世界の片隅の、とある艦娘達のお話   作:moco(もこ)

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呉鎮守府での飲み会の一幕。いつもより若干百合度が高い気がしなくもない赤ツェペです。そういった表現が苦手な方はお戻りください。


酒は呑んでも呑まれるな(呉鎮守府:赤城、グラーフ)

「それではカンパーイ!!」

 

 乾杯の音頭をとった龍驤にならって皆がグラスをうち鳴らす。ここ、呉鎮守府では大規模、中規模作戦終了後にはこうやって大きな飲み会を開くのが習わしとなっていた。もちろん駆逐艦の娘達はお酒が飲めないので昼の部と夜の部に分かれており、今は大人達の宴の時間だ。

 世代交代の時期に差し掛かったこともあり、まだまだかたい空気が流れている仲間が多い中、こういった飲み会は一種の潤滑油のような働きをするように思う。惜しむらくは、自身が全くお酒を飲めないことであろうか。たまに、皆のように酔えたら楽しいだろうなとは思うのだけれど、こればっかりは仕方がない。手元のお茶を傾けながら空母の皆と会話を交わす。時間が経てばあっちへいったりこっちへいったりと艦種は徐々に混ざっていくのだが、最初は艦種ごとに座るのもここの決まりだった。隣では飛龍と蒼龍がはしゃいでいる。お酒は飲めなくとも、こういった空気は好きなようだった。

 しばらくして。徐々に空気があったまってきただろうか、というときに私達の席にビスマルクさんが乱入してきた。それを見て隣に座っていたグラーフさんが微かに眉をひそめる。

 

「グラーフ、飲み比べしましょ、飲み比べ」

「断る」

 

 勝手に空きグラスにビールを注ぎ始めるビスマルクさんをばっさりと一刀両断する。ビスマルクさんはそんな彼女の様子に堪える風でもなくぐいぐいとそのグラスをグラーフさんに押し付けながら絡む。

 

「ちょっとー、私のお酒が飲めないっていうのー?」

「……飲み過ぎじゃないのか、ビスマルク」

「こーんなの全然酔ってるうちに入らないわよー! ほら飲みなさい、全然飲んでないじゃない」

「いらん。まだ飲み終わってない」

 

 心底鬱陶しそうに対応するグラーフさん。最近気づいたのだけれど、この人はわりかし親しい間柄の人に対しては対応がぞんざいになる。だから、まぁ大丈夫だろうとのんびりとその様子を見守っていた、のだが。

 

「はっはーん?」

「……なんだ」

「あー、わかったわかった。あなた、下戸なんでしょ」

 

 けらけら笑いながらビスマルクさんがそう言うと。ぴくり、とグラーフさんの眉尻が上がった。あ、嫌な予感。

 

「ごめんねー、グラーフちゃんにはちょっとコレは刺激が強すぎるみたいね~あははは!」

「……おい」

 

 低い声が鋭く響く。と、同時にだん! とグラーフさんが手元のグラスを飲みきってテーブルに叩きつけた。そして、ぐい、とネクタイの根元に指を差し込んでそれを緩めながらビスマルクさんを睨み付ける。

 

「酒、もってこい」

「そーうこなくっちゃあ!!」

 

 ……なにか、雲行きが怪しくないかしら。そして私の反対隣では。場酔いして暴れる飛龍とそれを必死に抑える蒼龍の攻防が繰り広げられていた。

 

「なんで麦茶で酔ってるの!?」

「あははは、そーりゅー、お酒のも」

「未成年の飲酒ダメ、絶対!!」

「なにいってんのよ飛龍はよゆーで六十歳越えのおばーちゃんよ」

「それ艦の話でしょ!?」

「あはははそれビールかけ」

「へ、ちょっとま、ぶ!!」

 

 あっちでどんちゃん、こっちでどんちゃん。いつの間にか飲み会の空気は最高潮に達していたようで。艦種はごちゃごちゃ、ついでに言うならテーブルも床もめちゃくちゃ。……ああ、至らない一航戦で、ごめんなさい。今の私にはこの惨状を掌握する術が、わかりません……。

 

 

 つわものどもが夢の跡。松尾芭蕉の言葉を思い起こし、目の前の惨状から目を背ける。ああ、せめてこの句みたいに情緒やらなにやらがあればいいのに。目の前に広がるのは屍の山のみ。遠く離れた戦艦を中心とした席では生き残った酒豪達が屍を肴にかっぱかぱと日本酒を飲んでいる。すごいわ、あのペースがずっと崩れてない……。一方、重巡の席は静かに潰れているか、しっぽりと飲んでいるか。大きく二種類に分けられるものの、比較的安全地帯のように思えた。いっそ混ぜてもらえたら、と思いつつ、どうしてもこの場を離れることができずにいた。

 ひとつに、万が一新入りの飛龍と蒼龍になにかあってはと心配があったため。今現在、さらにハイになった飛龍がまともに顔面に浴びたお酒の匂いでダウンしている蒼龍の背中を爆笑しながら叩いていた。……うん、元気そうでなによりだわ。そっと現実から目を逸らして。そして反対側を向けばもう一つの見つめたくない現実がこんにちは。

 

「う゛~……」

「……」

 

 テーブルに突っ伏してなにやらビスマルクさんが呻いている。手に握りしめられているジョッキに残っていたお酒が零れ落ちるのをそっとお手拭きで食い止めながら隣を見やった。グラーフさんはまだ意識はあるものの、テーブルに肘をついてどうにか支えている頭は頼りなさげにふらふらと揺らめいていた。

 

「グ、グラーフさん、大丈夫ですか……?」

「まだ、飲める……」

「もう飲まなくていいですから! ほら、お水ですよ」

 

 ずるずると肘をついていた腕からずり落ちて突っ伏しかけている彼女を揺らして近くにあったグラスに水を注いで勧める。

 ぼんやりとこちらを見上げる彼女にはいつものしっかりとした面影など一切なく、どこか少しあどけなささえ感じられた。色素の薄い肌が淡く色づき、微かに乱れた髪からはどことなく色っぽさすら感じられる。いや、そもそも。前を開けすぎなのだ、ビスマルクさんと飲み始める直前に緩められた胸元はさらに大きくはだけ、ちょっと目のやり場に困る。

 なるべく直視しないようにずずい、と彼女の目の前に水の入ったグラスを勧める。ぼんやりとそれを机に突っ伏した状態で眺めていた彼女は、ゆるゆると手を伸ばして──

 

「……あの、グラーフさん?」

「んー……」

 

 するり、とそれを取らずに。なぜか私の髪に手を伸ばしてきた。さらり、さらり。指先ですかせては、その間から零れ落ちるそれを眺めてどことなく嬉しそうにしている彼女を無下に扱うのは憚られた。

 

「……あの」

「んー?」

「……た、楽しいですか?」

「んー」

 

 これは、完全に酔っている。先にビスマルクさんが落ちて気が抜けたのか、グラーフさんはふにゃりと緩んだ表情で間延びした返事を繰り返した。

 

「お水、飲みましょう?」

「んー……」

「ほら、顔真っ赤ですよ」

 

 ぴとり、と彼女の頬に触れればじんわりとそこから熱が伝わってきた。温度を感じることができない彼女にはこうして言葉で視覚情報を伝えることしかできないのだけれど、果たして今の彼女がそれを理解しているかは甚だ疑問である。私の心配をよそに、グラーフさんは片手で緩く私の腕を捕まえると、嬉しそうに私の手に顔をすり寄せた。その、普段の彼女からかけ離れた行動に思わず固まる。

 

「おちつくな」

「……」

「アカギに触られると、おちつく」

 

 呂律が回ってないな、とか。ああ、人に触れられるのが苦手だと言っていた彼女から、酔っているとはいえそんな言葉が出てくるなんて、とか。色々な思考がとりとめもなく浮かんでは消え、そして最後には羞恥が残った。自身の手にすり寄る彼女の頬から感じる摩擦。それは、自身の豆だらけの手により生じるもので、それが妙に恥ずかしく思えてしまったのだ。

 

「……手、荒れてて」

 

 思わず言い訳めいた言葉が口から零れる。それを聞いて、ゆっくりとグラーフさんが視線をあげた。

 

「その。……あんまり、女性らしい手じゃ、ないです、し」

 

 そうして彼女から逃げるように。手をひこうとした、そのはずだったのだ。

 ぐい、と。逆に強い力で、強いと言っても普段の彼女からすると、という程度で、それこそ今だって私を捕まえているこの手は振りほどけば逃げられるくらいの優しさで、それが彼女らしいなとどこか他人事のように感じながら。逆に引き寄せられてしまった私は、思わず体勢を崩してしまった。

 

「これがいい」

「……は」

 

 まっすぐに。じっと見つめられて身動きが取れなくなる。

 

「これがいいんだ」

 

 もう一度、そう繰り返して。彼女は、手繰り寄せた私の手首にそっとキスを落とした。ぞわり。触れられた部分が、粟立つような感覚。それは、決して嫌悪感からくるものではなく。くらくら、する。そうだ、自身は下戸なのだ。こんなに強いお酒の匂いを纏ったこの人に、きっと呑まれているだけ。だから、彼女の瞳に熱が籠っているように見えるのだって、勘違いで。は、と思わず浅い呼吸が漏れる。くらくら、する。それに、耐えられなくて。思わずぎゅっと目をつぶってしまった。

 

「……」

「……グ、ラーフ、さん?」

「……」

「……え、もしかして」

 

 ぎゅっとつぶっていた目をそおっと開けると。目の前で、安らかな寝息をたてながら寝ているグラーフさんがいて。無意識に詰めていた息を細く吐き出した。

 

「えぇ……」

 

 それは、どういった感情から零れたものだったのか。よくわからなかった私は、もう一度長い長いため息をついて。どっと襲いかかってきた疲労感に思わずへたりこむのであった。

 

 

 目覚めは、最悪だった。ガンガンと金槌で殴られているかのような頭痛に思わず呻き声をあげながら身を起こす。……これは、二日酔いか? こんなになるまで酒を飲んだのはいつぶりだろうか。頭痛に思考が邪魔されうまくまとまらず、思わず頭をおさえた。……まずい、昨日の記憶が途中で飛んでいる。確か、ビスマルクと飲み比べをして。勝ったのか、負けたのか。どうやらその辺で記憶を飛ばしてしまったらしい。

 とりあえず軽い朝食を摂ろう、そう思い立ってよろよろと部屋を出た。幸いにも今日は一日フリーだった、だからこそビスマルクの挑発に乗ってしまったことを考えると幸いといっていいのかわからないが。

 廊下をふらふらと歩いていると、その先に飛龍と蒼龍を見つけた。が、なにやらただならぬ雰囲気だ。

 

「そ、そーりゅー……」

「……」

「あ、あの……」

「飛龍なんて知らない」

 

 ぞっとするぐらい冷めた声が響き渡る。いつもは温厚でにこにこと笑顔を絶やさない彼女の顔からは感情が抜け落ち、振り返り様に飛龍に投げ掛けられた視線はとても冷ややかだ。当事者の飛龍も固まったが、それを見た私も思わずびくり、と身をすくめた。普段温厚な人ほど怒らせると怖いとはよく聞くが、まさにその通りだと思った。

 

「ご、ごめ」

「なにが?」

「……え、っと」

「理由もわからないのに謝ったの?」

「……その」

 

 とりつく島すらない。いつもはどちらかというと蒼龍が飛龍に振り回されているが、形勢逆転である。傍目からもおろおろとしている飛龍に一瞥をくれると、無言で蒼龍は身を翻して歩き去っていった。そしてその後ろをそーりゅー……と若干涙声になりつつよたよたと追う飛龍。

 ……酒は、ダメだ。その様子を見て明日は我が身と身震いする。昨日の最後の記憶がビスマルクとの飲み比べなあたり、やらかしてしまった感が拭えない。最近なにかにつけて煽ってくるビスマルクの満面の笑みが脳裏に浮かび、思わずイラッとすると同時に頭痛がガンガンとひどくなった。ダメだ、やはり一旦自室に戻って水を飲もう。そう思って踵を返すと。廊下の突き当たりからひょっこりと赤城が姿を現した。

 

「……」

 

 自身を見るなり、すぅっと赤城の目が細められた。ぶわっと背中から変な汗が出る。まずい。これは、なにかやらかしているんじゃ、ないのか。

 蒼龍とは違ったタイプではあるが、彼女も普段は笑顔を絶やさないタイプである。その、彼女が。じと目でこちらを見つめていた。思わず固まってその場に留まっていると、ゆっくりと彼女がこちらに歩み寄ってきた。一歩、二歩。普段の距離感より少し遠い距離で彼女が立ち止まる。そして、しばしの沈黙。

 ……気まずい。この空気をなんとかしたくとも、昨日の記憶が全くない自分からアクションを取ればやぶへびになる可能性があるため、ただひたすらにこの気まずい時間を耐えた。すると。

 

「……グラーフさんって、誰にでもあんなことするんですか?」

「……は?」

 

 ゆっくりと開かれた彼女の口から零れた言葉が理解できずに思わず間抜けな声が漏れる。あんなこと。あんなことって、なんだ。

 

「お酒、もう飲まない方がいいと思いますよ」

 

 つーんとした表情でそう言って、すれ違い様に去っていく。ざぁっと血の気が引いていく。い、いやいや待て、記憶がないんだ、このまま別れてしまっては謝ることすらできない。情報、そうだ、情報がいる。そう思って咄嗟に振り返り様に赤城の手を掴んだ。

 

「ちょっと、ま……!」

 

 ぱし、と。力を入れすぎないよう、細心の注意を払いながら、それでも彼女を引き留めようとして掴んだ瞬間。びくり、とそこから彼女の動揺が伝わってきた。その、彼女の横顔は。

 

「……弓の指導があるので」

 

 失礼します、と消え入りそうな声で続けた、彼女の横顔は。かつてないほど、真っ赤に染まっていた。それを見て固まっている自身を見向きもせず。赤城は足早に去っていった。

 

「Hallo、グラーフ! あなた大丈夫? 私もう頭ガンガンしてたまんないわ!」

「……」

「日本では二日酔いには味噌汁らしいわよ、どう、一杯ひっかけ……」

「ビスマルク」

「なに?」

「日本流の責任の取り方は、ハラキリでよかったか……?」

「ちょっと待ってそのナイフどっから出したの待って待ってちょっとGanz ruhig(落ち着いて)!!!」

 

 暴れる自身を羽交い締めで抑え込むビスマルクの手からようやく抜け出す頃にはこの動揺も少し落ち着いた。落ち着いたところで現状が変わるわけでもなく。

 

「記憶……記憶がない……」

 

 顔を両手で覆い、呻きながらずるずるともたれかかっていた壁からずり落ちる。そんな様子を見て、ビスマルクは何を思ったのかこちらの肩をぽん、と叩きながら。

 

「大丈夫よ、私もないから!!」

 

 と、腹立たしいほどの満面の笑みを浮かべて無責任に励ましてきた。その様子に。ぶち、と脳の血管が切れるような音が聞こえた気がした。

 

「うるさい黙れ元はと言えばお前が……!」

「ちょ、タンマタンマ首! 絞まってる!!」

「絞めてるんだよ……!」

Hilf mir doch jemand(誰か助けて)!!」

 

 その後、あちこちで飲み会の傷跡が散見され。その様子に提督がぶちギレ、呉鎮守府内で禁酒令が一ヶ月しかれることとなった。次やったら酒樽に入れて沈めるぞ、と全艦娘の前で言い放った彼は、過去最高に機嫌が悪かったとか、なんだとか。

 


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