「まだ飲むの……」
「まだ飲み始めたばかりだが」
「……量見て……いや、那智に何言っても無理か……」
ちびちびと手元のグラスを傾けながらげっそりとした様子で川内が呟く。別にそんなに飲んでいるつもりはないのだが、気づけば私と飲みに行った人は次第に誘いを断るようになっていく。酒癖が悪いつもりもないんだがな、定期的に付き合ってくれるのは川内と阿武隈くらいか。
グラスの中身を飲み干して、自分で空になったそれに酒を継ぎ足しながら川内に話しかけた。
「最近は寝られるのか、夜に」
「んー? んー……まぁ、ぼちぼち」
「そうか」
『──あたし、夜戦しかやらないから』
川内と何回か別の部隊で組んだことはあった。どの川内も程度の差はあれ夜戦バカ、陽気でうるさいという共通項があった。甲適性というし、その特徴が顕著に出ているに違いないと踏んで初めてこいつに相対したあの日が懐かしい。
どの川内よりも静かで。どの川内よりも敵深海棲艦を撃滅せんとする執念が強く。闇夜に静かに溶け込み相手に気取られることなく沈めていく様は、さながら暗殺者のごとく。誰とも群れることなく、それでいて圧倒的なその能力でもって水雷戦隊を率いる様は、圧巻だった。
「なに、それ確認したくて付き合わせたの?」
「そういうわけじゃないがな」
夜戦に拘るのは、夜に寝られないから。夜に目を閉じると、瞼の裏に鮮明に描き出される空襲の様。それを振り払うかのように戦いに身を置いていたその事実を知る人は少ない。阿武隈も最初の頃は任務選り好みすんな! と噛みついていたしな。
「那智ってさー」
「なんだ」
「将来ハゲそう」
「……私がハゲる前にお前の髪を全部剃ってやろうか」
「真顔で言わないでよ怖いから」
三人で飲むことの多いこの部屋のテーブルは、車椅子の川内にちょうどいい高さになっている。テーブルに顎をついてもしゃもしゃとスルメを咀嚼しながら川内が言葉を続けた。
「那智が秘書艦じゃなかったらあたし多分今生きてないだろうなー」
「どうかな。お前は案外そつなくこなすからな、どこでもやってけただろう」
「……そういう風に扱う人がそもそもいないんだってば」
「そうは言うがな。私としてはよく私の言うことに従ってくれたものだ、と思っているが」
「なんで?」
「……丙適性の私が秘書艦をしていたんだ、普通面白くないだろう」
一般的に適性が高ければ高いほど能力も高いとされる。逆を言えば、適性が低い癖にと難癖をつけてくる輩も少なからずいるわけだ。重巡で丙適性で戦場に立っているのはそれこそ甲適性並みに少ない。技能試験にパスした後も本当に艦娘になるのか、と何度も確認されたものだ。
だからこそそんな態度にも慣れたものだったが、案外こいつは最初から素直に言うことを聞いてくれて拍子抜けしたのを覚えている。
「適性とか関係なくない?」
「……そういう風に捉えるやつも、中々いないものだぞ」
「そうかなー。誰がどう見たってあの部隊の中心は那智だったし。あの頃は好き勝手やってたけどなんだかんだやりやすくしてくれてたじゃん?」
「どうだったかな」
「だから頭上がんないんだよねー」
「こうやって飲みを断れないくらいにはか?」
「そうそう」
お酒は飲めないけどねー、と氷の入ったグラスを傾ける。その中身は炭酸水である。
「参番大丈夫かなー」
「あの蒼龍適性のか」
「そーそ。いやいい娘なんだけどさ、ちょっと昔のあたしと危うさが似てるっていうか」
「ふむ」
川内が話題に上げた女の子を思い起こす。大人しくて、真面目でいい子だ。適性艦を名乗る前からこの子は空母だろうな、とあたりをつけられるくらいには空母らしい。
「甲適性はめんどくさいからねー」
「なんだ、よくわかってるな」
「はいはい、その節はご迷惑をおかけしました……」
「なに、迷惑とは思ってないさ。人はお互いに迷惑をかけあう生き物だからな」
「……那智さん」
「なんだ」
「抱いて」
「悪いがそっちの夜戦には興味ない」
「え? 普通の夜戦なら付き合ってくれるって!?」
「気が向いたらな」
今では下半身不随となってはいるが、それでも艤装に接続すれば、実戦はまず無理だが候補生達の訓練に付き合えるくらいには動けるようになる。攻撃から身を守る防御結界もさることながら、そういった肉体面の強化も同時に行う艤装艦魄回路は、まさに人智の範囲を超えるシロモノと言えるだろう。
「まぁ、なるようにしかなるまい」
「意外とドライだね」
「そうでもないさ。結局人を支えるのは人との縁だからな」
そう言いながら丁適性の問題児の方の空母候補生の顔を脳裏に描く。あの二人は親戚関係でしかも互いに二航戦候補。人との縁は不思議なもので、知らぬところで身近な人と繋がっている。世間は狭いなぁと零すその背景には、必ず何かしらの縁がある。
古き縁と、これから紡がれるであろう新しき縁。きっとそれはあの子達の力になるだろう。
「差し入れでー……げ、もうこんなに飲んでるの」
チャイムが鳴ると同時にガチャガチャと音がして阿武隈が現れた。勝手知ったるなんとやら、合鍵でもって中に入ってきた阿武隈が空いている一升瓶やらなんやらの数を見てあからさまに顔をしかめる。あのときは逃げた癖に、こいつもこいつで付き合いがいいというか。面倒見がよく、ついつい人に構ってしまうのは駆逐艦を率いるボスの性なのかもしれない。
「ちょうどいい、飲め、阿武隈。こいつは一滴も飲まないからつまらん」
「下戸なの知ってて誘ったのそっちじゃん……」
「うえー、お手柔らかにお願いします……」
買ってきた差し入れやら追加の酒やらを並べ始める阿武隈に甘味、甘味ない? と川内が絡んでちょっと待って、と彼女がぞんざいに対応する。
……これも、腐れ縁というやつか。そんな二人のやりとりを見ながら残りの酒をあおった。
「じゃあ乾杯、乾杯しなおそ!」
「だからちょっと待ってってば!」
「……あんまり騒ぐと周りから苦情がくるぞ」
夜がふける。だが、まだまだ私達の夜は始まったばかりだ。阿武隈のグラスになみなみと酒をついでやりながら、今日も今日とてこの穏やかな時間を楽しむのであった。