世界の片隅の、とある艦娘達のお話   作:moco(もこ)

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とある鎮守府の、二人の野分と一人の舞風のお話。


秋の日の(横須賀鎮守府:野分、舞風)

 庁舎の一角。表通りから少し離れたところにぽつんと一つベンチがある。木で死角になっているためほとんどの人がベンチがあることすら気づいていないこの場所は、普段の喧騒から離れ、一人読書にふけるのに適していて私にとってお気に入りの場所となっていた。

 落ち葉が風に吹かれて擦れる音や、鳥の囀りに包まれながらゆったりとした時間を楽しんでいると、その中にざざざ、と慌ただしく落ち葉を蹴散らす音が混じって顔を上げる。

 

「こんなところにいたー!」

 

 ひょっこりと現れた彼女の美しい金の髪が、傾きはじめた日の光を映してきらきらと揺れる。それを見て、どうやら結構な時間ここにいたらしいことに気づいた。

 軽い足取りでこちらに駆け寄ると、その勢いのままひょいとベンチに乗り上げて背中をこちらに預けた彼女は、なにやら楽しそうに笑っていた。彼女が自身の肩に寄りかかっているその状態を特に気にすることなく本のページを繰った。

 

「ねー、のわっち」

「……何?」

「のわっちはヴァイオリンやらないの?」

 

 足をぱたぱたと揺らしているのか、微かな振動を感じながら、視線は本の頁に落としたまま答える。

 

「私には合わなかったから。まるで機械みたいだ、君の音には血が通ってないって言われたの。だからやめた」

「ふーん」

 

 かさり。ふわりと赤く色づいた葉が本へと滑り落ちる。それを手にとって、何の気なしにくるりと回して。

 

「歌は、あんなに上手なのに」

 

 その言葉を受けて、そっと地面へと放った。

 

「……姉さんが」

「野分が?」

「……私が、姉さんの演奏に合わせて歌うと嬉しそうにするから。だから練習してただけ。人並みだよ」

 

 ぺらり。そう言い切ってまた頁をめくる。読書の秋とはよく言ったもので、秋の気配を感じながらこの木陰のベンチで読書をしているといつもより捗った。そろそろこの本も読み終わる、次は何を読もうか、と考え始めたところで舞風がぴょん、とベンチから立ち上がって私の目の前に回り込んできた。

 

「ね、歌ってよのわっち」

「急になに?」

「踊りたくなったの! ほらほら!」

 

 そう言うやいなや、くるくると楽しそうに目の前で踊り出す彼女を目で追って、手元の本をぱたりと閉じた。

 

「ほらほら当ててみて!」

 

 我流の踊りを見させられて曲を当てろ、とは中々難しいことを言う。そう思うものの、いつだって彼女が踊っているときはまるでその場で本当に曲が流れているかのように錯覚してしまう。あの時も、今も。強いて言えば今のほうが()()()音が、聞こえてくる。

 その動きにあわせてそっと口ずさむと、舞風は踊りながら声をかけてきた。

 

「のわっち絶対曲当てるよねー、なんでー?」

「……舞風はさ」

「なにー?」

「姉さんのヴァイオリン、好きだったでしょ」

 

 私のその言葉を聞いて、ふと一瞬彼女の目の奥に憂いの色を捉えた。

 

「うん」

 

 そうしてまたふいと視線を私から外しながら踊り続ける。

 

「私も同じだからわかるだけ」

 

 陽気で天真爛漫な舞風。無邪気に笑うその姿の奥底に、深い怯えと悲しみがあるのをきっと姉さんの存在に気づかなければ知ることもなかった。姉さんの存在は彼女に影を落としながらも、同時に彼女の生きる原動力となっていた、私のように。

 この関係は、一体なんなのだろう。同じ一人の人間に囚われる者同士、お互いに大切な人の知らない時間を知る者同士。依存でもなく、傷の舐めあいでもなく。ただただ一人の人間が私たちの間に存在している。そこを中心にくるりくるりと踊り続ける奇妙な関係。

 

「どう?」

「うん」

「うんじゃなくてさー!」

 

 曲が終わってこちらに歩み寄りながら問いかける彼女に答えると、彼女はどこか不服そうに頬を膨らませた。

 

「言わなくてもわかるでしょう」

「ほんと、のわっちはさ、野分と似てないよね」

「よく言われる」

 

 出来た姉だった。一度も彼女を疎ましく思ったことはないが、なにかにつけ比較してくる周りにはほとほとうんざりしていた。

 お姉さんはこんなに愛想がいいのに。全然笑わない。美人だけど、ちょっと怖いくらい。それにあの髪……ひそひそと話をするなら本人に聞こえないところでやってもらいたいものだ。

 人と違うからなんなのだろう。同じ人間であるはずなのに、突出した違いを見つければいつだって人は眉をひそめて指をさす。ロシア人の祖父から隔世遺伝により受け継いだ、日本の一般家庭において浮いてしまうこの髪色も、目も。私が異質であるという証拠だと言わんばかりに囃し立てられた。だから、姉のことは好きだけれど姉と比較されるのはあまりいい気がしない。過去の心が少なからず重くなる思い出が芋づる式に思い起こされるから。だというのに、あっけらかんと姉と違うと言い放つ舞風の言葉は私の神経を逆なでることはなかった。

 

「……なに?」

 

 いつの間にか私の顔を覗き込んでいた舞風が徐に私の両頬をつねったので少し顔をしかめて問いかける。

 

「ほーら笑って笑って」

「……」

「野分にも言われなかった?」

「姉さんから何か聞いたの?」

「んーん。ただね」

 

 あたし、のわっちの笑った顔が好きだから。きっと野分もそうだったんだろうなぁって。囁くように彼女が溢した言葉がそよ風に乗って消えてゆく。

 

『──ほら、笑って笑って』

 

 よく出来た姉だった。こんな見た目であることで少なからずこじらせてしまった私にも屈託なく笑いかけ、優しくしてくれる姉だった。

 

『他人に何か言われたからって私の好きまで否定しないで。ほら』

 

 休日に、姉が演奏するヴァイオリンを目の前の特等席で聞くのが好きだった。彼女だけは、いつだって私の味方で。

 

『私、──の笑った顔が、好きだよ』

 

 ただ漠然と、姉の隣にずっといられるのなら、この世界で生きていくのも悪くないと思っていたのだ。

 

「……」

「ふぁ、なーにぃ」

「……変な顔」

 

 お返しにとゆるく舞風の頬をつねってやると、間の抜けた顔で彼女が抗議の声をあげた。それを見てふ、と頬を緩ませながらベンチから立ち上がる。

 

「あ、待ってよのわっちー、どこ行くの?」

「食堂」

「え、あたしも行くー!」

 

 振り返って彼女が横に並ぶのを待ってからまた歩き始める。舞風は隣に並んだ、と思ったら軽やかなステップと共に前に出て。

 

「え、ちょ、っと!」

 

 徐に私の手を取ってくるくると踊り出した。

 

「えへへー、のわっちは踊るの下手だね、教えてあげる! はい、ワーンツー!」

「わぁ!?」

 

 

 執務室の壁に寄りかかりながらぼんやりと窓の外の景色を見ていると、ここの秘書艦である大淀が声をかけてきた。

 

「提督、どうされました?」

「舞風と野分がじゃれてる」

「あら」

 

 指をさすと大淀が近寄って来て窓を覗きこんだ。下手くそなワルツを楽しそうに踊っている。いや、楽しそうなのは舞風だけか、野分は振り回されている感じだ。

 落ち葉が鮮やかに庁舎に通ずる道を染めあげる中、二人が動き回ることでそれが舞い踊る。なんとはなしにポケットのヒートを弄りながらぼそりと呟く。

 

「──秋の日の。ヴィオロンの、ためいきの」

「ポール・ヴェルレーヌですか」

「大淀はなんでも知っているね」

「秘書艦ですから」

「うーん、まぁ、いいけどさ」

 

 この有能すぎる秘書艦のおかげで自身の胃はこの程度の損傷で済んでいると言っても過言ではない。どんなに他の優秀な艦娘を駆け引きによって奪われていったとしても、彼女だけは手放すつもりはなかった。

 

「大淀は舞風が大事にしているヴァイオリン見たことある?」

「所持しているのは存じています。一度もそれが弾かれたことはないかと思いますが」

 

 ただ少し。ここまで把握されていると怖いものがあるけれど。

 

「あれは、おいそれと他人が触れていいものではないからね」

 

 この鎮守府に舞風が転籍してきた日。守るようにヴァイオリンのケースをぎゅっと胸に抱えてうつむいていた彼女。持ち方も知らぬその姿に、それが彼女の私物でないことは明らかだった。

 それは君にとって大事なものなのかな、と問いかければうつむいたまま頷く彼女に。

 

『取り上げないから。まずは僕に顔を見せてくれないかな』

 

 そう促して、ようやっと面を上げた彼女の顔は。痛々しいほどに憔悴しきっていた。

 ポケットからヒートを取り出し、パキ、と錠剤を取り出して飲み込む。最近は水なしで飲めるのがあって便利でいい。

 

「センチメンタルな気分に浸られるのも構いませんが、それでまた胃をやらないでくださいね」

「これは手厳しい」

「あなたは海上護衛における要なんですから。ご自愛ください」

「うん、ありがとね」

 

 錠剤が溶けてざらりとした食感が舌に残る。水なしで飲めるとは言っても、この変に残る甘さは少々苦手だ。執務机のグラスを手に取り水をあおった。

 

「──ひたぶるに。身にしみて、うら悲し。美しい詩だ。僕はね、秋になるとこの詩を必ず思い出すんだよ」

 

 グラスを傾けながら、また窓辺へと近寄る。野分が息を切らして、舞風に抗議しているようだった。それを笑いながら受けて舞風が軽やかな足取りで一人先を行く。それを見て一つため息をついて。表情をふと緩ませながら野分が後に続いた。

 二人とも以前より表情が明るくなった。いいことなのだろう。大切な人を亡くした悲しみというものは癒えるのに時間がかかる。自論でいえば、消えることはないように思う。ただ、ゆっくりと時間をかけて。徐々に、徐々にその悲しさと距離をあけてゆく。心を蝕まない程度に距離を作ったとて。きっと、その悲しみ自体は、そこにあり続ける。

 

「なぁ、大淀。秋というものはどうしてこんなにも美しく、物悲しいんだろうね」

 

 死にゆく人々に心を傾ければ自身の心が壊れてしまう。これは、そういう職だ。だけれども、ふとした瞬間に思い出す。隣で笑っていたあの娘を、自身を支えてくれたあの娘達を。

 

「秋の夕焼けは、綺麗ですから」

「……」

「人は夕焼けを見ると遺伝子的に切なさを感じるんだとか」

「へぇ?」

 

『──夕陽って少し……悲しいですね』

 

 いつの日か野分が溢した言葉を思い起こす。

 

「それならば。我々は、甘んじてこの切なさを受け取るべきだね」

「業務に支障のない範囲でお願いしますね」

「善処するよ」

「もう」

 

 ガタンと執務机備えつけの椅子を鳴らして席につく。やるべき仕事は山ほどある。日が落ちて夕陽が鮮やかに空を染めあげたとて、休む暇なぞない。山積みになっている書類に目を通しながら、先ほどの詩の続きを口ずさんだ。大淀は、何を言うでもなく。ただ黙ってそれを聞いていた。

 

 

 鐘のおとに

 胸ふたぎ

 色かへて

 涙ぐむ

 過ぎし日の

 おもひでや。

 

 げにわれは

 うらぶれて

 ここかしこ

 さだめなく

 とび散らふ

 落葉かな。

 

 




落葉 上田敏
『海潮音』より抜粋
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