりとどこかへと去っていってしまった。

 

「……私って、どうして、こう」

 

 しばらくその場で固まっていた私は、自己嫌悪と共に座り込んだ。どうしてわざわざ地雷原で躓くようなことをしてしまうのか。

 

「五月雨ちゃんは悪くないと思うよ。と、いうか私も初耳」

「え?」

「あんまり自分のこと話さない人だから」

 

 そう言って嘆息をすると葛城さんは弓を弓立てに立てかけて軽く伸びをした。同じ雲龍型ではあるけれど、彼女と雲龍さんのつき合いは大湊に来てからのものだから結構知らないことも多いのだとか。掴みどころもない人だしね、とこぼしてふと葛城さんが疑問を投げかけてきた。

 

「ところで雲龍に用があったんじゃないの?」

「……あ!!」

 

 そうしてそこで、また振り出しに戻ってしまったことに、気づいたのだけれども。

 

 

「君、適性がふわっふわ」

 

 応接室に呼び出され開口一番。しかめっ面をしたおじさんは私に文句を言ってきた。

 

「うーん、空母? っぽいんですけどねぇ……なんだこれ?」

 

 どうやら艦娘候補生として選ばれたようではあるらしかったが、よくわからないけれど問題があるらしい。

 

「じゃあ」

 

 だから、書面とにらめっこをしていたおじさんにゆるゆると挙手をしながら。

 

「この話は、なかったことに」

「できるわけないでしょうが」

 

 面倒くさい、好都合だと提案した内容は、あっさりと却下されてしまった。

 

 毎年、数人程度はいわゆる‘はぐれ’候補生がいるらしい。基本的にほとんどの候補生が各鎮守府付属の訓練所に割り振られるのに対して、そういった通り一遍な教育ではいかんともしがたいと判断された、一般的な候補生から外れた異端児。それを群れからはぐれた個体になぞらえて、一部ではぐれと呼んでいるらしい。

 そういったはぐれを、じゃあ適性なしということで、という風に野に放せてしまうほどに我々日本の戦力は潤沢とは言えなかった。だからこそ、そういったはぐれを担当する小さな訓練所が、昔からちらほらとあるのだという。

 

「おー」

「やっぱり軽空母適性なんじゃない?」

「いや雲龍だって陰陽タイプじゃん」

 

 もらった形紙を見様見真似でふわり、と浮かせてみれば、周りに集まっていた空母の面々が感嘆の声をあげた。

 

「陰陽適性の娘でも最初感覚掴むのに時間かかる娘はかかるんだけどねぇ」

「ね、ね、弓、弓射ってみない?」

 

 あの場所も、そういったはぐれ候補生を数年に一回程度請け負う小さなところだった。

 安全海域内の小さな泊地。前線で負傷し、後遺症の残った者が復帰するまでの束の間の療養施設として機能していた、のどかで、少しあくびが出そうな程には平和な場所。

 祥鳳がひとつ矢をつがえ、ゆっくりとした所作でそれを放った。海に向かってぐんぐんとのびていった矢は、途中で艦載機へと変じて空へと舞う。その行き先に目をやると、ちょうど雲の切れ目から太陽がのぞき、その眩しさに目を細めた。

 

「合成風速がないからあっという間ね」

「トンボ釣りお願いします」

 

 そうして一瞬軽やかに空へと舞ったように見えた艦載機は、みるみるうちに失速して海へと落ちていった。不時着した艦載機からひょっこりと妖精さんが顔を出す。そうして待機していた駆逐艦娘がそれを回収しに海へと出ていった。

 

「弓は、まともに放てるまで結構な訓練をしないと……」

「やってみる」

 

 先程の祥鳳の見様見真似で矢を放ってみせた。祥鳳に比べればおぼつかないところもあったけれども、それでもまっすぐと飛んでいった矢は艦載機へと変じ、空に舞うことなく海へと失墜していった。不満げな妖精さんがコックピットから顔を覗かせる。まるで下手っぴ、とでも言っているかのようだった。

 

「……天才か?」

「わかんない、もう、なにもわかんない」

 

 その様子に隼鷹がボソリと呟き、瑞鳳が頭を抱えた。思えば規模が小さい割に空母が多い泊地だった。空母は数が少ないから中々退役させてもらえないのさ、なんて隼鷹が苦笑いしていたから、そのせいもあったのだろう。

 

「もしかして雲龍かも」

「あー、贔屓はいけないと思いまーす」

「そうじゃないわ」

 

 だからあの人も、そんな中の一人だったのだろう。柔らかな長い長い髪を揺らして、楽しそうに私を見下ろした、彼女も。

 

「どの型にもはまらないところが雲っぽいもの」

 

 前線に出ずっぱりで、高速修復剤を多用していた弊害で他の艦娘よりも身体が脆くなっているのだと。そう知ったのは、全てが終わったとき。だからこの頃の私はそんなことも知らず、ただ、なんとなく。この人が飛ばす艦載機が一番のびのびとしていて、好きだなと。そんな程度のことしか、考えていなかった。

 

 

 さやさやと心地のいい風を受けながら、庁舎の屋上から空を見上げていると。

 

「雲、龍、さん!!」

 

 後ろから大声で名前を呼ばれ、ワンテンポ遅れて振り返った。

 

「……最近、見つかるのが早くなったわね」

「ふふん、私だって学習しているんです」

 

 息を切らせながらどこか得意げに胸を張る、最近この大湊に配属された駆逐艦娘。五月雨がこうやって私を探しにくるのも、もはや日常のようになっていた。

 

「屋上とか、埠頭とか。空がよく見える場所に結構いますからね」

 

 それは知らなかった。いつもふらふらと気の向くままに歩いているだけだから、まさかそんな傾向があるとは。意外と五月雨は頭脳派なのかもしれない。

 

「空、好きなんですか?」

 

 空を見上げていると、隣に並んで同じように空を見ながら五月雨がそう尋ねてきた。

 

「雨も、海も、涙さえも。いつかああやって雲になる」

「え?」

「その後が、思い出せないの」

 

 あの後、彼女は何か言葉を続けていたような気がする。その部分だけすっかりと抜け落ちてしまっているのが少し気持ちが悪かった。だからそのせいかもしれない。気づいたら空を見上げ、それに気づいてふいと視線を落としてしまうのは。

 

「なんでも、ないわ」

 

 この子にこんなことをいっても仕方がない。頭を振って話題を切り替えようとすると。

 

「それって前の雲龍さんの言葉ですか?」

 

 五月雨はまっすぐにこちらを見つめながら、そう尋ねてきた。

 大湊にいる艦娘は、得てして何かしらの問題を抱えている者が多い。艦歴も長い、だからこそお互いに深く踏み込まないようなある種の距離感がある。

 だからこの子の、ふとしたときにこうやって距離を詰めてくるこの感じに戸惑っていた。

 

「……そう」

「前の雲龍さんって、どんな人だったんですか?」

「……」

「あ、えと、嫌なら無理にとは言わないんですけれど、ほら」

 

 ぶんぶんと手を振りながらわたわたと五月雨は言葉を続けた。

 

「お葬式とか、故人の思い出話をして笑って見送ってあげるといいって言うじゃないですか。あれって多分、そうやって話すことで私達自身もその死に向き合って心を落ち着けられるといいますか、えーと、えーと」

「五月雨、落ち着いて」

「は、はい」

 

 すーはー、と深呼吸を五月雨にさせて落ち着かせる。

 

「……嫌なわけではないけれど。あまり、話すのが得意じゃないの」

「大丈夫です!」

 

 ぽつりとそうこぼすと、五月雨が少し前のめりになってそれに答えた。

 

「私、おばあちゃんによく聞き上手だねぇ、って言われてたんです。だから大丈夫です」

 

 そう言ってむん、と気合十分という様子。

 本当に、よくわからない子だ。こんな面倒くさい警備府において、ひとりひとりこうやって全力で向き合っていて疲れないのだろうか。それが新鮮でもあり、それから。

 

「……気持ちのいい、話でも、ないけれど」

 

 そう躊躇いがちに答えた私に力強く頷いたこの子だからこそ。多分、話してもいいか、という気分になったのかもしれない。

 

 

 あの場所は、のどかで、あくびがでそうな程には。

 

「──E海域だ!!」

 

 安全海域内の泊地、()()()

 Emergency海域。危険度、特級。それが、その安全海域内にふと湧いて出た。

 哨戒任務に出ていた娘の消息が途絶えて、そして原因を確かめるべく様子を見に行った一人の報告によりそれはあらわになった。

 応援がくるまでどれくらいだ、今いる戦力は。相手の、強さは。そこにヤバいやつがいる、ということはわかっても、詳細データを入手できるほどの人手はこの泊地近海にはなかった。

 それでもこの海域には普通に生活している人もいる。応援がくるまでは極力防衛戦に努めるよう、うちの提督が指示を出し、ありとあらゆる艦娘がバタバタと駆け回る。

 その頃ただの候補生でしかなく、ましてどの艦艇かすら定まっていなかった私は、もちろん戦力外としてその泊地に留まるほかなかった。

 ──そうして私は、地獄を見たのだ。

 血だらけの、息も絶え絶えな様子で帰ってくる仲間達。こんな安全海域に高速修復剤なんてもちろん回っているはずもなく、限られた入渠施設でもってぎりぎりの状態で回す。完全回復状態で出撃できる方がまれだった。そう、して。

 

「……雲龍、は?」

 

 私は、それに気づいてしまったのだ。

 私のその言葉に、瑞鳳がパッと視線を逸らした。それだけで、十分だった。

 

「……探してくる」

「は!? ちょっと、なにして」

「うるさい」

 

 その場にあった、彼女の予備の艤装に手を伸ばした。今思えば馬鹿なことを、とも思わなくもないけれど、あのときの私は頭が真っ白で、自分でも何をしているのかよく理解していなかったように思う。

 ──それを万が一にでも動かせてしまうということが。

 

「動くわけないでしょ!? 大体それ、雲龍の改、式……」

 

 どういうことを意味するのかなんて。いつもの私なら、すぐにでもわかりそうなものなのに。

 ──動け、応えろ。

 探しに行かなくちゃ、という気持ちだけで動いていた。動かせるかどうかではない。()()()()()

 バチ、と。青白い火花が散った。それが何を意味するのかなんて、わかっていなかった。

 

「……嘘、でしょ」

 

『──雲龍の艤装は少し特殊なの。原理はよくわからないけれど、調子がいいときはね』

 

 龍の、角、と瑞鳳が呟いた。それに耳を傾けている余裕なんてなかった。

 

「探してくる」

 

 そうして一人飛び出した私が生きていられたのは、全くの幸運であったと言っていい。強力個体と接敵する前に追いかけてきた駆逐艦、軽巡洋艦の娘達に羽交い締めにされ、引きずるように連れ帰らされてしまったのだから。

 

「ねぇ、雲龍は?」

 

 縄でぐるぐる巻きにされて提督の前へと突き出された私は、開口一番そう尋ねた。

 彼はその言葉に目深に帽子を被り直しながら静かに述べた。

 

「同一艦艇は、一緒に出撃することができない。なぜならば不具合を起こすからだ」

「そんな話は聞いてない」

「雲龍の艤装を動かしたそうだな、問題なく」

 

 そうしてじっとこちらを見つめる彼から逃れるように視線を外した。

 その先は、聞きたくなかった。

 

「悪いな。お前には酷なことだと思う、だが」

「いや」

「空母壱番、いや──」

「聞きたくない!!」

 

 ざり、と。提督の帽子のつばに触れる指先に力が入ったのが見えた。帽子の影で表情はよく見えなかったけれど。

 

「今日から、お前が雲龍だ」

 

 彼だってきっと思うところがあったのだろう。それでも、私にとって、その言葉は。死刑宣告に等しいものだった。

 昔から、要領がいい方だった。特に誰かの真似をするのは得意で、一度正しい型を見てしまえばある程度はなぞれる。

 あの人は私の憧れだったから。だからずっと、彼女の動きを目で追っていた。

 ──それが、皮肉にも。最初から改式艤装を乗りこなした天才というレッテルと共に、私が雲龍として歩み始める第一歩と、なってしまうのだった。

 

 

「そうやって、気づけばもう戦場に出ていたから。だから、あの人との記憶も大分朧気になっていて」

「……」

「だから、少しだけ。思い出せないのが引っかかっていただけ」

 

 ぽつりぽつりとたどたどしく話をしていると、なるほど五月雨は聞き上手だった。要所要所で頷いて、先を促す。決して急かさず、妨げにならず。真剣に耳を傾けてくれるものだから、私でもこうやって話すことができたのかもしれない。

 

「でも、いいわ。忘れてしまったのなら、きっと大したことじゃないもの」

「そんなことないです!」

 

 そう諦めと共に呟くと、ようやっとそこで五月雨が大きな反応を返した。

 

「気になってるのなら、きっと大事なことだったんですよ」

「でも、思い出せないのなら意味がないわ」

「あ、諦めちゃダメです!」

 

 どうしてこの子はこんなに他人のことに必死になれるのだろう。それが不思議でしょうがなかった。いつも一生懸命で、前のめりで、たまにそれがから回って転んでしまうような子。不器用な生き方をする子だと思う。そうやって一生懸命にならなければ、適当にやっていけば転ぶことも傷つくこともないだろうに。

 

「あ、そうだ、お盆!」

 

 急に五月雨が素っ頓狂な声をあげた。それに驚いて目を瞬かせながら彼女を見つめていると、うんうんと彼女は頷きながら言葉を続けた。

 

「もうすぐお盆じゃないですか! きっと雲龍さんが雲龍さんのところに帰って来てくれて思い出させてくれますよ!」

 

 そんな馬鹿な。とは思っても大真面目にそう告げた彼女の言葉を真っ向から否定することは憚られた。

 

「……お盆って、確かご先祖様が帰ってくる日じゃなかったかしら」

「雲龍さんは雲龍さんの先輩だからご先祖様と一緒です!」

 

 これは、変なスイッチが入っている。私のやんわりとした否定の言葉をはねのけて。

 

「きっとそんな人だったらひょっこり雲龍さんのところにも寄ってくれますよ、ね」

 

 そう言って、彼女は両手を広げて笑って見せた。

 彼女の長い髪が揺れる。まだ新人だから馴染みきっていないけれど、その海のような、空のような、はたまた彼女の名が表す雨のような青い髪が。

 

「だからかっこいい精霊馬を作って驚かせちゃいましょう」

 

 その優しい青さに一瞬目を奪われて。バカバカしいと思っていた自分は、どこかに消えてしまった。

 

「……流星が、いいわ」

「へ?」

「馬なんかよりずっと速い。あの人は、艦載機が、好き、だったし」

 

 こんなことに意味はないだろう。だけれども、そんなことはどうでもいい気がした。

 

「じゃあ、うんとかっこいい艦載機を作ってお迎えしましょう!」

 

 なんとなく。私は、このとき、この子の周りに人が集まる理由がわかったような気がした。

 

 

「最近よくここで見かけるわね」

 

 ラッシュを過ぎ、人がまばらになった食堂の片隅。久しぶりに一人で黙々と昼食をとっていると、物好きが私に声をかけてきた。

 

「最近レーションだけだと、なーんか物足りないのよねぇ」

 

 グラスの水を飲みながら足柄にそう返すと、足柄はふぅん、と呟いて向かいの席についた。五月雨ちゃんとご飯を食べるようになってからちらほらと相席してもいいか尋ねられることが増えた。足柄もその一人で、五月雨ちゃんと三人で相席した後、こちらを見つければ寄ってくるようになった。たまに面倒くさくてぞんざいに対応してしまうこともあるのだけれど、足柄はその持ち前のおおらかさでもってそれを右から左と受け流し、後腐れもなしなのでまぁなんというか楽ではある。

 

「今日は五月雨はいないのね」

「別にいつも一緒ってわけじゃないわよ」

「まぁ、それもそうなんだけど」

 

 もぐもぐとおひたしを咀嚼して、ふと足柄が呟く。

 

「不思議なものよねぇ」

「何が?」

「五月雨がここに来てからまだそんなに月日は経っていないのに。夕張のそばに彼女がいないことに違和感を覚えるなんて、ね」

 

 意図が掴めず足柄を見返す。彼女は鰯のつみれをつつきながら静かに言葉を続けた。

 

「私達って、海に出て結構長いじゃない。だからきっと、感覚が麻痺してる。当たり前じゃないことがいつしか当たり前になって、そしてそれにすら気づいてない」

 

 過同調による生の実感の喪失。戦いに出れば恐ろしい敵と相対し、時には仲間さえも失う。そういった環境下に居続け、そんなことを繰り返していれば、その異常はもはや日常の一部と化す。

 

『自分を大事にしない夕張さんなんて嫌いです』

 

 生きていれば、治る。大破状態で進軍さえしなければどんなにボロボロでもきれいさっぱりと。それが私達にとっての当たり前。だけれども、だからこそ。きっとそれは、五月雨ちゃんにとっては当たり前ではないのだろう。

 

「だからね、私、五月雨好きよ。あの子はあの子のまっさらな感性でもって、私達のそれに寄り添ってくれるから」

「……そう」

「夕張だってそうでしょ?」

 

 最初はほんの気まぐれだった。別に仲良くなりたいからとか、先輩として格好つけようとかそういった意図は全くなく、ただお腹が減ったし、あの子を置き去りにするのもなんだな、くらいの気まぐれ。生来、他人に興味がない。別に人が嫌いなわけではないけれど、元々一人でいることが苦にならないタイプだった私は、誰かとつるむといったことを一切せず、ただなんとなく居合わせた人と適当にうまくやっていくような、いわゆる浅い人間関係しか構築してこなかった。自分が何かに熱中しているときに水を差されるのが非常に嫌いだったというのもある。だから私の人づき合いというものは、私がそれに飽きたときの暇つぶしのようなものだった。つまるところ、私はどこまでいっても自己中心的なのだ。

 

『あっつ! は、ふ』

『……お水飲む?』

 

 そう、だから。私は優しくなんてないのだ、五月雨ちゃんが言うように。

 あの日、熱々のコロッケを涙目ではふはふと必死に食べる彼女を見て。思わず、ふ、と気が抜けるように笑ってしまった。あの寂れた食堂からの帰り道。いつもだったらさっさと足早に帰ってまた作業へと没頭するところだったのだけれども、帰り道で見上げた空がいつもより綺麗に見えたから。なんとなく、彼女と歩くその時間がなんだか心地よくていつもよりゆっくりと帰った。

 多分、きっと。私の世界は、彼女と一緒にいるとき。少しだけ広がるのだと思う。

 

「……ノーコメントで」

「ふーん?」

「うっわ、その顔、腹立つ」

 

 ニヤニヤとこちらを見る足柄に軽くイラっとしながら水を煽る。こいつだって多分、五月雨ちゃんが来なければこんなに私にちょっかいを出してはこなかっただろう。それを鬱陶しく思うことも無きにしもあらず、だけれども。

 

「後で神風ちゃんに涼風にごねまくって困らせてたことチクってやろ」

「ちょ、なんでそれを!?」

「兵装実験データまとめて提出しにいったとき涼風が盛大なため息をつきながら私に愚痴ったから」

 

 まぁ、悪くはない。面倒くさいことも、多いけど。

 

 

 彼女がいる日常は、少しだけ私の世界を広げてくれる。例えば世界がいつもより少しだけ色づいて見える。例えば、いつもより人との繋がりが少しだけ増える。きっと五月雨ちゃんはそうやって私の世界をそういった何かしらに繋げていってくれるような子なのだと思う。

 

「……私、専門は機械なんだけど」

 

 だから彼女は今日もまた私と何かを繋いでゆくのだろう。

 

「うう、私も、雲龍さんも不器用で」

 

 半べそで粉砕されたきゅうりを両手の平に乗っけてこちらへと見せる。うん、それはよくわかった、わかったけど。

 

「あの、五月雨ちゃん」

「夕張さんなら手先が器用かなって」

 

 やりたいことを邪魔されるのは嫌いだ。鬱陶しく構ってくる人とかも苦手。だからこそ私は浅い人づき合いでもってへらへらとやり過ごしてきたのだから。だから本来ならば、彼女だって面倒くさいと思ってしまってもいいはずなのだ。なのだ、けれど。

 

「ダメですか……?」

 

 うるうると目を潤ませながらこちらを見上げる五月雨ちゃんと、その後ろでぼけらっと突っ立っている雲龍。実際にちょっと面倒くさいとは思ってしまっている。それでも。

 

「……」

「……や、って……みる、けど」

 

 最終的に巻き込まれてしまうのは、なぜなのだろう。五月雨ちゃんが五月雨ちゃんたる所以だろうか。

 

「流星がいいわ」

「あんたは少しは遠慮しなさいよ!!」

 

 とりあえず腹が立ったので雲龍には引っ掛けてあった上着を投げつけてやった。それをいともたやすくひょーい、と避けられてしまったことは、さらに腹立たしいことではあったけれど。

 

 

「わ、なんですかこの騒ぎ」

「あ、吹雪ちゃん」

 

 ひょっこりと工廠に顔を覗かせて見れば、そこにいる人達、艦娘から果ては艤装技師まで、いつものように艤装とにらめっこ、ではなくきゅうりやら茄子やらとにらめっこをしながらわいわいがやがやとしているものだから、思わず近くにいた艤装技師に声をかけた。

 すると彼はひょいっと手の平にそれをのせてこちらに見せてきた。

 

「……なんですか、これ」

「精霊馬だ」

「……馬?」

「もとい、精霊艦載機だぜ!」

 

 へへ、と鼻をこすりながら何やら得意げである。なるほど、彼がこちらに見せている精霊艦載機とやらは中々に精巧にできていた。きゅうりと茄子をうまくつなぎ合わせてそれっぽい雰囲気が出ている。

 

「で、何なんですか、それ」

「あれ、吹雪ちゃんこういうの疎い? お盆だよお盆、これでご先祖様がこっちに帰ってくるのを援助してやるのさ。本来は馬なんだけどこっちのが速そうだろ?」

「……ああ、祖先信仰の一貫なんですね」

 

 そういえばこの時期になると提督がお墓参りによく行くな、あれはそういう意味だったのか、と合点がいく。

 

「祖先、信仰……?」

 

 そう言って彼は軽く首を傾げた。ああ、うん。日本人ってこういうところがある。お盆、だっけ。とにかく行事としては認識していてもその本質までしっかりと理解している人は少ないような気がする。お祭り好きな日本人らしいと言えばらしいけれど、流石にクリスマスも便乗しているのには一瞬閉口したけれど。

 

「あきつ丸さんうっま!」

「ははは、陸軍は自炊が基本でありますので」

「ぐぬぬ、負けないわよ!」

「あ、足柄姉さん、なにもそんなものまで張り合わなくても」

「やるからには一番を目指すのよ!!」

 

 少し離れたところではわいわいと非番の艦娘が楽しげに作業をしていた。そこから更に少し離れたところでは、夕張さんを中心とした艤装技師達、艦載機ガチ勢がここのフォルムをよりリアルに近づけるには……なんて話し合いをしながらめちゃくちゃにクオリティの高いものを作り上げていた。

 その様子をぼんやりと眺めながら。

 

「……人って、不思議だなぁ」

 

 思わず、ぽつりと言葉がこぼれ落ちた。

 

「ん?」

「私もなにか作ってみようかな」

「おーし、オススメは彩雲だ」

「なに言ってんだ瑞雲だろ、瑞雲はいいぞ」

「いえ。普通のでお願いします」

 

 どうせ艤装の点検中で海に出られないのだから。こんな日があってもいいだろう。きゅうりを一本手にとって、とりあえずぷすりと爪楊枝を刺してみながら、なんとなくそんなことを思ったのであった。

 

 

「なんだか大事に……」

「なったわね」

 

 先程どうよ!? と夕張が微かに目を血走らせながらずいと差し出した流星(きゅうり)をすいと操りながら五月雨に相槌をうつ。やるからには全力よ、例えきゅうりでも、とさらなる改良を求めて二号機に取り掛かっているのだから、つくづくものづくりに関わる人は難儀な性格をしていると思う。言ったらまた夕張に上着を投げつけられそうだけど。

 ちなみに五月雨はといえば、せめて帰りに乗る牛さんくらいは、と先程から茄子にプスプスと爪楊枝を刺している。

 

「ふふっ」

「?」

「きっと雲龍さん、いつもより長く雲龍さんといてくれますよ。この流星でひとっ飛びで駆けつけてくれますから」

 

 そう言って、五月雨は工廠から空を見上げた。

 いい天気、だった。突き抜けるような青い空。まばらに流れる入道雲。きっと今日艦載機を飛ばしたら気持ちがいいだろうというくらいには。

 夏の空は好きだった。あの人も好きだと聞いて、もう少しだけ好きになって。そうして最後には苦手になった。だって。

 

「……あ」

 

『きっと、死んでしまったとしても──』

 

 あの後なんて言っていたのか、思い出した。

 夏の空は苦手だ。あの人と見上げた空を思い出すから。あの人のことに繋がる事柄、全てがひどく苦しい。だから好きだったものは少し苦手になってしまった。だって、私は。

 

『ひとりぼっちなんかじゃないわ。死んでしまった仲間達はきっとそうやって海に帰って、それから空に浮かぶ雲になって私達を見守ってくれてる』

 

 きっと、こんなに月日が経ってしまった今でも。

 

『そうして雲はやがて雨になり、海へと帰ってひとりぼっちになってしまっている仲間を見つけ出してはまた空に帰っていくの』

 

 彼女の死を、受け入れられていなかったのだ。

 

「う、雲龍さん!?」

「……?」

 

 ぎょっとした五月雨が慌ててスカートのポケットからハンカチを取り出す。そうしてそれを私の頬に当てたことで、ようやく自分が泣いていることに気がついた。

 

 ああ。会いたい、なぁ。

 またああやって、縁側に座ってのんびりとお話をしたかった。

 もっともっと、あの人の後ろ姿を、艦載機を操る様を見ていたかった。

 

『──壱番!』

 

 もっと、もっと。私は、あくびが出そうなほどに穏やかなあの場所で。あの人達と、もう少しだけでも長く、笑いあっていたかったのだ。

 

『だからきっと、寂しくなんてないわ、ね』

 

 寂しい。ようやく彼女の死と向き合えた私の心にすとんと落ちた言葉は、そんな言葉だった。

 お前が今日から雲龍だ、と言われ。彼女の死を受け入れる間もなく海へと駆り出された。きっと私は、他の誰よりも早く地獄を見てしまったから。だからこそ、それが当たり前となっていた。

 人は死ぬもの。悲しんでいれば次はきっと自分の番だ。ほら、過去を振り返ってる暇なんてない、目の前の敵を殲滅しろ。そうやってがむしゃらに海を駆けて、そうして、あるときぷつりと何かが切れてしまった。

 こうやって、戦争の兵器として使い潰される人生に、一体なんの意味があるのだろう。そう思ってしまってからは早かった。戦闘に身が入らない、海に出ることすら億劫だ。過同調の弊害もあったのだろう、なんとなく生きている実感がもてなくてあてもなくふらついては興味をひかれるものに近寄ってみる。そうやって辿り着いたのが結局あの人と見上げた空だというのだからちゃんちゃらおかしい。

 

「だ、大丈夫ですか……?」

「平気。花粉症よ」

「かふんしょう」

「白樺アレルギーなの」

 

 白樺……? とキョロキョロと辺りを見回し始める五月雨に、ふと笑う。

 

「五月雨」

「はい?」

「あの人、本当にここに来てくれると思う?」

 

 きょとん、と五月雨がこちらを見上げる。その奥では、できたぁー! 流星改!! と夕張が雄叫びをあげ、周りから喝采をうけていた。

 随分にぎやかだ。いつだってみんな好き勝手やって、一部の人達がやたらうるさい大湊警備府だったけれど。こうやって、仲間が一ヶ所に集まってわいわいとやっているところというのは、あまり見たことがなかった。

 

「はい、絶対」

 

 そうやって笑いかける五月雨を眺めながら。確かに、これだけ騒がしくしていればあの人のことだ、なんだなんだとひょっこりと顔を出すに違いないと。私も笑い返すのだった。

 

 

「うん! りゅう! さーん!!」

 

 息を切らせながら、目的の人物の名前を大声で呼ぶ。

 

「……みつかっちゃったわ」

「なんだか、前より分かりづらいところにいませんか?」

 

 工廠裏の日陰で猫と戯れていた雲龍さんに文句を言うと、彼女はゆっくりと首を傾げながら言葉を続けた。

 

「だって。面白くないじゃない」

「え?」

「簡単に見つかってしまったら、楽しくないわ」

 

 ぴろーんと猫を抱えながらそんなことを言ってのけた彼女に思わず絶句する。

 

「もー! かくれんぼじゃないんですよ!」

 

 私がそう怒ると、雲龍さんの代わりに猫がにゃあと答えた。き、気が抜ける。

 

「でも楽しいでしょう」

「楽しさよりも、疲れがですね……」

「にゃー」

 

 くいっと猫の手をもて遊びながら鳴き真似をする彼女に、怒る気が失せた。

 

「もー……相変わらず自由気ままなんですから」

「人はそんな簡単に変わらないもの」

 

 猫を逃がしてうっすらと笑いながら雲龍さんが立ち上がった。

 

「風の吹くまま、気の向くまま。雲なんて、そんなものでしょう」

 

 ここ、大湊警備府にいる艦娘はほとんどが問題児だ。例えば無断で演習に出る。例えば訳のわからない新兵装を試して湾口施設を吹っ飛ばす、例えば大量の揚げ物を量産しては皆の胃袋に爆撃をする。そうして、たとえば。ふらふらとひとところに留まらず、捕まえるのが難しい。

 

「慣れてきちゃった自分が、嫌……」

「あら」

 

 顔を両手で覆ってさめざめと嘆いていると、くすくすと雲龍さんが笑った。

 

「ようこそ、大湊警備府へ」

 

 他人事だと思って。思わずうー、と恨めしそうに彼女を見上げると、それはそれは楽しそうにころころと笑うものだから。

 まぁ、いいか、なんて思ってしまうから、きっと私はこの人達に振り回されっぱなしなのだろうけれど。

 

 




4.16.2021 時系列をちょっと調整。風吹かばの後の時系列へと変更、こちらの本文に変更はありません。
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