※
ここ、大湊警備府は歴戦の問題児達が集うことで名高い。北方海域の防衛を中心任務とする大湊は、とかくその荒波を乗りこなせる熟練のスキルを求められる。しかしながら、艤装のメンテナンスだなんだが一々面倒であり、艤装艦魄回路による結界で守られてるとはいっても身を震わさざるを得ない北方海域の任務は、はっきり言って人気がない。横須賀の護衛任務がつまらないという人気のなさであるとするならば、大湊の人気のなさはひたすらつらい、寒い、しんどい、とそういうところらしい。
そんなわけでいつの間にか腕はいいけど一癖も二癖もある艦娘達を押しつける場所となってしまった大湊には、変わった背景を持つ人達も多く存在する。
例えば、あきつ丸さん。陸軍から出向してきた彼女は、ちょっと風変わりではあるけれど特段問題を起こすような人ではない。ただ、陸軍と海軍の溝は思った以上に深く、面倒事はごめんだ、と各鎮守府で押しつけ合いが勃発し、最終的にうちの提督が重い重いため息をつきながら引き受けたのだとか。
そうして今日は、あきつ丸さんのようにちょっと変わった立場ではあるけれど、そこまで問題は起こさない……こともない人に分類されるとある艦娘を探していた。
ああ、いたいた。遠目で埠頭で占守ちゃんと戯れてる彼女を見つけて気持ち足早に近づく。
「もう一口くださいっしゅ」
「貴様、さっきから何回催促してると思ってるんだ」
「占守は育ち盛りっしゅ〜くださいっす!」
「チッ、ほれ」
座り込んでいる彼女の頭の上に顎を乗せゴネる占守ちゃんに手元のカップアイスを一口すくってみせると、占守ちゃんはなんとも幸せそうにそれを頬張った。
「あー、酒保に追加を買いに行くか……」
「占守、チョコアイスがいいっす」
「もうやらんぞ!!」
「あ、あのぉ〜」
「ん?」
恐る恐る声をかけると、今回のターゲットである彼女がこちらに振り返る。さらり、と癖のある銀髪が揺れ、意志の強そうな琥珀色の瞳がこちらを捉える。真顔だと切れ長な目や左頬にある傷のせいもあって中々に迫力がある顔立ちなので、着任当初は彼女も怖そうな人リストに入っていたのだけれども。
「おお、ちっこいのか」
こちらに気づくと同時に破顔した彼女──ガングートさんは、その外見に反して意外にも面倒見がいい姉御肌、とでも言うのだろうか。海防艦や駆逐艦から人気の、この大湊でもわりかし古参に入るロシア戦艦なのである。
「……寒くないんですか?」
秋に差し掛かるだろうというこの時期。結構肌寒くなってきたというのに、ガングートさんときたら普段から着ている赤い半袖シャツの胸元を大きく開け、寒空の下アイスを食べていた。
「暑いからアイスを食べているんだろうが」
「ええ……」
「占守はアイスが食べたかっただけっす」
「なんだ、貴様も食いたいのか?」
そうしてほれ、と差し出された紙スプーンの上に乗る一口大のアイスを、おずおずと頬張る。ひやり、とバニラアイスのほのかな甘みが口でほどけた。
「早く冬にならんもんか……年々暑くなって嫌になる」
そうぼやきながらまた一口すくって自分の口に運び、そのまま咥えた紙スプーンをガジガジと噛む。大湊の夏は涼しい方だと思うけれど、どうやら極寒の地、ロシアから来た彼女にとってはそれでも暑いらしい。今日はいつも肩に引っ掛けているコートすらどこかに置いてきているようだった。
「と、いうか何か用があって来たんじゃないのか、ちっこいの」
「ああ、ええと」
そう言われて斜めがけしていたポーチからゴソゴソととある書類を取り出す。
「ガングートさん」
「なんだ」
「読めません」
彼女の眼前に件の書類を広げる。それと同時に占守ちゃんはあ〜と間延びした声をあげ。そうして当人は思わず渋面を作るのであった。
※
ずかずかと廊下を大股で歩くガングートさんを必死に追う。歩幅が大きいから自然と小走りになりながら彼女に声をかけようとしたのだけれども、一足遅く、すでに彼女はノックもなしにバーン! と執務室の扉を開け放っていた。
「おい、スズカゼ、いい加減貴様らもロシア語のひとつでも──」
声を荒らげかけたガングートさんが不自然に言葉を切る。そうして私は今までの勢いを殺しきれず、そのまま彼女の背中へと衝突した。
「あいたっ! 急に立ち止まらないでください、ガングートさん」
鼻をさすりながら彼女の背後から執務室を覗く。すると、そこには見知らぬ人物がいた。
青を基調とした民族衣装をまとい、額には見慣れぬ文様が刺繍された瑠璃色のはちまき。彼女が振り返ったときにさらりと揺れた銀髪は、その色によく映えていた。
「イランカラㇷ゚テ」
露草色の瞳を少し細めて柔らかく笑った彼女の口から発せられたのは、異国の言葉。
が、外人だー! と今まさに私の真ん前に突っ立っているガングートさんのことをさておいてパニックになりかけていると。
「カモイ!」
急にガングートさんが両手を広げてその人に歩み寄った。
「久しいな!」
「はい、ガングートさんも相変わらずお元気そうで」
バシバシと肩を叩きながら心底嬉しそうな声をあげるガングートさんに、カモイ、と呼ばれた彼女も笑って答えた。
「……ガンさんよぅ」
「あん?」
蚊帳の外になりつつあった涼風がようやっと口を開く。その顔はどこか呆れているようでもあった。
「五月雨にゃそれ、刺激が強い」
そうして、ひゃーと先程素っ頓狂な声をあげ、そのまま固まっていた私を指差したのである。
いや、だって。すっと寄っていったと思ったら流れるようにカモイさんの頬にキスをするんだもん、そりゃあびっくりしちゃうよ。
「普段は我慢してるだろうが」
「神威さんもさぁ、断っていいんだぜ?」
「えっと、別に嫌なわけではないので」
「そうだろう、そうだろう。なんせ私とカモイの仲だ」
そう言ってふふん、とどこか得意げな顔で神威さんの肩に手を回す。や、やっぱりお二人ってそういう。
「あのな五月雨」
「ひゃい!」
「挨拶」
「……へ?」
「これ、ただのロシア式挨拶」
あい、さつ……?
「日本人はスキンシップが少なすぎてつまらん」
「と、こんな感じでなんつーんだ、まぁセクハラの苦情が多発したんでこれだけは禁止したんだよ」
恐るべし、ロシアの挨拶文化。思わず戦々恐々としていると、こほん、と一つ咳払いをしてから涼風が改めて神威さんを紹介してくれた。
「えー、こちら海軍省人事局所属の神威さん」
「海軍省! 人事局!?」
その言葉に思わず背筋をびしっと正す。
はっ、もしかして私の成績がふるわないからクビにするという通達だろうか。どうしよう、この前目をつぶってぶん投げた爆雷が何故かまっすぐ夕張さんめがけて飛んでいって、うぉおおおおお!? とすんでのところで夕張さんがかわしてくれたおかげで事なきを得た、五月雨殺人未遂事件が等々お上にまで伝わってしまったのか、それとも……。
あれやこれやと思い当たる節を思い起こして思わず涙目になっていると、涼風が呆れたように私に声をかけてきた。
「五月雨ぇ、多分五月雨が思ってるようなことじゃないからな?」
「ふぇ?」
「ええと、大湊自体には用はなくて。次の任務地へ向かうついでに立ち寄ったので、ご挨拶を、と」
「私、クビじゃないんですか?」
「どこをどうしたらそんな勘違いするんだよ……」
涼風はため息を一つついて、頬杖をつきながら半目で改めてガングートさんに声をかけた。
「で、なんの用なんだよ、ガンさん」
「ああ、そうだった」
懐から件の書類を取り出し、ピラリと涼風にそれを見せながら。
「貴様、いい加減ロシア語の一つでも覚えんか」
そう言ってのけたガングートさんに、涼風がぴくりと頬をひきつらせた。
「……あのな、ガンさん」
「なんだ」
すぅっと息を吸い、ワンテンポ置いて。
「せめてブロック体で書けってんでぃ!!!」
涼風の怒声が執務室に響き渡る。
読めないことで悪名高い、ロシア語の筆記体でもって書かれた書類。ミミズがのたうち回ってるみたいっしゅ、これなら占守でも書けそうっしゅ、という占守ちゃんの一言が彼女の逆鱗に触れたようだったのだけれど。
「読めねぇ」
「読めません……」
読めないものは、読めない。キリル文字で書かれていても読める気はしないけれど、この筆記体はそもそも読む気をがっつりと削いでいく。
「なんだと! おいカモイ!」
同意を求めてガングートさんが神威さんを振り返ると、彼女は曖昧な苦笑いを返した。
「貴様ら、我が祖国を馬鹿にする気か!! 銃殺刑にするぞ!!」
「うるせー! 読めねぇもんは読めねぇんでぃ! そっちこそ日本語の一つでも覚えろってんでぃ」
「漢字がわからん!! なんだあれは馬鹿にしてるのか!?」
逆ギレと逆ギレの応酬。ガングートさんは会話は達者なのだけれど、読み書きは全くと言っていいほどにできない。だからよく海防艦や駆逐艦の娘を頭に乗っけて読み上げてもらいながら書類を書くのだけれど、頑なにロシア語、しかも筆記体で書いてくるものだからこのやり取りも最早日常の一部であった。
ガングートさんは声を荒らげながら、ビッと私を指差して。
「ゴガツ、アメ!」
「さみだれです……」
そうして次に神威さんを指差して。
「カミ、イ!」
「かもい、です」
「かむい、って読む人もいるよな」
そうして最後にはぐしゃぐしゃと頭を引っ掻き回しながら、
「わかるかぁー!!!!」
と執務室の中心で日本語に対する不平不満をぶちまけたのであった。
※
羅針盤が狂う、という現象は、艦娘になれば誰しもが必ず体験する現象だ。目的地に行こうとすると、何か恣意的な力が働いて逸れてしまう。原因不明の厄介な現象ではあったけれど、どうやら艦隊の艦種を調整したり、特定の艦艇を組み込んだりすると何故かそれが解消される、というのが共通認識となりつつあった。
あのときも、そんな艦隊編成を模索するための出撃の一貫として、私はアルフォンシーノ海域へと向かったのだ。
立ち込める濃霧、なにかに絡めとられるかのように当初の目的地から外れに外れ、そうして嵐に巻き込まれて流された場所が悪かった。
アルフォンシーノ海域の北に広がる、地球上で最も過酷な海域の一つと言われる場所。強風、極寒、そして氷のように冷たい水。いくら艦娘が艦魄艤装回路の結界に守られてるとはいえ、限度がある。びゅうびゅうと耳鳴りのような風切り音が鳴り響くなか、常に十メートル近い高波に揉まれ、四苦八苦しているうちに私は艦隊からはぐれてしまい──運の悪いことに、孤立したと同時にはぐれ深海棲艦と接敵してしまったのだ。
「おい貴様、無事か!」
だからあのときは、ああ、ここで死んでしまうのだな、と少し覚悟した。
戦闘能力をほぼ持たない給油艦である自身が孤立していたら、格好の餌食だ。どうにもこうにも振り切れず、そうこうしているうちに本当に自分がどこにいるのかも見失い──死を覚悟したとき、彼女は颯爽と私の前に現れたのだ。
あんなに私が苦労して逃げ回っていたというのに、彼女の一撃でもってそれはあっけなく沈んでいった。私と敵深海棲艦の間に割り込んでしばらく砲撃の応酬をしていた彼女は、耳慣れぬ異国の言葉を発しながら私を振り返った。先程の戦闘で破損した艤装がかすめたのだろう、彼女の左頬には、真一文字に切り裂かれた傷跡から血が流れており、よく見なくても彼女自身もすでにボロボロであった。
「所属はどこだ?」
「えっ、と?」
「ああ? 貴様ロシア艦ではないな?」
ずんずんとこちらに近づいてきた彼女は意志の強そうな琥珀色の瞳をすがめ、早口でなにかをまくしたてていたけれども、残念ながら私には何を言っているのか全くわからなかった。
ガシガシと頭をかいた彼女は、軽く舌打ちをすると六分儀を取り出して天測を始めた。
「……ここから一番近いのはペトロパブロフスク・カムチャツキーか」
しばらく海図とにらめっこをしていた彼女は、なにかをぼそりと呟くとこちらに海図を見せ、ある一点を指差した。
「いいか、ここに行け」
「……ここに、行くんですか?」
「あとこれをやる。これを見せれば、まぁ、最悪死にはしないだろう」
ぐい、と海図と懐から取り出された勲章を押しつけられ思わず困惑する。
ちらり、と上目遣いで彼女を見やれば、彼女はどこか諦観したような表情でなにかを呟いた。
「私は燃料がもう尽きる。なに、貴様まで付き合う必要はない」
「……?」
「燃料! ない!!」
ガンガンと自身の燃料タンクを叩いてやけっぱちにその場に座り込んだ彼女を見て、流石に私も察した。
「……あの」
「ああ? なんだまだなんかあるのか」
どこか不貞腐れた様子の彼女に、ごそごそと給油ホースを見せながら。
「燃料、おすそ分けしましょうか」
そう日本語でもって話しかけると、彼女は一瞬ポカンとして。
「XaXaXa!!」
高らかに笑って立ち上がった。
「これはいい、さしずめ貴様は私の幸運の女神か!」
「……え、えーと」
「ついてこい」
とても、不思議なことに。言葉の通じぬ、どこの国の人かもわからない少し強面の彼女であったけれども。
「なに、悪いようにはしない。私に任せろ」
笑ってまっすぐこちらを見つめる彼女に、私はどこかホッとしたのだ。
ああ、この人のそばにいれば、きっと私は大丈夫だ、と。
きっとそれが、どの国でも。艦隊の中心にあり、皆を支える戦艦としての資質というものなのかもしれない。
※
人の数だけ、物語はあるというけれど。
「お互い両陣営から死んだと思ったと言われたな」
「まぁ、まさかロシアにお邪魔しているとは思わないでしょうから……」
「……は〜」
ここまで数奇な巡り合わせをする人は、あまりいないんじゃないだろうか。よし、飯だ! 飯を食いに行くぞ! とガングートさんは神威さんのついでに私の手もひっつかんで食堂まで拉致し、そうして食事の間、話の種にと二人の出会いについてかいつまんで話してくれたのだった。
強面な外見に相反して意外と気さくなガングートさんではあるけれど、神威さんと二人で話している姿はいつもよりもリラックスしているように見えた。なんとなく二人の醸し出す雰囲気からその友情の深さを感じ取っていると、ガングートさんが本日のメインディッシュであるロールキャベツにたっぷりとサワークリームを絡めながら一口頬張った。
「ふん、この
「ちょっと変わった味つけのロールキャベツですよね」
「ちっこいのからしたらそうかもな。これはロシア料理だ。主計科が気をきかせてくれてな、たまにこういったものを出してくれる」
そうなんだ、知らなかった。私の知っているロールキャベツよりも濃厚でしっかりした味つけのそれを頬張りながら、彼女の話に耳を傾ける。
「日本の飯もうまいんだが、やはり故郷の味は恋しくなるものだからな。あとводка」
「ゔぉーどか?」
「命の水だ」
にやり、とガングートさんが不敵に笑う。その隣では神威さんが苦笑いしていた。
「五月雨さんはしばらくは飲めないお水ですね」
「ハハハ、ちっこいのがおっきくなったら一杯やろう」
「……??」
「私は、二人で遭難していたときに何気なく渡されてむせてしまいました」
「温まっただろう。водкаが貴様の命を救ったと言ってもいい」
二人の会話に首をひねっていると、神威さんがロシアのお酒ですよ、とても度数の高い、と教えてくれた。
「ま、それでなんやかやあって大湊にな。本当はカモイと所属を同じくするはずだったんだが」
「艦種柄、神威は転籍族だったので……それにガングートさん、南方海域には出撃できないから……」
「出撃できない?」
「はい。暑いところだとガングートさん、まともに戦えないの」
「一回出撃中に服を全部脱ごうとして謹慎をくらったな」
「あの……笑い事じゃ、ないですからね?」
ああ、やっぱり大湊にいる人達ってどこかしら残念なんだなぁ、などとぼんやりと思いながら二人のやり取りを見つめる。比較的無害カテゴリの彼女ではあるけれど、やっぱりどこか変だ。
「そういえば、神威さんは今はなんで人事局に?」
食事も落ち着いてきたあたりで、ふと疑問に思ったことを尋ねてみた。次なる任務地へ向かう途中であるといっていたけれど、そもそも人事局のお仕事とはどんなものなのだろうという興味もあった。
「そうですね。簡単に言えば適材適所、でしょうか」
「適材適所?」
「私のお仕事は適性検査に引っかからなかった娘達を探すことなんです。海洋民の血を引くからか、そういうのに鼻が利くから」
「海洋民、ですか?」
「アイヌです。北海道、樺太、千島列島などを中心に生活していた、日本の先住民」
アイヌ。聞いたことは、ある。消えゆく民族、アイヌ。確か、文字を持たないから言語や文化の継承が難しく、保全に苦心していると。さらには現存のアイヌ民族はほとんどが日本人と交わり、生粋の者はほとんどいなくなってしまったのだと歴史の授業で習った。
「一説では海洋民族を祖とする人達は艦娘適性が高いのだとか。最も私自身の血は限りなく薄いんですけれど」
「……あ、もしかして。い、いら、なんとかって」
「イランカラㇷ゚テ。アイヌ語でこんにちは、です」
不思議な響きの言葉だと思う。方言や訛りとも違う、日本語とは全く異なる言語。その言葉は、どこか懐かしさすら覚える、優しい響きをもっているように思えた。
「なのでお仕事の関係で南から北へと駆け回っています」
「はぁ〜」
艦娘を退役した後も海軍省上層部に残ったり、教官になったりする人達は割といるとは聞くけれど。色々なお仕事があるんだなぁと感心していると、ふん、とガングートさんが呆れたように息をついた。
「駆け回るというより、のんびり渡り歩いてるの間違いだろう。カモイは昔からそうだ、どうせ今回も趣味のアレにかまけて上に怒られたのだろう」
「アレ?」
「なんだったか、デ、デン……」
「伝承集めです」
少し照れたように神威さんがはにかむと、ごそごそと脇に置いていたリュックからなにやら紙束を取り出してこちらに見せてくれた。
「元々祖父が幼少の頃からアイヌの文化について教えてくれたことで、そういうのに興味があって」
「ロシアでも言葉も通じないのになぜか同志と打ち解けて、現地のそういう書物を譲ってもらって?」
「さらに悪化しました……」
「神威さん、ロシア語読めるんですか」
「会話は全くできないんですが、読み書きだけはお陰様で」
「私とは正反対だな」
好きこそものの上手なれ。それだけ熱中できるものがあるのはどこか羨ましくすら思える。手元にある古ぼけた書物は私からしたら全くもって価値のわからないものであるけれど、きっと彼女にとっては宝物なのだろう。
ガングートさんにからかわれて少し頬を染めた彼女は、照れをごまかすようにんん、と咳払いをした。
「結構面白いんですよ。例えば艦娘の語源についてであるとか」
「語源、ですか?」
「はい」
そこで一旦言葉を切ると、神威さんは両手を合わせてきちんとごちそうさまを済ませてから言葉を続けた。
「カンムスヒ」
「艦娘、ひ?」
「艦艇の、むすひの神。諸説ありますが、元々"かんむす"とはそういった意味を表す言葉だったようです」
「……むすひ?」
「
さらさらと空に指で文字を書きながら神威さんが続ける。
「むすひは、再生と蘇生を司る神。艦艇の力をお借りして、死地に立たされる人類の活路を切り開く源、
「……でも、今は艦娘、ですよね?」
対して私がテーブルに娘、と書くと、一つ頷いて神威さんが答えた。
「そうですね。言葉の変遷は歴史上よくあることです。例えば英語圏では先住民のことをnativeと表していましたが、今ではindigenousという言葉の方が好まれているように思います」
「……おい、貴様、まさかそこまで手を広げて」
「あ、あくまで! 世間話程度の知識です!!」
割とドン引きしているガングートさんに神威さんは慌てて手をぶんぶんと振りながら誤解だ、と述べるものの、ガングートさんの疑惑の眼差しは晴れることはなかった。
「こ、こほん。そういうわけで、神から人へと名を改めたことには、何らかの意味があるのかもしれません……と、まぁ、そういうことを考えるのが好きで」
「は〜、そうなんですね。私、艦娘っておむすびみたいだなぁくらいしか考えてなかったです」
「あ、いい線いっています」
「え?」
「おむすび、のむすひ、の部分も同じ意味なんです。ご飯を握り、人に活力と霊力を与えるという」
「ええー!?」
衝撃の事実である。
「だから私達の戦闘食料も基本はおむすびなのかもしれませんよ」
「な、なるほど……!」
思わずうんうんと頷いていると、たまらずといった形でガングートさんが吹き出した。
「ハハハ、ちっこいのは聞き上手だな! こんな楽しそうに話しているカモイは滅多に見られないぞ」
「う……だって、ガングートさんはまともに聞いてくれないじゃないですか」
「日本語で聞くには私には話が難しすぎる。ま、酒の話ならいくらでも聞けるがな」
「もうっ!」
ぺち、とガングートさんの肩を叩く神威さんにハハハ、と実に楽しそうにガングートさんが笑う。
なんか、いいな。国も、言葉も、趣味ですら全く異なる二人に見えるけれど。こうやって楽しそうにしている二人を見て、そういった違いというものは、実は些細なものなのかもしれないと思った。
※
『今日はここに泊まるのか? どうせなら私の部屋に来い、久々に酒を飲もう』
食事を終えたガングートさんはそう言ってちょっと野暮用を済ませてくる、と席を外した。のんびりと食後のお茶を啜りながら野暮用ってなんでしょう、と一人言をこぼすと、
「……演習という名の、とある重巡洋艦のストレス発散です」
と、なにやら遠い目をして五月雨さんがポツリと呟いた。私が現役だった頃とメンツは大分入れ替ってきているみたいだったけれども、いつもいつも大湊は大変そうだなぁと思った。
食事に付き合ってくれた五月雨さんに別れを告げ、一人のんびりと埠頭に向かって歩く。埠頭までの道のりを彩る赤や黄色の葉。心地よい葉擦れの音と共にまたはらりと葉が舞い、秋の訪れをしみじみと感じながら海へと出た。コクガンの群れを観測するには、まだ少しだけ早い。もうちょっと早く大湊を訪れていたら陸奥湾を回遊するカマイルカの群れに出会えていたかもしれないし、ちょっと時期外れに訪れてしまったな、と海を見ながら考えていると、不意に声をかけられた。
「久々の大湊への寄港ですね」
「吹雪さん」
大湊での数少ない顔なじみである彼女、吹雪さんはこちらに笑いかけながら歩み寄ってきた。
「今まではどちらに?」
「九州です」
「今回はいい出逢いがありましたか?」
「はい」
『──それになったら、弟達はお腹いっぱいご飯を食べられるだろうか』
そうじっと私を見つめ返した彼女。
どこまでもどこまでもまっすぐな眼差し。そうしてその鳶色の瞳に秘めた静かな強さと優しさ。
『──、僕は……』
ああ、この子だと思った。
その姿がまばゆい光にかき消されようとも。例え誰にもわからずとも、それでも静かに寄り添う月のように。
例え秋の月のように美しくあらずとも。例え人々を照らす月になれずとも、例え涼やかな月光を降り注がせることはできずとも。それでも守るべき者達に静かに寄り添い続け、果たせなかった約束を胸に敵艦隊へと一人飛び出し、自分を囮とすることで仲間を守って沈んだ、どこまでもどこまでも清貧に甘んじたかの艦艇。
夏草が揺れる畑で黙々と雑草を刈っていた彼女がこちらを見上げたとき。ああ、同じ色をしている、と思った。
北へ南へと色々な艦娘達と旅するうちに気づいた。その人がまとう雰囲気。私はなんとなく色として感じるのだけれど、艦魄に宿る付喪神の分け御霊と艦娘自身の色というものは、面白いくらいに同じだった。
「まさか姉妹の方も適性があるとは思いませんでしたけど……神威はそこまでしっかりと辿れるわけでもないので」
「辿る?」
「ええ、同僚の方には艦艇と艦娘の縁が見える方もいらっしゃいますので。そういう方に比べると神威は全然です」
へぇ、と相槌をうつと、吹雪さんは私の隣に並んで一緒に海を眺めた。
「……こんなお仕事をしていると、どうしても縁という存在を実感してしまいます。見えるかどうかはさておいて」
『──カモイ!』
この広い広い世界で、巡り会えた奇跡。酒を酌み交わし、笑って話に花を咲かせる。そうやって人と交わり過ごす、長い長い人生における一瞬の瞬きのような日々は、なんて儚く、尊いものなのだろう。
明日には失うものもある日々を過ごしてきたからこそ。だからこそ、見えなくても確かにそこにあり続けるものが、私には眩しく映るのだ。
そういえばあの人は酔うとよく笑う人だったな、とふと思い出してくすりと笑う。普段からそこそこ飲む方ではあったけれども、こうやって久々に友と会ったときなどは秘蔵のお酒を取り出し、皆に振る舞いながら実に楽しそうにするのだ。
「……縁、か」
不意に。ぼそり、と吹雪さんが呟いた。その声につられて彼女の横顔を見やる。彼女は、どこか遠くを見つめながら静かに言葉を続けた。
「付喪神と艦娘にも縁があるんですね」
「はい。……自然も、動物も、植物も。人の手によって作り上げられたものも、皆等しくカムイである」
「神様ってことですか?」
「少しニュアンスは異なりますが。私はどちらかというと友人、のように捉えています」
祖父は生粋のアイヌではなかった。アイヌの文化は口伝であるから、その場所、人によっても習わしが異なることもざらだ。それでも祖父は、その根底にある考え方に、どうしようもなく惹かれてしまうのだ、と言って色々と私に教えてくれた。
「人はカムイに支えてもらい生きている。だからモノであった付喪神と人である艦娘との間に縁があったとしても、なんら不思議はないのではないでしょうか」
幼い頃に祖父が見せてくれたカムイノミという儀式は、未だ鮮明に思い出すことができる。
生活の一助となり務めを果たした壊れた道具へと礼を尽くす、その光景。幼心に、美しいと思った。だからこそ、今に至るまで私の心には祖父の教えが息づいているのだと思う。
「最期の時まで私達人と共にあり、苦楽を共にした彼女らを礼を尽くしてカムィモシㇼ……本来彼女達がいるべき世界へと送り返す。そうすることで、今度は悲しみの連鎖を断ったお姿でお会いできるから」
アイヌらしさであるとか、正しい文化の形であるとか。そういったものは、未だよくわからない。それでもガングートさんと出会い、他国の文化、人となりを知ることで私の世界は広がり、そうして私は思ったのだ。文化というものは、人と世界の付き合い方の一種なのではないかと。
そこに生きる人々が、何を美しいと思い、何を大事にするか。その形がそれぞれ異なるだけで、きっとそれに正しさも、優劣などもないのだと。
「だからきっと、人と付喪神との縁はそのためにあるんですよ」
だから私は、私が美しいと思ったその考え方をこの心に留めて生きていきたいと思うのだ。
そう言って隣に並んだ彼女へと笑いかけると。
「……そう、ですか」
しばらくじっとこちらを見つめていた吹雪さんは、ついと海へと視線を戻しながら。ぽつりと、そうこぼした。
※
「貴様は昔から神威が好きだな」
久々なので、もう少し辺りをお散歩してきますね、と言う神威さんを見送り、一人ぼんやりと埠頭にたたずんでいると、気難しそうな声が辺りに響いた。
「……バレました?」
「貴様が率先して寄っていく海軍省の奴なぞ、神威くらいだからな」
ガチャリ、と釣具を鳴らして提督がこちらへと歩み寄ってくる。
「今日は釣れましたか」
「キスが何匹かな。天麩羅にでもするか」
「ああ、いいですね」
ボウズはありえないと言われる釣り場ですらボウズをかますくらいには釣りが下手なうちの提督ではあるけれど、それでもたまにこうやって釣果を細々と振る舞ってくれる。そんな日はなんだか得をした気分になるから、彼のこの趣味もどうして中々悪くない。
クーラーボックスの中を見ると、小ぶりのキスが数匹鎮座していた。
「一緒にいて居心地がいいんですよね、神威さんは。古鷹さんとも気が合うみたいですし」
最も古鷹さんに関して言えば伝承、神話マニア同士という意味で気が合うのだろうけれども。正直私だって古鷹さんのああいう話はちょっと眠くなる、古鷹さんと和気藹々と話を弾ませることができる彼女はとても希少な存在だ。
「ああいう人って本来変なものも寄ってきやすいんですけど。そうですね、あちらの表現で言うのならカムイに愛されし人の子、ってところですか。あの人の近くはいつもきれいだ」
「感づかれているんじゃないのか」
「どうでしょう、昔から掴みどころがない人だからなぁ。まぁでも害になることも、彼女に危険が及ぶこともないと思いますよ」
さらりと私や古鷹さんと縁を持つ。さらりとロシアとの間をとりもち、更には伝承に隠された真実の核心すらつく。正直言って、上から見ても結構厄介な存在なのではないかと思うのだけれど。
「あの人に向けられる害意は大抵跳ね返されるでしょうから。だからあの人は海軍省人事局にいてもあんな感じでいられるんじゃないですか」
「……稀有な存在だな」
「ええ」
ざぁ、と風が吹く。気づけば青々とした空はその彩度を落とし、層状の雲が高くたなびく。もう秋もそこまで来ている。そうして秋が終われば、長く厳しい冬が来る。
「……ここに来て、季節がいくつ回ったか」
「さぁ、一々数えてませんよ」
ぐっと軍帽を被り直した彼のその顔には、いつの頃からか深いしわが刻まれるようになった。
「吹雪」
気難しいと言われていた彼は、それでもここ最近は少しだけ丸くなったように思える。それくらいの月日は、経っていた。
「人は、嫌いか」
そうしてその長い年月で幾度となく繰り返された問答。
「大っ嫌いです。それから」
その答えが少しずつ変わりゆくのも、彼女の言う通り、私と人との間に結ばれる縁の影響だとするのならば。
「嫌いなのに憎みきれない自分は、もっと嫌いですね」
「それはまた……実に、人らしいな」
なんて、これは面倒くさいものなのだろう。
笑えない冗談ですね、と呟きながら、左手にはめられた指輪を弄る。
夏が終わり、秋がくる。そうして秋が過ぎ去れば。
──長い長い、冬が来る。